京都・南座の新春恒例「初笑い! 松竹新喜劇 新春お年玉公演」が1月2日(日)から開幕するのを前に取材会が行われ、渋谷天外、藤山扇治郎、ゲストの久本雅美ら出演者7名が登壇した。「お正月なので衣装代も奮発して、時代劇の“まげもの”2本をパーンと打ち上げます!」と威勢のいい天外に、久本も「お芝居観に来たなという贅沢感が味わえる」と続き、早くも一致団結のムードが漂う。出演者が五・七・五のカルタで意気込みを語るなど、お正月らしい趣向で盛り上げた。「初笑い! 松竹新喜劇 新春お年玉公演」チケット情報一本目は「藤山寛美二十快笑」にも選出される『お種と仙太郎』。嫁姑問題を描いた人情喜劇を扇治郎と久本の共演で贈る。扇治郎は「お風呂場とかでよく、久本姉さんこれやりはったらいいのにとかひとりで考えるんです。その5本の候補のうち、1本がこれでした」とドンピシャの配役に喜ぶ。観客には自粛疲れを思いやり「来年は劇場に足を運んでもらって。僕と久本さんでやる人情喜劇でホロリと沁みていただけたら嬉しいなと思います」久本は「扇ちゃんがお風呂場でも私のことを考えてくれてたなんて。気色悪いけど、嬉しいです(笑)」と冗談めかしつつ、姑役は藤山寛美をはじめ代々男優が演じてきただけに「緊張します」と続ける。「男性が女性を演じる時点でひとつ面白さが加わっているので、それを女性が演じるとなると本当に難しいお役やと思います。ほんまはええ家族なんやなと思ってもらえるように、可愛げがある意地悪ばあさんでありたい」と語る。二本目は松竹新喜劇随一の爆笑喜劇『お祭り提灯』。このたび、39年ぶりに曽我廼家の名跡を継承した曽我廼家一蝶、いろは、桃太郎ら若手が大役に挑む意欲作だ。提灯屋、徳兵衛役の一蝶は先輩らに「熱量だけは負けたくない」と気合十分。扇治郎を中心に「劇団の新たな屋台骨となれるよう精進したい」とやる気をみなぎらせる。11月の襲名披露公演では観客の拍手が胸に沁みたと言ういろはは1『お種と仙太郎』で嫁のお種、『お祭り提灯』で徳兵衛の妹役に挑む。「お種は素直で謙虚な娘だと思うので、私も初心を忘れず素直な気持ちで成長できるように頑張ります」。桃太郎は、藤山寛美の十八番でもある提灯屋の丁稚役に抜擢され「恐ろしさに身震いしました」と驚嘆しながらも、「共演の方々の力を借りつつ、いい意味で期待を裏切りたい」と覇気を見せた。取材会では、カルタの五・七・五で「なんでかな おちょやん出たのに 気づかれず」と朝ドラ『おちょやん』出演という今年のハイライトをユーモアたっぷりに振り返ったのは渋谷天笑。同じく次代を担う若手の一員として「南座の公演を頑張って、街で声をかけられる人間になりたい」と活躍を誓う。仲間の援護も頼もしい扇治郎は、来年は寅年で年男。「松竹新喜劇をまた観たいと思っていただけるよう、お客様のハートに噛みついて離さぬよう精進したい」と決意を語った。公演は1月2日(日)から10日(月・祝)まで南座にて。チケット発売中。取材・文:石橋法子
2021年12月22日昨年、公演延期となったWAHAHA(以下:ワハハ)本舗全体公演『王と花魁』全国ツアーの開催が決定。構成・演出の喰始、キャストの柴田理恵、久本雅美、梅垣義明に現在進行形の想いを尋ねた。ピリオドを打った『ラスト3~最終伝説~』から4年ぶりの全体公演となる本作。枠にとらわれることのない多彩なパフォーマンスで客席に全力の笑いを届ける。延期が決まっても喰は「中止は念頭になく絶対にリベンジしたかった」と語り、その言葉に柴田・久本・梅垣の3人も頷く。ワハハ本舗の特徴といえば、“過剰”ともいえる客席とのコミュニケーション。「ろくでなし」を歌って鼻から豆を飛ばし、「愛の讃歌」でステージを降り観客をハグしにかかる梅垣の芸に代表され、これを目当てに訪れる人も多い。しかしコロナ禍では“濃厚接触”。得意技を封じられた一同はどうやって客席を魅了するのか。そう聞くと、喰は「梅垣は今までお客さんをひどい目に遭わせてきたけど、今度は梅垣がひどい目に遭う番」とほくそ笑む。制限を逆手に取った笑いを追求する一方で、無観客配信を行った梅垣は画面の向こうにいる観客の反応がわからない心もとなさを経験した。「自分がいかにお客さんから助けられてきたか、コロナ禍で“観客の力”を実感しました」と語ると、喰は「今回のお客さんはおかしくても笑い転げるのは難しいから、マスク上でアピールしてもらう?」とその場でアイディアを出す。一度目の緊急事態宣言が明けてから、さまざまな舞台を観に行った柴田は「ワハハみたく底が抜けたような笑いって今見かけないよね」とひと言。「だからこそ我々がやる意義は大きいんじゃないかな」と万全の対策で観客を迎える覚悟を語る。久本も「私たちを待ってくださっているお客さんの存在を感じています」と続き、「その気持ちに応えて全力で“バカ”やる所存です!」と意気込んだ。最後に喰は「エンターテインメントは精神のワクチン。接種の無理強いはしません。でもワクチンを体に入れて心が軽くなるのであれば、ぜひお越しください」「我々も年齢を重ねましたから。いつまでもあると思うな、ワハハ本舗ですよ」と呼びかけ、インタビューを結んだ。なお、取材中に喰が思いついた案は「マスクdeエール」プロジェクトとして進行中だ。演劇人に対するメッセージを寄せたマスクの着用姿を写真・動画に収めてワハハ本舗に送ると応援動画として編集され、劇中や記者発表イベントにて上映されるという。BGMには『王と花魁』応援隊長・泉谷しげるが書き下ろしたオリジナル楽曲が予定されている。公演は10月28日(木)~31日(日)に東京・新宿文化センター 大ホールで行われたあと、11・12月に全国12会場を巡演する。取材・文:岡山朋代
