1歳半健診後、発達教室に通うが…1歳半を目前にやっとひとり歩きができるようになった息子は、運動面の発達も遅く、指差ししない、呼んでも振り向かない、円盤状のものをひたすらクルクルと回すのが好き、表裏色の違う布をひらひらし続けるなど、特性が顕著に現れていました。1歳半健診で息子の発達で気になっていることを相談し、ひとまず保健センターが行なっている発達教室に通うことになりました。その発達教室のカリキュラムは、約2ヶ月間で1クールとなっていました。生後3ヶ月の娘を連れて週一回、2時間の教室…その教室に参加している間娘は預かってもらえるものの、1歳児と0歳児を連れての外出はなかなかのものでした。やっとみんなの準備を終えて出発しようとしたら、娘がうんち…なんてことも多々あり(赤ちゃんあるある…)、教室に着いてから娘を預ける際も、初期の人見知りがはじまった娘がギャン泣きでメンタルをやられ…。夜間授乳で寝不足、産後でまだまだガタガタの身体で、母親の存在をフル無視で走っていく息子を追いかけ回さねばなりませんでした。そのころの息子は横目(つまり前を一切見ない)で壁ギリギリを走るという感覚遊びにハマっていて、教室でもやりまくっていたのでお友達にぶつかりそうになったり、転びそうになったり…本当に目が離せませんでした。…壁じゃなくて遊具で遊んでくれ!!(懇願)Upload By 海乃けだま教室の後も問答無用のカオスタイム。人に頼ることが苦手だった私も…発達教室の時間はいつも午前中だったので、終わるのはちょうどお昼の12時前でした。2時間みっちり遊んだ息子は体力も気力も使い果たし、歩くのも拒否して激グズり…そこに教室の間ぐっすりとお昼寝をして腹ペコの状態の娘も加わり、帰りの車内はギャン泣きの大合唱でした(私も泣きたいわー!!…ついでに泣いていました。笑)。Upload By 海乃けだま家に着いてから授乳と昼食の用意、そして食後は元気いっぱいの娘をなだめながら息子のお昼寝…それまで私は人に頼るのが苦手でしたが、もともとのキャパシティーも少ないため、寝かしつけの間に義両親に娘を預かってもらったり、娘のお昼寝中に息子を散歩に連れて行ってもらったりしなければ乗り越えられませんでした(今では義両親に頼りまくって育児しています。母として強く…図太くなりました。笑)。発達教室が終了し、発達検査をしてもらった結果は…2ヶ月ほどで発達教室の1クール目のカリキュラムが終了し、いよいよ発達検査をしてもらう日がやってきました。1歳10ヶ月で受けた発達検査の結果は「10ヶ月程度の発達年齢」でした。"10ヶ月程度"その言葉で頭がいっぱいでした。反応の少ない息子の興味を惹こうと一生懸命話しかけてきたけれど、息子には届いていなかったのかと…息子と過ごした1年間が"なかったこと"にされたような気持ちでした。いざ、病院へ。予約は2ヶ月先までいっぱい!?児童精神科の現状。忘れられないクリスマスとなった日。10ヶ月程度の発達年齢と言われた検査の後、保健師さんは児童精神科へ紹介状を書いてくれました。発達障害についてなんの知識もなかった私は、発達障害の病院受診の現状をそこで初めて知ることとなるのです…。初回の受診は月に2回指定の日があり、朝6時から配布される整理券をもらい、病院が開く8時に再び来院し、整理券の順に翌々月の予約を取れるというものでした。0歳児と1歳児を連れて何度も病院を往復…できるわけないので、夫に仕事を休んでもらいました。予約が取れたのはちょうどクリスマスの日でした。受診日当日は「今日でもしかして診断がつくかもしれない…」と、ドキドキしながら診察の時間まで落ち着きませんでした。いよいよ診察の時間になり、診察室に呼ばれました。医師の顔も見ることなく、真っ先におもちゃのある方に向かっていく息子。日々の様子や指差し・発語について聞かれた後、医師はペンライトを持って息子の方へ。医師「海乃ひとで(息子の名前)くーん。」息子「……。」返事どころか振り向きもしません。医師「ひとでくん、ちょっとあーんってして?」ペンライトを光らせ、息子に見せる医師息子「…!あー!」