~暑さもひと段落、渇いた心に文化の潤いを〜 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われておりますが、近年は温暖化もあり本日の秋分の日が近づくころ、どうにか暑さが引くような気がします。秋分の日とはもともとはお彼岸で「祖先を敬い、なくなった人を偲ぶ」ことを趣旨とした国民の休日です。多くの先祖のあらゆるDNAや能力を受け継いで今日いるのが皆様自身です。ですから先祖には感謝をするのが当たり前ですが、多忙な日常生活の中では、つい忘れてしまいます。でも今日のような節目の祭日を定めれば、改めて先祖に感謝する様になり、御先祖達も「こんな素直な子孫は絶対守らねばならぬ」と力になってくれます。本日から本格的な秋に突入しますが、秋は「読書の秋」「芸術の秋」と言われるように精神に栄養を与える季節です。夏の暑さで渇いた心を芸術や文化で潤して、心豊かで穏やかな「麗人」を目指してまいりましょう。
2016年09月26日~老いること、若さとは何かについて考える〜 今日は敬老の日。老いること、その逆の若さについて考えてみません?誰にでも老いと死は平等にやってきます。人間は生まれた時からすぐに死へのカウントダウンが始まっています。ただ、歳を重ねることは様々な人生経験を積んでいく過程で様々なものが見えてわかってくるので、歳を重ねれば重ねるほど肉体は衰えますが人生は楽しくなる。逆に若ければ可愛いとチヤホヤされますが、それは只の自然現象で自分が努力と才能で手に入れたものではないから自慢にはならない、長い人生から見ればほんの少しの間だけ。世の中には若いということを自慢したり、中には年寄りを軽視する愚か者もいますが、若さとは未熟ということで偉くも何ともありません。老いることは何ら恥じることでもないし、若さは何ら得意がるものでもありません。「自分も既に老いに向かっているのだから若いときには謙虚に年上から学び吸収し、老いても人生を楽しめるよう自分を育てる」意識を持ち実践することが大切なことです。
2016年09月21日先日、一足お先に映画『ブリジット・ジョーンズ』の最新作を観た。32歳だったブリジットも43歳。いまだ独身である。役柄よりも少々年上のレニー・ゼルウィガーがスクリーンに現れた瞬間「うわ、すごいおばさん。ちょっときつい」と思ったのだが、5分もすると慣れてくる。そこからは2時間、笑いっぱなし。大満足で帰路についた。映画は恋をしていない私の心に潤いを与え、そして恋をするぞという力をくれる。ちなみに映画を観る時はいつも一人である。隣に誰かがいると気になってしまうので、友人はおろか、今では映画デートなんて考えられない。もちろんこれまでに何度かはある。初めての映画デートは高校生の時。1つ年上の不良と『ショーシャンクの空に』を観に行った。言わずと知れた大名作。しかし当時、『グーニーズ』や『インディー・ジョーンズ』といった類の映画が好きだった私は、やけに暗い映画だなとあまり楽しめなかった。そして映画館の明かりがついて、隣の彼を見た私はびっくり。彼は目を真っ赤にして震えていた。男が泣くのを初めて見た私はドン引きだったのだが、今考えたら、彼は少年院あがりの自分に何かを重ねていたのかもしれない。そんな彼も今では一児の良きパパである。20代の頃は、アスリートの彼氏と『マイノリティ・リポート』を観に行った。デートにはもってこいの泣きどころのないSFアクション。観賞後、感想を尋ねると「字幕で読めない漢字があった」と言われドン引きした。彼は頭まで筋肉だった。そんな彼も今では良き3児のパパである。そして、そろそろ三十路になろうかという時、知り合ったばかりのIT社長から「映画に行きましょう」とメールがきた。「何か観たいのありますか?」と返信すると『愛の流刑地』と返ってきた。え?初めて2人で会うのに『愛の流刑地』?濡れ場満載の?何だか怖かったので丁重にお断りした。そんな彼も今では・・・・・・、何をしているかわからない。名前も忘れてしまったから検索さえできない。こんな紆余曲折を経て、今では映画に誘われても「映画は一人で観るので」と断るようになった。だってポップコーンだって独り占めしたいもん。しかし、こんなんだから恋が遠ざかる一方なのだろうなあ。
