女優で声優の戸田恵子が21日に自身のアメブロを更新。11日に亡くなったアニメ『フランダースの犬』のハンス役などで知られる声優の村松康雄さんの訃報を受けコメントした。この日、戸田は「大先輩声優の村松康雄さんのご冥福をお祈りいたします」と追悼し「吹き替えの草創期からご活躍でした」とコメント。劇団薔薇座時代では、村松さんが劇団講師だったことを明かし、当時の授業について回想した。続けて、村松さんから「私のことは当時のニックネームでグリコ」と呼ばれていたといい「村松先生のニックネームはタメさん」と説明。最後に会った時には「貴女は頑張ったねぇ」と言われたことを明かし「嬉しかった」と述べつつ「淋しいです」と心境を吐露した。最後に「たくさんの教えをありがとうございました。心より感謝申し上げます」とコメントし「お疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください」とつづった。この投稿に読者からは「大切な恩師だったんですね」「寂しくなりますね」「心中お察し致します」などのコメントが寄せられている。
2024年04月21日2024年4月20日、声優の村松康雄(むらまつ・やすお)さんが亡くなったことが分かりました。91歳でした。所属事務所である有限会社オフィス薫によると、同月11日に息を引き取ったとのことです。同社は村松さんの逝去について、ウェブサイトにてこのように伝えています。弊社所属俳優 村松 康雄 (本名 村松 為久)儀 が令和 6 年 4 月 11 日 91 歳を以て永眠いたしました。尚、通夜および告別式は親族のみにて執り行いました。ここに生前中のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます。なお、誠に勝手ながら、ご弔問やご供物等はご辞退申し上げます。ご通知がおそくなりましたこと、ご諒恕のほどお願い申し上げます。オフィス薫ーより引用村松さんは声優として、テレビアニメ『フランダースの犬』のハンス役や、テレビアニメ『機動戦士ガンダムZZ』のタンデム役などを務めていました。また、劇場版アニメ『機動戦士ガンダム』3部作のレビル将軍役などでも知られています。訃報を受けて、多くの人が哀悼の言葉を寄せています。・村松さんは、声優として数々の名作に貢献しました。ご冥福をお祈りいたします。・村松さんの威厳のある声が好きだったな。・素敵なお声で命を吹き込んでくださり、ありがとうございました。村松さんの声は、これまで出演した作品やファンの心に残り続けるでしょう。村松さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月20日発達障害があるお子さんの保護者や支援者へのメッセージ集今回は、「こころとそだちのクリニックむすびめ」院長を務める精神科医の田中康雄先生のコラムをまとめてご紹介します。これまで執筆いただいたコラムでは、田中先生が考える精神科医の仕事の役割や、お子さんに発達障害の診断名をつけることより大事にしていること、思春期のお子さんとの関わりのポイント、登園・登校渋りへの対応など、幅広いテーマで保護者や支援者のみなさんへの思いを綴っていただいています。発達障害の特性があるお子さんとその家族、関係者と、つながり合い、支え合い、認め合うことを大切にした治療・支援を実践されている田中先生の言葉は力強く、そして温かい眼差しが感じられます。ぜひ、ご一読ください。日々、発達障害のあるお子さんと保護者の方の言葉や思いを受け止めている田中先生。保護者の方には、「よく、ここまでそだてましたね」「この子に上手に寄り添っていますね」「この子も安心していることでしょうね」「お疲れさまです。ちょっと休んでよいかと思います」…いくら言葉にしても足りないくらいであると言います。田中先生は、診察室で「子どもの発達の診立て」を行いながら、同時にわが子の育ちを心配する親や家族の思いも診立てていくと言います。それは、向き合っているのが「発達障害」ではなく、多彩な個性の持ち主である一人ひとりの子どもであり、家族であるからです。思春期のお子さんがSNSやオンラインゲームにはまったり、部屋にこもりがちになって口をきいてくれない…そんなお悩みのある保護者の方も多いかもしれません。田中先生は、思春期は親子の関係が、「上下の関係」から「水平の関係」に近くなると言います。発達が気になるお子さんについて、精神科に相談に行きたいけれど、様子がよく分からないから躊躇してしまうという声がよく聞かれます。この記事では、田中先生に、「そもそも精神科ではなにをしてくれるの?」という疑問に答えていただいています。発達の気になるお子さんが、「発達障害である」と診断されると、少なからずショックを受ける保護者の方も多いかもしれません。そのような場合、田中先生はどのように保護者の方に寄り添い、多職種の専門家の方との連携を大切にしているのでしょうか。長期休暇明けは、お子さんの心身に影響が出やすい時期であると言われています。田中先生のご経験から、お子さんが園や学校へ行きたくないときによくあるSOSの例や、保護者の方へのメッセージをお届けします。発達が気になるお子さんの保護者の方にとって大きな悩みの一つが、お子さんの将来のことかもしれません。「親が先に死にます。その後、誰がこの子を守ってくれるというのですか」という親の言葉を受け止め、孤立無縁な状態から抜け出してほしいと願う田中先生の言葉をお届けします。
2022年10月12日発達が気になる契機わが子の発達が気になるきっかけにはどういったことがあるでしょう。母親としての感覚育てていて、なんとなく違うように感じていたとか、上のきょうだいと比べてという、感覚もあるようです。もっとも初めての子どもは、こんなふうな感じかなと思っていた、という方もおられました。言葉が出る前に、なんとなく関わっても反応が薄いということを気にされていたり、そんなときにたまたま来ていた実家の母から指摘されて、やっぱりと思ったり。もっとも、実家の母が大丈夫だよと言ってくれたことでちょっと安心したという場合もあります。実際、のちに健診や医療機関で診断された親への聞き取りでも実際は2歳前後までに、なんとなく気がついていたという話が多いようです。ママ友との関わりのなかで子育てが孤育てにならないように、出産した産科医院で知り合ったり、近所や友人を通してママ友となり、そこで一緒に話したりすることで、それとなく、わが子の様子を比べてみたりして、心配したり、気になったりして。健診会場でそれまでのなんとなく、どことなく心配はしてきたのですが、1歳半健診会場で担当保健師さん等からの言葉や助言から、やはり、と思ったり。さまざまな情報から最近は子どもの育ちに関した書籍やネット情報が沢山あります。検索してみると、自分と同じような悩みを持って半歩先を歩いていた方の情報と出会い、そこからどんどんと広がって、という流れなど。いずれにしても、その多くは密やかにでも家族、特に主たる養育者が、なんとなく違う、という感覚を持っていたというのが僕の臨床現場で得た所見です。ただ、そのわが子に感じた「違う」という感覚に直面するか、もう少し様子を見たいと時間をかけるか、日々揺れながら、迷いながら、一喜一憂しながら日々を送っているような印象はあります。僕は、養育者の方が診察室に来られたときに、どのような思いで日々を過ごされてきたかを、最初の出会いや表情、仕草から思いを馳せます。そのうえで、よく決心して来て下さいましたねと向きあったり、できるだけ淡々と話を聴いたり、安心を提供するような思いを込めて対応します。かなり早い段階で気になっていた、気にされたとしても、それを医療の中へ持ち込むまでには、それぞれの養育者のなかでの戸惑いや葛藤があると、いつも僕は診察室で実感します。関係者との関わり診察するということは『診断』することになるので、養育者にとっては、わが子の現状を医学的に知ることになります。ですから受診したことで、ある程度の先が見えて、改めて関わりを考えたり、当然ショックを受けたりします。医師から診断を受けた親の心理は、以前から、ショックからはじまり、否定し拒否を経て、哀しみと怒りという感情を抱き、そのあとに原因を突き止めようとして、結果気持ちが落ち込む、再度哀しみと怒りに戻りながら一喜一憂していくと言われています。実際、養育者の思いは、健診の時期、入園前後、そして就学を迎え、入学後と、子どもの生活する場所の様子や、関わる方々からの意見や助言によって、常に揺れ動きます。ほっとするときもあれば、とても落ち込むようなこともあるでしょう。友達との関わりから学習の様子と、その心配のテーマも年齢や状況によって、変化していきます。診察室での相談もこうした折々の家族の揺れや子どもの育ちの様子によって、相談の間隔が縮まったり、伸びたりします。子どもの様子を見ながら、すこしでも具体的な関わりを提案したり、現状を『この子のそだち』から理解し、その意味を一緒に探ったりしていきます。