世界をフィールドに活躍する写真家の石川直樹による初の大規模個展石川直樹「この星の光の地図を写す」が、17年2月26日まで茨城県の水戸芸術館現代美術ギャラリーにて開催されている。石川直樹は、日本写真協会新人賞や、講談社出版文化賞などの受賞歴を持つ写真家。22歳で北極点から南極点までを人力で蹴破し、23歳では七大陸最高峰の登頂も達成しており、各地を旅しながら人類学や民俗学などの観点を取り入れた独自のスタイルによる写真作品を発表している。同展では、北極、南極、ヒマラヤ8,000m峰などの極地を撮影した各シリーズを中心に、初期作から最新作までの作品を総合的に紹介。ニュージーランドの原生林を撮影した「THE VOID」や、ポリネシア地域に浮かぶ島々を写した「CORONA」、世界各地の洞窟壁画を巡った「NEW DIMENSION」、日本列島の南北に広がる島々を探索した「ARCHIPELAGO」などの作品が展示される。その他、石川が遠征で使用した装備や、旅先で収集した道具や品物なども展示。初の海外一人旅で訪ねたインドを撮った高校生時代の写真や、熱気球による太平洋横断の挑戦の映像までが展開され、石川の全貌に迫ることのできる機会となっている。さらに、空間構成の一部は、16年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で特別表彰を受賞した日本館出品建築家の一組であるドット・アーキテクツ(dot architects)が担当している。また、17年2月12日には水戸芸術館ACM劇場にて、石川とサウンドデザイナーの森永泰弘が世界各地でそれぞれ撮影・録音した写真と音源を使った初のビジュアル&ディスクジョッキーイベントも行われる予定だ。【イベント情報】石川直樹「この星の光の地図を写す」会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー住所:茨城県水戸市五軒町1-6-8会期:12月17日~17年2月26日時間:9:30~18:00(入場は17:30まで)料金:一般800円、団体600円、中学生以下・65歳以上・障害者手帳保持者は無料休館日:月曜日
2017年01月12日小学館の漫画誌『週刊ビッグコミックスピリッツ』53号(11月28日発売号)より、第153回芥川賞を受賞したお笑いコンビ・ピースの又吉直樹の同名小説を原作とする新連載『火花』がスタートすることが21日、明らかになった。原作者・又吉のラブコールに応えて『火花』を漫画化するのは、『鈴木先生』などで知られる漫画家・武富健治。又吉は「もともと武富先生のファンだったので楽しみですね」と喜んでいる。そして、「武富先生の漫画は文学を読んでいる感覚で読めるんです」とコメント。「たとえば、『火花』を読んでいない人に『内容話しといたで』と友達から言われたら、そういうことちゃうねんって思うじゃないですか。でもそいつが噺家さんとか喋りのプロやったら、ありがとうございますって思う。『火花』をわかりやすく伝える必要はなくて、漫画版の『火花』という作品として成立してもらいたい」と期待している。さらに、「原作と読み比べてもらってもいいですし、漫画を楽しんだあとに、小説はあんまり読まへんけど試しに読んでみようかなと、手にとってもらってもありがたいですね」と、さまざまな楽しみ方をしてほしいと話している。(C)武富健治・又吉直樹/小学館
2016年11月21日2016年5月に生涯を終えた電子音楽家・冨田勲さんの追悼コンサートの初演が11日、東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われ、遺作となった「ドクター・コッペリウス」が上演された。公演は、冨田さんが晩年にソリストとしてボーカロイド・初音ミクを迎えて制作した「イーハトーヴ交響曲」の再演、プロデューサーなどで知られるエイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」のダブミックスのパフォーマンスからなる第1部と、「ドクター・コッペリウス」を上演する第2部で構成。「ドクター・コッペリウス」は、冨田さんが完成を夢見て、亡くなる数時間前まで制作に向かっていた作品だ。「イーハトーヴ交響曲」では、オーケストラの厳かなハーモニーに乗って、ミクが可憐な歌声を披露。ステージ中央に設置された装置に映写されたミクは、舞台上を行ったり来たりしているかのように、あどけない仕草を見せながら動き回り、コーラス隊と共に合唱してみせた。エイドリアンのパフォーマンスへ転換する間の小休憩時には、「これからの演奏は通常のクラシック音楽とは異なり、大音量で強いビートが響く。ぜひ席を立って音に身を委ねてほしい」といった放送が。思わぬアナウンスに客席からも笑みがこぼれたが、再び幕が上がると、すぐにエイドリアンによる太いシンセサイザーの音色と弦楽器隊のハーモニー、その両者を支える激しくも複雑なブレイクビートがホールを揺らした。ガラリと変わった雰囲気から、前列に躍り出る観客も続出した。そして、「ドクター・コッペリウス」。小気味良いシンセの断片的な音のかけらがこだまし、第2部が始まった。この楽曲の主人公は、宇宙を夢見る科学者・コッペリウスと不思議な力を持つ少女・ミク。コッペリウスは重なる重圧に苦しみながらも、ミクと出会って宇宙へ飛び立ち、彼女とバレエを踊りだす。そんなSF的な世界観が、コッペリウス役の実際のダンサー・風間無限と舞台上に立体像で投影されたバーチャルシンガー・"初音ミク"のダンスで表現された。「イーハトーヴ交響曲」の荘厳さも感じさせるアンサンブルから一転、オーケストラは鮮やかな音色を奏でてみせる。そして、それに飛び乗った軽やかな電子音が、サラウンドで縦横無尽に飛び回る。ステージでは、コッペリウスが重力に抗いもがくようなパフォーマンスをみせ、ミクの動きと合わさる。実在しているのにどこか不可思議で複雑な演技を披露するコッペリウス、画面の中にいるのに生き生きと歌い踊るミク、ストーリーも相まって、その対比が近未来的な映像として浮かび上がっていく。カーテンコールでは、風間をはじめ、コンサートの演奏面と演出面を力強く支えた電子音楽家・ことぶき光も立ち上がり、深々とあいさつ。最後に、客席の中央に座っていた長男・冨田勝さんら親族がかつての冨田さんの写真を抱えながら起立すると、「ブラボー!」という声援があがり、スタンディングオベーションで歓喜を伝える観客も現れた。終演後、ホールを後にするオーディエンスを見返すと、集まった層は実に多様。老若男女を問わず、クラシックに精通する観客も、ボーカロイドに慣れ親しんでいる観客も、電子音楽を敬愛する観客も、文化の壁を超え"冨田勲"という音楽家が遺したものを共有している喜びに包まれているようだった。「ドクター・コッペリウス」は2017年4月、東京・すみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を携えての再演が決定。詳細は、後日発表される。(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.net/photo by 高田真希子
2016年11月12日今年5月に逝去した作曲家/シンセサイザーアーティストの冨田勲の遺作『ドクター・コッペリウス』がプロジェクトチームにより制作され、11月11日(金)・12日(土)の追悼特別公演で初披露される。10月26日に開かれた制作発表記者会見でその全貌が明らかになった。【チケット情報はこちら】『ドクター・コッペリウス』は、亡くなる1時間前まで打ち合わせをし、冨田が上演を最期まで夢見て創作し続けていた作品。“日本の宇宙開発・ロケット開発の父”と呼ばれ、バレエダンサーでもあった糸川英夫博士の「ホログラフィと一緒に踊りたい」という夢を形にするとともに、『イーハトーヴ交響曲』(2012年)のときに生のオーケストラ演奏で歌い踊ったボーカロイド・初音ミクにバレエ作品『コッペリア』を踊らせたいという冨田の思いが詰まった壮大な交響曲。オーケストラとシンセサイザー、バレエとホログラフィを融合させた“スペースバレエシンフォニー”となる。今回は、3Dで浮かび上がるバレエの衣装に身を包んだ初音ミクが、バレエダンサー風間無限とともに“パ・ド・ドゥ”を踊り、歌う。演出/エレクトロニクスのことぶき光は「映像は当日をお楽しみ」と明言を避け、振付の辻本知彦は「一番最後の曲はとてもいい振付になったと自負してます」と満足の表情でアピールした。1970~1980年代に冨田が制作した音源が入ったオープンリールテープもこのたび発見され、「再サンプリングしてかなりの場所で使います」とことぶき光。楽章の構成は7楽章。ストーリー原案とほとんどのサウンドファイルが遺されていたが、第1楽章と第2楽章はテーマや歌詞が遺されているのみ。プロジェクトチームから冨田氏へ思いを捧げる第0楽章『飛翔する生命体』を冒頭に据え、1と2は欠番となる。指揮の渡邊一正は「リハーサルはこれから。わくわくしています」と笑顔で語った。既存の楽曲を素材として用い、新しい世界観を作り上げるのが冨田の手法。本作には、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』やレオ・ドリーブ『コッペリア』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、最後の劇場用映画音楽となった映画『おかえり、はやぶさ』メインテーマが素材として用いられ、新しい世界を作り上げている。当日は、『ドクター・コッペリウス』のほかに、『イーハトーヴ交響曲』、冨田の代表作である『惑星 Planets』(1977年)のリミックスも披露される。冨田勲 追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』は11月11日(金)・12日(土)に東京・Bunkamuraオーチャードホールにて開催。チケット発売中。取材・文:門 宏
2016年10月31日電子音楽家・ことぶき光らが26日、11月11日と12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる故・冨田勲さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」の制作発表会見に登壇し、意気込みを語った。ことぶきのほか出席者は、国際交流基金理事長・安藤裕康氏、公演の音楽監督を務める指揮者・渡邊一正、ダンサーで振り付けを担当する辻本知彦、そして勲さんの長男・冨田勝氏、音楽ライター・前島秀国ら。コンサートでは、ソリストとしてボーカロイド・初音ミクが迎えられた「イーハトーヴ交響曲」の再演、勲さんが最期まで公開を夢見ていた「ドクター・コッペリウス」の初上演などが行われる。「ドクター・コッペリウス」は、2012年に「イーハトーヴ交響曲」が完成した直後から、勲さんが「必ずやり遂げなければならない」とまで語っていた大作。勲さんは上演を待たずして、その生涯を終えたものの、公演では舞台上に投影されるミクと風間無限とのバレエと共に披露される。勝氏は、これを「父が何十年も温めてきた企画」と説明。勲さんの生きざまを「最後まで『どうやったらお客さんに感動を伝えられるか』と考えた"前のめりの人生"」と形容しながら、「楽曲に込められた父の思いを一人でも多くの方に聴いていただきたい」と呼びかけた。続いて前島が、「ドクター・コッペリウス」を制作するにあたり勲さんには、ミクにバレエを踊らせたいという思いと、日本の宇宙開発に尽力した故・糸川英夫さんをイメージさせる作品として成立させたいという構想があったと解説。糸川さんが大空に向かって飛び立つ意志を持っていたように、「冨田先生が伝えたかったのは『重力のしがらみを乗り越えようとする人間の情熱』ではないか」との見解を述べた。コンサート全体をサポートすることぶきは、演出面のシステムの素材を組み立てていると発表。制作は、冨田家も借りて行っていると明かした。また、その場で眠っていた勲さんの機材を鳴らしたところ、勝氏が「ノコギリ波(シンセサイザーの基本波形の一つ)だ」とその音を言い当てたことを振り返り、「幼い頃から聴いていたからかな。ビックリして一気に仕事がはかどりました」とほほ笑んだ。会場では、バレエ衣装に着飾ったミクのイメージもお披露目。さらに、かつて勲さんがオープンリールに残していた音源も公開され、ことぶきは「ミクが歌い踊ります。そしてモーグ・シンセサイザーの音や、オープンリールの音源をサンプリングして、フレーズごとに振り分けたものを何らかの方法で走らせます」とアピールした。
