今年、役者デビュー20周年、7月15日(水)にミニアルバム「1989」をリリースし、ドラマ「37.5度の涙」(TBS)に出演するなど活躍を続ける俳優の藤木直人が、思い出の地イギリス・ロンドンで行った舞台「海辺のカフカ」海外公演の裏側に迫る「アナザースカイ」が、本日7月17日(金)に日本テレビにて放送される。映画『花より男子』(’95)でデビュー後、「ナースのお仕事」シリーズ(フジテレビ)や「ホタルノヒカリ」シリーズ(日本テレビ)などから、「おしゃれイズム」のパーソナリティまで、多岐にわたって活躍を続ける藤木さん。今回、藤木さんが訪れたのは、20年前にも訪れた思い出の地、ロンドン。原作・村上春樹、演出・蜷川幸雄、共演に宮沢りえら実力派を据えた舞台「海辺のカフカ」で初の海外公演を経験した。高校2年から“ギター小僧”と呼ばれるほど、音楽にも造詣が深く、その熱い想いを番組MCの今田耕司、瀧本美織に語る藤木さん。ギターの名器と出会い大興奮する姿はもちろん、早稲田大学理工学部を卒業した秀才だけあり得意のルービックキューブで世界チャンピオンと対決したり、自分へのご褒美に○○も購入したりと、俳優・藤木直人とはひと味違う、“無邪気”な表情を見せている。そんな彼の海外初公演の裏側を大公開。そして、まさかのサプライズも登場し…。大好きなお酒を手に、霧の都・ロンドンで明かされる意外なプライベートと、ほろ酔いで語られる、“これまで”と“これから”。芸能生活20年の節目だからこそ明かされた藤木さんの本音に、ぜひ注目してみて。「アナザースカイ」は7月17日(金)23:00より日本テレビ系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2015年07月17日前回大会の再現となった女子ワールドカップ決勝。アメリカの執念の前に一敗地にまみれ、銀メダルに泣いたなでしこジャパンだが、序盤に大量4失点を喫しても下を向くことなく宿敵にくらいついた。日本中のファンの胸を打った「折れない心」の源泉を探る。○アメリカが開始早々から奇襲を仕掛けてきた理由スタジアムに「U.S.A.コール」が鳴り響くなかで、新たな世界女王が歓喜の雄叫びをあげる。同じ舞台から日本中へ笑顔と勇気を届けてから4年。なでしこジャパンは宿敵アメリカの姿を脳裏に焼きつけながら、勝者を称える拍手を送ることを忘れなかった。PK戦の末に苦杯をなめた前回大会の借りを返すべく、アメリカは奇襲を仕掛けてきた。前半わずか3分。右CKをグラウンダーで蹴ってくる。虚を突かれ、反応が遅れたなでしこをあざ笑うように、フリーで走り込んできたMFロイドの一撃がネットを揺らした。今大会で初めてリードを許す展開に、浮き足立つなでしこ。「らしさを取り戻される前に叩き潰せ」とばかりに、前半16分までに4ゴールを奪ったアメリカの鬼気迫る波状攻撃は、それだけなでしこの粘り強さを恐れていた証でもあった。実際、なでしこの心は折れなかった。ドイツのGKアンゲラーがもっていた540分間の大会最長無失点記録更新まであと1分と迫った前半27分。FW大儀見優季の左足が、アメリカの守護神ソロの牙城を打ち破る。後半7分にもMF宮間あやの絶妙なFKが相手のオウンゴールを誘発する。直後に1点を追加されても誰も下を向かない。DF鮫島彩は足をつらせても必死に走り続けた。左足骨折で戦線を離脱していたFW安藤梢も日本から駆けつけ、ベンチで声援を送り続けた。試合は2対5で負けた。それでも、なでしこの真骨頂でもある「折れない心」は最後まで発揮された。彼女たちはなぜ愚直に、ひたむきに戦い続けることができるのか。○レジェンド澤穂希が悲痛な祈りを捧げた日歴史を振り返れば、彼女たちは女子サッカーの存亡をかけた戦いに何度も臨んできた。そのたびに歯を食いしばり、魂を削りながらバトンをつないできた。その象徴となるのが2004年4月24日、国立競技場で行われた北朝鮮女子代表戦だ。勝てばアテネ五輪出場が決まり、負ければ可能性が消滅する大一番。相手はそれまで一度も勝ったことのない強敵。しかも、日本女子サッカー界は崖っぷちの状況に直面していた。国内のL・リーグはバブル経済破綻の余波で1990年代の終盤から撤退チームが続出し、縮小の一途をたどっていた。しかも、日本女子代表はシドニー五輪出場を逃している。その上でアテネ五輪出場も逃せば、日本の女子サッカーそのものの灯が消えてしまう。北朝鮮戦当日の午前中。宿泊していたホテルの近くを散歩していたMF澤穂希は、参拝した神社でこんな祈りを捧げている。「他には何も望みません。だから、今日だけは勝たせてください」。当時の澤は右ひざの半月板を損傷し、歩くことすらままならない状態だった。痛み止めの注射を打ち、座薬までも服用して、まさに執念でキックオフに間に合わせた。果たして、運命の一戦は日本が3対0で制した。チームを鼓舞したのは、ファーストプレーで相手選手を吹っ飛ばした澤の背中だった。○世界一獲得への序章となった予告ゴールひたむきに戦う彼女たちの姿に日本サッカー協会(JFA)の幹部が感銘し、愛称「なでしこジャパン」が公募されるきっかけとなった北朝鮮戦から約6年後。再びターニングポイントが訪れる。中国・成都で開催されていたAFC女子アジアカップ。初優勝を狙っていたなでしこは準決勝でオーストラリア女子代表のパワーの前に屈し、中国女子代表との3位決定戦に回った。この大会は翌2011年にドイツで開催される女子ワールドカップのアジア予選を兼ねていた。アジアの出場枠は「3」。中国に負けていたら、その後のすべての歴史が変わっていたことになる。しかも、なでしこは2トップの一角、大野忍を右太もも裏の肉離れで欠いていた。中国戦前夜。大野はホテルで同部屋だった澤からこんな決意を打ち明けられた。「シノ(大野)がドイツに行けるためにも絶対に勝つ。絶対にゴールを決めるからね」。生きるか、死ぬかの一戦はなでしこの1点リードで迎えた後半17分に大勢が決する。ダメ押し弾を決めたのは、大野のユニホームを重ね着して臨んだ澤だった。世界一への序章となった澤の予告ゴールを、大野はこう振り返ったことがある。「それをウチに捧げるとまで言ってくれて。超カッコよかったですよ」。○海外組への支援制度に対して吹き荒れた逆風6大会連続のワールドカップ出場を決める直前の2010年4月に、JFAは「なでしこジャパン海外強化指定選手制度」をスタートさせている。なでしこは北京五輪で4位に入ったが、準決勝でアメリカ、3位決定戦ではドイツに完敗。フィジカルの差という壁を超えるために、海外挑戦を考える選手が増え始めていた。しかし、海外移籍への手順や代理人契約に関するノウハウがない。移籍できたとしても、海外でも年俸は300万円程度。通訳もつかない現実に直面する。そうした状況を変えるために――。JFAの野田朱美・女子強化担当(現女子委員長)は、代表のキャプテンを務めた自身の経験から弾き出された私案を、約1年間をかけて制度化させた。海外組に対して1日1万円、1シーズンで約250万円の滞在費を支給するこの制度は、彼女たちを取り巻く状況を劇的に改善した。大儀見や安藤たちは滞在費を語学学校代に充て、コミュニケーション力を向上させて飛躍につなげた。今大会の代表23人で、現職を含めた海外クラブ経験者は13人。ほぼ全員が「これがなければ海外挑戦は無理だった」と感謝する制度がなでしこの底上げに寄与したことは間違いないが、提案された当初は女子サッカーが置かれてきたステータスを象徴するような逆風がJFA内で吹き荒れた。「お金を出せば誰でも海外に行きたがる。国内リーグが空洞化する。非常識だ」と。○決勝戦終了と同時に始まった新たな戦い世界一獲得後にDF岩清水梓らがプロ契約を結んだ国内組だが、残念ながら後に続く選手がなかなか増えていない。たとえば大会MVP候補にノミネートされたDF有吉佐織は、普段はサッカースクールの受付を勤めている。サッカーと仕事の両立。厳しい待遇のもとでプライベートがほとんどない日々を連想させるがゆえに、メディアからの質問には「大変だとは思いますが」という枕詞がつくことが多い。こうした状況に違和感を覚えているのが、当のなでしこたちとなる。関係者からこんな話を聞いたことがある。「彼女たちは昔もいまも、大好きなサッカーをもっともっと極めたいと望むピュアな思いと、頑張っていけば必ず環境を変えられるという一途な思いとともにプレーしているんです」。望んだ色とは異なるメダルを、なでしこは誇らしげな表情で受け取った。よくやったという言葉は、むしろ彼女たちに失礼かもしれない。それでも、前哨戦だった3月のアルガルベカップで9位に沈んだどん底からはい上がり、決勝までの6試合をすべて1点差で勝ち進んできた軌跡には胸を張っていい。試合後のフラッシュインタビュー。「この4年間で手にできたものは」と問われた宮間は、涙をこらえながらこう答えた。「最高の仲間たちです」。GK海堀あゆみや3失点に絡み、前半途中に澤との交代でベンチへ下がった岩清水を、何人もの選手たちがいたわった。一方で狂喜乱舞するアメリカのかたわらで、試合途中から最終ラインを組んだ阪口夢穂、熊谷紗希、宇津木瑠美が真剣な表情でおそらく反省点を話し合っている。バンクーバーの地で刻んだ悔しさを糧にしながら、最高にして最強の武器である「優しくも折れない心」をさらに磨き上げたなでしこたち。来年のリオデジャネイロ五輪で訪れるであろうリベンジの舞台を照準にすえながら、すでに新たなる戦いを始めている。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2015年07月07日世界的ヒットシリーズの最新作『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』で前作に続いて、日本語吹き替え版ボイスキャストを務める竹中直人、米倉涼子、宮迫博之が5月27日(水)、増上寺にて行われたヒット祈願イベントに出席した。先月より世界各国で公開が始まり全ての国と地域で初登場No.1に輝くなど大ヒットを記録している本作。世界の平和を守るために“アイアンマン”トニー・スタークが人工知能「ウルトロン」を発明するが、ウルトロンはやがて、“究極の平和”として地球を脅かす唯一の存在=人類を抹殺することを選択。アベンジャーズたちがそれに立ち向かう。竹中さん、米倉さん、宮迫さんは増上寺の安国殿にてヒット祈願を行ない、それぞれが矢を奉納した。その後、安国殿前にて、宮迫さん演じるホークアイの得意技でもある弓により、先ほど奉納した矢を射ぬいて願掛けをする弓射式を執り行い、3人とも見事に「アベンジャーズ」の“A”のマークが描かれたパネルを射抜いた。3人とも無事に弓を射抜いてホッとした表情だが、特に宮迫さんはホークアイ役とあって「外すわけにはいかないので緊張しました。『真ん中に当ててくれ』と言われてたし」と語り、煽り気味の司会に対しても「あなたがプレッシャー掛けてくるので正直、イラッとしました」と本音を口にし笑いを誘っていた。既に3人ともアフレコを終えているが、この日も眼帯に黒のロングコートというニック・フューリーになりきって登場した竹中さんは「オファーをいただく前の3年と12か月前から準備をしてきました。サミュエル・L・ジャクソンの声は僕しかいない!」とノリノリで完成した映画についても「すごい映画になってます!」とニッコリ。米倉さんは、アメリカで行われたワールド・プレミアに日本を代表して出席したが「朝、レッドカーペットを用意している段階から人が集まっていて、みんな(キャラクターの)扮装をしてるんです」と現地の熱気を明かし、現地のファンと共に鑑賞した作品についても「5分に1度くらい沸くんです!」と興奮を口にしていた。米倉さんに対してはイベント終了間際の退出時に、先日の離婚報道のその後に関する質問も飛んだが、大音量のBGMに報道陣の質問はかき消され、スタッフの制止もあって米倉さんは無言で会場を後にした。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』は7月4日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2015年05月27日5月30日公開の映画『誘拐の掟』の公開記念イベントが19日、都内で行われ、俳優の竹中直人、グラビアアイドルでタレントのおのののかが出席した。本作は、リーアム・ニーソン演じる私立探偵マット・スカダーが、ひとりの少女の命を懸け、連続誘拐殺人犯との交渉を繰り広げるサスペンスミステリー。作品の見どころである酔いどれ探偵スカダーの交渉術にちなみ、『探偵物語』の松田優作が大好きという竹中直人が登場し、おのののかを電話で口説いた。開口一番「結婚して下さい!」といきなりプロポーズした竹中に対し、おのは「急すぎるので」と拒否反応。時間を置いて、おのののかがビールの売り子をしていたということでビールを飲んで「俺と付き合え! この野郎!」と再度口説き文句を言うも、おのから「ちょっと急ぎすぎるしごめんなさい…」と拒否られて「リーアム・ニーソンの交渉術には叶いません…」とギブアップした。そんな竹中の性急なアプローチにおのは「急だとこっちも…。口説くとしたら、何回かお食事を重ねてからがいいと思います」と当たり前のアドバイスを送ると、竹中は「何もわからないですよ。僕はテクニックがないので…」と半ばあきらめ状態だった。イベント中、口説きに失敗した竹中だったが、おのから「今若い娘の中で枯れ専女子が流行っているんです。竹中さんに初めて生でお会いしたんですが、ダンディーさというか大人の色気がありますよね。朝からこんなにかっこ良い59歳がいるのかと思うとびっくりです。本当にかっこ良いと思いますよ」と"枯れ専女子"発言されてニヤけ顔。続けて「お食事に誘われたら全然行きますよ! その後はどうなるかわからないですけど(笑)」というおのの意味深発言に戸惑いを見せた竹中だったが、「今度共演させて下さい!」と満更でもない様子だった。映画『誘拐の掟』は、5月30日より全国公開。