それ以上に大切なものは、その子が生活する保育所、幼稚園、学校での生活ぶりであり、そこの関係者との関わりだと、僕は思っています。最近は、現場の先生がたの障害察知感覚は、非常に優れていると思いますが、察知したことと、関わり対策の整備には、若干の開きがあるように感じています。発達が心配だから医療機関に相談するように言われてきました、診断がおりれば加配の先生がつくので、今まで以上に細やかな対応ができます、と言われ受診しました、という方もおられます。そもそも親のほうもなんとなく気にされていたので、どこかで「やっぱり」という思いと、ここでの生活がどれほど豊かになるのかは不明なままで医療機関での受診を勧められたことに、不安や不満を抱えながら、診察室にいらっしゃることもあります。特別支援教育がスタートしたころに、僕はあちこちの教育現場の先生方に「発達障害」の研修を行っていました。当時は知的に遅れのない自閉スペクトラム症や、ADHD、またいわゆる学習障害についての理解が決して充分ではなく、教育現場も大きく戸惑っていたと感じています。しかし、当時はそれでも通常学級で、どうやって向き合い教育を提供したらよいのかに尽力していたように思います。当時、学校現場に足を運び、教室の様子を見せてもらい、教師と一緒になって、関わり方を模索していました。それがどうも最近は、いかに個別支援を提供するか、という流れになっているような気がします。診断がつけば、できるだけ配慮し、できるだけ個別に対応し、というような流れになっているように感じています。確かにかつては暗中模索のなかで、子どもたちの関係性にも細やかに対応することが求められ、教師は同じ教室のなかでの対応に疲弊していました。最近は、登校時間を調整したり、クールダウンできる部屋が整備されたりして、個別の対応が強化されているように感じます。最近の子どもたちの言動は、一つの視点では把握できないような複雑な様子を呈してきたような印象もあります。育ちのなかで後天的に形成されるべき関係性が作られにくくなっているようにも感じます。また、家族が抱えている課題も複雑な場合が少なくないように感じます。もっともこれは、それぞれ相談を持ちかけられる医療現場によって、その感覚も異なるかとは思います。ただ、僕の臨床では、子どもと同時に、養育者へも相応の配慮ある支援が強く求められてきたように感じています。親同士、家族全体を視野に入れた、総合的な支援策を検討する必要が求められていると痛感することも少なくありません。実際、子どもの相談を続けている途中、きょうだいや養育者が、当事者として診察を希望される場合が増えてきている印象があります。それぞれが相応の課題を抱え、個々に生きにくさを感じているのかもしれません。こうした複雑な状況のなかで、今目の前の子どもを真ん中にし、保育・教育の現場と養育者、家族との連携が改めて整備されることが求められています。さらに最近では子どもが利用している児童デイサービスなどの機関との連携も求められています。ここに医療がどう関与するか。僕はそれぞれに一定の距離を置いて、それぞれの良さを引き出しながら、折り合いをつけ、できることを大切に、できないことは無理強いしないで、今より、その子が生きやすくなる、楽しくなるような生活作りのために、関係者の連携、むすびめ作りのお手伝いをしたいと思っています。連携に思う僕は、子どもの育ちには、医療だけでは、まったく役不足だと思っています。それ以上に、日々の生活を支えるには他職種の力が必要だと痛快しています。文字通り、総力戦での支援です。そのおかげで、僕は実際同業者よりも多職種者の友人のほうが多くなりました。それでも、最近の多職種者との繋がりにくさには、危機感が募ります。実際に、他の職種の方の守備範囲や力量を知るには、僕も現場に行ったり、お会いしてお考えを聞いたりする必要があります。異職種であるため、僕の常識が通じないという異文化体験もたくさんしました。でもそのおかげで、支援の多様性ということを学ぶことができました。結果的に、同業者よりも他職種の友人のほうが多くなりました。ただ、こうしたことを20年以上行って来て、僕は他職種者との連携の難しさ、むすびめ作りの難しさを痛感し、危機感を募らせています。これは、これまで情で成立していた繋がりの衰退なのか、組織的、構造的なつながりへ移行への狭間なのでしょうか。僕は、つながりあうことへの衰退に成らないことを祈るしかありません。僕が今も大切にしている他職種の方々と手を組み、協働作業をしようとするときの心構えは、以下の7つです。1.互いの職場に足を運び、それぞれの仕事の内容・職場の雰囲気・大変さに身と心を寄せ、できるだけ理解するようにしたい2.相手の職場の仕事に就いた場合を想像したい3.己の職場の専門用語はできるだけ使用せず、日常の言葉で話をすることのないように注意したい4.出会ったときに「ご苦労様。お互い、大変ですね」と声をかけ、相手をねぎらい、くれぐれも、苦言・提言という会話をしない5.関係者の助け合い・支え合いは、支援する方々を支える基になると信じる6.それぞれの専門的立場を尊重し、尊敬したい7.支援する方々の「今の心」、「未来へ向うための生きがい作り」を最も大切にしたい連携とは、単に専門性に裏付けられた技術のやりとりではなく、人と人との関わりから作られるネットワーク、精神的絆(むすびめ)で成り立っていると思っています。そして、傷みを抱え、生活に立ち往生したとき、この見えない絆が、支えてくれることを、僕は身をもって体験してきました。そのなかで、最近生じてきた危機感に、どう関わっていくか、今最大の課題ですが、とりあえず、出会ったときに、いやな感情を相手に生じさせない配慮だけは行い続けたいと思っています。よく養育者の方に、相手とけんかだけはしないようにしましょうね、と伝えていますが、これは、僕自身にもいえることです。また次に会えるために、最初の出会いに心を込めたいと思います。
2021年07月29日今と昔では、ライフスタイルや不動産の価値が大きく違う。たとえ、ひと世代しか変わらずとも、親が買った不動産が大きな負担になることも。そんな悲劇を避けるため、今からできる対策をしておこうーー!「相続した実家が買い手も借り手もつかず空き家状態に」と、親の家をもてあます人が増えている。’18年、総務省の「住宅・土地統計調査」を見ても、空き家は過去最高の約7軒に1軒、これが’33年には約4軒に1軒が空き家になるというのだ。資産になるとせっかく手に入れた不動産は、これから少子化が進むと、買い手や借り手がつかない家あまり状態になり、資産価値がなくなってしまう。「今の70〜80代は、マイホームを手に入れるために働いてきた世代で、子どもに家を遺したいと思う人も多いのですが、実際に相続してみると、それぞれ家庭の事情があって住まないので空き家になってしまったというケースも少なくないのです。空き家を放置しますと、維持費がかかるうえ、さらに、売却できないといった悪循環に陥ります。“負”動産を背負わないように、早めに対策を講じる必要があります」相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さんはそう話す。そこで、実際に“負”動産の取り扱いに困った、というケース別に対処法を教えてもらった。■おひとりさまの場合のマンションの処分【Q】夫の死後、自宅を売却し、ターミナル駅近くの単身向けマンションにひとりで引っ越したC子さん(80)。おひとりさま生活を満喫していたが、入院をきっかけに終活の準備を始めた。C子さんに子どもはいないのでおい(姉の次男)が身元保証人になってくれる、というところまで決まったものの、売却や貸し出し、相続させるなど、今後、せっかく買ったこのマンションをどうすればいいのかが、問題になってしまった。【A】駅近マンションであれば、賃貸で借り手が見つかる可能性も。夫の死後、郊外の一軒家から駅近のマンションに住み替えをする人も増えている。元気なうちは、ひとり暮らしは快適だが、問題なのは介護が必要になってから。そこで、高齢者住宅への再住み替えをするケースも出てくる。「C子さんが高齢者施設に移り住んで、そのマンションを賃貸に出す方法も選択肢のひとつです。賃料収入があれば、いい施設に入ることも可能になるでしょう」ここで“負”動産になりやすいのは築40年以上など、築年数がたったマンション。これから大規模修繕が行われる予定があるか、修繕積立金が不足していないかチェックしておきたい。「修繕積立金が不足して、追加で高額の大規模修繕の分担金を出さなければならない、といったトラブルもよくあります。管理費、修繕積立金が負担になるようであれば、C子さんが元気なうちに売却してもらったほうが無難です」今後、都心の一等地や利便性の高い駅の近くでなければ、資産になりにくいという。いずれにせよ、親たちが元気なうちに決断してもらうためにも、家族会議はなるべく早めに!
