前回に続き、小林さんの文房具コレクションをご紹介。レトロで可憐なパッケージが素敵な空き缶は彼女のイメージにもぴったり。いただきもののお菓子の箱もつい集めてしまうと笑う。 書くことで永遠に生き続けられると気づけた。この世界を目指すきっかけは、幼少期に読んだある1冊の本だったと小林さん。 「小さい頃に、アンネ・フランクの『アンネの日記』を読んだんです。本の中で、彼女が作家かジャーナリストになりたいと書いてるんですが、10歳の私には、こんなにかっこいいお姉さんがいるんだと衝撃的で。そのときから私も作家になりたいと思っていました。〝私の望みは、死んでからもなお生き続けること〟と彼女は書いているんですが、書くことによって〝そうか! 死なないんだ〟ということが初めてわかって。作家を志すきっかけがこの1冊でした」 テンプレートを使ったドローイング風景。和紙、Gペンやインクも、小林さんの大切なパートナーだ。 自宅にあったこの『アンネの日記』が、彼女の運命を変えていくことに。 「しばらくそのことは忘れていたんですが、私が30歳を過ぎて父が80歳の誕生日を迎えた時に、その父が16〜17歳の頃につけていた日記をたまたま見つけて。それがちょうど戦時中の日記で、そこでアンネ・フランクと父が同じ年の生まれだったことに気づきました。そこで、アンネの日記と父の日記を持って旅をしてその二冊の同じ日の日記を読みながら、私自身も日記を書き記した本が『親愛なるキュリーたちへ』です。作家になりたい、何かを書きたいという私にとって、大きな転換点でしたね」 近年は、目には見えない放射能を題材にした作品も多く、膨大な知識も必要になる。一体何が、彼女の興味を駆り立てるのだろうか。 「よく社会的なことが好きと思われがちですが、なぜ自分が今を生きているのかを知りたいだけなんです。この時代のこの場所でこんな風に生きているということが、私にとってすごく不思議なことで。自分の半径5メートルくらいのことを突き詰めていくと、家族のことだったり、過去のことを考えざるを得なくなっていきます。戦争のこともですし。今につながる時間の中で何があったのかを調べる過程が続いているだけなんですよね。歴史に興味があるのではなくて、なぜ今があるのかっていうことへの疑問ですね。そういう目に見えないことを見たい、どうやったらそれを紙の上に描きつけられるんだろうといつも考えています」 小林さんの仕事デスクには、今まで手がけた作品が並んでいた。 この目に見えないものに興味が湧き始めたのは、ごく最近のことだという。どうやったら紙の上で表現できるのか、それを探りながら描くことはとても楽しいと小林さん。以前は、夜遅くまで仕事することも、土日に作業することも多かったというが、約2年前の出産を機にその生活は一変。お子さまを保育園に預けるようになってからも、今の生活のリズムを掴むまでには約1年かかったという。 「10ヶ月くらいの時から入園できたんですが、保育園の先生方のありがたさを、本当に実感しています。だいたい朝8時半〜9時くらいで保育園に連れて行き、お迎えに行く18時までが仕事の時間です。もう、すぐに時間が過ぎていってしまいます(笑)。やっぱり気持ちは焦りますね。時間の作り方も、まだわからないことがたくさんあって。いつも時間が足りないと感じていて、もっともっとやりたいという気持ちもあります。放射能の名付け親でもあるマリ・キュリーとか、子どもを2人も育てながらいったいどうやって研究を続けたんだろう、すごすぎる……とか考えたり。特に小説やマンガが佳境をむかえたときや展覧会前などは、家がカオスな状態に(笑)。そんなときは、〝でも、みんながみんなノーベル賞2度も受賞するような科学者級じゃないんだから!全部完璧じゃなくても、まあいいか〟っていう気持ちで過ごすようにしています」 優しい空気を纏っている小林さんのイメージからは、想像できない意外な一面。こんな風にときには力を抜くことも、働く女性には大切なことなのかもしれない。女性から憧れる対象である小林さんだが、ご自身の憧れる女性像とは? 「賢く、美しい女性ですね。10歳のときに出合ったアンネ・フランクがまさにそう!本がすごく好きなので、憧れる女性像も本の中の人物であったり、女性の作家さんだったり。その時々で変わっていますが、賢く美しい女性にはいつも憧れています」 自宅は本だらけという小林さん。タイトル買いをしたり、自分の好きな本をオススメしている方の推薦本をこまめにチェックしたりしているそう。そこで、彼女のオススメの本をいくつか教えてもらった。 「池田澄子さんという俳人の方で、『思ってます』という句集がおすすめです。あたりまえにある日常から、一気に過去や宇宙や魂へつながるような句に、いつも心打たれます。他にも、津島佑子さんの絶筆である小説『狩りの時代』や、ジュリー・オオツカさんの『屋根裏の仏さま』という、20世紀初頭に写真だけを見てアメリカ大陸へ渡っていった〝写真花嫁〟を題材にした小説も面白いですよ」 先頃まで、軽井沢ニューアートミュージアムで行われていた『Trinity展』では、初めてガラス作品に挑戦した。美しさに惹かれるというウランガラスで作ったドルマーク。 今描きたいのは、目に見えないこと。最後に、小林さんの今後の活動について率直に語ってもらった。 「コミックと小説、展示という表現で、目に見えない歴史のようなものを、今の私が生きているところから繋がっているように描いていけたらと思っています。特に、コミック『光の子ども』でも題材にしている放射能は、良いとか悪いと言った時点で、何か見えなくなってしまうものが大きいと思うんです。私は、そこからこぼれたものを見たいという気持ちなんですよね。 放射能って、それこそ発見された当時は夢みたいなエネルギーだったと思うし、それと同時にすごく恐ろしいものでもあって。でも、私たちは綺麗なモノに、心から惹かれていきますよね。例えば、ガラスにウランを少し混ぜると蛍光グリーンに光るんですけど、その姿がすごく綺麗なんです。当時は、電力や火力でもない光り輝く何かってすごくレアな存在で。