2015年05月20日俳優の竹中直人が5月19日に、都内で行われた映画『誘拐の掟』のPRイベントに出席。主演を務めるリーアム・ニーソンの大ファンだといい、「哀愁漂う存在感がたまらない」とホレボレした様子だったが、「62歳なのに老眼じゃないし、髪もある」と納得いかない表情も。「僕は59歳だけど、もう老眼だし、髪の毛だって…」と笑いを誘った。イベントの模様過去に苦悩するアルコール依存症の元刑事で、探偵の主人公・マット・スカダー(ニーソン)が、連続猟奇殺人犯と壮絶な心理戦を繰り広げるサスペンスアクション。ローレンス・ブロックによる傑作ミステリー『獣たちの墓』を、『マイノリティ・リポート』『アウト・オブ・サイト』の脚本家であるスコット・フランクが脚本と監督を務め、映画化した。「表情を変えない、淡々としたお芝居が染み入る。映画をA級、B級って分けたりしたくないけど、仕事を選ばず、いろんなタイプの役柄を演じるのはすごい」とニーソンの魅力を語る竹中は、「殺人のシーンは思わず目を背けたくなっちゃうけど、そんな悪の不気味さも魅力。監督のセンスが抜群ですよね」と作品にも太鼓判を押した。イベントにはタレント・おのののかも駆けつけ「リーアムさんは62歳とは思えないほど、素敵。若い女の子の間では、枯れ専(年配の男性に惹かれる)も流行っている」とニッコリ。竹中とは初対面だといい「ダンディさと大人の色気があって、かっこいい」とリップサービスしていた。『誘拐の掟』5月30日(土)全国公開取材・文・写真:内田 涼
2015年05月19日今週末にいよいよ公開となる話題の“狂気”の音楽映画『セッション』。このほど、公開記念イベントとして、俳優の竹中直人さんと「東京スカパラダイスオーケストラ」が登壇するスペシャルセッションライブ付き上映が「TOHOシネマズ新宿」で開催されることがわかった。名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。 ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。 恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。第87回アカデミー賞で作品賞を含む5部門にノミネート、見事3部門、助演男優賞[J・K・シモンズ]/編集賞/録音賞を受賞した『セッション』。今回決定したスペシャルセッションライブは、「釘付けになった!」と本作を絶賛する竹中直人さんと、世界を股に掛けるスカバンド・東京スカパラダイスオーケストラが登場する。ミュージシャンとしても活動する竹中直人さんとスカパラの夢の共演。映画に共鳴した彼らの“セッション”を目撃してみて。<映画『セッション』公開記念スペシャルセッションライブ付上映>時間:4月21日(火)18:30の回(上映前)場所:TOHOシネマズ 新宿(4月17日オープン)登壇者:竹中直人、東京スカパラダイスオーケストラ(敬称略)料金:通常料金(プレミアボックスシート・プレミアラグジュアリーシートは別途追加料金が必要です)※登壇が予告なく変更・中止になる場合がございます。※特別興行に付き前売鑑賞券、ムビチケはご使用になれません。(text:cinemacafe.net)■関連作品:セッション 2015年4月17日よりTOHOシネマズ新宿ほか全国にて公開(C) 2013 WHIPLASH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED
2015年04月16日ドラマや映画、バラエティなど多方面で活躍する女優・佐々木希が、竹中直人と生瀬勝久が出演する「ブロッケンの妖怪」にて、待望の舞台デビューを果たすことが明らかとなった。2011年、竹中さんと生瀬さんが舞台で激突し話題となった「竹生企画」第一弾「ヴィラ・グランデ青山~返り討ちの日曜日~」から4年。屈指の超個性派俳優でありクリエイターでもある二人が本作で再びタッグを組む。物語の舞台は孤島。絵本作家の打越(竹中さん)、担当編集者の黒柳(生瀬さん)は小さな孤島を訪れる。打越には放浪癖と浮気性があり、心配する打越の恋人もやって来た。森と砂浜、そして大きな洋館がぽつんと一軒建っているだけの孤島。その洋館には、虹子(高橋惠子)という女と娘の小真代(佐々木さん)、使用人の稲井(大貫勇輔)が暮らしており、生活必要品は船乗りの泊(田口浩正)が本土から運んでくる。打越たちはこの島で目撃される「ブロッケン現象」を取材しに来たのだった。霧の濃い日に、洋館の影が霧に映り、海の上にもう一つの洋館が現れるのだという。謎めいた母娘の住む洋館、そして日に日に近づいて来るもう一つの洋館の影。打越はふとある日、その洋館の影にあるものを見つけ…。それぞれの思惑を巻き込みながら、霧に包まれた孤島で不思議な物語が展開する。前作に続き人気作家・演出家の倉持裕を作・演出に迎え、バラエティ豊かなキャストが集結。ドラマや映画、CMなどで美しさを遺憾なく発揮し、女子たちからの絶大な人気を誇る佐々木さんが初舞台を踏むのも本作の見どころのひとつだ。さらにはミュージカル「ピーターパン」のフック船長役や、舞台「アドルフに告ぐ」への出演決定など、舞台や映像で着実なキャリア重ねている大貫勇輔、前作に続き出演の田口浩正、竹生企画初参加となる高橋惠子と、個性豊かなメンバーが名を連ねた。佐々木さんは「私が舞台に立つ日がくるなんて、夢にも思いませんでした。今からとてもとても緊張しております。お芝居もまだまだ未熟な私ですが、竹中さん、生瀬さんを始めとするキャストの皆様から沢山の事を吸収したいと思います」と意気込みを語り、初舞台を心待ちにしている様子。そんな佐々木さんに対し、“先輩”となるお二人は「きっとコメディセンスも持っている女優だと思うのでかなり期待しています。初舞台だからと恐れず思い切って演じて欲しいと思っています」(竹中さん)、「同じ俳優ですので偉そうなことは言えませんが、舞台を好きになって頂きたいです」(生瀬さん)とエールを送った。公演は、10月下旬より、東京・シアタークリエ、シアター1010ほか、全国各都市公演を予定。<公演概要>「ブロッケンの妖怪」作・演出 倉持裕出演:竹中直人生瀬勝久佐々木希大貫勇輔田口浩正高橋惠子主催:東宝株式会社株式会社キューブ公演日程:2015年10月下旬~12月中旬シアタークリエシアター1010ほか各地公演予定。東京公演チケット一般発売:9月予定(text:cinemacafe.net)
2015年04月14日2戦2勝と最高のスタートを切った新生日本代表。新体制における第1号ゴールを含めた2得点をあげ、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督から厚い信頼を勝ち取ったFW岡崎慎司(マインツ)は、ゴールに対する独特の美学を貫きながらさらなる成長を誓う。○いまも岡崎の心に色濃く残る通算7ゴール目日本代表として初めてキャップを獲得してから6年半あまり。その間に出場した91試合で積み重ねてきた日本歴代3位の「43」ゴールすべてに重みがあり、それぞれにドラマが凝縮されている。そのなかから、あえてベストゴールを選ぶとすれば――。岡崎は迷うことなく、2009年6月6日にあげた通算7ゴール目をあげる。敵地タシケントで行われた、ウズベキスタン代表とのワールドカップ・アジア最終予選。その前半9分に岡崎をいま現在に至るまで支え、未来永劫(えいごう)に心のなかで神聖化されていくゴールが生まれている。MF中村憲剛(川崎フロンターレ)が放った縦パスに、右サイドからゴール前へ飛び込む。左足によるボレーは相手GKにセーブされたが、直後に岡崎の真骨頂が発揮される。こぼれ球に誰よりも素早く反応し、体勢を崩しながら低空飛行のダイビングヘッドを見舞う。ピッチすれすれで首を必死に伸ばした、お世辞にも美しいとは形容できない姿勢から放たれた一撃はゴールネットを揺らし、岡田ジャパンを南アフリカ大会出場に導く決勝弾となった。○座右の銘「一生、ダイビングヘッド」の起源岡崎はワールドカップの大舞台でもゴールを決めている。それでも、ピッチが荒れ放題で、照明も薄暗かったタシケントのスタジアムでマークした一撃を大事にしている理由は何なのか。「自分に対して自信をもつことができたゴールだったんです」。兵庫県の強豪・滝川第二高校から清水エスパルスに入団した2005年。岡崎は中学時代に所属した宝塚ジュニアFCの山村俊一コーチから、いまも座右の銘としている言葉を贈られている。「一生、ダイビングヘッド」。山村コーチは基本を徹底的に反復させ、そのなかでもシュート練習に大半の時間を割いた。コーチが放つクロスに対してヘディングを見舞い続けた日々を、岡崎は苦笑いしながら振り返ったことがある。「カッコつけてボレーなんてしようものなら、ホントに怒鳴られましたからね」。当時は砂利混じりの土のグラウンドで練習することも少なくなかった。それでもダイビングヘッド中心のメニューは変わらない。地面にこすりつけた額に血をにじませながら、無我夢中で空中遊泳を繰り返した。○ストライカーの矜持を貫かせた絶対的な武器プロ入りに際しては母校の黒田和生監督(当時)から反対され、実際にエスパルスの1年目は8人いたFWで8番目にランクされた。長谷川健太監督(現ガンバ大阪監督)から右サイドバック転向を打診されたこともある。それでも「自分には絶対的な武器がある」という自負が、岡崎にストライカーとしての矜持(きょうじ)を貫かせた。中学時代から磨きあげてきたダイビングヘッドで日本代表を勝利に導き、ワールドカップ切符を手繰り寄せたという点で、通算7点目は原点にもなっているのだろう。ブンデスリーガに戦いの場を移して5シーズン目。不断の努力を積み重ねながらマインツのエースストライカーとして2シーズン連続で2桁ゴールをマークし、プレミアリーグのレスターからオファーが届くまでの存在に成長しても、間もなく29歳になる岡崎のプレースタイルの根本的な部分は変わらない。174cm、76kgと小柄なストライカーが生き残っていくためには、屈強な大男たちが壁を築くゴール前へ怯(ひる)むことなく飛び込んでいく勇気が何よりも求められる。岡崎からはこんな言葉を聞いたこともある。「恐怖を感じる前に飛び込んでいくんです」。○柴崎のゴールを体を張って“アシスト”した理由3月31日に味の素スタジアムで行われたウズベキスタン代表との国際親善試合。後半9分に十八番のダイビングヘッドで2点目を決めた岡崎は、同35分には体を張って味方のゴールを“アシスト”している。相手のFKが壁に当たり、こぼれ球がピッチ中央に弾む。飛び出した22歳のMF柴崎岳(鹿島アントラーズ)が、前に出てきた相手GKの頭越しにループシュートを放つ。距離にして約40m。3回バウンドしてゴールに吸い込まれるまで、岡崎は追走してくる相手DFを抑え、それでいてボールには触れずに、最後は笑いながらボールとともにゴール内へ転がり込んだ。「ゴールというものは、一人の選手にとって大きなものになる。自分はそれを知っているから、ああいうプレーができたんだと思う」。自己犠牲を厭(いと)わない岡崎の献身的な姿に、就任2戦目を5対1の大勝で飾ったヴァイッド・ハリルホジッチ監督も賛辞を惜しまなかった。「素晴らしいことだし、珍しいことだし、(世界中の)どこにも存在しないことだ。