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私は第1子を里帰り出産することにしました。初めての出産で不安なことと、母の希望もあって決めた里帰り出産。出産予定日の前後3カ月間を実家で過ごしたのですが、快適である反面ストレスが溜まることもあり……。久しぶりの実家での生活産院を転院する関係で、私は出産予定日の2カ月前から実家へ帰ることにしました。実家で長く生活するのは、高校を卒業して以来約10年ぶりのこと。夫を家にひとり残すのはちょっぴり心配でしたが、久しぶりの実家生活をとても楽しみにしていました。 産院は実家から近く、何かあったらすぐに駆けつけてくれる親戚も近くにいました。また、何よりもごはんを作らなくていい実家生活は、妊娠後期で体が重かった私にとって快適なものでした。 「水道光熱費が増えた」と小言が…無事に長男を出産した私は、退院して実家へと戻りました。慣れない育児、眠気と闘いながらボサボサ頭のまま長男のお世話をしていた私。ごはんを作ってくれる母、少しの間でも長男の面倒を見てくれる父の存在は、ありがたいものでした。しかしあるとき、母に「水道代が高い! 先月からすごく増えた!」と言われたのです。 確かに、里帰り中は家にいることが多く……。父と母の2人のときよりも、水道の使用量は増えると思います。トイレも膀胱が圧迫されるせいか1日10回は行っていました。増えた理由を話しても母は納得がいかないようで、「節約するように」と念を押されてしまいました。 電話しただけで大激怒に発展私が里帰りをしてからの水道光熱費が跳ね上がっていることを知った母は、いろいろなことに対して過敏に反応するようになりました。私のスマホが不調だったので実家の電話を使っていたら、「いつまで電話してるの! お金がかかる!」とものすごい剣幕で激怒されたこともあります。 産後1カ月は湯船につかれないため、毎日シャワーを15分程度使っていたら「シャワー使い過ぎじゃない?」と言われたこともあります。私はそんな母の小言に産後の疲れも加わり、とてもストレスを感じるようになってしまいました。おそらく母も同じようにストレスを感じていたと思います。 自宅へ帰る日に“あること”を実行そして長男の生後1カ健診が終わった日、自宅に帰ることになりました。その日に私が里帰りしたことで増えてしまった水道光熱費と食費として、10万円を母に渡しました。この10万は最初から渡そうと思っていたお金でしたが、里帰り中の母の小言を聞いて「絶対渡さなきゃ!」と思った10万でもあります。 お金をもらえると思っていなかった母は、これまでの自分の言動を申し訳なく思ったのか「ごめんね」と一言。そしてどこか納得したような表情を浮かべていました。 今回の里帰り出産で、親子間であってもお金の取り決めが必要だということ、お金を渡す旨も伝えておいたほうがいいということを学びました。そうすることで、私だけでなく、母のストレスも減らすことができたのではないかと感じています。 イラスト/森田家著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。復職に向けて資格取得を目指している。
2024年06月27日私の義母はとても穏やかでやさしい人です。不妊治療で第1子を授かったときはとても喜んでくれ、私が不調のときに通勤の送迎をしてくれたり食事を作ってくれたりと、たくさんお世話になりました。けれど、初めての出産を経験するにあたり、自分のことでいっぱいになった私は義母に対していろいろと不満を募らせてゆき……。陣痛中に差し入れされた驚きの物!私は出産予定日を過ぎても子宮口がなかなか開かなかったため、入院して陣痛誘発剤を使って出産する予定でした。結局入院予定日の前日に陣痛が来たため、ひとりでそのまま入院したのですが、入院したことを義母に連絡するとまさかのお見舞いに。 何をしにきたのかと思ったら、だるまを届けにきたとのこと。「今のタイミングでだるま!?」 と驚いたのを今でも覚えています。 出産後はほぼ毎日お見舞いに義母の家から病院が近いということもあり、義母と義父は出産直後にお見舞いにきてくれました。そこまではよかったのですが、入院中ほぼ毎日お見舞いに。狭い病室に生まれた直後の娘と義母と私の3人きり……。きてくれてありがたいのに、なぜか産んだ直後は 「起き上がって接しなければならない」 という気持ちのほうが強く、つらく感じてしまいました。 気にかけてもらえることはありがたいけれど、入院中は沐浴実習や母乳マッサージ、友人との面会などいろいろと予定が入っていたため、もう少し休みたいと感じたことを覚えています。 まさか!? バスタオルに文句一番衝撃だったのは、入院中、おくるみ代わりに使っていたバスタオルに文句を言われたことです。私が直接言われたわけではないのですが、病室に来ていた夫の携帯電話に連絡があり、「まだあのベージュのバスタオル使っているの?」 と言われたのです。 バスタオルがベージュだったため、義母にはおくるみとしてふさわしくないと感じたのかもしれません。電話を受けたときは汚れたために白いブランドのバスタオルに交換済みで、そのことを伝えると安心していたようです。なんでそんなことを言うんだろう……と無性に悲しくなって夜中に号泣しました。連日の睡眠不足でネガティブになっていたのだと思います。 初めての出産による不安や睡眠不足で私の気持ちが不安定だったこともあり、普段なら何も感じないことも悪い方向に受け止めてしまう時期でした。4年以上経った今では 「そんなこともあったなぁ」 と思える出来事です。 イラスト/imasaku著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月23日私には2人の息子がいます。次男を出産するとき、子宮口は順調に開いたものの破水はなかなかしませんでした。いよいよ人工破膜をしなくては、というタイミングで、思いもよらないことが起こったのです。2度目の出産だからと高をくくっていた私が、助産師さんまでをも巻き込んでしまった、次男出産時の恥ずかしかった体験談をお話しします。順調に開いていく子宮口私が長男を出産したときは、病院へ着いてから1時間もたたないうちに、第1子と思えないほどあっという間に生まれてきました。 次男妊娠中もこれといって問題はなく順調でした。2人目の出産でもあり、痛みにもわりと強いタイプだったので、私は陣痛が始まっても「夕飯を食べてから病院へ行こう」と考えられるほど余裕があったのです。 陣痛の間隔が短くなり、病院へ行くとすでに子宮口は7cm。痛みはあるものの、私はもうすぐ生まれてくるという高揚感でいっぱいでした。 なかなか破水しなくて…しかし、病院について1時間ほどたっても破水しません。子宮口は時間が経つにつれて広がっていきます。子宮口が広がるとともに、私はいきみたい気持ちになっていきました。いきみ逃しも限界だと思っていたところ、助産師さんが独り言のようにこう言いました。「人工破膜をしたほうが良いみたいね……」と。 人工破膜とは、文字通り人工的に膜を破り破水させることです。助産師さんが子宮口を確認しようと身をかがめたそのとき、思いもよらないことが起こりました。 人工破膜の前に、まさかの…!?バッシャーン! なんと、その瞬間に勢いよく破水したのです。それは、まるで大きな水風船が割れたかのような激しさでした。 身をかがめていた助産師さんの顔面は羊水だらけで、シャワーをかけられたかのようにびしょ濡れに。私は陣痛の痛みを感じつつも、恥ずかしさと申し訳なさで顔から火が出そうでした。何度も謝る私に、助産師さんは笑顔で「気にしないで!」と答えてくれました。 破水後、私は次男を無事に出産しました。「2人目だし、大丈夫」と高をくくっていた私。まさか羊水を助産師さんの顔面にかけてしまうとは思いませんでした。嫌な顔ひとつせず、最後まで気丈に私の出産をサポートしてくれた助産師さんに、感謝しています。こんな赤っ恥エピソードですが、今では良い思い出です。 著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月14日第2子出産後の衝撃エピソードです。1人目がなかなかできなかったので、2人目は計画より早く準備をしていました。しかし思ったより早く妊娠し、出産もスムーズでした。このまま順調に育っていくのだと思っていましたが……。すべて順調だと思っていたけれど…2人目が生まれ、当時2歳の兄も大喜び。「触りたい触りたい!」との欲求がすごく、まだ力加減もわかっていないので親もヒヤヒヤ。それでも幸せな時間が過ぎていました。 産院で産後3日目に新生児聴覚スクリーニングの検査が任意であり、夫に「どうする? お金かかるしなあ。きっと大丈夫やと思うけれど……」と聞くと、「大丈夫やけどまあ受けといたら?」と言われたので、軽い気持ちで受けることにしました。 検査当日。次男を預け、私はひとときの休息。産後のスライム腹を眺め、またダイエットしないとなぁとげんなり。そういえば、次男がなかなか戻ってこないと思っていると、30分経過していました。するとスタッフさんに「お待たせしましたー! なんかうまく検査できなくて、翌日また見せてもらいますねー!」と軽いノリで言われ、私も「ちゃんと大人しくしないとだめだぞー」と次男を指でツンツンしながら微笑ましく見つめていました。 しかし、そのあとも検査するたびに「なんか起きちゃってー、うまくできなくてごめんなさいね」と言われ、スタッフさんも少しずつ不安そうに私と次男を見つめるようになりました。結局、退院時にまた連絡してもらうことに。 1カ月健診での再検査退院の日。先生には1カ月健診でもう一度調べましょうと言われ、スタッフさんも「きっと大丈夫、大丈夫よ」と微笑んで励ましてくれました。 