2021年05月07日最近はバラエティ番組でも活躍する、ヒップホップユニット・Creepy NutsのDJ松永さん。ここでは松永さんの純度が発揮される、音楽について伺いました。音楽を「好き」っていうことががんばるうえでの動機として一番強いと思うんです。――‘19年、DMC(世界最大のDJ大会)で優勝されました。そもそもグループ活動と並行して、出場しようと思ったワケは?DJ松永:DJの技でスクラッチってあるじゃないですか。みんな当然やるのかと思いきや、実はあれは特殊技能で、なかなかできる人がいないんです。俺はDJをやるために高校2年で学校を中退したんですけど、当時、地元の新潟ではまだDJとかヒップホップカルチャーに理解のある人が少なくて。俺のことを半笑いで見ている友達に、DJって何なのかを瞬間的にわからせるためには、やっぱりスクラッチじゃないと難しいなって思ったんですよね。そのスクラッチの技を競い合う最高峰の大会がDMCだと知ったので、それを志すしかないだろうと。――何度か挑戦したうえでの世界一でしたが、呪縛から解放されるなど気持ちに変化はありましたか。DJ松永:世界一になるまでは、自分が勝ちきれない呪いみたいなのにかかっていたので、ずっとしんどくて。片や相方のR-指定は、MCバトルの日本一を3連覇しているから、そこと自分を比べて疲弊している部分も大きかったんです。MCバトルだと国内大会までしかないから、日本一っていうのが最高峰。それを3連覇だから、これ以上ない成績を残しているわけですよ。自分はDJがうまいことをアイデンティティにしていたので、うまいと腹をくくっていたら落ち込んだり、Rと比べたりすることもなかったと思うんですけど、自分に自信を持ちきれない部分もあって。でも身の丈以上のプライドとか、自分を大きく見積もるクセがあるから、最低でも日本一とか物理的な結果がないと、自意識に殺されてしまう。そのしんどさに24時間さいなまれていたので、それが解けたのはデカいですね。めちゃめちゃラクになりました。――R-指定さんと自分を比べることもなくなりましたか?DJ松永:そうですね。幸か不幸か相方がめちゃめちゃ優秀なやつなので、相方と比べて落ち込むことも多かったんですけど、自分は自分の持ち場でがんばって、Rが仕事で成果を上げることに対しても、100%すばらしいっていう感情だけで生きられるようになりました。世界一を獲らないと、そうならないっていうのも、なかなか厄介だなって思いますけど(笑)。――そんな優秀な相方さんと音楽を作ることに対しては?DJ松永:好きなアーティストはいろいろいますけど、結局、あいつが上げてくるデモが一番楽しみな新譜だったりするので。そう思えるやつと組めているのは、めちゃめちゃ幸せだなって思いますね。俺らは友達の延長で組んだグループで、二人とも楽しく音楽をやろう、みたいな気持ちが大きいんです。楽しむための音楽なのに、途中で義務感とかビジネスになったら、切ないじゃないですか。ちゃんとやっている瞬間が楽しい。そこが一番大事っていうのは、俺とあいつの中で共通しています。――グループを組んだ時から、変わらずずっと楽しいんですね。DJ松永:とくに俺らがやっているみたいな芸事に関しては「楽しい」「好き」みたいなものが、がんばるうえでの動機として一番強いと実感したんです。名声とか何かを得よう、みたいなのは、返りが少なすぎる。バーンと売れても下がることがあるから、不安定なんですよね。だから成果みたいなものを自分のがんばる動機にすると、落ちた時に辞めちゃうと思います。でも、やっている瞬間が最高だったら、落ちたところで「音楽やれているから楽しくない?」みたいな心持ちでいられるし、またがんばれる。そして、がんばったら楽しくなってまた上がれるから。結局、「好き」っていう動機が一番強いって、やればやるほど思います。ミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』が発売中。表題曲のMVは1100万回再生以上。毎週火曜深夜に放送されている『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)も人気。バラエティ番組では『イグナッツ!!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演中。ゲスト出演も多数なので、HPをチェック。ディージェイまつなが1990年8月23日生まれ、新潟県出身。中学2年生の時にヒップホップと出合う。2013年、ラッパーのR-指定さんとCreepy Nutsの活動を開始。‘17年、メジャーデビュー。おもな楽曲は「よふかしのうた」「かつて天才だった俺たちへ」など。‘19年、「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019」で優勝。世界一のDJとなる。ジャケット¥45,000パンツ¥29,000(共にタクタク/スタジオ ファブワーク TEL:03・6438・9575)シャツ¥10,000(スリック/ブライト TEL:03・5843・0411)シューズ¥23,000(トス/HEMT PR TEL:03・6721・0882)ソックスはスタイリスト私物※『anan』2021年2月24日号より。写真・野呂知功(TRIVAL)スタイリスト・鹿野巧真ヘア&メイク・藤井陽子インタビュー、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2021年02月20日ヒップホップユニット・Creepy NutsのDJ松永さん。最近はソロでバラエティ番組に出演すること多数。その憎めない、というより愛すべきキャラの魅力を深掘り!「え、俺っすか」みたいな気持ちで毎回新鮮にビックリしています。Creepy Nutsが初めてananに登場したのは‘19年夏。セックス特集号の音楽コーナーだったが、その後DJ松永さんは、世界一のDJを決める大会でチャンピオンとなるなど、あれよあれよと大注目の存在に。最近は、バラエティ番組での活躍が目覚ましい。いい意味で空気を読まない瞬発力あるトークが持ち味だけれど、言葉の端々ににじみ出るひたむきさと人柄の良さ。売れっ子の自覚のないプライベートの話など、じっくりと。――この頃ますますご活躍ですね。年末年始の特番にもたくさん出演されていました。DJ松永:本当にありがたいことですよね。『CD(カウントダウン)TV』で年越しの瞬間を任されたのは、だいぶビックリしましたけど。俺らでいいの?攻めすぎでしょって。あと『さんタク』もビックリしました。共演がさんまさんとジャニーズと俺らって。ああいうところに出るなんて、思ってもみなかったですからね。ヒップホップの活動の延長線上には、本来ないじゃないですか。不思議な気持ちでした。――anan的には、昨年末に放送された『「任意同行」願えますか?』のドッキリ企画が気になりましたが…。テレビや雑誌の事前アンケートと偽って用意されていた3媒体のうち、ananだけやたらと未回答が多かったという。DJ松永:あははははは!いやあれ、おかしいと思ったんですよ。雑誌のアンケートって聞いたことがなかったから。ananは何回か出させてもらっていますけど、事前アンケートとかしたことないし、変だなって思ったんです。――そうだったんですね。