それを見たときの感動たるや、すごいことだったんじゃないかと思っていて。自分自身もそこに惹かれちゃうなっていうのがわかるから、それを含めて描いていきたいと思っています。美しさと恐ろしさが一体化したものへ、一番興味が湧いています。 もう、勝手なミッション感ですね(笑)。描きたいっていう気持が大きすぎて、それは多分一生解決しないことだから、自分の中で見えないゴールに向かって励むという感覚です。自分が知りたい、納得できないことを解決したいという気持ち。それを誰かに観てもらえたり、読んでもらえたりして、その人にとってこういう見方もあるんだなって思っていただけたら嬉しいですね」 小林さんの原動力は、純粋に〝見えないモノを知りたい〟という気持ち。文字だけ並ぶと少し仰々しく感じるかもしれないけれど、それは私たちが日々感じている気持ちとなんら変わらないのかもしれない。クリエイターとして、そして母としてもますますパワーアップするであろう彼女の今後の活動も見逃せない。 【Profile】小林エリカ(こばやし・えりか)漫画家・作家・アーティスト。著書に、アンネ・フランクの日記と実父の日記をモチーフにした小説『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、小説『彼女は鏡の中を覗きこむ』(集英社)など多数。今年の春には、第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補になった小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)の文庫が発売に。連載も多数で、現在WEB『MilK JAPON』では「おこさま人生相談室』、雑誌『&Premium』では「文房具トラベラー』を担当中。放射能の歴史をめぐるコミック『光の子ども』は、リトルモアWEBで不定期連載。コミック本『光の子ども1,2』(リトルモア)も発売中。
2018年03月23日フォトグラファーの角田明子が長年撮り続けているサンタクロースをテーマにした写真展が、東京・青山のギャラリー ミュベール(GALLEY MUVEIL)と、吉祥寺のブック オブスキュラ(book obscura)の2会場にて、12月7日から25日まで同時開催される。©akiko tsunoda「世界のサンタさんを撮り続けること」が、ライフワークになって今年で6年目を迎える角田明子。青山のギャラリー ミュベールでは、「THE SANTA PARADISE〜日本のサンタさん 20年目の夏」と題し、グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースのパラダイス山元が、アジア圏で初の公認サンタククロースに任命されてから、20年目を迎えた節目となる今年の夏に角田明子が同行した「第60回世界サンタクロース会議」での旅の写真を、お祝いのメッセージを込めて展示。©akiko tsunoda一方、吉祥寺のブック オブスキュラでは、「JULTOMTEN〜スウェーデンのサンタさん」と題し、これまでグループで会う機会の多かったサンタさんたち、ひとり一人の活動をより深く知りたいと思い、角田明子が2016年の冬にスウェーデンサンタクロース協会公認のサンタさんの家を訪ねたときの写真を展示。タイトルとなっている「JULTOMTEN(ユールトムテ)」は、スウェーデン語でサンタクロースを表す言葉で、ユールはクリスマス、トムテは妖精という意味を持つ。北スウェーデン・ラップランドの北極圏より、さらに100kmほど北に位置する自然豊かな街・イエリヴァーレで暮らす、可愛い三角帽子が印象的な素敵なユールトムテを紹介する。また、12月16日の18時から、これまで角田明子が追い続けてきたサンタさんを紐解くトークイベントをブック オブスキュラで開催。サンタさんの裏話しや、旅のエピソードを温かいココアやコーヒーを飲みながらお届けする。トークイベントは事前予約制。予約は「角田明子さんトークイベント」と題し、参加者名、人数、連絡先を明記の上、メール(bookobscura@indoorbooks.jp)にて受付中。【イベント情報】「THE SANTA PARADISE〜日本のサンタさん 20年目の夏」会期:12月7日~12月25日場所:GALLERY MUVEIL(ギャラリー ミュベール)住所:東京都港区南青山5-12-24 シャトー東洋南青山 B1時間:11:30~20:00「JULTOMTEN〜スウェーデンのサンタさん」会期:12月7日~12月25日会場:book obscura (ブック オブスキュラ)住所:東京都三鷹市井之頭4-21-5 #103時間:11:00~20:00トークイベント会期:12月16日時間:18:00〜19:30定員:30名参加費:1,000円(ドリンク代込み)
2017年11月30日フォトグラファー・角田明子によるサンタクロースをテーマにした写真展『THE SANTA PARADISE~日本のサンタさん 20年目の夏』と『JULTOMTEN~スウェーデンのサンタさん』が開催。2017年12月7日(木)から12月25日(月)まで、青山にあるミュベール(MUVEIL)の旗艦店ギャラリー ミュベールと吉祥寺のギャラリー「「ブック オブスキュラ」にて同時開催される。角田明子は「世界のサンタクロースを撮り続けること」をライフワークに、子どもたちの夢を守り、喜びを届ける世界中のサンタクロースたちをカメラとともに追ってきた。今回、その中から日本とスウェーデンのサンタクロースにフォーカスし、彼らのサンタスピリットを作品を通して伝える。青山で開催される『THE SANTA PARADISE~日本のサンタさん 20年目の夏』は、アジア圏で初めてグリーンランド国際サンタクロース協会に公認されたサンタクロース・パラダイス山元の、サンタクロースに公認されてから20年目という記念すべき節目を撮影。角田は夏に行われた「第60回世界サンタクロース会議」に同行し、その旅での写真を展示する。