とはいえ、産後でメンタルが不安定だったこともあり、「もしかしたら聞こえてないかもしれない!」と不安でいっぱいに。スマホで検索魔になったり、音を出して次男の反応の見たりして一喜一憂する日々。「大丈夫、きっと大丈夫」。そう信じ、再検査の日を迎えました。 ドキドキしながら結果を待っていると、診察室に呼ばれ中へ。「先生、聞こえていましたよね? 大丈夫ですよね?」とヘラヘラする私に先生は、「赤ちゃん、もしかしたら聞こえてないかもしれません。生後3カ月になったら大きい病院で検査しましょう」と言われました。私は頭が真っ白に……。 不安になりながらの育児。「聞こえてないってどうしたらいいの? なんで? どうして?」という思いでメンタルはボロボロでした。ただ、里帰りしていたので、両親がいたことが本当に救いでした。 生後3カ月の検査の日。結果は…いよいよ生後3カ月の検査の日! この検査ですべてがわかる……。ドキドキしながら検査中のモニターを見つめる私。検査が終わり、結果は先生からお伝えしますねと言われましたが、ネットの検索魔になっていた私には、次男がまったく聞こえていないことが一目瞭然でした。 それからは毎日のように泣いて過ごしていました。それでも育児はしないといけない。不安そうに見つめる長男に申し訳なさを感じ、長男が起きているときは明るく振舞い、寝るとまた泣いて……。そんな日々が続きました。 それでもなんとか1日1日を乗り越え、ろう学校の教育相談に通ったり、手話サークルへ突撃してみたり、外へ出ていろいろな人に会ったりしていました。 気づけば、あっというまに次男の1歳の誕生日。病院やろう学校へ通うなかで、少しずつ成長していく次男の姿に私のほうが励まされていました。 「この子は必死に生きている。私を求めてくれている。次男のお母さんは私なんだ! 私が次男を守ってあげなくて誰が守るんだ」とやっと思えるようになりました。それからは、積極的に次男に向き合い手話を使ったり、長男と一緒にいっぱい遊んだりしていました。 3人目の出産を決意!もともと子どもは2人の予定でいたのですが、たまたま知り合いに、3人きょうだいで真ん中の子が聞こえないという方がいたので、どうして3人目を産んだのか聞いてみました。 すると「3人目は、聞こえてても聞こえなくてもどっちでもよかった。聞こえなくても真ん中の子と手話できるし、聞こえない同士で仲間になれる。聞こえててもみんなで支えてあげられるから」と聞き、衝撃を受けました。 夫には「ムリムリ! 経済的にムリだから!」と言われましたが、「大丈夫、大丈夫!」とごまかして(笑)3人目を妊娠しました。3人目も本当に順調で、しかも15分で生まれる超スピード出産! 初めての女の子でかわいいなぁと見つめる一方、うっすらと次男のことがよみがえりました。 娘を検査に預け、外で見守る私。「大丈夫、大丈夫、大丈夫」。そう自分に言い聞かせながら、心臓が爆発しそうでした。スタッフさんが出てきて「お母さん、ばっちり聞こえてるよ!」と言われた瞬間、目からぼろぼろ涙が。キョトンとしているスタッフさんに次男のことを伝えると、背中をさすってくれました。 それからは3人育児でバタバタ! 驚いたのは1歳3カ月の娘が「わかった」、「おいしい」、「なあに」と小さい手で手話を使い出したこと。聞こえる長男、聞こえない次男、聞こえる長女。みんなで少しずつ手話を使っています。みんなで助け合って暮らしていける。そう信じて毎日育児奮闘中です! 健康な赤ちゃんが生まれるのが当たり前だと思っていましたが、まさかまさかの連続でした。しかし今では、聞こえない次男だからこそ娘も生まれて、今の家族があると思っています。聞こえないことは不便であっても不憫じゃない! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:ゆみっくす5歳の長男、3歳の次男、1歳の長女をもつ3児の母。次男のことがきっかけで、4月から毎日付き添い通学へ。いろいろなことを乗り越え、支え合って今を生きる。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月10日産休に入り、出産の準備をしていたある日。ふだん通りに過ごしていると、「ジャッ!」と股の方から水が流れ出るのを感じました。そこから急展開。夫には「病院に来てほしい」と連絡したのですが……。 立ち会い出産に間に合うか…!?この日は予定日の2週間前で、次の日は出産前最後の妊婦検診を控えていました。出血だったらどうしよう……とトイレへ。色が無色透明だったので破水かもと思い、すぐに病院へ電話。事情を伝え、先生の診察をしてもらうことになりました。 それから夫へ電話し、破水したことや出産に向けて入院になるかもしれないことを伝えました。立ち合い出産の予定だったため、夫は職場に休暇を申請。病院へ向かってくれることになりました。 ですが、夫はなかなか病院に姿を見せず。何をしてるんだろうとモヤモヤしていたところ、何だか疲れた様子の夫が現れました。そのときは夫のことに構っている余裕はなく、出産を終えてから夫に遅れた事情を聞いたところ……。病院へ向かう途中で、車のタイヤが「パーン!!」と大きな音を立ててパンクしたそうです。 約5年乗り続けていましたが、まさかの立ち会い出産に向かう道中でパンクするとは夢にも思いませんでした。その後、タイヤを替えて病院へ来たそうです。「妻は破水、タイヤは破裂。すべて想定外だったけど最後はいい日になった」と夫が言い、夫婦で笑いました。今でもたびたび思い出す、色濃いエピソードです。 ◇ ◇ ◇ 予定日よりも前の破水で焦ったかと思いますが、ご主人も突然のことが重なってきっと焦りましたよね。無事に立ち会い出産できてよかったです! イラスト/シュー子著者:田中まりえ
2024年06月02日長男を出産後、長らくセックスレスだった私たち夫婦。そのことに不満はなかったのですが、長男が3歳になるころに私は2人目が欲しくなりました。セックスレスなので、もちろん自然に子どもを授かることはできなません。意を決して夫に気持ちを伝えると、返ってきた返事は……。夫の返事とその理由は…夫の返事は、「長男の赤ちゃん時代の育児負担が多くて大変だった。同じような思いをしたくないから2人目は望んでいない」というものでした。 夫は仕事が好きなタイプでしたが、共働きだったため長男の病気で仕事を休んだり、私の休日出勤の日にワンオペ育児をしたりしてくれていました。 夜泣きの対応などもしてくれていましたが、夫には想像以上に負担だったようです。 諦められない私がとった行動どうしても諦めきれなかった私は、なんとか夫に納得してもらうため行動しました。 まず、数年前に仕事を辞めていた実家の母に相談し、2人目が生まれたら育児に協力してもらえることを確認。さらに自治体の産後ケアや一時保育、病児保育などの情報を集めました。 そして、産後1カ月は母に手伝いに来てもらう、子どもの病気のときも母に来てもらったり、病児保育を活用したりするなど、夫に極力負担のないようなプランを考え、夫にプレゼンしたのです。 夫を説得した結果!?プレゼン後、夫からは「しばらく考えたい」と言われましたが、数カ月後に「2人目を考えてみよう」との返事が! ちょうどそのころに夫が転職し、忙しさも和らいで気持ちに余裕ができたこともあったようです。 セックスレスが続いていて子作りは義務的なものではありましたが、妊活はスムーズに進み、数カ月後には無事に長女を授かり、出産することができました。 長年のセックスレスと夫の反対で一時は諦めそうになりましたが、具体的な解決策を示すことが夫には有効だったようです。生まれた娘のことを夫もとてもかわいがっていて、説得を諦めなくてよかったなと思っています。 イラスト/森田家著者:小坂なお
2024年05月19日高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。妊娠や出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し、数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠!「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 ときを前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万全!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院や手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、コロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとか来てもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛が来るのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか! と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠や出産にはお母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月11日出産予定日の1カ月前。私は実家に帰っていたので、おしるしが来て陣痛が激しくなった日の夜、夫に連絡をして病院へ行きました。駆けつけた夫をよそに、もう限界な私。すぐに分娩台に乗り、いよいよ出産となりました。しかし、立ち会いしていた「夫」にまさかの事件が起こりました。初めての出産で夫婦共に緊張初めての出産に、夫も私もドキドキ。「初めてだから立ち会いをしたい」と言った夫に、恥ずかしいながらも、一緒に闘ってくれる気持ちがうれしかったのを覚えています。 