2016年09月20日~月を愛でる〜 今日は中秋の名月です。ススキを飾り、お団子や穀物、果物などをお供えするのは、収穫を祝うことが起源とされています。思えば、日本には四季の移り変わりの風情を楽しむ行事がたくさんあります。十五夜もその一つ。都会に住む人たちにとっては、あまりなじみのない行事かもしれませんが、古来より日本人は月を眺めて笛の音を聞きながら、いろいろな思いをめぐらせてきたのです。源氏物語でも、光源氏が十五夜の月を眺めて、京の都や恋人に思いを馳せるうら哀しいシーンがあります。百人一首にも、月が登場する短歌がたくさんあります。さらには、こんな逸話もあります。夏目漱石が英語教師をしていたときのこと。学生が「I LOVE YOU」を、「我君を愛す」と訳したのを見て、「それよりも、月が綺麗ですねと訳したほうがよい」とアドバイスしたそうです。遠廻しの表現がロマンチックですね。日ごろは何かと忙しくされている皆さんも、今宵は薄物の着物を着てお琴か笛のCDを聴きながら月を眺めてロマンチックに過ごしてはいかがでしょうか。月を眺めてお団子を一つ、二つ、三つ……月より団子…、食べすぎにはご注意を。
2016年09月15日~個人が「総合商社」になる時代で大切なことは…〜 世界が進化退化と激動の変化を遂げているこの頃、乱世を生き抜くためにこれからは「個人個人が何でも売っているデパートや総合商社になる」ことが大切です。以前は1つの道を究めることが美徳とされてきましたが、あらゆる分野がグローバル化された現在では、個人が専門店だけでは通用しなくなりました。しかし、重要なことは、「デパート」「総合商社」といえども、ただ何でも器用にこなすだけではなく、正統派の本物もありながら多様化、変化にも対応できる“実直な総合商社”であることです。専門だけでは通用しなくなったとは言え、自分が決めた道や得意分野はしっかり持ち磨き究めることは大いに自分自身の武器になります。ただし、それだけではダメ、柔軟に自分の武器も活かしながら変化にも対応でき、その他のこともこなせる努力と守備範囲の広さが要求されています。これは、会社で働くサラリーマンだけでなく、主婦でも学生でも人間誰しもが今後求められることなのです。つまり何でも屋さんです。
2016年09月12日~人生は念じるエネルギー通りになるものです…〜 ネガティブ思考の方がいて、いつもマイナスオーラを放っている方は、次のような努力をしてみては・・・。人生は念じ続けるエネルギーの強さで動き出すものとても大切なことは自分の人生を素晴らしいものにするかどうかはほんのちょっとしたプラス思考のイマジネーションだということ。自分は不運不幸だと常に取り越し苦労のネガティブ思考の人は、自分が醸し出すその暗い雰囲気とオーラに包まれ負を引き込んでしまう。無意識に悲観的な予想のような選択を選び悲観的な結末の方向に流れていく傾向があります。逆に無理やりでも自分にプラスの自己暗示をかけて前向きの素晴らしいイマジネーションを描き念じ続ければ、やがて毎日を明るく楽しく前向きに生きる努力が習慣になりやがて自然とハッピーになっていくのです。人生とは良くも悪くも自分の想念次第で地獄極楽が決まるのです。不思議ですね。
2016年09月08日~家族でもひとりの別の人間と思うことが愛情〜 悩み相談の中で一番多いのが、家族間のトラブルです。親・子・血縁など情念に取りつかれ、「人は人」「家族と言えども一人の人間同士」とは簡単に割り切れないようです。とはいえ、「親はこうすべき」「子は親に対してこうあるべき」などと考えるよりも、「お互いが良い人間同士で居よう」と考える方が、相手に敬意と愛情がしっかり持てるもの。親子という文字にとらわれず、冷静に俯瞰して見て、常にほど良い距離感で接する方が、お互いを思いやる的確な行動がとれ、良好な関係が長続きします。「家族と言えども違う人間同士」とは、他人行儀で冷たい関係になるのではなく、相手を大切に思うがゆえに、冷静にほど良い距離感でお互いを立て合い大切にする関係であり続けるということです。べったりとした情念ではなく理性でスパッと割切ることができれば、知性も働きます、 そうなれば怖いものなしです。親しき仲にも礼儀あり、家族を大事に思うならば、情念を外し、理知で向かい合うことからです。
