「本当に忙しかった。いつも新宿の劇場へ通う電車の中で台本を覚えて。舞台が終わると、雑誌や広告の撮影があって何本か映画にも出たわね。その合間に、母が私の手を引いて踊りや三味線のお稽古に連れていってくれました。若かったし、何より舞台が好きだったから、まるで苦にならなかったの」 こう語るのは明日待子さん(98)。日本の家庭にテレビがなかった時代に、レビューや軽演劇を上演していた「ムーラン・ルージュ新宿座」は若者たちの憧れの象徴だった。「インテリと言うならムーランを知らないと」といったハイソな雰囲気も。その場所で、現代のAKB48のごとく絶大な人気を誇った“ライブアイドル”が、明日待子さんだ。 昨年暮れにテレビ番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)に出演。「元祖会いに行けるアイドル」として紹介されるや、その驚異の“アラ100美”に注目が集まり、ネット上でも続々と「かわいすぎる!」「お肌がとってもキレイ」といった称賛の声が寄せられた。 現在、北海道札幌市在住の待子さんは、日本舞踊の正派五條流宗家・五條珠淑さんとして舞も披露する現役の日本舞踊家だ。 待子さんは、大正9年、岩手県釜石市に9人きょうだいの末っ子として生まれた。幼いころからその才能を発揮し、小学校の学芸会で義太夫をうたえば「天才だ!」と騒がれた。さらに、可憐な容姿も評判を呼び、13歳で女優を目指して上京する。そんな彼女を一目見てほれ込んだのが「ムーラン・ルージュ新宿座」の創設者・佐々木千里夫妻。「まぁ、なんてかわいい!」とすぐさま養子縁組届を出してしまったという。 菊池寛、志賀直哉、吉屋信子、横光利一らの文豪をはじめ、早稲田大学や慶應の大学生たちも彼女見たさに劇場へと通い詰めた。 しかし、人々が近代化を楽しんだ時代はそう長くは続かなかった。日本が激しい戦争に突入すると、待子さんの華やかな舞台は兵士たちの心のよりどころになっていく。 最後に踊り子が総出演するレビューでは、小柄で可憐なアイドルが登場したとたん、軍服に身を包んだ兵士たちが、声をそろえて「明日待子、バンザイ!」と叫んだ。待子さんは声援に応えて、「ご武運、ご長久をお祈りいたします」とお辞儀をする。二・二六事件が起きた年には客席で“バンザイ”を叫んだ兵士が憲兵に取り押さえられて、戦地へ送られるといった悲劇も……。 「空襲で電車が止まっても、『戦地へ赴く兵隊さんのため、明日、私は死んでもいいから舞台に立ちたい』という思いで劇場に通っていました。けれど結局、劇場は焼け落ちて……。何より残念だったのは、台本がすべて焼失してしまったこと」(待子さん) 待子さんは戦後も地方巡業で舞台に立ったが昭和24年に29歳で結婚する。お相手の須貝富安氏は2歳年下、かつてのファンの一人。当時は早稲田大学の学生で、学徒出陣の直前まで劇場に通い、客席から熱視線を送っていたという。彼は卒業後に、札幌市内で劇場を経営していた父親の跡を継いだが、思いを募らせ、縁をたぐり寄せ、待子さんに求婚した。 待子さんは「『明日待子』は東京に置いていきます!」と決意して北海道に嫁いだ。当然のごとく日々の生活は一変する。 「それまでお世話をされてチヤホヤされて、もてなされる側だったのが、結婚を機にもてなす側に180度転換です。私は、劇場主の女房となり二条市場へ買い出しに行き、巡業団の何十人分の食事を作る毎日が始まりました。朝の3時からおにぎりを握ります。炊き立ては手のひらが熱くってね。お姑様にも13年仕えましたよ……」(待子さん) 裏方の日々が数年続いたが、あるとき、かつての日本舞踊の師から「五條流を北海道にも広めてほしい」と託された。夫の勧めもあり、2人の娘を育てながら、正派五條流「五條珠淑」として、また表舞台に立つようになった。 後継者である、家元・五條淑妃(次女・ミカさん)が話す。 「父はとても優しい人で、忙しい母のことをいつも陰で支えてくれていました。母が公演などで帰りが遅くなったときは、さりげなく、おかゆを用意していたりして。『ムーラン・ルージュの明日待子は東京に置いてきた』と母は言いますが、その舞踊は古典というより、創作を好むスタイルでした。やはり“女優・明日待子”は母の中でずっと生き続けていたのだと思います」(ミカさん) この3月1日に98歳になった明日待子さん。いまだ現役アイドル顔負けのキュートな笑顔で、出会った人すべての心を癒してくれる。
2018年03月11日「『ムーラン・ルージュ』で初舞台を踏んだのは13歳のとき。この芸名は養父で主宰者の佐々木千里が、まだ子どもだった私に、2~3年したら大物になるだろうと願いを込めて『明日を待とう』と命名してくださったの」 そう言って、おっとりとほほ笑むのは明日待子さん(98)。日本の家庭にテレビがなかった時代に、レビューや軽演劇を上演していた「ムーラン・ルージュ新宿座」は若者たちの憧れの象徴だった。「インテリと言うならムーランを知らないと」といったハイソな雰囲気も。その場所で、現代のAKB48のごとく絶大な人気を誇った“ライブアイドル”が、明日待子さんだ。 昨年暮れにテレビ番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)に出演。「元祖会いに行けるアイドル」として紹介されるや、その驚異の“アラ100美”に注目が集まり、ネット上でも続々と「かわいすぎる!」「お肌がとってもキレイ」といった称賛の声が寄せられた。 その笑顔に感動した本誌記者もすぐさま連絡を取ると、「2月末に舞を披露するのでいらしてください」とお招きをいただいた。向かったのは北海道札幌市、そこは一面の雪景色--。 「まぁまぁ、遠いところをようこそ!」 艶やかな藤色の和服姿で出迎えてくれたのが、日本舞踊の正派五條流宗家・五條珠淑さん。明日待子さんの“現在の芸名”である。この日は正派五條流の舞初め式。最初に、待子さんが神棚に向かって手をあわせて、柏手を打ってから力強い声でこう宣誓した。 「お守りください。みなさんが一層上達しますように!」 