妊娠39週目でおしるしがあり、夜には陣痛も激しくなりました。ギリギリの意識の中、自宅で待機している夫に連絡し、私は母と一緒に病院へ。夫が来たころにはもう何もしゃべれないほどで、まったく歩くこともできず、助産師さんに分娩台に乗せてもらいました。そして、夫の手を握り、いよいよ出産のときがきました。 立ち会いしていた夫に異変が!?「もういきみたい! 気持ち悪い! つらい!」。そう思いながら、「息吐くよ〜。息吐いて〜。ふ〜、ふ〜」という助産師さんの声が聞こえます。「ふー! ふー!」。なんとか吐こうとするものの、うまく吐けません。うまく息も吸えず、とにかく苦しくてつらい。夫も一緒に「頑張れ! ふ〜! ふ〜!」と息を吐き、握る手に力が入りました。 助産師さん、夫、私、みんなで必死に息を吐きます。その後も「ふー! ふー!」と必死に息を吐いていると、いきなり、ぐん! と手が引っ張られました。「え!?」と思っていると、助産師さんの「大丈夫ですか!?」という声が。気づけば、握っていたはずの夫の手がなく、横にいた夫が床に……。なんと夫は、私に合わせて息を吐いているうちに酸欠になり倒れてしまったのです! 今となっては笑い話によく血を見て倒れるという話は聞いたことがありましたが、突然のことで衝撃を受けた私。出産の意識が一度削がれて、夫の心配をしていました。夫は意識はあったので、車椅子で空いていた陣痛室のベッドに運ばれていきました。今だからこそ笑って話せることですが、当時の私は「え!? あの人大丈夫なの!? でも痛い! 産まなきゃ! でもパパは!?」と軽いパニック状態でした。 その後、ひとりで最後まで頑張り、無事に長男が誕生しました。夫はベッドの上で産声を聞いて、「あー、生まれた〜」と安心したそうです。初めての出産でお互いに緊張していて、「妻は息も吐けない、俺がついていなきゃ!」と張り切った結果だったそうです。酸欠で倒れるなんて、息子もびっくりしたことでしょう。 緊張しすぎると誰しもいつもどおりにできないので、何事もリラックスするのが大事なんだなと思いました。今回はしませんでしたが、次回は分娩室にリラックス効果の音楽を流せないか相談したいと思います。 あとから聞いた話ですが、分娩室の前にいた母たちは夫が倒れた物音を聞いて、私に何かあったのかと慌てたそうです。しかし、車椅子で出てきた夫を見て「いや、お前かい!」みたいな空気になったそうです。 私は夫の名誉のために母には口止めしましたが、義母はいろいろな人に言っているそうで、義実家に行ったときには笑い話になっていました。夫は「もう立ち会いはしないよ!」と言っていました。 とにもかくにも、3人とも無事で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:かりんとう1歳児の母。慣れないママ業も2年目に突入し、仕事と育児に追われながらも、息子の成長に毎日感動しています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日私には現在3人の子どもがいるのですが、2番目の子は3,950gのビッグベビーでした。3,950gの赤ちゃんだったと言うと、壮絶な出産を思い浮かべて「大変だったね」と声をかけてくれる方が多いのですが、実は3人の中で一番ラクな出産だったのです。今回は、ビッグベビーの出産秘話についてお話しします。3,950gのビッグベビー誕生今から約5年前、27歳のときに出産予定日から4日遅れて3,950gのビッグベビーを出産しました。実際に陣痛が来たのが、出産当日の午前0時ごろ。ほんのちょっと陣痛が来ているなという感じだったのですが、すでに10分間隔。しかし陣痛が弱かったので結局朝イチに病院へ行き、そのまま入院しました。 昼以降も弱い陣痛が続いていたのですが、19時ごろに急激な痛みが襲ってきて、一瞬でピークに達し、分娩の準備が始まったのです。それから1時間もしないうちに、つるんと出産しました。 ビッグベビーのお産が一番ラクだった!?実際の分娩時間は16時間ですが、陣痛のピークから出産までは1時間ほどでした。実は、妊婦健診ではビッグベビーと言われておらず、赤ちゃんの大きさは3,200gくらいとのことでした。 しかし出産前に助産師さんがおなかを触った際にパンパン具合を感じたらしく、「相当大きいかもね」と言われ、初めてビッグベビーかもしれないと知ることに。大変なお産になる覚悟をしたのですが、結果的には1人目や3人目のお産よりもスムーズでした。 一番上の子のときは子宮口が全開大にならないうえ、酸欠で酸素マスクを付けてのお産でしたし、3番目は子宮口が6cm開いてからの進みが遅く、全開大になるまで5時間くらいかかり体力は限界に……。ですから2番目はビッグベビーではあったけれど、3人の中では最もラクな出産だったのです。 ビッグベビーだったが会陰切開なしで出産3,950gの赤ちゃんを自然分娩したので会陰は自然に裂けてしまっていると思っていたのですが、ほぼ裂けずに出産できました。腟の内側が2か所裂けていたのですが、縫う場所ではなかったとのことでした。 自分でもびっくりしたので担当医に尋ねたところ、分娩時に会陰部分が柔らかく伸びるタイミングがあるそうです。うまいこと会陰が一番伸び切ったタイミングに合わせていきんだので、大きく裂けずに出産できたということでした。 「ビッグベビーだとお産大変だよね? すごいね!」と周りから褒められるのですが、尊い命が誕生するということは、どのような出産であっても命がけだと思います。私の場合は出産予定日が遅れたり、出産直前でおなかの赤ちゃんが大きいかもと言われて不安を感じたりもしましたが、比較的スムーズな出産となり本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小西なつみ6歳と5歳の男の子と2歳の女の子を育てる3児の母。フリーライターとして活動しており、子育て関連や福祉関連を中心に執筆を手掛けている。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日私は夫の転勤先だったイギリスで長男を妊娠・出産しました。日本にいた私の母は、海外で初めての出産となった私を心配し、1カ月間イギリスの自宅へサポートしに来てくれることに。私は家事や初めての育児を母に手伝ってもらいうれしかったのですが、夫は母との慣れない同居生活にストレスがたまったようで……。唐突に始まった新生児と母との生活母がイギリスに到着した次の日に、私は長男を出産。イギリスでは出産翌日の退院が一般的で、翌日から生後1日目の新生児と、母との同居生活が始まりました。同居生活が1週間ほど経過したころ、明らかにイライラしている夫に気づいた私。 聞くと、夫は母との慣れない同居生活に気疲れしていました。また、長男にイギリス流のお世話をする私たちに対し、母が良かれと日本流のアドバイスをすることにも、強くストレスを感じていたとのこと。 実際私も、「このアドバイスは違うな」と思うことはありました。夫は我慢してくれていたのですが、私は長男のお世話による寝不足で疲れすぎていて、解決を先延ばしにしてしまったのでした。 無言で出ていった夫…同居から約2週間たった週末の朝、何気なく夫に育児用ミルクのあげ方をアドバイスしていた母。すると母に注意され明らかにムッとした様子の夫は、バタン!とドアを閉め、無言で家を出て行ってしまいました。私は夫の行動にショックを受けながらも、母に今まで夫が抱えていた気持ちを打ち明けることに。 母は「私も口を出しすぎかもと思っていたの、ごめんね」と理解してくれました。夫は夕方に「友人と出かけている。夜に帰る」とやっと連絡をくれ、20時ごろ落ち着いた様子で帰宅。 その後私たちは、母に「アドバイスはうれしいが、私たちはイギリスの方法で長男を育てたい」と伝えました。私たちの気持ちを尊重してくれた母は「イギリスの方法で一緒に頑張ろう」と言ってくれ、以降、母と私たちは穏やかな雰囲気で過ごすことができました。 私は初の出産や長男のお世話に気を取られ、プチ家出させるほど夫を追い詰めてしまいました。他人同然の私の母との同居に戸惑う夫への気遣いが足りなかったと反省しています。家族といえども、気持ちをしっかり言葉に出して伝えることの大切さを、改めて実感した出来事でした。 著者:濱田よし
2024年05月05日私は、3歳の女の子と生後3カ月の男の子を育てています。2人目の出産の際、健診で「陣痛かもと思ったら、間違ってもいいからすぐに病院へ来て」と言われていました。2人目の出産ということもありますし、健診時にすでに子宮口が5cm開いていたこともその理由。しかし、実際に陣痛が来たとき、義母の予想外の行動で「すぐに病院へ」行けなくなってしまったのです……。深夜に陣痛開始妊娠39週0日の深夜1時ごろにおなかが張り始め、30分ほどで10分間隔に。すぐに夫を起こして病院に電話をしました。病院は家から30分。夜中なので長女は寝ています。 深夜に陣痛が来た場合は近くに住む義母に連絡し、病院へ行っている間、わが家に来て長女を見てもらうことになっていました。夫が義母に連絡すると、深夜ながら「すぐに向かう」との心強い返事をもらえました。 まだ!? 義母が来ない!義実家からわが家までは車で3分。義母が来るまでに私と夫はバタバタと病院に持って行く物などを最終チェックし車に積んでいました。しかし、待てどもなかなかこない義母。「お義母さん遅いね……」と話し、夫が義母に連絡しますが電話に出ません。 だんだんと「まだこないのかな!?」と痛みでイライラが増しながら待つこと30分、やっと義母が到着しました。このときすでに陣痛の間隔は2~3分。遅くなった理由を聞く余裕もなく、義母が着いてすぐに長女を任せ、急いで夫と病院へ向かいました。 遅れたその理由に驚き病院に着いて内診をすると「子宮口8cm! 着替えてそのまま分娩台に乗って!」と言われ、到着から30分ほどで元気な男の子を産みました。その後、入院中に夫と電話しているときに「そういえば……」と、出産のときに義母が遅れた理由を教えてくれました。 実は義母は、「もしかしたら救急車に乗って病院に行くかも」と思って自分の身支度をしていたのだそう。パジャマを着替え、シャワーを浴び、化粧をして軽く食事をしてから来たのだということでした。「陣痛が始まったらすぐに病院へ」ということは事前に義母にも伝えていたのですが、義母が自分の身支度に時間をかけていたことにとても驚きました。 夫が聞いたところによると「すぐに病院へとは言っても、陣痛は時間がかかるものだから焦ることではない」と義母は考えたようです。なぜ義母が「自分が救急車に乗るかも」と思ったのかは謎……。無事に出産を終えた今では話のネタにしていますが、そのときの私はすぐに義母が来てくれると思っていただけに、かなりイライラしてしまった出来事でした。 著者:水田 真理2児の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので楽しめるよう、創意工夫している。