ペンライトを欲しがる息子医師「あーん、は?できる?」息子「んー!!」ペンライトを頑なに欲しがる息子医師「お母さん見て。ひとでくん、このライトしか見てないでしょ。さっきから私と一度も目が合わないんです。人に興味が薄い子はね、人じゃなくて物を見るんですわ。」Upload By 海乃けだま医師からの言葉で、それまでの息子を育児してきて感じていた違和感がストンと腑に落ちた気がしました。結果は「自閉スペクトラム症疑い」でした。「あぁ、やっぱりそうか…」と思う反面、疑いという形ではありましたが、自閉スペクトラム症の可能性があると言われたことに、ショックを隠しきれませんでした。その後に看護師さんが療育に通うための通所受給者証の申請や特別児童手当について話してくれましたが、ほとんど耳に入ってきませんでした。ついに自閉スペクトラム症と診断。療育先探しへ年が明けてから、通所受給者証や特別児童手当の申請を行いました。受給者証を申請してから交付されるまで、2~3ヶ月かかるため、その間に2クール目の発達教室に通うことになりました。相変わらず壁際スレスレを横目で走っていく息子を追いかけまわしていました。2クール目の教室も終了し、児童精神科の再診日が来ました。診察の結果、息子は「疑い」ではなくはっきりと「自閉スペクトラム症」と診断されました。初回の診察のときほどのショックはなかったものの、その日にはっきり診断がついてしまうとは…(涙)。でもいつまでも落ち込んではいられません。私は息子の療育先を探すため動き出しました。保健センターの保健師さんから療育施設の資料をもらいましたが…無知な私には、息子にどんな支援が必要なのかさっぱり分かりませんでした。保健師さんにアドバイスをもらいながら、親子通園クラス・単独通園クラス・並行通園クラスに加え、個別療育(OT・STなど)もある療育先に見学に行きました。新設されたばかりで、施設も綺麗で先生達もとても親身で明るく親切で…ちょうど空きがあり、さらに娘の保育もしてくれる!!「運命や!ここしかない!ここがいい!!」とその日のうちに決めて帰ってきました。結局1ヶ所しか見学に行きませんでした(笑)。支援利用計画を引き受けてくれない…繁忙期の事業所。そこに現れた救いの手。療育先が見つかりホッとしたのも束の間、今度は「障害児支援利用計画」を作成してもらう相談支援事業所を探さねばなりませんでした。とりあえず家から近い何件かに連絡してみるも、繁忙期だったこともあり、全て断られてしまいました。「せっかく療育先も決まったのに、こんなところで足踏みせなあかんなんて!!」と最後の望みで連絡した事業所。最初はやはり断られそうな雰囲気でしたが、私の必死さが伝わったのか「お母さんのその必死な気持ちに応えてあげたい」と特別に引き受けてくれました。後日、その方が面談のために家庭訪問に来てくれましたが、息子を見て「お母さん、この子は大丈夫。ちゃんとしゃべれるようになるからね」と勇気づけてくれました(涙)。その後、無事に療育に通えるようになった息子は、めきめきと成長しました。療育に通い始めてから約3年(母子通園クラス1年、単独通園クラス2年)、今では一日中ずーーーーーーっとしゃべっています。今年の4月から、息子はこれまで通っていた療育園から幼稚園に転入しました(今は週1回並行通園クラスに通っています)。やはり定型発達のお友達より1歩も2歩もゆっくりですが、お友達に助けてもらいながらも遊んでいる姿を見ると、療育で頑張ってきて良かったと感じています。Upload By 海乃けだま執筆/海乃けだま(監修:室伏先生より)児童精神科への受診と診断、そして療育へ繋がるまでのご苦労やお気持ちについて共有してくださり、ありがとうございました。中でも、「反応の少ない息子の興味を惹こうと一生懸命話しかけてきたけれど、息子には届いていなかったのかと…息子と過ごした1年間が"なかったこと"にされたような気持ちでした」というお言葉が印象的でした。お母さまのお気持ちを想うと、私もとても悲しい気持ちになってしまいました。