12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日学校から持ち帰ったプリント類や、DMで届いたお試し教材。できれば学習にも役立てたいですよね。ライフオーガナイザーの森麻紀さんは、間違えた問題の復習や、学習のタイミングにあった時期にお試し教材を活用できるよう、収納システムを考えました。個別フォルダーにはさんで、ファイルボックスに収納しておくだけのシンプルな方法なので、すぐに実践できます。仕分けの方法や、マルつけの解答を置いておく場所もぜひ参考に!■ プリントや教材の整理は、個別フォルダにはさんでファイルボックスに!筆者は、返却された子どものプリント、DMで届いたお試し教材などを、個別フォルダに入れ、ファイルボックスで整理しています。これは、活用できそうなものは活用したい!とたどりついた収納法。個別フォルダにただはさむだけの簡単収納ですが、使いたいときにすぐに見つけることができます。ファイルボックス内に入れた個別フォルダのラベル名は「復習」、「予習」、「保護者保管」、「Web(で印刷した学習関連のもの)」となっています。■ 子どものプリントは「復習」フォルダに入れて、後日やり直し現在小6の子どもがいる筆者の家では、まず漢字プリントの間違っていたものはすべて「復習」フォルダにはさんでおきます。そして間違えた漢字だけを集めたプリントを作成。そのために使う紙もまとめてクリアフォルダに入れています。紙は前の学年で使わず余ったノートを、切り取って使用しています。そのほかの教科は、プリント返却のタイミングで、なぜ間違えたのかを理解しているかどうかの確認。そのうえで、これはあとで見返した方がいい問題だと、筆者が判断したものだけをいったん保管。後日、再確認のためにもう一度その問題をやります。教科ごとや時系列に分けたりもしていません。漢字とそれ以外にクリアフォルダを分けるのみ。復習するときに取り組みやすいよう、間違えた問題の解答欄に、ふせんを貼って隠しておきます。■ まだ早い教材は「予習」フォルダに保管しておけばやり忘れない毎年、進級する少し前に通信教育のDMが届きます。でもこれは次学年の教材や少し先の内容。せっかくなので使いたいけど、どこかにしまいこむと、使いたいときに活用できなくなることも…。そういったものは、先ほどのファイルボックスの中の「予習フォルダ」にはさむことにしています。分けておくことで、今の教材と混ざって探しにくくなることがありません。以前、紙の通信教育をやっていたとき、早めに届いた教材や、子どものペースが追いついていないプリントも、この場所に入れていました。■ 問題集の解答はダイニングテーブルのすぐ近くに。マルつけもスムーズ!以前は、プリントなどと同じ場所に「解答」とラベリングした個別フォルダにはさんでいました。しかし、マルつけできるときはすぐにやってしまいたいので、座ったまますぐ取れるダイニングテーブルの下に移動。子どもに「教えて~!」と言われた問題をすぐ説明できるように、裏紙も一緒に入れています。すぐ取れる場所にないと面倒くさくて後回しにしてしまうからです。ちなみに、教材自体は子どもの机の上にあるファイルボックスに入っています。この夏休み、子どもの学習サポートのための収納システムをつくってみてはいかがでしょうか?●教えてくれた人/森 麻紀さん名古屋市在住のライフオーガナイザー。クローゼットオーガナイザーの資格も持つ。「自分にちょうどいい片づけ方」を実践しつつ、片づけに悩む人へのサポートを行う。Webメディアなどで片づけに関する執筆も
2021年07月22日障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」7月19日(月)から渋谷で期間限定開催!Upload By 発達ナビニュース障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」が2021年7月19日(月)~25日(日)の期間、渋谷スペイン坂の多目的スペース「no-ma」にて開催されます。主催のヘラルボニーは、福祉実験ユニット。障害という言葉の裏にある先入観やこれまでの常識を超え、福祉を起点に新たな文化を作り出し続けています。7月24日に設立3周年を迎えることを記念し、今回の展覧会を開催。展示では三重県にある障害のあるアーティストの支援等をする、特定非営利活動法人 希望の園に所属する作家、森啓輔の原画作品展示、ヘラルボニーの取り組みと活動の展示、ヘラルボニーが手掛けるアートライフブランド「HERALBONY」の出店があります。入場は無料。※7月22日~15:00、23日~14:00、7月24日~14:00は、チケット購入に限り来場可能アーティストが放つ「異彩」との出会いがここにある。3周年記念イベントとして、チケット制の有料イベントも開催します。2021年7月22日(木)、23日(金)はスペシャルイベントとして、常設展示のほか、ヘラルボニー代表や特定非営利活動法人 希望の園理事長のあいさつ、コンテンポラリーダンサーによるダンスパフォーマンスなどがあります。設立3周年、当日となる7月24日(土)にはヘラルボニーの「異彩」との出会いとこれまでの3年間、そして今後の展望をテーマに、創業メンバーによるトークイベントを開催します。(尚、緊急事態宣言発出に伴い、イベントの縮小及び一部内容を変更があります。詳しくは、公式ページからご確認ください。)【作品募集のお知らせ】「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展、受付は8月14日(土)までUpload By 発達ナビニュース「パラアート TOKYO」は、世界中から障害のある人による芸術作品を集めて、公益財団法人 日本チャリティ協会が開催する国際交流展。「才能は障がいを超え、国境を越える 」というスローガンのもと、障害のある人の芸術作品(パラアート)の感性、才能価値を世界へ発信しています。「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展の開催が決定し、作品を募集しています。期間は2021年8月14日(土)まで。世界にひとつしかない作品を応募してみませんか。【募集対象】国内外を問わず、障害のある方が制作した平面(書・絵画等)作品。子どもの部:10歳~17歳 / 大人の部:18歳以上【受付】2021年8月14日(土)まで Eメールinfo@paraart.jpまたは郵送【お問合せ先】(公財)日本チャリティ協会「2021 パラアートTOKYO」実行委員会事務局住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷 1-19 アーバン四谷 4 階TEL :03-3341-0803FAX :03-3359-7964E-mail: info@paraart.jp昨年開催した「2020 パラアートTOKYO」の全ての作品は、オンラインギャラリーで観ることができます。こちらもぜひご覧ください。発達障害のある人の困りごとにやさしく寄り添う「mahora」ノートが第30回日本文具大賞のデザイン部門、優秀賞を受賞!Upload By 発達ナビニュース「mahora」ノートは、発達障害がある100人の声を聞き、大栗紙工株式会社が一般社団法人UnBalance(アンバランス)と共に開発したノートです。お子さんがノートを使っているとき、なんだか書きにくそうだなと感じることはありませんか?視覚が敏感な場合、白い紙からの反射がまぶしく感じることがあります。特性によっては、罫線が見分けにくいために気づいたら書いている行がかわってしまっていたりすることも…。このような発達障害のある人たちが日ごろノートを使うときに感じているさまざまな困りごとの声から、「mahora」ノートは「光の反射を抑えたやさしい色の中紙」「見分けやすいオリジナルの罫線」「シンプルなデザイン」を採用。老舗ノートメーカーならではの高い技術により丈夫で書き心地よく、目にやさしいノートがうまれました。その機能とデザインで、「みんなが使いやすいノート」として、第30回日本文具大賞でデザイン部門優秀賞を受賞。既存のノートがなんだか使いにくいなと感じているすべての人におすすめのノートです。「書きにくい」が「心地いい」に。カラーとサイズ、全24種類から選べる「mahora」ノートは、以下WEBサイトから購入することができます。京都障害児教育研究センターによる夏季研究集会、8月1日(土)オンラインで開催。特別支援学校や特別支援学級の実践報告、ゲスト講師による講演から障害児教育について考えよう。Upload By 発達ナビニュース京都障害児教育研究センター(障教研センター)が8月1日(土) 10:00~15:40にオンライン学習会を開催します。内容は、実践報告とゲスト講師による講演。特別支援学校、特別支援学級の実践報告では、教育現場で大切にしたいことを考えます。講演で講師をつとめるのは、自閉症児の授業づくりについて研究、各地で講演をする三木裕和さんと、「書く」ことと子どもの育ちについて研究する川地亜弥子さん。発達の視点から子どもをみることを学ぶ講演です。支援者向けの内容ですが、どなたでも参加できるオンライン学習会です。〈詳細〉【日時・場所】2021年8月1日(日)10:00~15:40(途中入場・途中退場可)オンライン(Zoomを用いて行います)【対象】どなたでもご参加ください【講師】三木裕和さん(元鳥取大学地域学部)川地亜弥子さん(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)【料金】1,000円(税込)【お問い合わせ先】mail : sho-ken@kyoto-fuko.comtel: 075-751-1645京都府教育会館障教研センター事務局LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月18日障害者手帳は3種類Upload By 立石美津子発達障害者手帳、これがあったらどんなにいいかと思いますが、残念ながら存在しません。障害があることを証明する手帳は次の3つのみです。・身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳つまり、知的障害を伴わない、あるいは軽度の発達障害の人のための “発達障害者手帳”というものは存在しないのです。発達障害がある場合、精神障害者保健福祉手帳の対象として分類されています。厚労省精神障害者保健福祉手帳の障害等級の判定基準について障害者手帳があると就活でも活用できる従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)民間企業の法定雇用率は2.3%です。従業員を43.5人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用する必要があります。一般枠で企業就労するのが難しい場合、障害者雇用枠で就労することができますが、その際に障害があることを証明する手帳が必須となります。しかし…・視覚障害、聴覚障害、上肢下肢の欠損、体幹障害による歩行困難など身体障害がなければ、身体障害者手帳の対象とはなりません。・(自治体によって異なりますが)東京都の場合、知能指数が76以上だったら療育手帳の対象とはなりません。愛の手帳について | 東京都保健福祉局精神障害があると認めたくない保護者もいる一定の知能指数のため療育手帳対象に該当しない、身体障害もないため身体障害者手帳の該当にならないとなると…残るのは“精神障害者保健福祉手帳”となります。すると、「うちの子は発達障害。精神障害ではない!」と憤る親御さんを見かけたことがあります。これに対して私は心の中で「いやいや、そうじゃないのよ。知的障害のない発達障害児が、障害者雇用促進法のもと、法定雇用率でカウントされて企業就労するには、なんらかの障害者手帳が必要。今の制度上では、知的障害のない発達障害児は精神障害者保健福祉手帳が必要となるのに」と呟きました。知的障害がなくても療育手帳の対象になる地域も発達障害のある人は知的障害がなくても、社会生活を送るにあたって多くの困難を伴います。社会生活での困難と言う面では、知的障害、精神障害、身体障害がある人と同じだと言えます。そのため、知能指数が療育手帳の範疇以上の人に対しても、療育手帳を発行している自治体もあるようです。全国的にこれが広まればよいと感じます。Upload By 立石美津子自己申告制日本の福祉は自己申告制です。親がわが子の障害に気づいて積極的に動くことで取得できます。精神障害者保健福祉手帳について紹介しましたが、こちらが取得できない場合もあると思います。たとえ障害者手帳の対象とならなかったとしても、障害福祉サービス受給者証をとって、福祉とつながっている人だということを示す方法もあります。「精神障害者保健福祉手帳が必要?わが子には精神障害はないのに!」と憤るのではなく、福祉サービス、制度を活用することで、わが子の将来の選択肢を広げられるかもしれません。精神障害者保健福祉手帳で雇用枠での就労を目指したり、受給者証で福祉サービスを活用したり、支援者につながる機会を増やすことが、わが子を守ることにつながるのではないかと思います。
2021年07月01日「頑張れ、フツウになれ」死を考えていた学生時代Upload By 桑山 知之2019年5月、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材で、筆者は初めて神山さんと出会った。「学校の先生が文字読めないなんて、悟られたくない。悟られちゃいけない」「どうやって死のう、ばっかり考えてましたね。『頑張れ頑張れ、フツウになれフツウになれ』って言われ続けると、そういうふうにならざるを得ない」彼は、文字が読めない教師。にこやかな表情とは裏腹に、これまで経験してきた生きづらさが言葉の節々からにじみ出ていた。岐阜市で生まれ育った、すぐに熱を出してしまう、体の弱い男の子。自分は文字が読めないと知ったのは、小学2年の道徳の授業だった。B4見開きのプリントの文章を読み、感想を書くという課題で、一時間経って読めたのはわずか3~4行だけだった。「ぼくはみんなと違う」――。それからは、どう叱られずに一日を過ごすかが神山少年の課題となった。教科書が丸々覚えられるようにと、3歳上の姉が音読してオープンリールのテープに吹き込んでくれ、擦り切れるまで聴いて授業に臨んだこともあった。それも小学校高学年になると、文量が増えて立ち行かなくなってしまう。Upload By 桑山 知之「先生たちにも『あいつはどうしようもないやつだ』って言われて。『学校に来る価値のない人間』とか『教室に入るな』とか、そういった言葉は日常茶飯事で。先生がそういう風にみんなの前で叱って、つるし上げたりすると、クラスの雰囲気もそうなって、いじめられました。みんなにバカにされていました」(神山さん)神山さんの母親は、端的に言えば世間体を気にしていたという。学校で何かがあると自宅に電話が入り、家に帰れば「あんたなんか産まなきゃよかった」「あんたのせいで近所も歩けない」と罵られた。中学、高校も含めて学生時代は「どうやって死のうか」とずっと考えていた神山さん。紆余曲折を経て選んだ道は、陸上自衛隊。活字とは縁遠い職業だった。つらい思いは自分で最後に…決断、そして教師へUpload By 桑山 知之18歳の神山青年は、2等陸士として京都・宇治市にある駐屯地にいた。誰も自分のことを知らないところへ行って、人生を再出発させる。体力に自信がある神山さんにとって、文字を使わないこの仕事はまさに天職だった。2年ほど過ごし、自衛隊の中で成人式をやってくれることになった。「上官が『今までの20年間をしっかりと振り返って、今後どう生きていくか人生設計を立てなさい』と話をしてくれて、考える時間もくださって。そこで、自分のようにあんなにつらい思いをするのは自分で最後にしよう、そういう教育者になりたいな、自分がそういう教育を変えていけるようにしたいなと思ったんです」(神山さん)Upload By 桑山 知之すぐに上官と相談して、夜間の短大に通い始めた。朝6時に起きて夕方まで訓練をやったあと、大学に行き、帰ってくるのはいつも23~24時だった。それでも、「同じ苦しみを抱えている子たちを放っておけない」という一心で頑張れた。そして23歳の頃、教員採用試験に合格した。しかし、教え子に対しては、なかなか自分の苦手さを伝えられずにいたという。「教科書は前日に丸暗記して、読んでいるフリをしていました。技術科の教師だったので、技術科の教科書と、自分が担任するクラスの道徳の授業ですね。行頭の文字とかキーワードだけで、そのあとの文章が出るように覚えたり。丸々暗記しようと思うと大変ですけど、段落の頭でその段落が思い出せるように、ブロックで覚えるのを毎授業やってました」(神山さん)27歳で知った自分はディスレクシアUpload By 桑山 知之自己の学習障害を隠したまま、神山さんは通常学級を6年間受け持った。そんなとき、NHKのとある番組でアメリカの小学校のことが報じられていた。それがディスレクシア(識字障害)だった。「そこではディスレクシアとかいう言葉は使われていなかったですね。読み障害とかそういう感じ。でもアメリカは移民の国なので、そういう子たちのプログラムで教育は保障できるっていう。その子たちの特性はこうです、というもの全部が自分に当てはまるから、本当に驚きました」(神山さん)その後、神山先生は特別支援学級を受け持つようになる。テレビでディスレクシアを知って「自分の中でつっかえていたものが取れた」ため、自分の苦手なこともすべてオープンに話した。劣等感を抱えている子どもたちの心に寄り添うことができた。Upload By 桑山 知之特別支援学級を5年間受け持ったあと、特別支援学校で17年間にわたり勤務。そして、主幹教諭という立場で3年間、岐阜市内の小中高などを回っていろんなアドバイスや支援をおこなった。いつしか神山さんの存在は全国各地で知られるようになり、講演依頼が絶えないほどになった。現在は、岐阜市内の小学校の用務員をやりながら、子どもたちや保護者らの相談を受けている。「日本の教育って無意識に人との比較をしてしまっているんですよね。人との比較で自分を評価することを学んでしまっているんです。それよりも、過去の自分と比べる方が自然かなって。もっと言えば、『あなたはそのままでいいんだよ』ではなくて、『あなたはあなただからいいんだよ』って僕は言いたいです」(神山さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年06月23日「できるけど疲れる」ことがたくさんある筆者が吉川先生を知ったのは、2018年11月にNHK総合で放送された『発達障害って何だろうスペシャル』だった。千原ジュニアさんや南沢奈央さんらをMCに据え、スタジオには小島慶子さんのほか、筆者がテレビ取材もさせていただいた“トリプル発達障害”の漫画家・沖田×華さんも出演。そこでの吉川先生の発言に、思わず膝を打った。「発達障害のある方に関して『何かができるかできないか』っていうことだけで見ると、見誤るんですね。『できる』と『できない』の間に『できるけど疲れる』ことがたくさんある」(吉川先生番組内で)誤解を恐れずに言えば、吉川先生はちょっと異質的な存在だ。元々教員になりたかったが、学校教員の文化が自分に合わないことに高校時代に気づき、子どもの精神科医という道を選んだ。大学教員などを経て「自分は研究者向きではない」と感じたといい、現在では多くの発達障害当事者や養育者に支持されている。Upload By 桑山 知之「“正確さを犠牲にした分かりやすさ”っていうのを意識しているんです。専門の研究者って、正確さを大事にしなきゃいけない立場ですよね。正確さを犠牲にできないじゃないですか。でも僕は研究者ではないから、『誤解を招きかねないけど分かりやすい』ということがいくらか許される立場なんです。