2015年7月に元気な男の子を出産し、ママとなった杉山愛さん。テニスプレーヤーとしてトップまで登りつめ、パートナーにも子どもにも恵まれ、順風満帆な人生をお過ごしのように見える杉山さんにも、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった時期があるそうです。そんなとき、道を開いてくれたのが近著『 杉山愛の“ウィッシュリスト100” 願いを叶える、笑顔になる方法 』(講談社)でも紹介されている「ウィッシュリスト」の存在。結婚・出産もそのリストによって叶えたといっても過言ではないそう。そして、ママになって自分の時間が少なくなったいまこそ、ひとりの女性として人生を楽しむために、ウィッシュリストが有効だといいます。でも、ただ単に願いを羅列するだけではダメなよう…。そこで、今回は杉山愛さんに、ウッシュリストで願いを叶えるコツをお伺いしました。■テニスプレーヤー以外の自分って?杉山愛さんといえば、日本を代表するテニスプレーヤーであり、日本人で初めて、WTA世界ランキングのシングルス8位、ダブルス1位にまで登りつめた、誰もが知る女性トップアスリート。それだけに、引退直後の燃え尽き感は半端ではなく、テニスプレーヤーとしてのライフがなくなったことで、心にぽっかりと穴が空いてしまったそう。そのとき、自分自身に問いかけるような気持ちで始めたのが、「ウィッシュリスト」でした。「もともと日記を書くのが好きで、選手時代は10年以上続けていました。書くことで体調や気持ちの変化がわかり、試合に向けての調整にとても役立っていました。引退後の、第二の人生をどうしていいか分からなくなったとき、いったい自分が何をしたいのかと、自分と向き合うために書き始めたのがウィッシュリストです」■ウィッシュリストは本当の自分に気づく手段ウィッシュリストとは、その名の通り「お願いごと一覧表」。かなえたい夢、行きたい場所、欲しいものなどを書き出したリストです。杉山さんはウィッシュリストを書き始めたことで、自分が本当にやりたいことや理想のライフスタイルが明確になったそう。「今ではウィッシュリストに100項目以上の叶えたい願いを書いていますが、はじめは25個しか思いつきませんでした。でも、それが『自分はこれだけしかやりたいことが明確になっていない』という気づきになりました。また書いている最中、『こんなの叶うわけない』と、自分で自分の可能性をブロックしてしまっていることにも気づかされました。ウィッシュリストの作成には正解がありませんし、誰に添削されるわけでもありません。自分が本当に叶えたい夢、やりたいことを書いて、本当の自分を見つける。そこから、ウィッシュリストに書いた項目を叶えるために動いていけば、自分らしく、楽しく夢が実現していくと思います」見ていてワクワクする、楽しいウィッシュリストにすること、それが効果的なリストづくりのコツだと杉山さん。タブレット端末やスマートフォンで作成しておくと、いつでも書きかえたりチェックしたり出来て便利です。■杉山さん流、より願いが叶いやすくなる秘策ウィッシュリストの作成と同時に、杉山さんが実践しているのが「呼吸法」です。「書いただけで願いが叶うわけではなく、叶ったシーンを強くイメージすることが大切です。このとき、深い呼吸でリラックスしながらイメージをすると、よりヴィジョンが見えやすくなります」【杉山さん流「呼吸法」】1. 姿勢を整えて目を閉じます2. 丹田を意識して鼻から息を吸い、いったん息を止めて全身に行き渡らせます(下腹に手をあてると丹田を意識しやすくなります)3. 鼻から息を吐き出します(足の裏から疲労物質やネガティブな思いも一緒に吐き出すイメージで)これを数回繰り返しながら、なりたいイメージが実現しているところを想像します。呼吸法やウイッシュリストのおかげで、杉山さんは結婚と出産を叶えました。書き出すことで、願いを叶えるチャンスが巡ってきたとき、気づきやすくなるそうです。ママになった今は、ウィッシュリストの項目に子どものことが多くなったとのこと。■ウィッシュリストを家族みんなで楽しむ「夫婦それぞれのウィッシュリストを作ると、なおいいですよ。これからのライフや子育てについて、お互いの気持ちを確かめるキッカケにもなります。あくまでも楽しく、やりたいことを書き出す。それが願いを叶えるコツです。よく、子どもにどんなスポーツをさせればいいですか?と聞かれますが、それも答えは同じで、お子さんが楽しいと思うものが結局いちばん続きますし、伸びると思います」杉山さんも小さい頃から数多くのスポーツに触れ、そのなかからテニスを選んでいます。練習が楽しくて、辛いと思ったことはなかったそうです。また、杉山さんのお母様のある教育が、杉山さんのウィッシュリスト達成力に大きく影響しているといいます。■願いを信じて叶えられるのは母の絶対評価のおかげ「母は、私を人と比べて評価することを絶対にしませんでした。妹ともそうです。個を大切にしてくれ、決断が必要なときも、母の考えを押し付けるのではなく、私がどうしたいかを必ず聞いてくれました。それが選手として的確に判断する力にもなり、ウィッシュリストの可能性を素直に信じ、叶える力になっているのだと思います」杉山さんも同じように、誰かと比べるのではなく、「個」を尊重した子育てをしようと考えているそう。DNAは嘘をつかないようで、お子さんは生後4ケ月でテニスボールを持ち、10ケ月で自主的にラケットを握るまでに。1歳になった今は、元プロゴルファーのご主人による指導のもと、ゴルフのアドレス(打つ前の姿勢)ができるまでに成長しました。…は、早すぎます(笑)。最後に、杉山さんから日本で頑張るママさんへメッセージ「日本では、ママは子ども優先で自分のやりたいことは二の次にするのが美徳だという風潮があります。それはそれで大切なことですが、ママが幸せであることも、子どもの幸せには欠かせないと思うんですね。まずはママがウィッシュリストで自分らしさや楽しみを見つけ、そこにお子さんやご家族を巻き込んでしまえばいいと思います。ママの幸せ、パパの幸せ、子どもの幸せを家族みんなで一緒になって叶える感じで、ウィッシュリストを試してみてください」インタビューにはご主人も同席してくださっていたので「そばで見ていて、奥さまが願いを叶えてきた秘訣って何だと思いますか?」と質問を投げかけると、「愛は、とにかく周りを巻き込む力がスゴイ! それも自然に手を貸してあげたくなるような雰囲気があるんですよね…」と即答。たしかに取材が進むにつれ、杉山さんが放つプラスのエネルギーに、スタッフみんながいつのまにか感化されているから不思議です。きっとそれは杉山さんが“ワクワクすること”や“楽しむこと”を大切にしているから。ママになっても罪悪感をもつことなく、自分自身が楽しむことを大切にする、それがすなわち自分らしさを見つけるということだと、著書『杉山愛の“ウィッシュリスト100” 願いを叶える、笑顔になる方法』(講談社)は教えてくれます。・ 『杉山愛の“ウィッシュリスト100” 願いを叶える、笑顔になる方法』(講談社)
2016年08月04日イタリアで女性として初めて市長に当選した、ビルジニア・ラッジさん。初の女性ローマ市長というだけでなく、ローマ市長としては史上最年少の37歳という若さで当選。その美しい容姿にも注目が集まり、世界中のマスコミでも話題となりました!モデルや女優さんかと思ったという方も多いほどの美貌を持つ彼女。弁護士から政治家への転身、子育てと仕事の両立など、彼女の考え方や生き方は同年代の女性にとって参考になる点が実は多いのです!ビルジニア・ラッジさんってどんな人?Photo by Pinterest女性初のローマ市長、ビルジニア・ラッジさんはローマ生まれのローマ育ち。ローマ大学では法律を専攻し、卒業後に弁護士となりキャリアをスタートしました。その後は6年以上、著作権など知的財産分野を専門とする弁護士として活躍されていました。イギリスの雑誌「エコノミスト」では「非常に優秀な論客」と掲載されたこともあったようです。2009年に男児を出産。選挙中に夫とは離婚の危機にあることを認めており、現在はローマ郊外で息子さんと二人暮らしのようです。2013年には市議会議員に当選し、政治家へと転身しました。趣味は登山やスキューバダイビングなどで、アウトドアが好きな活動的な女性なのだとか!キャリアチェンジー政治家への転身Andrea M5Sさん(@andrea_m5s)が投稿した写真 – 2016 6月 22 12:14午後 PDTラッジさんは、自身のサイトで市長を志した理由について次のように語っています。「ベビーカーに息子を乗せて市内を歩きながら、歩道の少なさや二重駐車のひどさに気づき、公共のために取り組む決意をした」子育てをする中で感じた不便さから、ローマの改革に関心を持ち、政治の世界へと乗り出したことになります。生活をしていて不便を感じたり、ニュースなどを見て政治家に対する不満を感じることは誰にでもよくあると思います。しかし、これではいけないと感じたときにそのままにするのでなく、自分で変えていくんだという考えができる人はなかなかいませんよね。文句を言うだけでなく、自分でその不便を解消するためにはどうすればいいかを考えるという強い意志と行動力は見習いたいですね。これからは、不便なら自分で変えられることは何かないかと考えてみてはどうでしょうか?何も政治家にならなくても、できることはたくさんあるはずです。母親として政治家としてPhoto by Pinterest選挙前のニューヨークタイムズ紙のインタビューでは、「子どもたちのために世界を変えたいと願う母親たちのために頑張りたい」と答えていたように、母親の目線がベースになっているようです。今後は治安や交通事情、幼稚園数などの行政サービスを向上させたいとも語っています。息子の送り迎えをする姿がキャッチされるなど、素敵なお母さんとしての一面も。子どもを育てながら弁護士の仕事をこなし、政治家としてのキャリアを築いてきたラッジさん。政治家への転身のきっかけも子育ての経験がもとになっているように、子育てを経験しているからこそわかること、できる仕事もあります。仕事か出産かで悩む女性も多いとは思いますが、すべての経験が活かせるような人生のプランを考えてみるのもいいかもしれません。ラッジさんはもちろん母親としてだけでなく、「すべてのローマ人のために市長になります。ローマの透明性と合法性を取り戻すために尽力します」とコメントしています。母親として、一市民としての視点を持っている市長というのは大変魅力的ですよね。また、一部ではメディア受けを狙った候補だという批判もありましたが、実際に選挙の注目度や若者の投票率も高く、政治に関心を高めるのにも一役買ったようです。自分の人生をどう使うのかPhoto by Pinterestその美貌により外見の美しさにばかり注目が集まっていますが、彼女の使命感や行動力も注目したいところです。野良犬の収容施設や執行猶予中の未成年のケアなど、ボランティア活動にも熱心な様子のラッジさん。子どものため、ローマの改善のために政治の世界に飛び込むのは勇気のいることです。国の制度や体制同様、会社や社会組織について不便や不満を抱えてはいても、それを自分が変えるんだと実行に移せる人はどれだけいるでしょうか?これからのキャリアや人生設計を考えるときに、こうした視点もあるということを覚えておいてもいいかもしれません。