(5つのゴールのなかで)実は一番スペクタクルなのかもしれない」。○2戦2発で射止めた新生日本代表のエースの座ボールをかき出そうとした相手DFの足につまずくなど、件(くだん)のシーンではけがに見舞われる恐れもあった。サッカーを愛する子どもたちにはまねをしてほしくないという願いを込めて、岡崎は4月2日に更新したブログにこう綴(つづ)っている。「あの場面で迷わずガムシャラにボールをゴールへ押し込んで欲しいなって思います。まずはガムシャラにサッカーをすることが、みんなには大事だと思うから」。自分自身にリスクを生じさせた点は反省しているが、柴崎のゴールを優先させた選択は後悔していない。2戦2発でハリルジャパンでもエースを拝命し、日本歴代2位の三浦知良(横浜FC)の「55」得点を視界にとらえた岡崎はさらなるレベルアップを誓う。「奪った後に縦への速いボールが自分に入ってくるので、それをどうやってさばけるか。そういうプレーの質を高めてもっとゴールを奪いたいし、チャンスメークもできるようにしたい。まだまだ気が抜けないし、もっと上を目指したい」。原点を貫き通すいい意味での頑固さと、際限なく湧きあがってくる貪欲な向上心。そして、前線で放つ大きな存在感とフォア・ザ・チームの精神。ハリルホジッチ氏を含めた歴代の日本代表監督が、岡崎に魅せられてきた理由がここにある。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2015年04月04日ヴァイッド・ハリルホジッチ新監督に率いられる新生日本代表がいよいよ始動する。62歳という年齢を感じさせない馬力と一切の妥協を許さない信念を刻みながら、ハビエル・アギーレ前監督の解任から時計が止まっていた日本サッカー界を力強く前進させる。○日本サッカー協会内で始まる緊急工事の目的新生日本代表が大分市内でスタートを切る3月23日から、東京・文京区にあるJFAハウス内でも緊急工事が行われる。空き部屋のひとつを改修してデスクと映像機器を設置し、簡単な応接間も設ける。日本サッカー協会(JFA)の霜田正浩技術委員長が、苦笑しながら目的を明かす。「監督専用の部屋を作ります。毎日ここで仕事をしたいと言う代表監督は初めてなので」。これまでにもスタッフがミーティングを行うための大部屋はあったが、ハリルホジッチ監督は就任直後からJFA内に常駐したいと希望していた。歴代の日本代表監督がJFAハウスを訪れた頻度は、多くて週に1回。これだけを見ても、62歳の新指揮官の熱血ぶりが伝わってくる。自宅のあるフランスから13日に来日して正式にサインを交わし、翌14日にはJ1のFC東京対横浜F・マリノスを視察。15日からはJFAハウス内で3日連続、合計して10時間を軽く超えるスタッフ会議を開催し、18日には自らの希望でナビスコカップ予選リーグの川崎フロンターレ対名古屋グランパスに足を運んだ。時差ぼけは大丈夫なのかと思わず心配してしまうほど、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身でフランス国籍をもつハリルホジッチ監督は精力的に動き回っている。○「日本代表の心臓」遠藤保仁を選外とした理由霜田技術委員長に対して、ハリルホジッチ監督はこう語っている。「勝利をつかむために完璧主義者に徹したい」。自身および周囲に対して一切の妥協を許さない。プロフェッショナルな姿勢を貫く指揮官は、19日の代表メンバー発表会見におそらく忸怩(じくじ)たる思いで臨んだはずだ。昨夏のワールドカップ・ブラジル大会や準々決勝で敗退した先のアジアカップ、開幕以降のJ1の全試合やACLなどのすべてを映像でチェック。その上で31人のメンバー、12人のバックアップメンバーを選出したハリルホジッチ監督は、偽らざる本音ものぞかせていたからだ。「もっと多くの時間をかけ、(日本人について)もっともっと多くのことを知ってから最初のリストを作ることが、本来のやり方だったと思う」。それでも、独自色の一端をのぞかせてもいる。ワールドカップおよびアジアカップのメンバーからそれぞれ20人を選んだ一方で、歴代最多の152キャップを誇るMF遠藤保仁(ガンバ大阪)を外した点だ。「皆さんもご存じのように、私はワールドカップ・ロシア大会への準備のために日本に来た」。ハリルホジッチ監督はそのキャリアに敬意を表しながら、長く日本の心臓に君臨してきた遠藤をリストに加えなかった理由を自ら明かした。○スター選手へ向けられた指揮官の"メッセージ"昨シーズンのJリーグMVPを獲得した遠藤は、いま現在も卓越したパフォーマンスを披露している。ハビエル・アギーレ前監督にも重用された。ロシア大会開催時で38歳となる年齢が考慮されたこともあるが、遠藤の選外にはもうひとつの意図が込められていると見ていいだろう。都内のホテルで13日に行われた就任会見で、ハリルホジッチ監督はこう宣言している。「私はチームがスターだと思っている。個々の能力をダメにしてはいけないが、スター選手もチームのために仕事をしてもらうということだ」。ザックジャパンはさまざまな意味で、FW本田圭佑(ACミラン)のチームだった。本田が発信し続けた「ワールドカップ優勝」と「自分たちのサッカー」がいつしか独り歩きして、ブラジル大会を迎えたときにはチームマネジメントが機能不全に陥っていた。ハリルホジッチ監督はアルジェリア代表を率いていたときに、チームの和を乱した主力選手を容赦なく外している。もちろん遠藤や本田がチームから浮いている、あるいは献身的ではないと指摘しているわけではない。それでも、遠藤を招集しなかったことは、ロシア大会を目指す日本代表に「アンタッチャブルな選手は存在しない」というハリルホジッチ監督の"メッセージ"となったはずだ。○自分自身への自信を失っている選手とは就任会見ではこんな言葉も飛び出している。「選手の何人かは自分自身への自信を失っているようだ」。指揮官の言う「何人か」が、MF香川真司(ドルトムント)やDF長友佑都(インテル)を指していることは明白だ。「個人的に話をして、勇気づけなければいけない」という目的も込めて、けがでプレーできない長友をあえて日本に呼び寄せてもいる。香川はどうなのか。けがこそしていないが、復帰した古巣でも精彩を欠く。日本代表においても攻撃面で結果を求めるあまり、守備意識がおろそかになることが少なくなかった。ハリルホジッチ監督の基本布陣は「4‐3‐3」と予想され、27日のチュニジア代表戦(大分銀行ドーム)は中盤を守備的な三角形型に、31日のウズベキスタン代表戦(味の素スタジアム)では攻撃的な逆三角形型で組んでくるだろう。香川が出場するとすれば前者でトップ下、後者ではインサイドハーフとなる。それでも躊躇(ちゅうちょ)したプレーが続くようならば、ハリルホジッチ監督の構想から一時的に外れる可能性も出てくる。実際、指揮官はこうも語っている。「現代のフットボールは『技術』『フィジカル』『戦術』『メンタル』で高いレベルを求められる。先発は確定していないし、招集メンバーも毎回変わるかもしれない」。○バックアップメンバーに見える独自の人選ハリルホジッチ監督が初めて作成したリストは、バックアップメンバーが記されていた点で異例だった。けが人が出た場合に入れ替わる選手のなかには、フロンターレの新人DF車屋紳太郎、大卒2年目のMF谷口彰悟らが名前を連ねている。さらなる独自色を出す準備が進んでいる証しといっていい。リオデジャネイロ・オリンピック出場を目指す、U‐22日本代表を率いる手倉森誠監督とも意見を交換しているハリルホジッチ監督はこうも語っている。「その時点でベストのパフォーマンスを見せている選手が、日本代表に呼ばれる。オリンピック代表でいい選手がいれば、問題なく受け入れていきたい」。代表監督の仕事に熱すぎるほどのエネルギーを注ぐ姿勢はフランス人のフィリップ・トルシエ監督を彷彿(ほうふつ)とさせ、「ピッチの上で我々のアイデンティティーを見つけていきたい」という抱負は「日本人化」を謳(うた)ったボスニア・ヘルツェゴビナ出身のイビチャ・オシム監督ともダブる。「最初の試合はすべてを注いで勝利に導き、『これが私たちの道だ』というものをお見せしたい」。還暦を超えているとは思えない馬力と、揺るぎない信念を感じさせる発信力とで周囲を力強くけん引しながら、ハリルホジッチ監督は「結果=勝利」と「改革=世代交代」の二兎を新生日本代表に追い求めていく。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2015年03月21日2015年シーズンのJ1が、いよいよ3月7日に開幕する。初めてJ1の舞台に立つ松本山雅FCの精神的支柱・DF田中隼磨は、永遠にその背中を追いかけ続ける故・松田直樹さんの魂を引き継ぎ、経験の少ない仲間に伝えながら、J1のピッチで体現していく決意を固めている。○初めてのJ1で求められる松田さんの意志パソコン内に収めてあるデータのなかには、消去するのが忍びないものが少なくない。4年前の夏。急性心筋梗塞に倒れ、34歳の若さで天国へ旅立った松田さんを生前にインタビューしたときの音声データもそのひとつだ。取材当時は横浜F・マリノスでプレーしていた松田さんは、自身のサッカー人生をこう振り返っていた。「相手にビビったり、相手に名前負けして試合に臨んだりしたことは一度もないですね。アトランタオリンピックでブラジル代表に勝ったときもそうでした。これは自分の誇りでもあるんです」。故人が貫き通した気概が、初体験のJ1に挑む松本山雅FCにも求められる。現時点の所属メンバーで、J1を経験している選手は数人しかいない。その一人である32歳の田中は、いまこそ松田さんの意志を実践すべきだと力を込める。「アトランタのブラジル戦は、僕もテレビで見ていました。もちろん経験は必要だけど、あの試合で見せていた姿勢や気持ちといったものがすごく大事なんです。J1が初めてという仲間が大勢いるけど、ひるむことなく、相手をリスペクトして戦えばJ1でも絶対に結果を出せる。名前負けするとか、そういうことを考えるレベルにはまだ到達していないチームなので」。○若手にあえて厳しい言葉を投げかける理由名古屋グランパスから契約を更新しないと告げられた2013年シーズンのオフ。J1で通算355試合に出場した田中のもとには複数のオファーが届いた。田中はあえてJ2の松本山雅FCを選んだ。生まれ育った長野県松本市に誕生したJクラブであることと、理由がもうひとつあった。マリノス時代にプロの生きざまを教えてくれた松田さんが「絶対にJ1へ導く」という壮大な志を抱き、移籍したクラブが当時JFLだった松本山雅FCだった。「僕自身、若いころはマリノスでマツ(松田)さんをはじめとする偉大な選手の背中を見ながら、いろいろなものを教わった。同じように山雅のチームメイトたちに、経験や厳しさを伝えていかないといけない」。松田さんは時に怒りを前面に押し出しながら、若手を忌憚(きたん)なく叱咤(しった)激励した。故人の役割を担うと決めた田中は、まだ道半ばと真剣な表情で打ち明ける。「本当に死に物狂いで戦わないとJ1では結果を残せない。その意味では、ぬるま湯につかっている選手がまだ多い。ただサッカーをしているだけの選手や、僕の気持ちが伝わらない選手はプロとしてまだ甘い。厳しい言い方になりますけど、そういうことに対して平気でいられるところが僕は許せないんです」。○背負った「3」番に秘められた覚悟と故人の魂田中自身も覚悟を決めて移籍した。松田さんが死去した後は空き番となっていた背番号「3」を、松田さんの家族の後押しもあって引き継いだ。「山雅の『3』は特別な背番号だし、マツさんの魂や気持ちを抱いて戦わなければ背負う資格はないとも思ってきた。『3』をつけることでいろいろな人の想いや願いを背負いましたけど、だからといってこの番号が重たいとは一度も思いませんでした」。昨年5月のジュビロ磐田戦で右ひざ半月板損傷の大けがを負った。痛みとチーム状態を鑑みた結果、首脳陣以外にはひた隠しにして試合に出場することを決めた。豊富な運動量で右サイドを支配し、正確なクロスと1対1における強さでチームけん引した。11月1日のアビスパ福岡戦で勝利し、悲願のJ1昇格を決めるまで全39試合に先発フル出場した。「天国の松田さんに笑われたくない」―。この一念が174cm、64kgの体を支えた。「昇格を決めた次の日から、今シーズンの開幕へ向けてリハビリを積んできました。開幕前の合宿でもフルメニューで練習してきたので問題ありません」。2月21日に日産スタジアムで行われたマリノスとのプレシーズンマッチ。0対0で迎えた試合終了間際に生まれた決勝点の起点となったのは、攻撃参加した田中が送ったクロスだった。