研究者になってしまうとできない表現や書き方ができるというのが、研究者ではない医者の特権かなと」(吉川先生)確かに、前述の「できるけど疲れる」ことがたくさんあるというのは、それに当てはまらないケースがあるのも事実だ。しかしながら、発達障害の苦しみを理解するうえでは非常に分かりやすい表現だといえる。福祉や法律といったあらゆる領域をまたいでいるからこその見識の深さを、自身は「ひとつの領域を突き詰めるというのがあんまりできなくて……」と謙遜する。Upload By 桑山 知之この子、発達障害かも?まずは「人手集め」から我が子にADHDや自閉症スペクトラム障害のような特性がみられた場合、多くの養育者はまず子どものことを理解しようと、発達障害の知識を蓄えることからスタートしてしまいがちだ。しかし、吉川先生によれば、まず「人手をできる限りたくさん集める」ことが入口として一番“無難”だという。「人手が足りないときに知識だけ集めたり、トレーニングだけ受けたりすると、わりとややこしいことになるんですよね。例えばこの子に何か新しいことを好きになってもらおうとすると、ちょっと演出しないと難しいよって。お母さんが歯磨きをしたあとに、すぐに僕もやる!ってなる子は歯磨きを覚えさせるのも難しくないんだけど、真似っこしたい気持ちが弱い子に対しては歯磨きって楽しいんだよっていうか、何かひと手間ふた手間かけないと歯磨きが好きにならないし、できるようにならないかもしれない。だから今、この子の子育てで何かを好きにさせるためにもできるようになるためにも、もっと言うと虫歯にさせたり怪我をさせたりしないためにも、余分に人手が要りますよねっていうところを共通認識にしていくことが入口なんですよね」(吉川先生)Upload By 桑山 知之あくまで順序としては人手、すなわちマンパワーを集めることが最優先事項。それがひと段落したあと、知識や技術を身につけていく。そのためにも、家族以外からサポートを受けることが精神的な支えになるそうだ。一般的には母親が先に気づいて父親はあとからついてくることが多いが、夫婦間だけでなく祖父母世代との間でも「足並みが揃うまでに時間がかかる」ことは多い。「早い時期に関わる支援者はつい子どもの特性とか子どもに対する関わり方をどんどん伝えたくなるんですけど、それよりも先にどうやってお父さんと足並みを揃えるのか、おじいちゃんおばあちゃんへの説明をどうしようか、っていう相談に応じていただいたほうがいいと思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之「できたら褒める」は要注意「挑戦したら褒める」にシフトをドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』を放送したのは2019年5月。発達障害は、ここ5年ほどの間に急速な認知が広がったように筆者は感じている。こうした中、人手を含めたリソースの供給などが追いついていないと吉川先生は話す。「社会の認め方もそうですけど、当事者やその身近な方の認め方も確実に変わってきているというのは、確実にそうですね。ただ、変わってきているのも、いいところも悪いところも両方あるかなって思っています。必要な方が援助にたどり着きやすくなったってことはあると思うんですが、急速に知識だけが広がってきたので、支援のためのリソースがまだ充分足りていない。文化の変化というか、そういう人たちがたくさんいるんだっていうのを含んだ“文化の成熟”っていうのも遅れているんじゃないかなと」(吉川先生)Upload By 桑山 知之吉川先生は、発達障害の有無にかかわらず子育てをする中でつい陥りがちなことがあると指摘する。それは、「できたら褒める」ということだ。「できたら褒められるっていうのを子どもが学びすぎると、大人が好きなのは完成と達成と勝利だけと思ってしまうんですよね。そうすると、どうせ達成できないから僕はやらない!ということになってしまう。発達障害のあるお子さんの中には、難しそうな課題は手を出さなくなる子が一定の割合でいるんです。どちらかというと、『挑戦したら褒める』作戦でいく方が、子どもを育てやすくなると思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之完成と達成にフォーカスするよりも、何かに取り掛かり始めたところで応援することに軸足を置いた方が育てやすいという。特に、きょうだいの中に発達障害と定型発達の子がいたり、知的障害のある子がいる場合、完成と達成を評価してしまうと他方への褒め方が見つからなくなる。それよりも、挑戦に対して「ナイストライ」「いいチャレンジだったね」と声を掛ける方が“辻褄が合いやすい”と吉川先生は話している。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年05月17日いじめで引きこもりに…「半分死んでいた」飲食関係の会社で働く父親と、元保育士の母親のもとで育った古橋さん。6歳上の姉とともに暮らしていた。中学1年の10月ごろから不登校になった。原因は、小学生時代から続いたいじめだった。「人がもうダメになって。小学校6年の終わりにいじめが始まったんです。小学校の人たちと縁が切れて、中学校に入ったら中学校で縁ができた人たちにもいじめられて……。あぁ、ちょっと無理、ってなって。自分の中で、引きこもりになるってことはすごくいけないことをしたっていう、人を殺すよりもいけないことをしたって考えていました。当時は、信号の赤を渡ったら地獄に落ちるぐらいの勢いで凹んでいたから。だからもう引きこもりになるってことは死ぬっていうか、半分死んでいるみたいな。生きてはいるけど。なんか死んではいないだけって感じで捉えていました」(古橋さん)Upload By 桑山 知之よく忘れ物をする子供だったという古橋さん。引きこもっている間に、自閉症スペクトラム障害だと診断を受けた。19歳の頃、鬱のため通院もしたが、なんとか苦しみを乗り越え、愛知県内にある通信制の高校や放送大学を卒業した。その後、就労支援のサービスを受け、エクセルやワードなどの資格を取得。2019年、晴れて貸し会議室などを運営・管理する会社にパートとして就職した。業界大手の一流企業だ。「その会社は時給社員っていう肩書きがある会社でした。社員だけどパートっていう、契約社員でも正社員でもなかった。営業の人が使う情報を入力して、資料を作成するような仕事ですね。そういったところでVBA(ビジュアルベーシック・フォー・アプリケーションズの略。Microsoft Officeに含まれるアプリケーションソフトの拡張機能のこと)を 使って、メールの下書きが自動で作れるようにしたりしていました」Upload By 桑山 知之襲い掛かった“コロナショック”就職から1年余りで週4日勤務、時給900円。手取り月収はおよそ7万円。決して裕福な生活こそできないが、それでも古橋さんは「正社員のような長時間労働は自分には難しいだろう」と、無理をせずに仕事に励んでいた。しかし、世界的なパンデミックの波が、古橋さんを襲った。「去年の春からコロナが流行って、不要不急の業務はやめるってことになって、お休みになったんです。それからずっと自宅待機になって、結局9月に退職しました。貸し会議の業界自体がお客さんを集めて運営するようなものなので……。人が集まれない状態ですから」(古橋さん)Upload By 桑山 知之「密を避ける」という時節柄、部屋に人が集まって会議をするという需要は激減した。自宅待機中、古橋さんは雇用調整助成金のおかげで給料のうち6割は支給されていたものの、「会社も運営が難しくなって人員を減らさないといけなくなり、その関係で切られた」という。現に、古橋さんと同じ立場であるパートは全員退職していた。「そりゃショックでしたよ。でも、しょうがないかなっていう思いが強かったですね。だってコロナの状況でしたし。なんでこうなったのかっていうのも、自分のせいじゃないってわかるし。じゃあ、就職活動頑張らなきゃなって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之コロナと距離「自分を受け入れてほしい」元々は正社員志望だったという古橋さんだったが、飲食関係の中小企業で正社員として働く父親が朝から仕事に出て、翌日未明の2時や3時まで自宅に戻らない姿を見て、子どもながらに「これは無理だ」と悟った。社会情勢の影響を受けるのは経済面などで「弱い立場」の人間であることが多い。旧来の“当たり前の幸せ”すらまともに享受できない現代において、新型コロナウイルスは、こうした社会と市民との距離をはっきりと顕在化させているのではないかと筆者は思う。「いま、社会に望むことはあるか」との問いに、古橋さんはこう即答した。「そりゃあ自分を受け入れてほしいってことじゃないですか。社会に出て、パートナーを得て、家族ができて、成功できればなって。社会に受け入れられるっていうのは、僕はその2つだと思います」(古橋さん)社会との距離をあぶり出した、新型コロナウイルス。引きこもりで通信教育だったため友達作りの場が不足していた古橋さんは、親以外に相談相手がいない。取材中も「僕たちには相談相手が必要だ」としきりに話していた。古橋さんに愛情を注ぎ続けていた母親は、取材時にガンで入院中だった。その後、3月18日に息を引き取ったという。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之正しいからおもしろい行き着いた“適者生存”古橋さんは、去年11月から再び就労支援のサービスを受け始めた。幸い、以前も担当していたスタッフが在籍しており、また受け持つことになったそうだ。古橋さんがいま大切にしていること。それは「正しくないとおもしろくない」ということだ。「別に誰かに正しさを教えられたわけじゃないけど、自分の中でいつのまにか形成されたこだわりなんです。正しくないと楽しくないし、おもしろくないんです。正しくないよりは正しいことを楽しく感じますし」(古橋さん)Upload By 桑山 知之図書館に行っては歴史や社会、政治、自然科学といった専門書ばかりを読み漁る。その中で、ある言葉と出会った。いまの古橋さんの心を支えているという。「自分が最近好きな言葉が『適者生存』で。適しているから生き残るっていう意味らしいんですけど、実はそうじゃないんですよね。生物学の本に書いてあったんですけど、『生き残ってるのがすべて適者なんだ』って考え方なんです。適してないものは滅ぶんじゃなくて、すでに滅んでるんだって。だから、発達障害があるってことは環境に適していないっていうことではなくて、『生きているってことはすでに適している』っていう意味で適者なんだって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年04月25日福祉とアートが同居する美術展「(た)よりあい、(た)よりあう。」開催!Upload By 発達ナビニュース福島県にあるはじまりの美術館では、4月17日より企画展「(た)よりあい、(た)よりあう。」を開催します。福祉とアートが同居する本展では「頼る」「頼りあう」をテーマに、6組の出展作家による表現や取り組みが紹介されます。「自立」という言葉を聞くと、「全てのことを自分一人でやること」をイメージする人が多いかもしれません。しかし、実際は大人になっても、身近な人や物、思い出に頼って暮らしているのではないでしょうか。そのように、さまざまなものが寄り合って、支えられている状態として「自立」を捉え、「頼る」ことを切り口に作品を紹介するのが本展です。展示を通して、お互いの存在を認め合い、新しい関係性をつくり出すきっかけになることを目指しています。絵画、ドローイング、漆器、映像、プロジェクトなど、さまざまな取り組みがはじまりの美術館に集まります。さまざまな作家や関係者、プロジェクトが関わり合い、この展覧会自体もさまざまな方たちに頼ることで実現されています。【期間】:2021年4月17日 - 2021年7月11日【開館時間】:10:00~18:00※5月22日(土)17時閉館【会場】:はじまりの美術館(福島県耶麻郡猪苗代町新町4873)【料金】:一般500円、65歳以上250円、高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方および付添いの方(1名まで)無料一般社団法人こども発達支援研究会が主催する、こども発達支援研修会(4/24実施)Upload By 発達ナビニュース4/24(土・夜)21:00からオンラインで第22回こども発達支援研修会が開かれます。講師は一般社団法人こども発達支援研究会理事の前田智行先生で、放課後等デイサービス、児童発達支援事業所、公立小学校にて500名以上の支援に関わっています。また、小学校、放課後等デイサービス、少年院等にて、研修講師を担当しており、ご自身もADHDとASDの当事者であり、当事者経験と専門知識に基づく実用性の高い研修を実施しています。今回の第22回は、「LDを抱える子への漢字学習支援」がテーマです。具体的に現場臨床で活用できる「漢字学習支援」を紹介していきます。【日時】:4月24日(土・夜)21:00〜23:00【場所】:ZOOMによるオンライン開催※カメラのオンとオフは自由です(ご自宅からの参加者が多いため)【参加費】:1100円(税込)※オンラインスクール会員は半額550円LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年04月18日他の生徒からの「えこひいき」発言ににうまく返答できなかった私は3年前まで学習塾で指導をしていました。2年生のクラスを担当していたとき、おそらく学習障害があると思われる生徒に特別メニューで課題を与えていたところ、ほかの生徒たちから意見が出ました。問題は、1年生学習範囲の「9+3」などの一桁同士の繰り上がりの問題など易しくし、宿題量も減らしていました。するとほかの生徒から「問題も簡単だし、宿題も少ない。立石先生はえこひいきしている、ずるい」と。さらに「あの子はバカだ。頭悪い」とほかの子たちは囁きました。言われた子はその場で周りに気づかれないようにシクシク泣き出しました。算数のプリントが涙で濡れました。私は囁いた子を別室へ連れて行き叱りました。どういう言葉で叱ったか忘れてしまいましたが、「それは言ってはならないことだよ」ともし言っていたとしたら、子どもたちは口には出さなくても、ますます、その子のことをバカにしたでしょう。違う課題を与えていたことをうまく説明が出来なかったことだけは記憶しています。幼児クラスでも同様幼児のクラスでも同様のことが起りました。発達障害特性がある子どもで、落ち着きがなく教室内を立ち歩くことがありました。私が「皆と同じ」を強要することなく許していたら、家に帰って「先生はえこひいきしている」と保護者に訴える子が出てきてしまいました。そこで次のように言いました。「背が高い子、低い子、走るのが速い子、遅い子、給食をお替りする子、しない子。眼鏡をかけている人、いない人、人間はみんな一人一人違います。うまくできることとできないことがそれぞれあります。椅子に座るのが得意な子も苦手な子もいます。○○君はじっと座っていることが苦手だけれども走るのが得意です。だから立ち歩いてしまっても、○○君は走りたいのをグッとこらえて頑張っているのだから先生は叱っていないのよ」ですが、子ども達が納得できたかどうかは定かではありません。マザーテレサの言葉に「できないのではありません。できることが違うだけです」とあります。もしかしたら、この言葉を入れたら納得したのでしょうか。難しい問題です。合理的配慮はずるいのかあるテレビ番組で見た光景です。クラスに学習障害(LD)のあるA君がいました。文字が読めないので、担任はテストの時間はその子だけ教卓の横に座らせ、先生が問題を読み、答えを口頭で聞いて○×を付けていました。するとほかの生徒たちから「ずるい!僕も先生の横に座りたい!」と文句が出ました。困り果てた担任は「この子だけ特別扱いはできない。えこひいきになってしまう、そうしたらいじめにあってしまうかもしれない」と感じ、個別対応を諦めました。近視の子に眼鏡を禁止して「気合を入れて黒板の字を写しなさい」とは言いません。眼鏡だけでなく黒板の近くの席にする配慮をするでしょう。ところが、発達障害についてはほかの子と同じ学習のさせ方をしてしまうという例としてとりあげられていました。障害がある人の不当な取扱いを禁じ、個々のニーズに合った合理的配慮の提供を求めることによって、差別を解消しようとする障害者差別解消法があります。これに沿って対応しなくてはならないのに、ほかの児童のクレームに押し切られてしまった担任の先生でした。A君はこの経験から「僕は周りに助けを求めてはいけないんだ。何もかも自分の努力でこれからの人生を歩んでいかなくてはならないんだ」と思ったでしょう。ツールの活用学習障害のある生徒には先生が読んでやる、または音声ソフトを使わせればよいと思います。例えば、マルチメデア教科書(デイジー教科書)という音声ソフトもあります。参考:マルチメデアデイジー教科書について背景と文字の境界が混ざってしまい、行を飛ばしたり、読めなかったりすることもあるので、こんなときはリーデングスリットを使わせればよいのです。また、黒板の文字を写せないのならば、タブレットで写真を撮らせればよいのです。子どもの特性に合わせてツールを上手に活用することで、学びの困難を少しでも軽くすることができます。Upload By 立石美津子高い壁の向こうで行われているスポーツの試合…背が低い子に「背を高くして観戦しなさい!」と言っても無理です。ですが、踏み台を使えば平等に楽しむことができます。学習も同じで、合理的配慮とは、同じ土俵でチャレンジするためのサポートの形で、この踏み台がリーデングスリットやデイジー教科書、タブレットなのです。共に学ばせながら、ときには定型発達の子どもと障害のある子どもの教育環境を変えたり、特性を踏まえて違う課題を与えたりするのが本当のインクルーシブ教育ではないでしょうか。とはいえ、私自身も、他の児童が納得できる説明の仕方を未だに見つけられないでいます。