2016年09月07日~逃げることも戦い方の一つです〜 人生は修行の場です。困難や大きな壁にぶち当たれば、それを乗り越えるからこそ成長があります。ただ、困難に立ち向かう際に“戦う方法は色々ある”ということを覚えておいてください。困難を乗り越え克服する手段として“逃げる”“開き直る”ことも乗り越えるひとつの方便でもあります。たとえば、いじめやDVといった自分ではどうにもならないことや、いよいよ状況的に追い詰められた時など、マトモに向かい合えば命が危うい場合などは、その場からさっさと逃げて環境を変えることも大切な智慧の一つです。「三十六計、逃げるが勝ち」「負けて勝つ」と発想の転換で開き直った方が、自分の内外で思わぬ幸運や力が湧いてくることもあります。これも人生における立派な戦い方であり、かけひきや強さなのです。もちろん、この選択肢は、困難に立ち向かった上で、どうしようもない時の最終手段ではありますけどね。
2016年09月06日~“悟る”とはどのようなことを言うのか〜 「○○を悟った」「悟りの境地」といった具合に、この世の物事の全てを理解知りつくした状態を表現する言葉として“悟り(さとり)”を認識していませんか?“悟り”とは単に全てを知り尽くした状態のことを言うのではありません。人間社会の喜怒哀楽愛憎怨良悪による出来事や社会現象や自然現象の源因となっている大元の理由を全て解ってしまった末の不動の心で、一切を冷静な目で見ることが出来る、いつも心が平穏な状態でいられることを“さとり”と言います。“さとりの境地”に至るには、天文学的数字の多くの人生経験と苦行を乗り越えてなければなれませんし、その苦行も生やさしいものではありません。“さとる”程の境地に達するだけの困難や苦行は、何度も生まれ変わった人生修行の最上級生にしか与えられないので、一般の人間はそう簡単には悟りの境地に至ることはできません。でも遠いとおい未来には人は皆その悟りを得ることが約束されているのです。頑張りましょうね。
2016年09月06日~“悟る”とはどのようなことを言うのか〜 「○○を悟った」「悟りの境地」といった具合に、この世の物事の全てを理解知りつくした状態を表現する言葉として“悟り(さとり)”を認識していませんか?“悟り”とは単に全てを知り尽くした状態のことを言うのではありません。人間社会の喜怒哀楽愛憎怨良悪による出来事や社会現象や自然現象の源因となっている大元の理由を全て解ってしまった末の不動の心で、一切を冷静な目で見ることが出来る、いつも心が平穏な状態でいられることを“さとり”と言います。“さとりの境地”に至るには、天文学的数字の多くの人生経験と苦行を乗り越えてなければなれませんし、その苦行も生やさしいものではありません。“さとる”程の境地に達するだけの困難や苦行は、何度も生まれ変わった人生修行の最上級生にしか与えられないので、一般の人間はそう簡単には悟りの境地に至ることはできません。でも遠いとおい未来には人は皆その悟りを得ることが約束されているのです。頑張りましょうね。
2016年09月05日~愚かな風潮に染まってはなりません〜 恋愛に限らずあらゆる面で言えることですが、「自分に正直に生きる」「自分にウソをつかない」といった言葉で、何でも全て自分の都合よくやるのが正義だとする愚かな風潮に染まってはなりません。近年は若い子からお年寄りまでこの小ずるい風潮に染まった人々が多くなりました。欲望のままに突っ走るのはケダモノです。また、欲をかけば必ず最後にツケが回ってくるのもこの世の法則です。まっとうな人間は、自分の欲望に関して、理性や良心である程度ブレーキを掛ける。そのブレーキの元となるものが人としてのたしなみ、自制心常識です。それで、規制・束縛・制限するからこそ、何とかしようと人は工夫したり考えたり試行錯誤して、欲望や様々な壁を征服する、その達成感が自信や実力になり人は成長するのです。好き勝手にやるより、自分をコントロール出来る楽しさを知った方が人生は何十倍も充実、楽しいものになります。