○天国から見守る松田さんに認めてもらうためにこのオフにチーム得点王のFW船山貴之(現川崎フロンターレ)、堅守を支えた犬飼智也(現清水エスパルス)と多々良敦斗(現ベガルタ仙台)の両DFが抜けたが、戦い方は変わらない。マリノス戦のように土俵際で踏ん張り続けて、最後にうっちゃる。「走れない選手は使わない」と宣言し、猛練習を課してきた3年間でチームを屈指のハードワーク軍団に変貌させた反町康治監督は不敵に笑う。「外から見ると鈍臭く映るかもしれませんけど、我々はずっと真剣な思いとともにサッカーに取り組んできましたから」。指揮官の青写真をピッチ上で体現する役目も担う田中は、マリノス戦後にこう語っている。「この程度じゃマツさんは褒めてくれない。もっと、もっと熱いプレーをして認めてもらわないと」。誰よりもサッカーを愛し、究極の負けず嫌いを自任していた松田さん。パソコン内には、声を大にしてこう宣言している音声データが残っている。「サッカーが大好きというヤツには、絶対に負けたくないんですよ」。どちらがサッカーを好きなのか――。競い合う機会は永遠に訪れなくなったが、だからこそ田中は1分1秒を無駄にすることなく突っ走ると心に誓っている。「僕自身もサッカーに対する思いは強い。すべてをピッチの上で表現していきたい」。時の流れとともに、松田さんの薫陶(くんとう)を直接受けた松本山雅FCの選手は3人となった。それでも彼らと、そして田中を介して故人の魂は引き継がれる。2015年3月7日。豊田スタジアムで午後2時にキックオフを迎える古巣グランパス戦から、田中と松本山雅FCの新たな歴史が幕を開ける。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2015年03月05日俳優の竹中直人と女優の福島リラが、石井隆監督のバイオレンスアクション映画『GONIN サーガ』(2015年秋公開予定)に出演することが20日、明らかになった。本作は、前作『GONIN』から19年後の2014年を舞台に、男たちが遺した家族による血と宿命の争いが描かれる。五誠会で3代目・誠司(安藤政信)が力をつける中、前作で命を落とした組員、久松の息子・勇人(東出昌大)、同じく大越の息子・大輔(桐谷健太)、五誠会に囲われる麻美(土屋アンナ)、19年前の事件を追うルポライター・森澤(柄本佑)ら五誠会に恨みを持つ4人が出会い、新たな物語が幕を開ける。竹中が演じるのは、五誠会に雇われ、勇人や大輔らの命を執念深く狙うヒットマン・明神。医療用のチューブであるカニューラをつけた異様なルックスだが、ターゲットを確実に仕留める腕をもつ。竹中は、石井監督のデビュー作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988年)以来、ほとんどの作品に参加し、前作『GONIN』(1995年)でも、リストラされたサラリーマン役で出演した。「石井隆監督のパワーがエネルギーがこれでもか! これでもか! とみなぎった作品になっているに違いない! そんじょそこらに転がっているような作品では決してない! この映画にふたたび参加できたこと、それは僕にとっての夢であり僕にとっての『映画』であった」と語る竹中。「新たなキャストで再びよみがえる『GONIN サーガ』ぜひ劇場で観ていただきたい! そして石井隆の世界を是非スクリーンで体感してほしい」と呼びかけている。一方、竹中扮するすご腕のヒットマン・明神と行動を共にする女殺し屋の余市を演じるのが、モデルとして国際的に活躍し、ハリウッド映画『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)でヒュージャックマンの相棒・ユキオ役で本格的な女優デビューを果たした福島リラ。今回の出演を「マスターピースの続編に参加させて頂けたこと自体、とても光栄に 感じています」と喜び、「今から完成作品を観ることが楽しみです」と期待を寄せている。2人はNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』(2014年)で共演。竹中から製作サイドに「余市を演じるには彼女しかいない」と推薦があったことが、福島の起用の決め手となった。その独特な佇まいに強いインパクトを感じていたという二宮直彦プロデューサーは、「石井監督作品史上、最凶の殺し屋コンビをご堪能いただきたいです」と自信をのぞかせ、竹中の怪演を「こんなに怖い竹中さん…夢に出そうです」と評している。その他、勇人の母・安恵役に井上晴美、大輔の母・加津子役にりりィ、誠司のフィアンセ・百合香役に松本若菜、誠司のボディーガードでもある松浦組の組長・松浦役に菅田俊、その松浦のボディーガード・黒木役に井坂俊哉といった、演技派俳優陣が脇を固める。
2015年02月20日今シーズンの全日程が発表されたJリーグ。2年ぶりにJ1に復帰する湘南ベルマーレは、3月7日の開幕戦でホームに浦和レッズを迎える。実は昨年末の段階で、チョウ・キジェ監督は強豪レッズとの対戦を望んでいた。その真意はどこにあるのか。○指揮官の希望が具現化した開幕戦声に出した言葉が現実の事象に対して、何らかの影響を与える。古代日本から「言葉に宿っている」と信じられてきた神秘的な力、いわゆる「言霊」の存在を感じずにはいられなかった。1月中旬に全日程が発表された2015年シーズンのJ1リーグ。大きな注目を集める3月7日の開幕戦について、史上最速でのJ1復帰を果たしたベルマーレのチョウ監督が昨年12月上旬の段階でこんな希望を明かしていたからだ。「ホームでやりたいね。最初に浦和とか。開幕戦がウチのホームで相手が浦和だったら最高だし、向こうは嫌がるだろうね」。話しているうちに、4シーズン目の指揮を執ることがすでに決まっていたチョウ監督は「何だか浦和になりそうな気がする」と笑顔を浮かべながら声を弾ませてもいた。果たして、ベルマーレの開幕戦の相手は昨シーズンの最終節で優勝を逃した悔しさを晴らさんと今オフに大量補強を敢行したレッズに、会場はホームのShonan BMWスタジアム平塚に決まった。○34分の1の確率を手繰り寄せた言霊J2およびJ3を含めたJリーグのすべての日程は、『日程くん』という通称がつけられている専用のアプリケーションソフトウェア「Jリーグマッチスケジューラー」に、下記の主な条件を入力して自動的に作成されている。(1)ホーム、アウェーともに3回連続して行わない(2)開幕戦をホームで戦ったチームは、最終節をアウェーで戦う(3)開幕から5節までのうち、必ず2試合以上をホームで戦う(4)ゴールデンウイークや平日のホームゲーム数を均等にする(5)スタジアムの使用可否などクラブからの要望を配慮する今シーズンから2ステージ制を復活させるJ1だが、18チームがホーム&アウェーで対戦する形態は変わらない。開幕戦でレッズと当たる確率は17分の1で、さらにホームかアウェーのどちらかとなる。実に34分の1のカードを手繰り寄せたのだから「言霊」の存在を信じたくなる。○ベルマーレとレッズを結ぶ浅からぬ縁ベルマーレとレッズには浅からぬ縁がある。チョウ監督のもとでJ1を戦った2013年シーズン。埼玉スタジアムに乗り込んだ4月14日の第6節で、0対2の完敗を喫した。ゴール裏が真っ赤に染まった敵地の雰囲気に飲まれ、J1優勝経験をもつ「浦和レッズ」という名前の前に萎縮した揚げ句に自滅してしまった90分間。試合後のロッカールームで、指揮官は体を震わせながらこう訴えている。「オレは絶対に引かないぞ」。チョウ監督のもとで育まれてきた「湘南スタイル」は、「攻守の切り替えの早さで常に相手を圧倒する」「攻撃でも守備でも相手よりも人数をかける」「リスクを冒して縦パスを入れて攻撃のスイッチを入れる」――などを戦術的な特徴としている。いずれも腰が引けて、チーム全体が自陣に下がり気味になっている状態では実践できない。別の戦い方を模索して後戻りすることも許されない。チョウ監督が発した「引かない」の意味を選手全員が共有し、J1の壁へ真っ向から挑み続けることを誓い合った。○「選手たちの成長に追いついていない」と涙した日それから5カ月半後の9月28日。ホームにレッズを迎えた第27節で、ベルマーレは見違えるような戦いを披露した。前半18分に先制されたものの、持ち前の運動量と前への推進力でレッズを終始圧倒。後半30分と36分の連続ゴールで逆転し、1万3000人を超えた観客を熱狂させた。しかし、逆転直後に退場者を出したことで流れが微妙に変わってしまう。アディショナルタイムに突入する直前に同点ゴールを奪われ、試合もそのまま引き分けた。試合後のロッカールーム。チョウ監督は選手たちに頭を下げ、涙を流した。その理由をこう説明する。「選手たちの成長に僕が追いついていない。もっと(自分の采配で)助けることができたと思うと、本当に申し訳ない」。最終的にはJ1に残留することはかなわなかった。それでも、「湘南スタイル」に秘められた可能性を信じて、妥協することなく突き詰めていく姿勢は、2度のレッズ戦を触媒として不退転の覚悟へと昇華していた。○「湘南の暴れん坊」復活を証明する舞台実際、あと一歩までレッズを追い詰めた一戦の映像を、チョウ監督は何度も見直してきた。リードを守り切ることよりも、追加点を奪ってダメを押すサッカーを追い求めていくためだ。その後の約1年半の間に、どれだけ成長することができたのか。レッズに真っ向から挑んだ先に必ず答えがある。開幕戦の相手にレッズを望んだ理由がここにある。そして、以心伝心というべきか。日々の練習からJ1を想定して取り組み、「攻撃は最大の防御なり」を合言葉にJ2最多の86得点、最少の25失点をマークするなど、記録的な独走劇でJ1復帰を勝ち取った選手たちも「開幕戦の相手がレッズになれ」と念じてきた。くだんのレッズ戦で一時は逆転となるゴールを決めた21歳のDF遠藤航も、3月7日の大一番へ向けて武者震いを覚えている一人だ。「自分たちの力を証明するには一番いい相手だと思う」。注目の開幕戦のキックオフは午後7時。NHKのBS1で生中継されることも決まった。チーム名が湘南ベルマーレに改称された2000年シーズン以降、レッズにはリーグ戦で1分け9敗と一度も勝っていない。世紀をまたいだ負の歴史に終止符を打ち、かつてのニックネーム「湘南の暴れん坊」の復活を全国のサッカーファンに告げるための舞台は整った。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2015年01月31日2シーズンぶりにJ1へ挑む湘南ベルマーレ。オフの補強で注目を集めたのが、柏レイソルから加入したFW高山薫だ。ベルマーレがJ2へ降格した2013年オフに移籍してからわずか1年。前例のない復帰劇の主役となった26歳は原点に帰り、大暴れを狙っている。○青天の霹靂となった湘南からのオファー思わず自分の耳を疑った。「冗談を言われているのでは? 」と勘ぐりたくもなった。昨シーズンも残り数試合となった段階で、高山のもとへ届いた移籍のオファー。2013年シーズンまでプレーしたベルマーレから、再び声がかかった。文字通りの青天の霹靂(へきれき)だった。「次のシーズンも普通にレイソルでプレーすると思っていたし、実際に契約も残っていた。最初は『マジっすか』という感じでした。完全移籍でベルマーレを出ていったのに、もう一回誘ってもらえるなんて考えられないじゃないですか。しかも、たった1年で」。2013年シーズンをJ1で戦ったベルマーレは、16位に終わって残留することができなかった。J1の厚い壁の前に開幕から苦戦を強いられ続けた中で、高山は左MFのポジションで攻守両面において群を抜く存在感を発揮。レイソルを率いていたネルシーニョ監督(現ヴィッセル神戸監督)のメガネにかなった。○ベルマーレで成長したいという気持ち昨シーズンに記録的な独走劇でJ2を制したベルマーレは、早い段階からJ1の舞台を見据えて2015年のチーム編成を進めていた。3トップの左で活躍していた武富孝介が、期限付き移籍を終えてレイソルへ戻ることが確実視されていた。オフの移籍市場で誰を獲得すべきか。白羽の矢を立てられたのがFW出身の高山だった。形の上ではレイソルとの交換トレードとなる。しかし、ベルマーレの曺貴裁(チョウ・キジェ)監督は、チーム内の競争の激しいレイソルで32試合に出場した高山をあるときにはファンの立場で応援し、またあるときには親心をもって見守ってきた。そして、レイソルから断られることを覚悟の上で出したオファーが高山の心を打った。「プロになったときもレイソルに移籍したときも、不安のほうがめちゃ大きかった。