お子さんが療育を受けること、療育を通じて支援者が正しい知識、テクニックを学ぶことはもちろん大事ですが、療育で最も大事なことは、お子さんにコミュニケーションの楽しさ、喜びを知ってもらうこと、気づいてもらうことです。自閉スペクトラム症のお子さんには、言葉を含む他者とのコミュニケーションへの興味が高まり、ぐんと伸びる時期があることが多いです。お母さまがひとでくんに対して、赤ちゃんのころから抱きしめたり、一生懸命話しかけた結果、ひとでくんの内面に他者、そして言葉への気づきや、興味が少しずつ育まれ、それが幼児期になってから言葉がぐんと伸びる土台になったのではないかと思います。また、療育への通所開始後も療育施設でもらったアドバイスをもとに、おうちでも療育的な関わりを実践されていたのではないでしょうか。ご家族の頑張り、そして、ひとでくんへの愛情が、ひとでくんの成長を促したのだと、私は思います。お子さんから期待するような反応が得られず戸惑い、どのように接したらよいのか分からず苦しみ、挫けてしまいそうになることもきっとたくさんありましたよね。同じようなお子さんをもつご家族にも、周りのサポートを受けて自らのケアもしながら、お子さんを信じて、言葉や笑顔を届け続けてほしいと思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年07月14日消防隊員の夫、1歳の息子かおるくんと暮らしている水無月さん。自宅出産後、産院の分娩室で処置を受けながら、医師は「よくひとりで頑張ったね」と水無月さんの気持ちに寄り添ってくれました。赤ちゃんは低体温になってはいたものの、症状は軽いとのこと。しかし、黄疸が出やすくなる可能性や感染症の詳しい検査があると告げられます。水無月さんは「私が早く病院に行かなかったから……」と自責の念にかられます。出産当日、赤ちゃんと息子が心配であまり眠れなかった水無月さん。翌朝、助産師さんから「産院では出生証明書を書いてあげられない」と、衝撃の事実を告げられます。産院に到着する前に胎盤まで出てしまうと、分娩後に来たと見なされ、その産院で産んだことにはならないそう。助産師さんによると、その産院で胎盤が出てから来た妊婦さんは水無月さんが初で、市役所への確認が必要とのこと。助産師さんに言われた通り、市役所に電話する水無月さん。折り返しの電話で告げられた内容とは……!? 私がもっと早く産婦人科に行っていたら… ※出産届→正しくは「出生証明書」。出生届(用紙の左側部分)は子どもの父母が記入。出生証明書(用紙の右側部分)は出産に立ち会った医師または助産師が記入します。 市役所に電話し、胎盤が出てから産院に行ったことを話した水無月さん。折り返しの電話で告げられたのは、出生届とともに提出しなければならない書類があるということでした。 わかる範囲で記入した出生届・出生証明書、搬送証明書、へその緒を切った救急隊員の記述書、水無月さんが妊娠しているとわかる写真、生まれた赤ちゃんが水無月さんの子どもだと証明できる写真、出産当日の様子を詳しく書いた経緯書、産院で産後の処置をした医師の証明書、母子健康手帳……このすべてが必要書類。メモを取りながら聞いていたものの、あまりの必要書類の多さにびっくりしてしまった水無月さん。同時に、「もっと早く産婦人科に行っていたら……」「陣痛タクシーを呼んでいたら……」と後悔するのでした。 水無月さんのように産院から出生証明書を書いてもらえなかった場合、出生届とともに必要書類を提出することが一般的です。ただし、必要書類は出産の状況や市区町村によって異なるため、電話や役所の公式ホームページにて確認しましょう。 監修/助産師 松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター ようみん