2016年08月15日~黒い糸は赤い糸にはならない!〜 結婚をした後に、お互いの本性を知ったとたん「こんなはずではなかった」と後悔することはよくあります。しかし、それでも結婚は現実だからと腹を据えて覚悟を決めれば長続きし、そのうちお互いに良きパートナーとなったりします。ですが、それ以上にやっかいなのが、本当は“黒い糸”なのに“赤い糸”と無理矢理思い込んだ結果、恐ろしい負を背負い込む事になるのは、焦って結婚することだけに固執した結果、黒も赤く見えるのです。この場合は、人生修業と諦めて、最後まで負を背負って生きていく覚悟を決めるか、早く別れるか2つに1つしかありません。きっと良い方向に向くかもなどと中途半端に希望を持つと、お互い傷が深くなるだけ。黒い糸は赤い糸にはならないのです。ただ、負を背負い生きていくと非常に強い人間になり、別の意味で大きなプラスになることもあります。相手ばかりに欠点があるわけではないのですから。
2016年08月09日~必ずしも思いは成就しませんが、それでも…〜 「本当に愛した人なら、想い続ければ必ず成就する」などとは迷惑な話で、世の中は相手が居ることなので、そう巧く都合よく出来ていません。「見返りなどいらない」とか、「彼(彼女)への無償の愛」と言っても、それはそんな簡単なたやすいことではありません。大方、相手が振り向いてくれなければ怨んだり不貞腐れたり、悩んだり、そのくせ時間が経つと想いは薄れていく、これが普通です。でも、恋愛が上手く行かないからと言って誰かや何かを愛することを止めてはいけません。何も愛は恋愛だけではなく、親子、兄弟、師弟、隣人愛、ペットなど至るところに愛をそそぐ相手はいますし、趣味や仕事を愛し、慈しみ、育てて行く生き甲斐もまた愛の対象です。文化の中にそれはあります。作品に愛を注げば、その愛は人間と違って、必ずいつかどこかで大きな愛になってあなたに戻ってきます。「人は愛した分だけ、愛されるもの」、これは「文化に限って」と云うことなのです。
2016年08月08日~恋のはじめに意識する大切なこと〜 繰り返しになりますが、すべて自分本位の欲望が恋、すべて相手本位の思いやりが愛、恋愛とは恋から愛へと昇華させることです。恋が成熟して愛になり、愛が成長して無償の愛に至る、これが愛の道筋です。恋のはじめというのは、相手の気持ちなどおかまいなく自分勝手に好きになり、相手にも自分を好きになって欲しいと一方的に望みます。性欲の押し売りです。ただ、自分本位の想いから、上手く行かないと、不貞腐れたり、相手を悪く思ったり怨み憎しみさえ持つこともあります。でも、そんなことは最低の人間で、恋は成就しないどころか、恋愛の素晴らしさや楽しさを知らずに空しく終わってしまいます。恋は思案の外と言って、理性が働かなくなり周りや自分が見えなくなります。そこは努力して冷静に相手をよく観察する。相手が望む人間のタイプを調べ、そこに近づける努力をし、あなた自身とは違うモノでも全て受け入れ身につける準備をする。これが恋愛の初めに意識する大切な第一歩です。
2016年08月05日~恋愛の伝道師として最も伝えたい“愛”〜 私が“恋愛の伝道師”と言われるようになって久しいのですけれど、私が皆様に何よりも知っていただきたいのが“無償の愛”です。自分の欲求や我を捨てて、何の打算も計算もない、ひたすら相手のためだけを考える絶対的な愛がこの世には存在します。人は誰かを好きになれば心のどこかで見返りを求めます。それが普通です。見返りがないと不貞腐れたり、あるいは「可愛さ余って憎さ百倍」と愛とは間逆の怨敵として地獄に行ってしまうことがあります。「見返りを求めない愛、そんなものはない」「あっても自分には出来ない」との声が多数でしょう。しかし、私は事実これまで無償の愛を与え、与えられたことが多々あります。だから信じられるのです。“無償の愛”こそがこの世でもっとも崇高な愛の形、そして真実惚れきれば誰にでも持てるものです。そうなれない人は惚れようが足りないだけなのです。
