俳優の高橋英樹が9日に自身のアメブロを更新。娘でフリーアナウンサーの高橋真麻と寿司を堪能した日の出来事をつづった。この日、高橋は「真麻が寿司を食べたいと言うので」と切り出し「先日ですが急遽オフィス隣の寿司屋さんへ」と真麻と寿司を食べに行ったことを報告。料理の写真を複数枚公開した。続けて、真麻について「どんどん食べていました(笑)」「茶碗蒸し」「握り10貫くらい」と明かし「もっと食べていてのせきれませんわぁ~~(笑)」とお茶目にコメント。最後に「今日は番組収録があります」と予定を明かし、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「上品な盛り付けで美味しそう」「ステキなパパさん」「気持ち良いくらい、もりもり食べますよね」などのコメントが寄せられている。
2022年06月10日弁護士の大渕愛子氏が2日に自身のアメブロを更新。家族で静岡旅行を満喫した日のエピソードをつづった。この日、大渕氏は「家族で静岡に行ってきましたー」というタイトルでブログを更新。夫で俳優の金山一彦から「静岡県立美術館で自身の恩人でいまは画家をされている方の展示があるから行きたい」と言われたことを明かし「家族で一緒に行くことにし、一泊してきました」と報告した。続けて「2日目に、富士山2合目の遊園地『ぐりんぱ』に行きました」と静岡県裾野市にある遊園地『ぐりんぱ』に足を運んだことを明かし「『カッパ大作戦』という水の上のアスレチックが最高に楽しかったです」と写真とともにコメント。「たる船に乗ってロープを引いて前に進む侑生」とアスレチックを楽しむ長男・侑生くんの姿も公開した。また「アスレチックの種類がたくさんありました」と述べ「外はかなり暑かったので、時々、室内の乗り物で遊んで涼んだりもしました」と説明。最後に「仲良し3人組」と子ども達の3ショットを公開し「大自然の中の遊園地、とても気に入りました!また行きたいです」と大満足の様子でつづった。
2022年06月03日弁護士の大渕愛子氏が15日に自身のアメブロを更新。京都で義母と3年ぶりに再会し、驚いたことを明かした。この日、大渕氏は「京都から戻ってきて1週間が経ちました」と報告。「京都一日目は、前のブログのとおり、桃山御陵に行き京都二日目は、嵐山に行きました」と説明し「嵐山で歩き疲れたので、三日目は、予定変更し、藤森神社のお祭りに行ってゆっくり過ごしました」とつづった。続けて「コロナ禍で3年ぶりのお祭りだったそうです」と明かし「東京の近場でも長らくお祭りに行けていなかったので、子ども達も大喜びでした」とキャラクターのお面をつけた子ども達の写真を公開。「四日目は、太秦に行きました」と述べ、夫で俳優の金山一彦が「お世話になっている撮影所に入れてもらい、彦さんのお仕事仲間にもご挨拶することができ、嬉しかったです」とつづった。また「彦さんのお母さまも合流しました」と明かし「みいが生まれたばかりの頃に東京に来て以来、コロナ禍で会えていなかったので、3年ぶりでした」と義母と3年ぶりの再会を果たしたことを報告。義母について「いつまでも若々しく、お元気で、驚きです」と述べ「子供達も、おばあちゃんに遊んでもらい、喜んでいました」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年05月16日弁護士の大渕愛子氏が4日に自身のアメブロを更新。家族で京都を満喫した様子を公開した。この日、大渕氏は「昨日から家族で京都に来ました~」と報告し「散歩中の楽しそうな彦さんとみい」と夫で俳優の金山一彦と長女・“みいちゃん”の2ショットを公開。「伏見桃山陵の大階段に挑戦する息子達」と息子達の様子も公開した。続けて、大階段について「230段私も挑戦しました!」と説明。最後に「子供達はスイスイ、私は上る途中で、脚がおも~くなってきました~」とお茶目につづり、ブログを締めくくった。
2022年05月05日弁護士の大渕愛子氏が30日に自身のアメブロを更新。子ども達と友人の箱根の別荘へ足を運んだことを明かした。この日、大渕氏は「ゴールデンウィークですね」と切り出し「昨日から2泊で中高時代のお友達の箱根の別荘に来ています」と報告。息子達について「任天堂Switchのマインクラフトにはまっている」と説明し、長女・“みいちゃん”については「ゲームよりシールブックやお絵描き」と写真とともに明かした。続けて「普段はなかなか会えないので、大人はしゃべりまくり~」と友人との時間を満喫している様子で述べつつ「彦さんは、昨日は撮影、今日は衣装合わせで、残念ながら来れなくなってしまいました」と夫で俳優の金山一彦について説明。最後に「たまには一人の時間もいいですよね、きっと」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年04月30日俳優の高橋英樹が23日に自身のアメブロを更新。娘でフリーアナウンサーの高橋真麻らとの家族ショットを公開した。この日、高橋は「夕方のひととき」と切り出し「どう見ても幸せなジイジですなあ(笑)」と孫を後ろから見つめる自身の姿を公開。「天気も良いし今日はやっぱりいい日ですなあ」と満足そうにつづった。続けて更新したブログでは「仕事終わりで揃いご飯」と家族で食事をしたことを明かし、家族ショットを公開。「ご近所のヌキテパさんにて」「こちらはデザート二種」と堪能したデザートの写真も公開し「その他は後程に、、」とコメントした。この投稿に読者からは「素敵なお写真」「ご家族揃っていいですね」「笑顔が最高です」などのコメントが寄せられている。
2022年04月24日4月、新年度を迎えて大学3年生になられた愛子さま。だが、いまだにキャンパスで授業を受けられたことはないーー。《愛子さま当面、オンライン授業へ両陛下への感染を心配大学に登校せず》(FNNプライムオンライン)そう報じられたのは4月7日のことだった。天皇家の側近幹部によれば「ご自身の登校が結果的に両陛下の感染につながってはいけないという強いお気持ちがある」という。天皇陛下は今年2月の誕生日会見で「愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになると良いなとは思います」と語られていた。だが、3月下旬に“まん防”が解除され、多くの学生がキャンパスに足を運ぶようになった現在も、愛子さまは“登校自粛”を続けられるというのだ。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは、この決断に愛子さまの“内親王の矜持”を感じたと語る。「両陛下のもとでお育ちになった愛子さまは、“天皇の娘”という立場を深く自覚されています。万が一にも天皇皇后であるご両親に感染させてしまったときの“事の重大さ”を、十分すぎるほどに理解されているのです。ご自身のキャンパスでの学生生活よりも、親孝行をとったということだと思います」愛子さまは3月の会見で「両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また、両親の物事に対する考え方や、人との接し方などからは学ぶことが多くございます」とお話しになっていた。「愛子さまはご自宅で、大学での専攻に加えて、日本の伝統や歴史の勉強もなさっているのでしょう。ご家族は仲がよいと聞きますし、天皇陛下から皇室に関する歴史なども教わっているのではないでしょうか」(前出・渡邉さん)愛子さまが自粛されているのは大学への通学のみではない。学習院女子高等科時代の愛子さまの同級生も、残念そうに話す。「1月には『二十歳の会』という同窓会が開かれたのですが、会場に愛子さまはいらっしゃいませんでした。それでも、会場に用意されたスクリーンに、愛子さまは振り袖姿で登場してくださったのです。映像でのリモート参加ではありましたが、愛子さまがお出ましになったことで会場も非常に盛り上がりました」■大学時代に「新しい発見と経験を」と陛下内親王として、キャンパスライフを諦めて両陛下に尽くされる愛子さま。ただ、天皇陛下は複雑な思いを抱かれているという。「皇族にとって、大学在学中こそがもっとも自由を謳歌できる時期。“国民に寄り添う”という姿勢を大事にするためには、ほかの学生と同じように授業やサークル活動に取り組み、ときには“羽目を外す”ことも大切だと、陛下はお考えなのです」(宮内庁関係者)陛下は2月の会見でも「私自身の大学生活を振り返ってみますと、気が付けばもう40年くらいも前になりますが、大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であったように思います」と回想されていた。音楽部の先輩や同級生に池に投げ込まれたという話も、陛下がよく話されるエピソードだ。「学習院は、中等科と高等科は男女別学です。そのため、大学での女子学生との交流は新鮮だったと、陛下は当時の会見でお話しになっていました。愛子さまも、初等科以来ほとんど男子学生との交流はありません。将来の結婚ということを見据えても、大学時代に“出会い”があれば……と、陛下も期待されているのではないでしょうか。皇族の恋愛には非常にたくさんのハードルがあることを、陛下は身をもって経験されてきましたから……」(前出・宮内庁関係者)実は、“恋愛よりも両親の健康”と、愛子さまが感染対策を徹底される陰には、ある“苦い記憶”があるという。「’11年の11月、愛子さまはマイコプラズマ肺炎で入院されたことがあります。その直後、上皇陛下も軽度の気管支炎で入院。同じくマイコプラズマによる肺炎の可能性が高いとの診断でした。感染経路は明確にはわかりませんでしたが、このとき、愛子さまから上皇陛下に感染したのではないかという見方もあったのです。上皇陛下は幸い大事には至りませんでしたが、そういった出来事を忘れることなく、愛子さまはご自身が感染症を持ち込まないようにと決意を固められたのではないでしょうか」愛子さまは会見で「新型コロナウイルス感染症の感染拡大が一日も早く収束し、このような厳しい状況が落ち着いた先に、少しでも不安の少ない環境で、皆が有意義な学校生活を送ることのできる未来が待っていることを願っております」と、全国の学生たちに向けてメッセージを送られた。大学生活は残り2年。学習院のキャンパスに、愛子さまの笑顔が花開く日が一日も早く来ることを願いたいーー。