2021年05月26日今と昔では、ライフスタイルや不動産の価値が大きく違う。たとえ、ひと世代しか変わらずとも、親が買った不動産が大きな負担になることも。そんな悲劇を避けるため、今からできる対策をしておこうーー!「相続した実家が買い手も借り手もつかず空き家状態に」と、親の家をもてあます人が増えている。’18年、総務省の「住宅・土地統計調査」を見ても、空き家は過去最高の約7軒に1軒、これが’33年には約4軒に1軒が空き家になるというのだ。資産になるとせっかく手に入れた不動産は、これから少子化が進むと、買い手や借り手がつかない家あまり状態になり、資産価値がなくなってしまう。「今の70〜80代は、マイホームを手に入れるために働いてきた世代で、子どもに家を遺したいと思う人も多いのですが、実際に相続してみると、それぞれ家庭の事情があって住まないので空き家になってしまったというケースも少なくないのです。空き家を放置しますと、維持費がかかるうえ、さらに、売却できないといった悪循環に陥ります。“負”動産を背負わないように、早めに対策を講じる必要があります」相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さんはそう話す。そこで、実際に“負”動産の取り扱いに困った、というケース別に対処法を教えてもらった。■実家を相続したのはいいが空き家になってしまった【Q】昨年、都内で一人暮らしの父(90)が他界した。父が住んでいた築50年以上で古い一軒家をA子さん夫婦(63)が相続したのはいいが、すでに持ち家があるので空き家になってしまったという。A子さんは、息子(30代)に相続させたいと思っているが、維持が大変であり、子どもはすでに独立してマンションに住んでいる。【A】都内でも空き家は早めに売却したほうがいいことも。父が残した財産は、少しの現金と家だけだった。長男夫婦が相続したのはいいが、すでに持ち家がある、というケースは意外と多い。「不動産が資産になるのは、都心でも白金や恵比寿など、人気のエリアの話。23区であっても、これから少子高齢化で土地の値段が下がれば資産価値も下がっていきます。空き家を放置しておくと維持費が余計にかかるのを知っておいたほうがいいでしょう。特に、’15年に施行された空き家対策のための特別措置法により、倒壊する危険があるといった空き家は、自治体が『特定空き家』と指定できるようになりました。これに指定されますと固定資産税が増える場合があります。仮に強制撤去されますと、自治体から費用を請求されます。また、電気やガス、水道代はかかるので、これから年金生活に入るA子さんたちの負担になります。賃貸に出すといっても、古い家はハウスクリーニングだけでは足りず、内装や風呂やトイレ、キッチンなど水回りの設備を取り替えるリフォームが必要になります。リフォーム代は最低でも200万円はかかってきます。こういう場合、土地の値段が高い今のうちに売却するほうが無難です」長男夫婦は息子たちに家を遺したいと思っているが、それもやめたほうがいいという。「今の若い人たちはライフスタイルが違いますので、おじいさんが建てた家に住んでもらいたいと思っても、マンションのほうがいいというケースもあります。結局、住むためにはリフォーム代がかかるので金銭的な負担が伴いますし、二世帯住宅を建てるというのも、住宅ローンがかかるのでお勧めできません」不動産を売却するときは、基本的には譲渡所得税がかかるが、空き家を売却した場合3,000万円まで控除される制度があるので、条件が適用されるうちに活用しよう。「この制度を受けるためには、いくつかの条件があります。相続開始の直前において、被相続人の居住用だった家屋である。相続した建物が’81年5月31日以前に建築された家屋である。建物を耐震リフォームするか、更地にすること。譲渡するまでの間、事業用や賃貸、居住用で使われていない。相続した日から3年経過する日の12月31日までに空き家を売却すること。売却金額は1億円以下であることなどが条件です。そういった条件をすべてクリアしますと、売却した場合の譲渡所得金額から3,000万円が控除されます」まずは、3,000万円控除される制度が適用されるのかどうか、実家をチェックしてみよう。お得に売却が進むかもしれない。
2021年05月26日今と昔では、ライフスタイルや不動産の価値が大きく違う。たとえ、ひと世代しか変わらずとも、親が買った不動産が大きな負担になることも。そんな悲劇を避けるため、今からできる対策をしておこうーー!「相続した実家が買い手も借り手もつかず空き家状態に」と、親の家をもてあます人が増えている。’18年、総務省の「住宅・土地統計調査」を見ても、空き家は過去最高の約7軒に1軒、これが’33年には約4軒に1軒が空き家になるというのだ。資産になるとせっかく手に入れた不動産は、これから少子化が進むと、買い手や借り手がつかない家あまり状態になり、資産価値がなくなってしまう。「今の70〜80代は、マイホームを手に入れるために働いてきた世代で、子どもに家を遺したいと思う人も多いのですが、実際に相続してみると、それぞれ家庭の事情があって住まないので空き家になってしまったというケースも少なくないのです。空き家を放置しますと、維持費がかかるうえ、さらに、売却できないといった悪循環に陥ります。“負”動産を背負わないように、早めに対策を講じる必要があります」相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さんはそう話す。そこで、実際に“負”動産の取り扱いに困った、というケース別に対処法を教えてもらった。■一人暮らしの親を呼び寄せたので、実家が空き家に【Q】会社員のB子さん(56)は、田舎で一人暮らしをしていた母(86)と都内で同居し始めた。実家の維持費がかかるので、売りたいと思っているが買い手は見つからない。更地にするのも費用がかかるので、処分の方法に困っているという。【A】新型コロナで買い手や借り手が見つかる可能性も。買い手も借り手もいないうえ、不便すぎて自分たちが移り住むのも気が進まないという田舎の実家は典型的な“負”動産の例だろう。取り壊して更地にするのも費用がかかるので、B子さんの実家はそのままにしていたが、毎年固定資産税や火災保険などの維持費がかかるのが負担になってきた。また、冬になる前にB子さんが、隣近所にあいさつしながら、庭の雑草取りや空気の入れ替えをするために実家に帰るのが苦痛になってきたという。「新型コロナをきっかけに、地方の空き家の活用は注目を集めてきていますので“負”動産ではなくなる可能性も出てきました。リモートワークが定着してきたことで、密の都市圏を離れて2拠点生活や、移住を希望する人が増えてきました。こまめに手入れをしていれば、買いたい、借りたいという人が見つかるかもしれませんし、ひとまずB子さんご自身の住居兼仕事場として使ってみるのはどうでしょう」仕事がリモートワークになれば、満員電車で通勤する必要はなくなり、車が運転できれば、徒歩圏内にスーパーや病院がなくても困ることはない。地方の物件は、地元の不動産会社よりも、インターネットの仲介サイトのほうが買い手や借り手が見つかりやすいという。そのためにも、家のメンテナンスをこまめにしてすぐに住める状態にしておこう。早めの対処がチャンスを呼ぶことも!