吉祥寺で行われる『JULTOMTEN~スウェーデンのサンタさん』では、今までグループで会う機会が多かったというサンタクロース個人の活動を知るべく、2016年冬にスウェーデンサンタクロース協会公認のサンタクロース宅を訪れた際の写真が展示される。北スウェーデンの北極圏よりさらに北に位置する街、イエリヴァーレで暮らす「ユールトムテ(スウェーデン語でサンタクロースの意)」を紹介する。また、2017年12月16日(土)に吉祥寺のギャラリーでは、角田明子がこれまで追い続けた様々なサンタクロースの裏話や旅のエピソードなどを語るトークイベントも開催される。【詳細】角田明子サンタクロース写真展開催期間:2017年12月7日(木)~12月25日(月)■『THE SANTA PARADISE~日本のサンタさん 20年目の夏』会場:ギャラリー ミュベール住所:東京都港区南青山5-12-24 シャトー東洋南青山 B1営業時間:11:30~20:00TEL:03-6427-2162■『JULTOMTEN~スウェーデンのサンタさん』会場:ブック オブスキュラ住所:東京都三鷹市井之頭4-21-5 #103営業時間:11:00~20:00TEL:0422-26-9707<トークイベント>会場:ブック オブスキュラ日時:2017年12月16日(土) 18:00~19:30定員:30名参加費:1,000円(ドリンク代込)※事前予約制。※「角田明子さん トークイベント」と題し参加者名、人数、連絡先を明記の上、下記のアドレスに申し込むこと申込先:bookobscura@indoorbooks.jp
2017年11月27日フリーアナウンサーの小林麻耶(38)が5日、自身のブログを更新。6月22日に亡くなった妹・小林麻央さん(享年34)の納骨を終えたことを報告した。麻耶は「本日、納骨を終えました」と報告。「今日は、汗ばむ陽気でしたが、時より吹く風が心地よく妹が、みんなを優しく包んでいるのかなと思えました」と、風に麻央さんを感じたという。そして、「また、今日、暗い気持ちになりそうなときクスッと笑える出来事があったり、いつでも一緒だよ、大丈夫。と、言ってくれているようでした」とつづり、「コメント、ありがとうございます。心から感謝です」と読者にも感謝した。麻央さんの夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵もこの日、ブログで「納骨と七十五日祭滞りなく終える事が出来ました」と報告していた。
2017年09月05日大山のぶ代(83)の夫・砂川啓介さん(享年80)が7月11日、尿管がんのため都内の病院で亡くなった。大山は12年に認知症を発症し、現在は老人ホームで闘病中。唯一の家族だった砂川さんに先立たれた彼女の今後が心配されるがーー。 夫妻のマネージャーを約30年務めた小林明子さんはこう語る。 「あの優しい砂川さんのことです。のぶ代さんが1人になってしまったときのために、彼女の行く末をちゃんと考え、できるだけのことはしてあげていると思います」 15年に出版した砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ大山のぶ代「認知症」介護日記』(双葉社刊)にも、“遺言状”と題した章にこう綴られている。 《僕がある日突然、倒れてポックリ逝ってしまう可能性だってゼロじゃない。万が一、そうなってしまったときのために、僕は本意ではないが、遺言状の作成に着手した。(中略)相続税のことや、僕の兄弟のことも考慮しなければならないし、何より彼女が生きていくのに困らないよう、財産の管理方法をきちんと整えなければならない》 具体的には、砂川さんはどんな“終活”をしていたのだろうか。実は亡くなる間際、砂川さんはもっとも信頼できる“ある人物”に大山の今後を託していた。 「亡き砂川さんの代わりに、今後も小林マネージャーが大山さんの身の回りの世話をされると聞いています。プロのヘルパーさんがいるホームに入居しているとはいえ、“身内”にしかできないケアはたくさんありますからね。在宅介護をしていたとき、嫌がる大山さんをお風呂に入れてあげたのも彼女です。ご夫妻のいちばんの理解者で、責任感の強い方ですよ。砂川さんは、彼女にのぶ代さんを託したんです」(砂川さんの知人) マネージャーの小林さんも、砂川さんの“遺言”を全力で守ると話す。 「砂川さんが6月に入院したとき、私に『すまない、頼むよ』と言ったんです。これからもできる限り彼女を支えていくつもりです」 自分が亡くなっても10年20年とずっと、元気で暮らせるようにーー。砂川さんは、愛する大山のために“介護設計図”を準備していたのだ。天国へ旅立った砂川さんは、これからもずっと愛妻を見守っていることだろう。
2017年07月27日大山のぶ代(83)の夫・砂川啓介さん(享年80)が7月11日、尿管がんのため都内の病院で亡くなった。夫妻のマネージャーを約30年務めた小林明子さんが、斎場で夫の遺体と対面した大山の様子をこう明かす。 「のぶ代さんは、棺で眠る砂川さんに『お父さん!』と呼びかけていました。でも数分すると棺から離れて出口に向かってスタスタと歩いて行ってしまったんです。私が『もう帰るの?』と聞くと『帰る』と言うので、その日は斎場を後にしました」 大山が認知症を発症したのは、12年のこと。以来、砂川さんは都内の自宅で大山を“老老介護”してきた。しかし16年4月に砂川さんの尿管がんが発覚。夫婦が“共倒れ”になる最悪の事態を想定し、やむなく愛妻を老人ホームに入居させることになった。 「尿管がんを患ってからは入退院を繰り返していた砂川さんですが、離れて暮らす大山さんのことをいつも気にかけていましたよ。それでも、悲しいことに大山さんの認知症は進行していきました。砂川さんの顔と名前だけは覚えていましたが、数分前のことですら、すぐに忘れてしまうのです……」(砂川さんの知人) 砂川さんの葬儀では、喪主は大山が務めるはずだった。だが、それも断念せざるを得なかったという。 「体力的にも大変ですし、精神的なことを考えるとやはり難しいと思いました。