突発性難聴により2023年10月から活動休止中だったアイドルグループ・Juice=Juiceの川嶋美楓が、きょう20日に神奈川・ハーモニーホール座間で行われたコンサートツアー「Juice=Juice Concert Tour 2024 1-LINE」初回公演でステージへ復帰した。○■川嶋美楓「本当にステージに立つのが大好きだなと」公演直前には、川嶋の復帰を歓迎する客席で「美楓ちゃん!」「おかえり!」のコールが繰り返された。ステージは華々しく幕を開け、5月15日にリリースする最新シングル「トウキョウ・ブラー/ナイモノラブ/おあいこ」から2曲を初披露。力強い「トウキョウ・ブラー」はクールに、ミディアムテンポの「おあいこ」はしっとりと歌い上げ、観客を魅了した。公演序盤のMCでは川嶋もステージへ立ち、11人の全メンバーがそろって笑顔で挨拶。リーダーの植村が「美楓、おかえりなさ〜い!」と叫ぶと観客が歓喜した。公演直前のコールについて感想を聞かれた川嶋が「すごくうれしくて。今まですごく、みなさんに心配とか迷惑をかけたんですけど、これから精一杯頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします!」と元気よく伝えると、客席が盛大に沸いた。以降も楽曲を次々と披露し、公演終盤には川嶋もパフォーマンスへ合流した。先述の最新シングル収録曲「ナイモノラブ」などで躍動し、終演直前のメンバーによる挨拶では、川嶋が「久々にステージに立つことができて、本当にステージに立つのが大好きだなと思いました」と吐露。リハーサルでは緊張もあったが、メンバーと「ふざけちゃったり、悪さをしてしまったり」する中で気持ちがほぐれたといい、復帰を待ちわびていたファンや、周囲のスタッフに「本当に支えられていたと思いました。ありがとうございます」と感謝を伝えた。本公演で初披露した「トウキョウ・ブラー」のMVはグループ公式YouTubeチャンネルで公開中。唯一のオリジナルメンバーであるリーダー・植村にとっては、グループ卒業を控えて臨む自身のラストツアーでは全国8都府県を行脚し、6月14日には、東京・日本武道館で植村の卒業公演「Juice=Juice Concert Tour 2024 1=LINE 植村あかり卒業スペシャル」を開催する。【編集部MEMO】コンサートツアー「Juice=Juice Concert Tour 2024 1-LINE」4月20日・21日ハーモニーホール座間 大ホール(神奈川)4月27日・28日NHK大阪ホール(大阪)5月3日東海市芸術劇場 大ホール(愛知)5月5日TACHIKAWA STAGE GARDEN(東京)5月12日仙台サンプラザホール(宮城)5月18日キャナルシティ劇場(福岡)5月26日NHK大阪ホール(大阪)6月1日沖縄コンベンションセンター劇場棟(沖縄)6月8日JMSアステールプラザ 大ホール(広島)
2024年04月20日「8月20日のワンマンライブは、今年で最後にします。もう、いままでみたいに歌えないんです」こう明かすのはシンガーソングライターの川嶋あい(37)だ。’03年、I WiSHとして発表したテレビ番組『あいのり』主題歌『明日への扉』がチャート1位を獲得し、累計で70万枚を突破。’05年には、無名時代から続けてきた路上ライブが1千回を数え、’06年の名曲『旅立ちの日に…』は、卒業ソングとしても愛されてきた。その“平成の歌姫”がデビュー20周年にして「ライブ活動の一線を退く」と告白するのだ。「最初に違和感を覚えたのは’17年8月のライブです。昔の曲の最中に『あれ、歌えてない』と思いどおり声が出ないことに気づいて」川嶋は母の命日の8月20日に、毎年、年間最大のライブを開催し、歴代のヒット曲を披露してきた。だがその年の異変にショックを受け、病院を受診すると、のどにしこりができていることが判明。「除去すると声質が変わってしまうリスクがあり、先生は手術には慎重でした」不安と葛藤のなか、ボイストレーニングを重ねたが調子が戻らず、昨年5月、ついに手術に踏み切る。「手術後3カ月もすればガンガン歌えると思いましたが、まったく思いどおりに復調してくれません。そして9月に、『来年8月20日でワンマンライブを最後にしたい』と会社に打ち明けました」しかし経験とテクニックでカバーすれば、歌い続けることも可能だったのではないかーー。「たとえば『旅立ちの日に…』にしても発表当時のパフォーマンスを維持できなければ、『川嶋あいの楽曲』ではない。毎年8月20日はそれを確かめる日でした。でも、ここ数年失敗が続き、もう『最後』という選択肢しかなくて……」ただし歌うことを完全にやめてしまうわけではない。現に、ボイトレに加え10キロ以上のランニングを自らに課しているのだ。「フェスなどの短時間であれば、今後も出るチャンスはあると思う。新曲はその時々のパフォーマンスに応じて作曲できますし、歌手を引退するわけではないですから」■孤児の私を引き取り、育ててくれた“お母さん”20年間、走り続けてきた川嶋がいま思うのは、亡き母のこと。’86年、福岡県生まれの川嶋は、産みの母が病気で亡くなる前後に児童養護施設・和白青松園に入所。同施設をたびたび訪問していた、篤志家の川島夫妻は子どもがなく、川嶋が3歳のときに引き取られて親子3人の暮らしが始まった。父の建設業は順調で裕福に育てられたが、川嶋が10歳のとき父が肝臓がんで他界。母子家庭となり、会社は傾きだし、家も豪邸から6畳1間のアパートへと移ろった。すると今度は母が体調を崩して、心臓病に加え、がんも併発してしまう。それでも母は「娘を歌手にしたい」一心で音楽教室に通わせ、中学を卒業すると上京させて芸能コースのある高校に進学させた。川嶋は、渋谷の街頭などで地道に路上ライブを始めると、現在の会社にスカウトされてデビュー、メジャーシーンへと駆け上がった。母が故郷で一人亡くなったのは、『明日への扉』が全国ネットで流れるわずか2カ月前、8月20日のことだった。施設で暮らしていた川嶋を娘として引き取った「お母さん」。わが身を削って夢を託してくれた天国のその母に、伝えたいことは。「今年で最後と決めてしまって、『ごめんなさい』という思いです。毎年この日は、母とステージで交信できる大切な日でした……」そのライブが最後だという絶望と、まだ歌う機会は残されているという、わずかな希望。「いま現在、闇と救いが混在しています。苦しい闇があるから、その先、どう生きていけるか、挑戦したい。負けたくはないんです」いま、どんな光が見えているのだろうーー。川嶋は、しばらく考え込むと、顔を上げて話しだした。