2021年05月26日「相続した実家が買い手も借り手もつかず空き家状態に」と、親の家をもてあます人が増えている。’18年、総務省の「住宅・土地統計調査」を見ても、空き家は過去最高の約7軒に1軒、これが’33年には約4軒に1軒が空き家になるというのだ。資産になるとせっかく手に入れた不動産は、これから少子化が進むと、買い手や借り手がつかない家あまり状態になり、資産価値がなくなってしまう。「今の70〜80代は、マイホームを手に入れるために働いてきた世代で、子どもに家を遺したいと思う人も多いのですが、実際に相続してみると、それぞれ家庭の事情があって住まないので空き家になってしまったというケースも少なくないのです。空き家を放置しますと、維持費がかかるうえ、さらに、売却できないといった悪循環に陥ります。“負”動産を背負わないように、早めに対策を講じる必要があります」相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さんはそう話す。相続する前に、実家がどういう不動産なのか、親が元気なうちに知っておくことが肝心。「特に、実家を相続したら、父だと思っていた名義が祖父のままだったことがわかるなど、話がややこしくなる場合があります。名義が祖父のままですと、祖父の相続人としてお父さんの兄弟姉妹などに実印を押印してもらい、印鑑証明書を添付して遺産分割協議書を作成する必要が出てきます。人数が多いほど手間と費用がかかるので、実家のある自治体の法務局で登記簿謄本を入手して、名義人を確認しておきましょう」(藤戸さん・以下同)気をつけたいのは、親が認知症になったら相続の対策が一切できなくなるということ。「親が認知症になり、実家を売却した費用で高齢者施設に入ってもらいたいと思っても、家族は手続きができませんので親が亡くなるまで家は売れません。元気なうちに介護の問題をふまえて家の処分の方法を相談しておきましょう」
2021年05月26日「相続した実家が買い手も借り手もつかず空き家状態に」と、親の家をもてあます人が増えている。’18年、総務省の「住宅・土地統計調査」を見ても、空き家は過去最高の約7軒に1軒、これが’33年には約4軒に1軒が空き家になるというのだ。資産になるとせっかく手に入れた不動産は、これから少子化が進むと、買い手や借り手がつかない家あまり状態になり、資産価値がなくなってしまう。「今の70〜80代は、マイホームを手に入れるために働いてきた世代で、子どもに家を遺したいと思う人も多いのですが、実際に相続してみると、それぞれ家庭の事情があって住まないので空き家になってしまったというケースも少なくないのです。空き家を放置しますと、維持費がかかるうえ、さらに、売却できないといった悪循環に陥ります。“負”動産を背負わないように、早めに対策を講じる必要があります」相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さんはそう話す。さらに、注意したいのは土地・建物の相続登記が義務化される法律ができたこと。現在は相続登記は義務でもなく期限もないが、相続を知ったときから3年以内に登記が義務づけられる。正当な理由なく申請しなければ、10万円以下の過料が科せられるという法律が今国会で成立した。’23年度をめどに施行される予定だが、相続した家を放置したままだとペナルティが科せられるようになる。また、実家が戸建ての場合は、隣の家との境界線があいまいなケースがあるという。「正しく測量が行われていないと境界線が違っていたということがあります。境界線を確定させないと、どっちの土地かトラブルのもとになります。測量調査は土地家屋調査士に依頼できます」
2021年05月26日北海道美幌町生まれの熊彫り作家・藤戸竹喜(ふじとたけき/1934-2018)の全貌を紹介する、東京では初めてとなる展覧会が、7月17日(土)より東京ステーションギャラリーにて開催される。共にアイヌ民族であった両親のもとに生まれ、12歳のときに木彫り熊の職人だった父に弟子入りした藤戸は、15歳の時には阿寒湖畔の土産物屋の店先で職人として熊彫りの実演を始める。30歳の時に阿寒湖畔に移り住み、以降数多くの木彫作品を生み出した。藤戸は制作にあたって一切デッサンすることがなく、丸太に簡単な目印を入れるだけで、あとは一気に形を彫り出していた。繰り返し、繰り返し彫ることで、熊の形態を、熊を取り巻く空間を理解していったという。34歳の時に依頼され、半年かけて観音立像を制作したことが制作の大きな転機となり、その後、人物、狼や鹿、海洋生物など、熊以外のさまざまなモチーフにも命を吹き込んでいった。特にアイヌ民族の先人たちの姿を等身大で彫った作品群は、精緻な写実的描写のなかに威厳に満ちた存在感が表現されている。80歳を超えてなお、旺盛な制作活動を続け、北海道文化賞、文化庁地域文化功労者表彰、 北海道功労賞などを受賞。2017年には札幌芸術の森美術館、国立民族学博物館(大阪)で大規模な個展も開催された。同展では、84歳で亡くなるまで、アイヌ民族として、熊彫りとして、誇りをもって生き抜いた藤戸竹喜の初期作から最晩年にいたる代表作80点あまりを展観。大胆さと繊細さ、力強さと優しさが同居する、その作品世界を紹介する。《怒り熊》1964年、(一財)前田一歩園財団蔵《群熊》1967年、(一財)前田一歩園財団蔵《語り合う熊》2018年、個人蔵左から《日川善次郎像》1991年、《杉村フサ像》《川上コヌサ像》1993年、3点とも個人蔵《狼と少年の物語》2016年、個人蔵《鹿を襲う熊》1977年、個人蔵《遠吠えする狼》2018年、個人蔵『木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ』の招待券を5組10名様にプレゼント!応募方法ぴあアート編集部Twitterをフォロー&本記事ツイートをRTしていただいた方の中から抽選でプレゼントいたします。当選者の方には、ぴあアート編集部アカウントよりDMをお送りします。ぴあアート編集部Twitter対象ツイート:※当選後、お届け先ご住所のご連絡ができる方のみご応募ください。個人情報につきましては、プレゼントの発送以外には使用いたしません。※当選発表は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。【応募締め切り】2021年5月27日(木)23:59まで※期間中は何度でも応募可能です。【開催概要】『木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ』会場:東京ステーションギャラリー会期:7月17日(土)〜9月26日(日)時間:10:00〜18:00(金曜は20:00まで、入館は閉館30分前まで)休館日:7月19日(月)、8月10日(火)、8月16日(月)、8月23日(月)、9月6日(月)、9月13日(月)公式サイト( www.ejrcf.or.jp/gallery )※新型コロナウイルス感染拡大防止のため開催内容が変更になる場合があります。