また砂川さんの棺を見たり、写真を見たりすると、のぶ代さんが動揺してしまうかもしれませんから」(前出・小林さん) 結局、通夜・告別式は大山以外の近親者で行われた。 「砂川さんはきっと『来なくても大丈夫だよ。それより自分を大切にな』と言っていたはずです。砂川さんはずっとのぶ代さんを気遣い、心配させないように尽くしてきました」(前出・小林さん) 何よりも大山のことを第一に考えてきた砂川さん。その姿勢は亡くなる直前まで変わらなかった。 「5月中旬、砂川さんは肺にたまった水を抜くため入院していたんです。入院中は呼吸が浅くなり、とても苦しそうでした。リハビリも過酷なものでしたが、大山さんのために歯を食いしばって必死に頑張っていた。6月9日に無事退院されたと聞き、ひと安心していたのですが……」(前出・砂川さんの知人) しかし退院直後、またも病魔が砂川さんを襲った。 「退院の4日後、連絡がつかないので自宅に駆けつけました。彼は意識を失った状態で倒れていたのです。緊急搬送された都内の病院で、再び入院することに。意識はすぐに戻ったのですが、今月11日に容態が急変。そのまま息を引き取りました」(前出・小林さん) 子供のいない夫婦2人だけの結婚生活は、53年目で“突然の終幕”となった。 「砂川さんが亡くなったということを、のぶ代さんはどれだけ理解しているのか……。のぶ代さんからは砂川さんの話題は全然、出てきません。そんな様子を見ながら『ああ、よかった』と思う半面、『寂しいな』とも感じています」(前出・小林さん) ふと砂川さんとの記憶が蘇った時、大山は何を思うのかーー。
2017年07月27日フリーアナウンサーの小林麻耶が3日、自身のブログを更新。6月22日に乳がんで亡くなった妹・小林麻央さんとのエピソードを明かした。麻耶は、義弟で歌舞伎俳優の市川海老蔵と甥の勸玄くんがこの日、「七月大歌舞伎」の初日を迎えたことを報告し、「今日から27日まで、祈ります」とコメント。そして、「母の友人と旦那様から素晴らしい胡蝶蘭が届きました」と、「御祝堀越勸玄さま」と記された胡蝶蘭の写真をアップし、「樋熊夫妻の愛とともにお部屋が華やかになりました。ありがとうございます。妹もすごく喜んでいるように感じます」と感謝した。続けて、「樋熊哲也さんには妹の婚約会見の時のお着物を作っていただきました」と説明し、婚約会見時の海老蔵と麻央さんの2ショット写真をアップ。「妹の婚約会見を見に、こっそり会場に行ったことを思い出しました。『おねーちゃん、心配しすぎだよ~』幸せそうな笑顔で言っていました」と会場にいたことを明かし、「いつだって一緒にいたくて、いつだって気になる存在です」とつづった。
2017年07月04日フリーアナウンサーの小林麻耶(37)が29日、自身のブログを更新。妹の小林麻央さん(享年34)が亡くなって1週間たった今の心境を明かした。麻耶は「おはようございます!」というタイトルで更新。「たくさんのコメントありがとうございます。ブログの存在に支えられています。ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。そして、「新しい一日が始まりました。時が過ぎていく実感はないのに、確実に日は進んでいるんですよね」としみじみ。「妹はどこか遠くの病院に入院していて、今は会えない... そんな感覚になっています」と自身の心境を表現し、「私のことが心配で、そばにいてくれているのかな。ありがとう」とつづった。
2017年06月29日22日に乳がんで亡くなった小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が27日、自身のブログを更新。妹がいない喪失感や悲しみを打ち明け、「不思議と今まで以上に妹を感じています」という感覚も明かした。麻耶は「はじまり。」というタイトルで更新し、励ましの声に感謝。「昨日で執り行わなくてはならないこと終え、今日から日常が始まっています」と報告するも、「寝ているのか、寝ていないのか、よく分からない状態の夜が続いていますが、妹がいないという喪失感で目が覚めるのは耐え難いものです」と悲しみが消えることはない。そして、「不思議と今まで以上に妹を感じていますし、そばにいるのかもと思える瞬間も数々あるのですが、もう... 目を合わせて話せないし、声も聴けないし、触れることができない。悲しいです。寂しいです。辛いです」と吐露。「一日一日悔いなく過ごせるようにしてたけれど、でも、もっともっともっと... ... という想いが出てきてしまいます」と打ち明けた。また、「子供たちは、大丈夫かな、、、。大丈夫ではないですよね。私の出来る限り、寄り添いたいと思います」と麻央さんと歌舞伎俳優・市川海老蔵の子供である麗禾ちゃんと勸玄くんを心配。海老蔵とドラマや舞台で共演した俳優の山田純大が連日家に来て子供たちと遊んでくれていることも明かし、「どれほど救われているか分かりません」と感謝した。さらに、「姪っ子甥っ子2人とも純大さんが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで、純大さんの話しをするだけで、顔色も声色も変わるくらいそんな純大さんが遊んでくださるので、それはそれは楽しそうで嬉しそう。大はしゃぎタイムです」と2人の様子をつづり、「純大さんという存在が現れてくれたこと、奇跡だと思います。それくらい有り難いです。人は人に救われますね。山田純大さん、本当にありがとうございます。心から感謝いたします」と感謝の言葉を重ねた。