ベルマーレへの思い入れは確かに強かったけど、それ以上に今回の話をもらったときに、自分の中で不安よりも『楽しみだ』『もう一回挑戦したい』『ベルマーレで成長したい』という気持ちが純粋に膨らんできたんです」。○古巣の快進撃に刺激を受けてきた2014年川崎フロンターレの育成組織で育った高山は、専修大学を経て2011年シーズンにベルマーレへ加入。ルーキーイヤーはFWとして、チーム最多の9ゴールをあげた。2年目からは曺新監督のもと、スピードと運動量をさらに生かすためにMFに転向。若さを前面に押し出すベルマーレの象徴となった。再びJ2を戦う仲間たちに別れを告げて、新天地へと旅立った2014年シーズンも古巣は常に気になる存在だった。「開幕から勝ち続けてすごくうれしかったけど、途中からは勝ち過ぎていたというか……。レイソルのチームメイトからも『お前がいないほうが強いじゃん』とかいじられて、すごく悔しかったですね(笑)。僕にとって刺激になったし、モチベーションを上げてくれました」。かつてともに戦ったMF永木亮太、DF遠藤航がベルマーレに残留するという一報も入ってくる。悩むこと約2週間。高山はレイソルのフロントへ移籍したい意思を伝えた。○「自分が進む道に自信を持っていく」レイソル、ベルマーレ双方の選手やサポーターを驚かせた移籍が発表されたのは昨年のクリスマスイブ。最後はレイソルの吉田達磨新監督が高山の背中を押した。「達磨さんは『お前が思うようにするのがベストだ』と言ってくれた。僕の気持ちを尊重してくれた達磨さんとレイソルのフロントの方々には、本当に感謝しています」。古巣への復帰となると最近では中村俊輔(横浜F・マリノス)が代表的だが、決断したのは32歳のときだった。高山は26歳と心技体のすべてで脂が乗りきった年齢で、新天地で活躍した上、契約を残したまま1年で戻ってきたとなると前例はほとんどない。もちろん、歓迎されるだけではないだろう。J2を戦った2014年シーズンにいなかったことが、もしかすると快く思われないかもしれない。それらをすべて受け入れた上で、高山は再びベルマーレの一員となった。「自分が進む道に自信を持っていくことが、大事だと思っているので」。○背番号『23』に込められた決意今シーズンもキャプテンを務める永木とはフロンターレのジュニアユース時代の同期であり、中学年代の3年間で厳しく指導してくれたのが曺監督だった。サッカーを通じて育まれた絆にも感謝すると同時に、そうした縁に甘えることは許されないと高山は自分自身に言い聞かせている。実際、曺監督は「ポジションを約束することはない」と明言している。「(永木)亮太とはいまも仲がいいですけど、傷をなめ合うようなことは絶対にしない。監督の厳しさはわかっているし、最初にベルマーレにいたときから自分のポジションは確立されていなかった。そういう方針のほうが僕も成長できるし、練習からポジションを奪う気持ちでやっています」。背番号は自らの希望で『23』とした。入団1年目に背負った番号に、高山の決意が込められている。「もう一回、一からやるので」。J1へ再チャレンジするだけではなく、厚い壁に風穴を開けて日本サッカー界に驚きを与えることを目標にすえた2015年。静かに牙を研ぐベルマーレの中心に、原点に返った高山がいる。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2015年01月24日かつて指揮していたリーガ・エスパニョーラのサラゴサで、八百長試合に関与したとして告発された日本代表のハビエル・アギーレ監督。疑惑を全面否定するメキシコ人指揮官を日本サッカー協会(JFA)も信頼する中で、それでも浮かび上がる3つの疑問に迫る。○手詰まりで身動きが取れないJFA■疑問(1) 日本協会の対応はなぜ鈍く映るのかスペインの司法制度は日本と異なり、告発された段階ではまだ"シロ"である。スペイン検察庁の反汚職課からの告発を、バレンシア裁判所が受理してから本格的な捜査がスタート。証人喚問などを経て嫌疑が十分と見なされればアギーレ監督は起訴され、「容疑者」として裁判に臨む。しかし、告発後のJFAの対応は遅きに失した感が否めない。大仁邦彌会長が公の場で初めてメディアの取材に応じたのが、スペインの検察当局の告発より3日後の12月18日。前代未聞の事態に揺れる中で、JFAの副会長も兼ねるJリーグの村井満チェアマンは、起訴に至れば「重大な問題になると思う」と危機感を募らせている。「Jリーグは興行として夢を売る役割があり、そこは敏感になる。日本サッカー協会も問題が明確になれば、毅然(きぜん)とした態度を取るでしょう」。村井チェアマンの言う「そこ」とは「八百長」であり、「毅然(きぜん)とした態度」とは「契約解除」となる。しかし、裁判の判決が下される前に解任されれば、アギーレ氏が名誉毀損(きそん)でJFAを訴える可能性も出てくる。「イメージが悪いから」という理由で"シロ"の指揮官を更迭したとなれば、海外のサッカー界から日本へ批判的な視線が向けられることになる。自ら八百長を認める形になるため、アギーレ監督もJFAからの辞任勧告などを受け入れないはずだ。JFAの対応が鈍く映る理由は、小倉純二名誉会長が発したこの言葉に集約されている。「手の打ちようがない」。○腑に落ちない原専務理事の反論■疑問(2) 契約前に十分に素性を洗ったかアギーレ監督招聘(しょうへい)の中心的な役割を担ったJFAの原博実専務理事が、告発後で初めて記者会見に応じた18日にはこんな質問が飛んでいる。「アギーレ監督の身体検査が疎(おろそ)かだったのではないか。世界中に恥をさらしている」。4年越しのラブコールを実らせてアギーレ監督との契約を結んだ原専務理事は、やや色をなして反論している。「この疑惑がスペインの新聞で報じられたのが(アギーレ監督就任後の)今年の9月。八百長の告発自体がスペインでは初めてのケース。本人が『わからない』と言っているのに、(クロと)決めつけていいのでしょうか」。要するに「事前にわかりようがない」ということか。ただ、自身に任命責任が及ぶ事態を避けるかのような対応にも見えた。しかし、すでに2013年6月の段階で、スペインプロリーグ機構のハビエル・テバス会長が八百長疑惑を警察へ報告。検察当局が2011年5月に行われたシーズン最終戦でサラゴサが勝利し、1部残留を決めた試合の調査に乗り出した結果、今回の大量告発に至った。この事実を見落としていた、あるいは意中の人物だからと盲信していたとすれば、アギーレ監督との契約は拙速だったと言わざるを得ない。○待望の日本人監督へ、機は熟した■疑問(3) 後任監督候補になぜ日本人がいないのか続投が発表されているアギーレ監督だが、すでにメディアの間では後任人事を巡る報道がかまびすしい。待望論が強いのは、現役と監督を含めて14年という時間を日本に刻んだドラガン・ストイコビッチ氏。現在は自宅のあるフランス・パリで英気を養っているものの、日本代表監督就任への意欲は強い。名古屋グランパスの監督を退任してからまだ1年あまりで、日本のサッカー事情に対するブランクもほとんどないだろう。2015年6月からは、ワールドカップ・ロシア大会出場をかけたアジア予選が始まる。活動時間が限られる代表チームの宿命を考えれば、日本人選手の特徴を熟知し、日本サッカー界にも精通している点が大きな条件になってくる。1998年のワールドカップ・フランス大会出場をかけたアジア最終予選中に加茂周監督が更迭されて以来、スクランブル就任の岡田武史監督を除くと、すべてが外国人の指揮官だった。こうした現状において、選定・交渉に当たるJFAの技術委員会内には、「いつかは日本人監督で」という悲願がある。ただ、プロ化以降の歴史がまだ浅く、ヨーロッパのクラブに所属する選手が年々増えてきているのが日本サッカー界の現状。ワールドカップやUEFAチャンピオンズリーグをはじめとする大舞台での経験や実績を代表監督に求めてきたのは、指導にカリスマ性や説得力を持たせるためだ。しかし、アギーレ監督に最悪の事態が生じた場合、代表監督を探す過程でこうした経験や実績を度外視する決断も求められてくるかもしれない。サンフレッチェ広島を連覇させた森保一、ガンバ大阪を史上2チーム目の三冠獲得に導いた長谷川健太両監督を筆頭として、数多くの優秀な日本人指導者がすでに育っている。機は熟しつつあるのだ。○サポーターが失望する「疑惑が悪いのでしょうか」舞台が法廷闘争に移れば、結審まで数年かかるとされる。日本とスペインとを頻繁に行き来すれば代表監督の仕事に支障をきたすおそれもあるし、「ダーティーなイメージがあるから」と、日本代表のマッチメークでも断られるケースも生じるかもしれない。不安材料はいくつもある。何よりも残念なのは、日本代表を中心とするコミュニティーが大きく揺らいでしまったことだ。コミュニティーにはサポーターやファン、テレビや新聞をはじめとするメディア、キリングループやアディダスジャパンをはじめとするスポンサー企業、そしてもちろんJFAも含まれる。全員の思いが長い時間をかけて巨大なベクトルと化し、同じ夢を描きながら日の丸を背負って戦う選手たちを後押ししてきた。しかし、こうした状況が続く中で、いままでと変わらずに一体となって、心の底から日本代表を応援できるだろうか。選手たちも集中して戦いに臨めるだろうか。原専務理事は記者会見でこんな言葉も発している。「疑惑をかけられたことがすべて悪いのでしょうか」。開き直ったかのような印象を与えるし、JFAの最高議決機関である理事会でもアギーレ監督の問題に関して批判すら起こらなかった。「組織として機能しているのか」という疑問すらもわいてくる。裁判の原則である「疑わしきは罰せず」の精神は、もちろん尊重されなければならない。一方では「火のないところに煙は立たない」とも言われるように、代表監督が八百長疑惑の対象となった事実もまた重く受け止める必要がある。もやもやした思いが晴れない理由がここにある。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2014年12月25日11月14日のホンジュラス代表戦でアギーレジャパンにおける初出場を果たし、ワールドカップ・ブラジル大会以来となる勇姿で魅せたDF内田篤人(シャルケ)。左手に走る激痛を一笑に付す頑固さと豊富な経験に導かれた「ある力」が、日本代表の新たな武器となった。○日本代表復帰戦で外した左手のテーピング一度決めたらテコでも動かない。端正なマスクの下に頑固者の素顔を忍ばせる内田らしい言葉だった。「腫れがひどいし、痛みもあるけど、手を使ったらハンド(の反則)なので」。アギーレジャパンに初めて招集され、ワールドカップ・ブラジル大会以来となる日の丸をまとった初日。愛知県内で11月10日から開始されたキャンプに参加した内田の左手には、テーピングが痛々しく巻かれていた。ドイツをたつ直前の同8日に行われたフライブルク戦で、左手の甲を負傷した。骨折の疑いもあり、帰国後には精密検査も受けた。結果は強度の打撲だったが、心身のモードをシャルケから日本代表に切り替えた瞬間から、内田はピッチに立つ覚悟を固めていたのだろう。手のけがはサッカーには関係ない――と。果たして、ホンジュラス代表戦に右サイドバックとして先発した内田はテーピングを外し、左手を使うスローイン役を普通に担い、何もなかったかのように最後までピッチに立ち続けた。○弱音や言い訳とは無縁の「戦う男」今年2月に大けがを負った右ひざには、慢性的な痛みを抱えている。懸命のリハビリでワールドカップに間に合わせ、3試合すべてにフル出場した反動も出ているのだろう。代表合宿中は毎晩、トレーナーからケアを施されていた。それでも、いざピッチに立てば弱音や言い訳とは一切無縁の「戦う男」に豹変(ひょうへん)する。「監督からは『無理だと思ったらサインを出してくれ』と言われていたけど、僕は(サインを)出そうとは思っていなかったので」。ハビエル・アギーレ監督は、戦術的な指示をほとんど出さない。「ヒントは与えるが、それをピッチの上で発展させるのは選手たちだ」というスタンスには、懐疑的な視線すら向けられている。しかし、初めてアギーレ流の下でプレーした内田は戸惑うどころか、水を得た魚のように生き生きと動きまわった。「ベンチからの指示があまりなかったので、自由にやった。細かい指示はないし、自分たちで考えてやっちゃっていいのかなと思って」。○輝きを放った本田圭佑とのコンビネーション胸中に秘められた「闘志」と並ぶ内田の"武器"は、右ウイングに配された本田圭佑(ACミラン)とのコンビネーションで最も眩(まばゆ)い輝きを放った。アギーレ監督が採用する「4-3-3システム」では、3人で構成される中盤がケアできないスペースを、ウイングが下がって埋めるケースが多かった。