2021年05月06日今、家族が医師に対して確認したいことを推し測りながら出典 : 僕は診察室で「子どもの発達の診立て」を行いながら、同時にわが子の育ちを心配する親や家族の思いも診立てていきます。僕が向き合っているのは、「発達障害」ではなく、多彩な個性の持ち主である一人ひとりの子どもであり、家族です。このコラムでは、発達障害の診断名よりも「大事にしていること」についてお話ししていきます。初回の診察場面で、親御さんから「診断はつきますか?」「なんの障害ですか?」と聞かれることがあります。そういうとき僕は、「何回か診ないとわからないですよね」「検査も必要でしょうし、第三者の方々の日常の評価も知りたいですよね」というふうに、時間をかけてその子を診ていけるように話をします。一方で、「この段階で診断名はつけたくないんです」「そんなことで途方に暮れたくないし、落ち込みたくないし、傷つきたくありません」と訴えるお母さんもいます。そんなとき僕は、「わかりました。急いで診断名をつけてもつけなくても、今できるかかわりのほうが大切ですから、しばらく診断名は棚上げしておきましょう」とお話しすることもあります。診断名がその子をみる視点を狭めてはならない医療である以上、診断はとても重要なものです。それは疑いのないものです。しかし、「その子にどのような診断がつくか」と急ぐよりも、一人ひとりの思いや周囲との関係性について思いを馳せ、今できる生活の応援を考えることのほうを大切にしています。僕は、1〜2回の診察で診断名を伝えることはほとんどありません。病院で医師がその子に接するのは、切り取られた一場面であって、おそらく普段の日常の姿ではないはずです。診察室でその子が僕に見せてくれる姿が素の姿なのか、よそいき外行きの姿なのかは、ほんの数回では到底わからないと思っています。また、診断名がつくことによって子どもの言動のとらえ方が狭まってしまう、画一的になってしまう心配もあります。「この笑顔も症状なの...?」診断名を前にした、あるお母さんの苦悩を知って数年前にお会いしたお母さんが、わが子の様子をこんなふうに語ってくれました。「うちの息子は原っぱが好きで、いつも竹の棒を持ってトンボや鳥を棒で追い払うようにしながら、何時間でも走り回っているんです。それに、とても几帳面でミニカーをきちんと並べては、素敵な笑顔を見せるんです。私がそのミニカーをちょっと触って列を乱したりすると、ほんと真剣に怒るんです。それもまたかわいく思っていたんです。でも…」ある日、子どもの発達について気になるところのあったお母さんが、病院で診てもらったところ、「お母さん、その行動は自閉スペクトラム症の〝こだわり〞ですよ」と告げられたそうなのです。「その瞬間、今までは『かわいいな、素敵だな、ユニークだな』と感じていた子どもの行動が症状なんだ…と、見る目が変わってしまって。症状だったら『治さないといけない』と。だったら、今後は棒も持たせられないし、ミニカーも…。そんなふうに考えたら、『あの笑顔も症状なの?』って、いろいろと悩むようになってしまいました」。興味関心まで「症状化」してみえてしまうことも「好きでトンボを追いかけて、好きでミニカーを律儀に並べる。それでいいと思いますよ。問題ありませんよ」そんなふうに僕の意見を伝えると、「先生、うちの子のこと、トンボが好きで鳥が好きで、走り回ることが好きで、ミニカーが好きで……そういうことが好きな子なんだって思っていてもいいですか?」と、逆に問い返されました。「もちろんです!」僕はそう答えながらも、考え込んでしまいました。医学の診断名というのは、ある意味で、その子の興味関心すらも「症状化」してしまうことがあるのか、と。診断名はあくまでもその子の一部に過ぎない同じ診断名がつく子どもであっても、一人ひとり、その思い、言動はみな違います。まずはその子の思いに近づく努力をしたいと僕は日々思っています。「自閉スペクトラム症のしょうたくん」「ADHDのあいちゃん」といった視点ではなく、その子どもの目線にまで達して、「しょうたくん、あいちゃんは、こんな気持ちではないでしょうか」というところからかかわっていきたいのです。「こういうタイプの子は電車が好き」なんてひとくくりにできない出典 : ほかにも、「電車が好き」という男の子がいたとしても、「電車」というひと言ではくくれなかったりもします。好きな電車の世界の中にもいろいろあって、特急車両が好きな子もいれば、寝台列車が好きな子もいて、「キハ6000」の走行音が好きな子もいるし、路線図が好きな子も、無人駅が好きな子もいます。そういうこだわりを僕は、つくづくおもしろいなあ!と感じますし、奥が深いなあと痛感します。「こういうタイプの子って、やっぱり電車が好きですよね」とひとくくりにされた日には、彼らから異議申し立てが出るんじゃないかと思うくらいです。わが子の豊かな世界を一緒に楽しんでせっかくバリエーションの豊富な子どもたちの言動が、「こだわりが強い」「衝動性が強い」「五感が鋭い」といった決まりきった言葉(発達障害の特性を示す)だけに置き換えられてしまうのだとしたら、僕は残念でなりません。例えば、車のタイヤがクルクル回ったり、換気扇が回ったりするのをずっと見続けているお子さんがいたとして、「やっぱり、自閉スペクトラム症ってこういう回るものが好きなんですよね」とひとくくりに表現してしまうのも、その子に失礼だなと思ってしまうのです。クルクル回るものを見て楽しむ子どもの気持ちが、「自閉スペクトラム症」という記号によって、「回っているものを見て、 喜ぶ資質です」といった説明で片付けられてしまうことに強い違和感も覚えます。その子が選択したものを突き詰めていくと、 もっと「それが好きなんだ!」「これを手に入れたかったんだね」といった価値観に近づけるのではないでしょうか。「発達障害」というメガネを外してわが子を見れば出典 : 「発達障害」と判断することは、その子を理解する手がかりの一部にはなるでしょう。でも、発達障害という「メガネ」をいったん外して、わが子のありのままを見つめてみることも大切です。生きる上での喜びも、生活の中での傷つきも、そしてそれに対する周囲の手当ても、一人ひとり個々に体験して生き続けます。その子、そしてその家族に対して、僕たち精神科医は、可能な範囲で発達促進的な環境を一緒につくろうとします。同時に、僕たちはどこまでいっても、自分自身も、また他者も十分に理解することはできません。だからこそ対話をし続けます。生活を重ね合わせていきます。「発達障害」だけで子どもを見ないで――あくまでも手がかりの一つに過ぎない、発達障害という「メガネ」に支配されないこと。そして、子どもの理解にゴールはないことを、みなさんの心に留めていただけたら幸いです。版立ち読み『「発達障害」だけで子どもを見ないでその子の「不可解」を理解する』
2019年12月04日かつて高い資産価値を誇っていたはずの不動産も、近年では少子化による「家余り」で売るに売れない「負動産」になるケースが増えているという。「不動産」ならぬ「負動産」とはなんだろう。「一般的に負動産とは、『持っているだけで資産的にマイナスになる不動産』のことを指します。もっともイメージしやすいのは、地方にある戸建ての空き家でしょうか。もともと住んでいた親は亡くなったものの、売却もできず子どもが固定資産税を払い続けているような状態は、負動産の典型例です。また、それに限らず『いまよりも価値が下がっていく不動産』も、大きな枠で負動産に該当すると私は考えています」そう語るのは、負動産問題の専門家で、相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さん。すでに国内にある「所有者不明」の土地は九州の面積を超す広さに達しているが、藤戸さんは「今後はさらに、マンションも含めた負動産が大幅に増加していくでしょう」と警鐘を鳴らす。具体的に負動産になりやすい物件とはなんだろう。「地方の戸建て」がその典型例というのは冒頭のとおりだが、「そのマイナス面は、資産価値に乏しいことや固定資産税がかかることだけに限りません」と藤戸さん。「木造家屋は湿気に弱く、人が住まなくなると1年足らずで朽ち始めてしまうことも。『特定空家』にならないためには、定期的なメンテナンスが必要です。年に数回、誰も住まない実家の手入れをしに行くというのはよくある話。遠隔地であれば交通費だけでもかなりの出費になりますし、地元の不動産業者に管理を頼めば月々の手数料も発生します」そのほか負動産の典型として藤戸さんが挙げるのが、「老朽化した分譲マンション」と「別荘・リゾートマンション」だ。「高度経済成長時代に大量供給された分譲団地タイプのマンションは老朽化が進み、建て替え問題が発生しています」しかしマンションの場合、一つの建物を複数の権利者で共有する「区分所有」が一般的。「建て替えには原則的に所有者および議決権の5分の4の賛成が必要ですが、入居者の高齢化もあって実現しづらいのが現状です。では、建物を解体して敷地を売却してはどうかというと、こちらは原則全員の同意が必要で、さらにハードルが上がります」こうした物件を相続すれば、売却もままならず困惑する羽目に。さらに相続後に大規模修繕が発生し、数百万円単位の拠出を求められることもありうるという。「別荘については、外国人に人気の一部の場所以外は、過疎地の戸建てと似たような状況です。バブル時代に乱立したリゾートマンションは、価格が暴落しているいっぽうで、温泉など豪華な共用施設にかかる管理費は非常に高額になります。