「なぜそこまで、母が私を歌手にしたかったのか。ずっと疑問だったんですが、去年、私の歌の恩師の加峯恭子先生、麻美先生(ホットミュージックKaBu音楽学院)からこう告げられたんです……」川嶋を施設から引き取ったものの、始終泣きやまない3歳児に困り果てて、母は加峯先生に相談。教室で「お遊戯のように歌を始めると、ピタッと泣きやんだ」のだという。「3歳の私が母に『歌うの楽しかった!』とすごい笑顔で言ったそうです。そこで母は『この子に歌を続けさせたい』と思ったのだと。いま、30代半ばになった私は、『母のようなことができたらなあ』と思い始めているんです」■手段は歌以外にも…母のように子供たちに希望を与えたい!歌手として成功した川嶋は児童養護施設を慰問して、歌やプレゼントを届けてきた。阪神・淡路大震災、東日本大震災などの遺児・孤児への支援。さらに、発展途上国での学校建設なども進めてきた。そして最近は「闇の中にいる子」に思いを馳せるようになった。「ニュースなどで時折、虐待による悲しい事件を目にします。いまも、どこかで虐待されている子が闇の中にいるはずなんです。手を上げてしまう親の心だって闇。自分になにができるのか、考えて行動したいと思うんです」母の命日に行う最後のライブ。「これが終われば、きっと見えてくるものがある」と期待を込める。「当日は、古くからのファンの方も、初めての方も楽しめる代表曲を中心に、意表を突く構成を考えています。私は、いまの歌声から逃げないで、20年の集大成として完全燃焼します!」8月20日は、川嶋とファンの、次への「旅立ちの日」になるーー。(取材・文:鈴木利宗)
2023年05月31日今、注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回は俳優の川嶋由莉さんです。「大人計画」の舞台に立つことが子供の頃からの夢でした。「演劇が好きな母の影響で、子供の頃からいろんな作品を観て、自分も演じてみたいと思うようになりました」。この冬には、念願だった大人計画の舞台に出演。「オーディションの結果を聞いた時は、嬉しくて号泣。松たか子さんなど憧れの方々との共演で、稽古は緊張しっぱなしでしたが、公演はひたすら楽しかったです」。素顔は、自分を出すのが苦手なタイプ。「でもお芝居となると我を忘れて、“これやって”と言われたらポン!と乗れちゃう。舞台の上だと何でも抵抗なくできるのが強みかも!」文字を読んでいると落ち着きます。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』など、仄暗い作品に惹かれます。実家で飼っているこたろうとじろう。この子たちと遊ぶ時間が幸せ。我が家には猫が8匹もいるんです!農業をしている祖父のお手伝い!祖父が米と梨を作っていて、時々手伝います。土に触れると癒されますね。かわしま・ゆり1998年生まれ。2021年、舞台『パ・ラパパンパン』(COCOON PRODUCTION 2021+大人計画)に出演。ドクターシーラボや西武園ゆうえんちのCM、PVなどでも活躍。※『anan』2022年1月19日号より。写真・土佐麻理子文・間宮寧子(by anan編集部)
2022年01月18日《ヒヒラギの葉の趣に似たるなりタイ山村の炉に立つ火揺らぎ》学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(享年81)が今年1月に送った年賀状には、こんな短歌も書かれていた。ヒヒラギとは柊のこと。尖った葉を持つ柊は、炉でゆらめく炎に似ているという歌のようだ。川嶋さんの知人はこう語る。「川嶋先生の胸の内のざわめきが強く伝わってきます。お孫さんの結婚問題については口を閉ざしていらっしゃいましたが、悩まれているご様子でしたから……。柊の花言葉を調べてみてドキリとしたこともよく覚えています。『用心深さ』『先見の明』『あなたを守る』……。眞子さんにもっと用心深くなってほしいということなのか、あくまでもお孫さんを守るという決意表明だったのか。もしかしたら、その両方のお気持ちだったのかもしれません」宮内庁の発表によれば、東京都内の病院で川嶋さんが逝去したのは11月4日午前11時55分。最愛の祖父を看取った眞子さんは仮住まいにしているサービスアパートにタクシーで帰ったが、車内ではずっとうつむいており、左目に浮かべた涙はいまにもこぼれ落ちそうだった。■不合格判明直後に眞子さんを慰めていた小室さん実は眞子さんは10月26日に小室圭さんと結婚してから、頻繁に川嶋さんのお見舞いに訪れていた。「一般人になって自由に動くことができるということもあったでしょうが、川嶋さんが亡くなる直前の3日間も毎日夕方に病院を訪れていました。1人で行くことが多かったのですが、10月29日には小室圭さんも同伴しています。川嶋さんに紹介するためでしょう。眞子さんとしては、当日公表される予定だった夫の司法試験の合格も報告したかったのでしょうが、それはかないませんでした。実は宮内庁の幹部たちも、小室圭さんは司法試験に合格するに違いないという認識でした。それは眞子さんを通じて“試験の手ごたえ”について聞いていたからのようです。つまり小室さんは試験結果をかなり楽観視していたのでしょう。眞子さんは今後も支え続けるそうですが、小室さんの不合格に落胆していることでしょうね」(宮内庁関係者)10月29日、病院を訪れた小室さんは、鮮やかなブルーのシャツの裾をボトムスに入れないカジュアルなスタイル。前髪をおろした小室さんが、終始顔に笑みを浮かべていたのに対し、眞子さんは沈痛な面持ちだった。川嶋さんの容体が思わしくなかったためか、それほど小室さんの不合格がショックだったのか……。小室さんは、そんな眞子さんの背中に手をあてて励ましており、本人には落ち込んだ様子はなかった――。■金銭トラブル発覚後、川嶋教授が本誌記者に漏らした苦悩かつて本誌記者は、“祖父と孫の絆”について、川嶋さん本人から話を聞いたことがあった。’18年1月下旬、小室圭さんの母・佳代さんと元婚約者の金銭トラブルが報じられてから1カ月ほどたったころのことだ。当時、本誌は学習院関係者から次のような証言を得ていた。「川嶋先生が、眞子さまの新居探しなどにかかるお金について、『うちが用意しないといけないんだろうな』と、おっしゃっていたというのです。小室家には経済的に頼れないということを、すでにご存じだったのでしょう。秋篠宮家に支払われている皇族費は税金が原資ですから、先生は、そのお金で新婚生活を援助すべきではないというお考えのようです。