2016年07月29日半世紀前、日本の女優で初めて「007」に “ボンドガール” として出演を果たした、浜美枝さん。4児(!)の母として幸せな家庭を築き、現在も美しく心豊かな人生を謳歌されている浜さんが、最近『孤独って素敵なこと』(講談社)という潔いタイトルの著書を上梓しました。その中には、子育てや生き方に悩む女性にぴったりの珠玉の言葉がたくさん。育児中はストレスで、心因性のアレルギーに悩まされたそうですが「母親としての幸せだけでなく、一人の人間としての幸せも手に入れたい」と願っていたとか。そして、自分が社会で求められることに喜びを感じ、「何かを乗り越えて達成していくおもしろさ」を手放さずに生きていきたい、と思い続けてきたそうです。そんな浜さんに、育児中の母親たちへのアドバイスも含め、お話を伺いました。■一度、ゼロに戻って考えることも必要。育児中、大事なのはまず睡眠!―― 30代半ば頃、何もかもうまくいかない時期があったそうですね。「次女が0歳で長男が2歳、長女が3歳の頃、毎日ワイドショーに出演していて、子育てでもへとへとなのに眠れなくて、自分が空っぽみたいな空虚な精神状態になってしまって…。何をやってもダメ。99.9%決まってた仕事もキャンセルになっちゃう。そういうことが重なってなぜだろうと思った時、自分に何か問題があるんだわ、と思ったんです」―― そんなにお忙しかったら、当然かと思うのですが…。「自分の何がいけないんだろう、って考える性格なんですね。わりあい冷静に自分を客観視してみて、自分では認めたくないことだけれども、きっと今、私は美しくない。世の中から求められる状態の浜美枝じゃないんだわ、と思ったんです。で、これは一度まっさらになって、まず睡眠を取ろう、健康的になろうと自分で順番を決めました。三人の子どもを両親に見てもらって東京と行ったり来たりしながら、仕事も中途半端にするくらいなら辞めよう、と。もちろん経済的な影響はすごく大きかったのですが、私は6畳一間で子ども時代を過ごしていますから、そういうことに執着しなかったんですね」―― 女優さんとしてのステイタスは? 個人的な話で恐縮ですが、かつてゴダールからの映画出演の依頼を断った、とご著書で読んだ時は、思わずのけぞりました。「いえいえ、本当にそうだったんです。キャリアが大事とかそういうこと、あんまり思わないんですよね(笑)。そして、ゼロになってみたら、意外に心地よかったんです。精神的なストレスもだいぶ取れていった。そこから新たにスタートした感じです。やはり、それ以前は疲れた顔して、笑顔もそんなに出ないで、ゆとりもなかったんだと思います」―― 女性は、自分の好きな自分でいないとうまく立ち行かないものですよね。「私、4番目の子を妊娠6ヵ月半で流産したのですが、その時はもうどうすることもできませんでした。自分の力では何をどう努力しても、自分の感情をコントロールできないんです。その時、たまたま仕事で南アフリカに行き、お休みが1日あったので、ヨハネスブルクまで自分で運転して喜望峰へ足を延ばしました。大海原に足を踏み入れた途端、心身がスーッと浄化され、失った命のことは忘れられないけれど、そこで立ち止まってはいけない、丁寧に生きていかなくては…と思えたんです。自然の大きさは何より人の心を癒してくれるのではないでしょうか。旅もまた、苦しみや悲しみを浄化して、生きる気持ちを取り戻させてくれる、と私は信じているんです」本当に辛い時、自分を癒す方法を知っているか否かで、人生はずいぶん違ってくると思います。浜さんの言葉は私たちに生きる勇気を与え、エールを贈ってくれます。 ■「妻に家事を求めて、結婚するな」と息子を育てた。男の子の教育が肝心! 現在は、住み始めてから40年になるという箱根の森の中の古民家で、大自然に囲まれながらお好きな美術品や選び抜かれた道具たちと、美意識が隅々にまで活かされた暮らしを楽しんでおられる浜さん。「食べることが大好き!」で、育児中も料理だけは手を抜かなかったという彼女は、次男夫妻と同居する中、ランチだけは手作りするとか。「家にいる限り、お昼ご飯を作るのは私の役目なんです。それがものすごく楽しみ。お昼はしっかり食べて、夜は軽く…。あらゆるものを作ります。次男のお嫁さんも子供がまだ小さいし、家で仕事をしていますから、長時間かけてコトコト煮たり…なんていうのは土日以外はできません。なので月曜から金曜までは、一週間で冷蔵庫のものを使い切ることを前提に、私が買い物もします。金曜日には冷蔵庫がきれいになっているように(笑)」―― 浜さんのお得意の料理は何ですか?「煮物だと思います。煮魚とか。今、イワシやサバが美味しいから、サバの味噌煮とかね。それからパエリアみたいなものもします。複雑なものはしません。お嫁さんがパンとかお菓子がすごく上手なんです。私はお菓子はどうも苦手。几帳面じゃないんですね。お嫁さんはきちっと計って作る。パンも美味しいし、スノーボールなんて絶品なんですよ」―― スノーボールが絶品とは、素敵なお嫁さんですね。「うちは息子二人ともいい嫁に恵まれて、娘が四人いるみたいな感じです」―― 嫁姑円満の秘訣は?「お互いにあんまり干渉しないんですよ。嫁も、私が出かける時、何時に帰るか聞かれるのが嫌なタイプだって知ってますから。私から、何時に帰りますってメールするくらいで。お互いに立ち入らないの。距離を保つ。同居していても知らないことがいっぱいあります。嫁に言ったから息子に伝わるとは限らないし、その辺のところは非常に合理的な家族です。風通しがいいんですね。だから、私は世の中でいう嫁姑での嫌な思いって、したことがないです。長男の嫁は全然タイプが違いますけど、彼女もとてもチャーミングなんです」―― 育児に関して、夫や義理の両親と価値観が合わない場合もあると思うのですが…。「それは、最初から決めてできることではないと思うんですね。私たちもそうですけど、同居してどんなふうになるのか、彼らに子供がいない時から、生まれてからも手探りなんです。そういう中で、お互いの一番いい空気感というか、関係性を日々作りあげていくことだと思います。相手が嫌なことはしない。してもらって嬉しいことは『ありがとう』って言う。そういう柔軟性がないと、あんまりがんばり過ぎてもいけないし。私は、息子にそれだけはきつく言ってきたのが、『料理や洗濯をしてくれる人と結婚するわけじゃないのよ』と。そういうことは自分でやって、その上で『共に歩む人と、結婚てするものよ』。だから、小さい時から料理もさせたし、洗濯も洗濯機の中にパンツ突っ込んじゃうだけ、なんてことは絶対させませんでした。自分の下着は、お風呂場で自分で洗わせて…」―― 男の子は、“自分で洗濯機に入れるだけでも上出来” と思ってはいけないですか?「とんでもない! 逆に女の子は、私はほうっておいてもいいと思ってるんですよ。女の子って、愛してる相手であれば、してあげたいじゃないですか。美味しい料理を作ってあげたいし、基本的には、女性は人を愛する、命を育むっていうものを持ち合わせていると思うんです。そこを大事にして、男性がしてあげれば女性は変われるし、優しい気持ちでいられるじゃないですか。だから大切なのは、 “男の子の教育” ですよ。息子は家事も育児も全部やります。子どもにご飯も食べさせるし、おしめも替える。同等です。それだけは、私が唯一、子育てでしてきたこと。もうそれだけですね。やっぱり、男次第。絶対そう思います。働く女性と結婚したら特にそうですよね。育児まっ最中、母親だけが大変ではいけないです。日本の男性に変わってほしい、もっともっと!」浜さんがお嫁さんと仲良しなのも、そんなふうに育てた息子さんが選んだ女性だから…、と思わずにおれません。男の子の育て方、参考にしたいですね。祖父母が甘やかす場合、関係が険悪にならないよう配慮しつつ、浜さんみたいに育てられるといいのですが。 ■お嫁さんには、“一人になれる時間” をちょっとでも持ってほしいもともと民芸や骨董が大好き。たまたま仕事で訪れた山陰の旅の途中、人の悲鳴のような声が聞こえて車を降りたら、古い家の解体現場で使われるチェーンソーの音だった…これをきっかけに古民家の廃材を集めて、いまの箱根の家を建てたという浜さん。そこに “新たな命” を吹き込んで次世代へつなげたい、と日々の暮らしを大切に営んでいます。―― 育児でいっぱいいっぱいだと、目の前のことしか見えなかったりしますが、「どう生きるかは、どう暮らすか」と本書に書かれていてハッとしました。「30~40代って、一番その辺が悩むことじゃないでしょうか。愛する家族を大切にすると同時に、よりよい自分でありたいと思うなら、どうにかして “自分の時間” を作る。たとえば映画でも音楽でも、落語でもいいから “自分が感動すること” に絶えず身を置くことです。これを面倒だと思わないことね。私、最近のブログに書いてますけど、『裸足の季節』という映画、本当に感動しました。疲れた時こそ自分を解放してあげる。美術館でもいいし、半日の小さい旅でもいい。日常から少しだけ自分を解放してあげるのは、生活の知恵として悪くないと思うんです」―― 最後に、100万回聞かれてらっしゃると思いますが、「美貌の秘訣」を教えてください。「よく眠って精神的なストレスを溜めなければ、30~40代は十分美しいです。一番大事なのは精神的なこと。人を愛してドキドキしたり、何か感動したりということが健康には一番いいと思います。わかっていても、なかなかそれができないんですよ。あと、『さざなみ』という映画もよかったです。あれ、男の人に観てほしい。私、2度観ちゃいました。男性の監督なのに、どうしてここまで女心がわかるのかしらって、ブログに書いちゃいました(笑)。育児中のママたちも、なるべくたくさん映画をご覧になって、心を解放して、いろんな生き方があることを知っていただきたいです」―― 映画どころか、お茶一杯まともに飲めない状況のママもいると思うのですが…。