2023年07月10日ワンオペ育児で心身ともに限界上の子が2歳、下の子がまだ0歳だったときの話です。当時は父親の育児休業がほとんど普及しておらず、産後も主人はフルタイムで仕事。帰宅後も疲れてほとんど家事・育児ができない状態だったため、私はほぼワンオペでふたりの育児をしていました。上の子はイヤイヤ期まっただ中。言うことをきかず、ごはんを食べさせるのもお風呂に入れるのもひと苦労。下の子は昼夜のサイクルもまだ整わず、夜中に最低でも2回は起きて授乳。さらに主人と自分の食事をつくり、毎日の洗濯も……。寝不足と疲労で、正直もういっぱいいっぱいでした。健診で保健師さんが……そんな疲れとストレスの日々を送っていた中、下の子を健診に連れて行く時期になりました。正直、外に出るのも億劫になるほど疲弊していたのですが、行かないわけにもいきません。疲れた体を引きずって、会場へと向かいました。そこでは、保健師さんが現在の育児の状況を「うんうん」とうなずきながら聞いてくれました。第二子を産んでから、1人で大人の人と話す機会もほとんどなかったのでこれだけで少し心が軽くなったのですが、保健師さんは私の状況を把握すると、「お母さんがんばりすぎないでいいよ。手を抜いてもいいよ。夕食はたまにはカップラーメンでもいいじゃない」と。この言葉を聞いた瞬間、すべての力が抜けて、私はその場でボロボロと泣いてしまいました。保健師さんの言葉で自分らしさが取り戻せたあのとき、保健師さんの言葉で、自分が思っている以上にがんばり過ぎていることに気づきました。そして、自分を失ってまでがんばりすぎなくてよいことにも。その日をきっかけに、ときには冷静になって手を抜こうと意識できるようになり、徐々に明るく毎日を過ごせるようになりました。親が心に余裕をもつと子どもにも伝わるのか、単純に成長しただけなのか、上の子のイヤイヤも少しずつ落ち着くようになりました。本当に、あのときは保健師さんのひとことに、どれほど救われたかわかりません。あれ以来その保健師さんにお会いすることはありませんでしたが、今でも感謝しています。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。エピソード募集中妊娠中、子育て中に誰かに助けてもらって感謝していることはありませんか。そんな「ありがとう」の気持ちを込めたエピソードを募集しています。あなたのすてきな体験談を教えてください。投稿フォームはこちら
2023年07月08日赤ちゃんの顔はまだ見ることができず…(※画像は凛さんオフィシャルブログより)凛さんは元プロレスラーでタレントの北斗晶・佐々木健介夫妻の長男・健之介さんと昨年結婚し、現在は第一子を妊娠中。カナダで映像作家をしている健之介さんと一緒に暮らすために渡加し、出産に向けて過ごす日々をブログなどで公開しています。いよいよ妊娠後期となり、「出産前最後のウルトラサウンド(超音波、エコー)」を受けるため病院へ。妊婦健診では超音波(エコー)検査で赤ちゃんの様子などを確認しますが、日本の産科では毎回行うことが多いのに対して、凛さんいわくカナダでは「エコーが出産までに2~3回しかない」といい、この日が出産前最後のエコー検査だったそう。しかし医師から「お腹が小さい」と言われ、もう一度受けることになったそうで、凛さんはお腹の赤ちゃんの様子をもっと見たかったようで「2回受けれただけでもほんとに有難い」と綴りました。肝心の赤ちゃんは特に何も問題なく、「安定に元気」だったとのことでひと安心です。ただ、元気ではあるものの、エコーの際「日本にいた時から顔をちゃんと見せてくれない」という赤ちゃん。「頑張って時間かけて見れたのはたったの1回だけ」「いつも手と足で顔隠してる…」だそうで、この世に誕生するそのときまでお預けのようです。ちなみに健診には毎回夫の健之介さんが同伴し、医師たちの英語による説明を通訳してくれるのだそう。凛さんも頑張って聞き取ろうとはするものの、「ワーッて話されても受け答えができない」ため、とても助かっているそうです。すでに頼りになるパパですね。(※画像は凛さんオフィシャルブログより)(※画像は凛さんオフィシャルブログより)妊婦健診のエコー検査では何を調べてる?妊婦健診で行うエコー検査は、お腹の赤ちゃんの様子が見られる貴重な機会として楽しみにしている人も多いことでしょう。エコー検査では時期ごとに、下記のようなことを確認しています。