『もう腹をくくるしかないよ』とも、おっしゃっていたそうで、具体的な経済的支援についてもある程度考えていらしたのではないでしょうか」孫・眞子さんの結婚問題が世間で取りざたされているなかで、それまで何度も取材を受けているとはいえ、そのときの本誌記者の来訪はけっして喜ばしいことではなかっただろう。しかし川嶋さんは、自宅マンションのロビーで1時間ほども応対してくれただけではなく、「○○さん、寒くはありませんか?」と、自身が着ていたジャンパーを脱いで、記者に着せようとする優しい気遣いまで見せてくれたのだ。記者が、学習院関係者の証言について聞くと、ほほ笑みながらこう語った。「結婚式への援助ということならば、どこのお宅でも同じだと思うのですけれど、(当人たちの)親御さんなり、一つ上の世代なりのお考えもあって、どんな式を挙げるかを選択していくことはあると思います。これはあくまで一般論ですが。僕が(経済的な支援を考えているという)そういう気持ちを持っていたとしても、そんなにはっきりとは語らないように思えるのですが……、もっとも寝言で言っちゃったのかはわかりませんが(笑)」経済的支援については、川嶋さんは慎重に言葉を選んでいた。金銭トラブル発覚直後から、小室さんの父や祖父が自殺をしていたことなど、“小室家の過去”が次々と報じられ、「結婚をやめるべき」という声が高まってきた状況のなかで、川嶋さんも懊悩の日々を送っていたのだろう。ずっと柔和な表情だった川嶋さんだが、記者が「小室家の金銭トラブルといった問題が、結婚に悪い影響を及ぼしていることについて、先生はどうお考えでしょうか」、そんな質問を投げかけると、しばし目を閉じて考えこんだ。「どんな家庭でも、祖父母にとって孫はかわいいものだと思います」――それでは先生は、眞子さまと小室さんのご結婚をあくまでも応援されるということなのでしょうか?「……(孫の結婚については)僕なりの感情はありますよ。(小室さんとの結婚に関しての)多くの方の話を聞き及ぶと、僕の基準から考えたときに、『ああ、残念な結果になってしまった』と、寂しく思います。(祖父の)僕が寂しく思うということは、いまの世間の動きからするに、(皆さんが応援していない)可能性は微小ではないような気がするんです……」愛する孫の結婚を応援することができない苦しさが、ひしひしと伝わってきた。反対の声も多い結婚に突き進む眞子さんのことがよほど心配だったのか、そのあともしきりに「孫は本当にかわいい」という言葉を繰り返していた。■祖父との永訣が、かたくなだった眞子さんの心に変化を逝去直前の、眞子さんの連日のお見舞いについて、前出の川嶋さんの知人はこう語る。「結婚問題を巡って、娘の紀子さまと眞子さんの距離が広がっていたことも、川嶋先生にとってはおつらかったでしょう。川嶋先生はお優しい方でした。結婚に反対されていたとしても、先生はその本心を押し隠し、眞子さんを励ますようなお言葉をかけていたと思います。眞子さんの結婚会見を見れば、結婚に反対する人たちは“敵”と、考えていることはよくわかります。眞子さんにとって川嶋先生は“応援してくださった方々”であったのは間違いありません。それだけに結婚が公表された後、川嶋先生が緊急入院されたことは眞子さんにとって衝撃だったでしょう。『自分のために心労をかけてしまった』という気持ちもあって、毎日病院に通っていたのではないのでしょうか」川嶋さん逝去の翌日、11月5日朝9時半ごろ、眞子さんは赤坂御用地にある秋篠宮邸を訪れ、滞在は10時間にも及んだ。「11月2日にも秋篠宮邸を訪れており、“初めての里帰り”と報じられました。荷物の整理のためだったそうです。しかし5日は、ご家族で夕食もごいっしょしたそうです。おそらくお父さまを亡くし、ご傷心の紀子さまをお慰めするために秋篠宮邸を訪れたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)祖父との永訣が、眞子さんのかたくなだった心を少しずつ溶かすことになるのだろうか。
2021年11月09日11月4日、眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが亡くなった。眞子さんと小室圭さんの結婚からわずか9日後のことだった。川嶋さんは先月19日に緊急搬送され、亡くなる前日まで眞子さんは足繁くお見舞いに通った。結婚から3日後には、小室さんと揃って病院を訪れることもあった。「川嶋さんが亡くなったのは昼前でした。紀子さまは眞子さんや佳子さまとともに、病院に駆けつけられました。眞子さんが病院を後にしたのは、14時50分ごろ。タクシーの後部座席に1人座っていましたが、目を伏せることもあり沈痛な面持ちでした。眞子さんも体調が万全ではないなか、最愛の祖父を失った心痛は計り知れません」(皇室ジャーナリスト)川嶋さんが学習院大学で経済学部教授を務めていた’90年6月、長女の紀子さまは秋篠宮さまと結婚。当時、川嶋さん一家は大学構内にある教職員用の共同住宅に住んでいたことから、紀子さまは「3LDKのプリンセス」とも呼ばれた。「川嶋さんは控えめな性格で、どんな人にでも優しく接する温厚な方。紀子さまの婚約内定の際も、記者からの祝福に『あたたかいお気持ち、大変ありがたく存じます』と答えていました」(前出・皇室ジャーナリスト)秋篠宮ご夫妻が結婚された翌’91年10月には、お2人の間に第一子となる眞子さんが誕生。上皇ご夫妻と同じように、川嶋さんご夫妻にとっても初孫だった。「眞子さんが生まれた際、川嶋さんご夫妻も宮内庁病院を訪れました。川嶋さんは取材陣の問いかけに応じなかったものの、柔らかな笑顔を見せていたといいます。また幼い頃から本が好きだった眞子さんに、川嶋さんは絵本や児童書を贈っていたそうです」(宮内庁関係者)そんな慎ましやかな川嶋さんは、眞子さんの結婚問題も最後まで静かに見守り続けてきた。「これまで川嶋さんが報道陣の取材などに応じることは、ほとんどありませんでした。おそらく、“皇室には迷惑をかけまい”といった気遣いがあったのではないでしょうか。眞子さんの結婚には反対の声も少なくなく、心配していたことでしょう。それでも、川嶋さんが公に意見を述べるといったことはありませんでした。生前、一部週刊誌からの取材についてもユーモアを交えつつ、丁寧に断っていました。最後まで眞子さんの気持ちを尊重していたのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)眞子さんにとって“理解者”でもあった川嶋さん。天国でも暖かく見守ってくれることだろうーー。