2016年08月04日東京では2年ぶりとなる美輪明宏の「音楽会」が9月から始まる。その間、全国で歌いながら、あるいは、子ども番組などのテレビに出演しながら感じ取ってきたことが、今度のプログラムには盛り込まれる予定だ。それぞれの選曲への思いを語る美輪の根底には、人をやさしく見つめる眼差しがあった。【チケット情報はこちら】「今、各地で歌っていて感じるのは、みなさん、心の安寧を求めていらっしゃるということです。目先の欲にかられていると言われようとも、生きるために必要なことを選び取るしかない生きづらい世の中で、みんな生きることに精いっぱいなんだなと感じます。ですから、少しでもみなさんのお役に立てる、心の栄養補給になるような歌をお届けできたらと思っているんです」。2016年の音楽会について、まずそんなふうに語った美輪。ここのところずっと、“生きる”というテーマが自身のなかにあるそうで、今回は、生きる力になる歌を選んでいくつもりだ。たとえばそのひとつは、美しいメロディを持つ曲。「日本にはかつてきれいな曲がたくさんありました。そういった聴くだけで心が穏やかになるような曲を求めていらっしゃるのがわかるので、古臭いと言われても、歌っていこうと思っているんです」。今年の春から、監修を務める齋藤孝氏に請われて『にほんごであそぼ』(Eテレ)に出演していることも、その志を後押しした。「むずかしい和歌や俳句を理解する子どもたちに感心するとともに、ユーモアたっぷりの演出もすばらしいと思ったんです。そこで、昔よく歌われた明治時代の歌で、ほんわかした気持ちになっていただければなと思っています」。ほかにも、第一部には、今のお父さん・お母さんの悲哀を歌ったオリジナル曲も登場。そして、『ヨイトマケの唄』でそれでも力強く生きていこうと励ましてくれる。ラテンやシャンソンの大人の歌で愛の深淵を見せる第二部は、「悲劇の歌もたくさん出てきます。それを聴けば、つらいのは自分だけじゃないとわかるはずです。劣等感や悩み、苦しみ、痛みを持っていない人間はこの世にひとりもいません」と、こちらにも力づける歌を揃える。第二部の舞台美術には星空を用意した。「宇宙に同じ星がないように、人間もさまざまでいいんです。その自然の法則も感じていただければと思っています」。誰にも生きる価値がある。美輪明宏の歌にはそんな懐深い愛が込められている。美輪明宏/ロマンティック音楽会2016は9月10日(土)から25日(日)まで、東京・東京芸術劇場プレイハウスで上演。その後、全国を周る。取材・文:大内弓子
2016年08月02日~私が“本当の愛”を知り、教わったある出来事〜 今月は“恋愛の伝道師”に徹する前に、私の経験談をお聞きください。歌手デビュー以後は順風満帆だった人生が、仕事の方針転換や株や金銭詐欺で生活は困窮、そのどん底の時代に知り合った一人の青年。人懐っこく礼儀のある純朴な彼は私が頼んだ訳でもないのに、献身的に私の世話を焼いてくれました。しかし、当時の私は彼に甘える一方で、若さに任せて他の恋の火遊びを繰り返していました。お互い自由を束縛しないという約束もあり、彼も私を見て見ぬふりで私を責めたことはありませんでした。何年かたったある時、彼はそっといなくなりました。彼がいなくなって初めて私は溢れるような愛を与えてもらっていたことに気づきました…。そして初めて本当の愛とは“与えるもの”だと教えられた気がしました。与えっぱなしで見返りを求めない気持ち、これが本当の愛だと。だから“恋愛の伝道師”として、皆様にも“本当の愛”を伝える使命があるのです。
2016年08月02日~一人一人の心の文化が!〜 美意識を世に広めたいと美声と警句で奮闘した歌手・淡谷のり子さん。確固たる美学を持ち、戦時中、特攻隊への慰問で訪れた先で「国の為に死にゆく兵隊さんを見送るのに汚い格好は失礼!美しい衣装で唄う日本の美しい歌を聴いて旅立って頂きたい!」と軍刀を突き付けられても決してモンペを履かなかった反骨精神と覚悟。彼女は、戦争中だろうが何だろうが、どんな時でも人間には心に文化や美意識は必要という強烈なメッセージと心意気を貫き通しました。日本は戦後復興の頃と同じ位の国難と呼ばれる苦しい時を過ごしてまいりました。震災当初は""生きていくため""の事が最優先で、文化は後回しにされました。しかし。淡谷さんが命掛けで示した心意気を政財官界を含め国民も今もう一度再認識しましょう。大人は常に心に文化を持つべきもの。一人一人の心の栄養、文化が結局は国全体の為になるのです。by:美輪明宏麗人だより