現在松永さんの衣装を担当されているスタイリストさんとの出会いもananの撮影だったと思いますし、勝手ながらご縁を感じていたので。DJ松永:そうですよね。あの撮影(昨年夏頃)以前は白いTシャツしか着ないっていう謎の決意を決め込んでいたんですけど、白いTシャツは全部捨てました(笑)。今はすべての格好が、ananの延長線上になっています。――(笑)。最近は一人でテレビに出られることも多いですが、松永さんが求められている理由は何だと思いますか?DJ松永:全然わからないですね。自己分析みたいなのが基本的にあんまり得意じゃないんです。毎回、「え、俺っすか」みたいな気持ちですし、毎回新鮮にビックリしています。――でも、お声掛けいただいたら、積極的に出たい?DJ松永:そうですね。必要としていただけるなら。なかなか願っても出られるようなところではないじゃないですか。一人の限られた人生の中で、こういう機会ってそうないので、トライしてみようかなっていう気持ちです。実際に自分に返ってくるものもたくさんありますし、人生経験にもなる。そもそもヒップホップって音楽に興味のある人にしかリーチできないですけど、テレビだとまったく無関係の人に知ってもらえるから、そういう機会は本当にありがたいですね。――時に失礼にもなりかねない素直な発言が的を射ていておもしろいのですが、“良く見られたい”みたいなことは考えないですか?DJ松永:いーや、それを意識できるほど器用じゃないです。ただ、気にはしているんですよね。「嫌われること言っちゃったかな」とかあとから気にして、わーっと落ち込んだりするんですけど、その都度考えて行動できないので。脊髄反射でしゃべるから。ゆっくり考えて言葉を精査して、配慮しながら角を立てずに…っていうしゃべりが、基本的に苦手なんです。だから、制作側から「こういうスタンスでお願いします」って言われてもマジで無理。できませんって説明します。それぐらい苦手で。興味のない話題の時とか、めちゃめちゃ天井見ています。――以前ラジオで、テレビに出るのは本業じゃないから、出るたびに落ち込むと話していましたが、それは緩和されてきましたか?DJ松永:ちょっとずつ慣れてきましたね。最初は自分に期待しすぎて、うまくできなかった事実を深く考え込んでしまうこともあったけど、やればやるほど結局ミュージシャンなんだなって思うようになったので。ずっと音楽をやりたくて、がんばってきて、音楽で一定の成果が出たからスポットライトがあたるようになって。それで離れた世界の人たちが、おもしろそうだなって拾い上げてくれたんだと思うんです。それに実際にバラエティの現場にお邪魔させていただくと、その現場にいるタレントさんや芸人さんは、その世界で一から積み上げて、切磋琢磨してそこに立っている人たちだから、そもそも太刀打ちしようと思うのがおこがましいわけで。去年の秋ぐらいからかな。そう徐々に切り替え始めたら、収録中に天井を見ることに負い目を感じなくなりました(笑)。――今や売れっ子と認めざるを得ない状況だと思いますが。DJ松永:全然なんですけど。――何か環境は変わりましたか?モテるようになったとか。DJ松永:どうなんですかね。人間関係増えていないですし。テレビの仕事も、カメラが回っていないところで親交を深めるとか基本的にないから。LINE交換してください、みたいなことも全然ないっすね。――以前「好きになった人の全部を好きになる」と言っていたのを聞いたことがありますが、ではどんな人を好きになるのでしょう。DJ松永:俺、好きなタイプって聞かれた時に、ポンと出せる答えがなくていつも困っているんです。自分の経験が豊富なわけじゃないから、こういう人が好きとか苦手とか、蓄積されていないんです。うーん…。かわいらしい人もいいなって思うし、大人っぽい人にもその良さがあるし…。選べないよって。――困らせてしまってすみません。DJ松永:恋愛に関しては、マジ小学生なんですよ。そこから成長していなくて。でもほんとに、好きなタイプって聞かれた時に、答えられるようにしたほうがいいですね。ミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』が発売中。表題曲のMVは1100万回再生以上。毎週火曜深夜に放送されている『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)も人気。バラエティ番組では『イグナッツ!!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演中。ゲスト出演も多数なので、HPをチェック。ディージェイまつなが1990年8月23日生まれ、新潟県出身。中学2年生の時にヒップホップと出合う。2013年、ラッパーのR-指定さんとCreepy Nutsの活動を開始。‘17年、メジャーデビュー。おもな楽曲は「よふかしのうた」「かつて天才だった俺たちへ」など。‘19年、「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019」で優勝。世界一のDJとなる。ジャケット¥45,000パンツ¥29,000(共にタクタク/スタジオ ファブワーク TEL:03・6438・9575)シャツ¥10,000(スリック/ブライト TEL:03・5843・0411)シューズ¥23,000(トス/HEMT PR TEL:03・6721・0882)ソックスはスタイリスト私物※『anan』2021年2月24日号より。写真・野呂知功(TRIVAL)スタイリスト・鹿野巧真ヘア&メイク・藤井陽子インタビュー、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2021年02月20日2021年1月26日、演歌歌手の松永ひとみさんが亡くなったことが明らかになりました。53歳でした。松永さんは『おんな笠』や『ねぶた風恋歌』などで知られ、美しい歌声で人気を博していました。サンケイスポーツによると、浴室で転倒したことが原因とみられています。関係者によると、松永さんは独身で1人暮らし。連絡が取れないのを心配した親族が今月21日、マンションの管理人と警察の立ち合いのもと、チェーンロックのかかっている玄関から室内に入り、浴室で倒れているところを発見された。検視の結果、頭部に裂傷をともなう脳挫傷の後があり、転倒した際に頭部を強く打って出血多量などで亡くなったとみられる。