2021年11月05日結婚会見から3日後の10月29日、東京都内の病院を訪れたのは小室圭さん(30)と眞子さん(30)夫妻だった。この病院には眞子さんの祖父・川嶋辰彦さん(81)が入院中。眞子さんは夫となった小室さんを祖父に紹介したのだろう。宮内庁関係者はこう語る。「小室夫妻が病院に到着したのは18時過ぎ、少し遅れて佳子さまもいらっしゃいました。3人で川嶋さんをお見舞いしたのでしょう。19時ごろに病院を出るときには、どこか心配そうな表情を浮かべた眞子さんを小室さんが励ましていたそうです」小室さんは鮮やかなブルーのシャツの裾をボトムスに入れないカジュアルなスタイル。会見のときは髪をきっちりとセットしていたが、この日は前髪をおろし、終始、顔に笑みを浮かべていた。おそらくこのときには、小室さんは自身の司法試験の結果を知っていたことだろう。しかし落ち込んだ様子は見せず、逆に眞子さんを力づけていたというのだ。日本中に衝撃が走ったのは、この3時間後だった。宮内庁関係者が続ける。「22時ごろ、ニューヨーク州司法委員会が公式ホームページで司法試験合格者のリストを発表したのですが、小室圭さんは不合格だったのです。実はもともと小室さんは、結婚会見翌日10月27日に再渡米する予定だったそうです。しかし眞子さんはパスポートなどの準備に1カ月ほどかかります。そこで眞子さんが小室さんに日本滞在期間を延ばしてもらうようお願いしたと聞いています。ただ振り返ってみると、小室さんは司法試験に手ごたえを得ることができず、合格発表前に日本を離れようとしたのではないかという、邪推までできてしまうのですが……」■仮住まいは「ホテルでいえばスイートルーム」現在、眞子さんと小室さんは渋谷区内にあるサービスアパートを仮住まいとして新婚生活を送っている。この地域の宿泊施設に詳しい旅行代理店関係者は次のように語る。「おしゃれなブティックやカフェが立ち並ぶ青山通りにほど近い、高級住宅です。中長期滞在者向けですが1泊から利用することもできます。小室夫妻が滞在しているのは、ある棟の最上階です。その位置から推測すると、おそらく2つのベッドルームに、リビングやダイニングもついているタイプの部屋です。一般のホテルでいうところのスイートルームをイメージしてください。バスタブも大きく、天井も高いので、閉塞感は覚えないと思います」このサービスアパートの家賃は小室夫妻が支払っているという。「外国人にも人気のアパートで、施設の利用法や電気器具の使用法についても英語で表記されていることが多いですね。オーブンや大型食洗器も組み込まれたシステムキッチンに、大型冷蔵庫や電子レンジ、トースター、コーヒーメーカーも備えられています」(前出・旅行代理店関係者)キッチンはかなり充実しているいっぽうで、レストランはなく自炊をする必要がある。皇室担当記者はこう言う。「買い物は、宮内庁職員が代行すると報じられています。おそらく正規の職員ではなく、秋篠宮家が私的に雇用した職員と思われます。黒田清子さんの新婚時代も、仮住まいのマンションに天皇家が私的に雇用した職員が通い、お買い物のサポートなどをしていましたからね。眞子さんは結婚で皇室とは縁を切ったつもりでいるのかもしれませんが、“援助”は続いているのです」■10人の警察官が3交代制で警護を甘い雰囲気が漂っているであろう小室夫妻の仮住まい生活だが、一歩外に出ると、ピリピリとした緊張感に満ちあふれている。サービスアパートの小室夫妻の部屋の周囲では、SPたちが24時間体制で警護を続けているのだ。「警護は、警視庁警備部が指揮を執っており、ほかにも所轄署から人員を派遣してもらっています。建物の外に5~6人、建物の中に4~5人。あわせて10人ほどが3交代制で詰めていますので、1日にのべ30人ほどが身辺警護のために稼働していることになりますね」(警察庁関係者)眞子さんの渡米は11月中旬以降になる予定だという。「この体制を1カ月続けるとすると、警護費用は1千800万円ほどになるでしょうか」(前出・警察庁関係者)眞子さんと小室さんが外出する際には、さらに多くの警察官が出動することになる。「10月28日に小室夫妻は、東京都内の運転免許試験場を訪れています。眞子さんの国際運転免許証の取得や、小室さんの運転免許の更新などの手続きのためと思われます。アパートからは黒塗りのワンボックスのハイヤーで移動しましたが、助手席には女性SPが同乗していました。またその後ろには、セダンタイプの警察車両が続き、4人のSPが乗っていたのです。さらに運転免許試験場には5~6人の警察官が配置されていました」(前出・皇室担当記者)■司法試験不合格で今後さらなる援助が冒頭の病院のお見舞いも、ほぼ同じ警護レベルだった。外出時の増員を含めると、警護費用は2千万円にもなるだろう。民間人になったのだから、税金で警護をするのはおかしいのでは……。そんな批判の声もある。だが10月26日付の毎日新聞の報道によれば、眞子さんの警護について、ある警察幹部はこう語ったという。《皇籍を離脱されても、国内にいる限り、お守りするのが我々の仕事だ》眞子さんが望むと望まざるとにかかわらず、警察は小室夫妻を守り続けるのだ。実は、元皇族という立場である限り行われる“援助”は、日本での宮内庁職員による買い物代行や警護ばかりではないという。ニューヨーク在住の日本人ジャーナリストはこう語る。「眞子さんの渡米を前に、すでに何カ月も前から在ニューヨーク日本国総領事館のスタッフが動きだしています。警護体制から買い物をどこですべきかまで、綿密なリサーチを進めてきたのです」総領事館の動きについて、前出の宮内庁関係者はこう解説する。「外務省の指示があったということで、おそらく宮内庁から協力要請があったのだと思われます。宮内庁にも“元皇族のお世話”も仕事の一環という認識があるのです。通常では外務省への依頼は宮内庁の式部職が窓口になっています」本誌の取材によれば、小室夫妻の新居はマンハッタン島のアッパーウエストサイドにある高級アパートメントの予定だという。日本でいうところの2LDKで、家賃は約80万円。「小室さんが弁護士になれば年収2千万円ほど。眞子さんと共働きであれば、年間1千万円近くの家賃も支払いは可能でしょう。小室さんは司法試験に再挑戦するそうです。しかし、ずっと合格できずに法務助手の立場のままであれば、生活設計の見直しも必要となるでしょう」(前出・皇室担当記者)