後継者である、家元・五條淑妃(次女・ミカさん)との母娘の舞も披露された。その凜として美しい所作に圧倒されながら、伝統の「日本初のアイドル」が目の前で繰り広げる“ステージ”に感激が押し寄せてくる。 そして、休憩時間になってから、待子さんに時間をいただき、デビュー当時のことを振り返ってもらった。 「本当に忙しかった。いつも新宿の劇場へ通う電車の中で台本を覚えて。舞台が終わると、雑誌や広告の撮影があって何本か映画にも出たわね。その合間に、母が私の手を引いて踊りや三味線のお稽古に連れていってくれました。若かったし、何より舞台が好きだったから、まるで苦にならなかったの」(待子さん) 待子さんは、大正9年、岩手県釜石市に9人きょうだいの末っ子として生まれた。幼いころからその才能を発揮し、小学校の学芸会で義太夫をうたえば「天才だ!」と騒がれた。さらに、可憐な容姿も評判を呼び、13歳で女優を目指して上京する。そんな彼女を一目見てほれ込んだのが「ムーラン・ルージュ新宿座」の創設者・佐々木千里夫妻。「まぁ、なんてかわいい!」とすぐさま養子縁組届を出してしまったという。 菊池寛、志賀直哉、吉屋信子、横光利一らの文豪をはじめ、早稲田大学や慶應の大学生たちも彼女見たさに劇場へと通い詰めた。だが直接言葉を交わす機会など皆無。ファンレターやプレゼントの類いが彼女のもとに渡ることはなかった。 「送られてくるお手紙は『キレイです』『お茶をのみましょう』といった内容が多く、本人がうぬぼれてしまうような褒め言葉は、芸の道の妨げになるからと、見せてもらえなかったのよね」(待子さん) 劇場「ムーラン・ルージュ新宿座」の歴史を振り返るドキュメンタリー映画『ムーランルージュの青春』(’11年公開)を撮った田中じゅうこう監督が、明日待子さんをこう評す。 「今の方はご存じないと思いますが、明日待子さんといえば、俳優・森繁久彌さんほか、かつての名優たちがひれ伏すようにあがめた、本当に当時のトップアイドルでした。彼女の笑顔が今も“美しいまま”ご健在なのは、とても素晴らしいことですね」(田中監督)
2018年03月11日人気作家・有川浩の小説を原作に、北大路欣也、泉谷しげる、志賀廣太郎出演でテレビ東京にて3シリーズにわたって放送されたドラマ「三匹のおっさん」が、2018年1月2日(火)、新春ドラマ特別企画「三匹のおっさんスペシャル」として放送されることが決定。今回三匹のおっさんが立ち向かうのは、史上“最凶”の敵!シリーズ初の地方ロケ・日光の観光名所で“三匹”が大活躍、華麗なアクションも披露されるという。■あらすじ重雄(泉谷しげる)は、商店街の福引で「日光の旅」を当て、清一(北大路欣也)と則夫(志賀廣太郎)も家族を伴って同行する。日光江戸村を訪れた3人は、スター女優の花沢ゆかりが出演する映画ロケを見学中、ゆかりのバッグを盗もうとする男を発見。犯人を追いつめて、警備員に知らせる。お手柄の3人はゆかりに感謝され、旅館で酒肴の接待を受ける。何でもバッグの中には思い出の品が入っていたという。地元に帰った3人は、少年時代に通った町はずれの映画館を訪れる。そこに何とゆかりが現れて…。映画館の存続を巡る騒動に巻き込まれた「三匹のおっさん」が思い出の映画館を悪の手から守る――!「図書館戦争」「空飛ぶ広報室」などがドラマ化・映画化された有川氏の小説を原作に描く本シリーズ。タイトル通り、主人公はおっさん3人。定年退職後、近所のゲームセンターに再就職した腕に覚えありの剣道の達人“キヨ”こと清田清一。同じく武闘派の柔道家で居酒屋「酔いどれ鯨」の元亭主“シゲ”こと立花重雄。機械をいじらせたら無敵の頭脳派、愛娘にはめっぽう弱い機械工場経営“ノリ”こと有村則夫。かつての悪ガキ3人が私設自警団「三匹のおっさん」を結成し、詐欺や窃盗から社会問題までご町内の悪を成敗するというストーリーだ。ドラマでは、北大路さんが“キヨ”、泉谷さんが“シゲ”、志賀さんが“ノリ”を演じ、2014年1月、2015年4月、そして今年1月と、3シーズンにわたって放送された。■キャストのコメント到着今作について北大路さん、泉谷さん、志賀さんの3人は、「さわやかで、明るくて、リズムがあってね、平和で楽しくて、愛らしいドラマだと僕は思う」(北大路さん)、「お屠蘇飲みながら、あるいはおミカン食べながら、楽しんでもらえれば」(志賀さん)、「家族が一緒に見られるドラマってなかなかないからな~。子どもと一緒に見られる番組が少ないから何とかしてくれと言われるんだよ、俺に言われても困っちゃうんだよな。でもよくぞ、これができてよかったと思いますよ、ほんとに」(泉谷さん)とコメント。また、キヨの孫・祐希(大野拓朗)やノリの娘・早苗(三根梓)が就職し巣立とうとするなど、家族の絆もテーマの一つとなっているという今回。泉谷さんは「やっぱり、家族が見て思い当たるところを見つけてくれるとありがたいかな!そういえばお父さんお母さんに優しくしていないな、とか。大人も子どものことほったらかしだな、とか。そういう風に思ってくれればいいね」と話し、志賀さんも賛同。北大路さんは、ある小学生の女の子からラブレター(?)をもらったそうで、「『三匹のおっさん見ています。頑張って!格好いい!次はいつやるの?』ってね。で、『応援ありがとう。君も頑張ってね。おじさんも頑張るからね』って返事を書いてね。そういうお子さんたちも見てくれるんじゃないかな」と微笑ましいエピソードも披露した。“三匹のおっさん”のほかにも、大野拓朗、三根梓、西田尚美、甲本雅裕、藤田弓子、中田喜子ほかお馴染みのキャストたちが登場する。新春ドラマ特別企画「三匹のおっさんスペシャル」は2018年1月2日(火)21時~テレビ東京にて放送。(cinemacafe.net)