死亡推定時刻は19日午後2時から午後3時頃。前日18日に所属レコード会社の社員が電話で2月上旬に予定する仕事の打ち合わせをしたときは、元気な様子だったという。サンケイスポーツーより引用ネットからは、松永さんの旅立ちを惜しむ声が上がっています。・53歳って…早すぎます。足が滑ったのか、体調が悪かったのか。残念でなりません。・一人暮らしだと、浴室での転倒は怖いです。ご冥福をお祈りします。・突然のことで驚きました。同じ青森出身の者として応援していました。残念です。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年01月26日久本雅美(62)が総合司会を務めるトーク番組「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)が来年3月で終了すると報じられた。スポニチアネックスによるとテレビ局関係者は「節目の25年を前に、新鮮さを求めての決断。番組としての役目は十分に果たした」といい、「新たな番組に良い形でバトンを渡したい」と明かしたという。96年4月にスタートした「メレンゲの気持ち」。四半世紀にわたって、久本は“土曜日の昼の顔”を務めてきた。そんな彼女は本誌16年10月18日号に登場し、番組とともに歩んできた日々を回想している。数々の著名人たちとの名トークを繰り広げてきた久本は、初対面でも打ち解ける秘訣をこう明かしている。「初対面の方とお話しする機会はとても多いですね。そんなとき、まず出演ゲストの『素敵だな』と思うところに目を向けて話を始めるようにしています」「挨拶は大切ですね。私も“笑顔で・元気よく・爽やかに”挨拶することを心がけています。一言挨拶を交わすだけで、その場の空気がきれいに流れていくと思います」脇を固めるMCメンバーの話術も、同番組の魅力の1つ。同号で久本はHey! Say! JUMP・伊野尾慧(30)について「お笑いのセンスもあるし気取りもなく自然体ですごくいい。癒し系です」と、そしていとうあさこ(50)に対しても「気配りができて、私を立てながらもしっかりと自分の役割を果たしてくれる素晴らしい人です」と大絶賛していた。そんな優秀な共演者に囲まれた久本は18年12月、「優秀なスタッフに恵まれて自由に楽しくやらせていただいています。これからは皆さんに恩を返していきたいですね」と本誌を通して番組にも賛辞を送っている。オファーを受けた当時38歳だった久本も18年7月にはついに還暦を迎えた。還暦直前に応じた本誌のインタビューでは「草笛光子さんなんか、84歳という年齢にもかかわらずあの美しさで、ファッショナブル。80歳超えても自分の番組を持っていらっしゃる黒柳徹子さん(87)にも憧れていて、私も『やれるところまでやったろう』と思って」と意気込んでいた。「いつまでも若々しい久本さんにとって、WAHAHA本舗の舞台上から見るお客さんの笑顔が元気のエネルギーだといいます。また仕事を通して、多くの人に会うことこそ健康の秘訣だとも。久本さんには“朝ドラに出演する”という大きな夢があります。それを叶えるまで『芸能界はやめられへん!』と意気込んでいます」(スポーツ紙記者)還暦以降も挑戦に燃える久本。看板番組が有終の美を迎えても、まだまだ活躍は続きそうだ。
2020年10月20日池袋自動車暴走事故から1年。被害者遺族・松永拓也さん(33)の、最愛の妻と娘とのかけがえのない日常は、突然奪われた。遺された夫が、悲しみと苦しみのなかでもがきながら、踏み出せた“一歩”とは――。『起きて「お父さんお仕事お休みがいい~」と何度も言っていた。公園で1h近くずっとぶらんこに乗っていた』真菜(まな・当時31歳)は、莉子(りこ・当時3歳)が生まれた日から1日も欠かさず育児日記をつけていて、これは、事故の起きる3日前の16日の日記です。几帳面な文字とぎっしりの書き込みを見ただけで、彼女の人柄がわかると思います。当時、莉子は、毎日のように、僕に「仕事を休んでほしい」と言っていました。それから、「おかあさんが焼いたパン、公園で一緒に食べようね」。ずっと母親べったりだったのが、やっと3歳ごろから、お父さんっ子になってきてた。ですが、この先も莉子の成長がつづられるはずの日記は、いきなり中断させられました。日記帳の最後に記された『たく(拓也)帰ってきてたくさんあそんだ。』という青いインク文字をいとおしげになぞるようにしながら、松永さんが言う。松永さんは、2019年4月19日に豊島区で起きた「池袋自動車暴走事故」の被害者遺族だ。妻の真菜さんと一人娘の莉子ちゃんの命を、瞬時に奪い去ったあの忌まわしい事故から1年が過ぎた――。壁のカレンダーも、’19年4月のままです。6月にはディズニーランドに行く予定で、3人とも楽しみにしていました。初めて「イッツ・ア・スモールワールド」に乗ったときの、莉子の目のキラキラが忘れられなくて。カレンダーをめくっちゃうと、自分の時だけが進んでしまう気がするんです。2人の時間は止まったままなのに……。かつて一緒に暮らしたこの部屋にいると、扉の陰からひょっこり2人が顔を出すんじゃないかと思ったり、3人の暮らしが夢だったような錯覚に襲われるのがつらすぎて、僕は事故以来、ずっと近所にある実家に身を寄せています。僕自身、自殺も考えた事故当初の時期を経て、この1年間、多くの転機となる出来事がありました。被害者の会への参加、署名活動、ブログやツイッターでの交通事故防止へ向けての発信など。自分でも精神医学などの本で勉強して試みましたが、なにより多くの出会いや支えもあり、ようやく年明けくらいから気持ちをコントロールできつつあります。とはいえ、正直、まだ無理くりですが……。事故防止に向けて、精力的な活動を続けていた松永さんだが、今回のインタビューのなかで印象的だったのは、終始抑制された加害者の飯塚幸三被告(88)への感情だった。率直に「憎しみはありませんか」と尋ねた――。いえ、絶対、ありますよ。人間ですから、それは否定しません。でも、憎しみを抱いている間は、相手だけにとらわれてしまい、それでは自分がしんどいです。それだったら、生前の2人の顔を思い浮かべて、愛と感謝を思っていたほうが心も安定します。苦肉の策ですが、それが僕なりのやり方。そうして憎しみと処罰感情を分けて考えるように、1年をかけてマインドチェンジしていくことができたという感じです。たぶん、真菜も莉子も、生前に僕の怒っているところは見たことがないはず。だから、2人にそんな姿を見せたくないという思いも、正直ありました。