2016年10月27日●冨田さんとは一歩超えたところでコミュニケーションさせてもらえた2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuiraオーチャードホールで開催される。前回、前々回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶきの言葉を紹介したい。コンサートは、冨田さんが遺した音を再現することだけでなく、舞台上に投影されるミクと、実際のダンサー・風間無限の共演も見どころとなる。また、タックヘッドなどのダブアーティストを輩出してきたイギリスのレーベル・On-Uサウンドの設立者で、ナイン・インチ・ネイルズやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったインダストリアルアーティストのプロデューサーとしても知られるエイドリアン・シャーウッドが冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」をリミックスすることも大きな注目点だ。「イーハトーヴ交響曲」の再演、ミクたちのダンスも見られる冨田さんの遺作「ドクター・コッペリウス」の上演、エイドリアンによる「惑星」の再解釈…公演ではこの3点から、冨田さんの遺志を引き継いだ音を響かせつつ、オーディエンスに新たな未来を提示する。ことぶきは、その演奏面だけでなく映像の演出面やリミックスの素材制作の面でもコンサートの裏側をサポートしている。一見、ハードワークにさえ思えるそんな活動を通じて、彼がオーディエンスに届けたい思いとは。晩年の冨田さんとの仕事で抱いた感触なども思い返しながら、ことぶきはそれを言葉にしてくれた。○何でここまで繋がるのか――お話を伺っていると、幼少時から当時のP-MODELでの活動、そして現在の冨田さんのお仕事は繋がっている部分が多々ありますね。ね、それ自体がすごいよね。飲み屋で冨田先生に何でモーグを買ったのか聞いたら、ウェンディの話が出てきて。しかも70年の万博の時に大阪に行って、現地のレコード屋さんで見つけたのかな。性転換直前…ウォルターの頃のジャケを見て買って。「これは!」と思ってモーグも買った訳ですよね。そんな流れとか、あとはオケとコンピュータの同期の話とか、冨田先生がやっていたサウンドクラウドとかにも繋がってるというのもある。「何でここまで繋がるのか」っていう話はご本人ともしてましたね。――「イーハトーヴ交響曲」の始動が12年ですよね。NHKの特別ドキュメンタリー『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』(13年放送)でもサウンド設定に苦労されている姿が捉えられていました。実際にはいつくらいから打ち合わせが始まったのでしょう。初めて声がかかったのは、その年の6月頃じゃないですかね。(交響曲の)構想自体は多分ずっと前からあって、音も作っていって、実際にライブで披露するというのは一番後なので。話をいただいてからは、実のところ3カ月くらいでやりました。○"共有感"を喜んでもらえていたのでは――そんなに短期間だと相当疲れたんじゃないですか。いや、それはないです。よく「俺は何時間しか寝てねぇ」とか自慢するヤツいるじゃないですか。でも例えば、何もやることがないまま3日寝られないっていうのは病気ですよね。そこでもう1つ考えられるのは、アイデアが降りてきてしょうがなくて、冴えて寝られないというパターン。そう思うと、「俺は何時間寝てねぇ」って人は「俺はこれくらい才能があるんだ!」と言って回っているのと同じですよね。そうじゃなきゃ、本当に倒れるように寝ちゃうはず。本当に寝られない時というのは良い意味で寝られないので、そこに疲れるとかしんどいというのは一切ないですね。――インスピレーションも次々湧くような楽しみながらのお仕事だったんですね。冨田先生から夜中とか朝5時とかに電話がきて、思いついたことをめちゃくちゃ言ってて。最初は「あれ、まだ起きてたの」とか言ってくれるんだけど、どんどんそれがなくなってくる。そうなると、誤解かもしれないけども、僕も「冨田先生も喜んでくれてるのかな?」と思ってね。寝てなきゃいけない時間に作業してるということ自体がうれしそうな感じ、世間一般とは違う時間感覚で物を作れてるということがうれしい感じ。昼間でも夜でも関係なく、そういう時間軸じゃないところで物を作ってるんだという。おこがましいけど、そんな"共有感"を喜んでくれてたんじゃないかと思ってます。――他に共作する中での印象に残ったエピソードはありますか。一つ一つ印象は強いです。音の仕組みとかを瞬間的に理解できるというのも他の人ではあり得ないし。そこにメーカーのスポンサーが入った場合、彼らも自分の開発物を売らなきゃいけないから、機能として何ができるかっていうスペックをアピールしますよね。でも、その情報は現場ではほぼ使い物にならない。冨田先生は、メーカーが言うのとは別のところで現場的に何が使えるかを瞬時に察する感覚というのを理解されていた。おこがましいですが、そのステップを一歩超えたところで、飲みに連れて行っていただいてお話してくれたのが本当にうれしかったですね。●ミクとオケのスペースバレエシンフォニーを体感してほしい○アイデアは先人に生んでもらった――今回の公演では音の面だけでなく映像にも関わってらっしゃると伺いました。そちらはどういう段階までディレクションなさっているのでしょう。僕は絵とかCGとかわからないので…振り付けとかにも口出ししていると思われたりもしますが、ダンスも全然(笑)。なので、雰囲気だけ伝えて、基本はお任せですね。ただ、作業スピードを上げるために、撮り方のシステム自体は組んでて。ゲームでやるようなモーションキャプチャーのシステムとは違うやり方で撮ってるというのは、一つあるんです。仕事のスピードって、作品に影響するじゃないですか。すごいスピードで進行している感じを作り上げるために、その仕組みを提供しています。――そのアイデアは一から作ってらっしゃるんですか?いや僕のステージじゃないのもありますから、そこは(着想を)誰かに生んでもらったっていう。先人のおかげですよ。やっぱり先人への畏敬が全部のベースにあって。ちなみに基礎技術開発みたいなのは、また別途あります。なぜそれが別途かと言えば時間がかかるからですね。基礎技術って、使えるようになるまでに何年もかかったりするもんだから。それをゼロから作る必要はなくて、基礎技術開発の選択の組み合わせでイノベーションが起きる…そこを狙ってます。かと言って、開発をしてないわけでもなくて、何年後かのために常にやってもいます。――エイドリアンのパフォーマンスにも企画当初から関わってらっしゃるんですよね。初期段階から、「やってもらうならエイドリアンしかいない」というのがありました。冨田先生の世界観にある意味でのハサミを入れられる人は多分、エイドリアンかリー・ペリーかどっちかじゃないですかね(笑)。打ち合わせは、メールベースで「こういう風にアプローチしよう」といったやり取りして、サウンドファイルも送っているんですが「聴いてないけど、良いんじゃない」って(笑)。――それは信頼されているということですよね(笑)。何かすごい余裕とスケール感を感じちゃいますね。ほっといても大丈夫だと思われてるのかな。○初音ミクはクリエイトの母、冨田さんが父――ことぶきさんは、二足歩行シンセのように枠組みにとらわれず色んなデバイスを作ってらっしゃいますよね。ご自身から見た初音ミクはどのようなものでしょう。クリエイトの母ですかね。要するに、それがルーターみたいなハブみたいな機能を果たしていると思うんです。それをベースに何かを作れるっていう意味ではものすごい存在ですよね。初音ミクという母がいて、冨田先生という父がいて、僕らはステージに向かって作っていけています。――最後に今回は冨田さんの追悼公演という側面が一つあると思うのですが、冨田さんの遺志をオーディエンスに届けるという部分もあるかと思います。そこで、ことぶきさんとしてオーディエンスに伝えたいことを教えてください。スペースバレエシンフォニー。これ、3月終わりか4月頭に冨田先生に言った時は、全然真に受けられなくて、シャレみたいに受け止められちゃったところもあるかもしれないけど(笑)。コンピュータとオーケストラのスペースバレエシンフォニーを感じていただきたいです。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月26日●解凍P-MODELと平沢進ソロでの"ライブの方法"で課題をクリア2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで開催される。前回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶき光の言葉を紹介したい。冨田さんとの共演での課題となるのは、躍動的な生楽器たるオーケストレーションと統制された電子音たるミクの音をいかにして適切なタイミングで重ね合わせるか、そして両者を違和感なくオーディエンスに聴かせるかといった問題だ。ことぶきと冨田さんの仕事は、2012年の「イーハトーヴ交響曲」の初演以来であるが、これらの課題をクリアするカギは20年以上も前、90年代初頭の解凍P-MODELでのパフォーマンスや平沢進のソロライブにあったという。解凍P-MODELとは、"凍結"と呼ばれる一旦の活動休止期間をおいて、91年から93年に"解凍"と称して再始動していた時期の同バンドを指す。ことぶきは解凍以前よりP-MODELに参加していたが、その時のレコーディングの成果は残念ながらライブ映像音源としてしか残されていない。一方で解凍P-MODELは、凍結以前よりも積極的にシーケンサーやサンプラーといったデジタル機材の使用を前面に押し出し、洪水のような電子音とバンドアンサンブルとが共存した、クラブシーンなどとも異なるテクノサウンドを展開。そのステージでことぶきは、当時のドラマー・藤井ヤスチカが刻むバスドラムから、全体のシーケンサーを回す"ヒューマン・クロック"と呼ばれるシステムを披露。自身を取り囲むようにシンセを縦(!)に並べた奇抜なパフォーマンスもみせ、そのアクロバティックなスタイルから"キーボード妖怪"とも評された。"ヒューマン・クロック"のシステムは、冨田さんと共に作り上げてきたステージの核の一つ。第2回は、その点に着目しながら、解凍P-MODEL時代の逸話や平沢との楽曲制作の裏側までを振り返ってもらったエピソードを中心にお伝えしたい。○解凍P-MODELの映像を見た冨田さんが「できるじゃん」って――冨田さんのお仕事の話も少しずつ出始めたところで、今回のコンサートでのことぶきさんの役割をあらためて教えていただけますか。プレイヤーとしてのエレクトロニクス奏者というのが1つあります。それらを含んだ同期とかシステムの枠組みを作る役割、それと舞台の演出という役割、その3つですね。――冨田さんから声がかかったのはいつ頃ですか?「イーハトーヴ交響曲」の仕込みの段階。シンク(同期)システムとか"ヒューマン・クロック"で周りを走らせる仕組みをどうやって作るかと試行錯誤していた時ですね。