トップライター:竹内 ナナ長期休暇明けの初登校の日、事件は起きました。ひさびさの学校なのに、午前中は通常授業、体育はプール、午後はマラソン大会の予選、部活もあるという、盛りだくさんの時間割です。教科書にプールバッグ、体操着、テニスラケット、さらにロッカーに入れる大きな箱まで持っていかなかくてはいけないので、「わたしが学校まで運ぼうか?」という話を前の晩からしていたのですが……。ハルキの言動にイライラが爆発!当日朝になっても、「持っていけるかな、どうしようかな」と決められずにいるようです。わたしも仕事で8時30分には家を出るので、学校に行くなら猛スピードで準備しないといけないのに……。(早く決めてよ!)と心のなかで思っていたところに、今度は学校のマラソン大会のへ不安をつぶやき始めたハルキ。「最近走ってないから無理かな」「手抜きでいいか」ときどき父親とランニングをしているのですが、部活が始まってからは時間がとれず、ほとんどできずにいました。ハルキは自分が不利になると、ネガティブなことを口にする傾向があり、わたしは以前からそれが気になっていました。「なんでも、うまくいくことばかりじゃないの」「いい結果が出せそうになくても、そのときの出せる力でやってみるとか、ときにはやり過ごすことだって必要なんだよ」「自分が不利になると言い訳するのはカッコ悪い」「そういう考え方が大嫌いだ~~~~~」(×2回リピート)わたしが荷物を運んだほうがいいかの返事を聞きたかったところに、そんな言い訳がましい話をされたので、イライラが爆発してしまったのです。その直後は「ひどい……」とだけ言って身支度を続けたハルキ。数分後、わたしのところに歩み寄ってきて「こんなに心臓がドキドキするのはどうしてだろう」と力なくつぶやきます。ハルキの胸に手を当ててみると、ドクンドクンと大きな鼓動を感じます。「ほんとだ……」とわたし。そして、大きな荷物を前とうしろに抱え、ふて腐れた顔で登校してしていきました。先生が大きな声で叱らない理由動悸がしたまま、泳いで、マラソンをして、部活をやったらどうなってしまうんだろう。急に不安になり、学校へ電話。担任の先生が不在だったので、同じ学年の先生に朝のできごとを正直に話し「具合が悪そうだったら、運動はさせないでほしい」と伝えました。仕事に向かう途中、担任の先生が携帯に電話をくれ、「電話をもらう前に、ちょうどハルキ君と話していたのですが、いつも通り元気でしたよ。自律神経のバランスがちょっと崩れたんでしょうね。お母さんから電話があったことを伝えて、『具合が悪かったら先生に言うんだよ』と伝えましたから」と言ってくれました。先生のこの言葉にどれだけほっとしたことか。わたしの言葉は、ハルキが動悸を起こしてしまうくらいひどいものだったのか。「大嫌いだ~~~~~」がハルキの中でリフレインしたんだろうな……。ハルキがじゃなくて、考え方がだよ、と心のなかでつぶやいてみる。いつも注意をするときは、叱るというより、感情的になってしまうわたし。これから思春期に入り、親の言うことも聞き入れにくくなるだろうし、わたしがこんなことではいけないと、さすがに反省しました。口ではうまく伝えられない気がして、ハルキに手紙を書きました。感情的に叱ってしまうことを謝り、これからはもっと言葉を選ぶことを約束しました。部活を終え、帰宅したハルキ。心配をよそに、いつも通り元気なようすでした。わたしの手紙を読み終えると、「うん」と一言。「先生、なんて言ってた?」「ん?『ケンカしたの?』って」ハルキは、担任の先生をとても信頼しています。先生のクラスになり、はじめて叱られたとき、先生は叱るときに大きな声は出さない長い時間は叱らない人と比べないと言っていたそうです。大きな声で叱ると、子どもは、怒鳴られるからやってはいけないと思ってしまうからだそうです。その通りです。育児書にもそう書いてあります。でも、いざとなると感情的になってしまうんです、母は……。担任の先生は、わたしと同世代だと思います。先生にとって、たとえそれが仕事だとしても、実践できているということはやっぱり立派です。「先生を見習おう。次に大きな声で叱りそうになったら、とりあえずトイレにかけこんで、深呼吸してみよう!」と、心に誓ったのでした。ナナ竹内(たけうちなな)夫と息子との3人暮らし。神奈川県在住。出版社勤務を経て、フリーランスのライターに。息子がテニスを始めたのを機に、自分もスクールに通って、基礎をきちんと学びたいと思う今日このごろ。青空の下、家族でテニスを楽しみたい。
2018年11月14日スーパー銭湯や温泉など家以外の入浴場では、「男女が混浴できる年齢」は各都道府県の条例で定められています。例えば、東京都の条例では「10歳以上の男女を混浴させないこと」と決まっているそう。では、おうちの毎日のお風呂はどうでしょうか? パパママ世代にいつまで子どもと一緒にお風呂に入るかを聞いてみました。Q.お子さんと何歳まで一緒にお風呂に入る?1.5歳まで 4.9%2.6歳まで 5.3%3.7歳まで 6.9%4.8歳まで 9.0%5.9歳まで 7.7%6.10歳まで 21.2%7.その他 44.9%一番多かったのが「その他」で44.9%。子どもが一緒に入りたくないと言ったとき、親側が一緒に入るのをためらうときなど、お風呂をいつまで入るかは、子どもの年齢では決められない問題でもあるようです。また子どもの性別、親と同性か異性かによってもだいぶその答えは違ってくるよう。■本人が一緒に入りたくなくなったときに卒業!?年齢などで親が決めるというよりは、本人次第というのがもっとも多い意見でした。でも、ある日突然子どもに「お風呂独立宣言」をされることを想像すると、それはそれでショックかも。「小5ですがまだ一緒に入っています。いつまで…? 親離れの時期が来れば自然となるのでは?」(栃木県 40代男性)「子どもが『嫌だ』と言い始めるまでですかねー。とくに決めていませんが、そういう時期が来れば言わずとも、お互いに雰囲気で察するのではないかと思っています。あまり意識し過ぎるのもかえって変に意識してしまうような気がするので」(神奈川県 40代女性)「ときどき思います、いつまでがいいんだろうって。子どもは男の子です。シングルマザーなので、生まれたときからママと一緒です。私が朝から夜まで仕事のため、あまり一緒にいる時間がないため、寂しさからかまだお風呂も一緒に入りたがります」(茨城県 30代女性)「子どもが『1人で入りたい』と言うまでかなと思っています。9歳の娘ですが、髪を一人では洗えないので、早くできるようになってほしい。父親ともまだ一緒に入っていますが、髪も体も父親に洗わせています。『おまえは女王さまか!』と母は毎日思っています」(千葉県 40代女性)「娘が嫌がるまではいいのかなとのんきに構えています。近くの温泉は、男風呂には10歳までとなっているので、それくらいからはお母ちゃんとかなと思うと寂しいかな」(神奈川県 40代男性)■ママと息子のお風呂事情の傾向親と子どもが異性の場合、とくに母と息子という組み合わせでは、小学校低学年ごろにお風呂は別々に入る雰囲気が訪れることもあるよう。