実は、事故の朝、こんなことがあったんです。前日の帰宅が遅くて、寝坊していました。そしたら、キッチンで莉子にご飯を食べさせていた真菜がすごい勢いで僕のもとに駆け寄って、おなかの辺りにギュッとしがみついてきたんですよ。「どうしたの!」「ううん、なんでもない」あのときのことを思い出すと不思議な気持ちになりますし、あの重みは生涯忘れません。僕の中に残っている真菜や莉子の温もりや肌の感触が、今、事故防止の活動でも、日々の生活でも、僕が前に進もうとするときに、そっと背中を押してくれるんです。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月27日妻・真菜さん(まな・当時31歳)と娘・莉子ちゃん(りこ・当時3歳)の命を奪った池袋自動車暴走事故から1年。被害者遺族の夫・松永拓也さん(33)の、初の実名告白160分。松永さんの心の支えは、今でも、肌に残った妻と娘の温もりだという。1年前、“いつも通りの日々”を送るはずだった、あの日の家族の様子を語ってくれた――。事故当日の19日は、いつもどおり、朝7時10分くらいに家を出ました。莉子はそのころ、彼女のブームだった“おしりバイバイ”で見送ってくれました。お昼休みの、スマホを使ってのテレビ電話も、いつもと同じ。あの日、2人は、自宅から10分ほどの南池袋公園にいました。「お父さん、今日は定時?お仕事、がんばってね」「あれ、珍しく今日は自転車なんだ。気をつけて帰るんだよ」「じゃあね」それが、最後の会話となりました。僕のスマホに、突如、警察から、「奥さんと娘さんが交通事故に遭いました」という電話がかかってきたのは、午後2時ごろ。パニックになりながらも電車に飛び乗って、病院に着くと、医師が「即死でした」と。もう、泣き叫ぶしかなかった。対面した2人の遺体には、顔に布がかぶせられていました。まず真菜の顔をめくったらズタズタなんです、もう、傷だらけで。次に莉子を見ようとしたら、看護師さんが、「娘さんは、見ないほうがいいと思います」。親族からも、「将来、莉子ちゃんの顔を思い浮かべるときに、あのかわいい顔を思い出せなくなるよ」。そうか、と思って。莉子は、その後、業者の方から、遺体を修復するエンバーミングに「顔だけで3日かかります」と言われたほどのひどい損傷でした。後日、遺体が自宅に戻ったとき、やっぱり、どうしても最後に莉子に会いたくて、顔の布を0.5ミリだけでも下げようとして、これはダメだとわかりました。あれ以上、動かしてたら、僕の心は一生壊れていたでしょう。松永さんが、1つ年下の真菜さんと出会ったのは、13年夏だった。わが妻ながら、僕は真菜を人間として尊敬していました。人の悪口や愚痴を言うのを聞いたことは一度もありません。結婚当時、僕はまだ若くて、家計的にも豊かではありませんでした家族を幸せにできるか不安で、つい彼女の前で弱音を吐きました。すると、「私も5人きょうだいで、けっして裕福じゃなかったけど、幸せというのは、お金だけじゃないんだよ。私、今、すごい幸せだよ」。そんなやさしくて気丈な真菜を絶対幸せにする、と胸に誓いました。莉子が生まれたのは、16年1月11日でした。出産は、僕も立ち会いました。生まれた瞬間には、2人同時に「かわいい!」で、うれし泣きでしたね。つくづく、あの場にいられてよかったと思うんです。命の重みというか、一つの生命が生まれるというのはこんなに大変で、神秘的なことなんだと知りました。大変ながらも充実した子育ての日々が、ずっと続くものだと信じていました。事故からおよそ1カ月後には職場にも復帰し、事故防止に向けても精力的な活動を続けていた松永さん。今でも、原動力は、天国で見守っている家族の存在だという。年明けに、こんな夢を見ました。少し背の伸びた莉子が、お風呂から1人で出てきたから驚いて、「えっ、莉子ちゃん。1人でお風呂に入れるの?」「そうだよ、すごいでしょ!お父さん」「すごいね!」そう言いながら抱きしめてたら、横から真菜がいつのも笑顔で、「たく!気持ちはわかるんだけど、体が心配だから、お酒は飲みすぎないでね。飲むんだったら、コレにして」と、ポンと炭酸水を手渡されたところで、目が覚めました。最近、苦手なお酒が増えてるのをわかってたんだなぁ、それにしても炭酸水かぁと、ほんとに久しぶりに笑っている自分に気づいて。僕はもう取り戻せないけど、これ以上、ほかの人たちの、かけがえのない日常が失われてほしくない。いつか自分の寿命が尽きたとき、天国で真菜と莉子が出迎えてくれて、僕は1人でも2人でも「命を救うお手伝いができたよ」と報告できたらそれでいいのかなと、そう思うんです。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月27日池袋自動車暴走事故から1年。被害者遺族・松永拓也さん(33)の、最愛の妻・真菜さん(まな・当時31歳)と娘・莉子ちゃん(りこ・当時3歳)とのかけがえのない日常は、突然奪われた。遺された夫が、悲しみと苦しみのなかでもがきながら、踏み出せた“一歩”とは――。2人のお通夜の日、僕は葬儀場に泊まって、一晩中、真菜と莉子の棺桶を交互に開けていました。真菜の手を握りながら、「真菜。ありがとう、愛してるよ」。莉子のほうに行ったら、大好きだった『ノンタン』の絵本を読み聞かせて、「莉子ちゃん、ありがとうね。お父さん、莉子ちゃん、大好きよ」。告別式でも、供花の間も、もうこれで2人の体にふれられるのは最後とわかってたから、僕は棺桶の蓋を閉められたくなくて、取り乱してしまった。それから花で埋まって少しだけ見えていた真菜と莉子のおでこにキスして……。最後は親族から、「もうそろそろ」と促されて。それで、なんとか喪主の挨拶を終えると、やがて棺桶も閉じられて。それが、2人との本当のお別れでした。事故以来、最初の1週間はほとんど食べられなかったし、眠れなかった。本気で死ぬことも考えました。初めての記者会見は、事故から5日後だった。松永さんは、真菜さんと莉子ちゃんの写真とともにのぞんだ。時には嗚咽を漏らしながら心情を吐露する姿は、日本中に、高齢者ドライバーの運転についての議論を巻き起こした。実況見分後、加害者の飯塚幸三被告(88歳・旧通産省工業技術院元院長)は、8月にも逮捕されるだろうとの大方の予想を裏切り、任意の取調べが続き、世間やマスコミでは“上級国民”なる言葉が話題となる事態に――。ちょうど事故から1カ月が過ぎたころですが、1通の手紙が届きました。