2017年11月16日北大路欣也、泉谷しげる、志賀廣太郎が“おっさん”に扮して町内にはびこる悪を斬る痛快&勧善懲悪ドラマ「三匹のおっさん3~正義の味方、みたび!!~」のDVD-BOXが7月19日(水)に発売になることを受けて、特典映像の「三匹のおっさん 座談会トーク」に収録予定の、キヨ(北大路さん)、シゲ(泉谷さん)、ノリ(志賀さん)によるメッセージが到着した。同作は、かつての悪ガキ3人組=キヨ、シゲ、ノリの“三匹のおっさん”が私設自警団を結成。還暦オーバーの身でありながら、町内トラブルの数々を解決していく痛快人情ドラマだ。昨今世の中で話題の民泊詐欺、モンスターペアレント、オレオレ詐欺など誰にでも忍び寄る身近な悪を扱い、視聴者の高い支持を獲得。シリーズ化され、第3弾を迎えた。注目の特典映像「三匹のおっさん 座談会トーク」内でキヨ役の北大路さんは、「我々の周りには問題はたくさんあります。全部が全部自分で対応することはできないけれど、一番身近で何か気になることがあったら、キヨとしての正義感をもって、そのテーマにぶつかっていきたいと思う」と熱くコメント。キヨを演じながらキヨに教えられたことを明かした。シゲ役の泉谷さんは、「おそらく仕事的にも人生的にも人が欲しいものは、もしかしたら拠り所じゃないかと思うんだよね。そういう拠り所の一個になっていればいいかなって」と心情を吐露。ノリ役の志賀さんも、「拠り所という意味では、友情もあるでしょう。多くの人たちとのつきあいがいまの僕を作っています。人を大事にする、その気持ちだけは忘れないようにしようと思っています」と“三匹のおっさん”と出会って身に染みた想いを語っている。なお、映像特典には、「メイキング映像集」、「三匹ファミリー 2ショットインタビュー」、「視聴者参加!爆笑記者会見」、「本邦初!三匹の監督 スペシャルインタビュー」などを収録する予定。いまだから明かせる裏話など、作品の魅力を深堀する映像特典にも注目をして!「三匹のおっさん3 ~正義の味方、みたび!!~」DVDは7月19日(水)より発売。(text:cinemacafe.net)
2017年07月18日俳優の北大路欣也、泉谷しげる、志賀廣太郎が15日、テレビ東京系ドラマ『三匹のおっさん3 ~正義の味方、3たび~』(1月20日スタート 毎週金曜20:00~)の記者会見に登場した。同作は作家・有川浩の人気小説シリーズを映像化。2014年1月クール、2015年4月クールに放送されたシリーズのパート3となる。かつて悪ガキだった清一(北大路)、重雄(泉谷)、則夫(志賀)の3人が、定年退職後にご近所内の悪を成敗していく。第1話ではピコ太郎の”PPAP”を披露する場面も。北大路は「あれ僕は現場でノリさん(志賀)に教わったの。ちょうどあれがバッと出た後の撮影だったんだよね」と裏側を明かした。監督のアイディアだというが、志賀は「前の日言われて『なんのこっちゃ』って」と、当時の戸惑いを振り返った。一方泉谷は「だいたいあんなクソ面白くねえもの、よくやったよな」と毒舌で笑わせた。しかし「楽屋でずっと練習してるんだよ。『やめろそんなもの、流行に乗るんじゃねえ』って言ったけど、面白かったね」と、最終的にはPPAPの面白さを認めていた。会見では実際に志賀が”PPAP”を披露した。志賀が腰をくねらせながら「I have a pen」と歌い始めると、優しく見守っていた北大路がマイクを補助し、抜群のコンビネーションを見せた。
2017年01月15日こんにちは、ROBE編集長のAzuです。気まぐれ連載《水曜のケセラセラ》第16回目になりました。前回はファッションという言葉の意味に感じる違和感のお話。今回も言葉について考えていきます。 駄菓子屋の10円ガム、ガリガリ君、チョコボールなど、小さい頃からアタリ/ハズレがあるものに目がありません。一喜一憂するおみくじも大好きで、神社に行く度に引いています。先日、土日を利用して大阪と兵庫へ行ってきました。阪急梅田のMARNI FLOWER CAFEでひと休憩した後、梅田から御堂筋線、近鉄南大阪線に揺られること40分。向かったのは側に川が流れる小さな神社、布忍神社です。この町に訪れた目的は「イチハラヒロコ恋みくじ」を引くこと。実はこのおみくじ、通常のおみくじとは違い「大吉」「吉」「凶」などが書いてあるわけではありません。半透明の紙に黒々と浮かぶ文字が示すのは、吉凶ではなく、グサリと突き刺さる意味深なフレーズ。「恋みくじと書いてあるけど、仕事運とかも見れますか?」と聞く欲張りな私に対して「仕事も恋のうちでしょう。」と神主さんはにこやかに告げてくれました。その瞬間、恋が芽生えそうになったのはここだけの秘密です。さて、運命のおみくじタイム。ガラガラと筒を降り出てきたのは第十七番。手際よく棚から出してくれた一枚の紙に浮かんでいた文字は「別れそう。」という何やら不吉な言葉。恋人ナシ、問題ナシ、別れるものなど何もナシの私にとって「彼氏と別れる」という選択肢はありえないので、一体この紙が何を示してくれたのかピンときません。持っていないものは手放せないもの。すると、???状態の私に、神主さんが一言。「何から、別れそう?」あぁそうか、と思いました。すっかり「別れる=破局、バッドエンド」と思い込んでいたけれど「誰と?何と?」の部分を変えるだけで意味は正反対になり得るのだなと。例えば仕事に夢中でまさに恋するように仕事をしていたら、このおみくじが示す別れというのはなんでしょうか。「苦手な上司と別れそう。」「満足いかない今のポジションと別れそう。」など、いくらでも自分の状況に合わせて「別れそう。」という言葉を捉えることができます。あれ、気づけば「別れ」がハッピーな意味になっている!私の場合は「(ひとり身の私と)別れそう。」なのです。私が言ったんじゃありません、神主さんとおみくじがそう告げてますから。 そう、このおみくじが伝えたかったことは、吉、凶、という結果だけに満足してその一瞬を楽しむのではなく、真正面から言葉を受け取り、自分が置かれた環境に当てはめてじっくりとその意味を考えるべき、ということ。「みんなおみくじを引いても結果だけ見て中はあまり読まずに忘れていってしまうでしょ?でも、言葉ならば良し悪しではなく、何通りにも捉えることができるんですよ。」おみくじを引き終わった後、神主さんはそう話してくれました。思いが強ければ強いほど、ついつい視野が狭くなってしまって、小さな点だけを見つめて一喜一憂してしまいがち。でも、枠に収められた文字だけではなく、その前後に漂う文字まで想像することができたら、誰だって笑顔になれるのです。おみくじを引いた後は兵庫県・城崎温泉へ。志賀直哉の小説『城の崎にて』の舞台となった温泉地です。昼と夜ではまったく違う顔を見せてくれました。視点を変えれば見える景色は全く異なる。時がゆったりと流れるこの地では、運命の捉え方の鍵は「時間」なのかな、とも思ったり。 運命の捉え方はいつも言葉足らず。枠を飛び出し、ほんの少し言葉を足すだけで、運命が大きく回転することがあるのかもしれない。Text : Azu Satoh