また、歳の近い同性の兄弟がいる場合は、子ども同士となるようです。小学4年生の林間学校を機会に一人で入る練習をする子もいました。「男の子は3年生くらいまで。女の子だったら母親とは無制限ですが、わが家では2年生から1人で入っています。男の子は裸をあまり気にしていませんが、一応プライベートゾーンは誰でもみんな大事にするよう、それとなく教えています」(東京都 40代女性)「幼稚園児くらいまでは一緒に入っていたような気がします。でも、男の子なので旦那がいるときは旦那の仕事でした。小学生になるころには、兄弟2人で入っていました」(福島県 40代女性)「息子とは小学生になるときに一緒に入らなくなりました。兄弟で入っていたこともありましたが、高学年になるとそれもなくなりました」(神奈川県 40代女性)「10歳のときに私がもう無理でやめました。家のお風呂は狭いし、そろそろお年頃かなと思って。同性ならいつまでもアリでしょうね」(滋賀県 30代女性)■ママと娘、パパと息子ならお風呂は相談タイムに有効!母と娘もしくは父と息子という組み合わせの場合には、年齢は関係なくずっと一緒にお風呂に入っているというおうちも多くあるようです。お風呂の中で相談事をするというのは、あるある話。心も裸になれるということかもしれませんね。「中1の娘とはゆっくり話せるから、だいたい一緒に入ります。いま、高1の息子は何歳までだったかな? 覚えていませんが、息子も夫も素っ裸でお風呂から出てきます」(神奈川県 40代女性)「自然に…と思っていたら、長男は6年生まで、次男は中1まで一緒に入っていました。現在中1の娘はまだ一緒に入ります。ちなみに高3の息子は、話があるときはお父さんが入っているところへ入って行ったりします」(神奈川県 40代女性)「16歳、13歳の娘がいます。毎日ではないですが、一緒に入ります。本人たちが嫌がらないし、お風呂では父親に言えない相談を聞いています。お風呂以外でする会話より深い話も聞けます」(広島県 40代女性)Q.お子さんと何歳まで一緒にお風呂に入る?アンケート回答数:5234件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2018年10月02日反抗期?暑さのせい?息子の理不尽クレームに真夏の親子バトル勃発!Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみこの夏、例年にも増して私への反抗、八つ当たりがひどかった息子・リク。思春期の高校生ってこんなもん?高次脳機能障害の影響で苛立ちやすくなってる?でも、どんな理由であろうが母も人間ですから、イラッときます(ましてや今年の猛暑…!)やれ洗濯が終わってない、やれ弁当のおかずが足りないとか、ことあるごとに突っかかってきて、親子バトルが勃発…!という日々。そんなある日、友だちと試験勉強をするということで、リクの友人たちが集まってきました。そうはいっても、「高校生の勉強会なんて、どうせ脱線しているだろう」と思いつつ、飲み物を部屋に運んでいきました。「そんなバカな…!」と思ったのは母の心が汚れているから?Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみ驚いたことに、真面目に試験勉強に勤しんでいるではありませんか!疑ってごめんよ、リク…。Upload By ひらたともみリクは私にはよく八つ当たりしてくるのですが、よそでは精一杯頑張っているのか、みんなに「いい息子」としてうつるようです(確かに、悪い息子ではありませんけどね~)。「反抗期なのか中2病なのか、はたまたくも膜下出血の後遺症である高次脳機能障害のせいなのか?何か思い通りにならないことがある?無理をしていて気が休まらない?」以前は、リクがむしゃくしゃする度に、なにかと「理由」を見つけようとしていましたが、最近はそれを考えるのも嫌になってきました。ざっくり言えば「そういう年頃」この一言が一番しっくりきます。もともとLDがあり、高校受験の直前に事故で高次脳機能障害に。障害ゆえに苦労してきたリクの姿も見てきているからこそ、親としてついついいろいろ考えすぎてしまっていたのかもしれません。リクも、もう高校生。親の私も、もう少し「鈍感力」や「スルー力」を身につけていい頃合いでしょうか。まだまだ修行が足りません(笑)
2018年09月20日ADHD息子、”ひとつの公園で満足”はありえないUpload By かなしろにゃんこ。ADHDがある息子の外遊びはハードでした。落ち着きがなく好奇心いっぱい、自由奔放にあちこち動きまわるので、追いかけるのが大変。言葉が分かるようになっても、3歳~5歳ごろまでは「勝手に行かないでー」と言ってもいうことなんて聞きません。道路に飛び出す前に「止まってー!」と叫んでも止まるなんてことはしません。急いで捕まえて命を守らないといけないので、常にヒヤヒヤしていました。公園に行っても一通り遊具を触ると「別の公園に行こう」。飽きっぽいのか?遊具を触れば「公園チェックをコンプリートした」という気持ちになるのか?次から次へと違う場所に行きたがり、ついてまわるので精一杯。毎日へとへとでした。このころはまだ発達障害と診断される前でしたが…興味があちこちに移りすぎること、衝動性があることはあきらかでした。でも、それを「いけないこと」とは思いませんでした。外遊びにつき合うのはヘトヘトでしたが、元気があって何にでも好奇心が湧く、いい特性だと思っていました。たっぷり遊んで欲しいけど、疲労困憊の毎日だったUpload By かなしろにゃんこ。それに、しっかり遊ばせないと、夕方や夜中にイライラしたりぐずったりしてしまいます。だから、外遊びは息子のやりたいようにやらせることにしていました。とはいえ、夜中に漫画やイラストの仕事をしていた私は、昼間に2~3時間の外遊びタイムがツラくてしょうがなかったのも事実です。おしゃべりできないから、ママ友ができないUpload By かなしろにゃんこ。さらに!息子を追いかけて走りまわっていると、ママ友がつくれません(涙)明るくて優しそうなママが折角話しかけてくれても、短いお返事をしながら走り去らなくてはいけません。会話にならないので親しくなれるわけもなく…私たち親子はいつも2人きりでいるしかなかったのでした。孤独だな~なんて思うこともありましたが、息子が明るくおしゃべりだったので、息子との思い出がいっぱいつくれたから今はアレでよかったかな!って思っています。ワクワクを見つける達人Upload By かなしろにゃんこ。育てていくうちに「こういう子は落ち着きのないことがいいこと」なんだって分かってきました。行きたいところへ行って、見たいものを見て、いつも新しい刺激を受けるのがADHDがある子の特性。20歳になった今も絶えず新しい刺激を求める生活をしています。楽しいイベントをいくつも企画して、頭の中は複数のことをいつもいろいろ考えているそうです。たまに企画の段取りがごちゃごちゃになって困るらしいのですが…イベントの予定日まで、ワクワクした気持ちで過ごせるそうです。ワクワクがないと、別の公園に行きたがった子ども時代のように、ワクワクを探しにフラフラ歩きまわるのかもしれませんね。好奇心旺盛でいつもワクワクを見つけている息子、人生を楽しんでいるなぁ!ってこちらまで幸せな気持ちにさせてくれます。