――"ヒューマン・クロック"というと解凍P-MODELで使われていた手法ですよね。よくご存じで! まさにそうなんですけど、でもそれって今になって分かる話で。90年代当時のオーディエンスは誰も気付いてなかった。ただ、それは知らなくて良いことで。例えば劇団四季やディズニーランドが「私たちはこういうシステムでやってます」と説明するわけないじゃないですか。むしろバレない方が良い。でもなぜこのように、舞台裏の話を聞いていただいているかというと営業、要は金の話です。そして、なぜこれが必要かというと、次を作れないから。今思えば、こういうのって2、30年前にはある意味、必要なかったのかもね。それか、僕らがバカすぎて気付いてなかったか(笑)。――冨田さんは、その解凍P-MODELでのことぶきさんのプレイをご存じだったんですか。仕込みの初期段階で「例えばこういうことです」と『BITMAP 1979-1992』(92年)*なんかの映像を見てもらいました。と言うのも、「テンポを30%以上の揺らぎで制御するなんて無理だよね?」って話を振られてね。冨田先生も色んなシステムを作っていて、すごく現場をご存じ…むしろオーソリティー(権威)なくらいですが、「いや僕ら30%以上どころか完全に(演奏を)止めてからBPM180まで、0から加速していくみたいなのをやってましたので、OKです」って返すと「えー!?」と驚かれたんですよね。それで実際に映像を見てもらったら「できるんじゃん」って。*『BITMAP 1979-1992』:解凍P-MODELのツアーを収めたライブVHS。2014年にはDVDとして再発された。○冨田さんとの2つの課題――当時の「NO ROOM」の演奏なんてまさにそれでしたね。一度止めて、一気に加速するという。まさにそう! ああいうのはクラシック界、ハイ・アート*の世界だと、多分雑に見えると思うんだ。でもぶっちゃけ、ハイ・アートの方が中身だけ見れば雑なんだよね。彼らのテンポの揺れってハンパない。そのズレを人数で上塗りして作り上げている、つまり目くらまし戦法のものすごいやり方です。もっと言えばオーケストラって装置は、人数を重ねるために倍音を削ってるわけじゃないですか。弦1本弾けば世界観ができる楽器の豊かな倍音をわざわざ削って、音の豊かさも消したがゆえに人数を重ねることによって、別の音色を作り上げることが可能になった。なので揺らぎはあったほうが、あの世界を出すためには有効で。それを冨田先生はシンセでやっちゃったわけだ。シンセのダメなところとして単音の中に入ってる情報量があまりにも少ないということがよく言われますよね。ただ、それだったらオケの楽器の方が一つ一つで見ればもっと少ない。なぜ皆が「オケ楽器の音は豊かな音響を作れる」という勘違いをしてるかと言えば、(音を)重ねてるからです。それを冨田先生は理解しちゃった。何の性格も持たないものにリメイクしちゃった楽器の音を、あえて人数重ねて別の音響感を作るやり方。それをシンセでやったのが冨田先生なんですよ。*ハイ・アート:ポップ・ミュージックなどの大衆芸術(ロー・アート)に対して、理解するのに一定の教養を必要とする芸術のこと。クラシック音楽や古典的な演劇、絵画など。*倍音:基本となる音の周波数に対して2倍以上の周波数を持つ音。音には正倍数の倍音が含まれている。ギターやベースのハーモニクス奏法などでも身近に知られる。――"ヒューマン・クロック"の仕組みは今回のコンサートでも生かされてるんですね。そうです。やってることは何年も変わってないですね(笑)。――冨田さんには、平沢さんのソロライブ映像も見せられたと伺いました。それは「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」*ですか?何で知ってるんですか(笑)。その通りです。冨田先生との仕事にはテーマとなる課題が2つありました。1つは"ヒューマン・クロック"での同期をどうするか、もう1つはオケとコンピュータをどうやって共存させるか。前者は『BITMAP 1979-1992』を、後者を平沢さんソロのものを、それぞれ参考にしながらやってみました。*「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」:90年に行われた平沢のソロライブ。電子音を基調としながら、看護師の仮装をした生楽器の演奏チームがバックにつき、ことぶきもキーボーディストとして参加していた。公演タイトルは、70年代から活動しているシンセ・ポップバンド、オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじり。●物を作るために「条件下で何ができるか」を楽しむ○"ピコる精神"としての『スウィッチト・オン・バッハ』――先に『スウィッチト・オン・バッハ』の話が出ましたが90年代当時、平沢さんからの勧めがあって聴かれたという経緯もあるんですよね。そうそう。どうやってP-MODELを解凍させるかって話を2人で散々してた時、"ピコる精神"の音楽を作ろうって平沢さんがおっしゃって。「それは何だ?」と話してたら、リファレンス(参考音源)のような扱いで「『スウィッチト・オン・バッハ』を聴け」って言われたんですよ。当時からCD含めて音楽は買わなくなってたんですけどね。――それは学生の頃からですか?中2までは、底が抜けるくらい散々買いました。でも自分で作るようになってからは他人の音楽は全く聴かなくなった。伊福部昭さんの作曲本に「作曲を志す人間は音楽を聴いちゃダメだ」って書いてあったんです。「中途半端に毒された音を聴いちゃうと作曲ができなくなるから聴くな」と。○"元をとる"ために生まれた「2D OR NOT 2D」――なるほど。それでも『スウィッチト・オン・バッハ』は買われたんですよね。そう、金を払ってわざわざ買った。でも良くなかったです。平沢さんには「何てものを聴かせるんだ」って言ったんですけども。「まぁ自分の意思で買ったんだし」って返されちゃった(笑)。それで、これは(アルバム代金分の)元をとんなきゃいけないって、また曲を作りました。でも、何がしかのことがあって、その元を取るために次何やるかを決めるというのは、今でも全てにおいてそうです。言い方を変えれば「条件下で何ができるか」という作り方です。――それで完成した曲は『P-MODEL』(92年)に入っている楽曲ですか?「2D OR NOT 2D」ですね。あれは、僕が全部オケを作って…歌メロも作ってたんだけども、平沢さんがボーカルブースに入って、全然違う風に歌っちゃってね(笑)。スタジオに入る前の音を作ってる段階では、平沢さんはいなかったですね。僕と当時のエンジニアとマネージャーの3人でトラックを作って、その後、多分僕がジェットコースターに乗りに富士急ハイランドに行ってる間に平沢さんが全然違う歌にしちゃってましたね。まぁそういうのもアリかな(笑)。○具体的な個人に向けないと作り始められない――その偶然を楽しむ感覚は、冨田さんとの仕事にも感じられます。「条件下で何ができるか」ね。ちなみにこれから演出面で、キューブ型のパイプを12本はわせて上に吊るす装置のテストするんだけども、それが内径3600ミリなんです。なぜ3600かって言うと、4000ミリにすると上の蛍光灯にぶつかって割れちゃうから。そんな風に、全部条件下で決めてますね。例えば、曲をためてやりくりしてる人がいますけど、僕は全然そういうのを信用してなくて。少なくとも僕自身は、具体的に誰かに向かって作るというのが無ければ、事を始められない。一応、聞かれたら「皆さんに喜んでもらうために」とか言ってますけど、実際それを成し得るには、当然ながら物ができなきゃいけない訳です。その上で、まず誰のために作るか。それは、端的に言えばディレクターに向けてです。担当ディレクターが一番喜ぶ物を作って、その先に皆の喜ぶ顔があるわけで。――そこをクリアしないことは先にアプローチできないということですね。そうそう。冨田先生みたいな崇高なキャリアがある方であれば、作ったら世界の人を喜ばせることができるでしょう。創作と聴き手がイコールで直結してる。でも僕クラスの人間がそれを言うのはおこがましくて。その前に世界にリーチできる物を作らねばならない。そのためには、具体的な誰か個人に向けて作らないと、というのがあります。ここまで話を聞いてみると、幼少時から現在の活動まで、ことぶきが体験してきたことは、全て一つの線で結ぶことができるのではないかという思いが湧き出てくる。それに、「具体的な個人に向けて作らないと事を始められない」との言葉は、冨田さんとの仕事での姿勢を示唆しているようにも感じられる。それは、冨田さんの作った曲を舞台上で再現することにあった。その再現性自体もまた一つの作品と言えるのではないか。次回紹介する、冨田さんと過ごしてきた時間の中でのエピソードは、そんなことぶきが冨田さんという個人に向けて作ってきたとも言えるだろう音の背景をのぞかせるものだ。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月24日●すごい音を体験しちゃった2016年5月、電子音楽の巨匠・冨田勲さんが、84歳でその生涯の幕を閉じた。冨田さんは生前、1950年代に活動を開始。NHKなどのテレビ番組の音楽を作曲しながら、60年代末にアナログ・シンセサイザーのモーグに出会い衝撃を受ける。74年には、モーグを使って、ドビュッシーの楽曲を再解釈したアルバム『月の光』を発表。クラシカルでありながら時代の先端を鳴らしたサウンドは世間の注目をさらい、国内電子音楽の歴史を大きく塗り替えた。その後も、それまでの音楽を現代的に解釈し直した作品を発表しながら、常に先鋭となるべき音を求め続け、晩年はボーカロイド・初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーヴ交響曲」を制作。12年の初演では、日本フィルハーモニー交響楽団とミクの歌声が融合するパフォーマンスを披露して話題を集めた。しかし、オーケストラとボーカロイドの音を有機的にミックスしながら、ライブとして臨機応変に対応するのは容易なことではない。それを可能にした主要メンバーの1人が、現在はプノンペン・モデル、かつては平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELの一員として活動していたことでも知られる電子音楽家・ことぶき光だ。解凍P-MODELのステージで"ヒューマン・クロック"と呼ばれるバンドサウンドと電子音を同期させるシステムも披露してきた彼は、その経験から冨田さんのミクを用いたステージも強力に支えてきた。ことぶきは、11月11、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる冨田さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」も全面的にバックアップ。コンサートは、「イーハトーヴ交響曲」の再演に加え、冨田さんが最期まで公開を夢見て制作していた「ドクター・コッペリウス」の初上演、エイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表作「惑星 The Planet」のリミックスパフォーマンスで構成される。この冨田さんの遺志を受け継いだ公演を前に、ことぶきはどのような思いを持っているのか。それを聞いてみたところ、コンサートの舞台裏だけでなく、"冨田サウンド"との出会い、音楽制作への向き合い方、P-MODEL時代の秘話、冨田さんと共演してきた上での思い出、そしてプライベートでの音楽体験にいたるまで、さまざまなエピソードを饒舌に語ってくれた。これを3回にわたってお伝えする。第1回は、幼少時に大阪万博で受けた大きな衝撃から、シンセサイザーを手にするまで、アーティストデビュー以前の彼の物語を紹介したい。○万博で全部経験しちゃった――ことぶきさんが最初に冨田さんの音楽を聴かれたのはいつ頃でしたか。