2017年06月27日22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が26日、麻央さんが亡くなってから初めて自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。麻耶は「たくさんのコメントありがとうございます。ゆっくり読ませて頂きます。本当にありがとうございます。ご心配していただいたのにもかかわらず、今日までブログの更新できず、申し訳ありません」と感謝とお詫びを伝えた上で、「6月22日最愛の妹が旅立ちました」とあらためて報告。「生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。世界一愛しい存在です」と麻央さんへの思いを明かした。続けて、「いつも優しくて、穏やかで、あたたかくて、自分のことより人を気遣う妹。私の絶対的な味方で、一番の理解者。そんな存在がこの世からいなくなってしまった寂しさ、悲しさは計り知れません。正直、この現実を私は受け止めることができずにいます」とつらい胸中を吐露。「もっと一緒にいたかったもっと一緒に話したかったもっと一緒に笑い合いたかったもっと一緒に...もっと一緒に...いろんな思い出を作りたかった一緒に、生きていきたかった」と無念さをにじませつつ、「これまで妹が教えてくれた...当たり前のことなど何ひとつない日常の有り難さ命の輝き、尊さ愛に生きるということひとつひとつ噛み締めながら妹がいない現実とともに生きていきたいと思います」と前を向いた。そして、「妹は、ブログを始めたことで多くの方々と繋がらせていただき、たくさんの励まし、勇気、力をいただきました。本当に本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。ブログの写真を楽しそうに撮る妹の姿が私は好きでした」と麻耶。「これまで妹を応援してくだった皆様妹が力強く前向きに生きた証のブログ、これからも時々訪れていただけたら幸いです」と呼びかけ、「本当に本当にありがとうございました」と締めくくった。
2017年06月26日本日6月23日(金)、乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーで歌舞伎役者・市川海老蔵の妻の小林麻央さんが、亡くなったことが報じられた。この度日本テレビでは、小林さん死去の一報を受け、26日(月)に緊急特番「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」を放送することが分かった。昨年乳がんを公表し、闘病を続けてきた小林さん。海老蔵さんの妻として、2人の子どもの母として、そしてキャスターとして世の中の人たちに多くの勇気を与えてくれた。番組では、小林さんがその34年の生涯を通じて、何を伝えようとしてきたのか。これまでの日本テレビの取材、そして新たな取材を加えて、彼女の強さ、そして優しさを描くという。26日(月)は、スタジオから生放送。「NEWS ZERO」のメインキャスター・村尾信尚を始め、ラルフ鈴木アナウンサー、鈴江奈々アナウンサーらが出演する。「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」は6月26日(月)21時~日本テレビ系29局ネットにて放送。(cinemacafe.net)
2017年06月23日23日、歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の妻で、フリーアナウンサーの小林麻央さん(34)が、22日夜、都内の自宅で死去したとスポーツ紙が報じた。小林麻央さんは14年10月、乳がんの告知を受けて闘病中で、21日容態が急変したという。 海老蔵はこの日朝、ブログを更新し、朝6時から普段と変わらない様子をブログで投稿。しかし、本日4度目の更新となる「2017/06/23」と題した投稿には、「人生で一番ないた日です。」とつづり「マスコミの方々もお察してください」などと呼びかけていた。現在、多くのアクセスのせいか海老蔵のブログは表示されない状態となっている。 SNSやYahoo!検索ワードには小林麻央さん、麻央ちゃんが1、2位を占め「嘘でしょ…信じられない」「若すぎる…ショックだ」「闘病生活お疲れ様でした」「「本当に本当に素敵な方でした。ご冥福をお祈りします。」など悲しみの声が広がっている。 また、海老蔵は23日午後2時30分より、公演先の東京・渋谷シアターコクーンで会見を行う予定だという。
2017年06月23日フリーアナウンサーの小林麻耶(37)が2日、ブログを更新し、「サポートに力を入れたい」と乳がん闘病中の妹でフリーアナウンサーの小林麻央(34)の在宅治療を支えていく決意をつづった。 『6月スタート!』という記事で麻耶は「6月が始まりましたね。皆様はどんな1カ月にされますか??」と読者に問いかけ、「私は、サポートに力を入れたいので自分の時間をより濃密に出来るように工夫したいと思っています」と麻央のサポートにより一層注力していく考えを明かした。 最後は、「行動力、主体性を引き出してくれそうな赤を着て、レッツゴー!」と笑顔の写真をともに明るくブログを締めた。 読者からは「麻耶さんも疲れすぎないようにコントロールしてくださいね」「無理しすぎずがんばって!」とエールが寄せられている。 妹・麻央は先月29日に退院し、点滴などの在宅治療を行っている。
2017年06月02日フリーアナウンサーの小林麻耶が31日、自身のブログを更新。29日に退院した乳がん闘病中の妹・小林麻央についてつづった。麻耶は「妹の退院を一緒に喜んでくださりさらにこれからも願ってくださること皆様のお気持ちに感謝です。ありがとうございます」と読者の応援に感謝。「こんなにもたくさんの方々から応援していただける妹はとても幸せ者です」とつづり、「本当にありがとうございます。頂戴したお力を妹にしっかりと届けます」と伝えた。麻央は29日にブログで退院を報告。「これからは在宅医療に切り替え、自宅で点滴など続けながら、在宅医療の先生、看護師さんそして何より 家族に支えてもらいながら生活していきます」と説明し、「退院前は、これから家族へかけてしまう負担が怖く、退院が近づくたび不安でしたが、やはり我が家は 最高の場所です」とつづっていた。