2018年08月22日人生の岐路!?中3夏の三者面談息子が中学校にあがるとき、私の一番の不安は、教科ごとに先生が変わるということでした。Upload By ひらたともみ小学校のときは担任の先生にLDの理解を得ることが出来ており、本人も困ったことがあれば気軽にサポートを受けることができました。たとえばグループ活動での授業や理解の難しい連絡事項などは、家庭宛てに担任が一筆メモをしてくれていたので、目立った大きな失敗もなく卒業することができたのです。ですが中学校で関わる先生は担任ばかりとはいきません。担任以外に教科ごとの先生にLDのことをお話したほうがいいのだろうか、部活の顧問の先生にもサポートを頼んだ方がいいのだろうかと悩みました。Upload By ひらたともみ結局私は毎年担任の先生にLDについての理解を求めるだけにとどめたのですが、3年間、すべての担任の先生に恵まれ、学校ぐるみで理解を示してくださり、息子リクは、ずっと普通クラスに在籍し、大好きな部活もこの夏の引退まで続けることができました。そしてLDっ子が高校生になれるか否かの大事な三者面談が、この夏行われました。家でほとんどリクが勉強している姿を見たことがない私は、高校進学は諦める方向を打診されるんではないかとビクビクしながら行ってきたのです。想像の斜め上を聞かされた母、唖然呆然…リクの担任は女性。もちろんLDについての理解もあるので、なにかと頼りになる存在です。そしていきなり、受験生らしい核心にふれた話になったのですが…Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみいろいろとショックな三者面談でした…。家ではあまり勉強する姿を見たことがないし、それどころか、たぶん課題も出せない(できないから…)のだろうと勝手に考えていたのです。リクの性格は温和ですが、思春期真っ只中ということもあって、母親には学校での出来事など話さなくなりました。よく勉強し、クラスの頼れる存在なんて、自分の耳を疑いましたが、中3になってからリクに学習意欲がでてきたことは、心から嬉しく、そして先生方や周囲に恵まれてきたことに、心から感謝した一日でした。
2017年09月30日中学校で、喧嘩ばっかりする日々ADHDのある息子リュウ太は、小さいときから周りの人にちょっかいを出されると途端にイライラ爆発してしまう傾向がありました。中学生になってもイライラ気質は相変わらず。良くも悪くも目立つから周りからケンカを吹っかけられやすく、ヒドイ喧嘩へと発展していました。Upload By かなしろにゃんこ。そんなことが頻繁になってくるにつれ「イライラする自分は少しオカシイのではないか、カウンセリングをうけたほうがいいのか」と、母に相談してきたことがあったのです。それならばと、カウンセリングをすすめてみるものの…Upload By かなしろにゃんこ。息子の口から「カウンセリングに行った方がいいのかな?」と言われたので、良い機会だと思い、具体的に考えてみました。思春期はイライラしやすいものなのだろうけれど、私は心理士でもなんでもないので、素人が答える内容にも限界があります。ですからプロのカウンセラーに相談してみようよ!と素直に促してみたのですが…いざ行動に移そうとすると、息子は二の足を踏むのです。「こんな自分の悩みを大人が聞いてくれるわけがない、下らない小さい悩みとバカにされるかもしれないから言いたくない。」カウンセリングを拒否するのはざっとこんな理由でした。「プロはどんな悩みでもうまくリードして聞いてくれるから大丈夫よ!」とその気になるように明るく誘っても、知らない人に何を話していいのか分からないからやっぱり行かない!」と拒否。結局、息子のイライラは私にぶつけられ週3日はグチを聞かされました…。話終わると息子はスッキリするのですが私は逆にイヤ~な思いを抱えてしまいます。連日一方的に話を聞かされると少しずつ受け止められなくなって「今は私にグチを言わないで!」と拒否した日もあります。すると物にあたり散らしてストレスを発散するのですが、その姿を見るのもグチを聞かされるくらいイヤなことです。今更ながら「スクールカウンセラー」っていうのがあるの?Upload By かなしろにゃんこ。街中のカウンセリングが無理なら、他に気軽に相談できるとことはないだろうか?調べると「スクールカウンセラー」という専門家がいることがわかりました。息子の学校にも巡回で来ているので、相談できる機会がありそう!そこで息子に、スクールカウンセラーに相談したら?と提案してみました。しかし、いくら学校で会うことができる先生であっても、親近感が無く「どう話しかけたらいいかわからない」と…また振り出しに戻り、ナシのつぶてです。確かに、「スクールカウンセラー」なんて自分の子どもの頃には学校にはいなかったし、相談するイメージも湧きません。渋る息子の背中をポンと押してあげることは、出来なかったのです。母親の私にとっても、専門家へ相談するというのは思った以上に心のハードルが高い事なんだなと改めて思いました。Upload By かなしろにゃんこ。私が相談相手になってあげていれば大丈夫!と肝っ玉母さん精神でここまで乗り切ってきましたが、反抗期にさしかかると、母にはキャパオーバーなこともいっぱいあります。私だって「これでよかったのかな?」と思うこともあり、煮え切らない気持ちを悶々と抱えながら「発達障害に詳しいカウンセラーに一切合財全てお願いしてしまいたい!」と、半ば投げやりな気持ちになることだってあるのです。専門家へ相談することへの心のハードルが高かった私は、ここにきて「子どもが小さいときから定期的に専門家に関わっていればよかったのかなー」とちょっぴり後悔したのでした。反抗期のときこそ、親も子も相談者は必要なのかもしれませんね。