2016年07月28日~俯瞰してその次に大切な"心眼"で見る〜 世の中や物事を俯瞰しただけでは、真実や真理、本質は見えてきません。その内面の二重三重構造の奥底をも""心眼""で見る必要があります。人間は肉眼で見えるものしか信じようとしません。しかし、目では見えないところに真理や真実、本質本性はあります。それらを見抜くためには、心の眼で観ることです。具体的に言えば、物事を表面だけではなく、その背景や根本の原因、逆の見方など視点を変えて観察する。もし人の場合は、年齢・性別・容姿服装・肩書きなど見た目だけで判断せず、その人の生まれてこれまでの家庭環境や人生のトラウマの背景や環境などを観ることなどです。表面の現象だけで物事を判断するのではなく、冷静に思いやりを持って見えていない深い部分を観て考察することが必要です。それが心眼で観るということです。追伸…焦って直ぐに結論を出すと間違った判断が多いのです。
2016年07月25日私がよく行くスーパーの青果担当ナガイさんは、みんなから愛されている。「今日は小松菜が安いよ!小松菜、持って行っちゃってー!」と元気な声を出すナガイさん。本当に持って行っちゃったら万引きになってしまうのだけど、ナガイさんの声にのせられたお客さんたちは、次々と小松菜をカゴに入れる。ナガイさんの周りには、いつも人がいる。奥様方に料理方法の質問をされて丁寧に答えるナガイさん、小さな少女に「ナガイさん、お母さんが呼んでるから、こっち来て!」と手を引かれるナガイさん。逆に、一人のおばあちゃんに「久しぶりだね!最近来てなかったから心配したよ!」と声をかけているナガイさんを見かけたこともある。30代前半、いたって普通の容姿。しかしナガイさんはすごく魅力的だ。メディアでは『モテ』というキーワードをやたらと目にする。モテるための服装、モテるためのメイク、モテるためのしぐさ。確かにその瞬間はモテるかもしれない。しかしモテると、愛されるはまったく違うものである。モテるのは努力で何とかできるけど、愛されるのは生まれながらにしてもった素質が必要なんじゃないかと思っている。私の母は、とても綺麗な人だ。料理も上手だし、よく働くし、頑張り屋さんだ。でも彼女は、私の父に愛されなかった。一方、女優の夏目雅子さんは、私からすると私たち家族から父を奪った人という認識だけど、亡くなった今でも人々に愛されている。きっと天国でもたくさんの人に囲まれて、あの美しい笑顔をみせているのだろう。これは、もう天性のものなのだと思う。するとふと、その愛されない遺伝子を自分が母から受け継いでいるのではないかと思う時がある。何だか絶望的な話しになっているが、私は愛されるよりもむしろ愛したいので、私にはそれが合っているような気もする。生まれながらに愛される素質をもっている人は、たぶんそのことには気づいていない。もしナガイさんに「どうやったら人に愛されますか?」と尋ねたら、きっとナガイさんのことだから笑顔で「旬の野菜!旬の野菜を食べちゃってー!」と言うんじゃないかしら。そんなナガイさんの薬指にはきらりと指輪が光っている。ナガイさんはやっぱりたくさんの人から愛されている。
2016年07月22日~魂(霊魂)はエネルギー体!?〜 ダイヤは原石をカットして磨き上げ、その眩い光を輝かせるには大変な日数と労力を要します。ダイヤもピンからキリまであり、霊魂もまた同じです。魂を純度の高い上質な美しい純粋なエネルギー体にするには人生学校の中で精製練磨する厳しい精神修行が必要なのです。これには大変な時間と手間がかかります。あの純粋エネルギー体そのものであるお釈迦様でさえ、生まれ代わり、死に代わりを繰り返しとても長い時間がかかっております。地球上の人間の霊魂は人間でいえば小学校レベルの修行です。この世の人生学校を卒業できなければ落第生と同じで何度も何度も生まれ変わって修行のやり直しとなるのです。そうやってあらゆるパターンの喜怒哀楽を勉強し霊魂は磨かれ純粋なエネルギー体となってようやく今度は中学生レベルの霊界での修行となるのです。ダイヤも霊魂も、美しい光を輝き放つまでには大変な時間と労力がかかるのです!