テレビを介して気が付いてたら聴いてましたね。それこそ大河ドラマとかの劇伴は、20世紀音楽の開花と言えるようなインパクトで。僕のような世代は、日常的にすごいものを聴いてた訳ですよ。60年代、70年代にね。――大阪万博の頃(70年3月~9月に開催)くらいですかね。まさにそう。僕は全部を万博で体験しちゃったんです。幼稚園の卒園式を抜け出して行ったんですけども。――卒園式を!?小学校に上がるタイミングでちょうど大阪万博があったんです。そこで、お祭り広場に行く途中、松平頼暁*さんの作った曲が流れてたのを聴いちゃった。ただ、僕は1週間くらい通ったんですけど、松平さんの音楽はその途中ですぐ中止になって。コンパニオン全員が体調不良になるという当時の事件があったんですね。松平さんは独特な楽理で音を構築していて、それが影響しちゃったんだ。その話を07年か08年に松平さん本人から聞いて、「わー」って思っちゃって。そのようなことが幾つかあって、冨田先生とお話しできた時も、僕が万博で体験しちゃったものの裏側を40、50年後に作家本人から聞けたっていう…これはもう信じがたいことで。万博の後に、半分くらいの作家は皆、死んじゃうわけですから。すごい音を70年に全部、体験しちゃった。*松平頼暁:現代音楽作曲家。50年代後期からさまざまなオーケストラ、ピアノの楽曲を制作している。○小学校以降は"余生"――5、6歳でそこまで大きなショックがあったんですね。僕、小学校以降は全部"余生"だと思ってて。それまでの体験を何十年もたった後に分析してるくらいです。それは大きなポイントで、今、学生に音楽を教えてもいるんですけど、何も作ったことのない人間に音楽を教えても、ほぼ意味がない。例えば、音楽大学の作曲科の生徒に教えるとします。あの世界は積み上げられたメソッドが分厚くあって、対位法とか和声法とかを一からやりながら、楽器の奏法も修得しなきゃいけない。これじゃ10年とかすぐたっちゃう。*対位法・和声法:対位法は一つ一つのパートの独自性を保ちつつ、複数のメロディを重ね合わせる手法。和声法は主となるメロディに対して、どのようなハーモニーを接続するかに重きを置いて音を作っていく手法。――理論的な部分からガチガチで攻めるわけですね。と言うより、何を何カ月でマスターして次に行くって手順が決まってるんです。彼らって、それを修得しなかったら作品は作れないと思ってるんですよ。――え、そうなんですか? フィーリングではダメ?彼らは練習課題として色んなものを作りながら、最終的に自分自身の作品を作るための訓練を10年以上かけてやってる。それに、音大は義務教育の中で教わった内容だけでなく、特殊訓練を受けなきゃ受験もできない。訓練を何年も受け続けてる子どもたち、そして何でも知ってる子どもたち、その学生が何も作れないっていう事実ね。その一方で、特訓もせず、ほとんど何も学んでないままに、自分の持ったポップミュージックのセンスを信じて何かを作ってる"バカ"たちもいる訳です。でも、両者を並べた時にどっちに可能性があるかは明らかですよね。"バカ"の方は自分で音楽を作って、後から分析して次のステップに行くんです。ただ、それができるようになるためには早い段階、吸収力がピークに達している段階で、何らかの音楽的な洗礼を受ける必要が恐らくあって。僕はそれが6歳頃だった。まぁ僕が何か作ったわけじゃなくて、ただ聴いたってだけですけど(笑)。それでも、後はもういいやって感じでしたね。それくらい本当にデカい出来事でした。――とすると、6歳という絶妙なタイミングで冨田さんの音楽にも衝撃を受けられたのでしょうか。ただ、その時には"冨田サウンド"とは気付いてなかったですね。(カールハインツ・)シュトックハウゼンにしても冨田先生にしても、テレビで流れていたので、それが普通だと思ってました。誰の作ったものかって意識し出したのは後からですね。●僕らがやっていけるのは「冨田先生がいたから」○冨田さんの名前は「街の事情で知った」――それはいつ頃でした?その後、図らずも住んでた街の事情でピアノ教室に通わざるを得なくなって。ピアノを習ってる女子は4人いたんだけど、男がいなかったんです。そこで、ピアノの先生が「男子を生徒としてどうしても入れたい」って言うので、僕が行くことになった。生徒が何人以上、男女比何割っていうのがフランチャイズ経営で決められていたらしいんですよ。それをクリアしないと教室がなくなってしまうという。――ノルマですね(笑)。そういう事情で入れられちゃって。そこで先生から冨田勲の名前を聞いた。それも今思えば偶然で、ある種の"おかげ"ですね。その時が小学2、3年かな。○シンセサイザーとの出会い――それが初めてじっくりと楽器に取り組んだ時になるんですよね。最初からシンセサイザーを使ってらっしゃるイメージだったので意外です。シンセサイザーを、その時はまだ知らなかったですね。8歳だから、72年か…その時期だと、『スウィッチト・オン・バッハ』(68年)*はリリースされてると思うんだけども、その当時はシンセサイザーを知らなくて、『NHKニュースおはよう日本』がきっかけでした。「世の中のあらゆるサウンドを再現できるマシンが登場した!」って触れ込みでシンセがテレビに出ちゃった訳ですよ。その頃の僕は、地元ではあり得ないくらいのお年玉をもらう子どもだったんで、「これは大変だ」って、お金をかき集めて買いに行きましたね。*『スウィッチト・オン・バッハ』:後に性転換を経験するウェンディ・カルロス(発表当時はウォルター・カルロス名義)がモーグ・シンセサイザーを駆使してバッハの演奏を再現したアルバムで、日本国内の電子音楽アーティストにも多大な影響を与えた。モーグを全面的に使用した作品では初のミリオンセラーを記録したアルバムでもある。――小学生で?それは多分、中学2年ですね。と言うのも、72年の段階だと、そもそも冨田先生が買ったような1,000万円レベルのシンセしかなかったので。○大前提にあるのは先人への畏敬――当時の冨田さんと言えば、モーグですものね。そうそう(笑)。でもモーグ*は、テレビで映されてなかったです。紹介されるようになったのは、冨田先生が『月の光』(74年)とかをリリースして売れた後、「この音を作った楽器は何なんだ!?」っていう声が出始めて。それから30年たった今、11月のコンサートでいなくなった冨田先生を、復活させるんです。これは、ある種のリミックスですね。冨田勲という存在自体をリミックスしてる。まぁ、そんな冨田先生のモーグの登場を受けて日本のメーカーがコンシューマーレベルの…10、20万円の機材を出し始める。まだ手を出せる範囲での減算方式のシンセの原型が現れたのは70年代後半くらいですね。*モーグ:ロバート・モーグ博士が開発した革命的なアナログ・シンセサイザー。ザ・ビートルズやクラフトワークをはじめとして、さまざまなジャンルのアーティストの作品に使用され、現在でも国内外問わず非常に高い人気を集めている名機。流通しているものは非常に高価。――MS-20とか?おっしゃる通り。僕は後に、エレキギターのアウトプットを3本に分岐して、それぞれをMS-20*に繋げて演奏するようになるんですが、そんなマシンを持って、ある国に行った時は「日本から来たMS-20を同時に操る人間」といった一定の評価を受けています。「なぜか?」と考えると、冨田先生がいたからです。それも完全に"おかげ"で。そんなところから僕は、先人への畏敬というのが、まず前提としてあって。冨田先生がやってくれたから、僕らが外国でそのようにやっていける、大きな事実がある訳です。話を戻すと、NHKの朝の番組では、(実際にはその前からあるけれど)シンセっていうのが「世の中に登場した」って言い方で紹介されていたと記憶しています。「世の中のあらゆるサウンドを再現できる。例えば猫の声」とかね。で、自分で買って、実際に操作してみると、確かに猫の声は出ました。でも、猫の声しか出なかった。そこで「ああ、これがシンセか」と。それで1回は離れちゃいました。*MS-20:VCO、VCF、VCA、EGを2系統搭載していた、コルグのアナログのモノフォニック・シンセサイザー。P-MODELでも田中靖美が使用したように、1978年発売当時からプロアマ問わず多くのアーティストから関心が寄せられた。現在は、コルグから当時のアナログ回路を完全再現した小型版も発売されている。アーティストとしてのデビュー前、6歳の頃の大阪万博での衝撃から音楽に惹かれてきたことぶき光。中学2年生でシンセを初めて購入するまでの期間にも、冨田さんの影はそこかしこに見られた。そんなことぶきは、その後何十年もたってから冨田さんとの共演を果たす。用いられていた同期の仕組みは90年代初頭にP-MODELの一員として、披露していたもの。次回は、そんなP-MODEL時代の平沢とのエピソードなどの舞台裏から冨田さんとの仕事にいたるまでの間を振り返ってもらっている。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月21日お笑いコンビ・ピースの又吉直樹が、27日に放送された日本テレビ系バラエティ番組『しゃべくり007』(毎週月曜22:00~23:00)で、芥川賞を受賞した小説『火花』に続く2作目について、「年内には完成させたい」と語った。相方の綾部祐二とともに出演した又吉。くりぃむしちゅーの上田晋也から「次の目標はなんなの? また賞とりたいという目標があるの?」と聞かれると、「賞というよりは、またちゃんと書いて…。せっかく賞をいただいたので、このまま何も書かずにっていうのはさすがによくないと思うので」と話した。上田が「芥川賞とると次の作品も大変だろうな。2作目コケるわけにもっていうプレッシャーもあるだろうし」と言うと、又吉は「やっぱりプレッシャーはありますね」と打ち明け、「できるだけ早く書きたい」と吐露。「今書いてます。年内には完成させたい」とめどを明かした。また、又吉は「綾部さんが横からいろいろ言ってくる」と言い、「60代くらいのマダムと知り合うっていう設定はどうかな」などと意見してくると苦笑。上田は「先生は官能小説書いてらっしゃるわけじゃないから」と突っ込み、有田哲平が「それは綾部が書けばいい」と提案すると、上田も同調し、「ノンフィクションでいっぱいかけるだろ」と熟女好きで知られる綾部をいじった。
2016年06月27日著書「火花」が第153回芥川龍之介賞を受賞した又吉直樹が、このたび新たにZEROキャスターに加わることが明らかとなった。「ZERO(原点)にかえって、はじめる」「世の中の様々なことをZEROから考え直してみる」をテーマとして掲げる同番組。すでに嵐の櫻井翔や、桐谷美玲らが毎週ZEROキャスターとして活躍しているが、今後、又吉さんは月1回程度のペースで、ZEROに出演することとなる。又吉さんが自ら取材し伝えるのは、「働く」こと。驚きの「職場」、一流の「職人」、最高の「技術」…。さまざまな形で「働く現場」を切り取っていく。又吉さんは東日本大震災5年のテーマで、3月にもZEROに出演予定だが、自身のコーナーへの初回出演は4月28日(木)を予定している。このたびの起用にあたり、又吉さんは「今、日本や世界で起きていることに敏感でありたいです。あらゆる問題に対して簡単に答えを決めず、迷い、悩み、考え抜きたいと思います」と意気込みのコメントを寄せた。また、ZEROのテーマ曲も4月4日(月)から生まれ変わることに!宇多田ヒカルが新たに書き下ろした楽曲が使用されるという。さまざまな分野で才能を見せる又吉さんの、キャスターとしての活躍にも期待したい。「NEWSZERO」は毎週月~木曜23時~放送、毎週金曜23時30分~放送。(text:cinemacafe.net)