2016年07月20日これまで数多くの文学や映画の舞台になってきた広島県尾道市で撮影された映画『乱死怒町より愛を吐いて』が明日から公開になる。『デストロイ・ヴィシャス』『冴え冴えてなほ滑稽な月』の島田角栄監督が手がける作品で、これまでにない“新しい尾道映画”になっているという。その他の画像尾道は、志賀直哉、正岡子規、林芙美子らにゆかりがあり、大林宣彦監督が数々の名作をこの地で撮影してきた。尾道は古い町家が並ぶ古風な一画から少しずつ姿を変えており、本作では現在の尾道を舞台に、妄想と現実を入り混じった演出で新たなドラマを描き出していく。ミュージシャンだけでなく、俳優として舞台でも活動する後藤まりこ、KONTA、お笑い芸人の鳥居みゆきらが出演し、大塚明夫が声優を務める。映画は明日から渋谷ユーロスペースでレイト公開されるほか、12月5日(土)からは大阪でもレイトショー公開される。『乱死怒町より愛を吐いて』11月7日(土)より渋谷ユーロスペースで公開
2015年11月06日フジテレビの新ドラマで企業の危機管理をテーマにした「リスクの神様」の記者会見が6月25日(木)に開催され、主演の堤真一に戸田恵梨香、森田剛、志賀廣太郎、平幹二朗、小日向文世が出席。小日向さんが自らの薄毛を“危機”のネタにし志賀さんと薄毛トークを展開した。企業の不祥事による謝罪会見や報道が続く現状を背景に企画された社会派ドラマ。様々なものを扱う大手商社を舞台に、危機管理のプロの活躍を描く。ドラマの中では、世間を賑わせた実際の事件、実際の企業の不祥事を思わせる描写もある。サンライズ物産の危機対策室長・西行寺を演じる堤さんは、企画について「最近、こういうの多かったですよね。大きなハンバーガー屋とか、大きな航空会社の“何とかリターン”とか(笑)。タイムリーだと思ったし、こんなのドラマにしていいの?と思った。フジテレビ、やったちゃいましたね(笑)!」と楽しそうに語る。戸田さんは同社の総合職で、東大出で数か国語を操るエリートだが、とある不祥事で危機に陥る神狩かおりを演じるが「この問題、(実際に起きた)あれだな…とか当てはまるので緊張感のある作品になってます」と語る。契約のためなら何でもするとうわさされる女性総合職ということで、現場では「色気MAX!」を要求されるという。あるシーンについて、段取り(テスト)の後で「監督に『いまは段取りだったけど、本番は色気MAXで』と言われ、いまので私としてはMAXだったんですが…(苦笑)。大人の女にはまだまだ手が届いてないようです(笑)」と現場でのやり取りを明かした。この日、出席したキャスト陣に加え、古田新太、吉田鋼太郎、田中泯、満島真之介、山口沙弥加ら実力派が顔を揃えており、特にベテラン俳優陣は、互いに様々な思い出があるよう。平さんは普段から“鋼太郎”と呼び捨てにしている、この日は欠席となった吉田さんについて「ブレイクしたので『鋼太郎様』って呼ばないと」とニヤリ。小日向さんは、その吉田さんが山口さんの電話番号をゲットしていたと暴露するなど、不在の吉田さんを巡るトークで会場をわかせた。その小日向さんは、作品にちなんで最近、体験した“危機”について問われると「正直に言うと毛ですね。20年後には平さんの年齢になってますが、何もなくなってると思う」と自ら薄毛問題に切り込む!「志賀さんを横にして言うのもなんですが…」という小日向さんの言葉に、バーコード型薄毛の志賀さんは「坊主にするしかないよね。僕も60過ぎたら坊主にしようと思ったけどこの形(=バーコード型の髪型)で(世間に)出ちゃったから…」と小日向さんと薄毛談義を始め、場内は爆笑に包まれた。小日向さんは「平さんを見ると、残酷だなぁって思います。(努力は)してますが、確実に減ってます」と淡々と語り、これには堤さんら共演陣も爆笑だった。「リスクの神様」は7月8日(水)22:00より放送開始。(text:cinemacafe.net)
2015年06月25日---------------------------------------------------------------------------初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。---------------------------------------------------------------------------○クララが立った!以前にも書いた通り、私の初恋の相手は色白で線の細い男の子だ。元気に幼稚園へ通っていた彼の実際の健康状態は記憶にないけれども、幼い私は彼の「病弱そうな」佇まいに惹かれていた。もっと言えば、もともと自分の中にあった「病弱」幻想にぴったりの憑代(よりしろ)として、手近にいた彼を好きになっただけかもしれない。生まれてこのかた大きな怪我や病気をしたことのない私は、だからこそ「病弱」な人々に見果てぬ夢を描き、憧れ、羨んでいた。それはたとえば、バーネットの小説『秘密の花園』に出てくる車椅子の少年コリンのような男の子、ちばてつやの漫画『ユキの太陽』に出てくる社長令嬢の岩淵早苗ちゃんのような女の子。児童向け作品のおてんばヒロインに感情移入しながら私は、「自分にはないもの」を持った臥せりがちの美少女美少年に惹かれ、彼ら彼女らと親密になりたいと願っていた。美しく裕福で儚げな、籠の鳥。