2017年05月31日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が24日、自身のブログを更新し、痛み止めテープを増やしたことを明かした。麻央は「眠たい」というタイトルで更新し、「私は 昨日から 定時に貼る痛みどめのテープを増やしました」と報告。「そうしたら、眠くて 眠くて。眠いのは、意外と、気持ちよくもあるのですが、一日中眠いと、困る時もあります」と打ち明けた。続けて、「そんなこんなで昨日はブログが更新できませんでした。最後の 公開ボタンに行き着く前に寝てしまうという。。。」とブログが更新できなかった理由を説明。「慣れると徐々に眠さも落ちついてくるそうです」とつづった。
2017年05月24日乳がん闘病中で現在入院しているフリーアナウンサー・小林麻央が17日、ブログを更新。自身の足をマッサージしてくれている姉・小林麻耶を隠し撮りした写真を公開した。「隠し撮り」というタイトルで更新した麻央は、麻耶がマッサージしている写真をアップ。不思議な方向を見て笑っている麻耶について「ぅわわわ 何かみつけたみたい!笑ってる こわこわこわ」とツッコみ、「ここで、私が吹き出してしまい姉に 隠し撮りを気づかれる」と、カメラ目線の麻耶の写真も掲載した。そして、「この下手そうに見えるマッサージも絶妙で、信じられない程 上手なのです。浮腫(むく)んだ足が、軽くなり、爪の血色も蘇りました」とつづり、「不思議な『姉神』です。毎日 ありがとう」と感謝の思いを記した。
2017年05月18日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が13日、自身のブログを更新し、姉の小林麻耶とのエピソードを明かした。麻央は「いろいろ」というタイトルで更新。「数日、豆乳ココアを飲むのが至福の時です。氷抜きで注文をして、一日かけて、ちょこちょこ飲みます」と、ベッドで豆乳ココアを飲んでいる写真を掲載した。そして、「姉のマッサージが 上手すぎて驚いています。いつの間に こんなに心地よいマッサージができるようになったのでしょうか」と麻耶にマッサージしてもらっている写真を公開。「しかも、ずっとマッサージし続けてくれるのです。いつの間にか眠ってしまって、は!と目が覚めても、まだ、なで続けてくれているのです」と記した。続けて、「昨夜は、できることが少なくなっていく自分が怖くなってしまい、『こんなふうに色々手伝ってもらわないといけなくて、家に帰ったら帰ったでみんなが大変になっちゃうね。』と言ったら『いいんだよー。まおちゃんは生きててくれるだけで いいんだよ。ただ いてくれればいいの。なーんにも できなくて いいんだよ。』と言ってくれました」と麻耶とのやりとりを明かし、「でも、私は母親だから、、、と思うと、急に胸が締め付けられます」と複雑な心境を打ち明けた。さらに、「娘が描いた絵」と長女の麗禾ちゃんが描いた家族の絵も公開し、「右が私だそうです。真ん中は、娘自身だそうです。小さい子が かんげん。なぜかスカートの 左 パパ」と説明。「『ママは優しくて光ってるから、頭の上に 光の玉をのせてるの。』と言っていたそうです。娘が私を思ったとき 一番に苦しくみえていないことが私の心の救いです」とつづり、「本当に まわりのみんなみんなのおかげです」と感謝の言葉で締めくくった。
2017年05月14日フリーアナウンサーの小林麻耶が24日、自身のブログを更新し、22日に再入院した乳がん闘病中の妹・小林麻央が輸血を受けたことについて、感謝の思いをつづった。麻耶は「妹のブログに書かれていましたが妹が、一昨日、昨日と輸血を受けました」と報告。「輸血の袋には名前が書いていないので、どなたのかは分かりませんが、献血していただいた方、本当に本当にありがとうございました」と感謝した。麻耶は長年、献血推進プロジェクト「LOVE in Action」の活動をしており、「献血をしてくださる方がいらっしゃるからこそ、輸血ができ、命が救われます。これからも、なお一層、感謝の気持ちを深く持ち、しっかりと活動をさせていただきたいと決意しました」とあらためて決意。「ありがとうございました」と締めくくった。麻央もこの日、ブログを更新し、「一昨日、昨日と輸血、点滴をして頂き、また、痛みどめの量を増やし、息苦しさが軽減しました」と報告し、「輸血をさせて頂けることに、感謝です。どこかにいる方にもこうして助けて頂いています」と感謝の思いを記していた。
2017年04月25日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が22日、自身のブログを更新し、再入院したことを明かした。麻央は、「入院」というタイトルで更新。「皆様 ご心配をおかけし申し訳ありません。そして、優しい励まし、強い祈り、本当にありがとうございます」と激励の声に感謝した上で、「短期間入院をすることにしました」と報告した。そして、「具合悪いほど家族と離れたくない気持ちが増して家で回復させたかったのですが、今は、自分の力では難しいので、医療の恩恵を受けて、元気になりたいと思います」と続け、「何度もお世話になっている看護師さんたちなので、安心です」とコメント。病院のベッドの上で撮影したマスク姿の写真も掲載した。麻央は19日に更新したブログで、「ここずっと 一日中横になっている毎日でした。息苦しさと 変な発汗と 痛みと。10日前まで普通に歩けたのに、10歩歩くのもやっとになってしまうのだから」と体調の悪化を告白。心配や激励の声が多く寄せられていた。
2017年04月23日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が22日にブログを更新し、再入院したことを報告した。 麻央は「入院」というタイトルで、「具合悪ほど家族と離れたくない気持ちが増して家で回復させたかったのですが、今は、自分の力では難しいので、医療の恩恵を受けて、元気になりたいと思います。」と、夫の市川海老蔵(39)をはじめ長男の勘玄くん、長女の麗禾ちゃんと離ればなれになることに悔しさを滲ませた。 麻央は19日に、「ここずっと一日中横になっている毎日でした。息苦しさと変な発汗と痛みと。10日前まで普通に歩けたのに、10歩歩くのもやっとになってしまうのだから」と体調が優れなかったことをブログで告白していた。 このブログに読者は「頑張れ!」と応援するコメントが殺到、Twitterには「神様、麻央ちゃんを助けてください」と回復を祈るつぶやきが多く寄せられている。 また、海老蔵は公演「古典への誘い」を全国で開催しており、15日の鹿児島を皮切りに16日に宮崎、17日に大分、19日に長崎、21日~23日まで福岡と九州各地を回っている。21日のブログでは「家族にあいたい…あいたい。」と心境を打ち明けていた。