2017年08月22日旅行があったのに、バイト代をつかい込んでしまった息子…Upload By かなしろにゃんこ。8月の猛暑の中、息子は「自宅から80キロ離れた海のキャンプ場まで友だちと数人で自転車で出掛ける」という約束をしてきました。出かける日が近くなってから、念のため所持金はいくらかとたずねると、なんとバイト代の残りは1万円だけというのです。Upload By かなしろにゃんこ。2泊3日のキャンプ代や食事代などの費用が1万円では足りなくなるから電車で行ったほうがいいよ!と促したのですが、電車代がかかるから自転車で行くのだし、この旅は自転車を楽しむための旅だといってききません。言い出したらきかない特性も理解していましたし、これも社会勉強だと思い、好きに行かせることにしました。真夜中のキャンプ場から、案の定SOSの電話Upload By かなしろにゃんこ。楽しそうに仕度をして元気よく出掛けた息子でしたが、案の定、道に迷ったり体力が尽きてきたりしてキャンプ場に着いたのは夜中。日中は猛暑で汗だくになり水分補給に所持金をほとんどドリンク代に遣ってしまったと電話がありました。お金を貸してください、あさイチで口座に振り込んでください!という相談の連絡でした。お金足りるわけないっしょ!こうなることは分かっていたので私はニヤリ☆息子にとって、この旅はいい経験になるかもしれない!と思いました。「可愛い子には旅をさせよ」とはよく言ったものです。友達と過ごしたかけがえのない夏の日。少しだけ大人になったかな~。電車で行ったほうが費用はかからなかったのですが、道に迷いながら雨に打たれたりして友だちと励ましながら目的地に着くという経験ができました。自転車の旅を選んで正解だったと感じました。予定外のハプニングの攻略やハプニングを楽しむ心の余裕も生まれたのではないかと思いました。母の願い通り、道に迷ったことも、蒸し暑い湿気の多いテントで眠ることも、トイレに虫がいっぱいだったことも、友だちと経験することで新鮮に受け入れていたようでした。Upload By かなしろにゃんこ。帰ってきてから「不自由なことが楽しかった」と息子は言います、少し大人になった感じがありました。ただ、替えの靴下を持っていかなかったため、雨で濡れた靴下をくり返し履くことになったことだけが辛かったそうな。「靴下を買うという思考にはならなかったの?」と聞くと「そうか!そういうこともできたね!」と気が付いたようでした(笑)「我慢するくらいなら靴下なんとかしよう!」とまでは考えられないところがまだちょっと幼いかな。
2017年05月16日反抗期ど真ん中!ナイフのような息子とまともに話すことなんて…Upload By かなしろにゃんこ。気性の荒いADHDがある息子。中2の頃は口を開けば反抗的で悪たれをついて、親の言うことはなに一つまともに聞いてはくれなかったです。荒くれ息子が、突然頭を下げて相談してきた!Upload By かなしろにゃんこ。あるとき、絵を教えてほしい、人物を描けるようになりたいと相談されました。絵を描く仕事をしている私は、息子の図工の作品を見て驚き!!まるで絵心がない!!息子は人間が描けません。それがコンプレックスになり人間の絵をなるべく描かずに避けてきたのです。息子のチャレンジ精神は嬉しいのですが、描けるようになるには時間がかかりそうだと感じました。正直、道のりは長く険しそうだ…。なんで突然「絵が描きたい」なの?Upload By かなしろにゃんこ。息子が、苦手なはずの「絵を描くこと」に挑戦しようと思ったきっかけは、同じクラスの女の子でした。我家は異性の話はオープンに交わす家庭なので好きな女の子の話を聞いてみると、どうもその女の子と重なり、好きなのかな?と思わせる話しぶりでした。マンガのキャラクターを描くのが上手な女の子のようで、その子と同じ趣味の話ができるように絵も上手になりたいと考え、できたら頭を下げたくない母親の私に相談してきたのでした。全身全霊かたむけて母の話を聞いてくれている…Upload By かなしろにゃんこ。絵の描き方を一から教えていきました。人間の体をバランスよく描くコツの話を「うん!うん!」と一生懸命聞いて覚えていきました。そして細かく指摘されながら直し直し、人間の絵を描けたときの息子は嬉しそうでした。「もっと早くお母さんに教わっておけばよかったな~」と言います。教えたって反抗して聞いてはくれないじゃないの!と内心思いますが…笑女の子がきっかけで息子の新たなライフワークが生まれた瞬間でした。着々と師弟関係築いています(笑)Upload By かなしろにゃんこ。それから絵にどっぷりハマっていった息子は、少しずつ絵の練習を積み重ねて、まぁまぁ描けるようになっていきました。たまに私に「こんなに描けるようになったぜ!」と自慢に見せにきますが、私は少しだけ褒めた後に体のバランスの悪い部分を細かく突っ込んで注意して赤ペンで添削をして返します。もっと上手になってほしいので厳しく言いたくなってしまうんです、これは親心でしょうね…。息子は自信があったのに私があまり褒めないので「そう言われると思った…」と悔しそうにします。母に宣言した将来の夢小学校のときの絵に比べたら上達したとは思いますが、息子が目指すところはもっと高いところでした。高校生のときに「漫画家になりたい」と言い出しました。私は反対しましたが、この4年間あまりコツコツ絵の練習する根気を見ていたら、この子がこんなに飽きないでやれるってことは、本物なのかしら?と思えてきました。4年後学校を卒業してもまだ絵を続けていたのなら漫画の構成や描き方を伝えていこうかな~と、反対ばかりせず応援しようかと考えています。風景画も練習中です。Upload By かなしろにゃんこ。
2017年04月18日女優・沢尻エリカが“母親役”に挑戦。小池栄子と板谷由夏らを共演に迎え、3人の女性が傷つきながらも「母になる」までを描いていく新水曜ドラマ「母になる」が、4月12日(水)今夜から放送開始となる。2001年春、両親を亡くし北海道から単身上京した主人公の柏崎結衣は、勤め先の書店で大学講師の柏崎陽一と出会い、やがて結衣が息子をお腹に宿したことをきっかけに2人は結婚する。結衣は陽一の母、里恵からも温かく迎えられ、陽一の上司である西原太治教授もキャリアウーマンの莉沙子とできちゃった結婚すると宣言。結衣と莉沙子は母親になる不安を抱えつつ励まし合う。そして、連続幼児連れ去り事件が世間を騒がしていた2008年、息子・広が3歳の春。いつものように幼稚園へ迎えにいったある日、目を離した一瞬の隙に広は姿を消す。同じころとあるアパートに暮らすOLの門倉麻子は隣の部屋の様子に不審を抱き、ドアを開けてのぞきこむと…。沢尻さんが演じる主人公・柏崎結衣は、北海道出身で19歳で上京、勤め先の書店で出会った大学講師との間に息子“広(コウ)”を宿したことをきっかけに結婚するが、その後、息子が誘拐され夫とも離婚、いまは一人でひっそりと暮らしている。そして9年間の空白を経て結衣のもとに戻ってきた息子が母と慕う女性・門倉麻子を小池さんが、結衣と同じくできちゃった結婚したキャリアウーマンで、結衣の息子が行方不明になった後も結衣を励ますママ友の西原莉沙子を板谷さんが演じる。人工知能の研究をしている大学の准教授だったが、息子の誘拐事件後ひきこもってしまう結衣の元夫・柏崎陽一には藤木直人。広と結衣が親子であることを突き止め再会に尽力する児童福祉士の木野愁平に中島裕翔。13歳になって母の元に帰ってくる結衣の息子・広には関西ジャニーズJr.の道枝駿佑。そのほか高橋メアリージュンらが出演する。また主題歌を安室奈美恵が担当。「かけがえのない存在を想う無償の愛、そしてその愛から芽生える真の強さを歌いました」という主題歌「Just You and I」にも注目だ。誘拐され一度は離れ離れになった家族。9年の月日を経て13歳になった息子が再び現れたとき、一度壊れた家族は再生できるのか?母親になるとは?家族になるとは?「母になる」は4月12日(水)22時~日本テレビ系で放送開始。(笠緒)