2024年04月22日毎日忙しく子育てをしていると時間があっという間に過ぎていきます。逆に、子育てに疲れてしまい、早く大きくなってほしいと思うこともあるでしょう。では、ママが子どもといられる時間は、後どれくらいなのでしょう。興味深い投稿をXで見つけました。 ママと子どもの残り時間 親野智可等さんのポストによると、ママがわが子と過ごせる時間は約7年6カ月。時間にすると、約65,700時間なのだそう。 今春幼稚園や保育園を卒園した子どもの場合、 ママが子どもと過ごせる時間の32%が終わってしまったことになります。大切にしたいと再確認ママと子どもに残された時間の短さに驚いた人が多かったのではないでしょうか。 このデータは、過去NHKで放送されている「チコちゃんに叱られる」で放送され、話題を呼びました。放送当時を振り返ると、SNSには「ショックを受けた」「今ある時間を大切に過ごしたい」という投稿が複数見られます。 夜泣きやイヤイヤ期など、子育てには大変なことも少なくありません。しかし、永遠に続くように思える子どもとの時間には限りがあります。いざこの数字を見ると、さらに大切にしようと思えるのではないでしょうか。 新たな生活をスタートさせた人も多い4月。子どもと過ごせる残り時間を改めて意識し、毎日を大切に過ごしたいものですね。
2024年04月15日YouTube「TWINsふたごチャンネル」は、二卵性双子男女のごうくんとふわちゃん、そして弟のはるくんの成長をご覧いただけるチャンネルです。双子のごうくんとふわちゃんが2歳10カ月ごろの動画をご紹介します。もうすぐ出産予定のママは約1週間の入院に。こんなにも長い期間、ママと離れたことのないごうくんとふわちゃん。2人にとってもママにとっても「会えない」ことが想像以上につらいい1週間となりました。ママのいない1週間、無事に乗り切れるかな?いよいよ出産が近づいてきた! 出産が近づいているママ。帝王切開のため、1週間の入院期間に入ります。ごうくんとふわちゃんもなんとなく理解している様子。 おなかを触って、なでなで。「ママがんばってね!」と送り出します。 離れていてもママのことが気になる2人 ごうくんとふわちゃんは2人で、ママのことをお話し中。「ママ、赤ちゃん抱っこしてるのかなぁ?」とごうくん。 「どうしてママ帰ってこないの?」とふわちゃんは少し不安げ。ママに会いたいという気持ちが、少しずつ湧き上がってくるけど、我慢我慢! 遊んでいるときは笑顔いっぱい♪ママのことを思い出すと、会いたくて寂しい気持ちになってしまう2人。しかし、パパやみんなと遊んでいるときはいつも通りの笑顔いっぱいな姿です。 ごうくんは、おばあちゃんにタオルを巻いてもらいご満悦!楽しそうにパパに踊りやカッコイイポーズを披露しています。 ママの入院中、いとこの赤ちゃんも遊びに来てくれたようです。みんながおうちに来てくれて、寂しい気持ちもふっとんだかな? パパやおばあちゃん、みんなの協力で2人も楽しく過ごせているようです。 しかし、やっぱり2人が一番がんばりましたね。ママに会いたくてたまらない気持ちもある中で、たくさん笑顔で過ごしてくれています♪ ママが恋しい……日中はたくさん遊んで笑顔だったごうくんとふわちゃん。しかし、ふと寂しくなってしまうことがあるようで…… そんなときにはママとテレビ電話タイムです。 ママとたくさんお話しをして、元気をチャージ!!2人だけでなく、もちろんママも2人と話すことで、元気になれますね。 どうしてもママに会いたい……(涙) この日はごうくんが長時間泣き止まず……パパがママにお助けの電話をしました。テレビ電話でママと対面できた2人。パパが、テレビの大画面にママが映るようにしてくれました♪ ごうくん、ママに会えてうれしい! という気持ちよりもママに会いたい気持ちがますます強くなってしまったようです。 この姿を見ているだけで、思わずもらい泣きしてしまいますね。ごうくんとふわちゃんの寂しいけれど我慢している姿や思いが、こちらにも伝わってきます。 ふわちゃんがごうくんの頭をなでなで♪ どうしても涙が止まらないごうくん。涙がどんどん溢れます。 その姿を見て、ふわちゃんがごうくんの頭をなでなで。ごうくんを励まします。ふわちゃん、とってもやさしいですね。 ママとのテレビ電話では、どうしても涙が止まらなかったごうくん。少し寂しいバイバイとなってしまいました。 もうすぐママが帰ってくるから、もう少し頑張ろうね! 笑顔が戻って一安心♪ テレビ電話のあとに、パパがごうくんを連れて2人でお散歩に♪お散歩をしたことで、気持ちも切り替わったようです。ニコニコ笑顔のごうくんに戻り、ママも一安心♪ ごうくんもふわちゃんもママと1週間も離れ離れになるのは初めての経験。寂しい思いもして大号泣してしまったときもあったけれど、パパたちにたくさん遊んでもらい、笑顔で過ごすこともできました! ママと弟くんがおうちに帰ってくる日が楽しみですね。 画像提供・協力:TWINsふたごチャンネル
2024年04月03日真夜中に陣痛が来た私は病院へ。しかし子宮口はまだ十分に開いておらず、一時帰宅することに。次の日になってもまだ痛みがあったものの、また病院に行って一時帰宅だと言われたら嫌だと思った私は……? もっと早く言って〜!真夜中に陣痛が来て、病院に向かった私。子宮口を見てもらうと「まだ全然開いていないですねぇ」と言われ、結局その日は帰宅することに。次の日になってもずっと痛かったのですが、また病院に行って子宮口が開いていないと言われて帰らされたら、検査代がもったいない!と思い、必死に耐えました。あまりの苦しみぶりに、夫から「病院に行こうよ」と言われましたが、断固拒否。しかし結局、その日の午前2時ごろ痛みに耐えられなくなり、「やっぱりもう無理かもしれない……タクシー呼んでぇ……」と涙を流しながら夫に頼み、病院へ。 子宮口を見てくれた助産師さんから「あ、もう6cmも開いてるね。このまま入院だ。痛かったでしょう」と言われました。痛すぎて会話をする気力もなく、陣痛室へ。それからも相変わらず痛みは続き、寝られず……。このまま終わりが来ないんじゃないかと思いながら、地獄のような時間を朝までずっとベッドのリモコンのスイッチをひたすら数えて過ごしました。 そして翌日、朝だ……と思っていると助産師さんがやって来て、子宮口をチェック。すると「あらちょっと! もう全開大だわ! 分娩台準備するから!」と急にばたばたし始めました。え? 我慢しなくてよかったの? 最初に教えてくれー!と思った出来事です。 ◇ ◇ ◇ 初めての出産ではわからないことも多いですよね。診察の結果、一時帰宅を提案されるのはよくあることで、それは自宅のほうがママがリラックスできるという理由もあるからです。「再受診後にまた帰らされるのは嫌だな……」と家で無理に我慢することは避けましょう。もしまた帰宅となった場合は、どのタイミングで再度連絡をすれば良いのか事前に確認しておくと安心です。 そして病院で夜を過ごすことになった場合、陣痛と陣痛の間隔が短くなってきたり、痛みを感じる時間が長くなったりしたら、夜中であっても我慢せずに助産師さんに知らせてくださいね。 作画/森田家著者:藤 のぞみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月23日9年間、ひとりっ子として育ててきた長女。長女が9歳のときに長男を妊娠し、長女の赤ちゃん返りに気をつかうあまり、長男を出産当日に抱っこすることができませんでした。生後0日の長男を抱っこすることは、もう二度と叶わないのだと、後悔してしまった体験談です。妊娠中から赤ちゃん返りがひどい長女これは、私が第2子となる長男を出産したときのお話です。私は元々シングルマザーで、8歳の長女を連れて夫と再婚しました。長女はとても甘えん坊で、小学生になってからも、毎日私の腕枕で寝ていたほどです。再婚を経て、長女が9歳のときに長男を妊娠。 私が最初に長女に妊娠を伝えたときは「弟か妹ができる!」と喜んでいましたが、日に日に赤ちゃん返りがひどくなり、情緒不安定になっていきました。「やっぱり赤ちゃんいらない、私だけのママがいい」と涙を流す長女を私はギュッと抱きしめ、「赤ちゃんが生まれても、〇〇(長女)のママだよ。〇〇のこと大好きで大切だよ」と、長女に寄り添うことを心がけていました。 ついに出産当日! 長女の反応は?長男の出産予定日当日、長女と眠っていた私は深夜2時ごろに破水したことに気がつきました。夫に声をかけて長女をお願いし、私は産院へ。すぐに陣痛がこず、そのまま朝を迎えることに。