「そうね。だから私もお嫁さんに、ちょっとでも一人の時間をあげたいと思っています。一人になる時間がないということがどんなに辛いことか、よくわかっていますから、お嫁さんにはそういう思いをさせたくないです。育児中こそ、なるべく女性がゆとりを持てて、自分のことも考えたりできるといいなあと思うんです。お嫁さんは今、編み物をしたくても難しいけれど、 “かぎ編み” だったらできる、と。ミシンを使ったりする時間はないけれど、かぎ編みは楽しめている。じゃあ、読みやすい本があったら紹介してみよう、とかね。優しさを持っているお嫁さんだから、私も優しくなれる。幸せなことです」―― 一家に一人、浜さんにいらしてほしいです(笑)。どうもありがとうございました。別れ際、「最近のジェームズ・ボンド役、ダニエル・クレイグをどう思いますか?」と伺ったら、「自分が出演した後の『007』は観てないの。それ以前も観てないけど。『007は2度死ぬ』で共演させていただいたショーン・コネリーさんが、一番素敵だと思ってるから」と答えて、恥ずかしそうにニッコリ。とても可愛い女性なのです、浜さんは! 浜美枝 (はま・みえ)1943年、東京都に生まれる。1960年、バスの車掌をしていたときに受けた東宝のコンテストを経て女優デビュー。1967年、映画『007は2度死ぬ』に、日本人として初めてボンドガール役として出演。その後、テレビの「小川宏ショー」「いい朝8時」「日曜美術館」などの司会としても活躍。女優業のかたわら、40代から箱根に古民家を移築し、4人の子どもを育てる。農林水産省「食アメニティを考える会」会長、近畿大学総合社会学部の客員教授を歴任。現在は、文化放送ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」のパーソナリティのほか、農政ジャーナリストとして国土庁・農林水産省の各種委員会のメンバーを務める。新刊: 『孤独って素敵なこと』(講談社)
2016年07月27日ミニマリストという言葉を知っていますか?英語で最小限という意味の「ミニマル」から来ている最小限主義者という意味で使われています。このミニマリストという言葉は、昨今注目されつつあり、2015年度の新語・流行語大賞にノミネートされたほどで、巷ではミニマリストたちの書いた書籍やブログがアラサー・アラフォー世代の女性たちから大人気となっています。そこで今回は、ミニマリストについてご紹介してみたいと思います。ミニマリストって何?上述のとおりミニマリストは、物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人のことを言います。本当に必要だと思う物だけを厳選して持つことで、かえって心豊かに生きられるというのが、ミニマリストのライフスタイルなのです。つまり、スペースや時間、エネルギーを、溢れ返った物の管理に費やすことをやめて、もっと大切な何かに使おうという考え方です。あなたも断捨離をして、すっきりとした部屋で、何だか気持ちや頭まですっきりして前向きになり、好奇心旺盛に、フットワークも軽くなったりした経験はありませんか?ミニマリストも、それと同じように物を持たない暮らしをすることで、さまざまな人生の無駄を削ぎ落とし、大切な時間や空間を、やりたいこと・やるべきことに費やすことができるような人生を目指しているのです。ミニマリストになるメリットミニマリストは、自分に不要だと思うものをどんどん削ぎ落とし、必要なものや気に入ったものだけを厳選して、大切にケアしながら所有します。例えば、洋服。ミニマリストと言われる人々は、次から次へと新しい洋服を買うことはしません。こだわりぬいて選んだ数着を、丁寧にケアしながら長く着用するのです。少数精鋭のお気に入りの服だけが収納されたクローゼットがあれば、毎朝「どの服を着ようかしら」と迷うことがなくなり、時間が節約できます。物に溢れている現代社会ですが、ミニマリストはあるものを大事に使いますから、新しい服をセールで衝動買いすることもなく「安いから」という理由で不要な服を買い足すこともないため、金銭的な節約にもつながります。そして、単純に洋服が少なくなることで、クローゼットを広々使えるようになり、省スペースにもなりますよね。このように、ミニマリストになると、時間やお金、スペースなどの節約ができ、生活に無駄がなくなり、合理的に暮らせるようになるのです。物がなくなると、身軽になり、旅や引越しなど、身動きがしやすくなり、フットワークが軽くなることや、人間関係に執着しすぎなくなることもメリットの一つかもしれません。しかし、もっとも大きなミニマリストという生き方のメリットは「自分にとって本当に大切なもの」「本当にやりたいこと」「しなくてはならないこと」などが明確に見えてくるということではないでしょうか。ミニマリストが注意したいことミニマリストとして生きていくことは、良い面だけでなく、悪い面もあることを覚えておかなくてはなりません。たとえば、災害時。ミニマリストは最小限のものしか持たないので、食材や日用品や衣服などにストックがない、防災グッズがないという人も多いかもしれません。ライフスタイルとしてミニマルに生活する場合も、万が一のときの備えはしっかりとしておくようにしましょう。また、ミニマルでいることに執着しすぎてしまい、自分と違う価値観の人や、他人の意見などを一切受け入れなくなってしまう人もいるようです。自分の価値観はあくまで「自分」の価値観です。人それぞれ、いろいろな価値観や考え方があることを冷静に理解し、受け入れられる心の余裕をもつことも大切です。また、ミニマリストとして「いかに物を少なくするか」にばかり捉われてしまうことにも気をつけなくてはなりません。大切なのはどれだけ物を減らすことではなく「いかに心が豊かになり、自分が前向きに、自分らしく生きられるようになるか」なのだということを忘れないようにしたいですね。ミニマリストとして自分の必要なものや情報にしぼって人生に取り込んでいく生き方は、持っている物は少なくても、実は一番贅沢で豊かな人生なのかもしれませんね。ミニマリストというライフスタイルに執着しすぎて、自分の本当に大切なものを捨ててしまわないためにも「物を持たない」ことを目指すのではなく「本当に大切なものは?」「これは必要な情報?」と、自分と向き合って、自問自答する時間を持つことが必要なのではないでしょうか。
2016年06月27日今までの人生の中で「後悔したこと」がない人はいないと思います。生きているのであれば、誰もが経験すること。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいとよく言うように、やる後悔はだんだん小さくなりますが、やらない後悔はどんどん大きくなっていくことが多いですよね。人間関係後悔する原因の中でも上位に挙がるのが、人間関係。自分以外の人間と接することは、日々の生活の中で当たり前ですよね。人間関係が上手な人と苦手な人とで分かれますが、苦手な人の中で最も後悔する原因となるのが「人見知り」です。人見知りであるがゆえに、本来の自分を出し切れなかった、分かってもらえなかった、誤解されてしまった、など様々な失敗談が生まれます。そこで後から段々と後悔の念に駆られてしまうんですよね。「あの時にもっと〜だったら」「〜していれば」と、「たられば」の気持ちと考えで、心と頭がいっぱいになってしまうんです。人見知り中に吸収すべきことでも人見知りの性格って、後悔しても気を付けても、簡単に治るものではありません。むしろ努力して人見知りを克服しようとした結果、もし失敗してしまったら…。その後は更に人見知り度が悪化してしまうでしょう。ですから、無理に治そうとするよりは、人見知りのままのあなたで今後の人生をいかに上手に生き抜いていくか、を考えるべきです。人見知りだからと言って、決して本来の性格が物静かなタイプの人ばかりではありませんが、人見知り中は大人しく周りをじっくり観察出来る能力に長けています。最初からおしゃべりで人懐っこい人にはない部分ですよね。「じっくり観察してしまう=周りの人をより理解しやすい」訳ですから、人見知り後の人間関係に役立つ事を、人見知り中に吸収しておきましょう。ちょっとした行動や動作で、実はこんな人なんだと、良くも悪くも人を見る目が養われるはずです。恋愛の掟「あなたが後悔したのはどんな時ですか?」とアンケートをとれば、きっと恋愛に関係するエピソードが何より多く出てくるのではないでしょうか。恋愛で失敗したことがない人を探す方が難しいかもしれません。それ程みんな、恋愛でたくさんの失敗をして大人になってきているんですよね。十人十色、ひとつとしてこの世に同じ恋愛はありませんから、前回の恋愛での経験を活かしたとしても、今回は失敗に終わってしまう、なんて事も普通に起こりうるのが恋愛というもの。しかし、どんな恋愛にも唯一共通するものがあるんです。それは「素直になる」ということ。とても簡単な事で、とても当たり前の事。でも、恋愛中って自分が自分でなくなってしまうような事だらけですから、そもそもが正常ではないんです。だからこそ「素直になること」が何より大切なんですね。恋愛は1人では出来ません。相手がいてこそ成り立ちます。そしてその相手もまた1人の人間。人間対人間なのですから、気持ちがすれ違ったり、意見がぶつかることがあって普通です。そこで意地を張らない、駆け引きしない、素直な気持ちを相手に伝える、それこそが恋愛の掟。掟がもたらす効果とはこの恋愛の掟は「失敗しない」ために、心掛ける訳ではありませんよ。「後悔しない」ために心掛ける掟です。もし、素直になれずに失敗したら…「どうしてあの時素直になれなかったんだろう」とずっと心の中にもやもやが残ります。でも、素直になった結果が失敗だったら…「結果は失敗に終わったけれど、あの時素直な気持ちを伝えられたんだ」と、あなたの気持ちはスッキリしているでしょう。ですから、素直になれた方が別れた後も立ち直りが早い、ずるずる引きずることはありません。それだけでなく「素直な気持ちを伝えられた、自分はやりきった」と自信も付きます。自信に溢れている人というのは男女問わず魅力的なもの。ひとつの恋愛が終わりを迎えたとしても、すぐに次の恋愛がスタートするはず!参考元:健康美人「後悔したことアンケート」株式会社エムスタイル