2017年04月12日俳優のジョージ・クルーニー(55)の母ニーナが、息子夫妻に男の子と女の子の双子が誕生予定であることを認めた。先週親しい友人を通して妻アマル(39)との間に双子が6月に生まれる予定であることを発表していたジョージだが、今回ジョージの母ニーナが子供の性別が男の子と女の子であることをヴォーグ誌に伝えた。「男女一人ずつよ! 男の子と女の子! 私はそう伝えられたわよ」ジョージの姉アデリアには娘と息子がおり、ニーナと夫ニックにはすでに孫が2人いるが、ニーナは「なんて素晴らしいことなんでしょう! 私と夫はとてもワクワクしているわ」と、ジョージとアマルにとって初めての子供となる新たな孫の誕生をとても楽しみにしている様子。また、ジョージとアマルが一緒に妊娠の報告をするためにニーナとニックの下を訪れていたことも明かした。その一方である関係者は以前、ジョージは新しい家族の誕生を楽しみにしているが、その反面不安も感じているようだと語っていた。「ジョージは楽しみにしている一方で不安もあるようですね。子供が生まれてくることについてはワクワクしているのですが、親になるということへの不安を感じているようです」「アマルは間違いなく素晴らしい母親になると思いますよ。賢くて、愛にあふれていて、面白くて、スマートで、思いやりの心を持った女性ですからね」(C)BANG Media International
2017年02月20日中2の息子の甘え方=母にハグを求める!?出典 : アスペルガー症候群の息子は現在中学2年生。知的な遅れもなく、言語も達者。コミニケーションに問題を抱えながらも通常学級で学んでいます。身長は両親を追い越し、170センチを超えています。そんな年頃の息子ですが、思春期によくある反抗的な態度は一切なく、それどころか母親の私にべったり。さすがに「抱っこして」とは言いにくいのでしょうか、ときどき「ハグして」と言ってきます。こんな中学生をみなさんはどう思いますか?大きすぎてもはや抱き上げる事はできないので、やや引き気味な気持ちを抑え、膝枕をしたりマッサージをしたり、私はなるべく息子の要求に応えています。そこまでして私が息子の「ハグ」に応える理由、そこには母親としてちょっと切実な気持ちがあるのです。実はとってもドライだった息子。愛情を求めるようになったのは小4の頃でした出典 : 今でこそ、素直に母親に甘えてくる息子ですが、幼い頃の息子は今と全く違いました。むしろ私に対してドライな子どもに見えました。抱っこを求めることも後追いもなく、迷子になっても泣くことすらしない息子を前に、母親としての自信を失いかけたことも。弟が生まれた時期に、入院するほど大きく体調を崩したこともありましたが、それでも抱っこを求めることは、ほとんどありませんでした。その後、パニックを頻発するようになり、自分の感情を泣いて暴れるという形で出す変化はありましたが、甘えてくることはありませんでした。息子の方から私に抱っこを求めてくるようになったのは、息子が4年生になった頃です。6歳年下の弟にやきもちを焼き、私の膝の上に割り込んできたり、もっと自分を見て欲しいというアピールをしたり、それはまるで遅れてやってきた赤ちゃん返りの様でした。年齢にそぐわない、しかもあまりの変貌ぶりに戸惑いもありました。しかし、やっと出てきた息子の要求に、戸惑いつつも私は受け入れることにしたのです。赤ちゃん返りした息子を見て実感した、母としての喜び出典 : 息子はなぜ急に、赤ちゃん返りしたのでしょうか?私はこれまでの子育てを振り返り、あることに気付きました。発達障害と診断された当時、会話はできても自分の気持ちを言葉にできなかった息子。その頃、パニックを起こしては体調を崩していました。今思えば、抱えきれない心の重荷が言葉にできず、ストレスが体に出ていたのかもしれません。当時を思い出すたび、感情を上手く表現できない子どもの苦痛は計り知れず、辛かっただろうなと思います。たとえ赤ちゃん返りという、親にとって厄介なものでも、表現できるって素晴らしいことなのですね。大きくなった息子が抱っこを求めてきたとき、赤ちゃんのようにわがままを言い出したとき、戸惑いつつもようやくお母さんとして認められたような気がしました。そしてゆっくりではあるけれど、息子が発達していることを実感できたのです。発達障害児が愛着を求める過程がゆっくりなのは、自分の気持ちを表現できるまでに、時間がかかるからなのかもしれません。そして、愛着形成は子どもだけでなく、子どもに必要とされる安心感を得るため、お母さんにとっても必要不可欠なものだと痛感したのです。そもそも愛着って何?出典 : そもそも愛着とは一体何なのでしょうか?以前、講演で児童精神科医の佐々木正美先生は、愛着についてこう仰いました。「信頼できる特別なひとりの人(愛着を持つ相手)に対して、子ども自身が『自分はこの人に、無条件で永遠に愛される』という確信を持てること」私はこの「無条件で永遠に」という説明に、ストンと腑に落ちるものがありました。そして、「先生が言われるこの確信こそが愛着の正体なのではないか?」と、思ったのです。良い子だから、勉強ができるから、容姿が優れているから、女の子(もしくは男の子)だから…という、条件がつけられた時点で、本当の意味の「愛着」からは遠ざかってしまう。愛着とは、命そのものを育むような、原始的でありながら崇高な愛情が形成するものと言えるのかもしれません。中2の息子がハグを求める理由、それは発達障害児の愛着形成プロセスにありました出典 : では、「大きな息子とのハグ」と愛着はどう関係しているのでしょうか?答えは発達障害にあるのだと思います。この点に関して、児童精神科医の杉登志郎先生は著書に、「発達障害の子どもは愛着の形成がゆっくりな傾向にあり、8~9歳くらいから愛着を求め始めるケースが多く、ここで愛着の形成を確立できるか出来ないかで、予後が大きく違う。」と書かれています。また「しっかりと甘えさせて母親はじめ家族との対人関係が安定すると、孤立型から受動型、または積極奇異から受動型へ対人関係の変化が認められる」とも。実際息子は、典型的な積極奇異型のアスペルガー症候群でしたが、中学生になった頃から家族以外の人との対人関係にも改善の兆しが見えていることから、年齢に関わらず充分に甘えさせてあげることの重要性を実感しています。参考書籍:発達障害の子どもたち (講談社現代新書) (杉登志郎著)参考書籍:発達障害の豊かな世界(日本評論社)(杉山 登志郎著)ちょっと変わってても気にしない!