夫から、朝7時ごろに「〇〇(長女)が『起きたらママがいなかった』と泣いていたよ。これからごはんを食べて、〇〇とそっちに行くね」と連絡がきて、8時ごろに夫と長女が到着。 ちょうどそのころ陣痛がき始め、9時過ぎに長男が誕生しました。すぐに私の胸の上に長男が乗せられ、ほんの数分過ごしたところで長男は処置のため、私と離れ離れに。長男が処置から戻ってきて、病室にいた長女に抱っこしてもらうと「わぁーかわいい! 私の弟だ」と、ニコニコと喜んでいました。 長女に気をつかい、長男を抱っこせず…私は長女が素直に長男の誕生を喜んでくれたことに安堵しましたが、「長女が無理していないかな」と心配で、その日は長男を抱っこしないことにしました。私は面会終了時間まで長女をかわいがり、たくさん長女を抱っこしました。面会終了時間になり、夫と長女は帰宅。 出産当日は母子別室ということで、助産師さんが長男を迎えにきてくれ、新生児室へ。そのときは、私自身が出産で疲れていたのとお産中の出血で貧血になったこともあり、長男を抱っこしていないことについて考える余裕はありませんでした。ですが、日が経つにつれ、「出産当日、少しでも長男を抱っこしてあげればよかった」という思いが強くなっていったのです。 毎年、長男の誕生日が近づくと、私は長男を出産したときのことを思い出すのですが、「出産当日に抱っこしなくて、ごめんね」といまだに思います。長女が帰宅したあとに、抱っこしてあげればよかった……。その後悔を埋めるように、長男は現在5歳ですが、たくさん抱っこしたり、おんぶしたりしています。 著者:吉川 みきな15歳女の子と5歳と1歳の男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月20日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきや、なかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2024年03月18日「帝王切開で産んだママは子どもへの愛情が薄い」という発言を耳にしたことはありますか? この考えには、「陣痛に耐えて産んでこそ出産」という考えがあるようです。しかし本当にそうでしょうか? 漫画家であり臨床心理士・公認心理師の白目みさえさんがXに投稿した、看護師さんの言葉が話題になっています。 思わず涙した言葉とは自分以外の誰かのために体にメスをいれるということは、帝王切開のほか、臓器提供などわずかなケースしかないそうです。そもそも体にメスを入れるのは、決して気軽なことではないのです。どちらも大変なこと白目みさえさんの投稿には、たくさんの共感の声が寄せられていました。 自身も帝王切開で産んだという人は「看護師さんの言葉に、私もなお誇らしい気持ちです」とコメント。 「普通分娩と帝王切開、どちらも大変なことだと思っています。命をかけて出産することには変わりありません」「愛情は毎日の育児で育まれていくと思う」「何よりも大切なのは出産の方法ではなく、無事に赤ちゃんをこの世に迎えられたこと」 と、多くの人が出産方法と愛情はイコールではないと考えているようでした。愛情は出産の方法で決まるものではない自然分娩や無痛分娩、計画分娩など、出産にはさまざまな選択肢がありますが、どんな出産方法を選んだとしても、親が子どもにそそぐ愛情は変わりません。 帝王切開をしたことで心無い言葉を言われた人に、この看護師さんの言葉が届きますように。
2024年03月13日12時間かかった出産を無事に終えた私の元に、義父母が面会に来てくれました。しかし、義母は生まれたばかりの息子を見ると、開口一番に信じられない発言をしてきて……。 義母の無神経な発言を聞いて…妊娠39週目の朝方から陣痛が来て、分娩室に入ってから12時間で息子を出産しました。生まれたての息子の体重は約4,000g。出産中の上の血圧は200を超えて出血多量。とても大変なお産でした。 しかし出産の翌日に義父母が病院に来てくれたのですが、息子を見た義母が「ねぇ、2人目はいつ?」とまさかのひと言……。長時間の大変な出産を乗り越えた直後の私に対してねぎらいの言葉もなく、次の子どもを望む言葉を投げかける義母にひどく驚いてしまいました。息子を産んで1日しか経っていないのに、次の出産のことは考えられません。 義母には「今は目の前のこの子との時間を大切にしたいので、しばらく予定はないですよ」と答えました。純粋にかわいい孫がたくさん欲しいというおばあちゃん心から出た言葉なのかもしれませんが、私への配慮をもう少ししてほしかったです。 作画/森田家著者:内田 あや
2024年03月07日初めての出産はコロナ禍で、家族の付き添いはありませんでした。ひとりの寂しさに耐えてなんとか無事出産を終えた私ですが、後日義父がそんな私に対して無神経な発言をしてきて……。 無神経すぎる義父私はコロナ禍で初めての出産を経験しました。当時、家族の付き添いはできず、夜中に破水し病院に一歩足を踏み入れたときからずっとひとりぼっち……。もちろん助産師さんがいろいろ気にかけてくれましたが、やはり家族がそばにいないことで寂しい気持ちに。そして、大けがや大病をしたことがない私にとって陣痛はあまりにも痛くて、泣き叫んでしまいました。それでもなんとか頑張って、予想より早めの約2時間で無事に元気な赤ちゃんを産むことができたのです。 退院して数日後、義両親が私と赤ちゃんに会いにきてくれました。私は早速自分の愛し子を2人に会わせることができてうれしい気持ちでしたが、義父が開口一番「いやぁ、お産、楽ちんやったんやろ!」と言ってきてひどくショックを受けました。寂しさや痛みに耐えて、頑張って産んだ私に対して、なんてデリカシーのない発言なんだ……とだんだんと怒りが湧いてきます。しかし気まずくなるのが嫌で、苦笑いをすることしかできませんでした。 コロナ禍ということもあり、義父母は短時間で帰宅。そのあと我慢ならず母に電話でこのことを話すと、「そりゃイラッとするわぁ。そんなこと言ったらあかんよな」と私のイライラに共感してくれたので、なんとか気持ちを落ち着かせることができました。 作画/さくら著者:まんまるこ
2024年03月01日長女は、在胎22週で生まれた超低出生体重児でした。生まれたと同時に保育器に入り、NICU(新生児集中治療室)とGCU(回復治療室)に合わせて5カ月入院。体重が増えるまでは、顔を横に向けたうつ伏せの状態で寝かせてもらっていたためか、顔が縦に細長く、頭部も前後に長くやや左右非対称な形でした。私は娘の頭の形を気にしてモヤモヤしていました。そしてモヤモヤは、娘が2歳のとき、公園で近所の小学生に言われたショックなひと言によって、ますます大きくなってしまったのです……。保育器に入っていたころ生まれてからしばらくは、生きられるかどうかが気がかりで、頭の形なんてまったく気になりませんでした。気になり始めたのは、容態も落ち着いて順調に体重が増え始めた生後2カ月以降のことです。 ずっと横向きで寝かされていた長女の顔を正面から初めて見たとき、イメージしていた赤ちゃんらしい丸顔とは違い、かなり面長な顔つきでびっくりしてしまいました。顔が縦長で、おでこが長い。後頭部はほとんど下になったことがないので、後ろに丸く膨らんでいました。ネットで情報収集すると、低出生体重で生まれた赤ちゃんには同じような頭の形の子が多いようでした。 退院後もますます気になる……退院して自宅で布団に寝かせるときも、後頭部が丸すぎるためか上を向くことができず横を向いて寝ていました。ドーナツ枕を購入してみましたが、窪みが浅すぎて横を向いてしまいます。頭の形が良くなるようにと、入浴時に「まるくなぁれ」と唱えながら撫でたりもしました。 薄毛のせいもあってか、2歳ごろになっても頭の細長さはよくわかり、いつになったら気にならなくなるのかと私はモヤモヤしていました。そんな私をさらにモヤモヤさせる出来事が起きたのです。 小学生の言葉にショックを受ける長女が2歳になったばかりの秋のこと。長女と公園へ行くと、小学校低学年の子どもたちがいました。私たちを見つけて駆け寄ってきたのですが、その中の男の子が長女の頭を見てひと言、「なんか変な形!」と言ったのです。 子どもらしく見たままの感想を言っただけなのでしょう。しかし、普段から長女の頭の形が気になっていた私にとって、それは大変ショックでした。いずれ娘が小学生になったときにも、こんな風に頭の形をからかわれるのではないかとまで考えてしまい、それからしばらくは気持ちが沈んでしまいました。 そして現在長女は今、あのときの小学生と同じくらいの年齢になりました。顔は面長でおでこは広めですが、頭部が前後に長い感じはあまりわからなくなりました。前髪も後ろ髪も伸びてきた3歳ごろから、頭の形はあまり気にならなくなったように思います。 あの一件以来、頭や顔の形で他人に何か言われたこともありません。逆に、ポニーテールにすると、頭の形が丸くてきれいと言われることもあるほどです。 長女については、「これはおかしいんじゃないか」「正期産で生まれていれば、違ったんじゃないか」と過敏に心配してしまっていた私。「そんなに心配し過ぎなくて大丈夫だよ!」と今の自分から当時の自分に言ってあげたいくらいです。しかしあのころは、長女の将来について心配事ばかりでした。現在はまた違った悩みや心配事がありますが、それも数年後には「心配し過ぎだった」に変わっているのだろうか……と思ったりしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:青倉みゆ小2長女、年中長男、3歳次女の3児の母。趣味の文房具集めと宅トレで自分を癒やしつつ、実家から離れた土地で子育て中。450gで生まれた長女は、現在元気な小学生。