2016年06月01日高齢者、女性、無職でありながら、彼女にはツイッターで58,000人ものフォロワーがいます。(2016年2月現在)現在、81歳のミゾイキクコさん。11台のタブレットやパソコンを自在に操る人物で、そのツイートは、歴史と深い思索と、なによりも生活に裏打ちされた、含蓄に富んだものになっています。このたび、そんな彼女の名ツイートを一冊にまとめた本が発売されました。『何がいいかなんて終わってみないとわかりません。』(KADOKAWA)。本著からいくつかのツイートをピックアップし、生のミゾイさんに、つぶやきの奥にあるもの、さらには女性の生き方についてお聞きしてきました。■1:失敗からなにかを学ぶべし!ミゾイさんの名言が詰まった本著ですが、まず、「人にだまされるということも、自分の責任なのだという自覚を持つべきだ」という一文が目に飛び込んできました。これは、 具体的にどういうことなのでしょうか?「たとえばDVで離婚した人が、再婚してまたDVに遭うことがあります。それは本人のなかに、DVをひきつけてしまうなにかがあるからなんでしょうね」気づかない、つまり学ばないから、「次に行っても同じような男性と出会ってしまう」とバッサリ。ミゾイさんの佇まいや言動には、人生でなにが起きても自分の責任だと腹をくくっているようなところが見受けられます。いつからそのような考えになったのか、お聞きしたところ、「子どものころからですよ。大人の世界を横目で見ながら、苦労している人はなにかしらの力がないからであって、だったらその力をつければいいのに、と思っていました」それをしないで、被害者ぶっているのは怠慢ということなのですね。■2:考えることを習慣にすべし「若いときに考えない人、年を取ればなお考えない」という痛快なミゾイさんのツイートがあります。「考える人と考えない人の違いはどこから生まれるのだろう?」と思ったら、答えはやはりミゾイさんのツイートのなかにありました。「感ずるから考えるんですよね。考えるから学ぶんですよね。その積み重ねをする人としない人とでは差がつきますよね」つまり、考えない人は感じないということになりますね。では、感じないまま行くと、その先にはなにがあるのかお聞きしたところ、「しっかりした自分が持てないでしょうね」ミゾイさんを見ていると、とても認知症にはなりそうもないですね、とお伝えしたら、ミゾイさんのお母様がまさにそんな風だったのだとか。明治生まれのお母様は、とてもしっかりした方だったそうです。明治時代の女性の権利は、ほとんどないに等しいものでした。その時代の流れに逆らうことはしませんでしたが、世の中の矛盾を鋭く感じ取っていた女性だったといいます。ミゾイさんのルーツが垣間見えた気がしました。■3:全ての女性は賢くあるべし「考えなしの女は自分で自分の首を絞めていることに気づかない。考えなしの女は女の敵である」というミゾイさんのツイートは、女性に向けた「賢くあれ」というメッセージのようです。それはミゾイさんの恋愛観、結婚観にも表れます。ミゾイさんに、盲目的な恋愛体験の有無について、お聞きしたところ、「ないです」のひとこと。時代的な背景もありますが、恋愛するよりも結婚をしたかったそうです。当時の結婚は、基本的にほとんどの人がお見合いや紹介によるものだったといいます。「見合いっていうと嫌う人もいますけど、お互いの資産状況や親子関係だとか、初めからふるいにかけてから結婚するので、間違いがないんですよ。いまは恋愛してから結婚するから、恋愛気分が冷めたあとに問題が露呈しちゃうんですね」では見合いを勧めるということでしょうか、とお聞きすると、「勧めはしないが、見合いは安全です」とのことでした。■4:女性側も男性を理解すべしミゾイさんの鋭いツイートは、男女観にまで及びます。「女は夫に自分の気持ちをわかってくれなどと思わないほうがいい。男はそれが苦手なのだ」昨年、ご主人を亡くされるまで、ミゾイさん夫婦はずっと仲がよかったそうです。そのベースに、上記のツイートにみえるミゾイさんの男女観があったからでしょう。ミゾイさんにいわせると、「配偶者が自分の気持ちをわかってくれない」と愚痴る女性は、「器が小さすぎるんです。女ができていないんですよね。すべては女次第なんですから、もっとどんと構えていればいいんです」とのこと。また、子どもが生まれた後に、女性が配偶者をないがしろにしがちなことにも、以下のツイートで言及しています。「夫と仲良く暮らすことを後回しにして、子どものことに熱中する母親は愚かです。子どもはいずれ巣立ちます」そのことに気づかないから産後クライシスなどの悲劇を招いている、というのが日本の現状だといえます。*実際のミゾイさんはとても気さくで、よく笑う方でしたが、伸びた背筋に確固たる自分のある人、という印象を受けました。ミゾイさんの深みのある言葉に触れて、芯のある女性を目指してみてはいかがでしょうか。(文/石渡紀美) 【取材協力】※ミゾイキクコ・・・1934年生まれ 81歳。お茶大理学部卒業後、教職に就き、26歳から専業主婦に。ツイッター開始2010年1月28日。 70年前から見てきた人々の生活、戦争中、敗戦後の生活、高齢者問題について呟く。含蓄に富むツイートが共感を呼び、2016年2月現在でフォロワーは58,000人超。2010年に電通と東京大学大学院が立ち上げた「DENTSU デジタルシニア・ラボ」のアドバイザーも務める。趣味は、茶道、園芸、料理、写真。 【参考】※ミゾイキクコ(2016)『何がいいかなんて終わってみないとわかりません。』KADOKAWA
2016年02月26日働く女性の多くは、普段、なかなか本音をいえないと感じているようです。『マイナビウーマン』の調査では「本音をいえない相手」の1位は上司で、ゆうに42.1%もの女性が上司に本音を言えないと答えています。一日の大半を過ごす職場で本音がいえないというのは、精神衛生上にもよくないですよね。少し前までの日本社会は、他人と足並みを揃え、空気を読み、本音を隠して生きることで安定という報酬を得てきました。ですが、これからの時代は、たとえ正社員でも、安穏とはしていられなくなってきています。これからの生き方に不安を感じているならば、本著『本音で生きる』(堀江貴文著、SBクリエイティブ)を読んで、1秒たりとも後悔しない強い生き方の見本である著者、ホリエモンに学ぶことをオススメします。彼はいいます。「今はリスクを取らないことがリスクになる」時代だと。さらに、「安定を求めること自体がリスクである」とまで。■本音を言ってなにがまずい?本音で生きるとは、他人のことを気にせず、自分に正直に、やりたいことをやって生きる、ということにほかなりませんが、女性を含め、多くの日本人がそのようには生きられないと思っていないでしょうか。けれど、本音を言うとは、「いってはいけないことと、いってもよいことの区別」ができている前提あってのことです。ホリエモンはいいます。「そもそも、本音を言って、何がまずいのだろう?」「たしかに」と、ここで膝ポン!たとえば、本音を我慢して、過労やストレスのために病気になる人はいても、その反対はいませんよね。上司に本音をいえない人は、おそらく上司からなにかいわれると萎縮してしまうのかもしれませんが、「実はいい返されると面倒なのは上司の側」だとホリエモン。「さらに上の上司にマネジメント能力に問題があると思われたり、部下からの信望がないことを知られたくない」からです。結局、「本音をいって解雇されるような会社はどこにも存在しない」ですし、本音を言って職場で浮いてしまうことを心配する人は、職場を「やるべき仕事をする」ところということを忘れています。また、相手と意見が違うためにケンカになることを恐れる人も多くいますが、「意見が一致しないことと、その人を嫌うことは別」と、ホリエモンは大人です。さらに、「『お互いの価値観が異なることがわかる』というのは、とても大事なことだ」とまでいっています。これは、多様な考えや生き方を認めるダイバーシティー(多様性)を尊重する考えの根底にあるものです。■本音で生きられないのは「お金がない」のが理由ではない?仕事以外にやりたいことがあれば、思い切って会社を辞めることも選択のひとつです。ですが、その選択をする人はまだ少数派です。多数派の言い分が、「お金がない」「稼げるかわからない」といったお金に関することであることは、想像に難くないですよね。それは「言い訳」だ、とホリエモンはバッサリいきます。さらに、「お金がないという言い訳は無意味」とまで。お金はそれ自体に価値があるのではなく、価値を交換するためのツールに過ぎません。「お金は信用という複雑な存在を、単純な数値に落とし込んだツール。大事なのは信用であって、お金ではない」というホリエモンの言葉は、不思議に説得力があります。■プライドを捨てた方が成功するし愛される?自意識過剰な人が多すぎる、とホリエモンはいいます。なにかをしない理由に、世間体を挙げる人は多いですが、「世の人のほとんどは自分以外のことに何の関心もない」のです。だったら、他人の目など気にせずに、いいたいことを言い、やりたいことをやったらいい、とホリエモン。さらに、「プライドのないバカが一番強い」ロールモデルとして、カンボジア人になってマラソンに出た猫ひろしさんの話を出していますが、ここまでくると、人間その気になったらなんでもできることの好例なのでしょう。笑えて、元気が出てきます。*時代は、確かなもののない時代に突入しています。自分まで不確かなものにしないために、「本音で生きる」というタイトルにピンときたら、いまこそ読むべき一冊です。「本音で生きる」ことを当然と思っている著者が、もしかしたらこのテーマで書く最後の本かもしれませんよ。(文/Kinkiii)【参考】※堀江貴文(2015)『本音で生きる』SBクリエイティブ※本性なんか見せられない!女が本音を言えない相手とは?「3位:家族」「2位:恋人」-マイナビウーマン