2022年04月14日「感染防止の観点から、普段は大学には通学せず、全科目をオンラインで受講しております」3月の記者会見でそうおっしゃっていた愛子さま。この4月に大学3年生になられた。愛子さまはこの2年間ずっと通学をお控えになっているというが、学習院大学の女子学生に話を聞くと、昨年の秋にキャンパスで愛子さまをお見かけしたことがあったという。「昨年、大学祭の開催中に、ご友人と一緒にいらっしゃる愛子さまとすれ違いました。20mくらい離れて警備の方が付いていくのも見えたので間違いないはずです。昨年の大学祭は事前に予約しないと入場できず、人数制限もあったので、感染の危険性は低かったと思います」まん延防止等重点措置が解除されて迎えた新年度。今年こそキャンパスに通学される愛子さまのお姿が見られそうだ。「結婚は、私にとってはまだ先のことのように感じられ、今まで意識したことはございません。理想のお相手については、特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」会見では、結婚は「まだ先」とお話しになっていた愛子さま。大学では男子学生との出会いが待っているかもしれない――。だが、政界では愛子さまの将来を左右する動きが、水面下で進んでいるという。「実は、岸田文雄首相が皇位継承問題に取り組む意欲を見せているのです。最近では『皇室典範の改正は私の代でしっかりやりたい』と周囲に話しています」(全国紙政治部記者)次世代の皇位継承者は、悠仁さまお一人しかいらっしゃらないため、皇室の存続が危ぶまれている。皇位継承者を“男系男子”に限定している皇室典範を変え、女性天皇、さらには女系天皇を認めれば皇室の危機を防げる可能性は高まるはずだが、岸田首相はそういった抜本的な改正をするつもりはないという。「昨年、岸田首相に皇位継承問題について聞いたところ、男系男子による継承に関しては『維持しなければならない。女系にすれば“別の王朝”になる』と、こだわりを見せていました。首相が“愛子天皇”実現に動くことはないでしょう。政府が設置した有識者会議が報告書に記した2案を実現させることが現実的な目標になると思います」(自民党中堅議員)有識者会議は、「女性皇族が結婚後も皇室に残る」案と、「皇族の養子縁組を可能にして、旧皇族の男系男子を皇族にする」案を提言している。1つ目の案が実現すれば、愛子さまや佳子さまは、小室圭さんと結婚して皇室を離れた眞子さんとは異なり、結婚後も皇室に残られることになる。今年1月の共同通信による世論調査でも、この案に7割以上が賛成している。■旧皇族復帰への驚くべきプランが2つ目の「旧皇族」案は、おもに自民党の保守派が推進している。たとえば自民党で「皇室問題等についての懇談会」座長を務める麻生太郎副総裁は月刊誌のインタビューで《皇籍離脱した十一宮家は伏見宮家にルーツを持ち、歴代天皇と男系で連なっている。まずは、十一宮家から未婚の男子を皇籍に復帰させることを考えるべき》と主張している(『文藝春秋』’20年1月号)。ただ、世論調査ではこの案への賛成は5割を超える程度にとどまっている。有識者会議でも、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が《旧宮家は長い伝統の中でずっと皇族だった。皇室に縁のなかった人物が女性皇族と結婚すれば皇族となることを是とするなら、つい何十年前まで皇族の一員であった方が戻ることがなぜおかしいか》と述べるなど、賛成意見があった一方、次のような反対意見も上がった。《旧11宮家が皇籍を離脱してから70年以上が経過し、国民にとって全く遠い存在となっている》(本郷恵子・東京大学史料編纂所所長)《現在の皇族とは別に新たな皇族を作るようなことは、皇統の分裂を連想させるおそれがあり、絶対にあってはならない》(所功・京都産業大学名誉教授)《皇統に属する男系男子であれば、薄い血縁でも法律で認められれば皇族となり得ることは、天皇との血縁が濃い一定範囲の者という皇位継承の在り方と全く異なる。ひいては、国民と皇族との区別がどこにあるのかとの問題も生じかねない》(岡部喜代子・元最高裁判所判事)旧皇族の“男系男子”といっても、現在の皇室とは男系で約600年の隔たりがあり、国民にとっても親しみのない存在。皇室の形を変えてしまうのではないかと危惧する声が上がっているのだ。そういった状況下で、驚くべき“策謀”が目論まれているという。「実は、愛子さまをはじめとする女性皇族と“旧宮家男子”の結婚を実現させようという声が、少なからぬ議員から出ているのです」(皇室担当記者)安倍晋三元首相は、’17年2月の有識者会議メンバーとの会食の席で「女性皇族が『旧宮家』の男性と恋に落ちて結婚し、男子が生まれたら万々歳なんですが」と話したと報じられている。また、自民党の保守派国会議員によるグループ「日本の尊厳と国益を護る会」は次のような提言を行っている。《旧宮家の男子について、了承いただける方には皇籍に復帰いただけるよう、また現皇族の養子か女性皇族の婿養子となられることがあり得るよう、皇室典範の改正または特例法の制定を行う》旧宮家の男子と女性皇族が結婚し、“婿養子”として皇族になるという方法を「護る会」は主張しているのだ。■最優先するべきは愛子さまの「お気持ち」「70年以上も前に皇室から離れた旧皇族が、国民に馴染みのない存在だという課題は、“男系派”の議員たちも認識しています。ならば、旧皇族の男系男子が女性皇族と結婚すれば、国民も“親しみ”を感じてくれるはず――。そういった思惑があるのではないでしょうか。さらに、その夫婦の子供は男系に連なるうえに天皇家とも近い血縁となります。とりわけ国民からの人気が高い愛子さまが、旧皇族の男系男子と結婚してくだされば、“男系”での継承は盤石になるという発想なのでしょう」(前出・皇室担当記者)だが、上皇陛下も天皇陛下も、結婚のお相手はご自身の意思でお選びになった。皇室の存続のために、愛子さまを特定の人物と縁組させる“政略婚”のようなことは、両陛下も望んでいらっしゃらないだろう。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、皇位継承問題をめぐる動きを危惧しているという。「戦後の皇室は、世界平和への貢献や国民への歩み寄りといった行いを大切にしてきました。“男系”という血筋ばかりを重視する考えは、現在の皇室のあり方とは相いれません。天皇を神格化していた戦前の皇室に戻そうという意図があるようにも見えます。皇室典範も法律ですから、国会で、政治の力学によって決まってしまいます。しかし、愛子さまご本人、そして天皇皇后両陛下のお気持ちをないがしろにするようでは、国民の心も離れてしまいます。結婚に関しても、愛子さまのお気持ちを最優先することが大事です」天皇陛下も昨年の誕生日会見で、愛子さまの今後について「結婚のことも含めて、いろいろ将来のことも話し合う機会というものがあるかと思います」とおっしゃっていた。政治に翻弄される愛子さまの未来。はたして“笑顔になれるような関係”の人との結婚を実現できるのか――。
2022年04月06日「一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」理想のパートナーについて、こうお答えになった愛子さま。3月17日、昨年12月の20歳のお誕生日から3カ月半がたっての記者会見。優しい若草色のセットアップで出席された愛子さまは、一つひとつの質問に用意されたメモをご覧にならず、丁寧にお答えになった。天皇陛下を父、雅子さまを母と呼ばれ、ご両親への感謝、一緒に過ごされる時間の大切さもお話しに。そして「両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたいと考えております」と成年皇族としてのお気持ちを示された。初めての会見とは思えない落ち着かれた対応は、日本中の国民が心打たれるものだった。そんな、愛子さまのこれまでの名ご回答を振り返ります。■「長所は、(中略)事前にこの御質問を頂いたのでじっくりと考えてみまして、強いて申し上げるなら、『どこでも寝られるところ』でしょうか」那須御用邸で「縁側にあるソファーで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた」とのほほ笑ましいエピソードも。■「サーフボードを浮かべて、そこに3人で座る挑戦をして、見事全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません」両陛下との思い出について「長期休みの旅行」を挙げられ、須崎御用邸近くの海で遊ばれた体験を話された。■「母の『生まれてきてくれてありがとう』という言葉に掛けて、私も『生んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」「両陛下にお伝えになりたい言葉」を聞かれ、雅子さまが出産の感動を語られた際のお言葉を引用なさった。3月17日の初会見では、「目を合わせつつ、自分の伝えようという気持ちを持って」という陛下のアドバイスを守り話された愛子さま。そのご成長ぶりに、日本中が感動です。
2022年04月02日成年会見を行われた愛子さま(’22年3月17日)「3月24日、宮内庁の西村泰彦長官は定例会見で、愛子さまの成年にあたっての記者会見と悠仁さまの卒業式の日程が重なったことは“ミスだった”という説明をしました。愛子さまの会見の日取りを調整する過程で、悠仁さまの卒業式のことが思い浮かばなかったといい、“できれば別の日がよかった”とも吐露しました」(皇室担当記者)くしくも重なった、愛子さまと悠仁さまの“晴れ舞台”。「3月17日の午前8時過ぎ、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまがお茶の水女子大学附属中学校に到着されました。卒業式に臨む前、悠仁さまは“充実した3年間になった”と、コメントされました」(同・前)ユーモアあふれるご回答愛子さまの初会見は、同日の午後2時過ぎから行われた。「前日の深夜に福島県沖を震源とする大きな地震が起こり、東北を中心に死者やけが人が出ました。両陛下と愛子さまは、地震による国民の安否を案じられており、会見を中止するべきか悩まれていたそうです」(宮内庁関係者)開始直前まで関係者と相談したうえで決行した会見。冒頭で被災者へのお見舞いの言葉を述べられた。宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こう振り返る。「ご立派な記者会見でした。緊張されていたようですが、お手元の紙に視線を落とすことなく、時折“え~っと、次は何だったっけな”という感じでお考えになっていたところなど、自然体でおおらかなお人柄が伝わってきました」宮内記者会が事前に提出した5問と、アドリブで出された3問の関連質問に回答された愛子さま。「両陛下のアドバイスを受けながら、ご自身のお気持ちに合う言葉を探し、推敲を重ねる過程で、自然と文章を覚えられたそうです。愛子さまは事前に両陛下とリハーサルを行われており、雅子さまは本番のとき、近くの別室で待機されていたそうです」(前出・宮内庁関係者)両陛下ゆずりのユーモアあふれるご回答が話題となった。「長所は“どこでも寝られるところ”、両陛下との思い出は“海にサーフボードを浮かべて、3人で座る挑戦をしたら全員見事に落下したこと”など、思わず微笑んでしまうようなエピソードが披露され、会見の雰囲気は非常に和やかでした」(前出・記者)象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、こう話す。「“まじめさ”も印象的でした。関連質問でウクライナ情勢について問われた際は、“メモを見させていただきます”と、断りを入れたうえで天皇陛下の記者会見の言葉を引用されました。