2021年04月12日社会の常識を疑う…兄の自由帳に書かれた“謎の言葉”筆者がヘラルボニーという存在を初めて知ったのは、とある意見広告だった。2019年12月当時の背景としては、内閣府が「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄した問題について、安倍晋三首相(当時)は、名簿をシュレッダーで廃棄した人物は「障害者雇用の職員で、短時間勤務だった」と答弁したのだった。そうした中、東京・霞が関の弁護士会館の前に掲示されたのがこの意見広告だ。「この国のいちばんの障害は、『障害者』という言葉だ。」Upload By 桑山 知之29歳、岩手県出身の一卵性双生児。4歳上に、重度自閉症と重度知的障害のある兄・翔太さん(33)を持つ。崇弥さんと文登さんは、保育園から小学校、中学校、高校までをともに岩手県で過ごし、その後は別々の道を歩んでいた。Upload By 桑山 知之文登さんは東北学院大学(宮城・仙台市)に進学後、大手ゼネコンに就職。一方、崇弥さんは東北芸術工科大学(山形市)の企画構想学科へと進学した。そこで放送作家を軸にマルチに活動する小山薫堂さんのゼミに所属。卒業展示では、社会の“常識”を疑う「常識展」を企画した。インドと日本の水を比べるものや、駅に花を植えることに心からの喜びを感じているホームレスなど、常識を問うさまざまな作品を並べた。その主軸こそが、自らの兄だった。「常識展っていうタイトルやアイデアの出発点も、兄貴がかわいそうではないという伝え方をしたいっていうところから入っているので。障害=かわいそう、とか、障害=欠落、というものをそうではないという世界観を提示したいって思って。だから兄貴を題材にすると決めて最初からスタートしていました。昔からそういうのを提示したい思いはありましたね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之現在の屋号「ヘラルボニー」。一度耳にしたら忘れない“謎の言葉”に出合ったのは、この卒業展示の制作のため実家を訪れたときだった。「兄貴の部屋の押し入れをバーッて探していたんですよ、いろんなものを。母親もよく残していたなと思うんですけど、何十冊も自由帳とか絵日記とかあって。けっこう絵日記も世界観がおもしろいものが多くて、これなんかフォントおもしろいですよね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之「障害者だって同じ人間なんだ」中学時代に母とすれ違いも2人が幼いころから、自閉症の兄とともに福祉団体に遊びに行くのが毎週末の決まり事だった。そこでは、自閉症に限らずダウン症や精神障害などさまざまな人が集っていた。2人にとっては、そこで“障害”というものはあまり関係なく接しているのが当たり前だった。ただ、小学4年のころに覚えた違和感を、文登さんは作文に綴っていた。「団体の人と土日一緒に出掛けていたときに、目線とか……同い年ぐらいの人が指を差して、僕らの兄の集団を笑っていたんです。それに対して腹が立って。小4ながらに自分の中で思ってた感情っていうものがけっこう多くあったんだろうなって。僕ら双子の中でのフツウの感覚と、社会側のフツウの感覚のズレみたいなものとか、単純に『兄をバカにすんなよ』っていう思いもそこに乗っかっているのかなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之2人はやがて中学校に進学し、卓球部に所属した。兄は県内の特別支援学校へと進学。しかしここで、関係性は一度悪化してしまったという。「僕らの中学校は自閉症スペクトラムのことを『スぺ』って言ったりする子がいて、『お前、スぺの教室行けよ』みたいな。自閉症=欠落、スぺ=欠落みたいな風な使い方をするような中学校だったんです。試合の応援にも母親が兄貴をよく連れてきていたんですけど、僕もすごい兄貴が応援に来ることにアレルギーが起きるようになったんですね。それで母親に『兄貴連れてこないでよ』ってすごい言っていたんですけど、母親はしきりに『隠すことじゃないよ』って逆上するわけですよ」(崇弥さん)「自分たちの心の弱さから、小4のころはふざけんなよって言えても、中学ぐらいになって言えなくなってしまう自分もけっこういて。『スぺ』っていうものが蔓延して、スぺのきょうだいだって思われるのがすごく嫌になってしまった時期があって」(文登さん)Upload By 桑山 知之障害者の兄がいることは決して恥ずべきことではない。そんな思いから、部活を引退するまで母親は兄を連れて試合に応援へ駆けつけ続けたのではないかと2人は推測する。しかし、地元から200キロ離れた高校へ進学すると、自然にこの“すれ違い”はなくなった。「周りから言われることを避けるために、兄貴を迫害することによって自分を守っていた」と崇弥さんは振り返る。「中学時代も、兄貴のことを嫌いになったりとか、兄貴のことを大切に思ってない、ではないんですよね。兄貴のことはずーっと大切で、好きな状態はずっと今も思っていて。ただ、中学のころは防衛本能が働いていたっていうか……。高校に上がると、その当時の友達とかもいなくなったので、環境が変わったので普通に兄のことも言えるようになったんですよ。なので、自分で過ごしている環境ってすごく大事なんだろうなってホント感じますね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之子育てに正解はないという。「もしかすると正解は『ずっと連れて来るもの』って書かれるかもしれないけど…」としながら、きょうだいにはきょうだいの生活があり、親としてはその立場を考えるのもアリではないかと崇弥さんは語った。文登さんはそれを「逆張りだ」と笑いながら、親子で話し合う場の必要性を思案していた。前身ブランドからヘラルボニーができるまで崇弥さんは、小山薫堂さんが代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズという広告会社に4年半勤務した。かつて薫堂さんが住んでいた東京・赤坂のアパートも紹介してもらい、住んでいたという。社会人2年目の夏、岩手へ帰郷した際、衝撃を受けた。「岩手県にある『るんびにい美術館』(岩手・花巻市)っていう、それこそ知的障害のある作家が描いた作品が展示されている、社会福祉法人が運営している美術館がありまして。そこに行ったときにものすごい衝撃を受けて、これはおもしろい!っていう風に思ったんです。一発目に文登に電話をかけて、『なんかやろう!』って。何かを立ち上げようと」(崇弥さん)あの衝撃からちょうど1年後、2人はヘラルボニーの前身となるブランド『MUKU』を立ち上げた。ラッパーの晋平太さんを介して、『見えない障害と生きる。』にも出演したGOMESSさんに依頼し、楽曲も誕生した。見た人を惹きつけるプロダクトはすぐに話題となった。しかし一方で、崇弥さんはもどかしさを感じていたという。「当時は副業だったので、もっと全然いけるのに……っていつも思っていたんですよ。もっとコミットしたら絶対にいけるのに、でもこんなにリソースを割けないから悔しいなっていつも思っていて」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之そこから2年後の2018年7月、謎の言葉「ヘラルボニー」を掲げた会社を設立した。翌年には経済誌『Forbes』が選ぶ「世界を変える30才未満の30人」に双子起業家として選ばれたほか、先述の意見広告でも一大ムーブメントを巻き起こした。建設現場の仮囲いを期間限定のミュージアムと捉えたプロジェクトも話題を呼んだ。そして何より、障害のある作家がつくるアートを生かした製品は、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得し続けている。その大きな要因として、「着想の出発点」が違うからだと筆者は思う。「時代に後押しされているというのはものすごく感じます。もともとSDGsやりたいとかそういう思いで始めたわけでは全然ないけれども、社会側がSDGsっていう文脈を持ってきてくれているし、ダイバーシティやりたいって思ってダイバーシティって言ったこともないけれども、社会側がダイバーシティ&インクルージョンっていう文脈をウチに紐づけてくれるし。社会側が色んな文脈をウチの会社にありがたいことに紐づけてくれたっていうところがすごくある」(崇弥さん)「10年前やっていたら全然違う結果になっているだろうけれども、今っていう時代にやれているからこそっていうのもあるだろうなと。僕ら双子揃って運が良くて、いろんな方に恵まれているというか、自分たち双子としては大したことないんですけど、関わってくれている皆さんが本当に素晴らしい人が多いんです」(文登さん)Upload By 桑山 知之異彩放つ活躍数字で語れる会社に人気セレクトショップ『TOMORROWLAND』での製品販売や、吉本興業とのコラボブランド『DARE?』など、ヘラルボニーの躍進は止まらない。今年度の売り上げは1億円を超えるという。もちろん、アーティストへの還元も忘れない。「正直ホント数字面ではまだまだなんで。数字で語れる会社になれたらいいなってすごい思いますね。あそこは数字も素晴らしいよね、障害のある作家にもめっちゃ還元するよね、っていう会社になりたい」(崇弥さん)「今後の目標設定とかもすべて透明化させたいなと来期から思っていて。障害のある作家さんにどれぐらいバックしていて、これまでどれだけバックしてきたか、みたいなところとかも全部見える化して、それに対する社会的なインパクトとかもつくっていきたいなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之兄・翔太さんは現在、岩手県奥州市にある就労継続支援施設(B型)「わかくさ」で、コーヒーのパック詰めや空き缶つぶしをしている。週に3回はグループホーム、残りは自宅で暮らしているという。きっと弟2人の“異彩を放つ”活躍を、誇らしく感じているだろう。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月21日インフルエンザで学校を休む1週間、先生からまさかの連絡が...Upload By かなしろにゃんこ。「ここではこの式を代用して~」と賢そうに友達に勉強を教える姿に少し憧れてしまうことは、誰でも一度はあるのでは?わが家の万年勉強できない男子リュウ太は、そんな賢い姿とは一生無縁の天然おバカちゃんですが、小学校5年生のときにインフルエンザになり一週間学校を休むことになったときに変化が!Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。一週間も休むので、担任の先生から課題が出されました。「直径や半径、円周率の勉強に入るところだったので、お母さんから円周率の説明をして学習させてください」と任務が与えられたのです!こりゃー頑張らないとー!と張り切る母ですが...人の話を聞くことが苦手で、話すリズムが自分のリズムと合わないとキレるリュウ太に、円周率なんて教えられるかな?途中で怒り出す気がしてならない...母は少し不安混じりだったのですが、インフルエンザの峠を越えて元気になってきた息子との学習をスタートさせたのでした。「では、円の長さを測る勉強をしまーす、円の中心から~」不安混じりで始めた学習...あれ?なんだか順調!?Upload By かなしろにゃんこ。ADHDでいつもエネルギーいっぱいの子には、病み上がりの状態が勉強するのに丁度よかったのか⁉起き上がれる程度に元気だけれど動き回ることはまだできないリュウ太。落ち着いて話を聞いてもらうのに丁度いいテンション、よしよし。母はイケそうな手ごたえを感じていました。ちなみに、普段は絶えず思考も身体も何かしら忙しなく動いている族なので、少し長くなる説明をしようものなら「早く言って!早く終わらせて!その話まだ続くの?」と抵抗されてしまいます。事前に円の学習のおさらいをして理解してもらえるように、円の厚紙も用意して臨んだところ、意外に大人しくちゃんと勉強をしてくれて、円周率も覚えられました。ちゃんとやる様子が少し不気味で「アレ?まだ熱あるのかな?」って思ってしまいます(笑)次の日も次の日も、円周率についての勉強は続き、マスターしていったのでした。いつもは教えてもらう側のリュウ太、初めて人に教えてあげる喜びUpload By かなしろにゃんこ。晴れて完治して学校に行ったときにみんなよりも学習が進んでいたリュウ太は、「分からなーい」という女の子に教えてあげたと言います。そのことを本人は嬉しそうに「オレさー女子に教えてあげられた!すごくない!?」と自画自賛しました。これまで人から支援してもらうことばかりで、自分が誰かを助けたことがなかったからか?自分は勉強ができないと感じていたからか?とても嬉しそうでした。続けて家庭学習にチャレンジしたものの...Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。母も嬉しい!私は教えることに手ごたえを感じ、立方体の体積の学習にもチャレンジしたのですが...「体積なんかどうでもいいよー!なんで3回もかけなきゃいけねんだよ、だりー!わかんねーよ」と反発されて、私も「たかが3回かけるだけじゃないのよー」と言い返して炎上してダメでした(汗)3回はイヤなのかー???なんでだろう?全ては気分なのか…。やはり、一発毒を抜かれたようなインフルエンザの病み上がりのテンションでないと、スッと入っていかないようでした(笑)立方体の体積の公式を許してあげたのは(計算ルールに寛容になったのは)中学生だった気がします。遅っ!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月08日「母にはわからない...!」息子のがんばる理由Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみ高次脳機能障害になってからのリクは、日々、体調が安定しないことに悩まされていました。頭痛やめまいで視界が狭くなり、吐き気で起き上がることも困難な日があったり、今食べた献立が思い出せなかったりしていました。そんな状態でも、「留年はしたくない!」という意地で、ギリギリの点数ではあるものの無事に3年生に進級することができたのです。もう、あとは卒業するだけ...あとは、バイトでもしながら、ゆっくり将来のことを考えてくれればそれでいいとさえ思っていたのです。Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみはっ!としました…。私は知らず知らずのうちにリクの将来を、考えないようにしていたのです。なぜならそれは、「息子は障害があるからムリ」という本人のやりたいことを度外視した方法で、「それでいいんだ」「高校までがんばったんだし」というところに、親としての落としどころを勝手につけて満足していたんだと思います。Upload By ひらたともみ目標を決めたリクは、勉強することが多くなりました。ときどき吐き気や頭痛で学校を早退することもありましたが、それでも机にかじりついていました。そして、なんとか志望大学に推薦をもらえることになり、4月からは大学生になります。どうやら甘ったれた私と違うリク。「休めばいいのに」「やめちゃえばいいのに」と安易に思うことは、ややこしいこのご時世を生きる処世術だと思っていました。でもリクのように「がんばりたい」という強い意思を一度持つと、だれもブレーキをかけることなんてできない。今回は18歳の息子に教えられたようです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月05日今年の春に入学というご家庭では、ランドセルも届き、そろそろ学習机のことも考えている方もいるでしょう。しかし学習机を入学の時期に合わせて買うのは考えたほうがいいケースもあります。子どもが大きくなっても使えるように…と考えて、親の意見だけで机を購入すると、子どもに不満が残ります。逆に、小さな子どもの意見だけを尊重すると、成長したときに本人までもが後悔することもよくあることだからです。ライフーオーガナイザーの森麻紀さんが長女に学習机を購入したのは小学3年生のとき。なぜ、その時期に購入したのか?そして、小3以降がおすすめの時期だと言うその理由を聞きました。■ 学習机は「好みは変わるもの」「買い替えは不可」と理解できる年頃で!筆者の娘が、幼稚園の年少から年中の好きだった色は黄色。ところが年長になると、ピンクを好きになりました。そのため、小学校入学のときの学用品はピンク多め(ランドセルは違います)。でも、間もなく水色が好きになりました。そしてピンク色は嫌いに…。子どもって極端なところがありますよね(笑)。でも買ってしまったモノはもったいないので、最低でも2年は使ってもらいます。好みが変わるごとに買ってあげるわけではないこと、2年間は使うことを購入時に約束しています。そんなこれまでの経験から、「好みは変わるもの」「一度買ったら(机は)買い替え不可」ということを理解して、学習できるようになったと感じたのが、わが家の場合は小学3年生の頃。もちろん小さいモノに関しては今でもすぐ飽きるなどの失敗はしますが、そこに関しては大人も同じではないでしょうか?■ 3年生は小学生としての余裕が出てくる時期。幼いモノから卒業の感覚も加速お子さんが幼稚園くらいの頃、「赤ちゃんみたいでイヤだ」と言って、持っているものを手放したり、買うのを嫌がったりということはありませんでしたか?それと同じように、「子どもっぽいからイヤ」と言い始める時期があります。まだ子どもですが(笑)。小学1年生は、まだまだ幼稚園児の名残があり、夏休みが終わって2学期が始まると小学生らしくなるなと周りの子を見ても思います。2年生は、一番下の学年ではなくなるので「上級生」としての意識が芽生える。そして3年生は小学生としての余裕が出てくる学年。そして、幼いモノからの卒業という感覚が少しずつ加速するのを、私の娘に関しては感じました。■ ランドセルと学習机、時期を分けることで喜びの機会も増える!娘が小3になったとき、「私はもう高学年」と言い出しました。実際には「低学年・中学年・高学年」と分けるとまだ中学年。「低学年・高学年」という分け方でも、低学年になるのですが、高学年に入る学年が目の前に見えてきているからか、高学年というのを意識するようになったようです。これくらいの年齢の子は、「高学年=大人っぽい」と感じているようです。上の写真は、帰宅後に学習机が届いていて大喜びした3年生のとき。特に入学のタイミングは学習机購入を検討する方も多いと思いますが、小学1年生になる子どもは新しいランドセルが手に入る時期でもあります。子どもにとっては、ランドセルだけでも十分満足なのではないでしょうか?2つを分けて購入することで、大喜びする機会も増えるというものです。小学3年生をおすすめするというよりは、上記3つの感覚を持ち始めてからの購入にすることで、親子で納得でき、子どもも大きくなってからも後悔の少ない買い物ができるのではないかなと思います。娘に話すと「確かにそうかも…」と言っていましたよ。学習机を買うタイミングの参考にしてください。●教えてくれた人/森 麻紀さん名古屋市在住のライフオーガナイザー。クローゼットオーガナイザーの資格も持つ。「自分にちょうどいい片づけ方」を実践しつつ、片付けに悩む人へのサポートを行う。Webメディアなどで片付けに関する執筆も