2015年12月21日ファッション雑誌を見始めた頃、日本の雑誌は「1ヶ月間着回しコーディネート術」とか「痩せて見えるパンツスタイル」といった実用的な記事が多いのに、外国雑誌は「不思議の国のアリスのお茶会に招かれて」「鳥の背中に乗って世界を巡る旅」といったファンタジックな特集が載っていてびっくり! 5キロ痩せて見える、5歳若く見えるハウツー記事も役立つけれど、もっと違う美意識のレッスンがあるんだなあ、と思ったものです。そんな記事を載せる最たる雑誌がVOGUEでした。1892年、アメリカで創刊以来、世界各国で発売されているハイファッションの最先端、ファッショニスタ垂涎の雑誌。歴代の名物編集長は映画にもなっていて、セレブ並みの人気者に。そんなカリスマ編集長の登場する映画を3本ご紹介しましょう。この秋のお洒落心に火が点くこと、間違いありません。元フレンチ・ヴォーグ編集長カリーヌ・ロワトフェルドの生き方が潔く美しい▼マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ監督:ファビアン・コンスタン出演:カリーヌ・ロワトフェルド, スティーブン・ガン, カール・ラガーフェルドその美貌から18歳でモデルとしてのキャリアをスタート、20代で「ELLE」の編集者、スタイリストに転身し、40代でフランス版「VOGUE」の編集長に就任以来、2011年まで10年間務めたカリーヌの顔は、どこかで見たことがある人が多いのではないでしょうか?50代になってもスッと伸びた美脚にピンヒール。パリコレのフロントロー(最前列)の常連で、パパラッチされるスナップ写真では、爪先をやや内側に向けた立ち姿が有名でした。そんな彼女が、新雑誌「CR」を創刊するまでのドキュメンタリーがこの映画。「大勢が足を引っ張ろうとする」業界で、「ファッションは夢の世界。ファンタジーは私の本質よ」という姿勢からブレずに、苦心しながら夢を実現していく彼女の生き方が素敵です。夫がいて2児の母。「仕事も夫も愛してる」と言いながら、世界中のデザイナーたちからミューズとあがめられるエレガントでセクシーなカリーヌの魅力は、実は素直でピュアな人間性。そこが伝わる映画です。「誰にでも敬意を払うのが素晴らしい。自分が特別で重要な存在だと感じさせてくれるの。だから、みんなが彼女に尽くしたくなる」とは、彼女のアシスタントの弁。「いつか飽きられるわ」とサラッと笑いながら、ハイヒールで歩き続けるカリーヌの姿は、私たちに生きる勇気と美意識を問い直させてくれるでしょう。現アメリカン・ヴォーグ編集長アナ・ウィンターはファッション界のリーダー▼THE SEPTEMBER ISSUE ファッションが教えてくれること監督:R.J.カトラー出演:アナ・ウィンター, グレイス・コディントン, シエナ・ミラーショーを見る間も外さない黒いサングラス、金髪のボブヘア、女性らしい色合いのヒザ下丈のワンピースかプリーツスカート…アメリカ版ヴォーグ編集長、アナ・ウィンターも、常にスタイルが決まっている女性です。イギリス出身ですが、アメリカのハーパース・バザーやイギリス版ヴォーグでもキャリアを積み、1988年から現職。映画「プラダを着た悪魔」に登場する鬼編集長のモデルにもなった彼女は、同時に、3000億ドルのファッション産業で最も重要な人物、映画スターよりも注目の的、といわれています。この映画は、アナを中心にニューヨークのヴォーグ編集部が、2007年、ファッション誌の新年号といわれる重要な9月号を出版する様子を描いたドキュメンタリー。アナの片腕のクリエイティブディレクター、グレイス・コディントンと写真をめぐって対立したり、シエナ・ミラーの表紙撮影では豪華なヨーロッパロケが組まれたり、締め切り5日前にグレイス担当の特集が撮り直しになったり、ハラハラドキドキで目が離せないおもしろさ!“氷の女”と呼ばれるほどクールで仕事第一のアナですが、映画内のインタビューで「強みは決断力、弱みは子供たち」と答える一面も。セレブ文化が世界的流行になることを予見し、ファッションも生き方の一部だと示し、30年近く編集長を務め続けるアナ。垣間見せる情熱的な笑顔が美しく、生き方にもインスパイアされます。それにしても現在、アナは60代、グレイスは70代で現役バリバリ。そこからして元気になれると思いませんか?元アメリカン・ヴォーグ名物編集長ダイアナ・ヴリーランドがぶっ飛んでる!▼ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ監督:リサ・インモルディーノ・ヴリーランド出演:ダイアナ・ヴリーランド真紅のドレスで赤いソファに横たわる真っ赤な部屋は、彼女のリビングルーム。そのDVDのカバーからして、ただならぬ異才を放っているダイアナ・ヴリーランドは、1989年に亡くなるまでアメリカのファッション界に君臨した、まさにアイコン的存在です。キャリアのスタートは戦前。シャネルを着てセントレジス・ホテルで踊っていたら、ハーパース・バザーの編集長、カーメル・スノウから「お洒落ね。仕事しない?」とスカウト。ハーパース・バザーの黄金時代を築き、良妻賢母風で退屈だったファッションを一変させます。ハーパース・バザーで25年間、ファッションエディターを務め、オードリー・ヘプバーン主演の映画「パリの恋人」に登場する編集長のモデルにも。1962年、ライバル誌ヴォーグへ。彼女自身が芸術品といわれるほどクリエイティブな企画で、エジプトロケやヒマラヤロケ、モデルを象と撮影したり、モデルに豹を演じさせたり、ミック・ジャガーを初めてファッション誌に起用したり、垢抜けない娘を女王に仕立てたり、ヌード撮影も…。信じられないほど斬新でダイナミックな企画は、未だに語り継がれるほど。そんなダイアナが1983年、80歳の時、作家のジョージ・プリンプトンに回顧録を依頼した時のインタビュー映像を中心に、周囲の人々へのインタビューで構成されたのが、この貴重な映画です。「自分で磨かなきゃダメよ。肌もポーズも歩き方も、興味の対象も教養も」「新しい服を着ているだけではダメ! その服でいかに生きるかなの」「人生は一度きりよ。やりたいことをやらなきゃ」と、彼女の力強い言葉が背中を押しまくります。人生で迷った時や落ち込んだ時に、間違いなく“活”を入れてくれる1本です。
2015年09月14日いよいよ佳境を迎えつつあるドラマ『マッサン』。ドラマでは、マッサンを支える妻 エリーのけなげな姿が人気ですが、実際の彼女はどんな女性だったのでしょう。数々のマッサン本からは、私たちも共感できる彼女の本当の生き方が見えてきます。「マッサンの夢は私の夢」・・・そう信じて生涯を異国の地 日本で、夫のウィスキー作りの夢の実現を支えた女性、リタことジェシー・ロベルタ。ドラマでは“エリー”と呼ばれていますが、彼女の本当の通称は“リタ”。リタの生き方を紹介した本は、これまでも数多く出版されていましたが、今回の朝ドラの影響で再注目されています。そうした彼女の生き方に触れると、リタがどれほど強く、愛にあふれた人だったかがわかります。愛する人を失った悲しみと出会い祖国スコットランドを捨てて、日本人の竹鶴と結婚することを選んだリタ。なぜそこまでして?と私たちはリタの行動力に驚かされましたが、本を読むとその理由も見えてきます。リタにはマッサンと出会う前に同郷の婚約者がいました。しかし愛を誓ったにもかかわらず戦争で帰らぬ人となってしまったのです。それはリタにとって、愛する人を戦争で奪われたというトラウマとなって生涯つきまといます。そんな時に現れた異国の恋人 マッサンは、リタの心の傷を癒してくれたことでしょう。そして今度こそ“失いたくない”という強い想いがあったに違いありません。森瑶子さんが書いた『望郷』は、森さんらしい情緒あふれる表現力で、リタとマッサンのロマンスを描いています。リタの伝記をもとにしたフィクションですが、恋愛小説として一気に読めてしまう面白さがあります。日本の壁を超えようとしたリタまた、リタはもともと病弱で、繊細な心の持ち主でした。そんな彼女が、どのように日本での困難を乗り越えてきたのか?ドラマでは「渡る世間は鬼ばかり」のあの人が大いに鬼姑ぶりを発揮していましたが、あれは何も竹鶴家に限らず当時の日本は長男の嫁に対して非常に封建的なところがありました。そんな日本の時代背景と、当時リタを支えていた人々、リタの心の葛藤を客観的に描いているのが『リタの鐘が鳴る』(早瀬利之著)です。本の中では取材に基づいて、当時リタを知る人たちの証言やリタの写真が出てきます。そのため本当の素顔が見えてくるという点でも、この本はオススメです。まだ日本では恋愛結婚は一般的ではなかった時代に、異国の花嫁 リタがどうやって周囲の人々の偏見をはね返す努力をしてきたか。着物を着て、漬け物や和食を作り、一生懸命日本人になろうとしていたリタ。それは並大抵の苦労ではなかったことがわかります。夫の夢をあきらめさせない、支えるチカラウィスキー作りの夢に向かいながらも、何度も挫折しそうになるマッサンを、リタはどうやって支えてきたのでしょうか。『リタの鐘が鳴る』では、その叱咤激励ぶりが、当時を知る人々の証言からも浮かび上がってきます。夫が仕事を失った時も、家庭教師などをしながら地道に家庭を支えていたこと。そして夫が窮地に立たされている時も、陰ながら支援を取り付ける努力をしてきたこと。事実、マッサンの独立時に支援者となったのは、リタが家庭教師をしていたのが縁でつながった人々でした。夫婦共同経営的な強い信念そんなリタには、夫を支えるあるやり方がありました。それは夫の状態を常に顔色や態度から把握し、もうそろそろ限界だ、となる少し前に話し合いをしようとすることです。今では夫婦が話し合いをするのは当たり前のことかもしれませんが、当時の日本では、まだまだ「女は男の仕事に口出ししない」というのが通例でした。けれどもリタは、「マッサンの夢は私の夢」という強い想いから、夫の気苦労をそれとなく聞き出し、常に夫を叱咤激励してきたのです。そのためにも夫の仕事の人間関係をよく把握し、そうした人々とのコミュニケーションのつなぎ役を買って出ることもいといませんでした。現代でいう夫婦共同経営的な発想が、リタにはありました。夫に頼りきるのではなく、夫と一緒に夢を実現するという発想は、リタの強さの原点でもあったのでしょう。けっしてあきらめない、生き方そしてどれほどリタは、夫マッサンへ愛情を注いでいたのでしょうか。ウィスキー作りを軸に描いたドキュメンタリー『マッサンとリタ』(オリーヴ・チェックランド著和気洋子訳)では二人の関係性がよくわかりますが、中でも心に残ったのは、リタが愛読していたというロバート・バーンズの詩の一節です。「恋人よ、たとえ海が枯れても、たとえ岩が太陽の炎に解けても、それでも私はあなたを愛します。命の時計が秒を刻む限り」・・・そこからは、夫を愛するリタの強い覚悟さえ伺えます。文化の違いや、経済的困難、戦争による軋轢など、さまざまな苦境の中にあっても、故郷に帰ることなく、夫のそばに添い遂げたリタという女性の生き方は、私たちに勇気を与えてくれます。決して夢をあきらめないということ、それは現代の私たちにも、何か生きるヒントを与えくれるに違いありません。ぜひ、ドラマと一緒に、リタの生き方を読み解いてみてはいかがでしょう。・ 望郷 ・ リタの鐘が鳴る ・ マッサンとリタ ・ リタとマッサン