その場で出される質問を予測し、準備されていたということですよね。綿密に考えられたのだと思います」前出の山下さんには意外だった点があるという。「短所として“小さいころから人見知り”とおっしゃったことです。分け隔てなく国民と接している天皇や皇族が、自ら“人見知り”とおっしゃることなどなかったと思います。同時に“克服できれば”とおっしゃっていましたが、公務に支障をきたすならまだしも、人見知りの一面も含めて愛子内親王殿下のお人柄です。ご無理なさらず、今までどおりマイペースでお過ごしになっていただきたいですね」「悠仁さま派」と「愛子さま派」会見は、約30分間にも及ぶ長丁場だった。「皇室の方々は、ご自身の考えを自由に発信することができません。特に女性皇族の場合は会見の機会が少なく、基本的には成年や結婚に際してのみ。国民にとっても、お人柄を知ることができる貴重な場なのです」(河西准教授)だからこそ、会見のご様子が比較されてしまうのだろう。「昨年秋に行われた眞子さんと小室圭さんの結婚会見は、事前に用意した文書を読み上げただけで質疑応答もありませんでした。10分程度の会見で、記者と目を合わせることもなかった……。会見に至る経緯が異なるとはいえ、愛子さまとの差は歴然です」(前出・記者)小室さん夫妻の結婚から5か月以上が経過した今もなお、秋篠宮家へ向けられる視線は厳しい。「愛子さまへの敬愛が膨らむのはうれしいことですが、ほかの皇族方と比較するきっかけになってしまうのは望ましくありません。皇族であろうと生身の人間。それぞれの個性やお立場がおありです。ただ、やむをえない部分があるのは理解できます。皇位をめぐっては“悠仁さま派”“愛子さま派”という見方をされることもありました。その中で、おふたりの立ち居振る舞いに耳目が集まるのは、仕方のないことなのかもしれません」(宮内庁OB)愛子さまの会見では、上皇さまや天皇陛下の言葉を引用される場面が多々あった。「皇室のあるべき姿を深く理解しておられる愛子さまに対し、ご即位を熱望する声が上がっています」(皇室ジャーナリスト、以下同)『毎日新聞』が昨年11月から今年1月にかけて実施した世論調査でも、7割超が女性天皇を容認。しかし、「愛子さまが天皇になられる可能性はゼロといっていいでしょう。皇位継承に関する有識者会議の報告書でも、悠仁さまの皇位継承は“ゆるがせにしてはならない”と明記されています。それにもかかわらず、折に触れて悠仁さまと愛子さまは比較されてしまうのです」愛子さまが「うれしかった」愛子さまの人生を大きく左右する議論は、現在進行形で進められている。「女性皇族が結婚後も皇室に残る案が検討されています。ただ、この法案が成立したとしても、対象となる女性皇族に“皇室に残ること”を強制するとは思えません。現行法下で皇族女子としてお生まれになった方々には“皇室に残るか、離れるか”の選択権が与えられて当然だと思います」とある秋篠宮家関係者はこう語る。「将来即位される悠仁さまを近くで支えるお立場として、もっともふさわしいのは姉の佳子さまでしょう。しかし、佳子さまは“自由がない”皇室から逃れることを願っていると報じられており、生涯皇室にとどまる選択をされるとは考えにくい。一方、愛子さまからは“これからも皇族として務めを果たしたい”というお気持ちが感じられます。両陛下、そして悠仁さまの“相談役”に名乗りを上げられることもあるのではないでしょうか」3月18日、悠仁さまは中学校を無事に卒業した報告のため、両陛下や愛子さまと面会された。「愛子さまは、新年行事ぶりに悠仁さまとお会いになったことに対し“うれしかった”と喜んでおられたといいます。悠仁さまも、皇居を後にされる際には車窓を開け、沿道に集まった人々が見えなくなるまで手を振り続けられた。その表情はとても晴れやかに見えました。皇室の中では、同世代のおふたりが心を通わせ合っているのかもしれません」(前出・記者)将来の皇室を支える、おふたりの“ポジション”が見えてきた─。山下晋司皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立河西秀哉名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、著書多数
2022年04月01日俳優の高橋英樹が29日に自身のアメブロを更新。娘でフリーアナウンサーの高橋真麻や自身とは違う孫の様子を明かした。この日、高橋は「暗くなってきておやつが食べたい」と切り出し、菓子を手にする自身の姿を公開。一方で、孫について「欲しいものしか食べない」と明かし「信じられない!」とコメントした。続けて「真麻の子供!私の孫!何でも食べたがり屋では無い!!」と説明。最後に「子供番組をじっと観て」とテレビを見る孫の写真も公開し「そのそばで食べたがり屋のジイシはおやつでした(笑)」(原文ママ)とお茶目につづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「可愛いなぁ」「孫ちゃん、意外ですね」「不思議です」などのコメントが寄せられている。
2022年03月30日弁護士の大渕愛子氏が28日に自身のアメブロを更新。長男・侑生くんが7歳の誕生日を迎え、プレゼントしたものを明かした。この日、大渕氏は「『おめでとう』が重なった日」というタイトルでブログを更新。侑生くんが7歳の誕生日を迎えたことを明かし「ずっと欲しがっていた任天堂Switchをプレゼントしました」と報告した。続けて「これまではSwitchライトしか持っていなかった」といい「これからはTVに繋いでできるようになります」と説明。子ども達がプレゼントを開封する様子を公開し「時間を区切ってルールを守って使う約束をしました」とコメントした。また「もう一つの『おめでとう』は、みいの卒園」と長女・“みいちゃん”が卒園を迎えたことを報告。「幼稚園附属の保育園を卒園し、4月からは年少さんになります」と明かし、「どんな成長を見せてくれるのか…みいの幼稚園ライフも楽しみです」と心待ちにする様子でつづった。この投稿に読者からは「本当に早いですね」「おめでとうございます!」「兄妹仲良く、元気にすごせますように」などのコメントが寄せられている。
2022年03月29日愛子さま(’21年12月)「母の“生まれてきてくれてありがとう”という言葉にかけて、私も“生んでくれてありがとう”と伝えたいと思います。(中略)これからもどうかお体を大切に、これからも長く一緒に時間を過ごせますようにという言葉も添えたいと思います」ご両親である天皇・皇后両陛下にお伝えしたい言葉を聞かれ、このように述べられたのは天皇家の長女・愛子さま。3月17日の午後2時過ぎ、愛子さまが成年になられたことに伴う記者会見が行われた。しかし、実はこの会見を巡り、当日ぎりぎりの時間まで開催の可否が決まらなかったという。成年会見で問われた内容とは「会見前日の深夜に福島県沖を震源とする大きな地震が起こった影響で、東北を中心に死者やけが人が発生しました。愛子さまは両陛下から受け継がれた“国民と苦楽をともにする”精神をお持ちです。今回の地震による国民の安否を案じられており、会見を中止するべきかと悩まれていたそうです。そういった経緯で会見当日、それも開始時刻の直前まで関係者と相談しながら会見を決行することが決まったという経緯がありました」(宮内庁関係者)実際、最初の質問にお答えになる前の冒頭、地震の被災者に対するお悔やみのお言葉を述べられた。会見を決行された1つの要因として、学業優先である愛子さまにとって現在春休みに入られていることも影響しているのかもしれない。「愛子さまは昨年12月に20歳になられました。前例ではお誕生日の近くで会見を行うことが恒例でしたが、愛子さまは学業を優先されたいうことで、大学の授業やレポート提出などを終えて落ち着いた春休みの時期に行うことになったのです。この日のために、会見での回答内容や立ち振る舞いなども含めて、両陛下からもアドバイスを受けられていたそうです」(侍従職関係者)今回問われた質問は全部で5問。今回はそれらの質問の後、その場でアドリブで出される関連質問が記者から3問付け加えられた。成年を迎えられたお気持ちやご自身の性格、ご両親である天皇皇后両陛下との思い出、コロナ禍における大学生活をどう受け止めていらっしゃるかについて、記者から質問が出たのである。これらの質問事項はテレビ局と新聞社が事前に宮内庁を経由して愛子さまの手元にわたっており、会見当日までご本人が熟考なさるもの。愛子さまにとって初めての記者会見ということで注目度が高まっていたが、その中でも関係者の間でいちばんの注目を集めていたのは、最後の質問だったーー。「笑顔になれる関係が理想です」「事前に用意された最後の質問である5問目は、ご自身の結婚観や理想のパートナー像を問うものでした。これは成年会見において毎回聞かれる定番の質問なのですが、この後に“小室眞子さんの結婚の経緯をどのように受け止められているか”とも問われたのです」(前出・宮内庁関係者)2018年2月から3年半の婚約延期を経た昨年の10月末、小室圭さんと結婚された眞子さんは現在、アメリカのNY州で幸せな生活を送っている。以前まで、愛子さまと眞子さんは赤坂御用地内にあるそれぞれのお住まいに暮らしていたこともあり、普段から交流が深く、愛子さまにとって眞子さんは“姉”のような存在だったという。特別で大切な存在である眞子さんが直面した結婚問題に、愛子さまがどのようにお考えになっているのか、そのご回答に集まっていたのだがーー。「眞子さんの結婚の経緯につきましては、朝見の儀や納采の儀などの儀式を行わない運びとなったのは、天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下のご判断によるものと伺っておりますので、私から発言することは控えさせていただきたいと思います」と、結婚に関するご自身の思いを語ることは避けられた。続けて、「眞子さんは10歳年上でございますので、物心ついたときには、すでに頼りになるお姉さまのような存在で、周りを見渡し、自ら率先して手伝いされる姿が特に印象に残っています。また、私が生まれた当初から、同じ敷地内に住んでいらっしゃいましたので、赤坂のお庭で一緒に遊んでいただいたことや、折に触れて楽しくお話をさせていただいたり、ゲームで盛り上がったりしたことは、私の眞子さんとの大切な思い出です。幼いころから、いつも変わらず明るく優しく接していただいたことをありがたく思うとともに、いとことして末永いお幸せをお祈りしております」思い出を想起されながら、眞子さんの幸せを願われた愛子さま。理想のパートナー像については、「理想のお相手については、特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれる関係が理想的ではないかと考えております」と明かされた。基本的に最後まで手元にある紙を見ずに回答され、立派に成年会見を終えられた愛子さま。今後は成年皇族として、より一層の活躍を期待したい。