2021年11月02日10月26日に結婚した小室眞子さん(30)と圭さん(30)。29日夕方に訪れたのは、祖父・川嶋辰彦さん(81)が入院している都内の病院だった。小室さんが川嶋さんのお見舞いに訪れたのは初めてのこと。今月19日に緊急入院した川嶋さんだったが、体調は回復してきているのか、小室さんと眞子さんはリラックスした表情だった。眞子さんはニットにスカート、小室さんは鮮やかなブルーのシャツに黒のジャケットというカジュアルな装い。実は病院には2人から少し遅れて佳子さまも到着していた。眞子さんと佳子さまといえば、結婚当日の秋篠宮邸の前での抱擁が話題になったが、3日ぶりの再会となった。「結婚会見のホテルにも佳子さまはいらっしゃいました。今後も佳子さまは、小室夫妻のサポートを続けていかれるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
2021年10月30日紀子さまの父で、学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(81)が、10月19日に都内の病院に緊急入院したことがわかった。報道によると、紀子さまは眞子さま、佳子さまとご一緒に、同日午後2時半ごろに病院へ駆けつけられた。川嶋さんの詳しい容体については、わかっていないという。眞子さまの結婚1週間前にして、秋篠宮家に走った大激震――。奇しくも同日は、眞子さまが午前中に皇居・宮中三殿を私的に参拝し、小室圭さんとの結婚を報告された日だ。眞子さまにとって、川嶋さんは祖父にあたり、上皇ご夫妻と同じ孫を持つ身だ。上皇ご夫妻は、「複雑性PTSD」と診断された眞子さまを心配されており、上皇ご夫妻の側近である上皇侍従次長は、8日の定例の記者対応で「上皇ご夫妻、とくに上皇后さまが、眞子さまの健康を案じたいへん心配されている」と明かしていた。川嶋さんも、上皇ご夫妻と同じように眞子さまを心配されていたのではないだろうか。「紀子さまが秋篠宮さまと結婚されてから、川嶋さんはその暮らしを静かに見守ってきました。ですが最近では、紀子さまと眞子さまの対立が報じられたり、お子さまたちの教育方針に疑問の声が上がることもありました。さらにそれだけではなく、川嶋さんご家族の交友関係にまで批判が及んだこともありました。眞子さまの結婚をめぐっては、いまだに批判する国民も少なくなく、決して祝福できる状況にはありません。美智子さまでさえ沈黙を貫かれているなか、川嶋さんが意見を口にすることはありませんでした。実際、川嶋さんは今年8月に一部週刊誌からの取材も丁重に断っています。娘や孫たちを遠くで見守るしかできないだけに、目には見えない心労を抱えていたのではないでしょうか……」(皇室担当記者)思いもよらぬ川嶋さんの入院に、ネット上では川嶋さんの体調を慮る声が広がっている。《心配ですね。快方に向かいますように》《どうぞご容態が安定されるといいですね。ご回復が早ければいいですね》《紀子様のお父様心配ですねご回復御祈り致します》
2021年10月21日愛子さまは12月1日、満19歳のお誕生日をお迎えに。しかし、コロナ禍のため、お祝いもご家族だけのささやかなものに……。この春、学習院大学に入学された愛子さまだが、コロナ禍が続き日本中の多くの大学生と同様に授業をオンラインで受けられている。愛子さまが進学された学習院大学文学部は天皇陛下、紀子さま、黒田清子さんが学ばれた天皇家にはゆかり深い学部。特に清子さんは文学部国文学科のご卒業。現在の日本語日本文学科にあたり学科でも愛子さまの先輩になる。愛子さまは英語がお得意との印象だが、皇室に生まれた内親王さまらしく日本文学部を専攻された。文学好きの美智子さまともお話が合いそうだ。ほかの女性皇族は、かつてどのようなキャンパスライフを送られていたのか。ここからは雅子さまはじめ、紀子さま、眞子さま、佳子さまの大学時代にも触れてみたい。雅子さまは、81年にハーバード大学経済学部へご入学。ハーバード大学では、大変な勉強家としても知られ図書館で机に向かわれる日々だったという。学生時代に愛用されていた英英辞典、類語辞典を宮内庁が公開したが、その辞書は使い込まれていて「辞書が恋人」と友人から言われていた勤勉ぶりがうかがえる。また、外交官の家に育っただけに日本の紹介にも熱心に取り組まれていた。大学では日本映画の上映や、折り紙などを実践し喜ばれたという。さらに、卒業論文「輸入価格ショックへの対外調整:日本の貿易における石油」は、高い評価を受け優秀な学生に贈られる賞も受賞されている。大学ご卒業後、日本に帰国。東京大学法学部に学士として入学された。東京大学は中退されているが、それは在学中に外交官試験に合格したからで、こうした中退者は東大生からは優秀な人と見なされるそうだ。紀子さまは、85年に学習院大学文学部心理学科へご入学。大学内の書店で、1学年先輩である秋篠宮さまと出会われ、当時秋篠宮さまが主催されていた自然文化研究会に参加。交際が始まった。父の川嶋辰彦さんが当時学習院大学経済学部教授だったこともあり、大学敷地内の3LDKの職員宿舎から学習院に通われていた紀子さま。このことからご結婚当初は「3LDKのプリンセス」と親しまれた。また、大学では手話サークルにも所属され、ボランティア活動にも参加。学生時代に身につけられた手話は今もご公務の際に生かされている。大学をご卒業後は、学習院の大学院に進学されたが秋篠宮殿下とのご結婚で研究を中断された。しかし、子育てが一段落されたのちにお茶の水女子大学で健康心理学の研究を続け、13年には博士の学位を取られている。眞子さまは、10年に国際基督教大学(ICU)教養学部アーツ・サイエンス学科にご入学。学習院女子高等科3年生のときに、国際的な環境のある大学を望みAO入試をお受けになった。当時、内親王である眞子さまは学習院大学へ進学されるものと考えられていたため、大きな話題となった。学生時代には小学生時代から興味を持たれていた美術・文化財研究について学び、学芸員の資格を取得されている。雪上滑走競技部(スキー部)では合宿にも参加、宿の部屋で、普通の学生のように友人たちと楽しそうに飲食されている写真が流出し注目された。また、学園祭では屋台でご友人たちと焼き鳥を販売されるなどの微笑ましいお姿も見られた。在学中は、アイルランドへの短期留学、エディンバラ大学への留学をされている。エディンバラ大学では「生まれて初めて単位を落とすという体験」をされたそう。また、この海外留学の説明会でアメリカに留学する小室圭さんと出会われて、交際が始まった。ご卒業後は、英国のレスター大学大学院博物館学研究科大学院で学ばれた。佳子さまは、13年に学習院女子高等科をご卒業後、一度、学習院大学文学部の新しく創設された教育学科に進まれた。ご入学直後にチアリーダー部の新宿でのコンパに参加された姿が報じられ話題になったが、その部には所属されなかった。そして1年半後に学習院大学をご退学。