2015年03月06日NHKで放映中の「マッサン」の妻、リタは「あなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と故郷スコットランドを離れ、内助の功で夫を支えるピュアで健気な生き方で私たちを魅了します。このマッサンとリタのように夫婦2人支え合い生きた、純印度式カリーなどで有名な老舗、中村屋の創業者である相馬愛蔵とその妻、黒光(こっこう)のことをご存知ですか?黒光は、リタが生まれる21年前の1875(明治8)年、星良(ほし・りょう)という本名で仙台に生まれました。“アンビシャス・ガール”と呼ばれた少女時代を経て、結婚、出産、起業。明治の終わりから大正、昭和初期にかけて多くの芸術家たちをサポートし、中村屋に彼らが集ったその様子は、のちに“中村屋サロン”と呼ばれました。夫を支え、自らの生き方も貫いた彼女の足跡をご紹介します。相馬黒光(そうまこっこう)という鮮烈な生き方黒光の自伝「黙移」には、自伝的要素だけでなく、大正デモクラシーと呼ばれた当時の自由な空気、時代の変化が描かれており、歴史を知るうえでも貴重な史実が満載。女子教育のプロセスとしても実に興味深い書籍です。このころは女性が学問を続けることが、まだ一般的ではなかった時代。しかし、向学心の強い黒光は、生まれ故郷の宮城女学校で学んだのち、当時の女学生たちの憧れの的、ミッションスクールの最高峰で英語教育の名門、フェリス女学院に転校しました。さらには、進歩的かつ芸術的な校風を求めて、作家の島崎藤村や北村透谷が講師を務めていた明治女学校に転校します。その女学校時代だけでも、多彩な友人に囲まれ、ストライキを起こしたりプラトニックラブに翻弄されたりとチャレンジングな日々。彼女のペンネームでもある“黒光”は、明治女学校校長が「あなたの才気溢れる光を黒い色で隠しなさい」と命名したもの。いかに才気煥発であったかがうかがえます。中世ヨーロッパのような芸術支援の殿堂 “中村屋サロン”卒業後、黒光は故郷の知人の紹介で長野の相馬愛蔵に嫁ぎますが、1901(明治34)年に上京します。そこで本郷の「中村屋パン」を居抜きで買い取り、中村屋の店名をそのままに創業します。初めて食べたシュークリームの美味しさに驚き、パンにできないか考え、クリームパンを創案します。そのクリームパンは今でも日本の三大菓子パンのひとつといわれています。その後、新宿に本店を構えてからは、彫刻家の荻原守衛(碌山)、画家の中村彝(なかむら・つね)、ロシアから訪れた盲目の詩人ワシリー・エロシェンコら、多くの芸術家に中村屋の敷地内にあった洋館を解放。彼らを物心両面でサポートします。相馬夫妻や彼らを「安曇野」という小説に書いた作家の臼井吉見は、「まるで中世ヨーロッパのサロンのようだった」と描写しています。この中村屋サロンは日本の近代芸術・文化を牽引し、大きな刻印を残す偉業を果たしたのでした。2014年10月、中村屋は本店を建て替え、商業ビル「新宿中村屋ビル」としてグランドオープンし、3階には「中村屋サロン美術館」という美術館を併設しました。現在は、「開館記念特別展」が開催中(2015年2月15日まで)。黒光の情熱的な意志が、現在も脈々と受け継がれているのを感じます。昭和2年発売の純印度式カリー、ボルシチ、中華まんは現在も人気商品黒光のすごいところは、実業家としての商品開発センスも然り。インドの革命家ラス・ビハリ・ボースとの出会いから、日本で初めて純印度式カリーを発売しました。また、ロシアの詩人ワシリー・エロシェンコとの出会いをきっかけにボルシチやピロシキなどのロシア料理を、中国視察旅行では、月餅や包子(パオズ、現在の中華まんじゅう)と出合い、日本人の口に合うようにアレンジして発売しました。彼女の企画・発想力はとても素晴らしく、それらが現在も中村屋の人気商品として愛され続けているのは、ご存じの通りです。黒光は自らの志を持ち、夫とともに仕事に励みながら、己から溢れ出る光を黒色で消すことなく、周囲を愛の力で照らし続けました。リタより6年早い1955年、79歳でこの世を去った黒光。こんな圧巻な女性が日本に存在していたということに、勇気が湧いてくる気がします。人生の折々に迷ったら、ぜひ彼女の自伝「黙移」を開いてみてはいかがでしょうか。
2015年02月05日アンジーナ的生き方とは?凛としたまなざしで明日を見据えながら、しなやかに美しくそして力強く生きるアンジー世代を密着取材。「憧れ」と「リアル」の境界線で生きる、アンジー世代の歩きかたを模索します。今回のゲストは、2014年にデビュー15周年を迎え、デビュー曲を手掛けた小室哲哉氏と再びタッグを組み、珠玉のウェディングソング「graduation」をリリースする鈴木亜美さん。支えてくれたすべての人への感謝の気持ちを歌に込め、「graduation」では作詞にも挑戦しています。「まだ幼いココロ迷えばいい焦ればいい見えなくていい」、「負けないように前だけ見てる私がここにいるから」といった、同世代なら共感せずにはいられないメッセージが盛り込まれた「graduation」は、本日配信開始です!鈴木亜美1998年「love the island」でデビュー。2004年12月30日、エイベックスへ移籍後、第一弾シングル「Delightful」をリリース。2007年には様々なアーティスト、ミュージシャンとのコラボレーション企画アルバム「join」シリーズを発表し、新たなクラブミュージックにも挑戦。2009年からは本格的にDJ活動を始め、現在では国内のみならず、韓国、台湾、上海、オーストラリア、LAなどで、Girls DJとして活躍。フードアナリスト3級の資格を取得し。料理タレントとしても活動する。その他アーティスト・女優など多方面で活躍。デビュー15周年。忘れられないデビューイベント。「15年間でいちばん印象的だったことは……いろいろあるけど、やっぱりいちばん最初の、ASAYANのデビューイベントは忘れられないですね。横浜のランドマークタワーでやったイベントなんですけど、フリーのイベントなので当日は、人が来るか来ないかもわからなくて、もう、ずっと緊張していたんです!ランドマークタワーの上から人が集まってくるのを見ていたんですけど、最初は全然人が集まって来なかったので心配でしたね。でも結局、3,500人もの方々が集まってくれて、本当に感動しました」DJ Ami Suzukiをはじめたキッカケ。「DJをはじめたキッカケは、違うジャンルや変わったものにチャレンジしたい!と思ったことでした。ちょうどその時に出会ったのが中田ヤスタカさんで、『FREE FREE』という曲をリリースしたんです。これはもう、すごくチャレンジであり冒険でしたね。今までのファン層と違うところに突っ込んでいくというか……。これはどう出るかわからなかったので、もしクラブ層に受け入れられなければクラブミュージックというジャンルはやめよう!というくらいの覚悟で突っ込んでいきましたね。中田さんのイベントにシークレットで参加して、毎回『Free Free』を1曲だけパフォーマンスする、というのをやり続けているうちに、DJをやっている中田さんの姿を見て、「これ、自分でできたら楽しいだろうな」って思っちゃったんですよ。自分の曲のプロモーションを自分でやるのって面白いかも!って。それでDJの勉強をはじめたのがキッカケですね」歌手として、DJとして……15年の活動の中で、様々な表情でファンを魅了し続けている鈴木亜美さん。明後日6/6はagehaにてDJとして登場するイベントagePa!! × MONSTER NIGHTが開催されます。女性はナント入場無料!DJ AmiSuzukiの新たな魅力に触れに是非足を運んでみてください。さて、次回(明日11:30更新!)は、亜美さんのさらに素顔の部分に迫っていきます!お楽しみに……♪鈴木亜美のリズムゲーム「SHAKE」がついにリリース!配信限定シングル「graduation」をはじめ18曲が遊べます!*一部有料のコンテンツもありますが、ダウンロードは無料です。■android■iOScoming soon!!Photo by Gota
2014年06月04日『テルマエ・ロマエ』『スティーブ・ジョブズ』など数々の作品を世に送り出している漫画家ヤマザキマリさんが、このほど『とらわれない生き方 悩める日本人女性のための人生指南書』(KADOKAWA/メディアファクトリー)を刊行した。日本とイタリアを始め世界中を行き来して活躍する同氏に、仕事と生き方への思いを伺った。○「仕事とプライドを融合させない」--「好きなことと生きていくための仕事は違う」という話が出てきますが、仕事を選ぶときに意識されていることはありますか?気が進まない仕事は山のようにやってきましたが、人生で初めての仕事がちり紙交換だったので、後の仕事はどれを取ってもあの地道な肉体労働に比べたら楽だし優遇されている気分になります。意識しているのは、お金を稼ぐ目的で選んだ仕事とプライドを融合させないこと。生きるために選んだ仕事に対しては、常にそういう意識ですね。あと、「やりたくもないことをやっている」と思った瞬間に超やりたくなくなるので、一切考えないことにしています。"郷に入ったら郷に従え"で、「たのしくやろうぜ」というノリでやる。やっぱり「マザー」(※同書内で使われている用語。「心の核に存在する、ゆるぎない自分」の意味。自分の中にいるもう一人の自分)の意識を感じるうちは何をしても大丈夫だという気持ちになれる。「基本あなたは何だってできる、何やったっていいじゃない本質は変わらないんだから。やりたくない事をやったからってなにもそれに嫌々染まる必要もない」って、自分に言い聞かせています。--その自信のようなものは経験から来るものでしょうか子供のときから自意識も無いままにいろんな経験をしていますので、それが大きいのかと。母子家庭だったり、早くから一人で海外旅行をしたり、縁もゆかりも無い外国で暮らすようになったりしたことで「ある程度のことは自分でやりくりします」「わからなかったら、これとこれ合わせれば応用できます」と判断できるくらいの柔軟性は身に付いたのでしょう。そのおかげで、お金のためにやることも、自分のためにやることも含めたいろんな仕事も平気でできましたし、やることがお金と結びつかなかったって困惑したりすることもない。自分の意志と決断力を信頼すれば、どんなこともいくらでもできると思います。--どうやって楽しくするんですか?例えば、以前札幌の「日本イタリア協会」事務局で事務職をやったことがありますが、最終的には語学学校を立ち上げることになりました。事務職もやったことはないし、学校を運営するなんて事も初めてでしたが、とにかく携わる事にはワクワクしたかった。だから自分もそこに教師として教えに行ってました。