2016年03月04日ほっこりした笑いがちりばめられた作風で知られる西加奈子さんと、プロのお笑い芸人である又吉直樹さん。お互いに“笑いのツボが似ている”というおふたりにとっての笑いとは?笑うこと、笑われることへの優しさがあふれる対談が実現!***西:又吉さんとは、最初はイベントでお会いして。私が『炎上する君』という短編集を出した時に帯コメントをお願いしたんですよね。又吉:それがきっかけでお会いするようになって、最初はすごく質問されたんです。興味を持って聞いてくださっているのかなと思ったけれど、だんだん、研究されてんのかなと思えてきまして…。西:つい聞いてまうねん(笑)。「今なんでそれ言ったん?」「今、最後に言ったやつは、最初から頭の中にあったん?」とか。又吉:「最初から頭にあって、はやく言いたいと思いながら喋ってました」と言ったら「ほう…」って。西:だって又吉さんは、どうしたら思いつくんだろうってことを言うから。又吉さんの笑いには2種類あると思うねん。ひとつは、例えば小学校の授業中に校庭に犬が入ってきて興奮する、という思い出みたいな笑い。それって、うちの世代にとっては「あるある」やん?でも、そんなこと人に言われるまで思い出さないでしょう?又吉さんは「ああ、そういうことあった!」って思い出させて、私の中の体温をあげてくれるの。もうひとつは、私の体の中にはまったくなかった熱が、隕石が落ちたようにバーン!と入ってくるような笑い。又吉さんが、どちらの笑いも持っていることにおののいてしまう。又吉:自分ではあまり分からないですね。「こうなったらこうなる」とは考えずに、「こんなんあったら面白いな」とは思うんですけど。西:又吉さんは自分はどっちもできまっせ、みたいに気取ってないでしょう。超フラット。帯コメントをお願いしたのは、そんな人が、もしも自分の本を「面白い」と言ってくれたら、すごく自信になるなって思ったから。又吉さん、昔、「優しい人は必ず面白いです」って言ってましたよね。又吉:言ったかもしれません。西:その時は、すぐには分からなかった。「面白い人は優しい」なら分かる。誰かを楽しませようって気持ちは美しいし、誰かに笑われてもいいっていうのは、心が大きいことだし。その逆が分からなかったけれど、今は分かる。又吉さんは絶対にスカさないし、どんな無茶なことや寒いことを言われても「そうですね」と受け入れてますよね。又吉:ああ、それだけは決めているかもしれないです。自分たちがMCをする番組に後輩が来ると、めっちゃ緊張して訳の分かんないこと言い出す奴がいっぱいおるんです。その時に「何言うてんねん」とは言わず、一回そいつの言葉を信じて、質問していくんです。それでおもろなる時があります。西:おもろなくなる時もあるでしょう?又吉:そん時は、みんなでおもろない方向に突っ走っている1~2分がおもろなっているというか。それが芸人としていいのかは分からないですけれど。「芸人やったら笑われんと笑かせ」とは、先輩たちが言うてきた言葉ですけれど、僕はあまり気にしいひんというか。西:『火花』にもそういう話がありましたよね。又吉:そう、自分の小説に書いた時、先輩から批判されるかなと思ってたんです。でも、木村祐一さんがいろんな芸人さんたちにインタビューした映画が京都国際映画祭で上映されたんですが、そのタイトルが『ワレワレハワラワレタイ』なんです。むっちゃいいタイトルだと思って。木村さんに話したら、「俺も先輩に怒られるかと思ったけれど、でもみんなの話を聞いていて、そう思ってん」って。嬉しかったですね。西:人から笑われたいって、めっちゃ懐深いことだと思う。又吉:自分が笑っていたいんです。人が笑っているのを見るのは嬉しいですし。◇にし・かなこ 1977年、テヘラン生まれ、大阪府育ち。’04年に『あおい』でデビュー。『通天閣』で織田作之助賞、『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、『サラバ!』で直木賞受賞。◇またよし・なおき 1980年、大阪府生まれ。芥川賞作品「火花」の、俳優・堤真一による朗読CDが発売中。2016年春にはNETFLIXでのドラマ『火花』が配信スタート予定。※『anan』2015年11月18日号より。写真・森滝 進(まきうらオフィス)取材、文・瀧井朝世
2015年11月12日お笑いコンビ・ピースの又吉直樹が3日、都内で行われたトークバラエティ番組『ラジオな2人 リレー』の制作発表会に、相方の綾部祐二らとともに出席した。『ラジオな2人』は、人気とトークの実力を兼ね揃え、個々での活躍の場も広げているよしもと芸人たちコンビで登場するトークバラエティで、コンビでの出演だからこそ実現する独特のはっちゃけトークを展開。パワーアップした『ラジオな2人 リレー』では、ゲストコンビが毎回登場し、2組でトークリレーを繰り広げることになった。パワーアップ前の番組で又吉は、バースデー企画で綾部はセッティングした合コンで3人の女性と会ったことをMCから紹介され、進展を聞かれると「その中の1人と約束をしてご飯を食べに行きました。素敵な方でした」と告白、綾部は「番組公認でやっているので、(又吉)先生には、食事に行った場合は報告をくださいと言ったんですけど、報告せずにガチでご飯を食べに行くという(笑)」と暴露し、会場を沸かせた。その後の進展は何もないという又吉は、報道陣から更なる追及を受けると「一見ギャルっぽいんですけど、しっかりお仕事をされている人でしたね」と明かし、次に会う予定はまだ立ってていないそうで、このままフェイドアウトするのではと質問が飛ぶと「なんて言っていいか分からないですけど、つながりはありますよ」と示唆的な発言。そんな又吉は、綾部について「コーナータイトルを言ったあとに、綾部さんがいつも変顔をしてくれるんですよ。最初は楽しいやつだと思っていたんですけど、最近分かったんですけど、たぶんクセなんですよ。それが分かってからすごく怖くなってきた」と、ストレスを感じていることを明かし、「これは1人では抱えきれないので、(ゲストコンビの)皆さんと共有したい」とパワーアップ後の番組を寄せた。トークバラエティ『ラジオな2人 リレー』は、全国無料のBSテレビ局・Dlifeにて10月4日(日)より毎週日曜日(23:55~)に放送。このほか、同会見にはブラックマヨネーズ(小杉竜一、吉田敬)、千鳥(大悟、ノブ)、ハリセンボン(近藤春菜、箕輪はるか)も出席した。
2015年09月04日お笑い芸人として初の快挙となる芥川賞を受賞したピースの又吉直樹が、フジテレビにて放送される「ほんとにあった怖い話・夏の特別編2015」にて、芥川賞受賞後初のドラマ出演、さらに自身初となるホラー作品への出演を飾ることが明らかとなった。1999年に放送スタートし、フジテレビ夏の風物詩となっているオムニバス形式のリアルホラードラマ「ほんとにあった怖い話(通称:ほん怖)」。本番組では、日本中から届いた本当に起きた心霊現象や不思議な体験を忠実にドラマで再現、恐怖VTRを見た「SMAP」の稲垣吾郎をナビゲータとした“ほん怖クラブ”のメンバーたちがスタジオで怖さを吹き飛ばすおまじないを唱えるのが定番となっている。又吉さんは、アパートで同じフロアに住む家族の秘密を描き、日常に潜む不可思議で怖い体験を描いた作品「つきあたりの家族」に出演。「“ほんとにあった怖い話”のシリーズは好きですね。(過去の作品も)よく見ていて、怖いものもあったり、あったかいものもあったりで好きだったので、この話が決まってうれしかったです」と初出演の喜びを口にした。芥川賞作家としてのドラマ出演は、「きれぎれ」(’11)で第123回芥川賞を受賞した町田康が「いま何待ち?」(2002年10月~2003年3月放送)に出演して以来となる。作家としての次回作にも注目が集まる又吉さんだが、ホラー作品への挑戦について話が及ぶと「ホラーは特殊な技術がいるということは聞いていて、そう簡単に書けるものではないことも分かってるんですけど、怖いものは割と好きなので、一回書いてみたいですね」と意欲をにじませた。“Jホラーの父”と呼ばれる鶴田法男監督が繰り出すリアリティーあふれる演出と、又吉さんや、玉森裕太(Kis-My-Ft2)を始めとする豪華俳優陣の出演による恐怖実話が見どころの「ほん怖」。「季節的にも(怖い話は)最高ですし、やっぱり怖い話を見て涼むっていうのもいいですし、不思議な話は家族で見てもひとりで見てもどこかワクワクするような魅力がありますし。期待して見ていただきたいと思います」と語る又吉さんが本編で体験する恐怖とは?寝苦しい夜が続くこの夏の、涼しいひとときとなりそうだ。「ほんとにあった怖い話・夏の特別編2015」は8月29日(土)21時~フジテレビにて放送。(text:cinemacafe.net)
2015年08月12日お笑いコンビ・ピースの又吉直樹が6月27日(土)、東京・台場で行われたフジテレビ深夜アニメ「乱歩奇譚 GAME of Laplace」の先行試写会に出席した。長編デビュー小説「火花」が芥川賞にノミネートされるなど“文豪芸人”として話題の又吉さんは、脚本への興味を聞かれると「脚本は難しいと思うし、やりたくない」と即答で否定。それでも「何の責任もなくて絶対にやらなアカンと言われたら『面白くない日常』というタイトルで、事件も何も起こらない普通の日常を書いてみたい。誰も見ないと思うけれど」とリアリズム重視の内容を妄想していた。同作は、没後50年となる作家・江戸川乱歩の持つ幻想的な世界観をアニメーション化。中学校で発生した教師バラバラ殺人事件の捜査に訪れた探偵・アケチの助手に名乗り出たコバヤシ少年が、数々の奇怪な事件に遭遇していく。初回は名作「人間椅子」にインスパイアされたミステリーが展開する。「人間椅子」を原作にしたショートフィルムを製作したことがある程の乱歩ファンという又吉さんは「今回のアニメ版は、原作の設定は一緒だけれど至る所で使い方が違う。耽美的という気持ち悪さが面白いし、登場人物にも惹かれるキャラクターが沢山いて、原作を知っていると『そういう角度できたか』と思うはず」と太鼓判。中性的に描かれるコバヤシ少年については「僕はアニメをほとんど見ないので知らないんですけれど、あれを“男の娘(オトコノコ)”って言うんですか……。勉強になりました」と衝撃を受けていた。また番組プロデューサーから直々に、同番組の“乱歩奇譚クラブ宣伝部長”に任命され、「僕で良ければぜひ!」と二つ返事で引き受けた又吉さんだったが、客席からの拍手がないのを気にしてか「皆さんが『お前か!?』みたいな感じになっているのが気になる」と静かに傷ついていた。フジテレビ深夜アニメ「乱歩奇譚 GAME of Laplace」は、7月2日24:55スタート。(text:cinemacafe.net)
2015年06月27日タレントで作家の又吉直樹が6月20日(土)、都内の書店で「芸人と俳人」(集英社)の刊行記念イベントを行った。又吉さんは著書「火花」が今年上半期の芥川賞候補となったばかり。多くの報道陣が駆けつけるなか、7月16日(木)の発表を前に心境を語った。芥川賞といえば、純文学作家の登竜門として国内で最も注目を集める文学賞。「うれしいですけど…不安もあります」といまの率直な思いを語り、「受賞するしないというよりは、(審査員に)どう読んでもらえるかという期待と怖さがある」と緊張しきり。それでも「いままで好きになった作家さんが、芥川賞に選ばれることも多いので…」と静かに闘志を燃やしていた。実は芥川賞候補になるには、主催の日本文学振興会から意思確認があるそうで、「正直、聞きなれない名前だったので、移動中にお電話をいただいたときは、何かしでかして、偉い人に怒られるんじゃないかと思った」のだとか。又吉さんの俳句入門として、2012年10月号からスタートさせた「すばる」でのコラム連載「ササる俳句 笑う俳句」をまとめた「芸人と俳人」。気鋭の俳人・堀本裕樹さんに弟子入りし、徐々に俳句の面白さに開眼する過程を追い、独自のセンスを生かした20句を超える実作俳句や、書き下ろしエッセイを収録している。「学生時代から興味があって、句集を買うのも好きでした。難しい句もあり『理解したいな』とずっと思っていた。基本的なルールを覚えればすごく楽しいですよ」(又吉さん)、「優秀な生徒さん。吸収が早いし、読書家でボキャブラリーが多いから、(俳句を詠むとき)役に立っているはず」(堀本さん)と良き師弟ぶりを披露していた。「芸人と俳人」は発売中。(text:cinemacafe.net)