2017年04月22日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が13日、ブログを更新し、自身の病気について赤裸々に心境を吐露した。 『浪漫飛行』と題した記事で、「癌だって、ステージ1の時点で診断される人もいれば、気づいた時にはステージ4の人もいる。順調に治る人もいれば余命宣告から奇跡みたいに治る人もいて、そうでない人もいる」と書き出した麻央。 「良い方をみてもきりがないし、悪い方をみてもきりがない」としながらも、「良い方をみてしまうとき、私は、なぜここまでにならなければならなかったのかな、と思うことがありました」とこれまでの切実な心境を告白。 ステージ4を公表している麻央は「もちろん自分自身の過ち積み重ねなどあるにせよ何故、順調に治っていく道ではなかったのだろう」とつらく思いつめたこともあったという。 しかし、「いつからか、私はここまでになる必要があったんだと思うようになりましたと自身の病状を受け入れるようになり、「そう思えるときの穏やかさは魂が納得しているのだと感じます」と現在の心境を綴った。 そして「魂って自分が思っているよりずっとずっと自分にロマンをもっているのでしょう」と分析し、「しんどくて寝ているときは小さい小さい世界に閉じ込められているみたいに感じますが、実は逆で、魂は壮大な浪漫飛行中なのでしょうね」とブログを締めた。 読者からは「麻央ちゃんは強いですね」「いくつもの試練を乗り越えていてすごい」「説得力がある」と感激のコメントが寄せられている。
2017年04月13日乳がん闘病中の小林麻央が3日、自身のブログを更新。姉の小林麻耶が同日放送された『バイキング』(フジテレビ系)にVTR出演し、11カ月ぶりに仕事に復帰したことについて言及。また、家族で桜を鑑賞したことも報告した。「ありがとうございます。」というタイトルで更新した麻央は、「今日は、姉が11ヶ月ぶりにバイキングさんでテレビ出演させて頂きました」と報告し、「スタッフの皆様、出演者の皆様、そして、優しいお言葉を下さった坂上忍さんに妹の私も感謝でいっぱいです」と、番組で麻耶と対談した坂上忍に感謝した。そして、「坂上さんが人生なかなか止まれないなにがきっかけでも 止まれたのはよいことだと思うと 姉に言って下さっていました」と坂上の言葉に触れて、「私も、病気にならなければずっとそのレールで走っていたのかなと思うと、そのレールでは全く見えなかっただろう世界を今感じていることに感謝しました」と思いを告白。「そして、どのレールにいても苦しさは絶対あるのが生きてるってことなのかなと思います」と記した。また、「去年の桜は、ひとりで見ましたが、今年は、今日家族と一緒に見られました」と家族と桜を鑑賞したことを明かし、「あったかくて幸せで、桜もポカポカして見えました」とコメント。「でも去年は ひとりで寂しかったけれど、人生で一番美しい 心が震える桜でした。そんなふうに桜を見たことがなかったんです」と昨年を振り返った。最後は「そんなことを思い出して、やっぱり人生 どんなときも素晴らしいんだなと感じた今日でした」と締めくくった。
2017年04月04日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が1日、自身のブログを更新。仕事再開を発表した姉・小林麻耶と、両親の言葉を明かした。麻央は「姉が、少しずつ仕事に復帰させて頂くことが決まりました」と報告し、「これまで応援して下さった皆様本当にありがとうございます」と感謝。「姉が倒れた日ぶるぶる震えながら『まおちゃん ごめん。助けられなくて まおちゃんごめん。でも もう大丈夫。私が救うから。』と叫んでいたことを思い出します」と、昨年5月に麻耶が体調を崩して倒れた日のエピソードを明かした。そして、「私にとって大切な大切な姉です。悲しませたくないのです、本当は」と姉への思いを打ち明け、「明るい姉は小さいときからいつも私を助けてくれましたが、どんな状態でも変わりなく、私の支えでした」と感謝。「だから 家族って何ができる とか 何をしてくれるではなく、ただその存在が大事なのだと思います」とつづった。また、「私が 治療に背を向けたとき母も叫びました。『死ぬ順番を守りなさい。お母さんが死んだとき、まおに口紅をぬってほしい!』と。私を産んでくれた 母の言葉です」と母親の叫びを明かし、「父には『人間誰しも最後は天命を待つのみだけれど、それまでは不屈の希望であきらめないこと』と言われています。父らしい言葉です」と父親の言葉も紹介。「ひとつひとつ 家族の思いが 心に残っています」と締めくくった。
2017年04月02日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が3日、自身のブログを更新し、久しぶりに痛みで眠れなかったことを打ち明けた。麻央は「深呼吸」というエントリーで、「すぅー はぁー の深呼吸。久しぶりに、痛みで眠れず、レスキューを使い、焦りました」と告白。「放射線治療で痛みが緩和したあとだけに違う場所が痛み出すと、不安が倍増」と吐露した。そして、「経験の分だけ対処もできるけれど経験の分だけ怖さがわかるのも不安」と続け、「こうして心は作られていくのだなと感じます」と分析。「だからこそ起こってもいないことに不安にならない は私のテーマです」とつづった。