2022年03月17日2021年12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年行事にも臨まれた、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さま。成年にあたり、2022年3月17日には皇居で初めてとなる単独の記者会見を行い、報道陣を前に自身の想いを直接お伝えになりました。愛子さまは今後について、「成年皇族の自覚と責任感を持ち、一つひとつのお務めを大切に、両陛下やほかの皇族方のお力になりたい」と述べています。『自身の長所』を聞かれた愛子さまの回答が話題に会見の質疑応答で、愛子さまは「ご自身の考える長所や短所などを教えてください」という問いに回答。周囲からはお人柄について「穏やかで無邪気」といわれることが多いという、愛子さま。きっと多くの国民も、同じ印象を持っていることでしょう。続いて、ご自身の考える長所について、このように述べられました。長所は、自分ではなかなか気付きにくいところではありますけれども、えー…事前にこのご質問をいただいたので、じっくりと考えてみまして。しいて申し上げるなら、どこでも寝られるところでしょうか。なんと、愛子さまは少し笑いながら「どこでも寝られるところが長所」と回答されたのです!愛子さまによると、栃木県那須郡にある那須御用邸で、着いた晩に縁側のソファで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた経験もあるのだとか。これも、愛子さまが周囲の人から「穏やか」といわれることに納得するエピソードですね。いい意味で皇族らしからぬ、なんとも愛らしい回答に、ネットからはいろいろな声が上がっています。・なんとおかわいらしい回答!お茶目な一面もあるんですね。・喋り方も穏やかで、愛子さまの性格が伝わってくる。和んだ…。・ご自身の長所について真剣に考えた結果が「どこでも寝られるところ」なのが、たまらない。きっと、「穏やかで無邪気」な性格の持ち主だからこそ、愛子さまはご幼少の頃から多くの人に親しまれていたのでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年03月17日「愛子さまは初めての記者会見に向けて、質問にどう答えるか、両陛下と相談しながらお考えになっているそうです。事前に原稿を用意されることになりますが、会見当日まで推敲に推敲を重ねられると思います」そう語るのは皇室担当記者。昨年12月に20歳の誕生日を迎えられた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは、3月17日、いよいよ記者会見に臨まれる。「記念すべき会見ですが、愛子さまが目下、気にされていることは緊迫が続くウクライナの情勢だそうです」(前出・皇室担当記者)2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻。終結の糸口は見えず、国外に避難したウクライナ人は250万人を超えた。世界中からの非難の声に耳を貸さず、侵攻を止めないロシア軍は、産科・小児科病院まで空爆した。天皇陛下は先月の誕生日会見で「人と人との交流が、国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う、平和な世界につながってほしいと願っております」と述べられている。ウクライナ情勢を念頭に置いた発言とみられている。「天皇ご一家は、日に日に悪化するウクライナの惨状に心を痛めていらっしゃるそうです。愛子さまは『成年皇族として、私には何ができるか』と、日々思い悩まれているといいます」(宮内庁関係者)愛子さまの平和を希求する強い思いは、学習院女子中等科卒業にあたっての作文「世界の平和を願って」にも記されていた。修学旅行で広島市を訪れた愛子さまは《原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた》と綴られている。錆びた鉄骨とひびだらけの外壁だけが残る建物を間近で目にし、原爆の凄惨さをお感じになったという。奇しくも修学旅行の2週間後、当時のオバマ米大統領が広島を訪問したことに触れ、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」という演説も引用されている。大統領と同じように、愛子さまも資料館で願いを込めた折り鶴を手向けたという。ロシアはウクライナにあるチェルノブイリ原発、ザポリージャ原発を攻撃、占拠した。また、ロシアが核兵器を用いる可能性も取り沙汰されるが、日本でも一部の政治家が、米軍の核兵器の持ち込みを許可する「核共有論」を主張し始めた。「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を見直そうというのだ。ウクライナ危機をきっかけに、核兵器廃絶に向けて協調するどころか、世界は分断されつつある。愛子さまの平和への思いについて、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。「作文では、核廃絶の日まで燃やし続けようという願いが込められた『平和の灯』を取り上げ、《広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている》と結んでいらっしゃいます。愛子さまは、はっきりと核兵器廃絶を願うお気持ちを述べられているのです。皇室は政治的な発言は控えなければなりませんが、それでもなお核兵器については、唯一の被爆国として世界に発信していこうというお考えが継承されています」■世界各地の紛争に雅子さまは心痛め…雅子さまも’94年に広島市の平和記念公園、そして’96年には平和記念資料館を訪問されている。その年の誕生日会見でこう語られた。「原爆の被害の悲惨さというものを改めて目の当たりにいたしまして深い悲しみを覚え、そしてこのような惨事は、世界のどこであっても決して二度とは繰り返されてはならないものだという思いを新たにいたしました」また、雅子さまは会見で「ルワンダや旧ユーゴスラビア等の難民問題」「中東和平の行方」など、国際紛争について繰り返し言及されてきた。「雅子さまは日本のみならず世界の平和を祈り続けてこられました。愛子さまはそのお考えを受け継がれ、ご自身も国際親善に尽力し、“平和の使者”になる道を模索されているのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)愛子さまは作文のなかで《平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない》と、願うだけでは平和は訪れないとしたうえで、次のように綴られている。《唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》平和を人任せにしないーー。愛子さまはそう誓われたのだ。「上皇ご夫妻、そして両陛下から受け継がれた“祈り”を大切にしながらも、愛子さまは平和を築くため自ら行動し、“反戦”を伝えていこうとお考えなのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)“反戦を訴える内親王”にーー。愛子さまは決意を胸に、成年皇族としての一歩を踏み出される。
2022年03月17日弁護士の大渕愛子氏が9日に自身のアメブロを更新。久しぶりに撮影したという家族ショットを公開した。この日、大渕氏は「発表会用の衣装が可愛くできたので、発表会が終わった後にも、もう1回くらい着て欲しい!」と切り出し「ということで、昂生とみいに再び着てもらい」と次男・昂生くんと長女・“みいちゃん”に衣装を着てもらったことを説明。「久しぶりに家族5人で写真撮りました~」と家族ショットを公開した。続けて「みいはひたすら明るく、昂生は緊張気味、侑生は自己演出している感じ」と子ども達について述べ、「それぞれの個性がよく出ています」とコメント。昂生くんについては「普段おちゃらけている」というも「ちょっと改まった場になると、急に緊張するタイプ」と明かした。最後に「家族写真、たまに撮ると嬉しいですね」と喜びのコメント。「子供達が小さいうちは、半年に1回くらい撮りたいな~」と願望をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「すっごく素敵」「こちらまで幸せな気持ちになりました!」「とても良い写真!」「ホント可愛い」などのコメントが寄せられている。
2022年03月10日俳優の高橋英樹が8日に自身のアメブロを更新。娘でフリーアナウンサーの高橋真麻から貰ったものを紹介した。この日、高橋は「真麻からのプレゼント」というタイトルでブログを更新。「真麻からもらった熟成肉のエキスです」と述べ、真麻から貰った品を公開した。続けて「まだ使っていませんがとても肉が美味しくなるそうです」と説明し「料理に使うのが楽しみですなあ」とコメント。最後に「今日も素敵なことが待っています」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年03月08日弁護士の大渕愛子氏が2日に自身のアメブロを更新。夫で俳優の金山一彦が久しぶりに帰宅したことを明かした。この日、大渕氏は「先月22日に彦さんが京都からやっと帰ってきて、生活が落ち着いてきました」と金山が久しぶりに帰宅したことを報告。「彦さん不在中はなかなかブログを書く時間が取れず、帰ってきたら書こうと思っていた」というも「また時間が経過し、もう3月になってしまいました!」「なんだかんだ、やることが多いんですよね~」とつづった。続けて「彦さんが京都から帰ってきた翌日の朝の光景」と金山の上にのる子ども達の様子を公開。「子供達もニコニコ喜んでいました」と嬉しそうにコメントした。また「ザリガニの赤ちゃんは、計15匹ほど友達が引き取ってくれましたが、まだ30匹くらいいます」と飼っているザリガニについて説明し、並べられた水槽の写真も公開。「子供達と一緒に水を変えたり、餌をあげたりしながら、ザリガニの成長や変化を観察するのがとても楽しいです」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年03月03日岸井ゆきのと高橋一生がW主演した「恋せぬふたり」の6話が2月28日放送。みのりの赤ちゃんを見つめる高橋の表情と、回想シーンで描かれた高橋の過去に「今までで一番切なかった」「高橋さんがツラそう」などの声が殺到している。他者に恋愛感情を抱かず性的にも惹かれないアロマンティック・アセクシュアルと呼ばれる2人が同居生活をはじめていく姿を描いてきた本作。自分がアロマンティック・アセクシュアルだと認識して、高橋と“恋愛抜きの家族”になろうと同居をはじめるなか、親友だと思っていた千鶴から“恋愛的に好き”だったことを告白された咲子に岸井さん。咲子がキャンペーン商品を見に行ったスーパーで出会った男性で、祖母が亡くなってから近所のおせっかいが激しくなり、それを回避する思惑もあって咲子と同居をはじめた高橋に高橋さん。