「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」代表の小沢さんからで、「どうか1人で悩まないで」という手紙と一緒に、被害者と遺族の道標となる「被害者ノート」も同封されていました。交通事故防止に向けて社会に訴えていこうとしている思いを知り、自分もともに活動したいと、事故後に初めて希望を感じました。この後、松永さんは7月に署名活動を開始。約39万筆の署名を集めて東京地検に提出した。署名活動と同時に、家族ビデオも公開しました。内容は、事故前年のわが家の父の日の様子です。玄関先で、真菜と莉子が僕をサプライズで迎えてくれる、いわば家族の日常。何げない日常がある日突然奪われるのが交通事故なんだと、実際に奪われてしまったんだと、それを伝えたかった。9月には、自転車や血まみれの真菜の衣服など遺品が戻ってきました。あの頑丈な自転車が真っ二つになっているのを目の当たりにしたときはショックでした。いちばんきつかったのは、莉子が使っていたチャイルドシートの足元が割れていたこと。せめて痛みを感じていなければ、と願うしかなかったです。年が明けて20年2月6日、飯塚被告を東京地検が過失運転致死傷罪で在宅起訴。ようやく、あとは裁判の開始を待つところまできた。それを受けての記者会見。「この10カ月、悲しみと苦しみのなかでもがきながら、ようやく一歩が踏み出せます」。そう、松永さんは語った。2人の命が戻らないのはわかっていますが、真実を明らかにしたい。そうでなければ、再発防止のタネに使えないじゃないですか。加害者には命の尊さを知ってほしいし、犯した罪に相応の処罰を受けることが、今後の事故防止にもつながると思います。そのためには、僕も被害者参加制度を使って、公判では自分なりに真実を追求したい。正直、事故から1年たったというのは、遺族の僕にとっては、ただの日付に過ぎない。この先も日々、2人の死と向き合っていくのは変わりません。たとえ裁判が終わっても、あいの会の活動を通じて、交通事故防止に向けて取り組んでいくことも同じです。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月27日久本雅美が生誕60年を記念した舞台『マチャミの婚前披露宴還暦すぎてもヨロちくび~!』を全国5都市で上演する。大阪市内で開かれた会見で久本は「60歳なんてあっという間。想像よりは元気やな」と、7月に還暦を迎える心境を吐露。「『60歳でもこんなことやるんかい』と楽しんでいただけるよう、今回も暴れます!」と気合い十分に語った。「マチャミの婚前披露宴 還暦すぎてもヨロちくび~!」チケット情報そもそも過去に3人の占い師から、60代で「結婚」「ラブ運上昇」「モテ期到来!」と3連チャンで太鼓判を押されたことが、今回の企画への後押しになったと明かす。「いくら胡散臭くても別々の場所で3人の占い師から『60歳から恋愛運が良い』って言われたら、当たるでしょ」。期待に胸膨らませながらも今作は「予行演習」であることを宣言。当日は新郎不在の壮大な“妄想披露宴”をド派手に執り行う。会場ごとに松尾貴史、青木隆治、柴田理恵ら多彩な顔ぶれが司会、主賓、友人として出席。観客も列席者という設定だ。「松崎しげるさんに『愛のメモリー』を歌っていただき、劇団の梅垣義明はナジャ・グランディーバさんというドラァグクイーンとタッグを組んで見せてくれます。他にも豪華メンバーによるあらゆる祝辞、あらゆるパフォーマンスをご覧いただくのがコンセプト。私自身も思いを込めてパフォーマンスさせていただきます」。公演チラシは、海辺をバックに純白のウエディングドレス姿の久本が微笑むデザイン。これまで「唯一縁がなかった雑誌」という結婚情報誌の表紙をイメージした。「憧れの『ゼクシィ』風です。メイク中は金髪のカール姿が『あれ、戸川昌子さんかな?私シャンソン歌手になってない!?』と心配でしたが、キレイに仕上げていただき満足しております(笑)」。実は50歳の時も、大阪では同様の記念舞台を上演している。「その時は、お客さんにも『60歳でほんまに結婚して赤いウエディングドレス姿で報告するから、みんなも披露宴に来てや~』と宣言してたのに、まさかのパート2。再び皆さんに祝っていただき、これからの人生の糧にしたい」と久本。それゆえ、観客巻き込み型のステージを楽しんでほしいとも。「50歳のときに母親が亡くなって、その時は何年か後に歌手のBOROさんに舞台で『大阪で生まれた女』を歌っていただき、天国の母に捧げたんですけど…。披露宴ですから、両親への感謝の気持ちも込めて、今回も何かできればいいなと。笑かしながらもグッと来て、ハッピーオーラ全開です!まずは地元大阪から一生に一度の披露宴を3公演もかましていくので、独身、カップル、ご家族連れの方まで元気になっていただければ。観に来た友人、親族も泣きながら楽しんでくれると思います(笑)」。公演は、9月22日(土)・23日(日)大阪・森ノ宮ピロティホール、9月29日(土)東京国際フォーラムホールC、11月3日(土・祝)・4日(日)京都劇場にて上演。地方公演あり。チケットは全国一斉6月30日(土)10:00より発売。一般発売に先駆け、6月29日(金)18:00まで大阪・京都公演の先行先着プリセール実施中。取材・文:石橋法子
2018年06月29日今、注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回は女優の松永有紗さんです。大舞台のヒロインを演じる運動神経抜群のアクティブガール!8月から公演の舞台『四月は君の嘘』で主演する松永さん。今の心境は?「舞台にも挑戦したいと思っていたとき、原作を読んでいた作品の主演が決まって本当に嬉しいです。大きな舞台は初めてなので緊張しますが、ワクワクしています!」。アイドル、モデルを経験し、現在女優として活躍している松永さんの今後の目標は?「石原さとみさんみたいに、いろんな役にハマる女優になりたいです。具体的には、青春モノの学園ドラマで、特技のバトントワリングが活かせる役を演じられたらいいな~!」派手な小物を集めるのが好き。イヤリング、サングラス、ネックレスなど。古着屋さんでよく購入します。見た目の可愛さで気分が上がるリップ。鮮やかなピンク、オレンジ、赤が多め。今は、ランコムが一番好きです♪空を眺めると、癒されるんです。一駅前で降りて、空を眺めながら歩くのが至福のとき。無心になれます。まつなが・ありさ1998年生まれ。女優の他、アイドルグループ「リンクSTAR‘s」でも活動中。主演する舞台『四月は君の嘘』は8月24日から東京で、9月7日から大阪で公演が始まる。※『anan』2017年8月9日号より。写真・土佐麻理子文・松下侑衣花(by anan編集部)