2017年03月03日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が20日、自身のブログを更新し、"トキメキ"を持つ大切さをつづった。麻央は「トキメキ」というタイトルで更新し、「芦田淳先生のニットを着て、気分を高めてみた日。おー 私にも女子な心が眠っていたようです笑普段つけないイヤリングもつけてみました」と報告。そして、「病気に対する薬の話より、美容に対するサプリメントの話の方が、女性の患者さんの目が輝いて興味深々なことがよくあると、ある先生から聞きました」と明かし、「命がかかっていることより!??と驚きましたが、何であれトキメキをもてる人は強いなーと感じます。だって目を輝かせられるんだもの」とつづった。さらに、「目は時々でも良いので輝かせたいものです」と記し、「ということで、トキメキ!」と、写真加工アプリを使って少女漫画風の輝いている大きな目にアレンジした写真もアップした。
2017年02月20日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が16日、自身のブログを更新し、姉の小林麻耶とともに幼稚園へ子供のお迎えに行ったことを報告した。麻央は「今日は、あたたかくて早く春を感じたいなと待ち遠しくなりました」と書き出し、「クリニックに行き、姉と幼稚園へお迎えに行き、順調な1日に感謝」とこの日の出来事を報告した上で感謝の気持ちを記した。そして、「お腹も鳴ったりするようになり笑食欲あり」と告白。「あたたかくなる季節に合わせて身体が回復する期待をふくらませます。今日の午後の陽を浴びて、不調より、良いことに目を向けるという気分になりました」とつづった。さらに、「身体は踏ん張っているので。気分は振り子のように振れて気まぐれでもありますが身体はそれでも中心で踏ん張って、えらい!」と自分の身体をほめる麻央。「明日もいい日になりますように皆様も、、、」と締めくくった。
2017年02月17日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が8日、自身のブログを更新。姉の小林麻耶との2ショット写真を公開した。麻央は「帰りに」というタイトルで更新。麻耶との笑顔の2ショット写真をアップし、「病院帰りに、水分補給休憩」と報告した。そして、「姉が一緒でひとりより元気が湧きます」と続け、「姉は、私のいろいろの源。生まれたときから一番長く知ってる人間だもの」といつも支えてくれている麻耶に感謝。さらに、ジュースの写真を添えて「キノコジュースは帰ってからの、、、抗酸化作用免疫アップ!」と期待を込めた。
2017年02月08日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が3日、自身のブログを更新。「子供達の言葉に色々気づかされます」とつづった。この日、長女・麗禾ちゃんと長男・勸玄くんは、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵と共に成田山新勝寺の節分会に参加し、夜には、海老蔵が主演を務める六本木歌舞伎第2弾『座頭市』の公開舞台稽古を観劇。麻央は、「帰ってきて寝る準備をする前に眠ってしまった娘。歯磨きをしていなかったので、なんとか起こしました」と帰宅後の麗禾ちゃんの様子を伝えた。そして、起こそうとすると麗禾ちゃんが「あー まってまって目つむって これだけ見なきゃだめなのだめなの! 目つむらせて。ドーナツが ドーナツが、、、」と発したそうで、「夢を見ていたようです。子供の発する言葉って本当に予想外です」と記した。また、「息子は眠るとき『今日も いい日だったね』と言うようになりました。ばぁばの影響かな。退院してから、知りました」と勸玄くんの言葉も紹介し、「子供達の言葉に色々気づかされます」としみじみ。「パパの真似してうまぁーいでかーいと言ってると、ママ、本格復帰を早くせねば!と焦りますが」という麻央だが、「私が『ありがとう ありがとう、、、』一日1000回を言っている間、『違うよぉ。ありがとうございます。愛してます。だよ!』と娘がアドバイスしてくれました。愛してます、もきっとパパかな」とつづった。
2017年02月04日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が2日、自身のブログを更新し、長女の麗禾ちゃんの可愛らしいエピソードを披露した。1月29日に退院してから、自宅での日々についてつづっている麻央はこの日、「娘のなかのおばさん」というタイトルで更新。「娘が『たいへん。わたし、おばさんになっちゃった。』と言うので、ん?ん?ん?どういうこと?!『かかとが ガサガサになっちゃってる』と言うのです」と麗禾ちゃんとのやりとりを明かした。そして、「可笑しくて、笑いながらクリームを塗ってあげました」と報告し、「次の日、『まだ 少しおばさんだ』はい!クリーム。クリーム」と翌日の愉快なやりとりも告白。「本当、可笑しいです」と自宅での子供たちとの日々を楽しんでいる様子がうかがえる。
2017年02月02日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が29日、自身のブログを更新し、退院したことを報告した。麻央は「退院!」というタイトルで更新し、「いつも、いいね!やコメント、リブログ本当にありがとうございます」と感謝。「癒しの写真や動画を撮って下さったり、同じように酵素風呂体験してみて下さったり、情報、励まし、祈り、共感、、、本当にありがとうございます」とつづった。そして、「今日、退院してまいりました!!」と報告。「今回の入院は底まで行って、考え、弱気になりました。暗くなりました」と入院生活での苦悩も打ち明け、「ブログを書くことで奮い立っていました。いつも、KOKORO.を見て下さり、本当に、ありがとうございます」と続けた。さらに、自宅に帰って子供たちからのプレゼントに囲まれている笑顔の写真もアップ。「ピンクの冠は、れいかから、絵は、かんげんからのプレゼントです」と説明している。
2017年01月29日