2021年01月18日フツウの学生時代から一変就職先から告げられた「辞めてほしい」名古屋市で生まれた石橋さんは、義務教育を経て高校に進学した。成績がすこぶる優秀だったというわけではないが、勉学でつまずいたり、校内で問題を起こしてしまうようなタイプではなかったという。「学生時代を振り返ったんですけど、特になくて。例えば先生に呼び出されるようなタイプでもないですし、赤点を取っていたタイプでもなかったんです。何人かの友達に『学生時代、俺ってどうだった?』って聞いてみたんですけど、別に普通だって」(石橋さん)大学受験にも合格。「困っている人の役に立てれば」と、医療・福祉系の学部を選んだ。より広い視野で社会福祉を学ぼうと、セミナーに参加するため米・ハワイの大学まで足を運ぶなど、向学心はむしろ人一倍強かった。そんな石橋さんが異変に気付いたのは、愛知県内の病院に就職してからだった。「普通の人と比べると物覚えが遅いとか、向こうから指摘をされて。これだけミスもあるし、病院としては正直辞めてほしいっていう話がありました」(石橋さん)Upload By 桑山 知之「グレーゾーンかもしれない」就職後に自閉スペクトラム症の診断石橋さんの就職先は、病院にある「医療相談室」だった。ソーシャルワーカーとして、入院患者や家族の希望を聞き取るほか、家族間や金銭的な悩みなどにも応えるといった、あらゆる問題を調整する業務にあたっていた。複数の入院患者のことを同時並行で進めなければならず、またそれが次から次へと続くわけだが、石橋さんが受け持つ患者の数は先輩と比べて少なかったという。「先輩たちは10人とか15人を同時に担当していたんですが、僕は正直なところ5人でも回せていなかったんです。5人分の困りごと、例えばこの人はこれが困っている、家族さんの背景はこうで、この家族さんにはここの支援機関だとか。人によって別のところと話さなきゃいけないし、この人は市役所のこの部署と話さなきゃいけないしとか、同時にやっていくのが困難だったっていうのは確かにあります」(石橋さん)Upload By 桑山 知之そして就職から半年以上が経ったある日、石橋さんはパニック発作を起こした。「当時、僕がパニック発作って分からなくて、病院に行っても原因が分からなかったんです。それで、精神科に行ってみたら、それはパニック発作ですねって言われて。もしかしたら発達障害があるかもしれない、“グレーゾーン”かもしれないって」(石橋さん)「次に何をしなきゃいけないのか、複数が同時に来ると分かんなくなってしまう」という、自閉スペクトラム症の特性のひとつとされる「同時処理困難」があった石橋さん。困っている人の役に立ちたいと夢見た医療の道だったが、促されるような形で退職したのだった。Upload By 桑山 知之職場からの「キミがいなくなっても困らない」――ミスをまとめた書類も発達障害はグラデーション状に広がっており、白か黒かといったはっきりとした判別が難しい。むしろ中間部分である「グレーゾーン」の方が多いとも言われている。自身も当事者であるライター・姫野桂さんの著書『発達障害グレーゾーン』(扶桑社)などにもあるように、発達障害の傾向はあっても、診断までは出ないというケースは全国的にも多く見られている。今回インタビューに応じてくれた石橋さんは、精神科にかかった後、自閉スペクトラム症の診断こそ出たものの、日常生活では特に困難さがあるわけではなかった。自分のことを周囲にどのように理解してもらうかを悩んだ末、勤務先の病院にも、障害のことを思い切って打ち明けた。すると、衝撃的な言葉が返ってきた。「(勤務先の病院に)言われたのは『キミがいなくなっても病院は次の人が入ってくるんだから、病院としては困らない』と。日本全国で大学卒業する人が誰もいないんだったら別だけど、そんなことはない。毎年入ってくるんだから、キミがいなくなっても病院としては困らないって。使えないから切ればいいっていうのは理解できるんですけど…」(石橋さん)石橋さんを辞めさせるためなのか、勤務先では石橋さんの仕事上のミスや当時の状況を事細かに同僚が書き起こし、ファイルにまとめていた。「何度も同じミスがあり、すべてに他者の確認作業と修正が必要」「他の作業をしていると、やることが抜ける」「相手の置かれている状況が想定できない」――。石橋さんは、退職を選ばざるを得なかった。Upload By 桑山 知之誰も取りこぼしたくない実体験を通して知った弱者の気持ち現在、石橋さんは再び職に就くためにLITALICOワークスで就労移行支援を受けようとしている。そこには、昔からブレずに抱いている思いがある。「誰も取りこぼしたくないっていうのはありますね。社会的に不利に追い込まれてる人とか、そういう人が不利益を受けるんじゃなくて。ひとり親、障害者、高齢者、親がいないお子さん……。そういう人たちが不利な状況になりやすい社会にはしたくないなって思うので、そういう人たちも幸せを感じられるような世の中にしていきたいなっていうのは漠然とありますね」(石橋さん)かつての勤務先で自身の発達障害を打ち明けても相手にされず、辞めるよう促された過去。石橋さんの心の中で、より強い思いが湧き上がった。「そういったことを言われた経験を踏まえて思いましたね。弾き出されるときって、こんなに露骨に弾き出されるんだなって。実体験としてすごく思いました。だからこそ社会の中で誰ひとり取りこぼしたくないし、自分の力が役に立てる場所でやっていきたいです」(石橋さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月17日切り替えが苦手で集団行動が遅れがちUpload By スガカズ長男はWISC-IVの結果で処理速度が低いことがわかっています。また、注意散漫、過集中といった特性もあり、学校で次の行動に移るときに時間がかかります。なかなか次の行動に移れないとき(特に教室を移動する授業)は、クラスメイトや先生が声をかけてくれることがあるのだそうです。学校で見かけた長男とクラスメイトのトラブルUpload By スガカズ1年前のある日、私は当時小3だった次男の忘れ物を届けに学校へ行きました。すると廊下で小6の長男がクラスメイト2人となにやら揉めていました。クラスメイトに何か言われており手をひっぱられています。長男は何も言わず泣きそうになりながら拒んでいました。体操服に着替えていること、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴っていたことから、「長男の行動が遅れているからクラスメイトが呼びに来たんだな」と理解しました。長男は次の行動に移るときに無理やり促されるのを嫌います。私はクラスメイトとのやりとりを見て「長男にとって大事な経験だ。今私が間に入るよりも、後で話を聞いてアドバイスした方が冷静に話し合える」と思い、後ろ姿を見つめていました。「病気(障害)だから仕方ない」長男の発言に腹を立て…Upload By スガカズ放課後、長男が帰ってきたので私は廊下でのやりとりについて聞きました。概ね私の予想通りで、体育館に行く途中で考えごとをしていたそうで動きが止まっていたそうです。長男がなかなか動こうとしないので、クラスメイトが「早く来て!」「遅い!」と強い口調で促していたそうです。「それは大変だったね。注意されていたとき、あなたはどんな気持ちになったの?」と聞くと、「オレは、できることとできないことの差がハッキリしている。だけどクラスの女子が無理やりオレをひっぱって連れて行こうとしたんだ」「オレ、病気だから行動がゆっくりでも仕方ないのに!」と怒り口調で答えました。私は長男が強めに促されてイヤだった気持ちは理解しますが、「仕方ない」という言葉に腹が立ち、思わず長男を叱ってしまいました。「障害だからいいでしょ」と許してもらおうとしたり、「仕方ない」からといって諦めたりするのは間違っていると思います。大事なのは、「障害に対して自分がどう向き合えばいいか」「言ってくれた相手とトラブルにならないためにどうしたらいいか」を考えて行動することだと言いました。このとき長男は「言われたのは自分の方なのに」と納得した様子ではありませんでした。どうすれば分かってもらえるのか?と考えたときに、長男に促す側の気持ちを体験してもらうことだと思いました。無視されたり開き直られたらどんな気持ちになる?Upload By スガカズUpload By スガカズその日の夜、きょうだいが全員そろったときに長男に話しかけられました。私は話しかけられていることを理解していましたがそれに反応せず、きょうだいの相手をしていました。何度も何度も話しかけていたのに長男は無視されたので、私に怒りました。怒っている長男に対して私は、「今、どんな気持ち?」と聞きました。子どもたちに話しかけられても対応できないときに「ごめんね」「ちょっと待ってね」「〇〇の後話きくね」と言うように私は気をつけていること、「〇〇だから仕方ないでしょ」という風に言ってないこと、もし「仕方ないでしょ」と言われたり無視されたらどんな気持ちになる?と長男に言いました。「…イヤな気持ちになる…」と長男は答えました。クラスメイトが声をかけてくれる(行動を促してくれる)のはありがたいことで、その行動に対して何も言わずに嫌がったり怒ったり「病気だから仕方ない」と言うのは間違っているともう一度言いました。Upload By スガカズその後聞いていなかったときや無意識で起こったことに「ごめん!」というセリフが出たり言葉で説明したりする場面が見られるように。私は素直に反応してくれたことが嬉しくて「気づいてもらえてお母さんうれしいよ」と言いました。もちろんすべてが好ましい反応にはなりませんが、気をつけようと思い言葉に出すことは、より良い生活を行うために必ず必要になってくることで、一歩前進したと言えます。中1の現在、できないことに対して「自分で解決策を考える」姿も…Upload By スガカズ中1になった現在は、どうしてもできないことに対して、考える場面も見られます。できない理由を言葉にして、私にお願いすることもあります。「どうしたらいいのか分からない」と、そのままにしてしまう場面も沢山ありますが、自分の障害を「仕方ない」と諦める前に、人に相談したり自分なりの案を試してほしいと思います。
2021年01月04日子どもが勉強を嫌がるのには理由がある?一緒に目的を整理する勉強を補ってくれる塾ですが、発達障害のある子の場合、自分に合った学習環境・方法を見つけにくいことがあります。まずは何のために塾に通うのか、整理してみるのも一つです。以下は、発達障害の子どもがいるご家庭が塾に通う目的の一例です。・授業に遅れているので、その遅れを取り戻したい・本人に合った勉強方法がわからないので、それを見つけたい・家で集中がなかなかできないので、勉強する習慣を身につけたい・受験の対策をしたい子どもが勉強をしたがらないのは、もしかすると勉強が嫌なだけではないかもしれません。学校で教わった方法がどうしてもしっくりこない、学校ではみんなができているのに自分だけ理解ができず自信を失ってしまった、勉強をする必要がさっぱりわからない、鉛筆の触感が合わない、誘惑が多く集中できない、など嫌だと思う理由があるかもしれません。勉強を嫌がっている場合は、まずは勉強の何が嫌なのか聞いてみても良いかもしれません。20~50名の大人数クラスから、個別指導、家庭教師。どんな学習スタイルが合う?Upload By LITALICOライフ塾によっても学習スタイルはさまざまです。独自の取り組みをしている塾もあるため、あくまでも目安にはなりますが、子どもに合いそうな学習スタイルを考えるときの参考にしてみてください。■集団授業(大人数)1クラス20~50名で、主な目的は受験です。受験合格に必要なペース配分がわかりやすく、周囲と刺激を受け合う・影響を与え合うことができます。■集団授業(小人数)1クラス4~20名で、受験や学校の授業の補習が主な目的です。大人数のクラスに比べると指導に関する個別相談がしやすく、勉強のフォローが手厚いこともあります。■個別指導生徒は1~3人で、個別に対応してくれます。主な目的は受験や学校の授業の補習です。時間割やカリキュラムをオーダーメイドできることもあり、周りのペースを気にすることもありません。合理的配慮は集団に比べれば頼みやすくなりますが、実際の対応は担当スタッフによりさまざまです。■家庭教師主な目的は受験や学校の授業の補習です。家にまで来てくれるため、外出や送迎の必要がありません。合理的配慮を頼みやすく、教師を選べることもあります。■発達支援系発達障害への専門知識を持ったスタッフが対応してくれる可能性が高いです。目的も本人に合った勉強方法を探す、ソーシャルスキルの獲得など、特性への配慮があります。これらはあくまでも一例です。子どもによっても環境や方法には相性があります。実際には、見学や体験をすることで総合的に判断することが大切です。交通手段や週何回通うかも大事さいごに、現実的な交通手段や、週何回行くかといった頻度によっても、塾の選び方は変わります。例えば保護者による送り迎えが必要かどうかです。必要な場合は、保護者もさまざまな予定があるなか、送り迎えの時間を調整する必要があります。保護者の車などで遠くまで通える場合は、立地はそこまで気にしなくても良いかもしれませんが、子どもが一人で徒歩や自転車で通う場合は、家の近くが安心です。定期的に通う場合は、通いやすさも大切です。子どもだけではなく、保護者にとっても無理をしない選択が大切です。監修:髙橋 基(株式会社LITALICOライフライフコンサルタント。元・学習塾の教室長、1000人以上の受験指導経験あり)“うちの子”に合った学習環境の探し方は?ここまで、塾に通う目的や学習スタイルについてご紹介しました。塾だけではなく学校選びについても、現実的な交通手段や相性、教育費などが関わってきます。何を目的に、どんな環境づくりをしていくのか、考えるのは簡単なことではありません。LITALICOライフでは、子どもの特性や保護者の想いに合わせた学校の選び方を、最新の事例をまじえながら勉強会でお伝えしています。勉強会参加後に希望を出すと、後日、個別で相談をすることもできます。家族にとってどのような選択が良いのか、相談経験豊富なスタッフに話しながら一緒に整理していくことができますので、ぜひ勉強会参加後に相談を希望してみてください。私立中学受験の情報や塾選び、いま準備しておきたいことが勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「中学受験という選択」は、発達障害のある子に合った私立中学やかかる費用について知ることができる勉強会です。進学先が公立中学でいいのか迷っていたり、既に私立受験をすると決めている方にとって、今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話ししています。【中学受験のこんな情報がわかる!】・中学校の選択肢・私立中学の特長・中学受験のスケジュール・志望校の選び方・塾活用のポイント・私立中学の学費や塾代、ほか受験にかかる費用など一番大切なことは、子どもにとって合う環境を見つけることです。中学受験・塾選びはその一つです。2020年12月現在は「東京版」「神奈川版」となっていますが、全国から参加・相談を希望することができます。【高校受験】が気になる方は…⇒『よくわかる「高校受験」』LITALICOライフは、お子さまとご家族が「自分らしい人生」を歩んでいくために障害分野とファイナンス、その両方の専門家としてライフイベントやライフプランの見直しを相談できるパートナーです。社会資源やサービス・お金の知識といった幅広い内容を身につけることができる勉強会や、専門領域をもつコンサルタントとの個別面談・プランニングを提供しています。ぜひ皆さまにご活用いただきたいと思っています。
2020年12月25日一人息子は発達障害夢はお寿司屋さん上口さんが30歳の頃、男の子を出産した。名前は悠樹くん。平成元年生まれで、偶然にも筆者と同い年だ。当時は今から30年以上前、今ほど発達障害への認知や理解は進んでおらず、典型的な症状でなければ見過ごされることが多かったという。今では発達性協調運動障害(DCD)という存在も知られるようになったが、悠樹くんが通っていた保育園では「手足の協調的な運動が難しい」と言われていた。段差に気付かず転んでしまうことは日常茶飯事で、穴に落ちてしまったり、保育園でのハサミを使った工作もとても苦労していた。しかし検診に連れていくとそれほど問題視はされず、「長い目で見ましょう」とあまり指摘されなかった。「ずっと親としては気になっていたんです。本を読んでみたり、発達障害者支援センターに相談に行ったりしてました。例えば、小学校に入ると集団登校ってありますよね。うちの子だけがどこかちょっと外れてるんですよ。ちょっと外れた動きをして、一生懸命高学年の人が手をつないでとか」(上口さん)Upload By 桑山 知之違和感を覚えながらも、しばらくやり過ごした。元々、底抜けに明るい子だった悠樹くんだったが、できないことが生活の中で多いことから、少しずつ暗くなっていった。学力こそ低くなかったものの、生きづらさを確かに抱えていたのだった。「小学5年のときに(診断を)受けました。あのときはもう混み合ってて、1年ぐらい待ってようやくWISCを受けて、ADHDとアスペルガーの混合型っていう、今だとまた違った診断名なんでしょうけど、その頃はそう診断されましたね」(上口さん)中でも特に辛かったのが発達性協調運動障害だという。近年その認知は徐々に広がっているが、これまでは「不器用」「運動音痴」という言葉で見過ごされてきたことが多い。悠樹くんにとってできないことも多々あったが、一方で悠樹くんは料理が大好きだった。家庭科の成績はいつも良く、時には上口さんに手料理を振舞った。悠樹くんの夢はお寿司屋さん。特に手先の技術を要する職業だった。Upload By 桑山 知之大学入学直後、拒食症に…上口さんによれば、中学ではいじめにも遭ったという悠樹くん。それでもなんとか高校へ進み、キャンパスライフを夢見て愛知県内の大学へと進学。一人暮らしを始めた。しかし、入学から1カ月後の5月には下宿先から一歩も出られなくなってしまった。「とにかく夢いっぱいだったので、スーパーでアルバイトもして、サークル活動もして。それで単位を取らないといけないじゃないですか。必修科目だとかいろんな履修登録をしないといけないんですね。それがうまくできなくて呆然となって、学校の中で自分一人でポツンといるような気持ちになって、それでもう学校も行けなくなって、バイトも辞めちゃって。結局、体重が30kg台になったときに、もう持たないと思って(悠樹くんを)家に連れて帰りました」(上口さん)Upload By 桑山 知之料理があれだけ大好きだった悠樹くんが、拒食症になってしまったのだった。「僕は何にも役に立ててない」と自分のことを責めもした。それでも程なくして、働く母親の上口さんを支えるため、「これからは僕が毎日夕飯をつくってあげる」と意気込んだ。その明るい性格から、買い物先の八百屋や近所の美容院の人からすぐに気に入られていたという。しばらくして余裕が生まれると、悠樹くんは自身が通っていた保育園でアルバイトを始めた。「うちの子はアルバイトをやってもすぐクビになるというか、なかなか合格しないんですよ。そうしたら、自分が行ってた保育園がおいでって言ってくださって。大学の中にある保育園なんですけど、そこで調理の経験をして、それをボランティアで半年ぐらいしてるうちに、今度は『僕、栄養士になりたい』って」(上口さん)Upload By 桑山 知之幸せな専門学校生活から一転、鬱に栄養士になるために名古屋・栄にある専門学校へ通い始めた悠樹くん。これまでと違い、同世代だけではなく少し年齢が上の“人生の先輩”がいたこともあり、「息子の人生の中で一番幸せだった」期間は1年以上続いたという。「初めて友達っていう存在がいっぱいできて。みんなで飲みに行って、今日まだ帰ってこない!って。親としてやっと普通の悩みっていうか。あれは嬉しかったですね。すごく楽しく過ごしていました。あのまま行けばよかったってすごく思います」(上口さん)クラスメイトには自身の発達障害についても打ち明け、周囲や先生は悠樹くんを受け入れてくれた。しかし、専門学校2年で実習が始まると、壁にぶち当たった。病院での厨房実習だった。運動障害によって真っ直ぐ歩けないため色んなものにぶつかった。手先が器用でなく、作業をすべてやり直しもした。きっと強迫観念もあったのだろう。「もう僕はできない、働けない」と落ち込み、悠樹くんは実習1日でドロップアウト。学校に行けなくなり、鬱状態に陥って自殺未遂を繰り返した。ベランダに飛び降りるための椅子が置いてあったり、紐が結び付けてあるなどした。夜中に自殺してしまうのではないかと、上口さんは悠樹くんの部屋の前で一夜を過ごしたこともあった。Upload By 桑山 知之「もう9年前ですね。その日は私が出張中で。だから私は現場にいなかったんですよね。(出張先は)京都だったので、何で日帰りしなかったのかなって思うんですけど、一泊しちゃったんです」(上口さん)2011年5月、悠樹くんは自宅マンションのベランダから飛び降りて自ら命を絶った。21歳だった。悠樹くんの携帯電話に残された遺書には、こう記されていた。「発達障害の人たちが生きやすい社会を願って」。Upload By 桑山 知之息子の自殺当事者が生きやすい世の中に「こんなことをお話ししていいのかわからないんですが、私はうちの子を育てながら『この子いつかいなくなる』って思ってたんですよ。電車の階段を落ちて骨折したり、自転車に乗ったら倒れちゃって病院で脳の検査とか、そんなことがしょっちゅうあったんです。『この子っていつまで一緒にいてくれるんだろう』って思ってました。だから、それが現実になったんだなって」(上口さん)悠樹くんの死後、「何かをやらないと潰れてしまう」と感じた上口さん。その中で、発達障害の当事者会に参加した。悠樹くんの話をすると周りは皆、親身に耳を傾けてくれた。県外にも足を運び、大阪でNPO法人「発達障害をもつ大人の会(DDAC)」広野ゆい代表(48)と出会った。Upload By 桑山 知之「広野さんの言葉で『自分が動いちゃいけない。自分と周りの環境があってその一番真ん中に自分がいなきゃいけない』っていうのがあって。引き寄せられて自分が動いたらいけないって言われて、なんかすごく救われたんですね。