経験に自分の知っている事を知りたがっている人に教えて上げる充足感のような行為にも、それなりの喜びがあると言う事を知りました。それからイタリア語を教える先生を探しに行って、そこで「イタリア映画の夕べ」を企画する、「イタリアワイン会」をやる。さらにそこから広がっていって、いろんなイタリア関係のイベントを仕切れるようになりました。皆も喜んでくれますが、わたしも一緒に楽しくなれる。それに、そうやって行動しないと、自分が責任者としている意味がない気がしたんです。せっかく十何年もイタリアに行って、イタリア語ができて、イタリアの食文化などが分かってるのに、それを学びたい、知りたい、という人がいるなら有効利用しないのはもったいない…。たとえお金のため、生きて行くために選んだ職業にしても、携わっている限り、心地悪いのが嫌なのかもしれない。自分が正しいと思っていることは主張したいし、もし文句を言ってくる人がいても、それはそれでいいんです。文句大歓迎だし、ディスカッションしたい。基本的に立ち止まっていられない。回遊するマグロのような人かもしれないですね。○人よりも土地と触れ合いたい--それは世界のあちこちに行かれるのと通じるものがありますねそうですね。その場に行って、その場に適応するのと同じです。自分のまわりにボーダーを作らないんです。誰が入って来たっていいんですよ。だってそれで失うものなんてないですから。色んな人が来てごちゃごちゃにしても、私はあとでそれをゆっくりメンテナンスできるし、戸惑いに飲み込まれそうになっても必ず冷静な自分がどこかで戻ってくる。ただ私は私という形でそこに毅然(きぜん)といるわけだから、表面上どんな混乱があっても安心はしていていいんだって心底では思っています。--「私は私の形」というのがこの本に出てくる「マザー」につながっていくんですか?核心ですよね。必ず、自分を守ってくれる存在というか、「泣きわめこうが悲しもうが何してようが絶対に程よきところで収まるから大丈夫」っていうような自己コントロールを無意識にしていると思うんです。その心底から自分の様子を客観的に傍観しているような意識を「マザー」と呼んでいます。まあ、母体ですよね、自分の中でも最も原始的な部分だと思いますよ。生き抜きたいと思うじゃないですか、生き物である限りはどの動物も。虫だって殺されそうになったら逃げるし。多分、それと同じ働きかけなんだと思います。後天的に身につけてきた余計な感情だとか余計な精神性が邪魔して「ああ、私もう駄目だ」とかなるわけですけど、そのときに本能的なものが「そんな小さいとこに固まってるんじゃないよ、ばかばかしい」って信号を送ってくるという感覚ですね。その辺はやっぱり私が北海道で育ったり野生児だった部分が強いかもしれません。そこで自分が他の動物と違って精神というくせ者を背負って生きている事を認識し、不必要な思惑に振り回されないようコントロールしていく術が自然と身に付いたのかもしれない。海外に行くときも、土地の人間達と触れ合うということは実は二の次三の次。人間よりもその土地と触れ合いたい。地球上の、行ったことない土や海や空や草や木、時空の軌跡、その土地が通り過ぎて来た歴史。そういうものの方がわたしにとっては興味があります。人との触れ合いは必然的に生じてくるものなので、それよりもそれまで知らなかった地球の部分というものに対する好奇心や興味の方が圧倒的に強いのです。新しい場所を訪れる時は、まずはその土地に歓迎をされたいです。●「漫画によっていろんなことできる」自信がついたきっかけとは○色々な仕事をやっていたから続けられた--今のお仕事の話に移りますが、漫画を描くことに手応えや満足感を感じられるようになったのはいつ頃ですか?本当の事を言うと漫画に関しては、最初は無理やり描いていました。私は漫画の特別積極的な読者でもないし、編集者が言ってくる内容に全然ついていけなくて「描けるわけないわ、こんな漫画」といったリクエストを結構もらって。「空っぽのチューブから無理やりネタを絞るような思いでやらなきゃいけないのだったら、もう辞めてしまおうかな」と何度となく思ってました。でも、幸いその頃は他の仕事もいっぱいやっていたので、漫画に対する猜疑心をいつまでもこだわり持ち続けてもいなかった。それを本職にするかどうかは全く分からないし、そのつもりも実はないけど、続けるだけは続けていけました。もしそのとき漫画だけで生きていかなきゃと思ってやっていたら、挫折して止めていたかもしれない。--それでも続けて来れたのはどうしてですか?滞って考えすぎなかったからですね。漫画の世界っていうのはやっぱり油絵のような世界とは違うんだ、これはこれできっともっと奥が深くて面白い世界であり、そこに自分も乗っていかなきゃって。漫画でなければ展開させられない表現のワザを覚えれば、それで自分を充足させられるスキルが一つ増えたことになるし、やり始めれば大変かもしれないけど感動できる事もたくさんあるはずだろうから諦めるのはやめようと。ただ、そういう意識を持つ事ができたのは、他にもいっぱい色んな仕事してきたからなので、そんなに重々しい思いを込めてというのはなかったです。切羽詰まっていたら漫画に対するポジティブな妄想や空想で自分を酔いしれさせるわけにもいきませんでしたから。--続けられると思われたのはいつからですか?シリアに行って『モーレツ! イタリア家族』(講談社)という連載を取れたときに「ああ、これからは漫画だけでも多分大丈夫そうだ」っていう気がしました。私の"蛇口"というのか、つまり、今まで色んな仕事をしてきたことによって培ってきた、色んなスキルや創作法、感情の出し方、表現法が、シリアという国に引っ越した事によって、一つに集約されてしまったわけですよ。漫画という媒体オンリーに。この"蛇口"はお湯も水も出せるし、水圧もいろいろコントロールできる。漫画によっていろんなことできるかもしれないって自信が付いたんです。やっぱり色んな仕事やってきたおかげで自信を持って漫画の世界に投身できたのだと思っています。前みたいにプライドが自分の意識を牛耳って「私はそんな漫画描けません」みたいなのもなくなってきたし、「絵で食べて行けるなんて有り難い。まあ何でもやってみよう」っていう、へりくだった人間になってました。--仕事で嫌な思いをされたときにはどうしますか?あんまり深く考えすぎないようにしています。本当に嫌なことは止めますから。実際に止めてもきたし。なので、「それでも自分は立ち向かうよ」っていう状態は、まだ執行猶予があるってことですね。そのときには、嫌々じゃなくて角度を変えてみるといいと思います。「部屋の模様替えしてみよう」とか「今までこの靴履いてたけどマメできるからこっち履いてみよう」みたいな。○「今はもう、やりたいことだけやって生きていきたい」--今回出した本についての思いを聞かせてくださいこういう女もいるんだから、今までと環境が変わったり、周りと同調できなくて戸惑う人に「じゃあ、ちょっとものは試しに読んでみて?」という感じで存在してくれればいいんじゃないかと思っています。ただ、「みなさんこの本読んで、この通りにして」とは、とてもじゃないけど思えない。自分でしゃべった事を文章に直して出していただいてはいるのだけど、人生のガイドブック的な本ではないですね。--ハウツー本ではない?ハウツー本ではない。あくまでも、変わった生き方をしている人間もいるんだっていうことを認識してもらう、一つのきっかけになればいいなと。テレビとかに出るのも、人間として、日本人として、こういうとっぴもない生き方のバリエーションがいっぱいあっていい、ということを伝えたくてやっている部分もあります。こういう本を出すことで、他にも思い切った事をやって新しい何かを開拓していこうとする人が出てくるかもしれない、それによって今みたいな表面的な一律性だけが重視されるのとは別な、自由だけどパワフルな社会になっていくかもしれない。誰かがドミノの最初の1個にならない限り、凝り固められた保守的な既成概念は倒壊しません。自分がたまたま特異な経験を積んできた人間という意味では、遣唐使や遣隋使みたいな、特別な経験情報提供者としての責任感を感じているというのはあります。--最後に、この先の展望があればお聞かせください具体的な目標は特にありません。常に何かして生きていますからあまり展望や目的は持っていないです。場所の移動もやりたくなったらいつでも突発的にしてしまうし、マンガも売れたいとか決して望んでいたわけではないのヒットするような顛末になって、それに付随してうれしいだけじゃない、辛酸をとことんなめるような、辛い思いもたくさんしたし、何をどうしよう、って特別思っていなくても満遍なくいろんな経験は味わっています。多分こんな感じが自然と死ぬまで続くのかもしれません。でも、漠然とした大きな目的みたいなのはあります。油絵を描く事を途中でやめてしまったので、漫画を60歳くらいまでやったら再び油絵に戻りたい。それはもう売るとか売れるとか考えないで自由に描くという意味で。年齢によってどんな絵が描けるか見てみたいというのもあるし。余計な煩悩や不純物が排除された状態で、大好きな場所で絵を一日中描いていればもうそれだけでしあわせ、というばあさんになりたいです。時間に追われるような生活からは開放されて、植物や動物みたいに地球のバイオリズムだけに自分を合わせて生きていけるような暮らしが理想的。それが成就できれば最高ですし、死ぬ時もきっと幸せでいられるはず。『とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書』ヤマザキマリ著、KADOKAWA メディアファクトリー、1,000円(税別)。人気漫画家が語り下ろす人生の味わい、愉しみ、喜びとは…?仕事、恋愛、子育て、セックス、結婚、そして人間関係…。悩める日本人女性のために、ヤマザキマリが語り下ろした珠玉の人生指南。詳細は特設サイトへ。