2016年07月21日~日本を救うのは言葉、言葉の力を信じて…〜 日本の豊かな言葉は強い力を持っています。これまで日本人は言葉や様々なモノを変化、発展進化させ生き延びてきました。漢字がひらがな、カタカナに発展し、更にローマ字も加わり4種類の多様な言葉を持ち、その多様な言葉の紡ぎ合わせがより美しい言葉に昇華し、日本人の繊細で洗練された感性を培ってきました。戦後は欧米文化に毒され、YESかNOかはっきりさせることが正義でデリケートなあいまいさは悪徳のように非難されてきましたが、これからの微妙な世界情勢の中で、外交や厳しい経済情勢のかけひきの社会生活では、この微妙な表現こそ力を発揮します。現に、米国をはじめYES/NOハッキリしたがる欧米各国が国際会議では終始あいまいな表現に終始しているでしょう?日本人は今こそ、日本語の洗練された表現や言葉の力を信じ、国語力の向上を図りましょう。若者のはやり言葉だけでは困りますよねぇ。
2016年07月11日読んでいた小説にすごく強引な男がでてきた。主人公の女は少し腹を立てながらも、結局は男に言いくるめられる形で彼の欲求に応えてしまう。それを読んでふと、最近、強引な男が少なくなったなあと思った。前にコラムでも書きましたが、NYでデートをした男性がいました。最初に話しかけられた時、私は冷たく彼をあしらいました。彼は去って行きましたが、美術館のベンチに腰かけている私を見つけて再びやって来ました。誘いを断り続ける私に対して「本当に美味しいレストランなんだ」「食事だけでも」「日本語を勉強してから行くよ」と諦めない彼。強引だなあと思いつつも、NYでずっと一人だった私は「じゃあ食事だけ」ということで翌日に彼と待ち合わせることになったのです。ここ最近知り合った男性はみな穏やかで優しくて気遣いができるけど、強引さとは無縁。食事を終えて「もう一軒行く?」という問いに「うーん」と難色を示すと、すぐに引き下がります。彼らは絶対に粘りません。こちらを尊重しつつも、自分が傷つきたくないんだろうなとも思います。粘って粘って、玉砕というのはイヤなんでしょうね。明らかに好意をもっているのに「好きです」とか「付き合ってください」とか、決定的な言葉を絶対に言わないのも自己保身。なあなあでなんとなく付き合っている感じにもっていけたら、という魂胆がみえみえで、白黒つけたい私としては、そんな男性に魅力を感じるはずもないのです。この前も数人で食事をしていた時に、居合わせた年下の男性が27歳だと知って、私が「10歳も違う」と苦笑いすると(正確には11歳。サバよんだ)、彼が少し真剣な顔で「10歳しか変わらんやん」と私を見ました。まったく興味がない男の子だったけど、その瞬間はドキっとしましたよね。やはり男は優しさと気遣いだけでは物足りない。強引な男性求む!なのであります。しかし、一説には強引な男がいないなあと思うのは『強引にされるほどの女じゃない』ということであるのかもしれません。仕方がない。こっちから強引にいくしかないな!待ってろ、野郎ども!
2016年07月08日~織姫と彦星の年に1度のロマンスに乾杯〜 どんなに愛し合っている恋人同士でも節度ある距離は保つべきです。熱愛中のカップルは「親しき仲にも礼儀あり」なんてフッ飛ばしてついつい無遠慮になってしまうもの。時にはケダモノになって人間の理性を壊す力を持つのも恋愛のパワーです。しかし、“遠距離恋愛”はそれが出来ません。その代わりに、遠距離恋愛は簡単に会えないからこそ逆にお互い想いを募らせ、それが切なくやるせない素敵な恋愛になります。その遠距離恋愛の代表が、今宵夜空に輝きを放ちます。そう、7月7日、本日は七夕、織姫と彦星が1年に1度デートを許される日です。素敵なロマン溢れる物語、古の日本人が味わってきた夏の風情です。「あぁ、恋や恋、ただなかぞらになすな恋」、今宵は夜風にはためく笹の葉に願いを込めた七色の短冊を結び、織姫と彦星の永遠のロマンに自分たちをなぞらえてみるのも一興です。しばし、物語の主人公になって時を過ごしましょう。
2016年07月07日~"責任"のもてる人間は幼少からが勝負!〜 責任をしっかり持てる人間への第一歩は、子供の頃からしっかりと「あなた自身を育てるのは、あなた自身です」と叩きこむことです。責任の所在を子供の頃から明らかにしておき、親や学校の先生はただ成長の手助けをするだけで、どんな時でも自分の行動には自分に責任があるのだとわからせておくのです。武家社会では、15歳前後で元服をさせて自立することを早くから教えていました。現在では、親はいつまでもペットのように子供を可愛がり過保護すぎるあまり、子供がいつになっても赤ん坊のままで自立せず、何かにつけて責任を他人や他のことになすりつけ、結果自分にも仕事にも社会にもすべて責任を持てない大人が増えました。しっかりと自立し、責任感が強く自分にも社会にも責任を持てる立派な大人に育てるには、幼少からしっかりと「自分を、自分の人生を育てるのは自分だ」と意識させることが肝要です。