二本の足で立ってどうとでも歩いていける野生児の私と違って、誰かの支えや特別なしつらえを伴わなければ命をつなぐことも難しい存在。モヤシッ子が筋骨隆々のマッチョなヒーローに憧れるように私は、触れなば落ちん、という風情の瀕死のヒロイン(年齢性別不問)にグッとくる。裏返せば、それだけ自分が頑丈だったのである。学校の図書室で借りて読む本の中では、貴婦人がしょっちゅう気絶しては気付薬を嗅がされ、お嬢様はサナトリウムで肺病と闘い、戦場から生還した勇者は古傷の疼きや幻肢痛に悩まされている。私はそのどれも経験がない。「朝礼の最中に貧血で倒れる」とか「手術のために入院する」とか、一度やってみたいなぁ、松葉杖で登校できれば最高……と思案しながら車道を横切っていたら通りかかった軽自動車にハネられ、ボンネットに乗り上げるまでの交通事故に遭った。き、キター! と大興奮のまま整形外科へ担ぎ込まれたものの、診断は「全身打撲」でその日のうちに家へ帰され、「えー、骨折じゃないのー」と不服を申し立てるような小学生だった。小児喘息で入院した経験のある級友からは、「病院生活って、あんたが思ってるようなイイもんじゃないんだから!」とさんざんなじられ、しばらく口をきいてもらえなかった。経験をもって発せられる言葉の重みがグッと胸に響く。彼女がたった一人で克服したその苦労を、みずから勝ち取った生きる喜びを、同じ年の私はまったく知らない。自由と不自由、健康と不健康、生と死。片方しかない自分がひどくアンバランスに思え、ますますもう一方を「経験」したくなった。今度は『王子と乞食』めいた話だ。そして、「おまえさん、そんなに病弱なお姫様になりたいんだったら、あたしがその夢を叶えてやろうかえ……?」と、森で悪い魔法使いにそそのかされたわけでもなかろうに、二十歳を過ぎてからの私は、急速に自身の健康を損ねていくことになる。○錠剤、噛み砕いて最初の異変は婦人科系だった。10代までは何とも感じなかった生理痛が20歳を過ぎるとみるみる悪化して、月経前はほとんど毎月、激痛で半日以上ベッドから起き上がれなくなる。風呂場で脚の力が萎えたまま意識を失ったり、往来で突然ぶっ倒れて救急車で運ばれたり、ありとあらゆる失態を演じたが、検査をしても具体的な原因がわからない。子宮内膜症も筋腫の類も見つからず、月経前症候群(PMS)の一種、自律神経失調症のようなものだろうという診断で、市販の鎮痛剤を多めに服用することでしのいできた。性交渉のときさえピンと来ない子宮という臓器のかたちが、くっきりわかるような鋭い痛みである。志賀直哉の小説『赤西蠣太』に侍が自分で自分の腹を割いて腸捻転を治した逸話があって、激痛に床をのたうち回りながら私はいつもこのくだりを思い返していた。今すぐこの腹かっさばいて、子宮を取り出してじゃぶじゃぶ丸洗いできたらどんなにいいか。朦朧とする意識に屈して台所の包丁を持ち出さないよう、必死で堪えていた。症状が出ている最中は寝たきりで、寝具もすべて取り替えるほど大量の汗をかく。服を着替えて病院へ行くのは、すべてが終わった後だ。正午を過ぎてから勤め先に病欠の電話を入れたり、そのくせ半日経った夕方にはケロリと遊びに出かけたり、すこぶる元気そうなのに「大事をとって」翌日の予定を急遽キャンセルしたりするもので、周囲からはまぁ、サボッていると誤解されたことだろう。「生理痛なんて子供を産めば治るもんだ」という謎のアドバイスもしょっちゅう受けた。たしかに体質が変わることもあるだろうが、出産は「治療」ではない。いかに「病気」扱いされないかという話である。次に悩まされたのは不眠症だ。おそろしく寝つきが悪く、眠りに就ける時間帯がズレてきて、翌日以降の日常生活に支障を来す。もともと夜型のロングスリーパーだったのが、編集者という職業柄、どうしても「夜討ち朝駆け」状態になる。私はそこで短時間睡眠に切り替えることができなかった。数十時間覚醒して十数時間睡眠する不規則な生活を続けながら、「ひとたび寝てしまったら定刻に起きられなくなるかもしれない」という恐怖でどんどん眠れなくなり、何をするわけでもなく徹夜状態で朝の仕事へ行く日々が続いた。今夜もまた前夜と同じように眠れないのではないか、眠れないと取り返しのつかない粗相をするのではないか、不安でさらなる緊張を強いられ、症状がひどくなる。のちのち「概日リズム睡眠障害」という言葉を知ることになるのだが、20代後半の当時はまだ、「自分はもしかして、うつ病なのではないか?」とも疑っていた。仕事の合間に精神科や心療内科をハシゴして、よりどりみどりの睡眠薬を処方してもらう。働くために薬が必要なのか、薬代のために働いているのか、なんだかよくわからない状況だったが、尊敬する上司も一緒に仕事する仲間もみな何かしら身体に「故障」を抱えながら私以上の激務をこなしているのだから、それが当たり前だと思っていた。○脳病院へまゐります。「眠れなくて精神科へ通ってるんだ」と言うと、あちこちでギョッとされる。「待合室には頭のおかしな人たちがたくさんいるのか?」と真顔で訊かれたこともあった。別の科にかかるならまず受けないであろうそうした偏見の眼差しよりも、私は、自分の不健康を放置しておくことのほうが、よっぽど怖かった。尊敬する上司、一緒に仕事する仲間、友人の友人、飲み屋ですれ違った客。素人目にも明らかに重篤な精神の病を抱えていると思われる人たちが、周囲にたくさんいた。そのほとんどに自覚症状がなく、自分は「マトモ」と信じきったまま、病的な言動で他者を振り回しては疲弊させていた。私も傍目にはあんなふうに見えるのかもしれない。睡眠を、心身を、自分をコントロールできず他人に迷惑をかけている現状を、一刻も早く脱したい。とはいえ、吐いて下痢をしたとか、骨が折れて血も出たとか、目に見えてわかりやすい患者とはわけが違う。医師の見立てはてんでばらばら、新しい診断を下されるたびに右往左往して、なかなか腰が落ち着かなかった。仕事があると朝一番の診療予約しかとれず、となると数度に一度は薬が効きすぎてすっぽかす。「ちゃんと時間通りに来てくださいね」「いや、だからそれを治したいんですってば!」