2024年02月26日初めての出産のとき、私は比較的余裕があったように思っていました。いきんでいる合間も夫と談笑した記憶があったのです。……が、後日、自分の出産時の動画を見ると、私は衝撃の事実を知ることに――!? 動画に映っていた衝撃の事実出産時に余裕があったと思っていた私。特に分娩台に上がる前は、夫や助産師さんと楽しくおしゃべりができていたほど。ですが、産後、夫が撮影したビデオを見てみると、そこにはまったく違うものが映っていたのです。 なんと、分娩台に上がる前から、痛みに耐えるのがしんどくなったのか、私は夫や助産師さんに暴言を吐きまくっていたのです……! さらには、なぜか義母の文句を言ったり、かと思えば、突然夫への愛の告白をしたり……。 また、いよいよ分娩台に上がって出産のときには暴言はさらにエスカレート。 いきんでいるときに夫の手を握り潰しそうな力で握っていたようなのですが、「うおおおおお」という自分の叫び声で、夫の痛がる声がまったく耳に入っていません。 産後、手が痛いと夫が言っていた理由がようやくわかりました。 なぜかこれらのことはまったく記憶にない私。出産するまで割と穏やかに過ごしていたと思っていたので、ビデオを見たときは本当に自分なのかと疑うほどの衝撃でした。 ◇◇◇ お産のときは必死だったあまり、どうやって乗り越えたか記憶にないという方も少なくないのではないでしょうか。あとからビデオを見たら思っていたのと違う行動をとっていたら……とても驚きますよね。産院によって撮影のルールは異なりますが、動画撮影が可能な場合、撮影してもらうと良いかもしれませんね。 イラスト/海乃けだま監修/助産師 松田玲子著者: 鈴木春奈
2024年02月24日生後10カ月の子どもを育てる私。妊娠前から夫は激務で、朝から晩まで出勤が週6以上、近くに頼れる親族もいないため、ほぼひとりで子育てをすることに。まだ言葉も通じず目の離せない子どもの世話と家事をこなす日々。それでも私が楽しく子育てできるのは、ある目標のおかげなのです!仕事に行かないで!仕事人間で、毎日朝早くから夜遅くまで家を空ける夫。せっかくの休みも職場に呼ばれるなど、プライベートがまったくない状態でした。そんな中、私の妊娠が判明。初めての子どもにうれしい気持ちと、ひとりで子育てができるのか大きな不安がありました。 実際子どもが生まれたあとも夫は仕事が忙しく、ほぼひとりで子育てをすることに。日々の夜泣き対応や気軽に買い物へ行けないことにストレスを感じていました。仕事に行かないで! 早く帰ってきて!と何度もお願いしても、夫は「仕事だから」の一点張りです。 私は良いママになれない?洗濯物も溜まっている、掃除もしなければならないと思ってはいるけれど、子どもを抱っこしたり授乳や離乳食などのお世話をしたりしていると、気づけばやりたかったことが何もできずに1日が終わることも。 夫にコンビニ弁当を買って食べてもらう日や、家事に夢中になり子どものおむつ交換が遅れたこともありました。周りのママは育児も家事も両立させているのに、自分は良いママになれない……と落ち込むことが多くなりました。 新しく立てた目標で自分を褒めるできなかったことを悔やんで落ち込んでも仕方ないと、私は自分自身の目標を立てることにしました。その目標とは「毎日生きること」。家事ができていなくても、子どもが泣きやまなくても、生きていればOK! 当たり前にも思えることですが、あえて目標にすることで家事や育児が思うようにいかなくても自分を褒めることができたのです。その結果、「今日は掃除ができなかったけど、子どもと遊べたから良し!」と、できなかったことを並べて落ち込むよりも、自分を褒める習慣ができました。 ひとりでも子どもをちゃんと育てなければ!と完璧を目指していましたが、目標を最低限に下げました。すると、毎日目標を達成できるので自信にも繋がり、子育てが楽しくなりました! 掃除や洗濯は生活する上で不可欠の家事ですが、毎日しなくても生きていけます。ほぼひとりで生後10カ月の赤ちゃんを育てる私が毎日楽しく過ごせるのは、この目標のおかげです! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/大福著者:鮫島彩美
2024年02月17日臨月のときのこと。おなかの痛みが少しずつ増していき、病院へ行きました。助産師さんから「初産だから時間がかかるかも」と言われたので、自宅へ帰ろうと思ったのですが……。 帰宅するか、入院するかの2択で迷い…臨月のとき。21時ごろに「なんだか、おなかが痛いなあ。前駆陣痛かな」なんて思っていたところ、どんどん痛みが増していきました。深夜の3時ごろ、あまりの痛さに病院へ。「子宮口が4cm弱開いてるけど、初産婦さんだから時間がかかるかもね。一度帰るか、このまま入院するか決めていいよ」と言われ、とりあえず帰宅しました。 その1時間後、まさかの自宅のベッドの上で出産し、救急車で病院へ行くことに。 幸い、母子共に健康で、娘はもうすぐ生後3カ月になります。運良く何事もありませんでしたが、万が一のこともあるので迷ったら入院したほうがいいなと思いました。 ◇ ◇ ◇ 初産婦さんの平均的な分娩時間は12時間前後。病院から帰宅して1時間後に出産したときは、本人はもちろん、産院スタッフもびっくりしたのではないでしょうか。焦ったと思いますが、母子ともに無事でよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子作画/さくら著者:松橋玲菜
2024年02月15日第2子の出産エピソードです。コロナ禍での出産だったため、立ち会い出産はできないと言われていました。そこで、生まれる瞬間を見せてあげられない代わりに、産声だけは録音したいと希望を伝えていたのですが……。思ってもいない展開となったのです。バースプランでは産声の録音を希望今回の出産はコロナ禍ということで、立ち会い出産はできないと産院から言われていました。そこで、バースプランには「できれば赤ちゃんの産声だけでも録りたい」と希望を伝えました。 助産師さんからは、「昼間の出産や人手が足りている時間帯なら、看護師にスマホを渡したら録画してくれるかもしれないけど、夜の出産だと難しいかもしれない」とのこと。なので、昼間の出産で運がよければ録音できるかな……程度に思っていました。 深夜の出産で録音はあきらめかけて…出産予定日の前日、夜の11時ごろにおなかが痛くなってきました。陣痛カウンターで確認すると6分間隔で陣痛が! 産院へ連絡をしてすぐにタクシーで向かいました。 診てもらうと、子宮口6cm。診察台から分娩台へ移動することになりました。夜中ということもあり、分娩台で横になっている私の様子を数十分おきに見にきてくれるのは、助産師さん1人と看護師さん1人でした。「人少なそうだし、産声を録音するのは無理そうだな……」とぼんやり考えながら、腰をさすって過ごしていました。 いきんでいると助産師さんが!?時間が進むにつれて、どんどん陣痛が痛くなり、午前3時ごろ、ついに出産の時がやってきました! 助産師さんの声に合わせて、いきんではまた力を抜いてを何度も繰り返し、途中で破水もしながら、陣痛と共に徐々に誕生の瞬間が近づいてきました。 助産師さんに「赤ちゃんの頭もう見えてきてるよ!」 と言われて、「あぁ、もうすぐ生まれるんだ。夫にも息子にも生まれる瞬間を見せてあげられなかったな。録音もできなかったな」と、頭の隅でぼんやり考えながら、次の陣痛でいきむと、助産師さんに「赤ちゃんの頭出た! もうすぐ産声あげるから! 録画用意 !!」と言われ、「えっ?! 録画用意?」と私は混乱と驚きで固まってしまいました。助産師さんにもう一度「もうすぐ産声あげるから、スマホ起動させて動画の用意!」と言われて、私は慌ててテーブルに置いていたスマホを起動して、自分の下半身にカメラを向けました。 出産の瞬間をスマホで自撮り!次の陣痛でいきむと、赤ちゃんが出てくる姿がスマホの画面を通してハッキリと見えました! そして元気な「おぎゃー、おぎゃー」という産声も! 助産師さんはテキパキと赤ちゃんの体を拭きながら、「希望通り赤ちゃんの産声録れてよかったね」と、マスク越しでもわかる笑顔で話しかけてくれました。 希望通りなのかは少し疑問でしたが、たしかに無事に赤ちゃんの産声は動画付きで撮ることができました。まさか出産シーンを自撮りすることになるとは思ってもみなかったので驚きです。1人目のときは、30時間を越える分娩で記憶も途切れ途切れでしたが、今回は陣痛から6時間ほどと安産だったこともあり、そのあとは胎盤を見せてもらったり、赤ちゃんが入っていた卵膜の破れた部分を説明してもらったりと、イベント盛りだくさんの出産になりました! その後、落ち着いてから録画を見てみると、産声はちゃんと撮れていました。ただ、赤ちゃんの声より大きい私の叫び声もバッチリ撮れていました(笑)。 無我夢中で撮りましたが、恥ずかしくて将来、子どもに見せられるかなぁ……と悩ましい動画となったのでした。 1回目の長男のときとはまったく違う体験をして、出産は1人ひとりまったく違うんだなと身をもって感じました。今回、出産しながら自分で動画を撮れたことで、何だか少し母としてたくましくなれたような気がします。とても良い経験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:かずママ手のかかるわんぱくな3歳と抱っこ大好き0歳の2児の母。現在は産休中。 監修者:医師 おおたレディースクリニック院長 太田 篤之 先生