2015年06月20日昨年大ヒットしたテレビドラマ『半沢直樹』シリーズ。その主人公は銀行員だが、大ヒットした理由としては、銀行という保守的なイメージが強い組織の中で、上司の圧力などを恐れず、自ら信じる正義を貫く姿に多くの視聴者が共感したことが挙げられるだろう。そこで思ったのが、日本初めての"ネット銀行"となったジャパンネット銀行を立ち上げるのに参画した銀行員たちのことだ。同行を設立した、当時のさくら銀行(現三井住友銀行)の立ち上げメンバーたちは、金融監督庁(現金融庁)との折衝や新銀行の方向性を巡っての銀行内での議論など、多くの困難と闘って新銀行を立ち上げたのではないか、という事だった。そこで、その立ち上げメンバーの一人で、現在ジャパンネット銀行の社長を務めている小村充広氏にインタビューさせていただくことにした。○ネット銀行設立というアイデアはどこから?――どういうきっかけで、新しい銀行をつくろうということになったのですか?当時のさくら銀行の岡田頭取が中心となり、新たな銀行のビジネスモデルを作ろうということになりました。従来のビジネスモデルにこだわらない特に個人向けの利便性の高いサービスということで、最終的には"三本の矢"ではないですが、ネット銀行、コンビニATM、消費者ローン、この3つをやっていこうと。ネット銀行については、ジャパンネット銀行という形で実現し、ローンに関してはアットローンという消費者ローンの専用会社をつくり、今はSMBCコンシューマーファイナンスという会社になっています。また、コンビニATMは、@BΛNKとしてam/pmの店舗にATMを出すということで実現しました。15年ほど前にスタートした企画が、現在では3つとも世の中に認知されています。――その"三本の矢"は、新たな収益源を求めて企画されたのですか?新しい銀行のビジネスモデルとして、お客様のニーズに合致して、かつ我々の収益源にもなるものということで企画されました。――そういう新しいビジネスモデルをつくろうという構想の中で、ネット銀行もその一つとしてあったということですね。小村社長はかなりアイディアマンでいらしたそうですが、もともとはマーケティングの部署にいらっしゃったんですか。商品開発やマーケティングが長く、預金商品の開発や、金利の自由化の対応、コールセンター、チャネルの開発などをやっていました。その後、総合企画部というところに行き、新銀行のモデルを作る新規事業を担当していました。○コンビニのような銀行を目指すため"ネット専業"を主張――ネット銀行をつくるにあたっては、専業にするかどうかという議論があったとお聞きしましたが、小村さんはどういう意見をお持ちだったのでしょうか?さくら銀行(現三井住友銀行)の中でネットバンキングをやってもよかったのですが…石田さんは、銀行の窓口って、最近だといつ行かれましたか?――最近、家を買ったときぐらいなので3年前ですね。そのときに、いろいろ借りるときの手続きで、1カ月の間、かなり頻繁に行ったことがあるのですが、そのほかはほとんど行ってないですね。行きたくて行くところではないですよね。しょうがなく行くところ。――そうかもしれないですね。行きたくないんです、銀行なんて。待たされるし、3時までしか開いていないし。一般の大勢の方にとって、本当に便利なのは銀行に行かなくて済むことですよね。――そうですね、確かに。お金をおろさなければいけないときは仕方がなくATMに行くけれど。ある意味、コンビニみたいな銀行を目指した方がいいのではないかと思ったわけです。――いつでも、どこでもですか。そう、いつでも、どこでも。さくら銀行(現三井住友銀行)の中で、インターネットバンキングサービスをするというよりも、コンビニのように特化した方が日常的な利便性を提供できるのではないかと。そういった利便性や、手軽さを提供するには、あえて専業で絞った方がいいし、加えてシステムも、これはコンビニでいうところの配送システムや店舗運営になるかと思いますが、百貨店のいろんな商品を扱っている仕組みと、コンビニのような限定された商品を置いているシステムとは、やはり後者のシステムのほうが柔軟性や早さを実現できます。いろんな商品を扱っている銀行の基幹システムではなくて、24時間、365日動いて、しかも柔軟で、開発するときも、ローコストでできるということを実現するためには専業の方がいいと思ったのです。――コンビニのような銀行をつくろうと思われたわけですね。そうですね。一生に1回しかないような住宅ローンというのは、メガバンクにお願いして、我々は日々の生活に必要なバンキングサービスを提供すればいいのではないかと。――銀行というところは保守的というイメージがあるのですが、小村社長が専業のネット銀行をつくろうと主張した際、社内的な壁はありましたか?意外とそうでもなかったですよ。もちろん、当然ながら法律は守らないといけないし、お客様あってのことですので、お客様に迷惑をかけてはいけないし、銀行としての道徳もありますが、そういったことさえ守ればやりたいことはできました。ただ、銀行に限らないと思いますが、打率って2割あれば十分なんです。サラリーマン社会だと、バットを振らないで見送り三振になってアンパイアに文句言う人がいるでしょう。でも文句を言う前に、まずバットを振ろうよと。イチローではないので打率3割5分なんて打てるわけがないのです。そのかわり、ボールを振ってはだめだし、あるいは大振りばっかりしていてもだめですけれども、まずバットを振るということと、打率は2割あったらいいと、そう思っています。ただし、8割の失敗の部分については、出血を抑えるためにはどうすればいいかをきちんと考えておかなければいけません。――ヒットを打つにはどうすればいいのでしょうか?社内を説得できるような材料を揃え、お客様のニーズをきちんと把握し、法律上の問題もクリアして、収益が一定程度は見込めて、という条件がそろえば、文句のつけようはないと思います。○新銀行設立にあたっての、金融監督庁(現金融庁)とのやり取りとは?――小村社長は、新しいネット専業銀行にはどういうビジョンを持っていらっしゃったのでしょうか?コンビニのような銀行を目指していましたので、預金、無担保ローン、決済、この3点でよく使ってもらえる銀行というビジョンを持っていました。――2000年10月に開業に至ったわけですが、新しい銀行を作るということで、金融監督庁(現金融庁)との折衝は大変でしたか?銀行免許ですか。――はい。新しい銀行をつくる上で、どの辺が金融監督庁(現金融庁)を説得させないといけない点だったのでしょうか?一つは、ネット専業銀行の社会的意義ということだと思います。――その辺は金融庁の人は理解してくれましたか。話していくうちにご理解はいただけるようになりました。――法的なクリアしなければいけない、免許をとるためにどんなものが求められるのでしょうか。行政側としては、社会的意義のほか、消費者に迷惑をかけずにメリットを与えるという点を重視していました。インターネットもまだその当時はダイヤルアップでしたし、iモードも文字ばかりの白黒でしたから、インターネット特有のリスクということに関し、どういう手段を用意しているのかということに尽きたのではないですかね。インターネットにはどういうリスクが潜在的にあるのか。それに対してどういう手を打つのか。もちろん、通常の銀行のリスク管理、コンプライアンス、市場リスク管理、オペレーショナルリスクなど、そういった点は、我々はさくら銀行(現三井住友銀行)から学ぶなり、専門家を連れてくるなりすればできるので。――初めてというところで、リスクを考えるのもそうだし、対策を考えるのも、想像力がかなり必要ですね。インターネットの、潜在的、顕在化しているリスクを銀行サービスに置き換えて、ではどういう手を打つのかということを、我々自身が考えなければいけなかったということですね。新しいイノベーションには付きものですよね、それは。恐らく、日本の銀行ではジャパンネット銀行が初めて、開業から預金通帳というものをなくしたのです。預金通帳をお持ちですか?――妻が持っていますが、私は持っていないです。要らないでしょう。――要らないです。細かいことを言うと、預金通帳をなくしたらどんなリスクがあるんだという、そういうことも含めて考えました。どこもやったことがないから。――確かに、預金通帳をなくすことでどんなリスクがあるのでしょう。紙に記載されたものがないので、電子的にサーバーに保管するとか、そんな感じで対策するものですか。一つは相続で困るのではないかと。これまでだと、誰かが亡くなったときには引き出しの中から預金通帳が出てきて、預金があったことに家族が気づいて銀行に電話しますよね。それをどうするんだとかね。――それらの対策はどうなんですか。僕は預金通帳をなくしたかったのです。お客様の利便性からしてもコストからしても。ただそういった相続などの懸念の対策として、キャッシュカードは全員に配ることにしました。また、スターターキットに綴じ込み用紙のようなものをつくって、ATMから出てきた紙を綴じておくことができる、それで代用していこうということにしました。――スターターキットの綴じ込み用紙は誰も使っていないかもしれないですね。ただ、そういう対策は必要だったわけですね。当時は必要だった。ただ今みたいにネットが当たり前になってくると、利用する側のほうが対策を考えますからね。いまや預金通帳に限らず、旅行でも飛行機のチケットはeチケットを使いますよね。――そういう形で免許をとるために金融庁当局と議論を重ねていったわけなんですね。議論というよりも、新しいことをやろうと思うと、リスクを自分たちの責任において考えなければいけないということです。A、B、Cというリスクが考えられるけれども、Aに対してはこういう手を打とう、Bに対してはこういう手を打とうと、説明してご理解していただくということです。――金融監督庁の人も、これどうなの、これどうなのということはあったのでしょうけれども。本当に支店がなくて大丈夫なんですかとか。大阪になくていいのかとか、そういう心配事がいっぱい出てくるわけですよ。――本当に支店がなくて大丈夫かというのは、どう答えられたのですか。支店がないのがウリですし、逆にいうと何で支店が必要なんですかと。――人が来なくていい銀行なのに、支店はいりませんと。行かないのに作っても仕方がないですよね。電話とメールとインターネットで十分事足りるんです。その分ローコストにして、お客様の手数料を安くとか、金利をよくということで還元していくことが、ある意味でネット専業銀行の社会的意義ですので、支店をいっぱい作ったら意味がなくなってしまいますよね。――今おっしゃっているような形で、ひとつひとつクリアしていかれたわけですね。前例がないものを、銀行のような組織の中でやるというのはかなり大変だったとご推察しますが、今の小村さんの感じだと楽しんでやってらっしゃったのかなという感じもするのですが。壁があるのは、金融庁、金融監督庁に限らず、どんなものでも壁はありますよね。それを乗り越えないと何も始まらないですね。○真正面から突破するのではなく、人間力で明るく突破――壁を突破する人間力というか、そういうのが必要なわけですね。人間力ではないですけど、明るいほうがいいかもしれないですね。壁がありますでしょう。この壁をどうやって突破しようかと思うときに、あまり真正面から行ってもしょうがないので、横から行ってみようとか、走りぬけようかとか、地下を掘ってみようとか、そういうふうに思う人のほうがいいかもしれないですね。真正面から突破しようとしていたらくたびれるし、楽しくないでしょう。――晴れて開業となった後ですが、いろいろな記事などを見ると、最初は銀行口座の開設がばっと上がったけれども、途中で停滞した時期もあったということですが。最初はテレビコマーシャルも含めて広告を出しました。