で押し問答となった医院もあった。精神安定剤を服用すると気分が悪くなる。副作用が少ない入眠導入剤でも寝起きにひどいめまいに襲われる。中途覚醒はしないのに、それを抑える薬が不思議と効く。かたや、ある医師に「気休めですよ」と一笑に付された光療法は、かなり効果的だった。行き着いたのは結局、最寄駅の駅前にある小さな小さな心療内科で、階下の薬局のために処方箋を書くのがお仕事、というようなナメきった態度の小太りの院長だ。「まぁ、うつ病ではないですよ。寝れば治るんだから」「休職の診断書を書いてあげてもいいけど、あなたは会社行けないと悪化するタイプだよね。社畜乙」「本当に薬飲むの向いてないねー、でも漢方はもっと向いてないだろうね」といった脱力系の挑発口調は、私の意欲を覿面に削ぎ、代わりに少しの元気をくれた。仕事熱心には程遠く、「ヤブ」と呼んで差し支えない医者だったと思う。毎朝同じ時間に起きられるようになった今でも、それが彼のおかげだとは到底思えない。だが、会計窓口で三割負担の医療費を支払いながらいつも、腕のいい占い師にかかっているような気分だった。あるいは、いつ引いても絶対に「凶」だけは出ないおみくじ。自分のことは自分ではわからない。素直に他人に意見を仰ぎ、身を委ねるのが一番だなと、初めて思った。40度の熱を出しても、交通事故に遭っても、そんなふうに感じたことはなかった。○自覚と無自覚のあいだかつて私は健康優良児だったが、もはや健康は不断の努力で「維持」しなければ簡単に失われてしまうものとなってしまった。その「節目」が、心身の不調に悩まされながらビクビクしていた20代後半にあった。氷の入った冷たいドリンクを飲まなくなったのも、常温の水を1日2リットル飲むようになったのも、真夏でも靴下や腹巻を身につけてカイロの買い置きを欠かさなくなったのも、婦人科系疾患の大敵「冷え」への対策であるし、どうせ眠れないのだからと毎日のように夜遊びや暴飲暴食を繰り返していたのは20代半ばまで、時間帯で食べるものを節制して、主食を玄米に切り替え、カフェインや刺激物の摂取にも敏感になった。頭痛や腰痛を併発しないように寝具や照明にもお金を注ぎ込み、有酸素運動が大事と言われればフィットネスジムにも入会した。入会だけは、した。そして、小児喘息で入院していたクラスメイトは、あんなに小さな子供の頃から、こんなふうに「健康」に気を遣っていたのだろうか、などと考えたりもした。新しくとる何気ない行動の一つ一つが、脆く壊れやすい自分の心身を損ねやしないかと、いちいち考えながら生きるのはどんな気分だろう。彼女の「節目」は私と違って、うんと早くに訪れたのだ。自分からみすみす健康を手放したがるやつがあるか。今ならその怒りに寄り添える気がする。一方で、私と彼女の歩んだ半生は、すでにしてずいぶん違ってしまっているよね、とも思う。親元を離れて暮らすようになってから、久しぶりに親と会うたびに健康を心配され、いつも「あなたはもともと、小さい時から虚弱だったからねぇ」と言われる。言われるたびに驚く。彼らの思い出話の中の私は、季節ごとに高熱を出して寝込み、アトピーなど皮膚のトラブルが絶えず、少しの傷でも出血が止まらず、採血しただけで体調を崩し、何度も腎臓の精密検査を受け、運動が苦手で直射日光に弱い、そんな子供だというのだ。それでも私が「健康優良児」を自認して育ったのは、たまたま、子供のうちに大きな怪我や病気をせず、生死をさまようほどの経験をせずに済んでいたから。ただ、それだけのことなのだと、何度でも驚く。憧れに憧れていた「手術」の初体験は32歳のとき、日帰りで受けた視力回復のレーシック手術だった。「入院」はまだしたことがない。できればこのまま、せずに生きていきたい。ようやくそう思うようになった。<今回の住まい<もともと根暗な性格で、外に出て遊ぶより室内で本を読むほうが好き、そんな人間が心身に不調を来たして引きこもりがちになると、快活な人々より症状の発見が遅れることがあるのかもしれない。26歳のとき引っ越した先は、小さな中庭に面した一階で、縦に細長い間取りの1Kだった。日中でもほとんど陽が射さず、電気を点けてもつねに薄暗いこの部屋を「穴倉みたいで落ち着くし、家具が置きやすいし、何より蔵書が日に灼けないのがいい!」と大変気に入って選んだ。もしタイムマシンがあったら契約の前日に乗り込んで、当時の自分にもう一度、熟考を促したい。どんな性格の人間だろうと、お日様の光は、とても大切です。岡田育1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。イラスト: 安海
2015年05月08日春の開運方位を一挙公開!開運術・奇門遁甲で温泉に行って運気アップ★誰にでも簡単に上げられる“運”。古代中国から伝わる方位を使った開運術・奇門遁甲(きもんとんこう)による開運方位を知って、温泉旅行がてら運を上げましょう!●諸葛孔明が使って百戦錬磨したといわれる秘儀こんにちは、ライフアップコーチのあべけいこです。「最近いいことないなあ」とぼやいているあなたに、とっておきの開運方法をお教えしましょう。それは、『奇門遁甲(きもんとんこう)』という、4000年前の古代中国で生まれたもので、古代中国から伝わる伝統的な開運術。皇帝が戦いに勝つために使用したといわれ、諸葛孔明が戦術として使って百戦百勝した…という言い伝えもあります。実際、私は7~8年間、この奇門遁甲術を使った開運法を行っていますが、思わぬ大きなお金が入ったり、良い人脈を得たり、本の出版が決まったり…と、次々に良いことが起きています。やり方は、「ある日時にある方向に向かって出発し、1泊泊まって帰ってくる」というだけ。とっても簡単なので、ぜひみなさんも試してみてくださいね。では、詳しい方法とルールをお教えしましょう。【やり方】*自宅を基点にし、該当の日時に該当の方位に向かって出発する。*100km程度離れた場所に1泊する。自宅からの方位がわからない場合は、吉報位を調べるサイト「あちこち方位」を参照。