お姉さまの眞子さまと同じように国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科をAO受験し、翌年入学された。ご入学当時、成年皇族となられたばかりの佳子さまは、そのかわいらしさと親しみやすいお人柄でアイドル並みの人気に。タンクトップや短いスカートなど学生らしいファッションスタイルや、恋人の存在が注目された。また大学時代にも高校時代からお好きだったダンスをお続けになっており、ダンス教室の発表会で素晴らしい踊りを披露されている。在学中にはアメリカでホームステイをされたほか、英国のリーズ大学に留学し舞台芸術を学ばれた。学習院大学1年生の愛子さまはキャンパスでお友達と会うこともできずオンラインによる授業だが、文学部国文学科の授業も課題やレポートの提出への作業、予習・復習などで思いのほか大変とのこと。外出はほとんどなさらず、しっかりと勉強されているという。コロナ禍が落ち着いてから本格化するであろう学生生活。どんな出会いや体験をされるのか、愛子さまのこれからが楽しみだ。
2020年12月01日皇位継承を祝した琉球舞踊が、『歌声の響』に乗せて披露された。上皇さまが作詞、美智子さまが作曲された琉歌だ。客席に並んで座られた紀子さまと眞子さまは、その踊りにじっと視線を注がれていた――。6月2日、横浜能楽堂で開催された特別企画公演「大典奉祝の芸能」に、紀子さまと眞子さまがおそろいでお出ましになった。お二人だけでカメラの前に姿を現されたのは、’18年4月に絵本の展示会をご覧になって以来だった。5月下旬、トランプ米大統領夫妻が国賓として来日し、日本の皇室は世界中から注目を浴びることになった。「雅子さまは通訳に一切頼らずに英語で大統領夫妻と会話され、天皇陛下とともに存在感を発揮されました。その堂々たるお振舞いに、美智子さまの優雅さとはまた違った魅力を感じた国民も多かったでしょう。海外メディアからも絶賛の声が相次いでいます。皇后・雅子さまが“新時代の皇室”を世界に知らしめたといえます」(政治部記者)その一方で、皇嗣家となった秋篠宮家への風当たりが強くなっていると話すのは皇室担当記者。「歓迎式典の際には、雅子さまが紀子さまにアイコンタクトをとり、自然な形で大統領夫妻に紹介される場面もありました。お二人の関係の良好ぶりがうかがえます。しかし、紀子さまへのバッシングは日に日に厳しさを増すばかりです。眞子さまとの対立が報じられたり、お子さまたちの教育方針が疑問視されたりするだけではなく、紀子さまの父・川嶋辰彦さんや弟の川嶋舟さんの交友関係まで批判の対象になっています」令和に入ってからの秋篠宮ご夫妻はご公務にフル回転されている。宮中晩餐会の翌日も秋篠宮さまはお一人で愛知県に向かわれ、紀子さまは結核予防会の式典にご臨席されるなど、かなりの過密日程だ。6月下旬から10日間、ポーランドとフィンランドを訪問されることも決まっている。「ただ、天皇皇后両陛下に比べると秋篠宮家のご活動は報道されることも少なく、あまり注目が集まっていない状態です。ほんの数年前までは、適応障害でご公務を休みがちだった雅子さまに心ないバッシングが集中しており、精力的に活動を続ける秋篠宮家はむしろ皇室の模範と見られていたほどでした。一転して秋篠宮家への支持が“暴落”している原因は、一向に解決の糸口すら見えてこない“小室さん問題”にあるとみて間違いないでしょう」(前出・皇室担当記者)
2019年06月05日「船の舵をいきなり90度、切りかえられるものではありません」「でも、どんな小さな船でも自分で進んでいく力を持っていることを信じています」12月3日発売の『AERA』に「眞子さまが『いとおしい』」と題された記事が掲載された。これは“親しい友人”が紀子さまから聞いた言葉だという。「『朝日新聞』のS記者による署名原稿ですが、彼女は秋篠宮さまとのご婚約前から紀子さまの番記者だったのです。皇室担当を離れても、秋篠宮ご夫妻の海外旅行に同行したり、紀子さまの父・川嶋辰彦氏のボランティア活動をタイまで取材しに行ったりするなど、秋篠宮ご夫妻の信頼を勝ち得ています。紀子さまは、親しい記者を通じてお考えを表明し、世論をも巻き込もうという厳しい姿勢を見せられたのです。紀子さまからの“破談勧告”といっても過言ではありません」(皇室担当記者)秋篠宮ご夫妻がタイに旅立つ前日の12月11日、眞子さまは勤務先の博物館・インターメディアテクへ出勤された。博物館は東京駅の目の前に建つJPタワー内にある。人通りも多いなか、大きなマスクにメガネ姿の眞子さまは車から出てビルに入っていかれた。そして夕方遅く退勤し、ビルからお出ましになった眞子さま。ビル内のコンビニで夕食を買われたのか、左手にビニール袋をぶら下げ、右手にはカバン。小雨そぼ降るなか傘もささず、力のない足取りで車へと向かわれた。2カ月ほど前、やはりコンビニで買い物をされる佳子さまを本誌は目撃している。革ジャケットにヒョウ柄のパンプスという“肉食系”ファッションだった。はつらつとされていた佳子さまに対し、この日の眞子さまはボーダーのニットに茶色のコートという地味な服装。マスクから垣間見えるご表情にも憔悴の影があった。「ご両親が海外へ出発される前夜ですから、本来ならご家族おそろいで食事を召し上がるはずです。しかしご両親の勧告を断固拒否されている眞子さまはご自分の部屋で、コンビニで買われたご夕食を召し上がったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)秋篠宮さまは’19年5月、皇太子さまの即位に伴い皇嗣となられる。さらには眞子さまにとっても、来年は大きな転機になるはずだと語るのは宮内庁関係者。「眞子さまは’16年9月に国際基督教大学(ICU)の博士後期課程に入学されました。修了されるのは’19年8月の見込みです。博士号を取得されれば、研究者としてさらなるステップアップを目指されるでしょう。当然、海外の大学や研究機関も視野に入ってきます。現在の勤務先も眞子さまご自身が公募のポストに応募し、採用されたものです。日本では孤立無援となった眞子さまは、秋篠宮ご夫妻には相談せずに海外行きを模索されている可能性もあります」小室さんは、イギリス留学中の眞子さまに会いに行ったこともあったという。「今度は眞子さまが、小室さんのいるアメリカへ――。LINEでメッセージやテレビ電話のやり取りを続けるおふたりは、そんなことも相談しているのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)お代替わりとなる’19年は、波乱の予感に満ちている――。