お客様も珍しさもあって口座開設してくださったのですが、だんだん下火になってきまして、いろいろやっても空振りばかりで当たらなくて。そこでわかってきたのが、ネットの社会では自分で自分を勧めてもだめだということ。ジャパンネット銀行が、「ジャパンネット銀行はいいですよ」と言ってもなかなかお客様の背中を押すことにはならないのです。――自分で自分の背中を押せない。自分で自分のことをPRしてもよくなくて、第三者がジャパンネット銀行はいいよと言ってくれるほうがとても効果があるんです。自分たちが広告を出してもあまり信用してくれない、効果が薄い。やはりファクトがないとだめです。便利とか、安いとか、そういうファクトがあって、第三者がいいよと言ってくれることが重要です。2001年にヤフーオークションのオフィシャルバンクになり、それがいろいろなネットの掲示板に出て、広まっていきました。――当初は広告を打ったりされていたけれども、ネットの世界は違うと。ネットのマーケティングには、ファクトと、口コミ、連携が必要だということですね。さっきの答えと一緒ですが、銀行は言ってみれば裏方です。銀行のホームページって、見ますか?――見ないです。見ないですよね。株とか、外貨預金なんかは面白いかもしれないけれども、定期預金なんて見ても金利は変わらないんだから面白くないでしょう。車好きな人はトヨタのホームページを見ていたら楽しいし、ヤフーのホームページを見ていたら面白い、楽天だって面白い。だけど、銀行のホームページを楽しんで見る人は少ないと思います。――そうかもしれないですね。あくまで主役は消費であって、ネットでショッピングをするとか、オークションをするとか、公営競技の投票をするというのが主役なのです。そして、極力意識することなく便利に決済ができるというほうがお客様にとってはいいわけです。だから主役とどう提携するかというのが大切でした。オークションや公営競技で提携して、そこに便利な決済スキーム、あまり意識しないでも決済できるような仕組みを提供すれば、おのずとジャパンネット銀行の口座が必要になるし、そうなるようにしてきました。オレがオレが、ではなくて、こすったら出てくるくらいでちょうどいいのです。○主戦場はネット、ジャパンネット銀行の責務――昨年社長となられてまた一層ネット銀行とのかかわりがかなり深くなられたわけですが、今後のビジョンをお聞かせいただいてもよろしいですか。やり切れていないです。それこそ、メガバンクのインターネットバンキングサービスとネット専業銀行の違いは何ですかということを聞かれた場合に、細かいところは説明できます。ですが、一般のお客様がネット専業銀行とは何なのかと認識するレベルにまではいっていないんです。たとえば、みなさんはスーパーとコンビニの違いをご存知です。スーパーとはこんなもので、コンビニとはこんなものだとご自分で定義づけていますね。まだそこまでいっていないです。新規参入銀行の中でも僕は2種類あると思っています。メガバンクがネット専業銀行をつくるのと、銀行業界以外の企業が銀行をつくるのとでは意味、目的が違うんです。メガバンクがネット専業銀行をつくるのは、ネット市場に進出するためにつくっているのです。ネットユーザーを取り込もうとしてつくっているのです。だからあくまで主戦場はネットです。他業種から参入された企業は、恐らく銀行業に参入するために形態として選んだということでしょう。ジャパンネット銀行はメガバンクがつくったネット専業銀行で、僕らはコンビニになりたいわけです。スーパーや百貨店になったら意味がないのですね。なので、純粋なネット専業銀行という意味で、僕は、いつでもどこでも誰でも、ということが必要だと思っています。そして、それをやるのはネット専業銀行というより、ジャパンネット銀行の責務だと思います。――やはり、パイオニアとしての自負ですね。本日はありがとうございました。
2014年02月06日タワーレコードは4日、同社の意見広告シリーズ「NO MUSIC, NO LIFE?」として、冨田勲、Lamp、MAN WITH A MISSION、憂歌兄弟の4組がそれぞれ登場する最新ポスターを発表した。Lamp、MAN WITH A MISSIONのポスターは同日より、冨田勲、憂歌兄弟のポスターは2月15日より、タワーレコード全店およびTOWERmini店頭にて順次掲出される。今回発表されたのは、宮沢賢治の世界を音で描く『イーハトーヴ交響曲』に初音ミクを起用したことでも話題になった作曲家/シンセサイザー奏者の冨田勲氏をはじめ、気鋭の3人組バンド「Lamp」、全米デビューも決定したロックバンド「MAN WITH A MISSION」、伝説のブルースバンド「憂歌団」の木村充揮と内田勘太郎による音楽ユニット「憂歌兄弟」の4組がそれぞれ登場するポスター。いずれも店頭にて掲出されるほか、各アーティストが3月に発売する最新作を同店にて購入すると、抽選でそのアーティストのポスターが当たる応募ハガキがもらえるとのこと。なお、タワーレコード・オンライン内の「『NO MUSIC, NO LIFE?』ポスターギャラリー」では、今回のメイキングレポートやインタビュー&メイキングムービーも順次公開される予定(MAN WITH A MISSIONは除く)。さらに、Lampのポスター出演を記念したコラボTシャツ「151 Lamp NO MUSIC, NO LIFE. T-shirt」もタワーレコード・オンラインにて発売される。全5サイズ展開で価格は3,150円。発売日は3月31日(2月25日より予約開始)。
2014年02月04日すでに今夏ドラマ1番のヒットとも言われているTBSドラマ『半沢直樹』。老若男女から支持を集めていますが、そんな中ちらほら聞こえてくるのが「『半沢直樹』の堺雅人がたまらない!大好き!」という女性の声。半沢直樹は、その言動でサラリーマンをスカッとさせながら、一方で世の女性たちをキュンとさせてもいるのです。今回は20代の女性たちに行ったアンケートをもとに「『半沢直樹』に見る!不倫願望を掻き立てる上司の特徴」をお教えします。半沢直樹が上司だったら嬉しいですが、同時にちょっとキケンでもあるみたいです。■1.元・剣道部「半沢直樹は、慶応義塾大学経済学部卒で体育会剣道部という高スペック。ドラマの中でもかっこいい剣道シーンがあって、思わず見入ってしまった。武道に長けている人は素敵。」(22歳・大学生)一本筋の通った感じがある「武道」は、やはり女子人気抜群。ほどよく筋肉のついた体も、とても魅力的です。ちなみに、逆に惹かれない運動部は何かと聞いたところ、「バドミントン」「卓球」「テニス」「柔道」といった名前が挙がりました。どうやらユニフォーム姿がかっこいいスポーツは強いようです。■2.ワイルドなところがある「そもそもドラマのキャッチコピーは「クソ上司め、覚えていやがれ!」。半沢直樹は、敵のことを容赦なく叩きのめすんだけど、そんなところがワイルドで良い。たまに見せる野獣のような笑顔にゾクッとする。」(25歳・小売り)男性の草食化が叫ばれて久しいですが、やっぱり女が根底で求めているのはこういう「男らしさ」なのです。半沢直樹の、狂気すらはらんだワル~イ笑顔には、誰もが思わずドキドキ。堺雅人の普段の顔は柔和で優しげなだけに、ドラマだけで見せるワイルドさが女心をぐっと掴みます。不倫相手には、こういう男らしいワルさを求めてしまうものなのかもしれません。■3.頭がキレる「ドラマを見るたびに惚れ直すのが、半沢直樹の頭の良さ。こんな人になら手の平の上で転がされてもいい。しかも決して他人に付け入る隙を与えないから、不倫関係になっても上手く周りをだましてくれそう。」(27歳・マスコミ)不倫相手に求めるカッコ良さの中でも、一番大切なのはやっぱり「頭の良さ」。人として尊敬できる相手だからこそ、危険な橋を渡ってでも会いたいわけです。もしドラマのような頭脳選を目の前で繰り広げられたら、女としてはたまらないですよね。■4.部下に優しい「敵には鬼のような顔も見せる半沢直樹だけど、部下には本当に優しい。あの優しさで接せられたら、好きになる自信がある。」(24歳・事務)第三話での「中西。お前洋食派?和食派?」には癒されました。厳しい顔で戦いながらも、守るべきものは本気で守る姿にキュンとします。「甘い」のではなく「優しい」というのがポイントですね。■5.ほんわかした面がある「下手な関西弁使ったり、パンを口いっぱいに頬張ったり、奥さんに頭を撫でてもらったり、半沢直樹がふと見せるほんわかした一面がたまらなく好き。普段は男らしいのにたまにカワイイ人は魅力的。」(25歳・飲食)神経を張りつめさせた精悍な顔を見せていたかと思えば、ふとした瞬間にとぼけた顔や言動を見せたりするのが半沢直樹の魅力。女性が持つ「母性」をぐいぐい刺激してきます。不倫相手を切らせない男性は、こういうかわいらしさを持った人なのかもしれません。■さいごに色々な魅力がたっぷり詰まった半沢直樹。一回観たら虜になること間違いなしです。現実では素敵な上司に恵まれていなくても、半沢直樹との脳内不倫で女子力アップできちゃうかもしれません。(小嶋もも/ハウコレ)
2013年08月05日56万部を突破した三浦しをん氏の同名小説を松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョーらを迎えて映画化する『舟を編む』に、ピースの又吉直樹、麻生久美子らが出演することが発表された。その他の写真本作は、ある出版社の辞書編集部を舞台に、新しい辞書“大渡海(だいとかい)”の製作に奮闘する編集者たちの姿を描いた作品。又吉と麻生は、松田演じる変わり者の編集者・馬締光也を中心とした個性豊かな編集部のメンバーと関わる、辞書の装丁デザイナー上田役(又吉)と、『大渡海』をPRする役割を担う女優役(麻生)を演じる。さらに、編集部と共に辞書を作り上げていく登場人物として、宇野祥平、波岡一喜、森岡龍、斎藤嘉樹の名前も発表された。読書家として知られ、執筆活動も行っている又吉は、「辞書を読むのは好きですね。家に国語辞典だけで4、5冊あります」と、広辞苑など多数の辞書を愛用する無類の本好きだという。「今のコンビ名“ピース”も、なかなか思い浮かばなかったので、カタカナ語辞典で適当に開いて指さした単語にしようと思ったら“スカベンジャー”って出て。でも意味を見たら“ウジ虫”って書いてあって、『絶対あかんやん』ってやめたんですけど」と明かす。「日常的に辞書は引いてきました」という又吉は、「辞書作りの人のことまでは考えたことなかったので、すごい面白いなと思いました。辞書作りって、共通認識を作っていく仕事なんですよね。『アイス食べたいけど、太るからどうしよう』みたいな、言葉では言い表せられない、“精神内部で感情がぶつかり合うこの感じ”って思っていたら、『それ“葛藤”やで』って、みんなが一発でわかるように言葉を決定していくイメージ。言葉にならない感情を言っていって、横から言葉にしていくっていうものだと感じました。松田さんとオダギリさんは、やっぱり雰囲気があって声が心地よかったです」と語っていた。『舟を編む』2013年4月13日(土)丸の内ピカデリーほか全国公開