相手のボールホルダーが日本から見て左サイドにいれば中盤も左側にシフトし、右ウイングの本田が下がる。相手ゴールとの距離が遠くなる分だけ、本田が与える脅威は必然的に薄れる。守備でも体力を消耗する。そうした悪循環に、内田は自らの判断で楔(くさび)を打ち込んだ。「本田さんが前で仕事をしてくれれば強さがあるし、ドリブルで突っかけられる。自分が守備を負担して、本田さんが戻らなくていいようにサポートをしたい」。ホンジュラス戦の前半41分だった。キャプテンのMF長谷部誠(フランクフルト)のクリアが前線に残っていた本田への絶妙のパスとなり、試合の流れを決定づける2点目が生まれた。○ドイツで磨いた「アドリブ力」が生んだ声のアシストアギーレジャパンにおける本田の初ゴールは、偶然から生まれたものではない。得点シーンの直前、危機を察知して自陣へ下がろうとした本田に対して内田が叫んだ。「下がってくるな! 」。状況を迅速かつ的確に見極め、臨機応変に機転を利かせる。ドイツに渡って5シーズン目。濃厚な経験に裏打ちされた「アドリブ力」こそ、これまでアギーレジャパンで右サイドバックを務めた酒井宏樹(ハノーバー)、酒井高徳(シュツットガルト)にはない内田の持ち味となる。シャルケと日本代表の両方で、100%のパフォーマンスを維持できない自分に違和感を覚えていた。ワールドカップ後には、「ずっと考えていた」と代表引退に言及した一言が独り歩きしたこともある。アギーレ監督のラブコールを受けて、再び袖を通した青いユニホーム。内田の心に宿る「日の丸」への変わらぬ思いは、強い痛みが出るまでホンジュラス戦を戦い抜き、4日後のオーストラリア代表戦を欠場したことが何よりも物語っている。○決めたことを曲げない姿勢は昔から神奈川県との県境に近い静岡県函南町から清水東高校へ通った高校時代。内田は午前5時40分にJR函南駅をたつ東海道線の下り始発に約1時間も揺られ、不足する睡眠時間を車内でのうたた寝で補う日々を3年間続けた。越境入学者には高校近くの下宿が斡旋(あっせん)されていたが、内田は最もリラックスできる自宅からの通学にこだわった。一度決めたらテコでも動かない頑固さは、いまも昔も変わらない。クラブでも代表でも、常に結果にこだわる姿勢を貫く点もしかりだ。「ザッケローニ監督のときも勝ちにこだわっていたけど、結果が出なかったので『自分たちのサッカーがどうこう』と勝手に広まってしまった。自分たちはいつでも勝ちにいっていたし、その姿勢はこれからも変わらないと思う」。10月下旬にはシャルケとの契約が2018年6月まで延長された。176cm、67kgと決して大きくはない体に搭載された、ほとばしる闘争心と高度な戦術理解力はシャルケの首脳陣をも魅了している。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2014年11月27日日本代表の歴史上で希少価値の選手が務めるポジションがある。それは「左利きの左サイドバック」だ。不動のレギュラー長友佑都(インテル)も実は右利き。その招集が見送られたアギーレジャパンで、レフティー・太田宏介(FC東京)の存在感が一気に増してきた。○長友になくて太田にあるもの長友にあって自分にないものをあげれば、それこそ枚挙にいとまがない。日本代表での実績。外国人選手と対峙(たいじ)してきた数。ワールドカップという舞台での経験値。1対1における強さ。そして、左タッチライン際で上下動を繰り返す運動量と、それを支える無尽蔵のスタミナ。現時点では大差をつけられていると、太田は素直に認める。ならば、自分にあって長友にないものはあるのだろうか。ともに左サイドバックを主戦場とする1歳年下の太田には、胸を張って口にできるストロングポイントがひとつある。「キックのバリエーションの多さもそうですけれども、左足から上げるクロスの質に関しては自分の中でもかなりの自信を持っています」。1993年10月の「ドーハの悲劇」を経験した都並敏史。日本が初めてワールドカップの舞台に立ったときの相馬直樹。そして長友。日の丸の系譜に名前を刻む左サイドバックのほぼ全員が、実は右利きだった。おそらくは三都主アレサンドロ以来となる「左利きの左サイドバック」として。神奈川・麻生大附属渕野辺高校から横浜FC、清水エスパルス、そしてFC東京とステップアップしてきた過程で才能を開花させてきた太田が、新たな歴史の扉を開こうとしている。○4年9カ月ぶりに動き出した日の丸カラーの時計11月14日にホンジュラス代表(豊田スタジアム)、同18日にはオーストラリア代表(ヤンマースタジアム長居)との国際親善試合に臨むアギーレジャパンのメンバーから、左ふくらはぎの筋肉を痛めて戦線離脱中の長友が外れた。ハビエル・アギーレ監督は原則として、ひとつのポジションを2人で争わせる。長友が約6年半も君臨している左サイドバックには、太田とワールドカップ・ブラジル大会のメンバーにも名前を連ねた23歳の酒井高徳(シュツットガルト)が配される。左右両方のサイドバックでプレーできるユーティリティーさが酒井の長所ならば、太田のそれは「左のスペシャリスト」となる。長友の代役ではなく、日本代表の新たな武器として。10月の国際親善試合にも招集された太田は、目を輝かせながらこう語っていた。「本当に楽しい。クロスの上げがいがあると、毎日の練習の中でも感じられる。こういう舞台に長くいられるように、積極的な姿勢を貪欲にアピールしていかなきゃいけないですよね」。去る10月10日のジャマイカ代表戦の後半終了間際から長友に代わってピッチに立ち、約4年9カ月ぶりとなる代表戦出場を果たすと、続く10月14日のブラジル代表戦では先発フル出場。再び動き始めた日の丸カラーの時計が、抱いてきた日の丸への憧憬(しょうけい)の念をより強くした。○「左利きの左サイドバック」が重宝される理由一説によると、日本人の人口に占める左利きの割合は12%と言われている。サッカーに置き換えると、11人当たりで1.32人。それだけ希少価値のあるレフティーが左サイドバックを務めた場合、大きく分類すれば2つの利点が生じる。それは「キックの質」と「相手との距離」だ。味方からのパスに走り込んだ左サイドバックが、クロスを上げるシーンを想像してほしい。プロのレベルならば、もちろん右利きの選手でも左足の技術を磨き上げる。しかし、ダイレクトで蹴るときはもちろんトラップしたとしても、相手ゴール前に走り込む味方にピンポイントかつ高低や強弱などの変化をつけたクロスをあげるには、利き足でなければ高難度を伴う。また、相手GKから逃げるようにカーブをかけるレフティーならではの専売特許も持ち合わせることができる。「キックの質」は、右足が利き足の左サイドバックよりも有利になる。「相手との距離」に関して言えば、ドリブルで縦に攻め上がる場合、左利きの選手は自身の利き足、つまり左タッチライン際にボールを置く。必然的に自分の体の分だけ相手との距離が生じ、ボールを奪われにくくなる。サイドバックには何よりもまず守備力が求められる。その上で攻撃面における独自の「彩」を上塗りすることのできるレフティーを探していくと、真っ先にたどり着くのが太田となるわけだ。○「奥の手」アーリークロスの封印が解かれるとき太田の左足には、代表戦でほとんど披露していない「奥の手」も搭載されている。自分をマークする選手を抜き切る前に、ゴール前へ素早くパスを供給する「アーリークロス」だ。左サイドから斜めの軌道を描いたボールが相手ゴール前で曲がる、あるいは真っすぐに伸びるなど、自由自在に球筋を操る太田の高度なテクニックがFC東京の名物になって久しい。例えば太田から右ウイングの本田圭佑(ACミラン)へ、数十メートルに及ぶホットラインを開通させることも可能になる。太田自身も、必殺技の封印を解く瞬間を心待ちにしている。「代表でプレーする時間が増えてくれば、そういう場面も出てくると思っています」。横浜FCで迎えた3年目の2008年に、左サイドバックの大先輩でもある都並氏が監督に就任した。指揮官も太田の潜在能力を見抜いたのか。「左利きは必ずストロングポイントになる」と熱く説かれ、守備のイロハを伝授された日々の中で、目指すべき左サイドバック像が組み立てられてきた。いまでは「長友」という名前を出すと、こんな言葉が返ってくる。「長友さんと比べるというか、(左足の精度は)自分のオリジナルだと思っていますから」。太田が獲得したキャップ数「3」は、長友の「76」に遠く及ばない。それでも、遠い背中との距離を一気に詰める可能性を秘めながら、遅咲きのレフティーは11月10日から愛知県内で始まる代表合宿に参戦する。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2014年11月08日アギーレジャパンで抜擢(ばってき)された新戦力の中で、文句なしの結果を残しているMF柴崎岳。代表わずか3戦にしてベテランのような雰囲気を漂わせる22歳は、所属する鹿島アントラーズで常に自分自身との対話を繰り返しながらレベルアップを果たしてきた。○天王山を戦い終えた柴崎が沈黙した理由ふがいない。情けない。もどかしい。何よりも悔しい。自分自身に対するネガティブな感情が脳裏を駆け巡っていたのだろう。首位の浦和レッズをホームに迎えた10月26日の天王山を無念のドローで終え、ロッカールームに戻ってからわずか十数分後。取材エリアに姿を現した柴崎が無言で通過していく。1点リードで迎えた後半18分。ゴールほぼ正面、ペナルティーエリアのやや外側でパスを受けたレッズのMF柏木陽介と柴崎が対峙(たいじ)した。しかし、重心を右足に残した体勢が災いしたのか。柏木の背後から現れ、自身の左側に広がるスペースに走り込んできたボランチ阿部勇樹へのパスに反応できない。阿部の強烈なシュートをGK曽ヶ端準がはじいたこぼれ球を、FW李忠成がゴールに押し込む。一連のシーンを、柴崎はただ見つめるしかなかった。5シーズンぶりのJ1優勝が遠のく痛恨の失点。自責の念が試合後の柴崎を沈黙させた。青森山田高校から加入して4シーズン目。22歳ながらJ1の通算出場試合数がすでに108を数えるなど、中心選手の雰囲気を漂わせている柴崎の胸中を、アントラーズの鈴木満常務取締役強化部長はこう慮(おもんぱか)る。「日本代表のプライドといったものがだんだんと身についてきて、自分が所属するチームでは下手なプレーはできないという気持ちが芽生えてきているんだと思う」。○自分自身を客観的に評価できる稀有な才能卓越したパスセンスと視野の広いプレースタイルで早くから注目され、高校2年時でアントラーズが仮契約を結んだ逸材。しかし、柴崎の最大の武器はメンタルにあると鈴木強化部長は指摘する。「非常に意識が高い選手なので、もっと上のレベルを目指すために、自分自身を客観的に評価することができる。いろいろな課題を自分の中で整理しながらプレーしているから、どんどん伸びるんです」。高校時代からボランチを主戦場にしてきた柴崎だが、ただパスをさばくだけでは現代サッカーでは通用しないとプロ入り後のある段階で判断したのだろう。175cm、64kgとプロの世界ではやや華奢(きゃしゃ)に映る体に搭載された柴崎の新たな力を、同期入団のDF昌子源がこう表現したことがある。「アイツがあそこまで走るから、オレらも走れる。アイツは間違いなくアントラーズを支える心臓。フィジカル練習ひとつ取っても、アイツがいるからオレたちも『しんどい』とか『疲れた』とか言えない」。若手を鍛錬する力を見込まれて昨シーズンから再登板しているトニーニョ・セレーゾ監督も、柴崎の潜在能力に魅せられたのか、こんな言葉を残したことがある。「柴崎の両足は宝箱だ。開ければものすごい光を発する。必ず日本代表に選ばれる非凡な才能を、何とかして輝かせることだけを考えている」。○アギーレジャパンで手にした手応えと教訓ザックジャパン時代は縁がなかったが、90分間を通じて攻守に絡み続ける走力とスタミナ、何よりもゴールへの高い意欲は、ハビエル・アギーレ新監督が新生日本代表のインサイドハーフに求める能力そのものだった。9月9日のベネズエラ代表戦で代表デビューを先発で果たすと、後半22分には初ゴールをマーク。自陣から弧を描くように長い距離を走り、左からのクロスをファーサイドからボレーでたたきこんだ。決勝点となるオウンゴールを誘発した10月10日のジャマイカ代表戦でも、ボールを保持するFW本田圭佑(ACミラン)をトップスピードで追い抜いて強烈なシュートを一閃(いっせん)。一度はGKにはじかれたものの、こぼれ球が相手に当たってゴールインした。試合後のアギーレ監督は、柴崎を絶賛しながらレギュラー当確を示唆している。「柴崎はワールドクラスだ。まるで20年も経験を積んだかのようなプレーを見せてくれる。