2024年02月15日初めての妊娠。妊娠するまで1年かかったので、妊娠したことがわかったときはとてもうれしかったです。待望の赤ちゃんともうすぐ会えるなぁと、ドキドキワクワクの妊娠後期のころ。ちょうど新しい家も購入し、産休に入ってからも新居の内装計画や出産準備に忙しく過ごしていました。しかし、あることをきっかけにどん底の毎日を送ることになるとは、このときは思いもしませんでした。出産に向けてワクワクの日々当時、営業会社の事務として働いていた私は、11月の出産のために10月から産休に入りました。おなかもだいぶ大きくなり、歩くのもひと苦労。初めての赤ちゃんと会えるんだ、と出産の準備をしながら、新築の家の準備もして、忙しくも楽しい日々を過ごしていました。 そんな10月後半のある日、夫から会社の同僚と飲み会があると告げられました。臨月の私は心配で反対しましたが、どうしても行くというので仕方なく行かせました。というのも、夫は酒癖が悪く、酔うと終電で乗り過ごしたり携帯を落としたりして大変なのです。 夫の携帯を見て絶句飲み会当日。案の定、夫は終電を逃しタクシーで帰ってきました。いつものように酔っ払って廊下に寝る夫。「何か、嫌な予感がする……」と、夫の手から携帯を取りました。LINEを見ると、「今度はチューさせてね」と夫から送った痕跡が。相手は夫と同じ部署で働く事務の子。私と夫は職場結婚だったので、私が知っている子でした。 怒りを抑えながら、「これは何?」と聞きました。目が覚めた夫は、「冗談だよ」と答えましたが、信じられません。飲み会の前からやりとりをしていたようで、仕事とは関係ないトークばかり。とりあえずこのLINEをやめてほしいと伝え、もう連絡を取らないようにブロックをして連絡先を消させました。 幸せから一気にどん底へしかし、数日後また携帯を見ると、ショートメールでまた連絡を取っているようでした。夫を問い詰めると、「どうしても連絡を取りたい、このやりとりがなくなるのは嫌だ」と言ってきたのです。 「この人は何がしたいんだろう?」と疑問と怒りが込み上げました。臨月で大事なときに、私たち2人の赤ちゃんが生まれる前なのに、何をしているんだと。そのあとも話し合いましたが、連絡をしていないと言いながらこそこそやりとりを続けており、夫はその彼女に「会って話したい」「自分のことどう思っている?」と聞く始末。 ある日、彼女に会いに出かけようとする夫を止めようと、おなかも張りながら必死で追いかけました。すると、「○○(私)のことが好きかわからない、彼女のことが気になる」と言い出したのです! 私は外で泣きました。幸せな時間を過ごすはずだったのに、こんなにつらくて悲しいことがあるのかとどん底に落ちました。同時に、夫のことが気持ち悪くなりました。 思い切って相手の子に連絡出産日前日。予定帝王切開だったので、出産日は決まっていました。「明日はついに出産。でも、こんな不安を抱えたまま出産したくない……」とそう思った私は、相手の子に連絡を取ることにしました。 それを夫に伝えると、「彼女に迷惑をかけるな」と言われましたが、迷惑をかけられているのはこっちです。私は夫に構わずLINEを送りました。 「夫はあなたに好意を持っているが、どういうつもりで連絡をしているのか。出産を控えているので今後やりとりはやめてほしい」と送りました。すると、「迷惑をかけて申し訳ない。今まで自分からは送らなかったが今後は返信しない」と返ってきました。 出産当日を迎え、夫は……出産当日の朝のことです。手術は午後からでしたが、午前中から入院と手術の準備をしていました。いろいろと不安はあるけれど、赤ちゃんに笑顔で会いたい気持ちで一心でした。 オペ室へ向かう途中、コンタクトレンズを外し忘れたことに気づいて病室へ戻ると、夫がなぜか泣いていました。すぐに出なくてはいけなかったので、「行ってくるね」とだけ言ってオペ室に向かいました。手術は順調に進み、無事に長男を出産しました。そのときは、かわいいわが子を見て本当に幸せな気持ちになりました。 出産を終え病室に戻ってから、夫になぜ泣いていたのかを聞いてみると、「申し訳ないことをした、手術でこんなに大変なのに」と、自分を責めているようでした。ですが、私は素直に「いいよ」とは言えませんでした。それなら最初から不安にさせるようなことをしないでほしかった。もう以前みたいに純粋な気持ちにはなれないし、今後ずっと疑い続けるかもしれない。そんな気持ちでした。 産後の入院生活でもまた不安が襲ってきて、毎日夫に彼女と連絡を取っていないか聞いてしまいました。夫が本当のことを言うはずがないとわかっていたのに……。実際、夫は彼女に連絡していたようですが断られたようです。あのときの病室の涙は、もしかしたら振られたことで泣いていたのではないかと今では思っています。 この経験から、やっぱり女の勘は当たるんだなと思いました。夫の携帯を見てしまったことは反省していますが、もしこのやりとりが続いたらどうなっていたのか……。今では夫のことは同居人として見ているので、同じことが起きてもここまで悩まないかもしれません。でもきっと出産時の恨みは持ち続けることでしょう。 著者:ねこ猫好きな1歳男の子のママ。近々職場復帰予定。
2024年02月04日アメリカで出産することになり、無痛分娩を選択した私。「痛くないってことだよね」とリラックスしていると、陣痛が来てからまさかの事態になり……!?こんなことってある!?妊娠した当時、夫がアメリカで仕事をしていたので、アメリカで出産することになりました。アメリカでは無痛分娩を選ぶ方が多いと聞いていたので、私は何の迷いもなく無痛分娩を選択します。 出産予定日になっても子宮口が開いてなかったので、予定を決めて入院することに。 まず相部屋に通され、そこでバルーンを入れて破水。すぐに陣痛が来ました。痛くなってきたので、すぐに麻酔をしてもらえると思っていたのですが、緊急で分娩台がうまって移動ができないとのこと。相部屋では無痛分娩の処置ができないらしく、「ここで産むことになったら自然分娩です」と言われました。私は、「嘘つきー! 無痛って言ってたでしょ! 分娩台が空いたか聞いてー!」としばらく夫に訴え続けていました。 その後、無事に分娩台に移動して無痛分娩で出産。私は無痛ということに安心して、陣痛がきたらどのように対処するのかなど調べていませんでした。予期せぬ事態になることもあるので、もしものときに対応できるように下調べをしておくことは重要だと学んだ出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 作画/森田家 著者:ほしのチョコ
2024年01月31日出産は鼻からスイカを出すような痛さだと聞いて恐怖を感じていましたが、実際に経験して、私は陣痛に耐える時間のほうがつらかったです。産院に着いて、陣痛に耐えているときに思わず「今!?」とツッコミを入れてしまった出来事をお話しします。なかなか進まないお産…出産予定日の2日後の明け方に陣痛が始まり、産院へ着いたときには子宮口が6cm開いていたため、そのまま夫と一緒に分娩室へ移動することになりました。ついにわが子に会える!と私も夫も気持ちが高ぶっていました。 ところが、子宮口の開きが6cmからなかなか進まず、分娩室に移動してから6時間が経過。「今いきむと赤ちゃんが苦しくなるよ」と助産師さんに言われていたので、私は必死にいきむのを我慢していました。このいきみ逃しの時間が本当に苦しかったです。 いきみ逃し中にまさかの質問!必死でいきみ逃しをしている最中、産院のスタッフさんが朝食を運んで来てくれました。「食べる?」と聞いてくる夫に、首を横に振るのが精いっぱいの私。 しばらくすると別の女性スタッフさんが下膳に来てくれたのですが、その際に早口で「明日からの朝食につける飲み物はコーヒーか紅茶、どちらがいいですか?」との質問が……! まさかのタイミングでの質問に、私は思わず「今!?」とツッコミを入れてしまいました。しかし、そのベテラン風のスタッフさんは無反応で、私の回答を待っている様子。夫が「あとでお伝えしてもいいですか?」と返答すると、「わかりました」と言って部屋を去っていったのでした。 無事に出産が終わり、夫と一緒に病室へ移動したあと、「あのタイミングで聞かれると思ってなかったね」と2人で笑ったのを覚えています。 陣痛やいきみ逃しがあんなにつらいものだとは思っていませんでした。そんな出産直前のタイミングで、朝食の飲み物について聞かれるとは予想していなくて、とても印象に残りました。今でも時々思い出して、夫と笑い合える大事な思い出になっています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:下川 美悠
2024年01月29日初めての出産は実家に里帰りをさせてもらいました。両親にとっても初孫の誕生となるため、そのお世話ができる、と母はとても喜んでくれました。「母がいてくれる限り、産後は快適に過ごせそうだ」。私はそう思うと同時に少し、心配なことがありました……。母と正反対の父私たち三姉妹を育ててくれたベテラン母。とてもお世話じょうずで私たち姉妹だけでなく、周囲の人にも目を配れる頼もしい存在でした。その一方で、母に世話されっぱなしの父。亭主関白で自己中心的なところがあり、そんな父を私は昔から尊敬できずにいました。 「私が里帰りすることで父が不機嫌になり、母に負担がかからないといいな」と心配していました。しかし残念ながら、その心配事は現実のものとなったのです。 非協力的な父の反抗!?息子はなかなかの神経質であったのか、眠っても私の抱っこから離れると、すぐに起きて泣いてしまいました。そんな状況の中、家族は息子が眠った後は静かにしてくれたり、息子の抱っこを代わってくれながら、私の睡眠時間を作ろうとみんなで協力してくれました。 しかし、父はせっかく眠った息子の顔の近くで話しかけたり、大きな物音を立てたりして息子を起こしてばかり。母が息子を抱っこしてくれているときも、父は母に自分の世話を求める始末。そのため家族から散々注意され、だんだん不機嫌に。「家にいたら怒られてばっかりだ」。そう言って、何を思いついたのか、今度は普段まったくしてこなかった日曜大工を庭で始めました。 外とはいえ、作業音は家の中にもしっかり伝わります。そして作った家具の設置場所は息子と私が使わせてもらっている部屋の真上の部屋。家族が代わる代わる注意するものの「何をしても怒られて自分の居場所がない!!」と怒っていました。 疲れ果ててしまった母…非協力的な父に家族はあきれ返っていましたが、母はそんな父のことも放っておけず「新生児より手がかかる」と言いながらも、黙々と父の世話もしていました。母は里帰りが終わったら、しばらく息子に会えないため、かわいい姿を少しでも長く見ていたいようでした。 しかし、私たちのサポートをしながら、不機嫌な父の世話をする母はとても疲れきった様子。みんなが楽しみにしていた産後の里帰り期間。幸せいっぱいの時間のはずだったのに、私は疲れた母の顔を見て申し訳なく、悲しい気持ちになってしまいました。 父のおかげで、思っていた里帰りとは少し違っていましたが、私はお世話になっている身。父にはあきれるものの、感謝しなくてはいけません。しかし2人目を出産することがあれば、産後の生活は違った方法を選ばなくてはいけないなと思ったのでした。 著者:山下亜衣10歳と7歳のサッカー小僧の母。子どもたちを応援するため、アスリートフードマイスターを取得。転勤族で現在は地方での生活を満喫中。趣味はキャンプ。