2018年12月21日シンガーソングライターの川嶋あいが、デビュー15周年を記念してリリースしたベストアルバム『川嶋あい 15th Anniversary BEST』の発売イベントをラゾーナ川崎プラザで開催。「15年の中で生み出してきた楽曲たちを、感謝の気持ちを込めて演奏していきたいと思います」と語り、ピアノの弾き語りで4曲を披露。会場は感動に包まれた。【チケット情報はコチラ】野外には打ってつけの晴天に恵まれ、会場には同世代の男女や親子連れなど幅広い世代の観客が集まった。観客の大きな声援を受けながらステージに登場した川嶋あいは、2003年に発表したバラードナンバー「時雨」からライブをスタート。情感たっぷりに歌い上げ、大きな拍手があがった。続いて「15年前の原点の気持ちに返りながら演奏してみたいと思います」と披露したのは、デビューシングル『天使たちのメロディー』。2002年から路上ライブ1000回を目標に音楽活動に取り組んでいた川嶋あいにとっては、「ストリートライブで1番多く歌った」という大事な1曲。観客たちは見守るように彼女の歌に耳を傾けた。そして、そのままの流れで、卒業ソングの定番となったナンバー『旅立ちの日に・・・』へ。イントロが流れると会場は沸き立ち、笑顔が溢れた。「旅立ちの曲はいろいろ書いていて、これは高校生の頃に書いた卒業の曲。みなさんも卒業の頃を思い出しながら聴いてください」と語り最後に披露したのは、『12個の季節~4度目の春~』。空が赤く染まっていくなか、心のこもった歌声に感動が広がった。ベストアルバム『川嶋あい 15th Anniversary BEST』の通常盤には、この日披露した『旅立ちの日に・・・』や、映画『ONE PIECE エピソードオブアラバスタ 砂漠の王女と海賊たち』主題歌の『compass』などをリアレンジした“15周年バージョン”も収録。これまでとは違う味わいで楽しむことができる。「15年間いろんなことありましたけど、唯一ずっとやり続けていること」というのが、2003年から毎年8月20日に開催しているワンマンライブ。16回目となる今年は、昭和女子大学 人見記念講堂にて行う。「“BIRTH”というタイトルでお届けします。15周年ですけど、新たに誕生するような気持ちでステージを作っていけたらと思います」と意気込みを語った。チケット発売中。取材・文:門 宏
2018年07月06日グラビアアイドルの川嶋麗惟がこのほど、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD『好きの瞬間』(発売中 4,104円税込 発売元:ギルド)の発売記念イベントを行った。DVD『好きの瞬間』の発売記念イベントを行った川嶋麗惟子役からキャリアをスタートさせ、2010年には講談社主催の「ミスマガジン2010」に新川優愛(グランプリ)や清水富美加(ミス少年マガジンなど)らと参戦してミスヤングマガジンに輝くなど、グラビアでは輝かしい実績を残している川嶋麗惟。そんな彼女が初めて訪れたというバリ島でロケを行った通算3枚目となる同DVDは、同級生に淡い恋心を抱いた女子高生役を熱演している。「ミスマガジン2010」で着用したという水着を8年bぶりに着て登場した川嶋は「今回は年甲斐もなく制服を着ましたが、同級生の男の子に恋する感じで、タイトルのように『好きの瞬間』が詰まっています。最初から最後まで楽しめると思いますよ」と最新作をアピール。具体的なシーンとして「制服のシーンはもちろんですが、お風呂だったり朝起こしてあげたりするシーンもあります。それと今回は競泳水着を着ました。一緒にプールに入っている感じを味わってもらえると思います」とあげて、「私服を着たシーンがあるんですけど、私服を脱いだらランジェリー風水着へと展開していくんですが、エロくてオススメです。そのシーンは一緒にお部屋にいるシーンで、私から誘惑しました(笑)」と照れ笑いを浮かべた。現在は大学生の川嶋だが、休学して2年目を迎えるという。その理由を「大学2年の時に学業と芸能を一緒に並行してやっていましたが、それが結構大変だったので芸能に力を入れたいと思い、休学という形になりました。将来は分かりませんが、今は芸能一本でやりたいと思っています」と説明。今後の目標を「去年は舞台を2本やらせてもらいました。お芝居がやりたいと思うようになったので、舞台やドラマ、映画などに出演したいと思っています」と意欲を見せて、「憧れは宮崎あおいさん。ご結婚されましたが、私も宮崎さんのような女優さんになりたいし、幸せも掴みたいです!」と目を輝かせていた。
2018年04月28日「携帯のアプリを見れば、その人のことが分かる」なんて言われるくらい、携帯の中身は持ち主のひととなりを表現するもの。今回は、透明感のある歌声で多くの人を魅了しているシンガーソングライターの川嶋あいさんに、スマートフォンアプリをキーワードに曲づくりや、プライベートについてお話を伺いました! ―――今日はよろしくお願いいたします! 6月25日に7枚目のアルバム「Shutter」を発売なさる川嶋さんですが、いつも曲づくりはどんな風にされているんですか?川嶋:曲づくりをするのは、自宅のキーボードの前ですね。「作ろう!」と思って作りきります。私の場合は、メロディを先に作って、そこからストーリーを膨らませて歌詞をのせていきます。メロディと歌詞との一体感や、響きを大切にしているので、何度も何度も歌いながら、語尾の母音にもこだわって作っていきます。歌詞作りは、中学生の頃から詞を書く時に愛用している辞書をア行からめくっていく中で見つけた新しい言葉を歌詞に取り入れたり、旅先や自然の中で受けたインスピレーションからフレーズが思い浮かぶこともあります。日々の生活の中で感じるドキドキ、ワクワクだったり、「もっとこうだったらいいな」という妄想(笑)や、熱い塊のような想いが、私のものづくりの原動力になっています。―――全国ツアーなど、仕事で国内のいろいろな場所や海外に行かれる機会もたくさんありますよね。今回エキサイトでは、定額でコンテンツが使い放題になる ドコモの「スゴ得」 をご紹介しています。旅の多い川嶋さんには、『地球の歩き方』などの旅系サイトがぴったりかもしれません。川嶋:わ~、こんなアプリがあったんだ! 実は海外へ行くときはいつも、書籍版の「地球の歩き方」を持って行っていたんです!―――そうなんですね! 書籍版ではエリアや国ごとに分けられているので、新しい場所に行くたびに買い足さなければなりませんが、このアプリには様々な場所の情報が網羅されているんですよ。