2017年08月07日芸能界随一の“親友”と言われる久本雅美と柴田理恵が11月10日(木)、女の友情を描いた映画『マイ・ベスト・フレンド』のトークイベントに登壇。36年にわたって培った友情について熱く語り合った。トニ・コレット&ドリュー・バリモアを主演の迎えた本作。性格や好みは違えど、なぜか子どもの頃に出会って以来、友情を築いてきた2人の女性が、結婚や乳がん、乳房切除手術、不妊治療の末の妊娠など、様々な人生のステージに向き合い、支え合い生きていくさまを描き出す。この日の試写会は「泣いてはいけない」と銘打って行われていたはずだが、久本さんは「ズルズルピーピーでした…」と大号泣したと明かし、柴田さんに至っては、映画開始15分で泣き始め、さらにこのトーク中も思い出して涙をぬぐうほど!劇団で出会って以来、36年にわたって女の友情を紡いできた2人の心をガッチリと鷲づかみにしたよう。これまでの2人の間の出来事で忘れられないことを尋ねると、柴田さんは、まだ売れずに六畳一間に住んでいた頃の思い出として「風邪をひいたときに雑炊を作ってくれたこと。金がない時なんだけど、ニンジン、椎茸、卵も入れてくれて…」としみじみと述懐。久本さんは「柴田と(柴田さんの)ダンナと3人で食事に行くんですけど、私がいつも真ん中に座るんですよ(笑)。家族みたいなもので“長女”になった気持ち」と笑う。この映画を観つつ「どっちかが先に死ぬんだろうって思いながら見てた」と久本さん。いつか、年を重ねてどっちかが先に逝ってしまったときは「泣いちゃうだろうけど、感謝の涙でおくると思います」とも。また、柴田さんが夫と暮らす家には、なんと、久本さんのための部屋があるという!柴田さんが家を作る際に、独身の久本さんを思い「老後が心配だから部屋を作った」というが、久本さんによると「窓なしの四畳半ですよ(笑)! (部屋を見て)絶対に結婚してやるって思った」とか。共に年齢を重ね、以前よりもケンカも減り「不満もないし、隠し事もない」という2人。最後は「お互いに長生きしましょ(笑)」と笑い合っていた。『マイ・ベスト・フレンド』は11月18日(金)より公開。(text:cinemacafe.net)
2016年11月11日フリーアナウンサーのみのもんたと、お笑いタレントの久本雅美がこのほど、都内のスタジオで、読売テレビ・日本テレビ系『カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW 10年目突入スペシャル!』(10月6日21:00~)の収録後に取材に応じ、みのから司会ぶりを絶賛された久本が「とりあえず、1回抱かれます(笑)」と熱視線を向けた。都道府県の県民性やご当地グルメなどを紹介する同番組は、2007年にスタートし、10月で10年目に突入。「10年目」について聞かれたみのは「あっという間」と感慨深げで、「久本さんにはずいぶんと助けてもらいました」としみじみ語った。みのは久本の魅力について「人の心をつかんで離さないすばらしい才能」と分析。そして「多くの司会者を知っているが、技術はすばらしくとも嫌味だと感じる人はたくさんいた。そういう司会者はだいたい消えていきますね」と得意の"みの節"を披露した。すかさず「厳しいな~」と久本が突っ込む中、みのは「とっておきの話をしましょうか?」と切り出した。同番組スタート当初、司会スタイルとして、みのがゲストに話を振る進行だったそうだが、みのは「2、3本目の収録あたりで、(久本の)間や緩急の自在さに天性のものを感じた。そこでスタッフに言って、(今の久本が回すやり方に)一瞬にして変えてもらったんです」と明かした。その理由は「その方がゲストもスタッフもみんな生き生きとできる」からだそうで、結果として周囲からよい評判を聞くようになったといい、みのは「(スタッフに進言した)僕の勝ちです」とニヤリ。これに久本は大照れで、あわてふためきつつも「何をしていいか分からない。とりあえず、1回抱かれます」とはぐらかし、会場は爆笑に包まれた。今回のスペシャルの見どころについて、大阪出身の久本は「また大阪が面白くさせまっせ」と得意満面の笑顔。みのはそのVTRを見て「初めて泣かされた」と告白し、「人間ドラマ(がすばらしい)。通天閣をそういう目で見る人もいたのかと…」と目を細めていた。この日のゲストには、田中美里、壇蜜、あき竹城、井森美幸、船越英一郎、萩原次春、横澤夏子、柴田理恵、羽場裕一、勝俣州和、千原せいじ、岡田圭右、武蔵、次長課長、陣内孝則、竹内力、ガレッジセール、具志堅用高、土田晃之を迎える。
2016年09月22日シドニー五輪で銅メダルを獲得した元競泳選手の田中雅美が17日、都内で行われたディズニー/ピクサー最新作『ファインディング・ドリー』(7月16日公開)の日本最速スペシャル・プレビューイベントに登壇。今夏開催されるリオデジャネイロ五輪で最も注目の競泳選手として、萩野公介の名前を挙げた。大ヒットを記録した『ファインディング・ニモ』の続編となる本作は、忘れんぼうのナンヨウハギのドリーが、カクレクマノミのニモ&マーリン親子と共に、家族を見つける冒険を繰り広げる物語。本作で田中は、水泳界から初めてのディズニー声優に抜てきされ、ドリーの家族の思い出につながるマカジキの声を演じる。マカジキをイメージして青のドレスを着たという田中は、「映像がきれい。実際に潜った感覚に近い…それ以上に夢が広がる映像。ニモとドリーも可愛くてワクワクが止まらない時間だった」と本作の感想を述べ、「驚きと喜びといっぱいになった。水泳界初のピクサー作品の声優だったので緊張もした」と声優の話を聞いた時の心境を告白。「一言だけど難しかった。ニュアンスとかトーンの大きさとか。10回以上トライした」とアフレコを振り返った。リオ五輪の話になると、「後輩たち…頼もしい水泳選手が出場します」と熱く話し出し、特に注目の選手について「萩野公介選手。『ドリー』に出てくる魚のように速い。すばらしいテクニックがある」と語り、「ドリーのように、夢とか目標というものにくじけそうになってもあきらめず泳ぎ切ってほしい」とエール。そんな萩野選手は、本作に登場する謎の協力者、タコのハンクに似ていると言い、「"どんなものにも自由に変えられる"というところで思った。