咲子と高橋の関係を尊重するようになった松岡一には濱正悟。咲子は親友だと思っていたが、実は咲子に恋愛感情を抱いていた門脇千鶴に小島藤子。咲子の妹・石川みのりには北香那。みのりの夫・大輔にはアベラヒデノブ。咲子の母・兒玉さくらには西田尚美。咲子の父・博実には小市慢太郎。高橋の同僚の浜岡には猫背椿。同じく高橋の同僚の豊玉には西川可奈子といった顔ぶれも出演。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。新年を迎えアロマンティック・アセクシュアルのイベントに参加した咲子は、そこで自分たちの将来について考えてなかったことに気付かされる。帰宅すると一にくわえ、みのりとその娘までが高橋家に遊びに来ていた。第2子を妊娠中のみのりだが、夫の大輔に浮気が発覚。離婚を考えているという。咲子の話にみのりはいら立ちを募らせ「誰かを好きにならないってことはさ、こういう苦しみとも無縁なわけでしょ。人生楽だよね」と言い、咲子の生き方に対し「なんもない人生」と言い放つ……というのが今回のおはなし。この言葉を聞いた一は「みのりちゃん、今のは言い過ぎだよ」とみのりをたしなめる。そんな一の姿に「カズくんが最初は不快で仕方なかった でもだんだん良さが分かってきた」「カズくんへの好感度がめきめきと上がっていく」「咲子の気持ちを代弁してくれてカズくんがあの場に居てくれて良かったとすら思う」などの反応が。その後みのりのもとに大輔がやってくる。娘を前に怒鳴り合いのケンカを繰り広げるみのりと大輔を高橋が止めるが、その直後みのりが破水。無事出産するがみのりは大輔に子どもを会わせないと言い、博実に促され大輔は病院から帰る。その後みのりの赤ちゃんを抱く咲子と両親、みのりを見つめ、その後赤ちゃんを見ながら「かわいいですね」とつぶやく高橋。そしてラスト、雨が降り庭の鉢を屋内にしまいながら、高橋は遥(菊池亜希子)との過去を思い出す。「今までで一番切なかったかもしれない…高橋さんの赤ちゃんを見る表情がさ…」「高橋さんがツラそうな回でしたね。いろいろ思い出してしまう過去があったのですね」「子どもを持ちたいと思った、そのチャンスがあった過去を感じさせる展開」「後半の高橋さん、どんな思いで赤ちゃんを見てたんだろう。高橋さんの過去に何があったのか…」など、今後明かされていくであろう高橋の過去についても多くの視聴者が思いを巡らせていた。(笠緒)
2022年03月01日2022年2月23日は、天皇陛下の誕生日です。62歳の誕生日を迎えられた天皇陛下は、同月21日に記者会見に応じられました。天皇陛下、二十歳の愛子さまについて「感慨深い」2021年12月、純白の『ローブ・モンタント』を身にまとい、成年行事に臨まれた、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さま。女性皇族の正装で、お姿を見せた愛子さま凛としたたたずまいに「お美しい」「素敵!」天皇陛下は記者会見で、成年を迎えられた愛子さまについて「感慨深く思いました」と振り返られました。いつの間にか20歳という年齢を迎え、大人の仲間入りをすることになったことを感慨深く思いました。日頃から、多くの人々に助けられ、支えられているということに、愛子が感謝の気持ちを持っていることを親としても嬉しく思っています。印象深い思い出については、学校の水泳の授業で、小さい頃にはビート板を使ってプールで短い距離を泳いでいた愛子が、女子中等科時代、静岡県の沼津の海で3kmの遠泳ができるようになった時や、中学の修学旅行で広島を訪れた際に強い衝撃を受け、平和への思いを文章にまとめた時などに成長を感じ、嬉しく思ったことを覚えています。また、コロナ禍で大学生活を送る愛子さまについて「たとえどのような環境にあっても、実り多い学生生活を送ることができればと願っています」とも語られました。2021年に結婚した、小室眞子さんについて一方で、同年10月に結婚した姪の小室眞子さんについては「今後幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」と感想を語られています。また、記者会見では、小室さんの結婚を巡る週刊誌報道やインターネット上の書き込みについても質問が上がりました。天皇陛下は、憲法が保障する自由な表現は「尊重すべきもの」とした上で、一般論と前置きし、「他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要がある」と述べられています。天皇陛下のお言葉に、ネットからはさまざまな声が上がりました。・天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。・愛子さまについて、1人の親として言及されていて、同じ親としてグッとくるものがありました。・正直、小室眞子さんの結婚について発言されたことに驚いた。親族だもの。心苦しかっただろうな。天皇陛下が記者会見で語られた、親族への想いは、多くの人の心を温かくしたようです。[文・構成/grape編集部]
2022年02月23日宜保愛子さん’80年~’90年代に霊能者として、一躍お茶の間の人気者になった宜保愛子さん。その宜保さんが今また話題を集めている。「木村拓哉の次女のKoki,さんが映画に初主演するのですが、その舞台となった富山県の坪野鉱泉は“あの宜保愛子さんも潜入を拒否した心霊スポット”としてキャッチコピーに使われています。そのため、『牛首村』の話題とともに宜保愛子さんが検索ワードにあがっているんです」(スポーツ紙記者)’03年に亡くなって約20年を経て再び注目される宜保さんの伝説とは?霊視がきっかけでビートたけしは酒をやめた1991年にバラエティー番組『たけしの頭の良くなるテレビ』でビートたけしと共演した際、突如たけしの守護霊である和服姿の老女が見えたという宜保さん。さらに守護霊が見えた後、たけしの顔や目が黄色に染まったのを見たという。この守護霊はたけしの母方の祖母であり、たけしが芸達者なのは、若いころに義太夫語りの花形スターだったこの祖母ゆずりだと言われている。すると守護霊は宜保さんに「この子にお酒とタバコをやめさせてしまわないと命までなくなります」と頼んできたそうだ。宜保さんはたけしに守護霊の女性の着ている着物の柄を伝えて、口調も似せて「お酒とタバコをやめなさい。このままの状態を続けると命が危ないかもしれませんよ」と伝えたところ、たけしは「間違いない、うちのおばあちゃんだ」と忠告に真剣に耳を傾けたという。このころのたけしは長年の飲酒と喫煙、多忙による睡眠不足で胃と肝臓がボロボロ状態だったが、これ以後タバコと酒をきっぱりやめたという。1994年のバイク事故でケガを負ったものの重傷は免れ九死に一生を得た。2021年にはつるはしを手にした男に襲われる事件でケガを負うなどしたが軽傷ですんだ。今も祖母の守護霊がしっかりと守っているのかもしれない。宜保愛子の霊視に魅せられたのはビートたけしだけではない。「黒柳徹子さんは自らの番組に宜保さんをゲストに呼び、霊視について興味津々で話が盛り上がりました。ほかにも陸上のカール・ルイスといった外国人スポーツ選手まで、多くのスターが宜保さんの霊視を希望したんです。みなさん口をそろえて“どうしてそんなことまで知っているの?”と言うんです。事前にリサーチのしようがない情報をピタッと当てますから」(テレビ局関係者)“霊界の宣伝マン”の丹波哲郎も「宜保さんの霊視能力は本当に素晴らしい」と肯定している。1988年から始まった『女性自身』の連載「宜保愛子のスター心霊対談」の第1回では、ゲストの林寛子の守護霊は父親で、ソバ好きであると語って林を驚かせた。林は「どこのタレント名鑑で調べたって私の父親の好物までは当てられないでしょ」と発言している。またテレビ番組『驚異の霊能力者 宜保愛子』では、渡辺正行が子ども時代を過ごした実家の様子を詳細に言い当てていた。驚くことに、霊視した当時その家はなく、新しく建て替えられてしまっていたのにもかかわらずだ。ほかにも舛添要一の自宅に飾ってあった絵のことや、福澤朗の自宅の間取りや置いてあるオーディオ機器のこと、山口美江さん(享年51)の飾り気のない部屋の様子などもピタリと言い当てている。『日曜スペシャルこれが宜保愛子の霊能力だ!』ではフリーアナウンサーの逸見正孝さんの発病も予言。「逸見さんには胃がんで亡くなった弟さんがいたんです。宜保さんは“このままだと兄も僕と同じ病気になるから気をつけて”と弟さんが言っていると逸見さんに忠告。そのわずか1年後、逸見さんは胃がんで亡くなりました」’99年、コンピューターが誤作動するのではないかと「2000年問題」が騒がれた。当時、宜保さんはネット上で活発に活動していたという。’00年に、心霊現象を否定する大槻義彦教授が「霊能力というものの存在が証明されれば、私は大学を退職するし、これまで書いた本をすべて絶版にします」と宣言したことで、宜保さんはテレビから姿を消し、「電脳武装化中」であると週刊女性で報じている。そして記事は「閉ざされた場所ではなくて、再びテレビという舞台で、自らの主張を論じてほしい」と結んでいる。しかしまだ電話線でネットへ接続する“ホームページ黎明期”であった20年以上前、すでに現代のネット社会を先取りしていた宜保さん、これぞ慧眼と言うほかない!?霊は本質的に悪いものじゃない霊能者といえばおどろおどろしいイメージだが、宜保さんは明るい人としても有名だった。「よく笑う人でした。ミーハーでお笑いが好きな一面もあったんですよ。相手が傷つくことは絶対に言わなかったし、霊の存在を脅しに使うようなこともしなかった。霊能者である以前にいい人でした」と、宜保さんの書籍を担当した編集者の五十嵐咲江さんが人柄を振り返る。1991年にはアイドル誌の『明星』のグラビアを飾り、ファッション雑誌『MORE』では、霊についてこう発言している。「霊の本質って、決して悪いものじゃないんです。むしろ優しくて、私たちがちゃんとしてあげれば、それなりにきちっとしてくれるのが霊なんです。それこそギブ・アンド・テイクなの。霊の世界はおどろおどろしくない。だから、できるだけ明るく話したいんです」とんねるずのバラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげです』では、石橋貴明が宜保愛子さんのパロディー「宜保(イボ)タカ子」に扮し、木梨憲武扮するみのりもんた(みのもんたのパロディー)と女優やタレント、女子アナと心霊スポットなどを巡る「宜保タカ子と行く心霊体験バスツアー」というコーナーがあった。当時、宜保さんがどれほど人気があったのかがわかるだろう。とはいっても、石橋が「イボイボ……」と言いながら鼻の下にあるイボを触ってニセの霊視を行い、「除霊しないと」と松本伊代や宮沢りえの頭をスカートの中へ押し込むなどしたり、ロケ先ではドッキリや爆破で驚かしてリアクションを取る肝試しのような内容で、小学生たちの間では“イボイボ……”が流行語に。