彼はかなり遠いところまで行きつくことができる」。しかし、好事魔多し。4日後に行われたブラジル代表戦の後半開始早々に柴崎はまさかのトラップミスを犯し、こぼれ球をカウンターで運ばれてFWネイマール(バルセロナ)にあっさりと決められた。0対4の惨敗につながる失点。高価すぎるほどの授業料を支払った。○「常にいい影響を与えられる選手」を目指して力の差を見せつけられたネイマールとブラジルに対して、試合後の柴崎は興味深いコメントを残している。「ああいう選手がいるチームと対峙(たいじ)することや上回ることを、常に目指していかないといけない。並大抵の成長速度では僕の現役時代の中では対応できないと思うので、自分のトップフォームの期間の中で成長速度を上げながらやっていく必要があると思う」。その真意を鈴木強化部長は「もっと上のレベルにまで行けるという自信があるのでしょう」と読み解く。球際の激しい攻防や体を張った競り合いに強くなる―。王国ブラジルから突きつけられ、克明になったはずのレベルアップへの課題を、レッズ戦の最も肝心な場面で達成できなかった。そんな自分に憤りを覚えていたことは容易に察しがつく。選手ならば誰でも憧(あこが)れるワールドカップへ。アギーレジャパンが発足する前の8月中旬に、決して饒舌(じょうぜつ)ではない柴崎からこんな言葉を聞いたことがある。「次のワールドカップのときは26歳。すごくいい年齢で迎えられると思う。最初から選ばれて、ずっと入っていたい」。ひとつ目の目標である「最初から選ばれる」はクリアした。ふたつ目の「ずっと入っている」を成就させるために、思い描くのは「常にいい影響を与えられる選手」だという。端正なマスクと華麗なパスセンスに愚直なまでの泥臭さを同居させながら、例えるならば流れる雲をつかむかのような柴崎の挑戦は続く。写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2014年10月29日9試合を残して史上最速となるJ1昇格を決めた湘南ベルマーレ。ホームにおける無敗記録を含めた異次元の強さの原点はいまから四半世紀以上も前、早稲田大学の学生だった大倉智社長と曺貴裁(チョウ・キジェ)監督が共有したロマンにさかのぼる。○2人の運命を決定付けた出会い第一印象は強烈だった。時代が平成に移る数カ月前の1988年4月。東京・暁星高校から早稲田大学に入学し、体育会である「ア式蹴球部」の門をたたいた大倉は、保谷市(現西東京市)東伏見にある練習グラウンドや寮で目の当たりにした、1学年先輩の群を抜く存在感に感銘を受けずにはいられなかった。いわゆる「いじられキャラ」で、誰からもかわいがられる。ピッチの上での実力は申し分ないし、頭脳も明晰(めいせき)で、話は常に理路整然としている。何よりもサッカーに対する情熱が半端ない。気がつけば、こちらの懐にスッと入り込んでくる。京都・洛北高校出身の曺と出会ってから実に四半世紀以上の時間がたっても、大倉が曺の人間性に対して抱いた憧憬(しょうけい)の思いは大学時代とまったく変わらない。「まさに学校の先生ですよね。いまどきいないタイプ。僕は思うんですよ。中学校や高校の教師の道を選んでも似合っていたんじゃないかと(笑)」。○「プロ」と「社員」の垣根を越えて交わした激論卒業後も2人は日立製作所で先輩と後輩の間柄になった。後に柏レイソルと名称を変えるチームはしかし、プロ化の波に乗り遅れる。1993年のJリーグ元年に参戦することはおろか、2チームに許されたジャパンフットボールリーグからの昇格すらも逃してしまった。当時のレイソルにはプロ選手と日立製作所の社員選手が混在し、曺は前者、大倉は後者だった。練習を終えた後のファミレスで、2人はひと目をはばかることなく激論を交わした。クラブの体制はもとより、時には日本サッカー界の未来について。忌憚(きたん)なく思いをぶつけ合ううちに、大倉の脳裏にはごく近い将来に訪れるはずの光景が自然と浮かぶようになった。「この人なら、いずれはJクラブの監督を務めるんじゃないかと。僕にはそう思えたんです」。曺は翌1994年に浦和レッズへ移籍する。2人が別々に歩み始めたサッカー人生は10年後の2004年、大阪の地で再び交わることになる。○10年ぶりに動き出した2人の時間現役引退後にスペインでスポーツマネジメントを学んだ大倉は、2001年の途中にセレッソ大阪のチーム統括ディレクターに就任。2004年シーズンに臨むに当たって、川崎フロンターレの育成組織で中学生を指導していた曺をヘッドコーチとして招聘(しょうへい)する。現役引退後にドイツのケルン体育大学へ2年間留学した曺は真っ赤な情熱をそのままに、卓越した理論を身にまとった指導者へ成長していた。ベルマーレのキャプテン・永木亮太は、実はフロンターレ時代のまな弟子だ。同じく中学時代に曺の熱血指導を受け、ベルマーレから柏レイソルへと移籍した高山薫は畏敬の思いを込めて曺をこう呼ぶ。「いまでも僕にとっての金八先生です」。2004年秋。手腕を発揮する場をセレッソから湘南ベルマーレへと移し、強化部長に就任した大倉はほどなくして、社長の眞壁潔(現代表取締役会長)にこんな提案をしている。「曺という人間を連れてきてもいいでしょうか」。○J黎明期に大倉が描いた光景の実現当時のベルマーレは「育成型クラブ」への転換を決めていた。湘南エリアの才能ある子どもたちが、横浜F・マリノスの育成組織入りを希望する流れを食い止めたい。親会社を持たない市民クラブが生き残っていくための決断だった。育成を託すならば曺しかいない。長期的視野に立った大倉のクラブ改革に感銘を受けた曺は、早稲田大学のOBが当時の監督を務めていた、2つのJ1クラブからの入閣要請に断りを入れて2005年にベルマーレのジュニアユース監督に就任。翌年からは育成組織全体を統括する立場となった。いま現在のチームの中心を担う菊池大介、古林将太、U-21日本代表の遠藤航らが曺の指導で頭角を現す一方で、Jリーグの創成期に大倉が思い描いた光景が意外な形で実現する。2011年11月。突如辞意を表明した反町康治監督(現松本山雅監督)の後任として、ヘッド格のコーチを務めていた曺の監督就任が決まった。クラブは当初、曺を育成組織のトップに戻す計画を描いていた。しかし、緊急事態を受けて眞壁と大倉の考えは「後任は曺しかいない」で一致。初めてトップチームを率いた曺は、豊富な走力と運動量をベースにするスタイルを掲げて2012年のJ2で2位に入り、J1昇格を果たした。○26年前から真っすぐに伸びるベクトル予想以上に強烈なJ1の洗礼を浴びた昨年の序盤戦。埼玉スタジアムでレッズに完敗を喫した直後のミーティングで、曺は選手たちに魂を訴えた。「『オレは絶対に引かねえぞ』と叫ぶ曺の背中を見たら、支えてあげなきゃと思ってね」。眞壁の思いはGMへ肩書を変えていた大倉のそれと再び一致する。眞壁もまた、曺の指導に「人をその気にさせる人間性がある」と教師の面影を見ていた。方向性は間違っていない。確かな手応えが、5月の連休明けには眞壁と大倉に曺の続投を決意させる。指揮官に対する揺るぎない信頼感が、史上最速のJ1昇格やホーム無敗記録など、今年に発揮された異次元の強さへの序曲となった。今年4月に取締役社長に就任した大倉は、26年前の出会いを思い出しながら苦笑する。「いずれはこういう時代が来るとわかっていて、監督を見守り続けてきたのかもしれませんね」。ボールを持てば、リスクを冒してでも前へ。ひたすら前へ。J2戦線を制圧した痛快無比な「湘南スタイル」は昭和の時代に共有されたロマンを原点として、21世紀のいま現在へと真っすぐに伸びるベクトルにも後押しされている。継続は力なり。ベルマーレがブレない理由がここにもある。(文中敬称略)写真と本文は関係ありません○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。
2014年10月04日9月2日、家具メーカーのマルニ木工が、同社東京ショールームで、プロダクトデザイナーの深澤直人と、「ミナペルホネン(mina perhonen)」デザイナ-の皆川明による初のコラボレーションプロジェクト「ふしとカケラ・マルニコレクション・ヒロシマ・ウィズ・ミナペルホネン(MARUNI COLLECTION HIROSHIMA with mina perhonen)」の発表会を開催。深澤、皆川両氏登壇により、トークセッションが行われた。同プロジェクトは、今秋開催の「三越伊勢丹デザインウィーク(ISETAN MITSUKOSHI DESIGN WEEK 2013)」のメインコンテンツ。深澤デザインのイス「HIROSHIMA(ヒロシマ)」などマルニ木工のイスにミナペルホネンの"カケラ"(残布)のパッチワークを組み合わせた商品や、端材を使ったテーブルなどのオリジナル家具が期間限定で発売される。皆川氏は、「2011年に西麻布のギャラリーで初めて"HIROSHIMA"を見て、その横姿の美しさに感動した。"カケラ"とは、洋服を仕立てる際に出る、端切れなどの余り布のこと。余り布も他の生地と同じように手間暇かけて作られるのに、廃棄されてしまうのはもったいないと常々感じていた。そんな余り布に“ピース=カケラ”としてもう一度生命を与えようというのが今回の試み。毎年発表してきたミナペルホネンのコレクションラインで使われたアーカイブ生地を組み合わせることで、タイムレスな魅力が感じられるものになったと思う」と語った。今回、皆川氏は使い続け生地が擦り切れると、織り込まれた別の色が見えてくる生地をイスの座面用に提案。「使い込む内に現れる経年変化を楽しめるようなイスを作りたいと考えた。この生地は2色の糸が互いの色を干渉し合わないようにしながら高密度で織り込んで作られており、表地と裏地が時間の経過と共に歩みよってくるような仕掛けになっている」と話す。また深澤氏は、「人はモノを買う時、”傷がなく奇麗な商品が欲しい”と思うのが正直なところ。だが、このプロジェクトで、"ふし"(がある木材)や"カケラ"を使ったモノであっても、"自分にしか手に入れられないもの"という価値がそこに存在する、という新しい考え方を提供できたのが大きな意義だと思う。プロダクトデザイナーとして、これまでは美しくクオリティーの高いものを目指してモノ作りを行ってきたが、今回そこに”無駄にしない”という意識を持ち込むことができた」と語った。同プロジェクトは、伊勢丹新宿店1階ザ・ステージで10月23日から29日まで開催されるイベントで公開予定。
2013年09月06日ブルース・リー主演の名作『燃えよドラゴン』の製作40周年、リーの没後40周年を記念し発売されたブルーレイの特別上映会が、18日に都内で開催され、竹中直人が出席した。その他の写真ブルース・リー歩き方を真似ながらステージに登場した竹中は、本作を自身の初映画監督作『燃えよタマゴン』のモチーフにするほどリーを敬愛しており「初めて観た時は、あの動き、髪の毛、高い声。とにかく痺れましたね。妹が殺されて復讐に燃えて敵をやっつけるシーンがあるんですが、その表情が未だに高揚しますね」と熱く語り、得意のモノマネも披露し会場を盛り上げた。1973年に『燃えよドラゴン』が公開された時、リーはすでにこの世を去っており、当時、宣伝を担当していた渡辺完二氏は「あの頃は亡くなった事を知った上でどう宣伝するか、が課題でした。とにかく若い人を中心に試写会を沢山行いましたね」と振り返り、竹中も「初めて観た時は、もうこの人はこの世にいないんだな…と思いながら観てましたね」と早すぎた死を惜しんだ。本作は麻薬と陰謀が渦巻く要塞島で、ブルース・リー演じる主人公の怒りが炸裂するカンフーアクションで、このほど発売されたアイテムはディレクターズ・カット版を全編リマスターし、初収録となる特典映像や吹替えなどを収録している。『燃えよドラゴン』 製作40周年記念リマスター版発売中6980円(税込)発売・販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