これが私たち親子の愛着形成スタイル出典 : 息子は今も愛着表現を求めますが、彼との間に「愛着形成」が確立されつつあることを実感しています。過去にあったような、母親としてのいたたまれない気持ちは姿を消し、お互いを理解し合えていること、少しくらいの行き違いでは揺るがない親子関係を感じています。それは、優れた面をお互いに認め合うと言うよりは、お互いの短所に対して譲り合うような感じです。発達障害児の精神発達はゆっくりで、精神年齢の目安は実年齢の2/3歳と聞きます。そう考えてみると、息子は体は大きくても精神年齢は10歳未満です。とすれば、まだまだ抱っこを求めてもおかしくはない…そう自分に言い聞かせながら、今日も大きな体を「ハグ」しています。「無条件で永遠に続く愛情」を、息子が実感できるまで。かかりつけの児童精神科医に、「発達障害のある子は、実年齢より3割幼いと思って向き合ってください」とのアドバイスをもらったことがあります。(LITALICO発達ナビ「「年齢より3割幼いと思ってね」医師の言葉通り息子を見守るも…」より)
2017年01月16日お出かけ前の「身だしなみ」。今まで全く気にしてなかったのに…Upload By かなしろにゃんこ。ある日、ADHDのある息子・リュウ太がSNSで知り合った女の子とお出かけすると言ってきました。何を着ていったらいいのか悩んで私に相談してきたのですが…息子「これでいいかな~」手にしていたのは着心地が良くてお気に入りの、毛玉だらけの普段着…。私「ダメダメ!そんな服あなたは良くても完全に女子引くわ~。もっと早く言ってくれれば洒落た服を用意してやったのに…」そう言いながら息子の服の中でマシなものをチョイスして急いでコーディネートしていたら、なんだか楽しい気分になりました。息子はよくしゃべる明るい人間ですが、女の子にモテるタイプの子ではありません。「この子が女子と出掛けるなんて日がやってくるとはな~」と嬉しかったのです。しかし、ヒゲはチョイチョイ伸びてるし鼻毛も顔の角度によっては見えそうです。普段からムダ毛の処理や爪の手入れなどの「身だしなみ」をうるさく言っていたのですが、息子は全く聞き入れてくれませんでした。人からどう見られても平気で、「人の良さは見た目で決まるものではない!」という考えの子でしたから、親が口酸っぱくして伝えても心に響かなかったのです。しかし、相手が初めて会う女の子となると息子も自分の見た目を気にしたようで、この日だけは私の話を素直に聞き入れてくれたのでした。服装だけじゃない!こんなことも思春期男子は悩むんですUpload By かなしろにゃんこ。さらに、「クラスの女子以外の女の子と何を話したらいいのか全く分からない!女子ってどんな話好きなの?」と相談してきました。息子は早口で自分の話が大好き…うまく女の子をリードできるものなのか!?アレもこれも伝えたいことは山ほどありますが、3つ以上のことは覚えていられないので、次のことだけ気をつけるように伝えました。Upload By かなしろにゃんこ。●お互い話せる話題を探ること●マニアックなしつこい長話は避けること●こちらから質問して女の子にしゃべってもらうこと人の気持ちを想像するのが苦手な息子は、今までも友達とのコミュニケーションで何度か困った場面に遭遇したことがあります。これを機に、相手を気遣うコミュニケーションができるようになったらいいな~という想いを込めて話ました。女の子とうまく話せなかった…と失敗で落ち込んでほしくないですからね。母のアドバイスが功を奏した!?無事彼女をゲットした息子は…Upload By かなしろにゃんこ。そんなことを経て、今は彼女もできてルンルン楽しいおつき合いをしているようです。親の言葉よりも異性の存在がきっかけで変わっていくんだな~と感じた出来事でした。
2016年12月27日恥ずかしいくらいに孫煩悩な私の母。ドライな私にはムリ…出典 : 長男がまだ発達障害と診断される前のことです。こだわりが強い、癇癪をおこす、夜泣きがひどい…そんな息子のお世話に疲れたときは、隣県に住む母を我が家に呼びつけていました。少し息子の相手をしていてくれるだけでも本当にホッとする時間で、私は母と息子が遊ぶのを遠巻きに見ていました。そんなとき、いつも母は息子に言うのです。「Aくん、だぁ~~~いすき!!!」息子を抱きしめ、しつこいほど「大好き」「大好き」と言うのです。それはもう見ていて恥ずかしくなるほどで、「孫はカワイイって言うけどさあ…」と私は少々呆れていました。感情を込めて絵本を読むことすら恥ずかしいドライな私ですから、「こういうベタベタな子育てはできないんだろうな~。」と冷静にその様子を見つめるばかりでした。母が繰り返す、「大好き」という言葉の意味出典 : 息子が1歳半くらいの頃、いよいよこの子は自閉症ではなかろうかと私が悶々としていたある日も、「Aくん、だいだいだぁ~~~~いすき!!」と母の様子はちっとも変わりませんでした。息子に障害があっても私は彼を愛し続けられるのだろうかという局面で、「大好き大好き」の出血大セールは横目で見ていて羨ましいほどでした。そんなとき、少し引き気味でその様子を見ていた私に、母が言ったのです。出典 : 「おかんはね、Aくんが頑張ったからでも、いい子だからでもなくて、AくんがAくんだから大好きなんだよ、って伝えてるねん。あんたたちもそうやって育てたのよ~、覚えてへんの?」もちろん、残念ながら覚えてはいません(笑)そして当時の私はその言葉さえも正直むず痒く、「いや~~、ぜんぜん覚えてへんわ!残念やったな!」と返してその会話は終わりました。息子が手に入れた素敵な言葉。それは、これまでのどの発語よりも明確で温かな言葉だった出典 : その後2歳近くになり、発語もあるのかないのかわからない息子。私は言っていることが「でんしゃ」のように聞こえたら「よし!電車ゲット!!」と、発語したであろう単語を必死で書き留め、その語数に躍起になっていました。そんなある日、母に息子の面倒を見てもらっていたところ、驚くことが起きました。「だいっきーーー」息子が「大好き」と言ったのです。出典 : 「きゃ~~、大好きやって!聞いた!?ばあちゃんもAくんが大好きい~~~~!」いつもなら大好きという「単語を発した」ことに大喜びするはずの私ですが、そのときの喜びは少し違ったものでした。「電車」「りんご」「犬」「パパ」「ママ」…言って欲しい言葉はたくさんあったはずですが、それより何より素敵な言葉を手に入れた息子。その瞬間、私は「ああ、もうこの1語だけでもいいや」とすら思いました。「大好き」が溢れる生活が変えたもの出典 : その頃からすっかり受け継いでしまった息子の「大好きだよ」出血大セール。実は5年経った今でも続いています。そして、それまで続いていた「息子の発語を書きとめること」も「意味のある言葉を増やすための促し」も、その後はぱったりとやらなくなりました。息子は私の隣で、5分に1回は「ママ、大好きだよ」と言ってくれます。