しかし1993年12月30日に放送された富士の樹海へのバスツアーの際、ロケで天然記念物の氷穴を荒らしたり、ゴミを放置して帰ったことなどが問題となり、番組自体が終了(後に『とんねるずのみなさんのおかげでした』として復活)することに。20年経ってもその名は轟いてほかにもまだまだ多くの伝説を残している宜保さん。「“宜保愛子が逃げ出した”、“宜保愛子が拒否した”などとうたえば箔がつくので、当時から心霊スポットの宣伝文句として使われたものです。それが宜保さんが亡くなってから20年がたった今でも使われるなんて。最強の霊能者としてのパワーは健在ですね。ですが、実際に宜保さんが坪野鉱泉を拒否したということはないはずですが……」(ミステリー雑誌記者)『牛首村』がヒットするかも宜保さんには視えている!?霊とともに生きた宜保愛子さんの人生1932年、神奈川県横浜市生まれの宜保愛子さん。3歳のときに弟が持っていた火箸が左目に当たって1年間闘病生活を送り、なんとか失明は免れたものの、視力がかなり落ちてしまった。しかしこのことによって、それまでぼんやりとしか見えなかった霊の姿が立体的に見えるようになったという。また霊の音は生まれつき聴力が弱い右耳で聞こえるそうだ。幼少期、浪花節が好きだった父に連れられて舞台を見に行った帰り道、タバコ屋のおばさんを見て「あのおばちゃん、もうじきおじちゃんと一緒に死んじゃうよ」と父に言って叱られるが、1か月もたたないうちに浮気相手だった近所のパン屋の主人と毒を飲んで死んでしまったため、母から「気持ちの悪い子だね。これでも本当に私が産んだ子かしら」と言われてしまった。自分の霊能力にはっきりと気づいたのは小学1年生、6歳のときで、仲よしだったあや子ちゃんが突然ジフテリアで亡くなったにもかかわらず、彼女が遊びに誘ってくる声や、履いていた下駄の音が聞こえるようになったのが始まりだ。さらに近所で起こる火事と出火原因を予言したり、水死者からのメッセージが聞こえたり、盗まれたものの在りかを言い当てたり、同級生が空襲で死んでしまうことを感じ取ってしまったことも。近所でも評判の霊感少女となり、相談者がひっきりなしにやってきたという。21歳のときに大病を患い、臨死体験をしたことで霊能力がなくなってしまった宜保さん。しかし面倒くさい霊が見えなくなったことに歓喜、「バンザーイ、私は正真正銘、普通の人だぞ」と叫んだそうだ。その後、結婚して3人の子に恵まれるが、末っ子が幼稚園に上がってひと安心した38歳のとき、再会した友人の左肩のところに「崩れた墓のイメージ」が見えて霊能力が復活、テレビや雑誌などで活躍することになった。テレビの視聴率は20%超、著作もベストセラーを連発、雑誌『週刊SPA!』では写真家・篠山紀信によるグラビア撮影にも挑戦した。さらに講演会も開催、各地で満員となった。番組に出演すると局の代表電話がパンクしたり、個別の鑑定は行わないので金品写真をお送りいただいても返却できませんというテロップが出るほどの人気だった。自宅にも電話がひっきりなしにかかってきて、電報が届いたり、家の前で待ち伏せする人もあったほどだ。しかしバッシング報道などもあり、1994年が最後のテレビ出演となった。2002年には8年ぶりにネプチューンのバラエティー番組『力の限りゴーゴゴー!!』に出演。2003年にも同番組に出演したが、同年5月6日に胃がんのため死去。享年71。
2022年02月18日’21年の12月、お誕生日に際して公表された愛子さまのお写真“人生における夏休み”大学生活がそう謳われる理由の1つとして、休みの期間が長いことが挙げられる。学習院大学2年生の愛子さまは新型コロナの影響で、ほとんどキャンパスに足を踏み入れないまま、約60日間の春休みをお迎えになっている。「入学当初からオンライン授業に取り組まれている愛子さまは、その大変さを感じつつも、懸命に努力なさっていると、陛下から伺いました」そう明かすのは、15年近く天皇陛下にスペイン語を教えてきたスペイン語学校『アカデミア カスティージァ』のカルロス・モリーナ学院長。佳子さまの「理想の男性像」とは「陛下たっての希望で、当時6歳だった愛子さまにスペイン語の授業をしたこともあります。楽しく学習できるように、陛下と愛子さまが予習されていたのが印象的でした」(モリーナさん、以下同)その経験もあってか、愛子さまは大学の第二外国語としてスペイン語をご選択。「陛下経由で、愛子さまから文法に関する質問をちょうだいしたこともありました。スペイン語の履修は1年次のみとのことですが、ぜひとも勉強を続けていただきたいです。語学をマスターし、陛下をサポートされたり、日本とスペインの懸け橋となられたりすることを願っています」“恩師”の期待を背負い、成年皇族として邁進される愛子さま。3月17日には初めての記者会見に臨まれる予定だ。「記者からの質問にアドリブで回答する場面もありますので、立ち居振る舞いなどについても、雅子さまと準備されているそうです」(宮内庁関係者)’14年12月に行われた秋篠宮家の次女・佳子さまの成年会見では、公務への意気込みやご自身の性格などに関する質問が出された。結婚は「将来的にはしたい」、理想の男性像は「一緒にいて落ち着ける方」と明かされた一方、皇籍離脱後の女性皇族の役割については「実感として捉えることのできる段階ではございません」と一蹴されるひと幕も。「眞子さんの“類例を見ない”結婚のこともあり、女性皇族の結婚はよりシビアなテーマとして捉えられています。愛子さまも慎重に言葉を選び、ご意見を述べられるでしょう」(同・前)そのご見解は、昨年末に取りまとめられた『安定的な皇位継承策などを議論する有識者会議』の最終報告の内容とも結びつく。「喫緊の課題を“皇族数の確保”とし、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、皇統に属する男系男子を養子として皇族に迎えるという、2案について検討されています」(皇室ジャーナリスト)ここでいう“皇統に属する男系男子”とは、終戦後に皇籍を離脱した旧宮家などを指し、現存するのは5家。“政略的縁談”の危険性「これまで民間人として過ごしてきた当事者たちにとっても、旧宮家のことをよく知らない国民にとっても、皇室とのギャップが大きすぎることが懸念されます」(同・前)静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、こう振り返る。「’11年の野田佳彦内閣下で同様の議論が進められていたとき、会議の席で“愛子さまが旧宮家の男子と結婚されれば、皇位継承問題は解決するのではないか”という質問を受けたことがありました」要するに、旧宮家の男子が“愛子さまの夫”になれば、2人の間に生まれた子は男系男子になり、皇位継承の問題は解決するという主張。それに対し、小田部教授は次のように反論した。「皇族であるがゆえに政治的な圧力で結婚相手を強いられるのは望ましくない」それから10年以上がたち、愛子さまの成人を機に、“お相手候補”として旧宮家の賀陽家が注目されている。「当主の賀陽正憲氏は、天皇陛下と学習院初等科から大学まで同級生で、宮内庁に勤めた経験もあります。正憲氏には26歳と24歳になる未婚のご子息がいて、愛子さまのお相手にふさわしいのではないかと一部で報じられています」(前出・皇室ジャーナリスト)堂々巡りの現状に、小田部教授は再び警鐘を鳴らす。「愛子さまのご意思や両陛下のご意向を無視した“政略的縁談”が進めば、国民の心は離れていってしまうでしょう」渦中の愛子さまはこれまで、政治的な思惑とはかけ離れた“淡い恋”を経験されてきた。「小学生のころは、ご学友との仲睦まじさが報じられました。家族ぐるみでお付き合いがあり、一部では『ドラえもん』の“のび太”に似ているとも言われた彼です」(皇室担当記者)愛子さまのSNSに寄せられたお祝いコメント夏休み中にご一家が那須で静養される際、現地で“のび太くん”と合流されることも多く、愛子さまは手をつなぎ、腕を組み、ハグされるシーンも目撃された。その後、学習院女子中・高校へ進まれた愛子さまは、文字どおり青春を謳歌される。「高校1年のころには、姉妹校である学習院高等科の野球部の試合を“お忍び”でご観戦。とある同級生選手の勇姿をデジカメで撮影しつつ、懸命にエールを送っていました」(同・前)年ごろの女の子らしい素顔や、ミーハーな一面も垣間見えるように。「当時、愛子さまは『スターバックス』でお茶をするのが好きで、プリペイド機能がついた“スタバカード”も使いこなしていました」(侍従職関係者)同級生とともにアイドルにゾッコンになられたことも。「元SMAPの木村拓哉さんが大好きで、密かに楽しまれているインスタグラムのアカウント名も“木村○○”にされているほど。7人組グループの『ジャニーズWEST』がお好きとも聞いています」(愛子さまの知人、以下同)女子校のため、男性との接点は減ったが、年に1度の文化祭では、周囲を驚かせるほどの積極性をお見せになった。「愛子さまは初対面の男性に連絡先を聞き、その後も連絡を取り続けておられたといいます。どちらかというとひと目惚れするタイプで“メンクイ”だとも聞きました」その男性かは定かでないが、高校時代から“特別な男性がいらっしゃる”とのウワサが。「18歳の誕生日を迎えられた時期には、ジュエリーブランド『4℃』のシルバーネックレスをプレゼントされたとか。ご自身のインスタグラムでそのことを投稿されて、ご友人から“お幸せに!”というコメントもありました」国民が親しみと共感を抱く“ロマンス街道”を歩まれてきたプリンセス。「きたる記者会見では、結婚観や理想の男性像について、初めて言及されることになります。眞子さんや佳子さまは言葉少なだった印象ですが、皇族という特別なお立場であっても身近にある“好き”を大切にされてきた愛子さまは、十分に咀嚼されたお考えを披露されるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)“意中のお相手”を想像しながら繰り出される赤裸々なお気持ちは、いかなるものでもご名答に違いない─。小田部雄次静岡福祉大学名誉教授。日本近現代史を専門とし、『皇族に嫁いだ女性たち』(角川選書)など著書多数
2022年02月17日「愛子さまは3月17日に初めての記者会見に臨まれます。非常にプレッシャーがかかる状況のなか、お一人で質問にお答えになります」そう語るのは皇室担当記者。「成年皇族の仲間入りをされた愛子さまには、皇室のイメージを刷新する存在として大きな期待がかかっています。注目が集まるゆえ、一言一句に神経を巡らさなければなりません」(前出・皇室担当記者)そんな“試練”を前に、愛子さまは現在、ひそかに準備を進めているという。宮内庁関係者が語る。「お父上の天皇陛下も、同じく20歳を迎えられたタイミングで初めて公式記者会見に臨まれています。それから40年以上、毎年会見を開かれていますから、ご自身の経験を愛子さまにお伝えになっているといいます。とくに記者への対応では“ユーモアを大切に”とお教えになっているそうです」陛下はお若いころから、答えるのが難しい質問に対しても柔軟に返答されていた。28歳の誕生日会見では、結婚の見通しを富士登山にたとえて「七、八合目ぐらいといったところでしょうか」「山頂は見えていても、なかなかそこにたどりつけないという感じ」と、お答えに。雅子さまとの婚約会見では、将来のお子さまの人数について質問を受けたが「コウノトリのご機嫌に任せて……というふうに申し上げておきましょう」とかわされた。お妃選びやお子さまに関しては、国民も大きな関心を持っている。陛下はそうした質問にも理解を示しつつ、ユーモアを交えて精いっぱいの回答をされてきたのだ。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。「現在の天皇皇后両陛下は、ときにユーモアを交えながら、しかし真摯にメディアに対応することで、会見からその人柄が見えて、好意的な評価につながりました。記者会見では“敵対的”には見えないように、等身大で話すようにと、愛子内親王にアドバイスされているのではないでしょうか」3月の愛子さまの会見では、陛下ゆずりのユーモア返答術が見られるだろうか――。