2024年01月09日ベビーカレンダー公式YouTubeチャンネルでは、新型コロナウイルス感染症の影響がまだ残るなか、これから出産を迎える方の心の準備としてご覧いただくための出産ドキュメンタリー動画を12月24日(日)に公開しました。 緊張でなかなかお産が進まない初産婦さんを手厚くサポート!12月24日(日)、ベビーカレンダーは公式YouTubeチャンネルにて、28歳ママの自然分娩での出産に密着したドキュメンタリー動画を公開しました。新型コロナウイルス感染症に関する社会的状況が落ち着いてきたことを受け、少しずつ立ち会い出産の制限も緩和されつつありますが、まだ予断を許さない状況は続いている昨今。現在でも不安を抱えたまま分娩に臨む産婦さんが多くいます。 今回は、感染対策を実施する産婦人科病院で、小さな命が生まれた瞬間を動画におさめました。さらに、よりリアルな出産シーンを共有するため、助産師さんにカメラを装着して生まれる瞬間の撮影にも成功しました。これから出産を控える方々の励みとなり、そして不安が少しでも解消するきっかけになれば幸いです。 今回、東京都立川市「永井産婦人科病院」協力のもと、新型コロナウイルス感染症対策を講じたうえで、1人のママの出産に密着させていただきました。助産師さんの手厚いサポートを受けながらパパと一緒に初めての出産に臨みます。 助産師さんによる解説付きなので、入院から出産までの流れをより具体的に知れる内容となっています。2人の夫婦のもとにやってきた奇跡のような命の誕生の瞬間を、ぜひ動画でご覧ください。 ▲出産当日、陣痛から分娩、産後の回復までおこなうLDRに入室し、陣痛間隔が狭まるのを待ちます ▲お産を進めやすくするため、パパと一緒にスクワット。他にも足湯をしてリラックス効果を。緊張がほぐれたママは笑顔! ▲本格的ないきみがスタート。助産師さんたちが声をかけながらお産が進んでいきます ▲入院から約11時間後、元気な男の子を出産。ママの第一声は「えーー!かわいい!」。愛おしいわが子を抱き寄せます 今回密着したのは、パパによる立ち会い出産を選択したご夫婦。初産となるママは、妊娠40週1日目に陣痛間隔が5~7分になったところで入院。陣痛に苦しむママのために、パパがおしりを押したり声をかけたりと、ママをしっかりサポートしていました。 「助産師さんとパパのおかげで安心して出産に臨めました。生まれてきた赤ちゃんを抱っこしたときは、想像よりずっしりと重く感じました。この子の個性を大切にして育てていきたいです」 「そばに寄り添うことで安心してくれたら」と、ママをサポートしたい一心で立ち会いを希望したパパ。言葉数は少なくても、出産を終えたママの頭をやさしくそっとなでる姿に、ご夫婦の深い絆を感じました。 <東京都 永井産婦人科病院 担当医師>ご出産、おめでとうございます。お母さんの頑張りもあって、とても順調なお産でした。出産を控えている方の中には、「陣痛や出産を乗り切れるかなぁ」「無事に赤ちゃんが生まれてくるかなぁ」と不安を抱える人も多いものですが、出産は「案ずるよりも産むが易し」です。実際に出産を終えると、「意外と何とかなるものだ」という感想を持たれる方が多いようです。いろいろと考えすぎず、安心して出産に臨んでほしいと思います。 <東京都 永井産婦人科病院 担当助産師>ママ・パパ、赤ちゃんみんなで力を合わせて本当に頑張った出産でした。痛いときの深呼吸がとてもじょうずだったので、赤ちゃんにしっかりと酸素を届けてあげられていたと思います。なかなか陣痛が強くならず、不安な気持ちもあったと思いますが、できることを全力で頑張られた素晴らしい出産でした。ご出産おめでとうございます!「妊娠~出産~産後・子育て」と、たくさんの「不安」があると思います。でもその「不安」はなくそうと思ってもなくならないかもしれません。なぜなら、初めてことが待っているから。経産婦さんも「2回目・3回目…」ではなく、「2回目が初めて」「3回目が初めて」です。わからない「不安」はどうしても残ってしまいますが、「不安」は残っていて大丈夫!うまくお付き合いをしていきましょう!不安とうまくお付き合いするコツは、「疑問を解決すること」と「1人で悩まないこと」。疑問が残っていると「余計な不安」が増してしまいます。ひとりで悩んでしまうと「余計に不安」が強くなってしまいます。疑問があるとき・悩んでいるとき・困っているときは、ひとりで悩まず、必ず伝えるようにしましょう。そのために私たち専門家がいます。私たちはみなさんが「わくわくする出産」を迎えて「わくわくする楽しい子育て」をスタートできるよう全力でサポートいたします。 <ベビーカレンダー編集長 二階堂美和>新型コロナウイルス感染症が5類に移行となり、両親学級や立ち会い、面会などの制限が少しずつ緩和されてきました。しかしながら、まだ産院においては制約も多くリアルな情報が得にくいのが現状です。そのため、出産に対して不安を感じている妊婦さんの声が多く聞かれます。このような制限の多い状況下だからこそ、産院に到着してから出産するまでの流れや、陣痛の間どう過ごすかを事前に知ることで、安心して出産に臨んでもらえるのでは……そんな思いから出産の一部始終を撮影し、配信することにいたしました。今回は、メインの助産師さんの胸元にカメラを装着してもらい、助産師さん目線での出産も紹介しています。出産までの過程に寄り添ってくれる助産師さんの目線を知ることで、より安心していただけるのではないかと思っております。さらに、今回はお産を進ませるためのサポートなど、これから出産に臨む妊婦さんのお役に立てる情報も満載です。また、妊婦さんのみならずすべての方にご覧いただき、小さな命の誕生の素晴らしさを感じてもらえたら幸いです。 「感染症にかからないか不安……」「陣痛や出産が怖い……」などと、初めての妊娠・出産への不安や恐怖心を抱えている方も多いでしょう。この動画を見た方たちが、命が生まれる尊さをあらためて感じたり、「愛するわが子のために頑張ろう」と思っていただいたり、そんなきっかけになることを願っています。これからもベビーカレンダーでは、「赤ちゃんがいることの幸せ」をいっぱいに感じてもらえるよう、さまざまな情報を発信していきます。
2024年01月01日2人目の子を出産したときの話です。私はこれが最後の出産になるからと、バス・トイレ付きの個室がある産院を選びました。逆子が直らず予定帝王切開だったため、入院は1週間。赤ちゃんとの優雅な産院生活を送るつもりだったのですが……。2度目でも産後は大変…産後は赤ちゃんのケアに追われる毎日でした。帝王切開の痛みは徐々に軽くなるものの、ベッドから起き上がるのもひと苦労。 ほとんど人と会わない個室ということもあり、空き時間はシャワーもせずにただ横になっていました。 シャワーなしで1週間経過体を動かせるようになってからも、全然眠ってくれない赤ちゃんを夜通し抱っこする日が続き、常に寝不足状態。赤ちゃんが眠った隙を見て、私もばたっとベッドに倒れていました。 そんなふうに過ごしているうちに、結局1回もシャワーを浴びずに退院日を迎えたのです。バス・トイレ付きの部屋だったにもかかわらず! しかし、このことは誰に知られるわけでもありません。「もう帰るんだし、いっか」とのんきに構えていました。 退院前の内診で大慌て!退院当日は診察がありました。診察といっても切開した傷口を診られるだけかと思っていたら、大誤算。子宮の収縮度合いを確認する内診もあったのです。 「子宮もですか!?」。私はとっさに声が出ました。入院中1回もシャワーをせず、悪露まみれでひどい悪臭を放つアソコをお披露目しなくてはいけません。 慌てる私に看護師さんは心配そうな顔。私は平静を装って内診台に座り、もしかしたら運良く担当医師の鼻が詰まっているかもしれないという、少ない可能性を信じました。そして内診は問題なく終わり、医師と看護師さんに笑顔で見送られながら、私はそそくさと部屋に戻ったのです。 産後は体を動かすのが難しく、赤ちゃんのお世話をしながら隙を見て仮眠をとる生活。シャワーを浴びる気力が湧かないまま退院日を迎え、退院前検査で冷や汗をかいてしまいました。助産師さんいわく、産後に不衛生な状態が続くと創部や子宮内で感染の恐れがあるとのこと。助産師さんに相談すれば清拭などをしてくださるようです。今になってみれば、シャワーを浴びるのがしんどいということを助産師さんに伝えたらよかったなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:原 かすみ
2023年12月21日