方位線の種類は風水45/45°にあわせ、「偏角は考慮する」にチェック。【ルール】*時間帯はなるべく真中を使い、その時間内に該当方位に向かう乗り物に乗ること(家を出るだけでなくその方向に向かう乗り物に乗る時間が大事)。※真中の時間帯例)9~11時であれば10時前後*「静と動の動き」で開運するため、出発してから寄り道をせず、なるべく止まらず目的地まで行くことが大事。到着したらあまり動き回らず宿に入ること。*10時半までに部屋に入り、10時45分までに布団にもぐりこんで横になること。温泉に入って地のものを食べるとなおよし。●春の開運方位を一挙公開!では、どの方位に行けばいいのでしょう?運気が上がる方位をお教えしましょう。*3月21日(金)15時~17時出発東南相手を自分のペースに巻き込める、精神的な喜びごとがある、尻上がりに開運する*3月26日(水)15時~17時出発北尻上がりに運気が良くなる、大きな喜びごとがある、開運、有力者の手助けが得られる*3月27日(木)15時~17時出発東人の協力が得られる、恋愛の喜びが起きる、要領や才能を使ってうまくいく*3月28日(金)11時~13時出発東尻上がりに運気が良くなる、良いことがある、開運*4月4日(金)11時~13時出発東人間関係が良くなる、智謀で他人を引離せる、話術巧みになり協力者を得られる*4月4日(金)17時~19時出発南相手を自分のペースに巻き込める、精神的な喜びごとがある、財運、仕事運に吉*4月5日(土)15時~17時出発南西尻上がりに運気が良くなる、大きな喜びごとがある、知恵、企画、試験、文書に関する吉奇門遁甲は、生まれた年や月などに関係なく、万人に効く開運術です。なので、お友達や恋人と一緒にぜひ試してみてください。効果は約2カ月後に表れます(それより前に出る場合もあり)。100km程度の移動(車や電車で約2時間)が一番効果があるといわれていますので、近郊の1泊旅行にぴったり。温泉旅行がてら、運を上げに行ってみてはいかが?●奇門遁甲を使って温泉旅行に出かけよう!東京から見て約100kmのところにある主な温泉地を、方位別にご紹介しますね。【北】日光温泉、奥日光湯元温泉、中禅寺温泉、鬼怒川温泉、川治温泉、川俣温泉、湯西川温泉【東北】大洗温泉、筑波温泉【東】犬吠埼温泉【東南】勝浦温泉、天津小湊温泉、鵜原温泉【南】千倉温泉、白浜温泉【南西】熱海温泉、伊東温泉、伊豆山温泉、土肥温泉、天城月ヶ瀬温泉、天城吉奈温泉【西】河口湖温泉、精進湖温泉、富士山温泉、石和温泉、甲府温泉【北西】秩父赤谷温泉、秩父小鹿野温泉、和銅鉱泉<おすすめピックアップ!>南西・・・天城吉奈温泉徳川家康の側室・お万の方が入湯に訪れたのち、頼宣・頼房兄弟を身ごもったことから「子宝の湯」といわれるように。伊豆山中の豊かな自然の中にあり、志賀直哉をはじめ、多くの作家にも愛された歴史ある名湯。弱アルカリ単純泉で神経痛、関節痛、胃腸病、婦人病、美肌に効果あり。北・・・奥日光湯元温泉JR・東武日光駅からバスで1時間半ほどいろは坂を上がって行ったところにある、奥日光の湯ノ湖畔、金精峠の麓にある温泉。西暦788年に発見された歴史のある温泉で、古くから江戸庶民の湯治場として親しまれてきた。リウマチや皮膚病に効果があるといわれる硫黄泉で白く濁ったお湯が特徴。東・・・犬吠埼温泉関東の最東端・銚子にある犬吠埼温泉。荒波に侵食された断崖に湧いていて、海を眺めながら入れるロケーションは最高。ナトリウム塩化物強塩泉とナトリウム・カルシウム塩化物泉の2種類の泉質で神経痛、筋肉痛、慢性消化器痛、冷え性、疲労回復などに効く。<文:ライフアップコーチあべけいこ>
2014年03月10日少しずつ寒くなり、温かい食べ物がうれしい季節になってきました。中でも鍋料理は寒い時期に最高です、そこで今回は、この季節にぴったりの、おいしいご当地鍋料理たちを紹介します。●石狩鍋(北海道)北海道の鍋料理といえば、やっぱり石狩鍋だと思います。鮭と野菜の濃厚なみそ味のだしはお酒にもご飯にも合いますね。うちは大ぶりの鮭の切り身とイクラをバラバラっと入れて作ります。美味しいですよ!(31歳/男性/北海道在住)●せんべい汁(青森県)鍋用の南部せんべいを入れた青森県の八戸あたりの郷土料理です。が、青森全体の名物だと思われていたりするので、説明に困ります(笑)。だしを吸ったせんべいがモチモチっとしてかなりお腹が満足する料理です。(26歳/男性/青森県在住)●はっと鍋(岩手県)小麦粉で作ったワンタンみたいな生地をしょうゆ味のお鍋に入れて食べる岩手県の郷土料理です。東北地方にはこうした小麦粉を使った材料を入れたすいとんのような料理がいくつもありますね。(28歳/女性/岩手県在住)●どんがら汁(山形県)私の地元には『どんがら汁』というタラを入れたみそ味のお鍋があります。とっても温まる料理なので、寒い時期にはもってこいです。どんがら汁が振る舞われる催しもいくつかあるので、それ目的でいらっしゃる人もいるそうですよ。(30歳/女性/東京都在住)●若草鍋(奈良県)たっぷりのホウレンソウを使った奈良県の郷土料理です。いくつもの魚介類やお肉から出たうまみたっぷりのだしで食べるホウレンソウは格別。一説によると、この『若草鍋』という名前は文豪・志賀直哉によって名づけられたとか。(35歳/男性/大阪府在住)●大和鍋(奈良県)奈良県には、大和イモという山芋をすりおろして揚げたイモ団子がたっぷり入った『大和鍋』があります。スープも豆乳仕立てでヘルシーなので、特に女性オススメの鍋料理ですね。(28歳/男性/奈良県在住)●ハモしゃぶ(京都府)京都の鍋料理といえば湯豆腐を挙げる人が多いと思いますが、個人的にはハモしゃぶを推したいですね。骨切りされたハモをしゃぶしゃぶとだしにくぐらせ、そのまま食べたりぽん酢で食べたり。独特の食感とハモのうまみがもう最高です。(33歳/男性/京都府在住)●美酒鍋(広島県)私の地元・広島の東広島市には『美酒鍋』というだしのかわりに日本酒を使う料理があります。鍋とついていますが、できあがりはお酒の水分がほとんどないので、汁気の多い鉄板焼きみたいな感じです。