周りでいろんなことが起こるけれども、そこから動かないで距離を保ちましょうっていうことだと思うんですよね。私の場合は、悠樹の思い出との距離」(上口さん)当事者同士の交流が必要だと改めて感じた上口さん。実家を売り、駅近の物件を購入。こだわったのは、発達障害の当事者が集まりやすく、そして働きやすい居場所。「やめた方がいい」「無謀だ」と言われてもあきらめなかった。上口さんは2014年3月、ブックカフェ「Co-Necco」をオープンさせた。Upload By 桑山 知之「うちは職員も3分の1は障害のある方々で、発達障害や精神障害や身体障害などいろんな障害のある方々なんですね。最終的な目標は、障害者が対等に、それぞれの得意なことを生かした働き方っていうのかな、そんな職場をつくりたいですね」(上口さん)お店を開きたかったという悠樹くんの夢。上口さんが、悠樹くんの思いを形にして早6年半以上。定期的に開く交流会なども好評で、愛知県内だけでなく全国から“居場所”を求める客であふれる。決して無謀なことではなかった。「子どもを亡くす親って、何か子どものためにやりたいって思うもんなんです。そのときに、なんとなく当事者会が一番しっくり来た。自分も当事者ですからね、子どもを亡くしたっていう当事者ですから」(上口さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月06日前回の連載では、データが示す復習の重要性と、復習効果をアップさせる正しい方法についてお話ししました。今回も引き続き、自宅学習にまつわるお話です。RISUで学習する子どものデータを比較・分析したところ、理想的な学習習慣のヒントが見えてきました。「個々人の経験則ではなく、統計データなどの科学的根拠に基づいた知見を入れて教育をとらえ直そう」という、エビデンス・ベースドの視点に立って、「学習の時間帯」「学習の頻度」というふたつの入り口から、いま一度お子さんの学習習慣を見直してみませんか?夜中まで頑張る子ほど、成績が下がる!?まずは、「学習の時間帯」についてお話しします。みなさんのお子さんは朝型ですか?それとも夜型ですか?子どもが夜遅くまで勉強しているのを見ると、つい「えらい!」とほめてあげたくなりますよね。私も夜型の子どもだったのですが、遅くまで机に向かっていると、よく母親が夜食を用意してくれたものです。 それが嬉しくて、当時は深夜まで勉強を頑張っていました。でもじつは、深夜学習は効率が悪いばかりか、お子さんの成績を下げる原因にもなる、おすすめできない習慣です。思い当たるおうちの方がいらっしゃったら、すぐにやめさせたほうがよいかもしれません。夜学習の効率の悪さを示す、こんなデータがあります。朝型と夜型の子どもの「学習スピード」と「継続力」をそれぞれ比べたあるデータによると、朝型の子どもを100としたとき、夜型の子どもの学習スピードは73、継続力は48まで落ちるという残念な結果が出ています。勉強に取り組む時間帯が遅くなるにつれて、学習理解のスピードも、継続期間も下がっていきます。つまり、夜遅い時間に勉強する子ほど、効率も悪く、続かないということなのです。これは、いったいなぜでしょう。「脳の疲れ」が勉強効率を下げる!夜型の子の勉強効率を下げる大きな要因は、「脳の疲れ」。子どもは日中、さまざまなことに夢中になっています。学校で勉強をしたり、友だちと遊んだり……。朝起きてから12時間以上もたてば、体はもちろん、脳も疲れきってしまいます。一日活動して疲れた脳に、新しい情報を詰め込もうとしても、思うように入らないのは当然のこと。効率よく学習するには、脳のコンディションを整えることが大切です。脳の疲れをとるには、充分な睡眠が欠かせません。これは科学的にも証明されていることですが、たしかに、しっかりと睡眠をとった翌朝は、心も体もすっきりしますよね。朝型のほうが夜型より学習効率がよいのは、朝は、学習内容を吸収するための脳のコンディションが整っているからなのです。また、夜学習の問題点は、効率の悪さだけではありません。夜遅くに学習する生活を続けていると、非効率な夜型の学習習慣がすっかり体に染みついてしまいます。たとえば、試験前の30日間、毎日2時間勉強したとします。朝型の子の習得度を60とすると、夜型の子の習得度は30〜45くらいまで落ちてしまうわけです。単純に考えると、夜型の子は、そのぶんの時間(15〜30時間)を無駄にしてしまっているとも言えます。まして一度身についた習慣を変えるのは、難しいものですから、小学校入学から大学卒業までの約16年間における、夜型の学習習慣が及ぼす悪影響たるや、恐ろしいものです。理想の学習時間は、やはり朝。まずは朝に10分でもいいので、勉強する時間をとれるとよいですね。「たった10分」と思わず、習慣化してみましょう。一度習慣化できれば、その時間を15分、20分と伸ばしていくのは難しくありません。朝学習で脳を目覚めさせれば、日中の活動もスムーズになり、一石二鳥です。ぜひ、朝型の学習スタイルを取り入れてみてください。週1回60分 VS 週3回20分次は、「学習の頻度」のお話です。RISUのデータによると、同じ期間に同じだけの時間学習している子どもでも、学力の向上にはバラツキがあることがわかりました。学習時間はきちんと確保しているのに、成績の伸びがいまひとつの子どもと、学習したぶんだけ成績アップにつながっている子どもの差は、いったいどこにあるのでしょうか。その答えの鍵を握るのは、「学習頻度の違い」です。子どもの学習傾向を「1回に長時間学習する、長時間型」と「短い時間で何度も学習する、短時間型」に分けて比べてみたところ、「短時間型」の子のほうが学習効率がよく、成績の伸びも明らかに大きかったのです。具体的には、短時間型の子の50時間での平均学習スピードは長時間型の1.1倍、という結果が出ました。たとえば、週3回20分学習する子と、週1回60分学習する子の、1週間でのトータルの学習時間は同じです。しかし、前者が2〜3日に一度は学習をしているのに対して、後者は7日に一度。学習と学習の間が、160〜170時間も空いてしまっています。これでは、一度理解した内容もうろ覚えになりがちです。せっかく覚えた公式も忘れてしまうかもしれません。そうすると、前に学習した内容を思い出すのに時間をとられて、結果的に学習効率が下がってしまいます。成績アップのためには、学習の間隔を空けないことが大切なのです。ここまで読んでいただいた方は、「じゃあ、まとまった勉強時間をとるより、スキマ時間で1日に何度も勉強した方が、成績が上がるの?」とお思いかもしれません。しかし、ここで注意してほしいのが、「1回の勉強が10分を切ると、学習効果が薄れてしまう」ということ。1回の勉強時間は、20分は確保できるとよいですね。学習習慣は、日々の積み重ねです。ほんの少しの違いが、のちのちの大きな差につながります。同じ時間勉強をしているはずなのに、ライバルとの差が埋まらない……。そんなときは、「学習の時間帯」と「学習の頻度」を振り返ってみてはいかがでしょうか。『10億件の学習データが教える 理系が得意な子の育て方』今木智隆 著/文響社(2019)■ 算数塾「RISU」代表・今木智隆先生 インタビュー記事一覧第1回:子どもを「算数嫌い」にしない大原則。幼児期からできる“算数好きの基礎”の築き方第2回:子どもが勉強で成果を出せないのは、親の「勘違い」が原因かもしれない第3回:10億件のデータを調べてわかった、小学生が「ずば抜けて苦手」な算数の単元と例題第4回:「算数の文章題が苦手」な子どもが、ひねった応用問題でも解けるようになる教育法
2020年11月27日教授に相談できなくて…卒論が書けず引きこもりに三重県出身の戸田さん。三兄弟の末っ子として生まれ、義務教育から高校卒業後、一年間の浪人を経て近畿大学農学部(奈良市)へと進学した。つまずいたのは、卒業間近の論文執筆時だった。「卒業論文がありまして、その作成がうまくいかなかったっていうか……考察とかそういう部分がうまく文章が書けなくて。そこから引きこもりになりました」(戸田さん)Upload By 桑山 知之“情報を整理する”ということができなかった。奈良県内の病院の精神科を受診すると、適応障害と診断された。周囲のサポートもあり、なんとか大学は卒業できたものの、その後は実家近くの病院のデイケアに通いながら、自宅療養生活を送った。「先生に頼りにいくという力がなかったんです。当時卒論を担当していた教授は別に怖い方ではなかったんですが、普段誰かを頼ったりしていなかったので……」(戸田さん)思い返せば「小さな頃から誰かを頼ることが苦手だった」と話す戸田さん。小学3年のころにてんかんを発症したこと、中学時代にロボコンに出場したこと、高校で吹奏楽部に所属していたこと以外、学生時代の記憶はほとんどない。戸田さん曰く「事実は覚えているが、感情は覚えていない」らしい。Upload By 桑山 知之過去に認定されていた発達障害24歳で再診断「発達障害はグラデーション状に広がっている」と言われるように、それが生活に支障が出ない人も少なくない。実は戸田さんが小学校低学年のころ、発達障害だと診断されていた。しかし、戸田さんや両親は特段気に掛けていなかった。しかし、大学卒業間近でつまずいた戸田さん。両親と同居しながら、以前の診断時に受診していた海南病院(愛知県弥富市)の精神科が運営しているデイケア施設「ネバーランド」に通った。改めて発達障害の診断を受けたのは、24歳のころだった。Upload By 桑山 知之「担当者と問答したり、数学の問題とかパズルのテストもやりました。結果は広汎性発達障害という名前がつきました。大まかに言うと、人の言っていることを理解するのが苦手なのと、優先順位をつけるのが苦手なのと、物事を文章化するのが苦手という3つが症状ですね」(戸田さん)自らの特性について話す様子は淡々としていて、どこか晴れやかな表情をしている。「自分はこういうのが苦手なのでサポートをお願いします、っていうスタンスが取れるようになりましたね」。戸田さんは、診断によって自己理解が深まったと胸を張っていた。Upload By 桑山 知之大学時代に出会った唯一無二の友人今でも支えに近大では「メダカの学校同好会」に入っていた戸田さん。「メダカの住み良い環境を作り出そうというコンセプト」だそうで、ビオトープ班に所属していたという。「ペットだと飼い殺しにしてしまいそうな感じがするので、飼うのは向いてないかなと(笑)。メダカの学校同好会では生物の調査をしたり、小規模ですが生物が入りやすいように溜池を作ったりもしました。楽しかったですね」(戸田さん)当時付き合いがあっても卒業するとほとんど縁が切れてしまったが、今でも唯一連絡を取っているのが同好会の友人。もう8年ほどの仲で、彼は宮城県仙台市で仕事をしているが、今年の頭には熱海へ旅行に行った。ゲームやアニメなど、彼をきっかけに戸田さんも趣味が広がったといい、現在の戸田さんにとって一番の支えになっていると話す。「定期的に向こうから今夜スカイプどう?みたいな感じで、複数人でオンラインゲームで遊んだり。パソコンのシューティングゲームもそうですし、今やっているオンラインのゲーム『World of Warships』もそうですし、最近アニメで定期的に毎クール観ようと思ったのも、その友人が絡んでいますし。今の趣味すべてに友人がどこかしら関わっている気がします」(戸田さん)Upload By 桑山 知之就労移行利用し就職上司「僕らが一番苦手なことができる子」厚生労働省が委託する機関で、各地域に「若者サポートステーション」というものがある。働く意向のある若者と向き合い、職場定着するまでを全面的に支援する機関で、49歳までの就労意欲のある人が対象だ。戸田さんは若者サポートステーションでパソコンについての訓練を受け、その後LITALICOワークスの就労移行を利用。現在、ネッツトヨタ愛知のデジタル推進部に所属し、各販売店で働くスタッフのサポート業務を行う。もう働き始めて2年目だ。「彼と面接したときに一番感じたのが、僕らって物を売る会社なので、対面のコミュニケーションが主になるんですよ。でも彼は逆で、文字のコミュニケーションができる子。僕らが一番苦手なことができる子だろうなって。だからすごく助かっていますよ」(戸田さんの上司)Upload By 桑山 知之「今までの人生においても、対面のコミュニケーションよりも文字情報のコミュニケーションの方が大半占めていますからね。小学校のときは2ちゃんねるをやっていましたし、中高はオンラインゲームでチャット、大学のときはTwitter。弊社ではMicrosoft Teams越しでやり取りすることが多いので、すごく質問しやすいんです」(戸田さん)大学時代につまずいたあの経験を二度としない。情報を整理するのが苦手だという自覚から、メモ帳はジャンルごとに7種類に分けて工夫するほどの徹底ぶり。新型コロナウイルスの影響でオンラインでの業務がより増えたが、自分にとってはむしろ心地いいという。今では文字でのコミュニケーションを主に置き、ストレスなく仕事に励んでいる。「僕はすごく恵まれてます」。戸田さんは、前を向いて笑っていた。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。CM内楽曲GOMESS『COMMON』は各サブスクで配信中取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年11月13日読み書きに困難あり。毎日の宿題は親子で我慢くらべUpload By スガカズ次男は読み書きに対して特に困難があります。また、勉強に限らず本人が嫌だと思ったことへは基本的にしたくない性分です。小学校に入学して始めの頃は、私が次男に音読に取り組んでもらうタイミングを見計らったり、1行目は私が読むなどして何とかきっかけを作れていました。ですがいつまでも私が関わり続けるのも限界があるし、自主的に行動する機会をつくれていないと感じていました。小3になる頃、音読に関してこの様な困難さがありました。・自ら教科書を開く気分にならない・国語の教科書は単元ごとに、音読する量が違う・読み間違い、読み飛ばししがち・勉強した内容(特に漢字)が定着しづらい他にも、学校で配られる音読カードのチェック欄で「自分を(△〇◎などで)評価される」のを嫌っているといった理由もあります。頑張ったのだから全部〇という風にすると、「こんなもんでいいんだ」と本人が思う様になりそうだと感じる場面が多く、「今日は声がネズミさん(5段階でいうと1段階)だから、声の大きさは△」といった風に正直に書いていたので、次男はいい気がしなかったと思います。(読み間違いや読み飛ばしに関しては特性なので○にしていました。)ママ友に教えてもらった「デイジー」という支援ツールUpload By スガカズ特別支援教室のママ友とランチをしていたときに、「マルチメディアデイジー教科書」というツールを教えてもらいました。公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会から提供されている、パソコンやタブレット端末で利用できる図書の一つです。子どもが通う学校の教科書(出版社)のデジタルデータ(保護者が申請して承認を得てからダウンロードが可能)にルビ振りや音声読み上げ、さらには読み上げている部分が色分けされているなど、かなり配慮されたツールです。もともと視覚障害者向けにつくられた様なのですが、発達障害のお子さんにも有効であると言われています。マルチメディアデイジー教科書について実際に利用してみると、次男の行動に変化が!Upload By スガカズ「マルチメディアデイジー教科書」をネットに紹介されている手順に従ってダウンロード。本人に使い方を簡単に説明しました。普段は自ら教科書を開く気分にならない次男ですが、タブレットに目を輝かせながら音読していました。Upload By スガカズ利用するうちにたくさんの効果を感じました。・楽しく音読(読書)ができる・音声の情報で記憶力が鍛えられる・褒めるきっかけになるタブレットなどの身近なデバイスで、さらに目や耳の情報が入りやすく読みへの困難さが軽くなっていることを実感しました。「やらせる音読」から、「すすんでやる音読」に変わりました。Upload By スガカズさらに利用していくことで、・授業に関する親子の会話が増えるという利点も感じました。音読をしているとき、あるいはする前に、自分が授業で学んだ知識を共有してくれることも。今までは、勉強が苦手な次男に授業の内容を聞いてもあまり良い反応はなかったのですが、自然に学校での授業の様子を話してくれるので、親子の会話の幅が広がったと感じました。現在はLDはあるものの、自ら教科書を開くことが多いため、困ったときに利用させていただいている状態です。これも「マルチメディアデイジー教科書」を利用した効果なのかもしれません。国語に限らず小学生だと算数、理科、社会にも対応しているので、家庭学習で、授業の振り返りをしやすいと感じています。
2020年11月03日今回は少し前に書いたお話の続きとなります。時は2020年6月…。うちの長女も中学3年生になり、だんだんと勉強の難易度が上がってきました。そもそも2年生の時点でかなりの難しさとなり、それまで家庭学習で僕が教えながらどうにか乗り越えていたものの、ついには僕がこれ以上教えることが困難と自覚してギブアップしていたんです。もうこれからは自力で頑張りなさい、と。しかし、そこからどうにも点数は上がらず、それを見かねた僕はとある提案をしたのでした。”仲の良い友達に勉強の方法を聞いてみては?”…と。長女と仲の良いその友達は、同じ部活、そして同じく塾に行っていない。でも成績はとても良い。何か良いヒントを教えてもらえるかもしれないから、聞いてみるのもありなんじゃない?そう思って長女に言ってみたのでした。まぁ、まさかその返答がユーチューブでの学習で、しかもその方法が割と学校で流行っているのには驚いてしまいましたが(笑)■そのお話は コチラ !!中学受験の前からから父と娘で家庭学習を続け、受験を突破できました。しかし、学年が上がり授業の内容が難しくなり、昨年ついにパパ先生は引退をしたのですが… 「長女の勉強がピンチでパパ先生帰還!? まさかのアレに望みを託すことに」 前回のお話をまだ読まれていない方は、ゼヒご覧ください!ユーチューブ授業、開始!!あ、分かったこの人。形から入ってそれで満足するタイプだ…。いや、喜ぶのはまだ早い。成果を出さないと、成果を…。意外だったけれど。意外だったのではあるけれど、確かにかなり有効性のあるやり方だなとは思いました。学校の授業ではどうしてもテンポについていけない時があるかもしれません。そして、その場で質問できればいいのですが、それもできずに次の問題に進んでしまって分からないままに。以前の記事にも書きましたが、英語や数学は1度つまづくとそこから追いつくのが大変なんですよね。でも、動画であれば分からない箇所は巻き戻して理解できるまで繰り返し見ることができますし。おまけにこの方法だと経済的に優しいので我が家としてはとてもありがたい(笑)これは確かに良いかもしれない、教えてくれた長女のお友達。ありがとう!!さぁ、長女よ。頑張ってみるのだ!!しかし…!?そこから数ヶ月後。たび重なる不運の連続!!試験が受けられない!!これは前回までのお話に書きましたけどね。まさかのあれから大きな試験は何ひとつ受けることができていないのです。新型コロナウイルスの影響で全ての中間考査がなくなり、期末考査のみになってしまったのは仕方ありません。でも、さらに右手を負傷してその期末考査すら受けられなかったのは予想外でしたねぇ…。まぁ、本人曰くユーチューブでの勉強は楽しいし結構はかどっているようです。おまけに一応小テストでは成果も出始めているのだとか!?楽しみながら勉強に取り組めているのは親としてちょっと嬉しかったですね。あとは、2学期の期末考査に期待するとしましょう(笑)というわけで、今回のお話はユーチューブ学習のその後でした!ここまで読んで頂きありがとうございました!!