萩野選手はバタフライもクロールも背負泳ぎも個人メドレーも全部速い。自由自在ということでハンク」と説明した。冒険心あふれる男の子・ニモに似ているのは、五輪2大会連続2冠という偉業を達成した「北島康介」だと言い、「明るくて、えらぶらない、人を大事にする人。アテネの時には、一番期待されていたにも関わらず、チームのミーティングでギャグをしたり、泳ぐ背中も後輩に伝えるだけでなく、リフレッシュもさせる…チームも中心だったのでニモ」と説明。本作の主人公、忘れん坊で明るい楽天家・ドリーについては、「(バルセロナ五輪金メダリストの)岩崎恭子ちゃん。『最近物忘れ激しい』って言っていたのもありますが、恭子ちゃんは心が強くて明るい。楽天家というより前向き」と語った。自身については、泳ぎが苦手なジンベエザメのデスティニーだと言い、「現役時代、練習中に壁に頭をぶつけたことがある。また、身体がものすごく大きい選手だったので」と照れ笑い。イベントの中で、シドニー五輪で獲得した銅メダルもお披露目した。
2016年06月17日手塚治虫が死の縁まで綴っていた日記の一節を原案に映画化をした『トイレのピエタ』。公開を前日に控えた5日(金)、タワーレコード渋谷店にて松永大司監督と杉咲花さんがトークショーを行った。実は今回が初対談ということで、監督から「二人だと嫌だって言われると怖いな」というと、杉咲さんからすかさず「これ、楽屋でも言われたんですけど、本当にやめて欲しいな、って思っています」と突っ込みが。すると監督は監督で、「泣かされたって杉咲が色々なところで言っていますけど、虚像ですよ、虚像!」と報道を否定。それを聞き、不服そうな杉咲さんの可愛らしい姿に、会場は温かい笑いで包まれた。本作では、パワフルな役を演じた杉咲さんだったが、オーディションでの初対面では、びっくりするほど声が小さく「この子はないだろうな」って思ったと監督が激白。とはいえ、芝居をした瞬間からのパワーがものすごく、そのギャップに惚れ込み、1年間オーディションを行ったとはいうものの、即決だったそうだ。一方で、監督との思い出はやっぱり泣かされたことですか?とMCから尋ねられた杉咲さんは「そうですね。泣かされたことですね」と応答。「監督の第一印象は、すごく大きくて、前髪が斜めだな、って…」というと会場からは笑いと拍手が起こり、「おいおい、拍手が起こっているじゃないかお前!」と監督が苦笑。お互い信頼関係を持ちながら、すっかり打ち解けている様子だった。完成作品を観た杉咲さんは「監督からの最高のプレゼントだなと思いました。凄いものに出逢ってしまったからこそ、ピエタを超えるものを創らないといけいと思いました」と絶賛。また本作は、「RADWIMPS」の野田洋次郎さんが映画初主演を務めるということでも話題を集めている。杉咲さんは、野田さんについて「ずっと宏(本作での役名)でした。とにかく冷静で繊細で気がついたらみんなが宏を見ているような素晴らしい方でした」と魅力を話した。小説としても楽しめるこの作品について、監督は「理想は、映画を観て、本を読んで、また映画を観てもらいたいです。杉咲花という少女のようなあどけない時から、女の子に変わっていく貴重な過程を収めさせてもらったので、ドキュメンタリーとしても是非味わって欲しいです」とPRをした。『トイレのピエタ』は6月6日(土)より 新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:トイレのピエタ 2015年6月6日より新宿ピカデリーほか全国にて公開(C) 2015「トイレのピエタ」製作委員会
2015年06月05日いまや老舗劇団として、また久本雅美や柴田理恵、佐藤正宏、梅垣義明など人気者が多数所属することでも知られるWAHAHA本舗。4月14日に東京・日本青年館で開幕した舞台『ミラクル』は、結成28年を経てなお攻め続けるWAHAHA本舗の底力を見せつけるものだった。WAHAHA本舗全体公演「ミラクル」チケット情報2006年の『NHK紅白歌合戦』で話題になった裸タイツをはじめ、梅ちゃん(梅垣)のシャンソンコーナーや、2009年入団の正司歌江、2010年入団のアジャ・コングが華を添えるネタもの、久本と柴田のここでしか見られない漫才など、その内容はバカバカしさとシモネタ満載。頭をカラッポにして思いきり笑えるステージだ。そして今回、『ミラクル』と銘打たれた公演のテーマは、なんと「祈り」。あの“大物歌手”のナレーションで幕が上がると、白いエンビ服を着た劇団員がズラリと登場。いつもなら、平均年齢45歳という彼らが必死に踊るダンスに笑うのだが、今回はなにやら違う様子だ。静かに流れ出す曲は、60年代のヒット曲『アクエリアス~レット・ザ・サンシャイン・イン』。全身で想いを表すような激しいダンスに笑顔はない。途中から座長・大久保ノブオが東日本大震災での記憶を、叫ぶように曲に重ねてゆく。元は若者たちの葛藤を描いた名作ミュージカル『ヘアー』のナンバー。思いがけず胸が詰まるような気持ちになるなか、オープニングが終わった。あえてストレートにこのシーンで始めたかったという、作・演出の喰始の言葉が大久保から紹介された後は、久本と柴田のMCも加わっていつもの“最高にくだらない”ステージに突入!その一発目が10年ぶりの復活演目だという「ハダカ影絵」なのだから、改めて振り幅の広さに笑ってしまった。全裸になった男性陣が、巨大な布の向こうで下半身(前張りナシ)を存分に利用した影絵を披露。プリミティブアートのような大らかさに、恥ずかしそうにしていた女性客も思わず爆笑。その後も趣向を凝らしたコーナーが20種ほど、10分の休憩を挟んで3時間たっぷり続く。意外にも本公演では初めてという、梅ちゃんが豆を鼻から飛ばしながら歌う『ろくでなし』や、久本のツッコミと柴田のボケが冴え渡るヘビメタ漫才、裸タイツの女性キャストと女装着物姿で日舞を舞う男性キャストのコラボなど、笑いの連打に客席も大喜び。中でも“綾小路ひさまろ”(久本)の独り身女性漫談は、テレビで見かけるそれ以上にひねりが効いて秀逸。お客様のリアルな不幸エピソードを読み上げ、客席まで行って励ますミニコーナーと共に、“バカでもダメでもいいじゃない”という弱者への共感とエールが、ひしひしと伝わってきた。公演は4月21日(土)の東京・オリンパスホール八王子、6月15日(金)から24日(日)まで東京・天王洲銀河劇場ほか、全国各地で7月8日(日)まで開催。チケットは一部を除き発売中。取材・文:佐藤さくら
2012年04月19日