ニンニクや黒コショウが効いているのでお酒がズンズン進む料理です(笑)。(31歳/男性/大阪府在住)●べえすけ鍋(香川県)大きなアナゴのことを地元では『べえすけ』と呼んでいまして、そのべえすけを使ったお鍋なので『べえすけ鍋』と言います。濃厚なうまみと大きなアナゴならではの歯ごたえが特徴です。(28歳/男性/香川県在住)●みかん鍋(山口県)2006年に考案されたかなり新しいご当地料理。しょうゆベースのだしの中に、焼いたみかんや魚のつみれ、野菜などを入れて煮る鍋料理です。ゲテモノと見られがちですが、案外イケますよ。ここだけの話ですが、祖父いわくミカン農家は昔からやっていたそうです(笑)。(27歳/女性/福岡県在住)地方ならではの具材を使った物から、ちょっと変わった変化球的な鍋まで、いろいろ挙げてもらいましたが、みなさんはどの鍋に興味がそそられましたか?筆者は山口県の『みかん鍋』を食べてみたいと思いました。地方を訪れた際は、こういった地方ならではの鍋料理を堪能するのもいいですね!(高橋モータース@dcp)
2012年12月29日「墓マイラー」という言葉を、知っていますか?これは、著名人の墓を訪れ故人と向き合う新しい街歩きのスタイルで、歴史に興味のある「歴女」をはじめとして、若い女性たちを中心に人気が高まっています。今回は、その入門編として、「墓マイラー」の心得やおすすめスポットを紹介します。■実は江戸時代から続く風習!「なんか縁起悪そう」とか「お化け出そう」という感じで、ちょっと暗いイメージがあるかも知れません。でも実は江戸時代から続く風習で、「掃苔(そうたい)」という名前で文化人たちの趣味でもあったのです。そして海外でも、主にヨーロッパなどでは有名人のお墓参りをするのは生活文化として根付いていると言われています。■持ち物は?では次に、持参したい持ち物を紹介しておきます。●お花や線香:これは通常のお墓参りと変わりません。その際、線香に火をつけるためのライターやチャッカマンも忘れずに。●カメラ:基本的には撮影禁止ではないので、カメラを持参しても問題ありません。三脚まで用意していくツワモノも多いようです。●ガイド本:最近の「墓マイラー」ブームを受けて、霊園の歴史やどの著名人がどの場所に眠っているかなどをまとめたガイド本も出版されているので、購入していくと良いでしょう。逆に、食べ物はお供えしない方が良いでしょう。カラスなどに荒らされる可能性があり、管理の方に面倒をかけてしまいます。■イベント・サークルを利用する「一人じゃちょっと」という方も多いと思いますので、友人やご両親を誘ってみてはいかがでしょう?特に年配の方は歴史に精通して入る方も多いので、共通の趣味としてきずなを深めることができるかも知れません。またmixiやfacebookなどでファンページをつくって定期的にイベントを開催しているサークルもあるので、参加を検討してみては?■パンフレットを入手しよう!大規模な霊園では「墓マイラー」のために、有名人たちのお墓の場所が記された園内マップを用意しているところもあります。記念にもなるので、いただいていきましょう。■マナーはきちんと守ろう!当然のマナーとして、霊園内では静かに故人をしのぶことを心がけましょう。ただ写真を撮って終わり、というのではなく、お水をかけたり、雑草を抜いたりとマナーや礼儀を守ってくださいね。■都内のおすすめスポット5選!それでは最後に、都内のおすすめの霊園と、そこに眠る著名人を紹介しておきます。●雑司ヶ谷霊園(豊島区):夏目漱石、ジョン万次郎、永井荷風など。●青山霊園(港区):大久保利通、志賀直哉、星新一、秋山好古など。●多磨霊園(府中市):三島由紀夫、東郷平八郎、岡本太郎など。●谷中霊園(台東区):渋沢栄一、横山大観、徳川慶喜、長谷川一夫など。●染井霊園(豊島区):岡倉天心、高村光太郎・智恵子、二葉亭四迷など。(OHSK/ハウコレ)【関連リンク】知的な「囲碁ガール」が話題沸騰中!囲碁を始める準備をしよう山デビューも安心。コストを抑えて登山用具をそろえる方法わが家の食物自給率をアップさせよう!「貸し農園」を手軽に楽しむ方法
2011年12月20日明治神宮前のイケメン美容師 宿利省吾さん~ イケメンプロフィール ~美容室:Cura(クーラ) <美容室のURLはこちら> スタイリスト名:小泉 直哉 <スタイリストプロフィールはこちら> エリア:明治神宮前 / 原宿 / 渋谷 性別:男性血液型:AB型スタイリスト歴:7年出没エリア:世田谷区出身地:神奈川県 ~コメント~初めまして。 Cura小泉直哉です。 ヘアーはファッションの一つ。ヘアーが決まってると、ウキウキ毎日が楽しくなります。僕はそのウキウキするお手伝いを全力でやっていますっ!髪だけではなく、心もウキウキなれる様に一緒にヘアーを楽しみましょう! 女性の魅力を引き出す提案をたくさんしていきたいとおもいます。>>次のページは、この秋冬、女性のキレイするためのアドバイス● この秋冬、女性のキレイするためのアドバイス秋冬はやはり乾燥の時期…唇や肌、髪が冬の湿度低下によって水分が奪われます!乾燥した髪や肌ですとツヤも損ないパサパサして見えます。皆さんはお肌の手入れ毎日やってると思います。髪には肌と違って自己再生能力がありません。そんなデリケートな髪なので、特に冬は乾燥から守る潤いが必要なのです。市販のマスク系やトリートメントも良いのですが、よりピンポイントに栄養と保湿を入れる、サロントリートメントでツヤツヤな髪を手に入れてください!● こんな女性が素敵流行にとらわれず、自分スタイルを持っている女性。優しさの中にも凛としたものが光るそんな女性が魅力的だと思います。ヘアーの目線からいくとやはり『パーマスタイル』。パーマの曲線が女性らしい優しさや、はたまた流れる様な曲線から出る意思の強さみたいなものなど、様々な演出をしてくれると私は思います。『パーマスタイル』オススメですよ☆● この美容室のヘアスタイルはこちら <人気のヘアスタイルを見る>
2011年12月06日