2016年07月06日~実はふくよかな、恵比須顔の方がモテるんです!〜 スタイルが良く、痩せて小顔の男女が持て囃されます。ファッション誌などに出てくるモデルさんに憧れ、自分もスタイル良くなりたいと相変わらずのダイエットブームです。しかし、実際はスタイルが良くどんな服も似合うモデルのような方よりも、えびす顔でがっしり、それでいてニコヤカな男性や、ふくよかで母性本能の溢れるお母さんタイプの女性の方が、現実にははるかにモテます。何故かというと、痩せてスタイルが良く、頬がこけている人は貧乏神の容姿で、福運に遠く、人が寄りつきたくない暗いマイナスオーラを出しているので、意外に孤独です。一方でふくよかで丸顔の人は、人相がニコヤカ、大黒様・恵比寿様お多福の容姿で、金運にも恵まれ精神的にも余裕のある方が多く、陽のオーラが漂っているので、何か良い事がありそうと自然に人が寄ってきます。可哀想でもスタイルの方が良いか、スタイルは良くなくても余裕のえびす顔で運に恵まれる方が良いか、どちらを選ぶかはあなた次第です。
2016年07月05日~長く誰からも愛される作品とは○○っぽい…〜 音楽やお芝居、小説や絵画など芸術全般において、“通俗的”という言葉が使われます。わかりやすく言えば、「俗っぽい」とか「ありふれている」と言ってその作品に対する否定的な感想が込められたもの。しかし、全く逆な見方をすれば、「一般的でわかりやすい」「王道で誰からでも愛される」という肯定的な評価になります。そもそも「俗っぽい」とは、エセインテリや知識人かぶれの卑しい根性の愚か者が格好つけインテリぶるために使う言葉に過ぎません。俯瞰して冷静に見てください、昔から名作や傑作と言われる作品は、わかりやすく誰でも知っていて楽しめ感動できるものばかりです。だから長きにわたり大衆の支持と賛美で愛され続けているのです。わかりやすいからこそ、何十年たっても多くの方から支持を得ているのです。「俗っぽい」、実は結構な言葉なんですよねえ!
2016年07月04日~変化なきものが人間を狂わせる〜 正負の法則と並ぶ地球上の法則が「変化」です。地球上ではものにしても人間にしても全てのものは変化します。人間の一生も、初めてこの世に生まれ、初めて学校に行き、初恋も初めて、働くことも、セックスに目覚めることも、失恋をすることも、親になること、お爺ちゃんお婆ちゃんになることも全てが変化して変化して初めての経験を積みながらカルチャーショックの連続で死んで行くのが人間。つまり基本は「変化」なんです。それに逆らい変化がないと人間はおかしくなります。例えば、無機質で変化のない建物、変化を拒み権力と立場にしがみつく老害政治家、メロディーも単調でリズムの強弱も同じの現代音楽など、変化がない=地球上の法則に合わないものは物事も人もおかしくなります。時代の流れを読み、変化することが当然と思い、どんな変化も楽しめる人になってください。
2016年07月04日~水商売を甘く見ていませんか?〜 世間一般では、何故か“水商売”“玄人”を見下す風潮があります。特にサラリーマンや世の男性などは、恩恵を授かっているにも関わらずその傾向が強い。中にはお店で「いつまでもこんなことしていてはダメだよ」などと説教する輩も…余計なお世話です!水商売の人間は誰よりも精神力が強く心身共にタフです。しかも、毎日異なる年代・職種・性癖・趣味趣向の人間を接客し観察しているから人を見る眼が養われている。お酒が入れば人間は本性や欲望をむき出しにしてきます。だから、世の中の誰よりも人間をわかっていて、夜な夜な繰り広げられる様々な人種の人間模様から、素人の誰よりも世間というものをわかっている。世の中の景気や動向、その裏まで水商売に携わる人間は不思議と見透かしているものです。水商売は自分が強くなければできないし、そもそも仕事に上下優劣などないのですから、おかしな偏見は捨てましょう。
2016年07月04日~言葉はあなたの人柄です!〜 この世に生きていれば、思い通りにいかないこと、理不尽なことに直面し、不平不満や愚痴を言いたくなることもあるのは当たり前です。特に嫉妬や妬みから来る不平不満はタチが悪い。そんな時は人より、自分を振り返り、自分の過去、現在を考えましょう。羨望の眼で見られる人や人並み以上に頭一つ出ている人は、他人の何倍も働き、頭脳労働、肉体労働などいろいろな面で努力の限りをつくし苦しい思いをしています。逆に、自分の好きな楽なことばかりやってロクに努力せず、グダグダ生きている人は貧乏で恵まれなくて当たり前です。他人に嫉妬して不平不満や悪口を言う暇があるのなら、自分を振り返り、反省し、「あの人は自分より何倍も努力している。人生はやった者勝ち、自分も負けてられない」と奮起して頑張りましょう。懸命にガムシャラに頑張ってさえいれば、周りなど眼に入らず、当然不平不満愚痴を言っている暇はありません。そしてやがて、それを云う必要のない恵まれた状況の自分になっていることに気がつくでしょう。目出度し、目出度し~。
2016年07月01日