2020年11月02日娘が発した「発達障害だから無理」の一言に、怒りがこみ上げて...前回の続きです。広汎性発達障害の娘が、言った「発達障害だから無理」という言葉。ここまで、難しいことも、やり方を変えながら娘と一緒に頑張ってきた私にとって、この言葉は使ってほしくない言葉でした。私はこの言葉に対して、つい感情的に「言い訳にして、最初から諦めたら駄目だよ!」と言ってしまいました。冷静になってから、言葉を言い換えて、「いろんなことが時間をかけて、できるようになったんだよ。だから最初から諦めないでほしい。」という説明をしました。諦めてほしくはないけれど、追い込みたくもない。私は、娘がこれから先、「発達障害だから諦める」という考え方をしてほしくないと思っていました。Upload By SAKURAしかし、娘にとってそんな私の思いは重荷になるかもしれない…私は娘の逃げ場を奪う言葉をかけてしまったのではないか…Upload By SAKURAそう思うと、私は娘にどういう言葉をかけることが正解だったのか、自分の思いもあわせて、わからなくなっていきました。娘の気持ちは・・・?気になるけれど・・・その後、娘は「発達障害だから無理」とは一切言わなくなりましたが、もしかしたら、言わないように我慢しているのではないか…とだんだんと心配になっていきました。Upload By SAKURA言ってほしくないといったのは自分なのに、言わなくなった娘の心境が気になり、矛盾した感情が渦巻いていました。娘の変化。そんなやり取りから1週間ほど経った、ある日のこと。テレビで『発達障害』の文字を見つけた娘は…Upload By SAKURAその人がどんな特性があるのかを気にしたり、自分との違いを見つけたりしました。その目は、真剣でした。娘にどのような心境の変化があったのかはわかりませんが、私は、娘の中で『発達障害』の捉え方が少し変わったように感じました。もしかして、私がモヤモヤ考え悩んでいるうちに、娘は自分の中でどんどん変化していっているのかもしれないと思い、しばらく見守ることにしました。予想してなかった自己肯定。それから数か月経った、ある日のこと…Upload By SAKURA娘は発達障害がある自分のことを、自己肯定をしたのです。私は嬉しくなりました。自分のことを「すごい子」だと言える娘のことを誇りに思いました。それから私は、いつも思っていることを言いました。Upload By SAKURAそう言った、娘の表情は、輝いて見えました。常に寄り添っていく。発達障害告知前は、どう言ったらいいかを悩み…告知後は、どう捉えていくかを心配…きっと、ひと段落着いたように思っている今も、次の何かが起きる過程の期間なのでしょう。Upload By SAKURA告知したから終わりではなく、これから先、娘が自分を肯定し続けられるよう、私たちは寄り添っていかなければならないと感じました。
2020年10月14日「先生、ウソつき…」小2で不登校、診断は広汎性発達障害Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載3回目となる今回、愛知県名古屋市の高校に通う森本陽加里さん(18)と母・奈生子さん(47)に話を聞いた。陽加里さんが小学2年の頃、上級生が下級生に嫌がらせをする「いじめ」が校内で起きていた。「いじめられている子がいたら守らなくてはいけない」と先生から言われていた陽加里さんは、その教えの通り友達を助けた。しかし標的がすぐさま陽加里さんに変わってしまったため、先生に相談したという。「(自分が)やられるようになったから、『助けろ』って言ってた先生に『助けたらいじめられました』って言ったら最終的に『自分の身は自分で守りなさい』とか言われちゃって。先生、ウソつき…ってなっちゃいました」(陽加里さん)慕っていた先生からの心ない言葉に失望。それから学校への足取りは重くなり、不登校になった。着替えることも食事を取ることもままならず、授業時間中は自宅で録画した吉本新喜劇の同じ回をひたすら見続けたり、韓国海苔をかじりながら国会中継を眺めていた。一方で、日が落ち始めると異常なまでに元気を取り戻していたと母・奈生子さんは振り返る。「その頃はもう夜が寝れなくて。今思うとおかしかったですよね。ベッドの上で寝る時間になるとピョンピョン飛び跳ねて『キャー!』とか奇声発したり……。多分、次の日に学校があるっていうプレッシャーで寝れないんでしょうけど、もう興奮状態になっちゃってて。それで心療内科に通い出して、睡眠導入剤をもらって寝かせてました」(母・奈生子さん)その後、陽加里さんは広汎性発達障害という診断を受けたのだった。Upload By 桑山 知之娘が見た母の涙と変化二人三脚で生きる矛盾したことに折り合いをつけて進めていくことや、人の表情や言葉の真意を理解することがうまくできなかった陽加里さんは、通級で社会性を身に付ける「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」を始めることにした。さらに母・奈生子さんは、文献を読みあさり陽加里さんの特性を理解したうえで「スモールステップ」を始めた。目標を細分化し、小さな目標を達成する体験を積み重ねながら、最終目標へ近づけていく方法だ。「着替えができないなら『着替えをしましょう』じゃなくて、例えばパジャマを脱ぐ、自分が着るものを持ってくる……ってやっていくと、行動ってすごく細かく分かれるんですよ。全部完璧にできなくても『今日はパジャマ脱ぐとこまで自分でできたじゃん!』って褒める。『じゃあ服はお母さんが着せてあげるわ』とか。そういう感じで細かく行動を分けていって、達成できたらまずそこで褒めるんです」(母・奈生子さん)「着替えることができないって思ってんの?って。今までパジャマを脱いだだけで褒めてもらったこともないのに、何を褒め始めてるんだ?って思って最初は嫌でした(笑)。でも根気よく向き合ってくれて、お母さんすごいなって思います」(陽加里さん)最初は陽加里さんも、対応が急に変わり、事あるごとに褒めてくる母・奈生子さんの姿に動揺した。しかし、奈生子さんによる小学校への働きかけなどもあり先生はバックアップ。「今日はここで僕とハイタッチしたからOK。明日は校門まで入ろうね」と、カレンダーに目標を書き込み、達成できたらスタンプを押すなど、歩みを揃えてくれたという。陽加里さんは少しずつできることが増えていき、再び通学できるようになった。Upload By 桑山 知之実は発達障害の診断が出る前、母・奈生子さんは陽加里さんの目の前で声を上げ大泣きする姿を見せていた。当時、思うようにできない子育てのストレスから心は限界に。「二人でどこか遠くまで行ってしまおうか」と思うくらい切羽詰まっていたという。しかしその後、奈生子さんは「娘が発達障害だと言われ、道が開けた」と話す。「今までの怒りはこの子のために怒ってたんじゃなくて、全部自分のために怒ってたんだ……って。それまでは、この先この子と生きていく術はないと思って、どこか田舎で学校行かなくても暮らしていけるようなところへ引っ越した方がいいんじゃないかとか色々考えてて。でも発達障害なら手があるじゃんと思って。自分の感覚や常識がこの子にスッと入るものだと思って育ててきてたから、発達障害って分かった瞬間に、ここを切り離そうと思ったんです」(母・奈生子さん)「娘のために時間を掛ける」と決めた母・奈生子さん。スモールステップを献身的に実践したほか、選択肢を与え本人に選ばせる方法を取った。自分の思うように娘が行動しなくても、決して怒らずに諭すような形で、自分の状況や事情も相手が理解するまできちんと説明した。こうした奈生子さんの変化に対し、陽加里さんは「人間味を感じた」という。「まず、親は泣かないものだと思ってたので、『あ、泣くんだ……』って。そのあとくらいから、お母さんが変わったなっていうのは分かりました。今までの人と違う!って思うぐらい違いました。人間味が増したというか、納得感がありました。『お母さんは今こういう状態にあって、こういう風に私にしてほしくて、でも妥協案としてこういう案があって、どっちか選ばせてくれるんだ』みたいに」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之中学で2度目の不登校に陽加里さんは中学入学後、最初のテストで数学の学年順位はなんと1位、学級委員も務めるなど順調すぎるくらいの滑り出しだった。土日はダンスにも打ち込んだ。しかし程なくして、仮入部したバスケットボール部で先輩から目を付けられた。やがて再び不登校となったが、高校へは進学したかった。小学校時代の校長先生の「中学校は行くことを目的とするんじゃなくて、高校へ行くための手段にしなさい」という言葉もあり、中学2年のときに愛知県内の私立高校がブースで学校説明をするイベントに参加した。そこで名城大学附属高校という学校に出会う。「名城のブースの人に今の状況を説明したら、『今から頑張れば大丈夫だよ』ってすごくポジティブに言ってくれて。おいでみたいな感じに言ってくれたから、ここ素敵!って思って。その後オープンキャンパスで国際クラスの説明のときに、探究活動で自分が興味のあるテーマを調べて、プレゼンテーションをするっていうのがあったんです」(陽加里さん)関心事を自由に深掘りする。好奇心の強い陽加里さんにとってぴったりなカリキュラムだった。しかし推薦でしか入学できないことを知り、母・奈生子さんは最大何日欠席したら推薦が貰えないのかなどを調べ上げ、陽加里さんの目標までの道のりを具体的に細かく描いていった。学習塾にも通いながら、無理をしすぎないよう適度に休みを入れた。前例がない中で無事に推薦をもぎ取り、志望校へと進学した。入学後はカナダやニュージーランド、バリ島での海外研修にも参加。「遅刻や早退、欠席の数はギリギリ」だと奈生子さんは苦笑するが、娘の成長ぶりを肌で感じているのは間違いないだろう。Upload By 桑山 知之発達障害でも通える学校とは…ビジコン壇上でカミングアウトもし高校に進めなかったら起業していたと話す陽加里さん。学校に毎日行けず、将来社会人になっても毎日同じ時間に同じ場所へ行くのは難しいと感じていたようだ。それをふと高校1年の終わりに思い出した。「高校は楽しいんですけど、起業したい思いは抜けてませんでした。じゃあ何で起業するんだろう?って思って。そこで、海外研修はそれぞれテーマを設定してたんですけど、全部それを『特別支援教育』でやってたから、自分はなんとなくその辺に興味があるんだなって思って。それで『あっ、発達障害が自分にあるから、多分そこ(学校教育)が気に入らないんだろうな』みたいな」(陽加里さん)コミュニケーションがうまく取れない。感覚過敏があり、チャイムの音や朝日の眩しさが苦しい。数えきれないほどの我慢をしながら、陽加里さんは学校に通っていた。「しんどかった自分が行ける学校ってどんな学校だろう」「行きたいって思える学校ってどんな学校だろう」と考えた。そして“発達障害の悩みを抱える生徒らを支援するアプリ開発”というビジネスプランを携え、高校生ビジネスプラン・グランプリ(主催:日本政策金融公庫)に出場。悩んだ末に勇気を振り絞り、これまで隠してきた自身の発達障害を壇上でカミングアウトした。「自分に発達障害があって、それが自分の中できっかけになったっていうことを言おうか言うまいか、めっちゃ悩みました。でも、私が喋りたいことを喋ろうって思って。このアプリに対しての想いはこういうところからあって……っていう筋がちゃんと通った話をしたいと思いました」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之自分自身を差別していたあの頃…いまは「ご褒美の人生」陽加里さんはビジネスコンテストの壇上でカミングアウトする前、友達数人には直接伝えていたという。「陽加里は陽加里だから」。そのときの友人らの言葉に涙が止まらなかった。「初めてお母さんから発達障害について説明されたとき、『あっ、違うんだ』って悲しかったんです。自分で自分を差別してたっていうか、自分のことを発達障害って重荷に感じてて。友達に言うときも、発達障害って言葉をこの子の前で口にしたらどうなるのかな……とかすごく思いました。でも、一番気にしてたのは自分でした」(陽加里さん)コンテストの結果は審査員特別賞だった。地元紙でも大きく報じられた。陽加里さんの障害を知ったクラスメイトも、泣きながら抱きしめてくれたという。Upload By 桑山 知之現在、学校生活における発達障害児の生きづらさをなくすアプリ「Focus on」は実装に向け開発中で、このうち個人カルテの機能だけを別立てした「Focus on《mini》」がすでにリリースされている。そんな陽加里さんの「なりたい女性像」は、母・奈生子さんだという。いま、発達障害がある自分についてどうか訊くと、間髪入れず目を輝かせながらこう答えた。「めちゃ良かったと思います。だって、なんかこんなに色んな経験することないから。お母さんにもずっと言われてるよね。 “ご褒美の人生だね”って」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年10月04日告知後の質問には、とことん答える。広汎性発達障害の娘は、現在小学4年生。私たちは、娘が小学4年生になる少し前(小学3年生の時)に、発達障害の告知をしました。告知時、娘は思ったよりあっさりとしていて、説明は意外にもスムーズに終わりました。しかしその後、何度も発達障害について聞くようになった娘。私たちは、娘が発達障害について聞いてくる限り、答え続けました。たとえ同じ質問でも、娘からの言葉を全て受け止めることが、娘が発達障害を受け入れるまでの大切な過程だと思っていたからです。Upload By SAKURA私たちの言葉は、娘の自分の発達障害に対しての受け止め方に、きっと大きな影響を与える…娘がどういうかたちで「発達障害」を受け入れるか気になっていた私は、一つひとつ言葉を選びながら答えました。気になっていたのは、障害の受け入れ方。私が気になっていた、娘の「発達障害の受け入れ方」。それは、主に、発達障害を、いろんな「できない」の言い訳にしてしまうのではないか…チャレンジする前に、いろんなことを諦めてしまうのではないか…という部分でした。Upload By SAKURAもちろん、告知時にそう捉えないための説明は丁寧にしたつもりですし、マイナスに捉えないために明るく話すという努力はしました。しかし、娘本人がどう解釈したか、奥の部分は私にはわかりません。もし、今後娘が苦手なことに直面した時に、発達障害であることを言い訳にしてすぐ諦めてしまったら、私はどう話してあげればいいのか…ずっと考え続けていましたが、まったくいい考えが浮かばず…Upload By SAKURAその時がこないことを祈りながら、娘の様子を見ていました。「発達障害だから無理」の言葉に、思わず…それからしばらく経ち、娘が小学4年生になった、ある日のこと。宿題の間違いを直すようにいうと、イライラした娘が…Upload By SAKURA「私は発達障害だから間違っちゃうの!無理なの!」と言いました。私は瞬間、お腹の底から気持ちがこみ上げるような感覚になり…考えるより先に言葉を発していました。Upload By SAKURA自分でも驚くほど、次々と口から出てきた言葉。言った後、私はハッとしました。何か変なことを言ったのではないか…娘に強く言い過ぎたのではないか…慌てて自分の頭の中で、今言ったことをリピートしていました。予想外の自分の言動に、自分でパニックになっていました。親としての切実な思い。娘は少し黙った後…「わかった」と言いました。Upload By SAKURA私は、思ったより自分が強く言っていたように感じ、娘に申し訳なくなりました。なぜあんな言い方をしてしまったのだろう…冷静になって、自分の言ったことの真意を考えると…Upload By SAKURA私はきっと、娘が言った「発達障害だから、無理」という言葉に、腹が立ったのだとわかりました。発達障害でも、できないことはないと、娘と共に頑張ってきた日々…方法を変えてクリアしてきたことを思い出して、「発達障害だから、無理」という言葉に対して、強く『それは違う!』と思ったのです。これまでもこれからも私は娘の成長を信じているし、家族はもちろん学校や放課後等デイサービスの先生たち、娘に関わる人たちもたくさん支えてくれる。周りの力も借りながら、自分の可能性を否定せずに成長していってほしいのです。話をしてみたものの…私は、落ち着いた後、娘ともう一度話をすることにしました。Upload By SAKURA落ち着いていた分、今度は丁寧に説明できました。娘は「わかったよ。大丈夫。」と言いました。その表情は、いつもと変わりませんでしたが、私は、自分の言葉が娘の価値観や考え方を思わぬ方向に持っていってしまったのではないかと、心配になりました。私の「諦めないで欲しい」という思いは、娘にとって重くなるのだろうか…娘に無理はしてほしくないけど、諦めないで欲しいというこの思いは、もしかしたら自分勝手すぎるかもしれない。そう思うと私は、なんと言葉をかけることが正解だったのか、再び考え込んでしまうのでした。【続く】
2020年09月23日息子の友人、おじいさんに席を譲られた!息子が特別支援学校高等部の頃のことです。子ども達が同じ放課後等デイサービスに通うママ2人と私とでお茶をしました。息子(17歳)は自閉症、A君(16歳)、B君(18歳)にはダウン症があります。小学校の頃から同じ放課後等デイサービス、同じ特別支援学校高等部に通っていました。10年以上の長い付き合いなので、結構突っ込んだ会話もドンドンできる気の置けない関係です。Aママ「ちょっと聞いてよ。この間、息子がバスで立っていたら、おじいさんに席を譲られそうになったらしいの」(A君は、当時、一人で公共のバスを使って下校していました)私「それで、本人はどうしたの?」Aママ「『いいです!』って断ったみたい。この話を息子から聞いたとき『やっぱ、“世間からは障害者だから大変だ”って見えるんだ~』と思い、悲しくなったよ!」Bママ「うちの子だったら、きっと『ありがとう!』」と言って席に座っちゃうかも!」私「外見から『障害がある』と分かるのも、理解してもらいやすいと思うから、私はうらやましいよ。本人が言葉に出したり積極的に伝えようとしなくても、周囲の人がSOSに気づいて、救いの手を差し伸べてもらいやすいでしょう。うちは見た目ではわからないから、バスの中で奇声を発したり、落ち着かないと怒鳴られてしまい、それでまたパニックを起こして…」Aママ「そうなのかあ…」もちろん、ダウン症のある子にも知的重度、軽度があり、身体面でも心疾患があったり、身体が弱い子もいたりします。そんな知識があって、おじいさんは「席を譲ろう」と思ったのかもしれません。でも、A君は元気一杯の子でした。このことを実家の母(80歳)に話したら「私だったらダウン症の子がいても席は譲らない」と言っていました。人それぞれです。「普通」として扱われる見た目ではわかりにくい発達障害児は、ぱっと見は定型発達のように見えます。息子は知的障害がある自閉症(IQ37 療育手帳3度)ですので、グレーゾーンではありません。それでも、「障害があるので色んなことが難しくてできないので宜しくね」とママ友に伝えても、容姿を見て「そんなことないじゃない、普通じゃない、しっかりしているじゃない」と数えきれないくらい言われました。誤解もある・NHKの番組で放送していたのですが、成人しているダウン症のタレントさんが居酒屋でビールを頼んだら「ビール飲ませても大丈夫なのかな」と店主が悩んでいたそうです。(年齢ではなく、「ダウン症の人にアルコールは大丈夫なのか」と思ったようです)・心疾患があり、4歳の子をバギーに乗せていたママ。「まあ、立派な足があるのにお嬢ちゃん、ママに甘えないで歩かないとダメよ」と言った見知らぬ人から言われていました。・内部疾患(心臓機能障害、腎臓機能障害、呼吸器機能障害)があるため電車の優先席に座っていた若者に対して「年寄りに譲りなさい」と言わんばかり前に立っている年配者がいました。(ヘルプマークを付ける方法もありますが、まだ世間には浸透していません)障害特性はあるけれど、性格はみんな違う「自閉症の子は秘めた才能がある」だとか「ダウン症の子はピュアだ」とか「これこれこういう障害の子は○○である」と思われていることがあります。確かに障害による特性はありますが、そんな型にはまったものではないと思います。何故なら、みんな一人の人間ですから…。生まれ持った気質や育った環境で全く性格が違ってきます。そんなことを感じたママ友との会話でした。同時に、「こんな突っ込んだ話が出来るママ友がいることは幸せなことだ~」と感じたお茶の時間でした。