妊娠初期(妊娠15週ごろまで)・正常妊娠かどうか(子宮腔内に胎嚢を確認)・胎児が生きているか(心拍動を確認)・胎児の数はいくつか(双子などの多胎か、またその場合は赤ちゃんを包んでいる膜[絨毛膜、羊膜]や胎盤などの数も確認)・妊娠週数はどうか(胎児の大きさ[頭殿長:CRLや児頭大横径:BPD]から計測)・胎児に大きな形態の異常はないか(胎児の頭、頸、胸、腹、手脚を観察)・母体の子宮や卵巣に異常はないか(子宮・卵巣の形態、子宮筋腫や卵巣腫瘍などの疾患の有無を確認)など中期~後期(妊娠16週ごろから)・赤ちゃんが正常に発育しているかどうか・子宮頸管長の測定※経腟エコーで行う・羊水の量・胎盤や臍帯の確認妊娠初期は、腟の中にプローブを差し込んで検査を行う経腟エコーになります。経腟エコーは周波数が高く、腟に近いところがきれいに見えるのが特徴です。妊娠中期以降は、診察台などにあおむけに寝た状態でおなかにプローブを当てて検査する経腹エコーになることが多いですが、妊娠中期以降でも子宮頸管長測定や前置胎盤などの診察では経腟エコーを行います。時期や観察部位などによって適した方で検査しますので、不明点があれば医師や助産師に尋ねてみましょう。参照:【医師監修】妊婦健診の経腹エコーはいつから? 経腟との違いとは
2023年07月07日40代後半から更年期障害や2型糖尿病を発症した経験により、私は年に一度、夫の会社の健康保険組合を通してファミリー健診を受けるようになりました。そして、健診のオプションにあった眼科検診を受けることで、まったく無症状のうちに進行する緑内障予備軍であることに気付いた体験をご紹介します。★関連記事:健診で「緑内障の疑い」に。再検査を受けたら思いも寄らない結果が!【体験談】眼科健診で高眼圧を指摘されるある年、いつも通り、夫の会社を通して定期健診を予約しようとしました。そこでふと目に入ったのが「眼科健診オプション」。そういえば、糖尿病内科の先生から眼科も受診するように言われていたことを思い出して、3,000円の眼底検査・眼圧検査オプションを追加しました。健診当日は眼底検査で使用する目薬のせいでいつもよりまぶしさを感じることがあるから、必ず公共交通機関で来院するようにと注意がありました。眼圧検査は片目ごとに空気を当てる、私が苦手なタイプの検査。ただ、眼底検査の目薬は痛みやまぶしさを感じることはありませんでした。後日届いた健診の結果を見ると、眼圧の値が正常より高すぎるため、早めに眼科を受診するようにとの記載が。まったく自覚症状がなかった私はとても驚いて、近所の眼科を初めて予約することにしました。高眼圧のため詳しい検査を受けることに健診結果を持って眼科を受診。改めて視力を含めた検査を受けました。診察室に入ると、先生から「目の見え方で気になるところはないか」と質問されました。私は何不自由なく日常生活を送っていることを伝えました。すると先生からは、「眼圧の値が28mmhgと高く、このままでは緑内障へと進行する可能性が高い」と説明があって、予約を取り直してもう少し詳しい検査をしたほうが良いと勧められました。単語としては聞いたことがあったけれど、どんな病気かもピンとこない「緑内障」。不安な気持ちを抱えながら帰宅することになりました。そして改めて予約した日に、視野検査と隅角(ぐうかく)検査を受けました。視能訓練士さんから、視野検査とは視野に欠損(欠けている部分)がないかどうかを調べる検査で少し疲れやすい検査であること、両目の検査が終わるまで30分程度かかると説明を受けました。光が見えるとボタンを押すように言われて検査が始まります。思ったより負担が少ない検査のように感じました。一方、隅角検査は涙が通る道がふさがっていないかを確認する検査だそうです。麻酔を点眼してからレンズを目にのせられるのがとても怖い印象でした。 検査の後で目薬での治療を始める詳しい検査の結果、今のところ視野欠損は認められず、詰まっていると眼圧が上がりやすくなる隅角と呼ばれる部分も詰まっていないことがわかりました。