2012年12月19日世界的に活躍する作曲家・冨田勲の新制作「イーハトーヴ」交響曲・世界初演公演の制作発表が8月27日に都内で開催。ヴァーチャルシンガー、初音ミクの出演が発表された。冨田勲新制作交響曲「イーハトーヴ」世界初演の公演情報冨田勲は、シンセサイザーの可能性にいち早く着目するなど、独創的な音楽技法を追求し続け、特に電子音楽の分野で世界的評価を得てきた。1974年よりビルボード・クラシカルアルバムチャート連続第1位(『月の光』、『展覧会の絵』、『惑星』)を獲得。日本人として初めてグラミー賞4部門にノミネートされるなど、音楽シーンの最先端を歩んできた。今年80歳を迎えた世界的巨匠が新制作する「イーハトーヴ」は、構想に10余年をかけた大作。『注文の多い料理店』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『雨にも負けず』など、宮沢賢治の作品を題材にして、人間や自然を超越した宇宙的な力を音楽で描くという壮大なものだ。今回の制作発表でのビッグニュースは、何といってもヴァーチャルシンガー、初音ミクの起用だろう。作曲者自身の熱烈オファーにより実現したという驚きのコラボ。PC用の音声合成ソフトの一種である初音ミクが、冨田勲の交響曲の中でどのように登場するのか。記者会見では『注文の多い料理店』を題材にした楽曲「猫のレストラン」を例にあげて、構想の一端が明かされた。「料理店(山猫軒)の中に人は出てこない。声だけはどこかから聞こえてくるけれど、ボーイの案内もない。色々な部屋に通されて、結局は自分たちが食われるということ分かる。逃げ出そうとしたけれど逃げられない。そこで、突然サーカスみたいな音楽とともに初音ミクが出てきて『わたしは初音ミク、かりそめのボディ』と歌うんです。ミクロの世界、パソコンの中にしかいられないミクが、もうあなた方も出られないんですよ、と暗示する訳です」他にも『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』などの楽曲の重要なポイントで登場するという。「異次元からきた、何者か分からないもの、宮沢賢治の世界観を表現するには初音ミクしかないんです」と、起用の理由を冨田勲は熱く語った。これまでの初音ミクのコンサートといえば、事前にCGで作成したミクのパフォーマンス動画に合わせて、バンドやコーラスが演奏するというスタイル。今回は逆に、大友直人の指揮、日本フィルハーモニー交響楽団と合唱団の総勢300名の演奏に合わせて、初音ミクがライブで歌い、踊るという新しい試みになる。「技術的なハードルが高いですが、目処は立ってきました。電子音楽の歴史に残る冨田先生と初音ミクのコラボは、非常に野心的な試みです」と、初音ミクを手がけるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之も意気込みを語る。冨田勲新制作交響曲「イーハトーヴ」世界初演は、11月23日(金・祝)に東京オペラシティ コンサートホール(東京都)で開催。チケットは発売中。
2012年08月29日日本が世界に誇る作曲家・編曲者・シンセイサイザー奏者の冨田勲による新制作交響曲「イーハトーヴ」が、11月に世界初演されることが決定した。冨田勲新制作交響曲「イーハトーブ」世界初演の公演情報1950年代より、数々のテレビ番組、コマーシャルや映画、手塚治虫のアニメーション作品などで音楽を担当し、多くの名曲を生み出してきた冨田勲。また、日本の電子音楽の草分け的存在としても活躍。シンセサイザーを駆使した「管弦楽曲の電子音による再創造」という独自の芸術手法は、世界各国で高い評価を得、アルバム『月の光』(1975年)、『展覧会の絵』(1976年)、『惑星』(1977年)は全米ビルボードクラシカルアルバムチャート第1位を獲得。日本人で初めてグラミー賞にノミネートされ、多くのアーティストに影響を与えてきた。40年以上にわたり新たな音楽を開拓し続け、80歳の節目を迎えた冨田勲が、新たに世界に向けて発信する新曲は、宮沢賢治による造語「イーハトーヴ」(※)をタイトルにした交響曲だ。宮沢賢治の精神、東北の大自然、そして冨田勲の音楽が、フルオーケストラと大合唱が織り成す演奏で壮大に描かれる。冨田勲新制作交響曲「イーハトーヴ」世界初演は、11月23日(金・祝)に東京オペラシティ コンサートホール(東京都)で開催。指揮は大友直人、演奏は日本フィルハーモニー交響楽団が担当する。チケットの一般発売は6月23日(土)10時より。また一般発売に先駆け、6月16日(土)10時よりチケットぴあで最速先行が受付開始となる。※イーハトーヴ…宮沢賢治の造語。宮沢賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉で、故郷の岩手県をモチーフにしたと言われている。
2012年06月15日東日本旅客鉄道(JR東日本)は15日、取締役会にて代表取締役の異動などを決議したことを発表した。代表取締役社長には冨田哲郎氏が就任し、現社長の清野智氏は取締役会長、現会長の大塚陸毅氏は相談役となる。冨田氏は1951(昭和26)年10月10日生まれ(60歳)。2000年6月に取締役総合企画本部経営管理部長に就任した後、常務取締役総合企画本部副本部長などを経て、2008年6月より代表取締役副社長に。新役職は代表取締役社長 総合企画本部長で、就任予定日は2012年4月1日となっている。今回の役員人事について、同社は、「国鉄改革・会社発足から丸25年が経過し、新たな四半世紀を迎えることとなります。この節目にあたり、体制の若返りを図ることとしました」と発表している。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年02月15日お笑い界きっての本読み、ピース又吉直樹の本にまつわるエッセイ集『第2図書係補佐』が、この度発売された。劇場「ヨシモト∞ホール」のフリーペーパーへの連載分(2006年~2009年)に新たに書き下ろしを加え、尾崎放哉、太宰治から穂村弘、町田康まで47の作品を紹介している。また、芥川賞作家・中村文則との対談も実現。人気芸人でありながら、よしもとの太宰治との異名ももつ又吉直樹の、独特な世界観を楽しめる『第2図書係補佐』は、一見の価値ありだ。本書「はじめに」より抜粋タイトルは『第2図書係補佐』。「第2」で、しかも「補佐」。僕の役割は本の解説や批評ではありません。僕にそんな能力はありません。心血注いで書かれた作家様や、その作品に対して命をかけ心中覚悟で批評する書評家の皆様にも失礼だと思います。だから、僕は自分の生活の傍らに常に本という存在があることを書こうと思いました。本を読んだから思い出せたこと。本を読んだから思い付いたこと。本を読んだから救われたこと。 もう何年も本に助けられてばかりの僕ですが、本書で紹介させていただいた本に皆様が興味を持っていただけたら幸いです。 第2図書係補佐 著者:又吉直樹発売日:2011年11月22日(火)価格:¥520
2011年11月29日なぞ多き"ともだち”に迫る!!映画、マンガ、アニメなどでだれもが一度は浦沢直樹さんの作品を見たことがあるのではないでしょうか?浦沢さんの作風はスポ根からSF、ミステリーまで多岐にわたり、女性にとっても魅力的な作品が多数あります。そこで20代女性に「THE浦沢直樹作品」と思うマンガを聞いてみました。>>男性編も見るQ.THE浦沢直樹のマンガと言えば?(複数回答)1位『20世紀少年/21世紀少年』62.3%2位『YAWARA!』37.0%3位『MONSTER』22.3%4位『PLUTO』10.7%5位『MASTERキートン』9.7%■浦沢直樹マンガといえば『20世紀少年/21世紀少年』!!・「映画を見る前に読んだらはまってしまい、寝る間も惜しんで読んだから」(29歳/機械・精密機器/秘書・アシスタント職)・「映画になったことで、一番知名度があると思うから」(28歳/情報・IT/技術職)・「浦沢先生の知名度を押し上げた作品だと思うから」(27歳/建設・土木/事務系専門職)・「ストーリーの続きが待てないほど、なぞが多く面白い」(25歳/情報・IT/技術職)・「一気読みして、作者は本当に天才だと思った」(27歳/金属・鉄鋼・化学/営業職)■浦沢直樹マンガといえば『YAWARA!』!!・「なんといっても『YAWARA!』。ほかの作品も好きだし、暗い雰囲気も嫌いじゃないけど、この柔ちゃんのかわいさはどの作品にも勝る!」(23歳/金融・証券/販売職・サービス系)・「読んで柔道が好きになった。『等身大の女の子ってこうだよね』と、つくづく感じます」(28歳/通信/営業職)・「小学生のときに一番はじめに読んだこともあり、柔ちゃんの真っすぐさが胸に突き刺さった」(24歳/小売店/販売職・サービス系)・「これを見てうっかり柔道部に入ってしまった」(27歳/医療・福祉/専門職)■浦沢直樹マンガといえば『MONSTER』!!・「話が単純じゃなくて、すごく凝っているところがいい!!毎回ドキドキさせられます」(24歳/医療・福祉/専門職)・「ストーリーの構成と展開がしっかりしていて面白いから」(24歳/ホテル・旅行・アミューズメント/販売職・サービス系)・「話が難しいけどスリルがあって面白かったから」(29歳/小売店/販売職・サービス系)■浦沢直樹マンガといえば『PLUTO』!!・「マンガが特に好きというわけでもない子が絶賛していたから」(22歳/その他/専門職)・「『鉄腕アトム』をモチーフにしていて、とても興味深い」(25歳/医療・福祉/事務系専門職)・「面白い!! 『鉄腕アトム』をあまり知らなくても楽しめた」(27歳/学校・教育関連)■浦沢直樹マンガといえば『MASTERキートン』!!・「1話完結という短いストーリーなのに完ぺきすぎる。ほかの作品の方がはるかに有名かもしれないが、一番オススメはこれ」(24歳/その他/事務系専門職)・「かた苦しい考古学ではなく、とても面白いと思います」(25歳/医薬品・化粧品/専門職)・「深夜にテレビでアニメを放映していて、楽しみにしていた」(28歳/その他/事務系専門職)■番外編:浦沢直樹マンガといえばこのマンガ!!・『Happy!』:「スポーツマンガで女の子が一生懸命成長していく物語。『これぞ青春、浦沢直樹だなぁ』と感じる」(25歳/自動車関連/秘書・アシスタント職)・『踊る警官』:「友達とまわし読みをしていた」(24歳/医薬品・化粧品/事務系専門職)総評62%の支持を得て見事1位に選ばれたのは『20世紀少年/21世紀少年』。3部作の実写映画も公開されたことで「一番知名度がある」という意見が多数でした。「一気読みしてしまった」、「寝る間も惜しんで読んだ」という人がいるほど、ドキドキハラハラのストーリーを作れる浦沢さんに対して「天才!」と絶賛する声も多く寄せられました。2位は、スポーツマンガの『YAWARA!』。男性の作者ながら「等身大の女の子ってこうだよね」と女子から共感される物語になっています。これを読んで「柔道が好きになった」、「柔道部に入った」という意見も。谷亮子選手の愛称となった"柔ちゃん”もこの主人公が元になっているのは有名な話です。第3回手塚治虫文化賞、第46回小学館漫画賞を受賞した『MONSTER』は3位。"スリル”と"凝ったストーリー”は浦沢作品の定番となっていますが、その中でもサスペンス要素が強く、児童虐待や東西冷戦など深刻なテーマをしっかり扱った重厚な作品です。4位は手塚治虫原作の『鉄腕アトム』のエピソードをモチーフにリメイクした『PLUTO』。続く5位は保険調査員の活躍を描いた『MASTERキートン』。「一番有名ではないかもしれないけれど、面白いのはこれ」という意見がありました。映画化されたこともあり、知名度の高い『20世紀少年/21世紀少年』が1位に。1986年から1993年まで連載が続いた『YAWARA!』は、アニメ化されたことが知名度と人気に影響を与えているようです。オリンピックのたびに"柔ちゃん”を思い出してしまいますよね。『YAWARA!』のようなさわやかなスポ根マンガからサスペンス、SFなど多彩な作品が描ける浦沢さんには、これからも日本のマンガ界を引っ張ってもらいたいですね。(文・飯塚雪/C-side)調査時期:2011年8月2日~8月16日調査対象:COBS ONLINE会員調査数:女性542名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【ランキング女性編】「声まねしてみたい」と思ったことのあるアニメキャラランキング【ランキング女性編】自分の肖像画を描いてほしい週刊少年ジャンプの漫画家ランキング【ランキング女性編】小学生のころ大好きだったマンガランキング完全版(画像などあり)を見る
2011年10月24日