2014年05月20日※20万人以上の女性の美に関するお悩みや、生き方に関するお悩みにこたえてきた美創家(美容家/カウンセラー)の橘瞳子先生が、読者のご質問にお答えするコーナーです。 美しいものをより美しくみちびき、筋が通っていない生き方に「まちがっている」とハッキリ物申す橘瞳子先生の珠玉の言葉を、心の栄養にしてみませんか?(編集部) Q私は四捨五入すれば50になる独身女、会社員です。今回は気分のムラ、ブレない生き方についてご相談したくMailを致しました。朝起きて今日も1日頑張ろうと思ったら、部下の反省していない遅刻の理由を聞きイライラ、上司の訳のわからない話に付き合いグッタリ……1日だけでも気分が上へ下へ。自宅に戻ると過食してしまう始末です。次の朝、浮腫んだ顔を見て泣きたくなります。他人に振り回されす自分が信念をと思っても、なかなか上手くいきません。周りからは気まぐれ、気分屋だと思われていると思います。ブレない芯を持つためにはどうしたらよいでしょうか?A大変お疲れのようですね。会社でも、ちょうど大事なポジションですね。いろいろと格闘している様子が伝わってきます。まず仕事で大切なのは、自分の仕事は何かを忘れないことです。会社組織にはいろんなタイプの人がいて、どんな人にもそれぞれの役割があるということ。そして、上司や部下と同じ位置に立って物事を見ているとイライラしますが、上下など関係なく、自分が一段高い位置で物事を受けとめるようになれば、感じ方が変わると思います。誰かの言葉で気持ちを動かされるよりも、「どうしたら遅刻しないようになるか」や「私はみんなに分かりやすく話を伝えているだろうか」など、人のふり見て我がふり直せの精神で、自分を顧みることも大切なことではないでしょうか。いくつになっても人間的成長は必要と思います。ぜひワンランク上の女性を目指してください。それから気になったのは、年齢的に身体の変化が始まる頃と感じます。いわゆる、更年期障害。個人差がありますので症状はさまざまです。精神不安や睡眠障害、ホットフラッシュ、疲れが抜けない、肩こり、めまい、気力低下、手足の冷え、過食……などがあります。一般的には45歳から55歳あたりと言われていますが、今は若年更年期の方も多いとか。これは身体の冷え、無理なダイエット、タバコやストレスなどが原因のようです。そうであればブレない精神というよりも、自分を労わることです。こういう時期は頑張らないこと。何もしないというのではなく自然に流されてみる。力を入れれば入れただけ空回りするだけかと思います。自分で自分を可愛がる。何事も向かわず身体の変化を受けとめ、あとは力まず自然体で過ごすことが一番だと思います。症状が重い方は病院での治療もありますが、身体が温まる食事、大豆製品でイソフラボンを摂ったり、健康食品のローヤルゼリーや漢方薬で、女性ホルモンのバランスが改善される方も多いですよ。独りで頑張っていらっしゃいますが、優しい言葉をかけてくれたり、優しく接してくれる友人や仲間がいらっしゃるといいですね。更年期の症状は、優しさに触れるだけでだいぶ善くなるそうですから、会社の周りにいる人たちにも自分から優しくあることで、自分にも返ってきますよ。女性に生まれたら必ずみんな通る道。 生き方を変える時期と思います。肩の力を抜いて自然の流れを受け止め、上手に切り替えて将来に繋げてください。人生はいつも強く頑張るだけでなく、こういう時もあると割り切り、柔らかく生きてみるのも大切なのではないでしょうか。季節のようにいつの間にか移り変わり、この時期を過ぎればきっと、いつもの元気な貴女に戻るはずです。暖かい部屋で温まる食事をして、寒い冬を乗り切ってくださいね!【お悩み相談は以下で受け付けています】読者のみなさまからの人生相談を募集しています。以下のメールアドレスに「橘瞳子先生Q&A係り」と明記のうえ、お送りください。 受付メールアドレスqa-tohko@estyle-inc.jp橘瞳子(たちばなとうこ)先生プロフィール美創家(美容家/カウンセラー)。大手化粧品メーカーを退職後、27歳で美創家として独立。世界の美を求めて活動し、独自の美の理念や技術を確立させる。大手化粧品会社のビューティーアナリストとして日本全国でサロンを展開。社員教育やブランド育成に関わる。統計学や易学にも詳しく、法人・個人を問わず多くの人々によりよく生きるためのアドバイスを行なっている。人を美しく元気にさせるメーキャップとカウンセリングが多くの人の支持を得ている。連絡先はANGIE編集部気付。image photo by Pinterest
2014年02月26日前回 はパリの道端であった元モデルのマダムにお話しをききました。今回もきれいなおばあちゃんになるために、今からしておくべき美とファッション、生き方を学びましょう。パリジェンヌは、運動やスポーツをたくさんします。マダムも毎日パリの街を散歩がてらにスタスタと早歩きしているようです。YukaCocoもパリに住み、歩くのが早くなりました! 早歩きは一番運動になり、身体に良いとマダム。それに好きな音楽を聴きながら歩き、大好きなワインや食べ物、甘い物も何でも頂くみたいです。YukaCocoの周りのパリジェンヌ、パリジャンも同じです。しかし、太った事が無いと言っていました。それは、日々たくさん運動し、好きなものをストレスなく著度よく取るということですね。見習わないといけないと思いませんか? 最後に、マダムの肌がとても綺麗なので、「何か特別な事しているの? 」と聞いたら「していないわよ。石鹸だけ。」だそうです。さらにビックリ。以前80歳の美しいマダムにも聞いたところ石鹸だけだと言っていました。色々塗りたくらずみなさんシンプルを心がけているようです。日本では湿気がある分、凄く肌が綺麗だと世界中で言われています。YukaCocoもそう思いますが…最近は日本に帰国すると、顔が固まっていたり、パンパンに張っている方々を良く見かけます。若い時や今は良いと思っていても、将来的に醜い顔になってしまったり、ずっとボトックスやヒアルロン酸を打たないと行けなくなるので皆さん気をつけてくださいね。なんでも付ければいいというものではありません! オートクチュールの巨匠に「フランスでは、自分にあったオシャレを見付け、自然にオシャレにカッコ良く生きてこそ外見ではなく中身から輝く」教えて頂いたことがあります。日本は、物まねが多く、街を歩くとみんな同じ格好ということがありませんか? 自分のオシャレをして、自分をより良く見せて欲しいと願います。他人は他人と言うヨーロッパ人の考えは大好きです。面倒くさくないですしね。日本やアジアは他人を気にしたり真似たりするけれど、他人は合っていても自分は合わない事など良く知っています。だからこそ、パリジェンヌのように独自のオシャレが出き、自分らしさを磨けるよう皆さんに伝授します。最後に日本の素敵な女子へむけてマダムから一言! 中身から綺麗になることは、外見に現れるとの事です。運動しスポーツし好きな物食べて飲んでストレスが無い人生こそ自分磨きになるそうです。その日の疲れは、その日に取るという事が一番だそうですよ。自分に合うオシャレを見つけて楽しんでくださいと言っていました。皆さんもずっと、カッコ良い素敵な女性で居られるように頑張りましょうね!
2013年10月14日+αの要素が美を引き立てる「美魔女」という言葉があるように、いくつになってもびっくりするくらい美しい女性はいますよね。その生き方も美しさの秘訣かもしれません。そこで、マイナビニュース会員402名の男性に、生き方も美しい、リスペクトする美熟女について、訊いてみました。年齢不詳な美女、上手に年をとった美女、みなさんはどんな美熟女が好きですか?>>女性編も見るQ.生き方も美しい、リスペクトする美熟女を教えてください(複数回答)1位黒木瞳11.7%2位天海祐希9.2%3位小泉今日子9.0%4位杉本彩6.7%5位夏木マリ6.0%■黒木瞳・「清楚な美しさを兼ね備えているから」(28歳/情報・IT/技術職)・「美しいだけでなく、演技やトークに深みがある」(26歳/不動産)・「女優という仕事をしながら、主婦としてもしっかりしているイメージ」(30歳/医療・福祉/専門職)■天海祐希・「やや男っぽいけど、ハッキリと物を言う点がシッカリしていてかっこいいから」(41歳/機械・精密機器/技術職)・「芯が強そうだし、弱音を吐かなそうなイメージがあるから」(30歳/小売店/販売職・サービス系)・「スマートな生き方がかっこいい」(38歳/農林・水産/営業職)■小泉今日子・「タバコを吸う姿がかっこいいので」(45歳/情報・IT/事務系専門職)・「自分の軸があってぶれなさそう」(31歳/自動車関連/事務系専門職)・「年をとってもかわいらしい」(33歳/小売店/販売職・サービス系)■杉本彩・「エロスという自分の生きざまをかっこ良く表現しているので」(30歳/機械・精密機器/技術職)・「いまだにセクシーでアダルトな印象しかないので」(29歳/学校・教育関連/事務系専門職)・「苛烈な人生に負けることなく、芯が強く人や動物に優しくできる人」(31歳/小売店/販売職・サービス系)■夏木マリ・「人生を謳歌(おうか)しているところがリスペクトできる」(25歳/金属・鉄鋼・化学/技術職)・「とても自由に生きている気がする」(26歳/金融・証券/営業職)・「ドラマでかっこよく感じる」(28歳/機械・精密機器/技術職)■番外編:話しぶりからにじみ出る美しさ・岡本夏生「本音で話していると伝わるし、人生経験も豊富なのでとても親しみやすいからです」(33歳/医療・福祉/専門職)・岩井志麻子「貫禄と色気があるのがいい」(37歳/商社・卸/販売職・サービス系)・叶恭子「お金持ちでいられること、好きなことをできているのがすごい」(26歳/小売店/販売職・サービス系)総評栄えある1位に選ばれたのは、「黒木瞳」です。美しさと品格、女優業と主婦業など、美しさとほかのもののバランス感覚の良さが支持を集めているようでした。気張らず自然体なのに、当たり前のように美しい。憧れますね。2位は「天海祐希」です。「かっこいい」「芯が通っている」など、自立して生きている雰囲気が支持の理由のようでした。宝塚歌劇団で鍛えたキビキビした身のこなしが、天海さんの美しさをさらに引き立てているのでしょう。3位には「小泉今日子」がランクイン。「美しい」「あこがれる」というコメントと同時に、「かわいい」という声も寄せられました。「なんてったってアイドル」を歌ったキョンキョンは、いくつになってアイドルなのかも。「熟女」とひとことで言っても、実際には「たおやかな品格(黒木瞳)」「かっこよさ(天海祐希)」「かわいさ(小泉今日子)」「セクシーさ(杉本彩)」「自由さ(夏木マリ)」など、いろいろな熟女がいるようでした。まさに若さとは違うそれぞれの味なのかもしれないですね。(文・OFFICE-SANGA臼村さおり)調査時期:2013年2月15日~2013年2月21日調査対象:マイナビニュース会員調査数:男性402名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【男性編】来年のスターは誰!? そろそろブレイクしそうな若手女優ランキング【男性編】AKB48のメンバー何人まで名前言える?ランキング【男性編】黒髪が似合う女優ランキング完全版(画像などあり)を見る
2013年04月11日