まさに、所有しているだけでお金だけが出ていく負動産です」つづいて藤戸さんが「近い将来、負動産の主流になるのでは」と予測するのが、老親が経営しているアパートだ。「’15年の相続税法改正前に、ハウスメーカーや銀行が『相続税対策』とはやしたてた結果、地方でも古くなった自宅を建て替えてアパートにする人が急増しました。しかし人口は減少しているので、すでに空家率は激増しているというデータもあります。このままでは家賃収入が減るばかりか、アパートを建設したときの借金が返済できなくなる可能性も」さらには開発がつづく都心のタワーマンションですら、将来的には負動産になる可能性を秘めているという。「だいたいマンションは12年に1回程度で大規模修繕を行いますが、3回目の大規模修繕を迎えるころには老朽化によって修繕費は大幅に上がる傾向に。東京の広尾や恵比寿など、よほどいい立地ではない限り資産価値が維持できず、老朽化マンションと似た道をたどると予想されます」最後に、盲点なのが都市部の農地だ。「’92年に『生産緑地法』が改正され、主に大都市圏の市街化区域にある農地は、宅地化を進める農地と、農地として保全する農地(生産緑地)に分けられました。この『生産緑地』に指定されると固定資産税が極めて安くなるなどのメリットがあるのですが、そのいっぽうで30年間は農業を営むことが義務付けられていました。そして、この『生産緑地』の8割が、3年後の’22年に指定から30年目を迎えます。農業を継ぐ人がいなければ固定資産税は跳ね上がりますので、宅地として売却するケースが続出するでしょう。一説によると、東京ドーム2,200個分もの土地が一気に不動産市場に出てくると推測されています」これだけの土地が一気に放出されれば、大都市圏の不動産価格は暴落必至!もはや地方も大都市も戸建てもマンションも関係なく、実家が負動産になりうる時代に突入しているのだ。
2019年09月04日かつて高い資産価値を誇っていたはずの不動産も、近年では少子化による「家余り」で売るに売れない「負動産」になるケースが増えているという。「不動産」ならぬ「負動産」とはなんだろう。「一般的に負動産とは、『持っているだけで資産的にマイナスになる不動産』のことを指します。もっともイメージしやすいのは、地方にある戸建ての空き家でしょうか。もともと住んでいた親は亡くなったものの、売却もできず子どもが固定資産税を払い続けているような状態は、負動産の典型例です。また、それに限らず『いまよりも価値が下がっていく不動産』も、大きな枠で負動産に該当すると私は考えています」そう語るのは、負動産問題の専門家で、相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さん。すでに国内にある「所有者不明」の土地は九州の面積を超す広さに達しているが、藤戸さんは「今後はさらに、マンションも含めた負動産が大幅に増加していくでしょう」と警鐘を鳴らす。「すでに都心でも、木が鬱蒼と生い茂った空き家を目にするようになりました。相続争いなどの問題もあるのでしょうが、もし所有者や相続人たちが『場所がいいから、売ろうと思えば高く売れる』と思っているのなら大間違いです。需要自体が減っているなか、不動産業者もいつ空き家状況が解消するかわからない物件より、いま売りに出ている土地や家を優先して扱います。都心でさえすでに『その気になればいつでも売れる』などという時代ではなくなっているのです」地方となればなおさらだ。もはや、不動産はプラスの資産になるどころか、売ることも貸すこともできず、固定資産税などのお金だけがかかっていく「負動産」になりうる時代。そこで藤戸さんが、負動産のリスクを減らす心得を伝授!■相続前に負動産リスクを軽減するために【心得1】親が健在なうちに家族会議を開くべし!「親が健在なうちに死後のことを話すのははばかれるかもしれませんが、仮に親に何かあってからでは的確な判断ができなくなるため、のちにきょうだい同士が相続でもめる原因に。ましてや認知症になってからでは遺言書の作成も困難になります」(藤戸さん・以下同)一般的に「健康寿命」は男女とも75歳が目安とされているので、いち早く話し合いの場を設けて!【心得2】登記をあげて権利関係者を把握すべし!自分の実家が親より前の世代から所有されていた場合は、実家の登記簿謄本を調べて権利関係者を把握しておこう。「父親が祖父から実家を譲り受けていたけれど、名義は祖父のままだった、ということは珍しくありません。すると、相続人は父のきょうだいやその子に及ぶこともあり、全部で20人も!ということも」スムーズな相続のためにも、まずは管轄の法務局で登記簿謄本を取得しよう。【心得3】隣家との境界や建物の現況を調べるべし!とくに実家が過疎地の空き家という場合、もっとも有効な対策となるのがお隣さんの存在。「たとえ無料でも土地を引き取ってもらったほうが、税金や維持管理費から解放されることになります。ただし、反対側にも家がある場合は、境界線を確定させないと思わぬトラブルのもとに。ほかにも、シロアリに食われていないかなど物理的な確認もしておきましょう」測量、調査は土地家屋調査士へ。【心得4】相続放棄の可能性も視野に入れておくべし!「後々の面倒を避けたければ、不動産を含むすべての相続財産を放棄してしまうというのもひとつの手です。マンションなら、その後の管理責任は管理組合に移行されるのが通常です。戸建ての場合は家庭裁判所に相続財産管理人選任の申し立てを行う必要があり、かつ100万円程度の『予納金』が発生する場合もありますが、負動産を管理し続ける手間とコストを考えれば、十分に検討の余地はあるでしょう」■相続後の“負け幅”を小さくするために【心得5】民泊での活用を検討してみるべし!訪日外国人が訪れるエリアに実家があるという人は、「民泊」で固定資産税や公共料金ぶんを賄うという選択も。「民泊とは旅行者が一般の民家に宿泊することや、そのサービスの通称です。海外からの旅行者の宿泊需要を満たす必要性が高く評価され、昨年には『住宅宿泊事業法(民泊新法)』が施行されました。都道府県知事への届け出や、専門業者への委託などが必要ですが、検討してみては」【心得6】DIY賃貸で借り手のハードルを下げるべし!DIY賃貸とは、借り主が費用を負担することで自分好みの内装工事を施して入居する賃貸物件のこと。「誰も住まなくなった空き家をリフォームして賃貸にするには高額な費用がかかりますが、DIY賃貸ならその必要はありません。また、自ら内装を手がけて借りるくらいの借り主ですから家賃滞納のリスクも低くなります」相続絡みの紛争で塩漬けになっている都心の空き家などにはもってこいだ。「何より優先してほしいのは、実家の所有者である親が元気なうちの家族会議です。仮に、実家が明らかな負動産なのであれば、相続人全員で相続を放棄するという選択肢もありえるでしょう。もっとも、戸建ては相続放棄をしても管理責任から逃れるためには相続財産管理人選任の申し立てが必要です。その費用として高額な予納金が発生することもありますが、少なくとも固定資産税や維持管理費を支払い続ける義務からは解放されます。また、親に多少の現金があるのなら、葬儀費用を除いたお金で一時払いの生命保険に加入してもらっておくというのもひとつの手段です。相続放棄をしていても保険金は受け取れますので、そのなかから予納金を工面することができますから」ほかにも、実家の名義人である父親が亡くなったときに、母親がそのまま家を相続するのか、それとも売却して現金化するのかなど、込み入った話をするのであれば、少しでも親が若いに越したことはない。「さらに、父親が亡くなった後、高齢になった母親が認知症になってしまえば成年後見人をつけなければいけなくなり、相続問題はより難航します。そのためにも、親が元気なうちに合意しておくことが大切なのです」こうした家族会議と並行して、権利関係者や物件の現況をしっかり把握しておくことも忘れずに。隣家との境界線が曖昧だったり、建物自体がシロアリの被害に遭っていたりすれば、負動産の“負け幅”が想定以上に広がりかねないからだ。すでに親が亡くなり負動産を相続してしまった人も、負動産のリスクを減らす心得を参考に“負け幅”を小さくする方法を検討してほしい。「列島総負動産時代」はすぐそこ。早めの備えで、負け戦から逃げ切ろう!