2022年02月11日新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が、1月18日に皇居・宮殿「松の間」で行われた。愛子さまは学業優先で出席は控えられたが、初めて和歌を寄せられた。今年のお題は「窓」。皇族方は、どんな情景を、思いを詠まれたのだろうか。本誌皇室担当・近重幸哉記者が解説ーー。■雅子さま《新しき住まひとなれる吹上の窓から望む大樹のみどり》昨年9月に赤坂御用地から皇居の御所に引っ越しされた天皇ご一家。「昨秋からお住まいの御所の窓からは、上皇ご夫妻が大切にされてきた木々が望まれます。雅子さまは御所や周辺の林が、上皇ご夫妻によって美しく維持されていることに感謝し、そのお気持ちを詠まれたと感じました」(近重記者・以下同)■愛子さま《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》高校2年生の夏休み、ロンドン郊外のイートン校への短期留学のためイギリスへ。愛子さまはイートン校敷地内の寮で3週間お過ごしに。帰国時の笑顔に、充実ぶりが表れていた。「愛子さまは大学に通うことを控え、御所で勉学を中心とした生活をされています。こうした日々でもイートン校での思い出を大切にされ、コロナ禍の収束後には広く見聞を広めたいとの希望をお持ちなのだと思いました」■佳子さま《窓開くれば金木犀の風が入り甘き香りに心がはづむ》昨年10月、姉の眞子さんが結婚。佳子さまは眞子さんの結婚を応援されていた。「金木犀には『初恋』という花言葉があります。昨年10月、初恋を実らせ結婚した姉の眞子さんの心情を思われ、佳子さまは秋の深まりを知らせる金木犀の香りにも、喜びをお感じになったのではとの印象を受けました」歌会始の儀にグリーンのローブ・モンタントでご出席。今年は佳子さまのご婚約も注目される。
2022年01月29日《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》1月18日に皇居・宮殿で開催された歌会始の儀。愛子さまは学業を優先されて出席なさらなかったが、初めてお歌を披露された。高校2年生の夏休みに、イギリスのサマースクールに参加されたときの情景を詠まれたのだ。歌人の梅内美華子さんは「読む者の心にすっと届く和歌に感動を覚えました」と語る。「イギリスの学校での日々がいよいよ始まるという期待感が、清冽な言葉の響きと調べをもってうたわれています。まだお若いのに和歌の形式をご自分のものにしていらっしゃいます。愛子さまは古典文学をご専攻と伺いましたが、『学び舎』『開かれそむる』という和語、古語が用いられていて、言葉選びに品のよさ、センスが表れています」天皇陛下は、昨年に引き続き新型コロナの感染拡大の収束を願うお気持ちを詠まれた。《世界との往き来難かる世はつづき窓開く日を偏に願ふ》コロナ禍という、まさに現在進行形で世界の人々を苦しめる問題をテーマにされたお歌だが、梅内さんは、このお歌も伝統を踏まえたものだと語る。「天皇は古来、国土安寧、民の幸福を願い歌に詠んできました。そうした伝統を意識された和歌だと思いました。愛子さまは、未知のものに出合い、新しい交流が生まれ、ご自分の世界が広がっていくことを『窓』が開き始めるとうたってらっしゃいます。窓を比喩として詠まれているのは天皇陛下のお歌と共通していて、スケールの大きさと知性を感じました」これまでも、中学1年生のときに執筆された「看護師の愛子」の短編小説や、中学校の卒業作文「世界の平和を願って」などで、類まれなる文才をみせられていた愛子さま。初めて披露されたにもかかわわらず、和歌でもその才能をいかんなく発揮されたのだ。
2022年01月26日岸井ゆきの、高橋一生がW主演する「恋せぬふたり」の3話が1月24日放送。「だから私は推しました」に登場したサニーサイドアップの登場にSNSが沸くなか、高橋のポイントカードへのこだわりにも「あるある」「わかる」など共感の声も寄せられている。アロマンティックとは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。アセクシュアルとは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。どちらの面でも他者に惹かれない人はアロマンティック・アセクシュアルと呼ばれる。本作はアロマンティック・アセクシュアルの2人が同居生活を始め、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく様を描いていく作品。スーパーまるまる本社勤務で、キャンペーン商品を見にスーパーへ訪れた際に高橋と出会い、高橋のブログを読んで自分がアロマンティック・アセクシュアルだと認識。前回、家族に自分がアロマンティック・アセクシュアルであることを明かした咲子に岸井ゆきの。1話で咲子から同居しないかと提案され、最初は首をかしげていていたが、祖母が亡くなってから近所のおせっかいが激しかったこともあり同居を始め、前回は彼氏のふりをして咲子の家族に会いに行った高橋に高橋さん。勝手に咲子と付き合ってるつもりの同僚・松岡一には濱正悟。咲子の親友の美容師・門脇千鶴に小島藤子。咲子の妹・石川みのりに北香那。みのりの夫・大輔にアベラヒデノブ。咲子の母・兒玉さくらに西田尚美。咲子の父・博実には小市慢太郎。過去に高橋と何かあったらしい猪塚遥には菊池亜希子といったキャストが出演。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。一から「俺らギリ付き合ってる」と言われた咲子は意味が分からずポカンとする。2人は過去に付き合っていたが“活動休止”という形で距離を置いていた。咲子のなかでは関係が終わったつもりだったが、一にとってはあくまで活動休止で関係は終わっていなかった…。咲子と一が親しくなるきっかけになったのが、2019年のよるドラ枠でオンエアされた「だから私は推しました」に登場した地下アイドルのサニーサイドアップだと判明すると、視聴者からは「サニサイが出てきたのも嬉しい。同じ世界に存在してる」「一瞬、別のグループかと思ったけど黄色だし、卵だし、絶対そうだと確信。好きなドラマだったから嬉しかった~~」「序盤にサニサイが一瞬出ててビックリしてたら、その後名前もガッツリ出てきて嬉しい」などの反応が上がる。その後、高橋が貯めたポイントカードのポイントを消化するため、咲子は仕事帰りに高橋と待ち合わせる。ポイントカードを貯めてから「満を持して使う」という高橋だが、そのせいでたくさんあるポイントカードの有効期限が全部“今日”だった…という展開に「うわーーーーーー、わかる、ポイントの有効期限忘れがち」といった共感の声や、「ああいう何気ない小さな幸せを分かち合える人生は本当に素敵だと思う」「押し付けでもなく、自然に時間を共有出来る関係は良いなと思った」など、咲子と高橋の関係性を讃える声も多数SNSに投稿されている。(笠緒)
2022年01月25日1月18日、新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が皇居宮殿・松の間で行われた。今年のお題は「窓」。成年皇族となられたばかりの愛子さまは、大学の期末試験中で出席は控えられたが、次の和歌を寄せられた。「英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓」愛子さまは学習院女子高等科2年生だった’18年の夏休みに、約3週間の英国短期留学をされた。愛子さまは留学当時に感じられた思いを、“初和歌”で表現されたようだ。「愛子さまはロンドンにあるイートン校のサマースクールに参加し、寮生活を送りながら英会話やイギリス文化を学ばれました。これは愛子さまにとって初めての留学経験となりました。約600年の歴史を持つイートン校の立派な建物を前に、愛子さまは『今、ここから世界が開かれようとしている』と期待に胸を膨らませていらっしゃいました」(宮内庁関係者)英国から帰国後、宮内庁を通じて「すべてが新鮮で、とても楽しく充実した滞在になりました」と感想を述べられていた愛子さま。留学に意欲的なのは、父である天皇陛下の影響もおありなのだろう。陛下は42年前の’80年2月、成年式を前に開いた宮内庁記者会で次のようにお考えを述べられていた。「海外へ出るってことは、これは非常に重要なことだと考えていますから、できるだけ機会があれば出たいと思ってます」その後、’83年から2年間にわたって英国留学をされた陛下は、出発前の会見で「広く世界に学ぶことに大きな意義を見出しています」と述べられていた。続けて「ヨーロッパという離れたところから日本を見つめてみたいと思っています」と、視野を広げる意欲も示されていた。新型コロナウィルスの影響で、大学のキャンパスにさえ足を運ぶこともできない日々を過ごされている愛子さま。海外で学べる機会が再び訪れることを、両陛下も願われていることだろう。