しかし、今の状態が「高眼圧症」という病気にかかっている状態であること、このまま高い眼圧を放置すると、いずれは緑内障へと進行する例が多いことについて先生から説明がありました。また、2型糖尿病で治療を続けているなら、定期的な眼底検査を必ず受けるようにとのことでした。先生の説明は、高血糖な状態が続くと血管がもろくなって、糖尿病の恐ろしい合併症である糖尿病性網膜症が起きる可能性があること、そうなった場合は失明するかもしれないこと、防ぐには自覚症状が表れる前に、定期的に眼底検査で目の中の血管に出血が認められないかを観察する必要があること、というものでした。そこで、私は眼圧を下げる目薬で高眼圧症を治療しながら、3カ月に一度眼底検査で網膜の状態を確認してもらうことになったのです。目薬はラタノプロストと言う名前のものを処方していただきました。1日1回朝に点眼を続けています。まとめ子どものころから視力が良く眼科を受診する機会がなかったので、私にとって正直なところ眼の検査は苦手なものが多いです。眼圧検査では毎回目を開けていられず閉じてしまうので、看護師さんにまぶたを押さえてもらっています。今回の体験を通して、軽く考えていた糖尿病の合併症の怖さについて先生からしっかりと説明を受けることができました。基本的な健康診断では眼については視力検査しかありません。しかし、眼科オプションを健診に加えたことで、自覚症状がないまま進行していく緑内障や糖尿病性網膜症が起きる可能性と高眼圧症に気付け、早期に治療を始めることができて本当によかったと感じています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。イラスト/サトウユカ著者/吉本まな(51歳)大学院生の息子と大学生の娘がいる晩酌が大好きな母。インテリアコーディネーターとライターを兼業中。40代後半からめまいや耳鳴り、体温調節ができないなど不調を感じ始めた。体重増加に不安を覚えて散歩の距離をのばしている。
2023年07月06日発達に遅れがあるとは思ってもいなかった0~3歳までの長男Upload By プクティ長男は生後1ヶ月で首が座ったり、5ヶ月でハイハイを始めたりと、体重も大きめ成長も早めな健康児でした。言葉も1歳になってから単語が次々と出てきて、気づけば2語文を話すようになり、2歳になると3語文をすらすらとしゃべっていたので、このときは特に発達に遅れがあるとは夫も私も全く思いませんでした。それに1歳半健診や3歳児健診のときも、何か発達について指摘されることもありませんでした。Upload By プクティ3歳で幼稚園入園、初めての集団生活。ところが…生まれてからずっと自宅保育で育てていた長男も3歳になり、いよいよ幼稚園へ通うことになりました。このままスムーズに幼稚園生活が送れる、そう思っていたのですが…。Upload By プクティ入園当初は登園を渋ったり、制服を嫌がったりしていた長男でしたが、徐々に慣れてくれて問題なく登園できるようになりました。幼稚園ではどのように生活しているのか気になっていましたが、入園から1ヶ月たったころに保育参観があり、幼稚園での長男の様子を見られることになりました。当日はとても楽しみに園へ向かったのですが、そこには目を疑う光景がありました。入園して最初の保育参観で目にした光景は…Upload By プクティそこには椅子に座らず、上履きも履かず、床に寝そべる長男の姿がありました。ほかの子どもはきちんと先生の言うことを聞いて歌ったり踊ったり、製作したり。長男はどれにも参加することはなく、ときには教室を出て行ってしまう場面もありました。その姿を見てショックではありましたが、このときはまだ入園してすぐでしたし、保育園へ行っていない長男には初めての集団行動、さらには早生まれということもあるので、これから徐々に慣れていってくれるだろうとあまり重く考えてはいませんでした。保護者面談で告げられた、予想外の言葉そして、1年目の園生活も後半にさしかかったころ、保護者面談の機会がありました。長男がどのくらい園で成長しているのか先生に聞くのを楽しみにしていたのですが、先生から伝えられたのは思いもよらない言葉でした。