2019年09月04日かつて高い資産価値を誇っていたはずの不動産も、近年では少子化による「家余り」で売るに売れない「負動産」になるケースが増えているという。「不動産」ならぬ「負動産」とはなんだろう。「一般的に負動産とは、『持っているだけで資産的にマイナスになる不動産』のことを指します。もっともイメージしやすいのは、地方にある戸建ての空き家でしょうか。もともと住んでいた親は亡くなったものの、売却もできず子どもが固定資産税を払い続けているような状態は、負動産の典型例です。また、それに限らず『いまよりも価値が下がっていく不動産』も、大きな枠で負動産に該当すると私は考えています」そう語るのは、負動産問題の専門家で、相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さん。すでに国内にある「所有者不明」の土地は九州の面積を超す広さに達しているが、藤戸さんは「今後はさらに、マンションも含めた負動産が大幅に増加していくでしょう」と警鐘を鳴らす。「まず、負動産の増加を語るうえで切り離せないのが空き家問題です。主な原因は2つありますが、1つ目は人口減少と超高齢社会、さらに結婚数の減少による世帯数の減少です。国立社会保障・人口問題研究所が’18年に発表した『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』によれば、日本の世帯数のピークは’23年の5,419世帯と推計され、その後は減少に転じ、’40年には5,076万世帯になる見込み。世帯数が減ればそれだけ必要な家の数も減りますので、おのずと空き家は増えるでしょう」2つ目は、すべての団塊世代が’25年ごろまでに後期高齢者の仲間入りを果たす、いわゆる「2025年問題」。「縁起でもないことではありますが、世帯数が減り始めるのに高齢者世帯が増えるということは、高齢者が亡くなった後の家、イコール、空き家が増え続けるということです。野村総合研究所の’19年の予測によれば、『空家等対策の推進に関する特別措置法の影響や世間の注目により既存の住宅の除却や、用途転換が以前の見込みよりも進み、空き家急増シナリオは避けられたものの、’33年に空き家率は17.94%に上昇する可能性がある』とされています」総住宅数における空き家数および空き家率の推移は、加速度的に増加しているのは明らかだ。「いっぽうで、新築される住宅はそこまで減っていないのです。この先は多少減ると予測されているものの、空き家数の増加を考えると微減にすぎないといえるでしょう。日本は『住宅過剰社会』に突入しています」そこに追い打ちをかけるのが、若い世代の価値観の変化だ。「これまでの日本人は『不動産、とくに土地は、持っていれば将来的に価値は上がりこそすれ、下がることはない』という『不動産神話』のなかで生きていましたが、この神話はバブル崩壊とともに吹き飛びました。バブル崩壊後に生まれた世代もとうに大人になったいま、『子育て世代になったらローンを組んで住宅を購入する』という旧来のライフプランは、主流ではなくなるでしょう」すでに「若者がクルマを持たなくなった」といわれて久しいが、代わりに必要なときだけ利用できるカーシェアリングサービスが、人気を集めるようになった。「住宅も同じように、所有から利用へと変わってきているのです。今後ますます、不動産は供給過剰状態に陥ると予想されます」そうなれば当然、不動産市場全体が下落。藤戸さんは、都心の一等地にある実家でも負動産の予備軍になりえると指摘する。「すでに都心でも、木が鬱蒼と生い茂った空き家を目にするようになりました。相続争いなどの問題もあるのでしょうが、もし所有者や相続人たちが『場所がいいから、売ろうと思えば高く売れる』と思っているのなら大間違いです。需要自体が減っているなか、不動産業者もいつ空き家状況が解消するかわからない物件より、いま売りに出ている土地や家を優先して扱います。都心でさえすでに『その気になればいつでも売れる』などという時代ではなくなっているのです」
2019年09月04日かつて高い資産価値を誇っていたはずの不動産も、近年では少子化による「家余り」で売るに売れない「負動産」になるケースが増えているという。「不動産」ならぬ「負動産」とはなんだろう。「一般的に負動産とは、『持っているだけで資産的にマイナスになる不動産』のことを指します。もっともイメージしやすいのは、地方にある戸建ての空き家でしょうか。もともと住んでいた親は亡くなったものの、売却もできず子どもが固定資産税を払い続けているような状態は、負動産の典型例です。また、それに限らず『いまよりも価値が下がっていく不動産』も、大きな枠で負動産に該当すると私は考えています」そう語るのは、負動産問題の専門家で、相続・不動産コンサルタントの藤戸康雄さん。すでに国内にある「所有者不明」の土地は九州の面積を超す広さに達しているが、藤戸さんは「今後はさらに、マンションも含めた負動産が大幅に増加していくでしょう」と警鐘を鳴らす。「すでに都心でも、木が鬱蒼と生い茂った空き家を目にするようになりました。相続争いなどの問題もあるのでしょうが、もし所有者や相続人たちが『場所がいいから、売ろうと思えば高く売れる』と思っているのなら大間違いです。需要自体が減っているなか、不動産業者もいつ空き家状況が解消するかわからない物件より、いま売りに出ている土地や家を優先して扱います。都心でさえすでに『その気になればいつでも売れる』などという時代ではなくなっているのです」地方となればなおさらだ。もはや、不動産はプラスの資産になるどころか、売ることも貸すこともできず、固定資産税などのお金だけがかかっていく「負動産」になりうる時代。かといって、そのまま放置しておけば、さらに最悪のシナリオが待っている。それは「特定空家」に指定されること!「’15年5月26日に、『空家等対策の推進に関する特別措置法(空家対策特別措置法)』が全面施行されました。これはずばり、増え続ける日本の空き家をなんとかするべく、国土交通省の肝いりでつくられた法律です。この空家対策特別措置法に定められた『特定空家』に指定されると、最大で、固定資産税が更地の6分の1となる優遇措置の対象から外れるほか、市町村長から建物の除却や修繕、周辺環境のために必要な措置をとるよう(1)助言または指導、(2)勧告、(3)命令、と段階的に措置がとられます」最後の措置である命令に従わないときは、50万円以下の罰金刑が下される。「さらに、家屋倒壊の危険が大きいときは『行政代執行』といって強制的に家屋の取壊し除去が行われますが、そこにかかる費用はすべて所有者に請求されます。払わなければ、給与や財産を差し押さえて回収されることになるので、注意が必要です」特定空家に指定されるのは、次の4つの要件を満たしたとき。【1】そのまま放置すれば倒壊等著しく保安上危険となるおそれのある状態。【2】そのまま放置すれば著しく衛生上有害となるおそれのある状態。【3】適切な管理が行われていないことにより著しく景観を損なっている状態。【4】その他周辺の生活環境の保全を図るために放置することが不適切である状態。もはや、実家の「負動産」対策は待ったなし!まずは「不動産神話は完全に終わった」ことを、心に強く刻んでおこう。