2020年09月22日20代半ばで知った広汎性発達障害…診断を受けたのは就職後Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載第2回は、愛知県名古屋市でグラフィックデザイナーとして働くノビさん(38歳・男性)に話を聞いた。ノビさんは愛知県内の大学を卒業後、印刷会社のデザイナーとして就職した。しかし、ある程度のカリキュラムをこなしていれば一定の評価を得られる学生時代とは違い、入社後ほどなくして壁にぶち当たった。「手が遅いんです。仕事にも時間がかかって、すごく残業してたんです。先輩に『そこまでやんなくていいよ』『うまく手を抜けよ』って言われるんですけど、手を抜くと肝心なところをすっ飛ばしちゃったりして、めちゃくちゃ怒られる。『うまく手を抜く』、その“うまく”ができなかったんです」その後、仕事を辞め個人でデザイナー業を始めようとしたが、それも失敗した。どうにもうまくいかなかった。何かがおかしい。そんな折、大学時代に同じゼミだった友人と再会する機会があった。彼は発達障害だった。「多分お前もそうだと思うから、診断受けてみろよ」。そう言われるまま、ノビさんはクリニックに足を向けた。そこで、広汎性発達障害という診断を受けた。20代半ばだった。発達障害の診断は「許されたような感じがした」Upload By 桑山 知之ノビさんは学生時代、勉強こそ多少できる方だったが、算数だけは異常に出来が悪かった。そして何より、誰かと一緒に何かをやるという楽しみがあまり理解できなかった。「大学時代の友達に久しぶりに会ったら、『学生のときは修行僧のようだった』と言われました。自分の中で正しいと思っていることは譲らないというか、会話を楽しんだり雑談が苦手というか…」思い返せば、幼いころから対人コミュニケーションには難があったノビさん。保育園ではみんながジャングルジムで遊んでいるのを見て「何が楽しいんだ」と思っていた。中学・高校では、仲の良いグループ以外の人間とはほとんど親しくすることができなかった。複数のコミュニティをまたいでいる友人は輪を広げていき、それに乗っかることができなかったノビさんは、やがて遊びに誘われる機会が減っていった。だが20代半ばで発達障害の診断を受け、心が穏やかになったという。「どちらかというとポジティブに受け止めたところがあって、正直ホッとしたんですよ。コミュニケーションもうまくいかなかったことが多くて、自分の努力が足りないとか、自分に責任があると思ってたんですけど、『障害です』『先天的なものです』って言われたときに、なんかこう許されたような感じがしたんですよ」Upload By 桑山 知之3歳児検診で「傾向あり」…伝えてほしかった発達障害というのは、“見えない障害”である。それゆえ、親が自身の常識や価値観を押し付けてしまい、子どもが苦しんでしまうことがままある。発達障害の特性が少しずつ見えてくるのは、3歳児健診であったり、幼稚園や保育園などといった集団生活であることが多い。早期に我が子の特性を理解したうえで親が接していくことで、併発しがちな二次障害を防ぐこともできるだろう。ノビさんは、診断について家族に対し思い切って打ち明けてみた。すると意外な言葉が返ってきた。「けっこう自分としてはそれなりに覚悟を持ってカミングアウトするつもりで、あるとき折に触れて話をしたんですよ。そのときの母の反応が、『あぁ、なんかね、そんな感じだよね』みたいな。なんかそんな気がしてたっていうノリだったんですよ」実はノビさんの母は、おそらく3歳児検診の際、「発達障害の傾向がある」と指摘されていたという。ただ、その段階では保育園で友達と揉めているなどの問題が起きていたわけではなかったため、様子を見ようということになり、そのまま進学、就職まで至ったらしい。その過程でも時折、例えば高校の進路を決めるときには自然がいっぱいあるところがいいんじゃないかという「謎の提案をしてきたこともある」と回顧する。Upload By 桑山 知之「(発達障害かも知れないと)わかってたんならもうちょっと何かこう、訓練とか何かあったんじゃないの?こっちはそれなりに苦労してるんだよ?っていうモヤモヤとした気持ちはありましたね。親は自由な考え方なので、こうじゃなきゃダメとか、レールを敷くような感じは全然なくて、放任主義なんです。それはそれでよかった部分もあるんですけど、もっと関わりがあってもよかったかなと。関係性が薄かったんです」我が子に発達障害かも知れないと伝えることのストレスは非常に大きい。ひょっとしたらノビさんの母はあえて“伝えない”という形を選んだのかも知れない。またそれは我が子を思っての選択だったのかも知れない。しかし成人後、ノビさんは確かに生きづらさを抱えてきた。これはあくまで結果論ではあるが、子どもが生活するうえで違和感を覚えていないか、親はアンテナを張っておく必要があるのかも知れない。再就職失敗、そして離婚…挫折から人の気持ちが分かるようにUpload By 桑山 知之“修行僧”のようだった大学生のころから、ノビさんには恋人がいた。「恋愛偏差値が低すぎた」ため、彼女の方からグイグイと来てくれたのがよかったという。やがて社会人になり24歳で結婚。しかし、個人での事業もうまくいかず、再就職を決意した。「新卒の就職活動と違って、再就職はレールがあるわけではない。面接で自分は必死にアピールしてるつもりでも、面接官から『お前さぁ、今のままでいいと思ってんの?』と説教されて帰ってくる。そうすると、夜の公園でブランコにもたれながら泣いちゃうんですよ。『何やってんだ自分は』って。抑えきれなかったんです」自分自身にそこまで感情の起伏がないため、他人の気持ちが理解できなかったノビさん。人が泣いているのを見ても、本当なのかと疑っていたという。しかし、再就職での挫折を受け、思わず涙をこぼす日々が続いた。それとほぼ同時に、離婚することになった。「本当に胸が潰れるような気持ちをそこで初めて経験しました。あのとき、あの人たちが言っていたつらい気持ち、苦しいとか悲しいっていうのはこれなんだというのが、そこで初めてわかったんです。今までは“自分の中での正しさ”を大事にしていたんですけど、“相手がどう思っているか”を大事にした方がコミュニケーションがうまくいくんだなって」発達障害の僕が生きるための“工夫”診断を受けたことで就労移行につながり、そのままその運営会社に就職したノビさん。現在はさまざまな受託事業のチラシを制作するデザイナーとして活動している。聴覚過敏で特に気になる「人のガヤガヤ声」を遮断するため、最近ではライフル射撃の選手が使うような耳栓をしているという。「努力というよりは、工夫するって感じですね。僕は発達障害以外にもてんかんの持病があって、薬を1日4回飲まないといけないんです。そこで、薬を1錠飲んだら、右腕から左腕にこのブレスレットを1本移していくんです。忘れないようにするっていう努力だとつい忘れちゃうので、仕組みを作るようにしました。このルールを伝えている人なら『朝飲んでないんじゃないの?』とか指摘をしてくれるんです。『この時間は全部左腕にないとダメなんじゃないの?』みたいな」つい忘れてしまうのであれば、仕組みやシステムを変えて、工夫する。診断を受け入れたからこそできる行動だ。他にも、仕事のタスクを付箋で貼っていく中で、優先順位が上がるとその付箋の位置を変えていくことで、見過ごさずに取り組めるといった方法を紹介してくれた。「前にインターネットで見た呟きで、すごいグッと来たものがあって。『みんなすごく我慢してるんだからお前も我慢しろ』って、よくあるセリフじゃないですか。でも、みんなが我慢してるんだったら、システムが悪いでしょって。障害って、みんなが当たり前にできることができないからこそ、“工夫”でなんとかしようと思ってます」Upload By 桑山 知之取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年09月03日1970年に発売されて以来、たくさんの子供たちに愛用されてきた『ジャポニカ学習帳』。ジャポニカ学習帳といえば、昆虫や草花の写真が載った表紙がトレードマークです。これらの写真は取材班を派遣して撮影した、世界に1枚しかない貴重なオリジナル写真なのだとか。表紙の写真には「子供たちに自然を愛する心を育んでもらいたい」という願いが込められているそうですが、近年は「虫が苦手な子が嫌がる」「昆虫が減り、写真を撮るのが難しくなった」などさまざまな事情から、昆虫を載せなくなっているといいます。ジャポニカ学習帳昆虫シリーズが復活!多くの人から「また販売してほしい」という声が寄せられていた『昆虫シリーズ』。そんな中、2020年8月にジャポニカ学習帳が50周年を迎えることを記念し、期間限定で『昆虫シリーズ』を復活させることが決定したのです!ジャポニカ学習帳を販売するショウワノート株式会社のTwitterアカウントでは、今回新たに発売される『ジャポニカ学習帳50周年記念昆虫シリーズ』の一部が紹介されていました。スソビキフタオルリシジミ【ジャポニカ昆虫紹介①】スソビキフタオルリシジミ:シジミチョウはチョウ全体の4割を占めるほど種類が多い。このチョウはタイではよく見られるものだが、日本で見られるシジミチョウにはない、羽からスソのように見える長い帯が特徴。 #ジャポニカ学習帳 pic.twitter.com/hb1SaTd8gw — ショウワノート (@showanote) August 25, 2020 パプアキンイロクワガタ【ジャポニカ昆虫紹介②】パプアキンイロクワガタ:子供にも知名度が高く人気のクワガタ。とにかく美しい。カラーバリエーションもあり、グリーン、ブルー、レッド、ブラック、ミックスなど。特にブルーは希少価値が高い。 #ジャポニカ学習帳 pic.twitter.com/g7v7EDdkxM — ショウワノート (@showanote) August 25, 2020 ハナカマキリ【ジャポニカ昆虫紹介③】ハナカマキリ:まだ大人(成体)になっていない子供の時期の幼虫期の写真。体長5mm前後で小さく、ランの花に似ていて非常に可愛らしく愛くるしい。長年生態が謎であったが、撮影した山口氏が研究に関わり、謎の一部を解き明かしている。(某ゲームにも登場) #ジャポニカ学習帳 pic.twitter.com/T7Rdqde9CF — ショウワノート (@showanote) August 26, 2020 これらの珍しい昆虫の写真は、すべて昆虫生態カメラマン・山口進さんが撮ったもの。山口さんは、1978年から世界各地を飛び回ってジャポニカ学習帳の写真を撮影してきました。ジャポニカ学習帳の写真を見て、昆虫に興味を持ったという人も多いでしょう。ネット上でもシリーズの復活を喜ぶ声が相次いでいます。・やっぱりジャポニカといえば昆虫!復活が嬉しいです。・このカブトムシかっこいい!虫好きの子供は多いので、喜ばれると思います。・漢字の練習は嫌いだったけど、ジャポニカ学習帳は好きでずっと集めてた。・懐かしいな、ほしくなっちゃう。表紙の裏には、山口さんの昆虫にまつわる驚きのエピソードがイラストで再現されているとか。『ジャポニカ学習帳50周年記念昆虫シリーズ』は、昆虫写真を使った表紙とかわいい昆虫のイラストが描かれた表紙の2シリーズ、全10種類(B5判・各税抜190円)が同月27日に販売されます。迫力ある昆虫の姿に、子供たちはワクワクすることでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月27日発達障害当事者との対談連載、スタート発達障害を描いたドキュメンタリーCM「見えない障害と生きる。」でプロデューサーを務めた東海テレビの桑山知之が聞き手となり、さまざまな発達障害の当事者と対談する連載がスタート。連載初回は、このCMにも出演したラッパー・GOMESSを取材し、「家族と発達障害」について語ってもらった。10歳の冬、診断は高機能自閉症…あだ名は“障害者”GOMESSが初めてパニックを起こしたのは、地元のバザーに家族で行ったときのことだった。楽しむ母や姉を横目に公園でうたた寝をしていたところ、ふと首に違和感を覚えた。毛虫だった。GOMESSは、毛虫が大の苦手だった。我に返ると、パニックを起こしたGOMESSは母親によって強く抱きしめられていたという。後日、家族に連れられ赴いた精神病院で、高機能自閉症という診断を受けた。その後、症状が悪化するのを見かねた母は、小学5年の春、担任教師に相談した。自閉症とはどういうものか、子どもにも分かるような資料が朝の会で配られた。「それが成功する可能性もあったと思うんですよ。でも僕の場合は違って。陰で言われてたのは、障害者とか、野獣とか、エイリアンとか……。どんどん学校に行きづらくなりました」そこから5年間にわたり不登校、引きこもり生活を送ったGOMESS。今でこそ母の支えや頑張りが痛いほど分かるものの、当時は「お母さんが余計なことをしたから」と責めてしまったと振り返る。しばらくは母もなんとか学校に行かせようとしたが、GOMESSは強く抵抗した。「本当に悪いことなんですけど、すぐに死をほのめかしてたんですよ。『そんなに言うんだったら学校に行くフリして死ぬけどね?』とか。『生まれてこなきゃよかった』とか、お母さんに直接言わなくてよかったようなこともいっぱい言いました」3歳上の姉とは、自身が引きこもる前はケンカもしていたが、やがてほとんど会話もなくなった。避けられていた。「ずっと部屋で暗い顔してる弟は嫌だったんじゃないですかね」。Upload By 桑山 知之担当医「この子にはできないことがある」親が考える“正規ルート”からの脱却静岡県内の精神病院で診断を受けたGOMESS。代表的な楽曲の一つ『人間失格』にも登場する当時の担当医師“カゲヤマ先生”のある言葉で、家族の接し方は変わっていったという。「カゲヤマ先生がいなかったらうちの家庭はダメだったと思います。お母さんたちに『この子にはできないことがあります。それはできるものじゃないです。無理なものは無理。それをきっぱりと親が諦めてください』と言ってくれたんですよ。そこから僕の生活が楽になりましたね。文字が読めないのも、頑張って読めと言われなくなりましたし、ひどい偏食も理解してくれるようになりました。いつかカゲヤマ先生にお礼を言いたいんですよね」言うなれば「お父さんはスポ根の熱血系で、お母さんは知性と優しさ」だという両親。どちらかが叱るときは、もう一方が必ず優しく包み込んでくれた。特に母は、海外の和訳本を取り寄せるほど発達障害に関する本を読み漁るなど、息子について理解を深めようと努力を惜しまなかったという。GOMESSは「親がしてくれたことはすべて自分のことを思っての行動だった」と当時を振り返りながら、「子としてはすごく理想の両親」と誇らしげに語る。「親が予定していた我が子の“正規ルート”みたいなものからの“外れ方”ってすごく大事だと思うんです。一番まずいのは、子どもが何もしなくなること。どんな形であれ、ポジティブな気持ちで何かやろうとしていることがあるんだったら、止めない方がいいと思います。ポジティブな気持ちを何かに向けてることってけっこう奇跡だから、その奇跡的なポジティブは守ってあげてほしい」進学や就職など、親が思い描く「理想」は少なからずある。しかし、それは必ずしも我が子を幸せにするとも限らない。引きこもっている間も呆けるだけでは退屈だったGOMESSは、親に見守られながら、とにかく熱中できるものを追い求め続けたのだった。Upload By 桑山 知之教科書は読めないが、五線譜は読める色んなものに熱中していく中で、「音楽」へと到達するまでにそう時間は掛からなかった。ワールドミュージックを聴けば、ラテンのリズムについて母に力説していた。文字が読めないゆえ、教科書は読めなかったが、五線譜はすぐに読めるようになった。気づけば自ら音楽を作るようになっていた。「(親としては)本当は学校行かないにしても義務教育で習うものくらいは勉強してほしかったんだと思いますけどね。これだけ熱心にやってるんだからいいか、みたいな。僕は“プレイ”よりも“クリエイト”の方が好きだから、毎日毎日色んなことをクリエイションするようになって。その中で音楽が一番ハマりました」ここでもう一つエピソードがある。「音楽に勉強的だった」頃、ゲームにも没頭していた。裕福な家庭ではなかったため、買ってもらえたのは中古で300円ほどのスーパーファミコンのソフト『RPGツクール2』。その名の通り、命令や画像・音楽を組み合わせ、オリジナルのロールプレイングゲームを作るゲームで、GOMESSはPC版も含めこのシリーズをやり込んだ。そこで音楽素材のため、曲を作り始めたのだという。結果、自作のRPGは完成しなかったが、サウンドトラックはできていた。「親がゲームを止めないでくれたんですよね。それは大きかったですね。だからポジティブな気持ちで何かやってるときは、そういう何かが生まれることがある」姉が好きだというモーニング娘。のCDも借りて聴き、衝撃を受けた。「これめっちゃファンクじゃん!すげぇかっこいい!」と、インストゥルメンタル版のテンポを遅めてビートを乗せ、ラップをする。自然とサンプリングもこなれたものになっていた。Upload By 桑山 知之家族が疲弊…ラップが人生を見つめ直すきっかけに献身的に我が子を見守り続けた親だったが、自分を責め、時に精神的に病むこともあったという。「何年も何年も手を尽くしてくれた結果、頑張った末ですね。俺もズカズカとお母さんに言っちゃうから、お母さんは自分を責め続けちゃって。お母さんが僕よりも程度のひどい引きこもりになりました。部屋から出てこないみたいな。台所とかでたまたま会って、目が合うと下向いてすぐに速足で自分の部屋に帰っていって、扉をバンと閉めるみたいな」当時は自分が正気を保つのに精一杯で、家族に支えられていることに気付いていなかった。ラップを通して、いつしか自己を客観的に見られるようになった。「CDデビューをしたり、テレビに出たり、ライブをしたりするようになってから、精神的自立が始まったのかなと思うんですよね。その辺から少しずつ。歳で言えば18・19歳から20・21歳にかけての4年間くらい。僕にとって過去の清算じゃないですけど、こういう恩恵を受けていたんだなとか、一つひとつ噛み砕いていく時間だったなと思います」第2回『高校生RAP選手権』で準優勝を収め、世間からの注目が彼に集まる中で、姉も存在を認めるようになっていた。家でブツブツとラップをしていた引きこもりの弟が、「お姉ちゃんにとっても、ようやく人として接する価値のある人間になれたのかな」と感じた瞬間だった。Upload By 桑山 知之家族を幸せにするために、僕は幸せにならなきゃいけない自身の人生は「みんなのおかげで運良く素敵になった」と語るGOMESS。一方で、母から「私があなたをフツウに産んであげられなかった」と、我が子に対して罪を感じていることを吐露されたこともあった。自分にできることは何か。答えは明確だった。「手間暇かけて全力注いで頑張って育てた息子が人様の役に立つっていうのは、きっとすごくお母さんにとって誇らしいことの一つだと思うから、実際“罪滅ぼし”はできないにしても、何かお母さんのためになると信じてやっているんです」GOMESSは、ラッパーとしての現在の活動について「罪滅ぼしみたいな気持ち」と表現する。「だから、僕は幸せにならなきゃいけないんだなって。僕が幸せになれば、お母さんが感じてきた罪悪感は消えるんじゃないかなと思うんですよね」Upload By 桑山 知之GOMESSがCM「見えない障害と生きる。」で書き下ろした楽曲『COMMON』は、Apple Musicなどで近日配信予定。本連載では、第2回以降も桑山知之が見えない障害のある人を取材し、社会で生きる上でのヒントを探っていく。平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。・2019年 日本民間放送連盟賞 CM部門 最優秀賞・2019 59th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS フィルム部門Aカテゴリー ACCゴールド・第58回JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール 経済産業大臣賞・第57回(2019年度)ギャラクシー賞 CM部門 優秀賞取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海公式サイト