それは…入園当初から長男の様子は変わっていないということ、そして発達支援センターに連絡をして療育に通ってほしいということでした。Upload By プクティこのとき初めて長男に発達の遅れがある可能性を知り、その後発達支援センターや療育医療センターへ通った結果、長男に知的発達症があることが発覚したのでした。知的発達症と分かってからもいろんな問題や出来事がありましたが、徐々に成長もしている長男。そんなわが家のエピソードをお届けできたらと思います!執筆/プクティ(監修:室伏先生より)知的発達症と診断されるまでの長男さんのご様子とプクティさんのお気持ちを共有してくださり、ありがとうございました。予想していない検査結果、診断で、受け止められるまでの葛藤やご不安があったことと思います。お母さま、お父さまというのはさすがで、お子さんの伝えたいこと、想いを汲み取るのがお上手ですし、お子さんも言葉で伝えられないことをジェスチャーなども駆使して上手に伝えてくれることもあるので、ご家族との間ではコミュニケーションに困っていないことも多く、ご家庭で気がつくことは難しい場合もあるかと思います。言語の発達については、1歳~1歳半ごろまでに単語の発語がみられ、2歳ごろには2語文が出てきます。このころまでに、簡単な指示に従う、「〇〇どれ?」の問いに指差しで答える、身体のパーツの名称を理解する、などができるようになります。3歳では、3語文が出てくる、自分の名前が言える、大小や長短などの形容詞や色の理解ができる、などが可能となってきます。4歳では、同じ年代のお子さんと言葉でのやりとりができるようになってきたり、数概念(3こちょうだい、などの指示に応じられる)の理解も進んできます。5歳になると、じゃんけんなどの簡単なルールが理解できるようになったり、左右の理解、ひらがなの読みなどが進んできます。個人差もありますし、年齢が進むにつれて遅れが目立ってくることもあり、健診では指摘されないこともあります。ご不安や違和感を感じられたら、まずは園の先生にお話を聞いてみるでもよいでしょうし、発達相談の窓口へも気負わずにご相談いただけるとよいかと思います。今後もプクティさんからのエピソード、楽しみにしております。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年07月06日不安な気持ちを吐露 この投稿をInstagramで見る 手島優 tejimayuu(@tejimayuu0827)がシェアした投稿 手島優さんは2022年11月に一般男性との結婚を発表し、先日第一子の妊娠を報告。Twitterでは「今すでに安定期に入り出産は10月下旬ごろを予定しております」と投稿し、「41歳になってからの初産ということもあり完全なる高齢出産など、初めてのことだらけで不安もありますが無理せず体力も付けつつ、まずは無事に出産出来るまで心身ともに健康に過ごしたいと思っておりますので温かく見守ってくだされば幸いです」と、不安まじりの気持ちも明かしていました。妊娠して食の好みが変化することはよくありますが、手島さんは「妊娠してると酸っぱいもの食べたくならないですか?って聞かれるのだけど私は全然」「酸っぱいものは酸っぱくて…食べたい!飲みたい!とは特になってません」だといい、妊娠前と比べて味覚の変化を感じることはないそう。味覚が変わらないことに「良いなぁ」と言われることもあるものの、「こんなに何も変わらないことに逆に不安になったりもします」という手島さん。7月3日にはブログで妊婦健診に行ってきたと明かし、「最近は胎動も感じるようになり愛おしさも増しています」「エコー中もピョコピョコ動いてて先生にも伝わってました」と、お腹の赤ちゃんはとても元気な様子です。週数より少し大きく育っているといい「悪いことではないみたいですが、私自身が大きくなり過ぎては母子共に良くないので今まで以上に体重管理をしっかりやっていこうと思います」と、急激な増量をしてしまわないよう、あらためて意識したといいます。