2019年09月04日診察室で、日々、出会うのです。親たちの思いと、言葉に…出典 : わが子のそだちに寄り添うなかに生じる違和感、「なにかが違うんです」という親の思い。そこには、わが子のこころに自分のこころが重ならないことの悔しさともどかしさがある。それが時に自分へのふがいなさとなり、自分を責めたり、わが子のわがままとしてつい追い詰めてしまう。発達障害という診断は、生来的にわが子にある特性として、その日その時にできる関わり方で対応するという医学モデルを提案するもの。診断が下ったとしても、誰も責めあう必要はないのです。親は「私の育て方でも、この子が私を嫌っているからでもないのですね」という安堵と、「でもこれからずっと、その特性と私もこの子もつき合っていくしかないのですね」という荷を背負う覚悟を、時には疲れ果てた思いとともに、語る。画期的な治療方法があれば、なにか魔法のようなものがあれば、ある日、朝起きたときにすべての課題が霧のように消えてしまっていたら。そういう願いを、いつもこころのどこかに抱きながら、親は毎日を送っているのだろうなぁ。僕は診察室での出会いから空想する。診察室で話をしながら、僕は、この子と親が自宅で悪戦苦闘している姿を空想する。リビングで、食卓で、トイレの前で。ゲーム機やタブレット、携帯を間に、激しい言葉のやりとり。モノが飛び交い、時に破損していく姿。そうした光景を走馬灯のように頭のなかで巡らせながら、僕はその子と親を診る。わが子のそだちにつき合っていくのは、もちろん楽しみでもある。しかし、苦痛でもある。先のゴールが見えないだけでなく、今歩いているこの道さえも、本当に正しい道かどうかすら、誰からも正しい助言を、親はもらえない。「日々のわが子の言動に迷いと途方にくれる思いを持ちながら、眼の前のわが子の言動に一喜一憂しながら、親としての時間が過ぎていく」「こんな苦労もそのうち終わると思っているのですが、ひょっとして終わりのない苦労なのじゃないかと思うのです」「いつまで私はこの大変さとつき合っていかないといけないのでしょう」「小さい喜びのあと、決まって大きな哀しみが来ます。最近は笑いながら泣いています」「この子が変わらないなら、私が家を出るしかないと、先日荷物をまとめたことがあります」「家族ですら、私の気持ちを分かってくれる人はいません。本当に疲れてしまいました」「本当は、私のせいではないのですか」僕は、診察室で、このような言葉と出会うのです。そしてその言葉の後ろにある、思いにー。子どもの生きる力を、思いを、翻訳して親に伝える。それが、僕ができることー出典 : 診察室でできることは限られている。育ちの見通しを明確に告げる予言は僕にはできない。せめてこの子の行動に裏にある意味や行動を説明する仮説を設定し、それを言葉にして親に伝えようと、僕は苦心する。時にそれは発達段階としての生物学的説明であったり、思いを言葉にできないゆえの行動であったり、強い個性から生じるちょっと分かりにくい個性的思考であったりする。同時に、言葉を届ける相手の気持ちに思いを馳せる。僕にとってそれほど的を外していないと思われる言葉であっても、今の眼の前の親には届かない場合もある。今、欲しい言葉でないときに、聴きたくないときに、言葉は対話とならずに宙をさまよう。今、最大限伝わると思われる言葉を選りすぐり、僕は親に言葉を贈る。何年やっても、その選択には自信がない。語り合うなかでの、微妙な表情の変化を読み取り、僕の言葉がシャットアウトされていないか、スルーされていないか、誤解されて伝わっていないか、恐る恐る微調整していく。気持ちの乗せ方、発語のスピード、抑揚、一期一会のやりとりである以上、できる限りこころを砕く。思いがこもる発話は、侵襲性が高い場合もある。記号化した言葉よりも、思いが過剰に残像となる場合もある。時に僕は紙に説明文を書き、それを説明して音としての言葉でなく、文字としての言葉を遺すこともしている。言葉は、恐ろしいものである。誤解も簡単に作ってしまう。そもそも、育ちという先の見えない、しかも、すべてが例外という育ちを、平均的に説明すればするほど、眼の前の子どもの有り様が消えていく。発達障害臨床、あるいは子どもの精神医療とは、マニュアル、ガイド化しにくいもので、診断名がついたことで、先が見えるというものではない。常に「じゃ、今を、明日を、これからを、どのように生きていけばよいのですか」。答えのない疑問を共有し、今できる小さいことを提案し、それを積み重ねていく作業を応援していく、それがそだちに関わる僕の仕事である。そのために、なにをおいても親には先に倒れることなく、焦らずに、日々の小さいできごとを、きちんと受け止め、喜び、泣き、次に生きる糧にしてもらいたいと、願う。子どもの育ちの速度を変えることは僕の臨床ではできない。子どもの力を一新することも、僕にはできない。僕にできることは、今のこの子の生きる力を捉え、同時に、この子の思いに近づく努力をし、それを周囲に翻訳し伝えることである。そのためには常に、大きく貢献してきた親への感謝と労いを、言葉にすることが重要なのである。「よく、ここまでそだてましたね」「この子に上手に寄り添っていますね」「この子も安心していることでしょうね」「お疲れさまです。ちょっと休んでよいかと思います」いくら言葉にしても、足りないくらいである。その子のこころに近づこうとすることー発達障害を突き詰めることより、大切なもの出典 : 医学は個々の発達のなかで、ある特性を強く持つ状況を、医学的に病態としてグループ化し、それぞれのグループに診断名をつけた。大きな括りは「発達障害」である。そのなかを、自閉スペクトラム症とか注意欠如多動症とかさまざまな名称で区分けをした。その特性の度合いは一定ではなく濃淡というイメージで、非常にバリエーションがあり、個々のなかでも、生活状況によって流動的だ。しかも、その区分けの境界線も非常に脆いもので、時に複数が混じり合っている場合もある。その特性は、突き詰めると、すべての子どもに濃淡があり、まったくないという子どもは、そもそも存在しないのではないか、鍵は濃淡の度合いになってしまう。すると、時にその特性は、医学的に診断されるものに該当し、ある特性は、存在するが診断されるほどの濃さではないと、医学的に判断される、ということになる。もちろん、大きな戸惑いもなく、判断される濃さもある。診断する側によって右往左往してしまう微妙な濃さもある。発達障害があるかないかという境界線は、実際には、明確さに欠ける部分がある、という感想を僕は診察室で常に抱く。それは、問題視するべきではない、全然大丈夫、という判断をしてもよいということではない。少なくとも、これまで述べてきた親の言葉は生活のなかで紡ぎ出された思いである。子どもたちも、どこか生活場面に戸惑い、追い詰められ、自己判断を否定され、思いを拾い上げてもらえず、糾弾されてしまう、という体験のなかで、苦しみうめいている。この事実に、僕はより生活がしやすい方法を探し、環境調整に苦心するのが精神科臨床であると思っている。明確な診断がつかなくても、診断という海図におおよその目途をたて、難破することなく、巡航できることを計画することはできる。あとは天候に応じて微調整を計り続けるだけである。海図は、あくまでも海図である。そこにリアルタイムな関わりを創造していくのが僕たちの臨床なのだ。発達障害を突き詰めるよりも、この子のこころにより近づこうとするほうが、実際は難しいが必要なことであり、近づく人は、この子の生活に実際に関わるすべての人たちでないといけない。その橋渡しが僕の役割である。僕は、日々を送られる子どもたちとその親を、こころから応援したいと思っている。そしてそれを支える周囲の生活者に敬意を払いたいと思います。
2018年04月03日