2013年07月19日今夏公開の超大作映画『アベンジャーズ』の大ヒット祈願イベントが24日に、東京港区にある増上寺で行なわれ、日本語版で声のキャストを務める竹中直人と米倉涼子が出席。同日に、竹中が“アベンジャーズ”を率いる謎の男、ニック・フューリーの声を演じることも発表された。その他の写真本作は、天才発明家のトニー・スターク=アイアンマンや、怒りによって巨人に姿を変える科学者ブルース・バナー=ハルク、神々の国を追われたソー、謎の女スパイ、ブラック・ウィドウらが、人類を守るために最強の敵に立ち向かう姿を描いた超大作。現在、全世界の興行収入が11億ドルを突破する大ヒットを記録している。米倉は、スカーレット・ヨハンソン演じるブラック・ウィドウの声を担当。「生まれて初めての経験なので緊張しました」といい、初めてのアフレコはカーテンを閉めきってやったと明かした。一方、竹中は「(フューリー役の)サミュエル・L. ジャクソンのたたずまいは色気がある。あーたまんない!」と発言し笑いを誘った。ちなみに本作に登場するキャラクターの中で米倉の好きなタイプは、ジェレミー・レナー演じる弓の名手“ホークアイ”だそうで「クールで寡黙で、二の腕がステキ」と笑顔を見せた。最後にふたりは「全部が見どころです。ものスゴいエネルギーとパワーと、そして勇気をもらえる映画です!」(竹中)「気合いを入れて作っていますので、ぜひ映画館で迫力と壮大なスケールを味わってください」(米倉)とPRした。『アベンジャーズ』8月17日(金) 3D/2Dロードショー
2012年05月24日『シュレック』シリーズの人気キャラクターを主役にした『長ぐつをはいたネコ』が17日(土)から日本公開になる前に日本語吹替え版でプスの声を務めた竹中直人と、プスの相棒ハンプティ・ダンプティの声を務めた勝俣州和がインタビューに応じた。『シュレック』シリーズよりプスの声を演じてきた竹中は、以前よりウワサは出ていたものの、正式にプスが主人公の作品が作られると知って「本当に実現するなんて思ってもみなかったですし、アントニオ・バンデラスとかたちは違えど共演できるのはうれしかった」と振り返る。竹中は本作のほかにも『機動警察パトレイバー2 the movie』の荒川茂樹役や、『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』の金獅子のシキ役などアニメの吹き替えも務めているが「声優は本当に奥深い仕事だと思っていて、憧れはあるけど自分に話は来ないと思っていました。画面のキャラクターのリズムに合わせていかないとならないですから、芝居以上に集中力がいるし、何とも言えない緊張感があって楽しいですね」と語る。一方の勝俣は声優初挑戦。それもハリウッド大作の主要キャストだ。「話が来たときは絶対にウソかドッキリだと思ってました」と笑顔を見せる勝俣だが、実際に収録に入ると予想を上回る楽しさが待っていたという。「過去に何回かドラマに呼んでいただいたんですけど、僕の印象が強すぎて、どんな役をやっても“勝俣州和”になっちゃうんです。今回はハンプティの姿があることで役に成りきれましたし、役に入っていける瞬間もあった。だから、何十回録り直しがあってもツラいどころか楽しくてしかたなかったです」。そんなふたりが演じるプスとハンプティは孤児院育ちの幼なじみ。偶然の出会いから友情を築き、同じ夢に向かって二人三脚で歩むも、ある事件を機に袂を分かつ。本作は豪快な大冒険を描いたアドベンチャー大作だが、大人の観客の胸をうつ“男の友情ドラマ”でもある。勝俣が「ふたりは不器用だから、ぶつかっちゃうんですよね。この物語は大人も感動すると思います」と語れば、竹中も「重要なのは、ふたりの過去を描いた回想シーン。あのシーンがあることで映画の奥行きが変わってくるし、ふたりの出会いも丁寧に描かれているんです」と説明する。ちなみに本作は、大人の観客も存分に楽しめるクオリティを備えているだけあって、すでに全世界47か国でナンバーワンヒットに輝いており、続編の製作も期待されている。竹中は「第二弾を是非やりたいし、次にどんなキャラが出るのか楽しみですよね。地球が無事な限りは続けたい! 勝俣君を声優として放っておくわけにはいかないですし!」と意気込みを語り、勝俣は「この年齢で新しい分野に挑戦できるのはワクワクします。できれば竹中さんとは実写でもコンビを組みたいです!」と笑顔を見せた。『長ぐつをはいたネコ』3月17日(土) 3Dロードショー(一部劇場をのぞく)
2012年03月15日竹中直人と生瀬勝久が舞台初共演、新ユニット“竹生企画”として上演する『ヴィラ・グランデ青山~返り討ちの日曜日~』が11月11日(金)に東京・シアタークリエで開幕する。前日の10日には、舞台稽古の合間に竹中と生瀬、さらに本作品で初舞台を踏む共演の山田優が会見に応じた。「ヴィラ・グランデ青山」チケット情報はこちら物語はバブル期に建てられた、小洒落てはいるが造りの悪いマンション「ヴィラ・グランデ青山」が舞台。ここに住む男・民谷(竹中)が娘の元カレに殺されかけた、という事件を発端に、かつてここに住み民谷の友人だったが今は仲たがいしている男・陣野(生瀬)や、マンションの住民らを巻き込みながら展開するシニカル・コメディだ。作・演出は、以前からファンだったと語る竹中のラブコールに応えた倉持裕が担当する。もともと、竹中の監督映画に出演した生瀬が竹中を二人芝居に誘ったことから始まったこの企画。会見では生瀬が改めて「学生の頃からずっと拝見していた大先輩。竹中さんにずっと憧れてこの世界に入った人間なので、夢のような話なんです」と心中を話した。竹中は「私は、生瀬くんに圧倒されっぱなしの日々です」と照れ、「(最初に声を掛けられた時は)面倒くさいな、ふざけんなよって(笑)……いえ、嬉しかったですね。え、おれでいいの? って」とジョークを交えた竹中節で当時の心境を語った。また、陣野の部屋を借りている美女・早坂役はこれが初舞台となる山田優が演じる。山田は現在の気持ちを開口一番「よくわかりません……汗が止まらなくてずっと緊張してます」と話すが、その山田をふたりは「優ちゃんの佇まいがめちゃくちゃ美しい、これが初舞台かよ!って感じ」(竹中)、「色々特技を持っていてびっくりしちゃう」(生瀬)と絶賛。山田が生歌を披露するシーンもあり、山田曰く「初めてジャズを歌うので、一番緊張するポイント」とのことだが、こちらも生瀬が「すごいっすよ。稽古場なのにNYにいるんじゃないかなと思っちゃう」と話していた。なお、当初の企画だった“二人芝居”については竹中が「ずっとふたりは嫌だよ、煮詰まるし。想像しただけでも身体に汗が……」と語るも、「僕は諦めていないです!」と生瀬。今後も竹中と生瀬、ふたりの企画が期待できそうだ。ほかに出演は谷村美月、松下洸平、田口浩正。公演は11月11日(金)から27日(日)まで東京・シアタークリエ、12月1日(木)から4日(日)に大阪・サンケイホールブリーゼ、その他各地でも上演。チケットは発売中。
2011年11月11日日本を代表する個性派俳優、竹中直人と生瀬勝久が新ユニット“竹生企画”を立ち上げ、舞台『ヴィラ・グランデ青山~返り討ちの日曜日~』で共演する。この作品の稽古が10月11日に始まり、その様子が取材陣に公開された。作・演出は倉持裕。「ヴィラ・グランデ青山~返り討ちの日曜日~」チケット情報キャスト・スタッフが一堂に会する稽古初日の“顔合わせ”で、生瀬は「(竹中直人監督作の映画)『山形スクリーム』のロケ先で、竹中さんとふたりっきりになったときに『竹中さん、二人芝居って興味ありますか、もしよければ僕とやっていただけませんか』と言ったら、『いいよ』と言ってくれたのが最初。二人芝居ではないんですが、こうやって稽古初日を迎える状況になりました。夢のようですが、夢って本当に叶うんだなって思います」と感慨深げにこの企画が生まれたいきさつを語った。また「竹中さんに憧れがあるので、それをなくしたい。どうしても憧れがあると“受け”にまわっちゃうので。できれば本当に戦いたい」と気合を入れる。一方、竹中は「(二人芝居と言われたが)ふたりでずっと向き合っているのは恥ずかしいんで、誰か呼びたいなと思って直感的にキャスティングしたら、みんな『オッケー』と言ってくれた。ずっと倉持さんのファンだったので、脚本と演出を頼んだら倉持さんもオッケーだった。めちゃくちゃラッキーでした」と話していた。共演は山田優、谷村美月、松下洸平、田口浩正。山田優がこの作品で初舞台を踏むのも話題だ。「緊張で口から心臓が飛び出しそうで、昨日は眠れなかった」という山田は、「舞台を観るのがすごく好きで、だから初舞台は絶対後悔したくなくて、すごく好きな人たちとやりたいと思っていました。竹中さんに声を掛けていただいて、初舞台をやろうって決意しました」とその心境を語った。物語は小洒落ているが造りの悪いマンション“ヴィラ・グランデ青山”を舞台に、絶妙かつ軽妙な会話が繰り広げられるシニカル・コメディになるとか。公演は11月11日(金)から27日(日)まで東京・シアタークリエ、12月1日(木)から4日(日)に大阪・サンケイホールブリーゼ、その他各地でも上演。
2011年10月12日綾瀬はるかと藤木直人が出演する人気ドラマを映画化した『ホタルノヒカリ』の撮影が現在、イタリア・ローマ市内で行われており、現場から綾瀬と藤木のウェディングドレス姿を捉えた写真が届いた。本作は2007年に第1弾、2010年に第2弾を放送し、高視聴率を獲得し続けた人気ドラマで、恋愛よりも家でゴロゴロしている方が好きな“干物女”の蛍(綾瀬)が、上司の高野(藤木)と恋に落ち、結婚するまでが描かれた。劇場版では、結婚してから2年後のふたりが、新婚旅行先のローマで珍道中を繰り広げる。ローマでのロケは今月17日より行われ、気温35度のなかふたりは、映画『ローマの休日』に登場するバイク“1952年製ベスパ”にまたがり、コロッセオの周りを巡るシーンを撮影。意外にも映画での海外ロケが初めての綾瀬は、日本とは違った撮影に驚きや新鮮さを感じて終始、にこやかだったという。ほかもトレビの泉やサンピエトロ大聖堂、真実の口などでロケを行い、スペイン階段ではドラマでお馴染みの“家の縁側をゴロゴロするシーン”を再現。集まった日本人観光客から大きな歓声を浴びながら撮影が行われたようだ。映画『ホタルノヒカリ』は東宝の配給で、来年初夏に全国公開される。『ホタルノヒカリ』2012年 初夏全国ロードショー
2011年09月30日綾瀬はるか主演で2007年に放送され人気を博したTVドラマ「ホタルノヒカリ」が映画化されることが決定!“ぶちょお”役でおなじみの藤木直人や、会社の先輩である板谷由夏、安田顕の続投も明らかとなった。恋愛するより家で寝てたい――職場ではきっちりOLなのに、プライベートはダラダラ生活。男っ気は全くなく、休日はほとんど寝て過ごし、高校時代のジャージを着て寝転がり缶ビールを飲むという、ぐうたら生活を満喫する“干物女”こと雨宮蛍(綾瀬はるか)。そんな彼女が、ひょんなことから同じ職場の“ぶちょお”こと高野部長(藤木直人)と一軒家で同居することに。ドラマ版の第一弾ではこれをきっかけに発展していく2人の恋愛模様を軸に、ヒロイン・蛍をめぐる仕事、人間関係など様々な角度から描かいた。原作は少女コミック「Kiss」(講談社刊)で連載されていた、ひうらさとるの人気漫画。ドラマ版は2007年7月に日本テレビで放送され、平均視聴率13.7%、最高視聴率17.3%と高視聴率を獲得。ホタルの性格や生活スタイルに共感する女性から多くの支持を集め、2010年7月に続編にあたる「ホタルノヒカリ2」が同局にて放送。平均視聴率15.5%、最高視聴率17.4%とパート1をさらに上回り、今回満を持して映画化されることとなった。ドラマでは結婚というハッピーエンドを迎えたホタルと高木だが、映画版では2人は東京から飛び出し、イタリア・ローマへ!「愛する人とローマの休日を過ごす」という部長の夢を山田姐さん(板谷さん)と二ツ木(安田さん)から聞いたホタルは、新婚旅行をローマにすることを決意。果たしてホタルと部長の新婚旅行はどんな珍道中になるのか…!?今回の映画化について綾瀬さんは「最初聞いたときはびっくりしました」と驚きの様子。今回の新婚旅行はホタル自身、プライベート初の海外旅行となるが「イタリアでの“ぶちょお”とのやりとりを楽しみにしています。パート1・2と作品を支えてくださったみなさんにまた、たくさん笑ってもらえるようないい作品になるよう頑張りたいです」と期待を膨らませる。一方、藤木さんも映画化については「疑いました(笑)」とコメント。「“縁側でほのぼの”というドラマが映画になるなんて、いまでも信じられないです」とストレートに語りつつも、「この『ホタルノヒカリ』は愛着のある作品で、パート2ができたときも幸せだったし、またもう一度この“ぶちょお”を演じることが楽しみです。『ホタルノヒカリ』ファンの方たちの期待に応えられるよう、劇場で観て『よかった』と言ってもらえるような作品にしたいです」と意気込みを語る。果たして新婚旅行はうまくいくのか?映画でも「アホミヤ〜!!」、「ぶちょおおおお!!」と掛け合いを見せてくれるのか?今後、発表される共演者に注目が集まる。映画版『ホタルノホカリ』は2012年、全国にて公開予定。■関連作品:ホタルノヒカリ 2012年、全国にて公開予定
2011年08月05日