2022年01月20日愛子さま(’21年9月)「3月中旬、愛子さまは初めての記者会見に臨まれます。これは成年に際しての会見ですが、愛子さまが20歳になられたのは昨年の12月1日。通常、皇族方の成年会見の内容はお誕生日の当日に公になるため、3か月以上も期間が空く今回の会見日程はかなり異例なことです。『学習院大学』の2年生でいらっしゃる愛子さまは学業でご多忙、というのが日程が延期されている主な理由のようです。コロナ禍を考慮してオンラインで授業を受けられている愛子さまは、普通の学生よりも“ハンデ”がおありのようで、課題提出やレポート作成や試験勉強に苦労されていると聞いています」(侍従職関係者)■「アドリブで答える」場面も一方で学業以外にも「会見が先延ばしになった理由がある」と、この関係者が続ける。「雅子さまが、愛子さまの会見にとても気を巡らせておられるのです。愛子さまにとって初めての会見で、生で記者とのやり取りやアドリブで回答する場面もあります。会見内容はもちろんですが、立ち振る舞いや話し方、アドリブ対応などに関して、細かく準備するため時間を要しているようです」いずれにせよ、愛子さまが会見でどんなお言葉を述べられるのかを楽しみにしている国民は多いことだろう。そんな中、『週刊女性PRIME』は、3月に行われる会見で愛子さまに投げかけられる質問内容の情報をひと足先に入手した。「質問は全部で5つです。成年皇族として今後どのような公務に取り組まれたいか、大学生活や海外留学へのご関心についてや、両陛下との思い出などを聞かれる予定。すべての質問が終わった後は、その場で記者から聞かれる関連質問があり、愛子さまはアドリブでお答えになります」(宮内庁関係者)中には「愛子さまご自身の性格について」に関しての質問も用意されている。過去の例で言えば’14年、秋篠宮家の次女・佳子さまも成年会見でご自身の性格について問われた際、「私の性格についてですが、長所は自分では余り思いつきません。短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます」と、それまで知られていなかった秋篠宮さまとの親子関係が垣間見えるエピソードを披露された。愛子さまに関しても、意外なお人柄が感じられるお話を明かされるのかもしれない。■『令和』に沿われた愛子さまのご活動ほかにも、天皇家で飼われている犬や猫との思い出も問われるという。「天皇ご一家が飼われている日本犬のミックス犬である『由莉』は、ごきょうだいのいない愛子さまにとって“相棒”のような存在。20歳のお誕生日に公開されたお写真にも由莉を連れていらっしゃいました。由莉は元々保護犬で、とある動物病院からご一家が引き取られたのです。名付け親も愛子さまで、ご静養で地方に行かれるときは幼い愛子さまが由莉を抱えて連れて行かれたことも」(宮内庁OB)愛子さまにとって動物の存在は、今後の公的活動にも関わってくる可能性が高い。「ご両親と同じように動物愛護へのご関心が強い愛子さまは『学習院初等科』の卒業文集や高等科での卒業レポートでも“犬や猫”をテーマに執筆されたり、学習院大学でのイベントで出展されていた『アイメイト協会』の啓発ブースにも必ず足を運ばれています。盲導犬の活動を支援するため、その場で販売されている協会のグッズを購入したり、募金をされることもありました。公的活動という意味でも、盲導犬関連の団体が主催する行事に参加されるなど、動物関連の団体支援を行われることも十分考えられます。動物関係は『令和』の象徴的なご活動のひとつになり得るので、愛子さまの抱かれる動物愛はそれに沿ったいいご活動につながると思いますよ」(同・前)そんな中、昨年の皇室にとって大きな出来事となった秋篠宮の長女・小室眞子さんについての質問も、今回は盛り込まれているそうだ。■初めて語られる「結婚観」「眞子さんとの思い出や、小室圭さんとの結婚に至るまでの経緯に対する受け止めを問われます。愛子さまは、天皇ご一家が昨秋に引っ越されるまでの19年間、秋篠宮家のお住まいがある赤坂御用地内で暮らしておられたことから、いとこにあたる眞子さんとの交流も当然、多くおありでした。両陛下や上皇ご夫妻のお誕生日や結婚記念日など、お祝いの食事会でも同席されていましたし、身近にいる年の近い内親王の先輩として、愛子さまにとって眞子さんは“姉”のような存在。長らく結婚が延期されてしまった眞子さんのことを心配されていたようですから、無事に結婚が成就された喜びのお気持ちを述べられるのでは」(前出・侍従職関係者)そして今回の会見で、関係者たちがいちばん注目しているのが、愛子さまの“結婚観”について。「愛子さまが抱かれる結婚そのものに対する考え方や、理想の結婚時期やパートナー像についての質問も用意されています。ただ、眞子さんの結婚が世間から賛否両論の声が飛び交ったように、現在の女性皇族の結婚はかなりシビアな問題になっています。ましてや、天皇家の長女でいらっしゃる愛子さまはまだ、天皇陛下の直系として『女性天皇』に即位される可能性が残されています。実際、世間からは“愛子天皇待望論”も出ており、支持する国民も多いことが世論調査でわかっています。しかし、安定的な皇位継承に関する議論がまとまらないうちに愛子さまが結婚されてしまえば、皇室を離れられてしまいます。当然ご自身も、皇族の人数減少の危機を痛いほど理解されていることでしょう。3月の会見で語られる結婚観については、かなり慎重に言葉を選ばれると思いますよ」(前出・宮内庁関係者)《これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》20歳のお誕生日に際しての文書でそう述べられた愛子さまは、どのような将来を描かれているのだろうか。
2022年01月14日’21年12月5日、成年のご報告のため上皇ご夫妻のお住まいへ訪問される愛子さま昨年12月に成年を迎えた天皇家の長女・愛子さまが初の公務に出席されるなど、より一層国民からの期待がふくらんでいる。「昨年12月25日、大正天皇の命日に行われた『大正天皇例祭の儀』に臨まれ、宮中祭祀デビューを果たされました。今年の元旦には早速、皇居内の宮殿で催された皇室の新年行事にあたる『新年祝賀の儀』で初めての公務にご参列。新型コロナウイルス禍を受け、女性皇族の方々はティアラの着用を控えたドレス姿でした。次に注目されている愛子さまが参加される行事は、18日の『歌会始』。愛子さまがどのような歌を詠まれるのかに注目が集まっていますよ」皇室担当記者がそう話すように、コロナ禍で皇室の方々が思うように外出を伴う公務が行えない中で、めでたく成年となられた愛子さまのご動静を多くの国民があたたかく見守っている状況だ。■自然とご友人が増えて昨年12月の成年を迎えられた際に綴られた文書では、《これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います》と今後の抱負を述べられるなど、立派な成年皇族として成長されたことに周囲は感動すら覚えたことだろう。ただ、愛子さまのこれまでの道のりには時折、困難もつきまとっていた。「学習院初等科の2年生だったころ、同学年の男子生徒が乱暴な振る舞いをして“学校に行くのが怖い”という理由で、一時期は不登校ぎみになってしまわれたのです。それから1年半ほどはお母さまである雅子さまが付き添われて少しずつ登校し、一部の授業だけに出席される日々でした。両陛下は当時、雅子さまの付き添いに批判の声が出るのは覚悟していたものの、愛子さまを守りたいという“親としてのお気持ち”を優先されたそうです」(宮内庁関係者)学校を休みがちで愛子さまが苦しまれていたとき、愛子さまに一筋の光明が差し込んだ。当時、学習院のバスケットボール部のコーチを務めていた男性から「バスケをやってみませんか?」とのお誘いが愛子さまの学校生活を一変させたという。「愛子さまは元々、ご両親譲りの運動神経をお持ちでいらっしゃいました。テニスやスキー、バドミントンやソフトボールなど、いろいろなスポーツに長けておられます。ご自身としてもスポーツがお好きだったこともあり、コーチからの誘いを受けてバスケットボール部に入部されたところ、どんどんのめり込まれました。チームスポーツなので、自然に仲間とコミュニケーションをとる中で友達も増え、学校に通うことが楽しくなって、不登校問題は解消されたのです。最近まで住われていた赤坂御所のお庭でも、職員たちとバスケを楽しまれる姿をよく拝見していました」(侍従職関係者)■「全ての経験が私の財産に」小・中・高と、学生生活はバスケットボールとともにあった愛子さま。「初等科時代のバスケ仲間が中学と高校でバスケの試合に出ているときは、お忍びで会場に出向き、一生懸命応援されていました。高校1年生のときには、3学年合同のクラス対抗トーナメントで、愛子さまのクラスは3年生相手にバスケの試合で大金星を挙げたのです。普段からバスケに慣れ親しんでいた愛子さまも積極的にシュートされるなど、活躍されたと聞きました」(同・前)’17年の5月には、ご両親とともに車いすバスケットボールの大会を会場で観戦され、愛子さまは試合展開に夢中のご様子だったという。「車いす同士が衝突したり、タイヤが摩擦を起こした際のゴムの焦げた臭いなど、現地でしか感じられない迫力のある試合に、雅子さまは驚かれていました。愛子さまも同じく、どちらのチームが勝つか分からない試合展開に興奮されたご様子で、夢中になって拍手を送られていました。試合後、愛子さまは選手ひとりひとりに声をかけられ、“トレーニングはどうしているのですか?”“何がきっかけで車いすバスケットを始めたのですか?”などと熱心に質問されていたのが印象に残っています」(大会関係者)愛子さまが小学5年生だった’12年、お誕生日に際して寄せられた文書の中で、雅子さまはこう綴られている。《5年生になってからは、学校の勉強も随分と大変になってきましたが、愛子が、お友達にも恵まれ、管弦楽部やバスケットボール部といったクラブ活動を含む学校生活や、英語の勉強など様々なことに意欲的に取り組んでいることは大変嬉しく、そのように愛子が成長していく姿を心強く思いながら、母親としてできるだけの手助けをしたいと思って過ごしております》バスケットボールを通してスポーツの素晴らしさを知り、かけがえのないご友人も得たことは、愛子さまの人生に大きな影響を与えたことだろう。《様々な方と出会い、関わることを通じて、人と人とが互いに手を取り合い、交流の輪が広がっていく素晴らしさを学び、全ての経験が、今、私の財産となっています。今日に至るまで私の歩みに関わってくださった全ての方に深く感謝いたします》成年における文書でも、そう記された愛子さま。これから両陛下を支えていかれる内親王に大きな期待を寄せたいーー。
2022年01月08日12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年皇族となられた愛子さま。誕生日に公開されたお写真のグレンチェックのジャケットをお召しになった姿が、「大人っぽくなられた」と注目を集めた。「愛子さまはウェーブとナチュラルの間ぐらいの、スイート甘辛ミックスタイプの骨格の方。大きめのチェック柄がとてもよくお似合いになっていますね」このように愛子さまの骨格を分析するのは、パーソナルカラーや骨格タイプの診断を行う株式会社カラークチュールの高橋利予先生(高ははしごだか)。「大人っぽい雰囲気になられましたが、骨格から分析すると基本的には可愛らしいファッションがお似合い。ですからお誕生日のときのジャケットは、ダブルのジャケットで大正解。逆に、シングルのジャケットは苦手かもしれません」天皇陛下は、愛子さまと同じソフトタイプ。雅子さまは骨格ストレートのクールタイプだという。「愛子さまはグレンチェックのジャケットにフレアスカートを合わせられていますが、クールタイプの雅子さまだったら、タイトスカートやパンツを合わせるでしょう」天皇陛下譲りの骨格の愛子さま。ただ、雅子さま譲りのクール要素もお持ちだという。「可愛らしいなかにも少し“辛口”が入るとベスト。お顔立ちも日本的な美人さんなので、フリフリというよりは、シックさを意識した、“甘辛ミックス”が洗練スタイルにお約束です」【監修】
2021年12月29日