…言ってくれます、と言っても明後日の方向を向いて、ときには他のことをしながら、口癖のような挨拶のようなものではありますが。それでも「大好き」と言われることや、その言葉が溢れる生活は、私をとても穏やかな気持ちにしてくれます。保育園や療育のお友達や先生にもたくさん「大好き」と伝え、「大好き」をもらっている息子もとても幸せそうです。そして私もずいぶん変わりました。いつの間にか絵本をオーバーリアクションで読むことも、手遊びで張り切ることも、そして我が子に「大好き」と言うことも全く恥ずかしくなくなりました。年齢のせいもありそうですが、とにかく息子から「大好き」「大好き」と言われているうちに、「おはよう」「行ってきます」の感覚で「大好き」が言えるようになったようです。褒めることよりも伝えたい気持ち出典 : 何かができたから「えらいね」、そこまでの過程を「がんばったね」…こうした言葉がけは子育ての上でとっても大切なものだと思います。しかし、なんの条件や見返りもなく「あなたがあなたであるからこそ大好きだ」と伝えることも、人と人とのシンプルな関係の上でとても大切なのだと感じます。「大好き」と私や兄弟を育ててくれ、息子に素晴らしい言葉を教えてくれた母に心から感謝していますし、私もまたどの言葉よりも「大好き」という気持ちを子どもたちに伝えていける母でありたいと思うのです。
2016年12月20日ある日、中学生の息子から相談を受けるUpload By かなしろにゃんこ。発達障害のある我が家の息子。周りに合わせてコミュニケーションをとることが苦手で、小学校のときは人間関係でたくさん失敗してきました。そのつまづきから友だちづき合いを学んだおかげで、中学校では友だちには恵まれました。そんな息子からある日相談を受けたのですが、それが私にはちょっとびっくりする内容だったのです。一緒に遊んでいる友達の名前をド忘れ!?Upload By かなしろにゃんこ。息子にによれば、大勢で遊んでいろいろなことに気を配らなきゃいけなかったり、何か一つのことに集中している状況だと、友達の名前がとっさに出てこないことがあるというのです。それも一度や二度ではなく、息子にはよく起きることのよう。そんな経験がなかった私は、これを聞いてびっくりしてしまいました。発達障害がある息子の特徴を確認するきっかけになったUpload By かなしろにゃんこ。その時は名前を忘れてしまっても、またしばらくするときちんと思い出せるようです。親子で話しているうちに、記憶が苦手なことや、一度にたくさんのことをすると混乱するといった息子の特性が合わさり、こうなってしまうのではという結論に至りました。ちなみに名前を忘れてしまったときは、呼ぶのをあきらめて「お前さ~」と言って誤魔化し、切り抜けているそうです(笑)。
2016年09月27日息子が癇癪を起こすのは、私の前だけ?家と幼稚園では様子が違う…出典 : 発達障害のある子どもは、親からしてみると、育てづらい一面があります。切り替えがうまくできなかったり、感情のコントロールが苦手だったり、激しい癇癪を起こしたり。私の息子も、とても「育てづらい子」でした。特に、気持ちのコントロールができないときに炸裂する癇癪は、私にとって恐怖でしかありません。ですが、1番困っていたのはそんな息子の特性を周りに説明しても信じてもらえないことでした。自分の見ている息子の姿が周囲に理解されない…。それもそのはず、息子は私がいない場所では、癇癪や感情的な爆発はなるべくコントロールして理性的に行動していたのです。「家では癇癪を起して大変なんです」と私がいくら言っても、幼稚園の先生も習い事の先生も「そうなんですか~。お母さんはそうおっしゃいますけど、ここではとてもいい子なんですよ。お友達にも優しいし」と返してくるのです。なぜ息子は、私の前でだけ「育てづらい子」になってしまうのか。幼稚園や習い事では普通にできるのか、私は息子にとって自分は存在しなくてもいいのではないかという気持ちになりました。ある日、買い物に行った先で、その理由がわかった出典 : そんなある日のことでした。息子と一緒に買い物に出かけた先で、幼稚園のお友達にばったり会ったのです。私は、一緒にいたお母さんに挨拶して、少し立ち話をしていました。そのときです。息子の顔色がだんだんと変わってきたのです。顔色の変化は、パニックに陥っている証拠でした。息子は私の手をぐいぐいと引っ張り「お母さん、早く帰ろう。早く、早く、早く!」と言いました。続けて「なんで?なんでお友達がここにいるんだよ。なんで?」と言いながら私の腕をひねり、その場から離れようとします。腕をひねる力が強く、あまりの痛さにびっくりしてしまいました。息子がパニックになっている事自体はすぐにわかりました。でも理由が見つかりません。その場を離れてから「さっき、お友達に何か嫌なことをされた?」と聞くと、あろう事か、息子自身から「お友達の前の僕は、お母さんの前の僕じゃないから」と、衝撃的な一言が返ってきたのです。息子が自分で決めた「厳格な使い分け」が、息子自身を追い詰めていた出典 : 同じ発達障害児を持つ親御さんからは、「特に母親の前で特性が強く出る」というような話を聞くこともあります。しかし、息子の場合は、甘えているとか、リラックスしているとか、そういったものではありませんでした。「母親の前での自分」と「幼稚園での自分 」、「習い事での自分」などを厳格に使い分けているのです。その結果、私と買い物中に幼稚園のお友達に会ってしまったり、幼稚園にいるときに突発的に私が来たり、使い分けていた自分が混ざってしまう状況になると、パニックに陥るのでした。それは「その場の空気に自分を合わせてコミュニケーションをとる」というものではありません。「Aさんに対するコミュニケーション」「Bさんに対するコミュニケーション」というように、接する人物ごと、コミュニケーションのパターンを使い分けているイメージです。このように厳格な使い分けをしていると、様々な場面で融通が効かず、発達障害の特性である「予期せぬ状況に対してのパニック」が誘発されてしまうのです。人間関係において、ある程度の態度の使い分けはもちろん大切です。ですが、それ自体が将来息子を追いつめてしまうことのないよう、今から少しずつ「差」を埋めていくことも大切かもしれません。そのためには、このような極端な態度の使い分けがどこからくるのか考えていくのが大切だと思っています。発達障害のある子どもは、人間関係や相互やりとりを柔軟に捉えるのが苦手な場合がありますが、息子は「先生に叱られる」=「僕はダメな人間だ」というような極端な考え方をしています。このような思い込みが、「先生の前ではこういう態度を取らなければならない」というような思考に繋がっているのだと考えています。単純に「人間関係をどうやって円滑にするか」を考えるのではなく、「どんな思い込みがあるか、どうして躓いているのか」をじっくり観察するように心がけています。息子の極端な思い込みや、自分で決めてしまったルールを少しずつ修正していくことで、人間関係は少しずつ楽になっていくのだと思っています。