2020年08月03日新型コロナウィルスの影響で、娘が通う小学校ももれなく休校に。私と夫が仕事をしている間、娘は学校や学童の預かり保育に通い頑張って自習をしてくれていましたが、家ではだらけて勉強へのモチベーションが続きませんでした。そこで、少しでも意欲的に学習へ取り組めるよう、娘との関わり方を工夫しました。 学校の先生のようにはいかない4月7日に緊急事態宣言が出されるまでは私も夫も仕事に行くことが多く、娘は学校でしてくれていた一時預かりと学童保育に通っていました。そのときは自習の道具を持っていき、しっかり勉強して帰ってきました。しかし、私たち夫婦のテレワークや自宅待機が多くなってくると、自宅で勉強をさせなければいけなくなったのです。 学校の授業は1コマ45分。最初はその時間通りに勉強させようとしました。しかし娘は5分と集中力が続かず、教えようとすると喧嘩に……。私は勉強へ気持ちを向かわせることにほとほと疲れてしまい、「学校の先生のようにうまく勉強させるのは難しいなあ」と、がっくりでした。 短時間でもオッケー学校の授業時間と同じくらいを目標にして勉強させようとすると、自宅ではなかなか目標通りにいきません。勉強に集中せずイライラぐだぐだしている娘を見ていると、私もイライラ。そこで、10分でも15分でも短時間の学習を1日のうちに何度かおこなうようにしました。 娘が勉強して息詰まったあとは、体を動かしたり遊んだりとイライラした気持ちを発散させてあげました。すると、娘は自らタイマーをかけて、いくらか集中して学習するようになってきたのです。 机に向かうだけが勉強じゃないわが家は小学生向け通信教育を受講していて、算数、国語などのテキストが届きます。自宅学習のときにはテキストをさせていたのですが、娘はだんだんと机に向かう教科の学習に飽きてきてしまったのです。「テキストをしようか」と声をかけると、「やだ!」と一蹴されてしまうので、学習の種類に柔軟性をもたせてみることに。 たとえばごはんのメニューを一緒に考えて料理をしたり、レゴブロックやゲームを使って創作したり、近所の公園で縄跳びをしたり。机に向かうことだけではなく普段の生活のなかで知識や経験の幅を広げる活動をしたら、「できたね!」と娘をたくさん褒めてあげるようにしました。 親子で一緒に勉強勉強を“させようとする”と、娘は抵抗感を感じるようでした。そこで、わが家では親が仕事をしている間にそばで勉強してもらったり、娘が過去にやったテキストの丸付けをしながら勉強を見守ったりと、一緒に机に向かうようにしています。 親のほうもやることがあると、程よい距離感をもって勉強を見守ることができるので、喧嘩をすることが少なくなったのです。娘も、私たちが一緒に机に向かっていると満足するようで、一時勉強に集中してくれています。 休校期間が長引いているため、学習力の上下は親の責任に左右されてしまうと焦っていた私。しかし、娘は勉強を強いると抵抗感が増す様子でした。工夫をするなかで、娘にとって楽しみながら一緒に勉強することを考えてあげると良いのだなと感じました。早く元の生活に戻れることを願いつつ、親子で乗り切って行きたいものです。 ※新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、外出の際には自分だけではなく周りの方への感染防止対策を十分におこない、安全性に配慮していただくなどご注意ください。外出を楽しめる日が1日も早く訪れますように! 著者:斎藤ますみ1児の母。保育士として働く傍ら、自身の出産・子育て経験をもとに、妊娠・出産・育児に関する記事を中心に執筆している。
2020年07月08日小学校の時差登校が続くなかで、思うように自宅学習が進まないというお子さんも多いかもしれませんね。しかし子どもだけで自宅学習を進めるのは難しい面もあるため、具体的な手順や内容を親子で共有していくことで、お子さんを良い方向に後押しすることにもつながります。そこで今回は、小学生の自宅学習の効率的な進め方を解説しながら、行政や都道府県、教育機関が提供する学習サイトをご紹介します。■小学生の自宅学習を始める時にやること何事にも事前準備が重要なように、自宅学習においても実際に取り組む前に「何をするのか」「どのようにやるのか」を事前に計画しておくことがポイントとなります。お子さんが自宅学習を始める前に、あらかじめ確認しておきたいことや準備しておきたいことをまとめました。▼学校からのお知らせや手紙を確認通っている小学校から休校期間中にやる宿題や課題が出ているケースもあるため、まずは学校からのお知らせを確認するようにしてください。自宅学習を進めるにあたっても学校からの課題を優先して取り組み、抜けや漏れがないよう注意しましょう。▼文部科学省や自治体教育委員会のサイトをチェック自宅学習にあたっては、情報の取り方も重要です。まずは文部科学省や教育委員会などのサイトをチェックしてみましょう。・文部科学省の 「学び応援サイト」 文科省が臨時休校期間中の学習支援サイトとして開設したポータルサイトです。教科ごとの“学べるサイト”が数多く紹介されており、動画授業やテジタル教科書で理解を深めたり、ワークシートで問題を解いたり、オンラインで充実の内容が学べます。出版社や教育委員会などの質の高い学習コンテンツが紹介されているため、やりたいことを自分で選んで幅広く取り組めます。・東京都教育員会 「学びの支援サイト」 こちらも臨時休校期間中の子どもたちの学びを支援するサイトとして立ち上げられたものです。子ども自身で自宅学習を進めるための「時間割の作り方」や自主学習としても活用できる「東京ベーシック・ドリル」などが紹介されています。またサイト内にある「児童・生徒の学力向上を図るための調査」のリンク先には印刷して使える問題や解答などが学年ごとにあるため、自宅学習にも活用できるでしょう。・経済産業省の 「学びを止めない未来教室」 主に企業が休校期間中の子どもたちに向けて提供するテック系の学習サポートサービスを紹介しているサイトです。すべて期間限定の無料サービスですが、例えばオンラインで参考書・ドリル・辞典などが閲覧できたり、プログラミングが学習できたり、子どもたちの好奇心を刺激するような充実した内容が揃います。通常ではなかなか知ることができない貴重な情報が多数掲載されており、活用しないのはもったいないと思うほどサービスばかりです。▼やることをまとめてスケジュールを作る自宅学習を始める前にはスケジュール作りが重要です。「何を」「どのくらい」「いつ」やるのかをスケジューリングしましょう。学校からの課題は必須の内容として毎日のスケジュールに組み込みながら、オンラインで無料公開されているドリルなどを活用すると内容も充実します。ドリルは1日にやる量などあらかじめ決めて予定を組むと、子どもも迷わず取り組めますよ。さらに「見える化」することで予定を理解しやすいため、簡単な「宿題計画表」を作成するのもおすすめです。縦軸には「やること」、横軸には「日付」を記入し、何をどのくらいやるかを線でひっぱるなどわかりやすく明記しておくと「やるべきこと」が明確になりますよ。▼時間割を作るとスムーズ全体のスケジュールを組めたら、次は日ごとの時間割を作っておくと、子ども自身も自主的に動きやすくなります。ネット上でも自宅学習向けの時間割テンプレートなども無料で提供されているため、ダウンロードして使ってみるのもよいでしょう。さらに紙で貼り出す以外にも、磁石とホワイトボードを使って毎日の時間割を掲示するのもおすすめです。教科名を磁石に貼り付けて使えば、書き直しや作り直しもなく使い勝手もよいでしょう。■小学生向け自宅学習サイトまとめ自宅学習を行う際に、必要になるのがテキストなどの教材。教科ごとに色々と揃えているとそれなりにお金もかかってしまうのがネックですよね。そんな時に便利なのが、無料で利用できる学習サイトです。教育機関や教科書を制作している出版社が手がけている質の高いコンテンツをご紹介します。▼無料でプリントして学習できるサイト ・ちびむすドリル お母さんがお子さんのために作った学習プリントを紹介したのが始まりの「ちびむすドリル」。月間150万人が利用し、10年以上も続く老舗の人気学習サイトです。教材プリント総数は2万枚以上と数も充実しています。基礎から無理なく取り組める内容で、細かい分類で教材を見つけやすいのが特徴。例えば算数なら「単位」、「時刻・時間」、「図形」など項目ごとの分類で練習プリントを選べるようになっています。さらに「九九表」や「時計の読み方表」、「慣用句とことわざ」といった学習ポスターもさまざまな種類が用意されているため、印刷して部屋に貼っておくこともできますよ。 ・東京ベーシック・ドリル 小学校1年生から中学校1年生までの「国語」、「算数」、「数学」、小学校3、4年生の「社会」、「理科」、中学校1年生の「英語」の基礎的な学習内容を身に付けることができる学習ドリルです。東京都教育委員会のホームページ上で公開されており、各小学校でも活用を推奨されています。国語に関しては、漢字の読み書きに加え、形容詞の使い方やことわざ、敬語などの言語の問題が学年ごとに設定されています。算数については、「解説」、「問題」、「答え」と項目が分かれているため、問題を解く前に学習内容を理解し、問題を解くという流れを作ることができます。それぞれ学習項目が明確なため、目的を持って自宅学習をすすめられるという魅力があります。 ・ドリルの王様 イラストも可愛らしく、楽しむながら自宅学習を進められる「ドリルの王様」。1年生の国語ならカタカナの書き方のおさらいから始まり、漢字を組み合わせて単語を作ったり、漢字の音読み、訓読みの問題に答えたり、少しずつレベルを上げながら漢字を仕上げていきます。イラストも見やすい上、プリント1枚あたりの問題数も多くないため、学習量がコントロールしやすいというメリットがあります。▼通信教育の無料素材 ・Z会 臨時休校中の子どもたちに向けて、オンライン上で教材の一部が無料公開されているため、受講の有無を問わず誰でも登録不要で利用が可能です。小学1・2年生向けには、比較的ベーシックな国語と算数のサポートプリントが公開されているため、親も見守りながらその子のペースで問題が解けるようになっています。小学3〜6年生向けには、思考力を鍛えるための「算数・理科」の教材が提供されています。昆虫の見た目の特徴で名前をたどったり、図形の構造を理解したり、自分の頭で考えながら解いていくという少し応用的な内容です。 さらにプログラミング学習も体験でき、楽しみながらプログラミングの原理を学ぶことができますよ。 ・学研 家庭学習応援プロジェクトとして、幼児から小中高生向けの学習コンテンツが期間限定で公開されています。学年ごとの1日の過ごし方を表にした「【学年別】あなたの時間割表」は、そのまま自宅学習のスケジュールとして使うことができるでしょう。時間割表の科目名をクリックすると科目ごとの学習コンテンツにつながるため、自宅学習でも活用できるようになっています。そのほか学研の「やさしくまるごと」シリーズの授業動画が見られたり、電子書籍の無料配信サービスも受けられたり、充実の内容です。 ・進研ゼミ 非会員向けに登録不要でさまざまな学習コンテンツを無料公開中。進研ゼミの教材が無料でダウンロードできるため、自宅学習の教材としてかなり活用度が高いでしょう。なかでも学年別に国語と算数の問題をおさめた「3学期の総復習ドリル」は、進研ゼミ会員の学習履歴を元に苦手になりやすいポイントを厳選してドリルにまとめられたもの。新学期に向けての地盤固めや苦手克服としても活用できるでしょう。さらに全学年・全範囲に対応した「漢字・計算ドリル」も期間限定で無料公開されています。1年分というボリュームがある上、漢字ドリルは教科書・月別、計算ドリルは単元別にまとめられているため取り組みやすいため、宿題がなくて何をしようかと迷った時にでも印刷して気軽に学習を進められるのも魅力です。▼教科書の出版社サイト ・教育出版 「国語」、「書写」、「社会」、「算数」、「理科」、「生活」、「音楽」、「英語」と教科数が充実している教育出版の学習コンテンツ。ワークシートなど書き込み式の問題があるほか、授業動画や学びのヒントになる教材リンク集などもまとめられています。算数の項目では「花まるワーク」のワークシートや「3ステップドリル」といった教材が学年別単元ごとに公開されているため、苦手克服や復習用の教材としても活用できるでしょう。さらに理科の項目では、生き物や植物、人間の体の構造などを写真やイラストを交えて解説するページがあるため、オンラインで図鑑を眺めるような充実した学習時間を持てます。全体的に読み物も多く、子どもたちの興味関心を引きつける内容となっています。 ・光村図書 「国語」、「書写」、「生活」、「英語」、「道徳」の学習コンテンツを公開しており、国語に関しては、前年度3月期の振り返りができるのが特徴。4・5月の教材を先取りで学べる上、書き込み形式で問題が解けるワークシート以外に、音声や動画コンテンツも数多く用意されています。なかでも国語の朗読コンテンツは豪華な俳優陣が朗読を担当しており、大人でも聞き応えのある内容となっています。さらに5、6年生向けの英語の項目では、教科書本文の音声が聞ける上、ワークシートも用意されているため、英語が苦手な子でも新学期に向けてしっかり予習することができるでしょう。 ・大日本図書 「理科」、「生活」、「算数」、「保健」の学習コンテンツが楽しめる大日本図書の学習支援コンテンツ。自社コンテンツ以外にも、学びのヒントになる博物館などの外部リンクにて学びを深められる仕組みになっています。自社コンテンツではさまざまな工作動画を紹介するなど、遊びながら学べるコンテンツも充実しています。算数の項目では、オンライン学習ができるため、印刷の手間もなくゲーム感覚で楽しめるのも魅力の一つです。 ・日本文教館 「書写」、「社会」、「算数」、「生活」、「図画工作」、「道徳」のコンテンツが揃う日本文教館の学習支援コンテンツは、ワークシートやドリルも充実しているため、自宅学習の教材としても活用できるでしょう。なかでも算数の「小学算数デジタルコンテンツ」では、小学3〜6年生向けに「円の中心の見つけ方」や「平均の求め方」、「円の面積の求め方」などを自身でマウスを操作しながらテジタル教科書のようにしてわかりやすく学ぶことができます。算数が苦手な子でも抵抗なく楽しく学べる魅力がつまっているため、算数嫌いのお子さんをお持ちの保護者にはおすすめです。■小学生が自宅学習を進める時に気を付けたいポイント自宅学習を始める前の準備と具体的な素材が集まったところで、次は自宅学習を進めるにあたってのポイントを見ていきましょう。まずは何から始めればよいのか、どんな要素を取り入れたらよいのか、具体的なヒントをご紹介します。▼ポイント1:復習からはじめる復習はこれまで学んできたことの地盤固めをする作業でもあります。まずは基礎を安定させてから、次の学びに進むことをおすすめします。復習の良い点は、繰り返し問題に取り組むことで、できなかったことができるようになり「できた」「わかった」と子ども自身が実感できること。一つ一つ成功体験を重ねることで自信を身につけることができ、その後の学習意欲も高まり、苦手克服にもつながります。さらに問題を解く力を深めることができ、応用問題への対応力を身につけることにつながるでしょう。▼ポイント2:苦手なものにフォーカスやはり苦手克服は自宅学習において重要な課題と言えるでしょう。苦手なものは、「できない」ことでさらに苦手意識が強くなってしまうため、子ども自身が「これならできる」と実感することが大切なポイントになります。そのため苦手な科目にフォーカスして、繰り返し取り組むことをおすすめします。ただし、わからないまま問題を解き続けば、いつまでたっても理解できないまま苦手意識を膨らませてしまうだけなので、始めはできるだけわかりやすいベーシックな教材を利用して、からまった糸をほどくように本人のつまずいているポイントを解消するようにしましょう。▼ポイント3:得意科目は+αの取り組みもあり得意科目があることは、学ぶことの楽しさを知るきっかけにもなり、本人の力を引き出すことにもつながります。子ども自身も意欲が高まっているため、+αの取り組みを親が提案してみるのもおすすめです。例えば、漢字や英語が得意なら、資格や検定にチャレンジしてモチベーションを高める方法もよいでしょう。理科が好きなら、サイエンスイベントに参加したり、科学館などに親子で訪れてみたり、学校の勉強では知る機会のない知識を身につけることで、勉強もやる気アップにつながります。▼ポイント4:テレビやYou Tubeも上手に取り入れる机に座って鉛筆を握り、宿題や課題をこなすだけでは、勉強を退屈なものと感じてしまいがちですよね。そのため、ときにはテレビやYou Tubeを上手く活用して、自宅学習にメリハリをつけましょう。紙の上だけでは理解できなかったり、興味を持てなかったりするものでも、テレビや動画で噛み砕いて表現されたものなら理解しやすく、さらにお勉強という感覚とは違い、純粋な興味関心を持って学べるでしょう肩肘張らず学ぶ時間を持てるので、楽しみながら自分のなかで理解を深めることにもつながります。▼ポイント5:体を動かす時間も大切机に向かってばかりでは、子どもたちもストレスがたまり、勉強もなかなかはかどりません。そのため、1日の学習スケジュールの中に体を動かす時間を設けておくことで、気分転換にもなり、その後も集中力を落とさず自宅学習を続けられます。一般的に運動は脳の活性化にもつながるとも言われているため、勉強の合間に体を動かす時間を設け、より質の高い学習時間につなげましょう。▼新一年生は……新1年生の場合、まだひらがなを読めない子もいるため、どのように自宅学習を進めていけばよいのか、お悩みの保護者も多いのではないでしょうか?そんな時は、ひらがなや数字の書き方を教えたり、教科書が手元にあれば一緒に読んでみたり、簡単なことから親子で取り組んでいくことをおすすめします。今回ご紹介した自宅学習サイトでも、ひらがな、カタカナの練習プリントや数字の数え方から学べる算数のプリントなども用意されています。「ちびむすドリル」の幼児向けの項目には「入学準備セット」と称して、読み・書きや時計の見方などおすすめのプリントがまとめられているので、新一年生にはぴったりの内容です。
2020年06月25日