川嶋:ページをめくるのも大好きなんですが、書籍だと旅先で持ち歩くにはちょっとかさばってしまうんですよね。家で保管しておくにも場所を取ってしまうし…。スマホ一つで色々な情報が見られるなら、本当に便利ですね! これはぜひ使いこなしたいです。 ―――最近、行って良かった国や、これから行ってみたい場所はありますか?川嶋:行ってみて良かったのは、今年行ったラオスです。数年前から携わっている、学校建設事業の視察で行ったのですが、人が穏やかで温かくて…。ごはんも美味しいんですよ。主食がもち米で、魚介類を使った料理が多いので、日本人の舌にも合うと思います。それから、オーストラリアのケアンズ。グレートバリアリーフが本当に美しくて、「この世にこんなにきれいな場所があったんだ…」と感動しました。いつか行ってみたいのは、スイスです。私、子どもの頃から“ハイジ”が大好きなんです。ハイジになりたいと思ってます(笑)アニメに出てくるあのチーズも食べてみたいですね。―――これまでに色々な国に行かれているんですね! 川嶋さんにとって、旅行の楽しみとはなんですか?川嶋:自然の中を歩いたり、国内だったら温泉もいいですね。そういえば、ラオスもスイスも、たくさんの自然に恵まれているという共通点があります。冒険することだったり、“秘境”、“大魔境”と呼ばれるような場所が大好きなんですよ(笑)。食事も旅の楽しみの一つですが、現地の人が行くようなお店を狙って食べに行くようにしています。仕事で行くときは、いつも一緒に行くスタッフと「ここ、美味しそうだね」とカンを働かせて入るんですが、意外とハズレがないんですよ。―――すごい! 鼻が利くんですね。そんな風に出かける先々で美味しいものに出合えたら幸せですよね! 『地球の歩き方」なら治安の悪いエリア情報や、その国の文化も書いてあるのでますますオススメです。ちなみに、日ごろ、ご自宅でも料理はされていますか?川嶋:作りますよ~。以前ランニングにハマりすぎて倒れてしまったことがあって、それ以来、栄養のバランスにはかなり気を遣うようになりました。仕事で出かけるときにはお弁当を作って持って行ったりも。実は私、健康オタクなんです(笑) ―――そうだったんですね。そんな川嶋さんには、『タニタの社員食堂』サイトもぜひおすすめしたいです! 野菜はもちろん、肉や魚もしっかり食べても、一食分で約500ckalという、ヘルシーなレシピが満載のサイトです。川嶋:このサイト、気になっていました! 主菜、副菜、汁物と“定食スタイル”で紹介されているところがいいですね。自炊だとつい、主菜と主食だけで済ませてしまいがちで…。―――食材別に検索ができたり、カロリーや塩分順でメニューを並び替えることもできるんですよ。掲載されているレシピを組み合わせて、オリジナル定食も作れちゃいます。川嶋:残った食材で検索することもできるんですね。レパートリーが一気に増えそう。タニタ食堂のレシピは、塩分や油は控えめなのに、しっかりおいしいって評判ですよね。作り方も、どれもそこまで難しそうなものはあんまりないし、参考にしてみたいです。―――レシピ本も大ベストセラーですが、このサイトには、本には載っていないレシピも掲載されているんですよ。ちなみに、川嶋さんの得意料理は?川嶋:カレイの煮付けとか。和食を作ることが多いですね。―――渋いですね(笑)。川嶋さんには家庭的な一面もあったんですね。ちなみに家計簿付けていたりは…?川嶋:それが、一度も付けたことがなくて。堅実に生活しなきゃ…と思う一方で、ついつい遣いすぎてしまったり…。財布の中に入っている分を遣いきってしまうクセがあります。―――わかります、やってしまいがちですよね…。お金の遣いすぎを防ぐなら、『家計簿』アプリもありますよ! あらかじめ収入や家賃、目標貯蓄額などを設定すると、生活費の予算を自動的に計算してくれます。川嶋:光熱費とか食費とか、何にいくら遣ったかがグラフ化されて、わかりやすいですね! 手書きで家計簿を付けるとなるとやっぱり面倒だし、忘れてしまいそうで。これならいちいち電卓で計算しなくてもいいんですね。しかもデザインがかわいい。これはハマりそうです! ―――気に入っていただけて嬉しいです(笑)。レシピと家計簿のアプリを使いこなしたら、曲づくりにも変化があるかもしれませんね。川嶋:堅実な女性らしい歌が生まれるかも…。プライベートでも、家庭的な女性に一歩近づけたらいいな(笑)スマートフォンに替えてから、いまいち使いこなせていなくて、地図アプリくらいしか入れていなかったんです。でも、こんなに便利で楽しいアプリがたくさんあるなら、生活の一部になりそう!―――アプリを活用することで川嶋さんの曲作りはもちろん、プライベートにもいい影響がありそうですか?川嶋:そうですね。私、一度ハマると止まらないタイプなんです(笑)これからはアプリを通じて、さらにドキドキ、ワクワクできることを探していきたいです。例えば、旅行系のアプリで気になる場所を見つけたら自分の足で実際に訪れてみて…と、世界を広げていけたら、人生もすごく豊かになりますよね。秘境アプリや冒険アプリもあったらいいな(笑)きれいな声とあたたかみのある曲とはウラハラ? に、ワクワクドキドキを大切にされている様子がとても伝わってきました! 川嶋さん、ありがとうございました! 「スゴ得コンテンツ」 は、ドコモスマートフォンで毎月380円(税抜)を支払うと、ニュースも、乗換も、レシピも、約120種類という豊富なコンテンツが好きなだけ利用できるサービスです。更に初回お申し込みから月額使用料が31日間無料! 今回、ご紹介したコンテンツも、すべて利用できちゃいます! 是非チェックしてみてくださいね。エキサイトでは「著名人にインタビューしました」というお題で特別シリーズを展開しています。他にも話題の著名人のとっておき情報を公開中! 特集「あの著名人はどんなアプリを使ってるの?」(スマホ用サイト) ■川嶋あいプロフィール2003年、I WiSHのaiとしてメジャーデビュー。デビュー作「明日への扉」はフジテレビ系恋愛バラエティ番組「あいのり」の主題歌として一大ブームを巻き起こし、90万枚のセールスを記録。その後ソロ活動を開始し、映画「ワンピース」の主題歌となった「compass」や毎年卒業ソングランキング上位にランクインされる今や卒業ソングの定番となった「旅立ちの日に…」など、川嶋あいとしても数々のヒットを出している。去年デビュー10周年を迎え、原点回帰をテーマに積極的なライブ活動やリリースを行っている。自身7枚目となるオリジナルアルバム「Shutter」は6月25日発売予定。
2014年05月20日