2016年08月27日不登校になって1年。息子は落ち着いているけれど…出典 : 発達障害のある息子が小学校で不登校になってから、1年が経とうとしています。振り返ってみると、本人にとって家庭はとても居心地がよかったようで、精神的にもどんどん安定していきました。嬉々として好きな事に没頭し、今その時だけを楽しみながら落ち着いた日々過ごしている息子。でも私のほうは、そんな息子を見て「よかったなぁ」と手放しには喜べませんでした。この1年間、悩みを抱え込みがちな自分の性格も相まって、私は不安と期待と心配とが目まぐるしく入り混じる複雑な思いで過ごしていたのです。私ひとりで息子を支え続ける自信がないから、不安だった出典 : 息子は今この時を思う存分満喫している様子で、将来については特に何も考えていないように見えました。私はそんな息子を見て、どうしてもイライラしてしまうことがありました。息子とは何度も将来についての話をしているし、私の気持ちもぶつけているのですが、焦っているのは私だけで、息子には何も響いていないように感じたのです。息子はこの後もずっと学校に行かないままなのだろうか?息子自身が自分を律して、受験や高卒認定などに取り組む日は本当に来るのだろうか?そうやって考えているうちに、私は自分の不安の元にたどり着きました。「中学生になった後、ただでさえ親子関係が難しくなる時期を、学校という場所なしに乗り越えることはできるのだろうか?」息子の将来に対する不安は、今後の子育てに対する自分自身の不安も原因だったのです。これから先反抗期にも突入していく息子をひとりで支えきる自信が、私にないことに気がつきました。息子だけでなく、自分のためにも必要だった「他人」の存在出典 : 息子は次第に一人で行動する事も増えてきました。親の言うことを素直に聞かなくなるような年頃にもうすぐなることを、私はなんとなく感じていました。今は落ち着いて過ごせていますが、そんな年頃になれば私と衝突することが増えて、また居場所がなくなってしまうかもしれません。息子がそのような状態になれば、私のほうも今以上にストレスを感じ、親子関係が悪くなってしまう可能性があります。息子の将来のために、そして自分のために、今の私ができることは何だろう?考え抜いた末、「今のうちに、息子と信頼関係を築いてくれる親以外の人と、息子との関わりをつくっておこう!」ということに行き着きました。自分の思春期を振り返っても、だんだん親には素直になれなくなり、むしろ他人の方が自分の話をしやすく、意見も聞き入れられたような気がします。学校に行っていない息子がそうなったとき、支えになる親以外の存在が必要だと考えたのです。息子が、積極的に外へ出る機会を自らつくることは、おそらくまだ難しいでしょう。ですが外に出るきっかけをもたらしてくれるような人や場所との繋がりさえ私が作っておけば、きっと息子の助けになる日が来るに違いないと考えたのです。それに私も、1人だけでは息子を支える自信がありませんでしたが、他にも息子を見守ってくれる人がいれば、何とかやっていけると思えるようになりました。息子の不登校を通して、私自身が成長したこと出典 : これまで私は、他人に助けを求めることが苦手で、全部抱え込んでしまうタイプでした。でもこれは、息子の将来のためにも、自分のためにも必要なことです。これを機に、以前より気軽に周りの人に頼ることができるようになってきました。自分や息子のことで周りに頼るということをためらってしまうこともまだまだあります。でも、やはり私一人の力だけでは限りがあります。それに、私がいないところで息子が困ったとき、助けてもらえるようになって欲しいのです。ドキドキしてしまうこともたくさんありますが、周りの人たちにも助けてもらいながら、これからも息子と一緒に前を見て歩いて行きたいと思っています。
2016年08月09日5月13日(日)、母の日を記念して、都内劇場にて大ヒット公開中の『わが母の記』の特別上映会が開催。“わが母”こと樹木希林と原田眞人監督、さらにサプライズゲストとして樹木さんの義理の息子である本木雅弘が登壇し、「母」への想いを明かした。昭和の文豪・井上靖の自伝的小説を原作に、母に捨てられたという複雑な過去をもつ作家・伊上洪作が認知症を患った母との暮らし、そして周囲の家族の支えを経て改めて母と向き合い過去の真相を知っていく姿を描いた、親子の絆の物語。樹木さんは「うちの娘が『私はローマ風呂の方(『テルマエ・ロマエ』)を観たい』と言っていたので、ちょっとしどろもどろになってしまったんですが、『わが母の記』も健闘しているという事を聞きまして、今日は来させていただきました」と、冒頭の挨拶から小気味よい毒舌を全開。本作で八重の“老い”を表現するためには相当の苦労があったようで、「ハリウッド映画と違って予算が少ないですからね(笑)。老けメイクをして下さる方もいないですし、撮影も順撮りではないので、午前と午後とで演じる年齢が違うこともあって大変でした」と撮影をふり返った。一方で「体が小さくなるように、骨を抜いて撮影をしていましたので(笑)」と相変わらずの毒気のある冗談で会場を沸かせた。そして、サプライズゲストとして義理の息子である本木さんが、樹木さんの似顔絵を基に作られたフラワーアートと共に登場すると、会場からは割れんばかりの歓声が!こういった映画のイベントでの樹木さんの共演は初めてとなったが、「母の日、おめでとうございます。樹木さんと親子関係になってから17年になるのですが、みなさんもよくご存知の通り、日常生活も緊張感に満ち満ちた婿生活を送っています」と母に負けず劣らず、キレのある挨拶で会場を笑いで包んだ。当の樹木さんは、1,100本ものカーネーションを使用したフラワーアートについて「もったいない(笑)!」と言いつつも、「とても驚きました。家でも芸能界のことはほとんど何も話さないんです。同じ家に住んでいても、ただ洗い物を一緒にして、お皿を拭いてもらったり、という関係なんです。今日は布団をかぶって寝てしまおうと思います(笑)。あと、原田監督はいつも奥様と息子さんが一緒にいらっしゃるんです。私はいつもひとりで寂しい思いをしているのですが、今日で、一挙に取り返すことができました。ありがとう!」と感無量の様子だった。『わが母の記』は全国にて公開中。■関連作品:わが母の記 2012年4月28日より全国にて公開© 2012「わが母の記」製作委員会■関連記事:宮崎あおい、原田作品は「大変だと聞いていた」タレ込みの犯人は堺雅人?紫綬褒章受章の役所広司を宮崎あおい、樹木希林ら女優陣が花束で祝福『わが母の記』宮﨑あおい「家のいろいろな所から声が聞こえる感じがいい」シネマカフェ読者ゴコロなんでもベスト5(第26回)あなたの“理想の母親”女優は誰?樹木希林、認知症の役は「やりたがる役者がいないので私に回ってくる(笑)」
2012年05月14日