妊婦健診の頻度は、妊娠23週までは4週間に1回ですが、手島さんは「仕方ないけど…正直今の時期の月一だけの健診って不安」「もっとエコー見てたいし、先生の話とかじっくり聞きたい。毎日でも。笑」と本音も。初めての妊娠は特に、お腹の赤ちゃんがどんな様子かどうしても気になってしまいますよね。ちなみに健診は妊娠24週〜35週では2週間に1回、妊娠36週〜出産までの間は1週間に1回の頻度になります。妊娠すると好きな食べ物が変わる?妊娠してから味の感じ方が変わったという妊婦さんは少なくありません。特に「妊娠すると酸っぱいものが食べたくなる」とよく言われますが、酸味のあるさっぱりとした味は確かにつわりの最中でも比較的食べやすい/飲みやすい食品のひとつとして挙げられます。それ以外にも、下記のものはつわり中でも口にしやすいことが多いようです。・水分の多いもの例:みかんやグレープフルーツなどの柑橘系の果物、バナナ、桃、スイカ、りんご、 梨、イチゴ、トマト、お粥、お茶漬け、スープ など・口をすっきりさせるもの例:飴、グミ、ガム、氷、炭酸水>、冷たいもの<プリン、ゼリー、アイス、ヨーグルト など・味が濃いめのもの例:お好み焼き、果汁ジュース、梅干し、乳酸飲料 など・香りが強くないもの例:水、お茶 など妊娠中の食の好みの変化は人によって様々で、「辛いものが食べられるようになった」「好きな梅干しが食べられなくなり、あんこが無性に食べたくなった」「大好きだったスナック菓子などが、全く食べられなくなった」「あれだけ好きだったお好み焼きのソースのにおいや味が嫌になった」といった声もあるなど、人それぞれ。それまで好きだった嗜好品がまったく食べられなくなったり、反対に嫌いだった食べ物が好きになったり……特定の食べものに激しく反応することもあるようです。ただ、妊婦さん全員につわりがあるわけではなく、症状の強さも人それぞれで、つわりに苦しむ人もいれば、出産するまでマイナートラブルとは無縁な人や、つわりの症状がとても軽くて気付かなかったという人もいます。定期的に妊婦健診を受け、何か心配事があればかかりつけの産科に相談しましょう。
2023年07月05日婦人科疾患は日常生活では気づきにくいものもあります。中には、妊娠中の妊婦健診で異常が見つかることも……。そこで今回のMOREDOORでは、「婦人科疾患に気づいたきっかけエピソード」をご紹介します。監修者:ひなたクリニック院長、三橋 裕一1964年生まれ。福島県会津若松市出身で2007年に札幌でひなたクリニックを開業。産婦人科医の傍ら、総合格闘技のリングドクターとしても活動。新事業の『内診台を使用したVIO脱毛』に日々奮闘中。Sさんの場合……私の場合は、子宮筋腫でした。第2子妊娠中に妊婦健診で、子宮筋腫があると指摘されました。指摘があるまで自覚症状はありませんでした。「子宮筋腫があるね。今後、大きくならないか産後も定期的に診せてね」と医師から言われたので、産後に婦人科で受診しました。どんな治療を受けましたか?出産後に同じクリニックで定期的に経過観察をしてもらっていました。出産から2年ほど経過したため、MRIで検査をしたところ子宮筋腫が5cmほどになっていました。今後、月経が続く限り子宮筋腫が大きくなり続ける可能性があり、月経量が増えたり貧血などの症状が出たりする場合もあるため手術をすすめられました。私の母も子宮筋腫で子宮全摘手術をしていたので、全摘しなければならなくなる前にと思い、子宮筋腫摘出術を受けました。お産でお世話になっていたので先生への信頼があり、人生初の手術でしたがあまり不安は感じずに手術を受けられました。周囲の方に打ち明けましたか?まずは経験者である母に話してから、主人にも話をしました。「できるだけ早く手術してもらった方がいいだろう」と手術をする方向に話が進みました。母は自分の経験を話してくれ、先生を信じてすべてをお任せするようにと励ましてくれました。世の女性陣へ伝えたいことは?婦人科の診察を恥ずかしく感じる方もいらっしゃると思いますが、自分の体のことなので定期的に見てもらうことは大切だと思います。私は妊娠中に子宮筋腫を見つけてもらいましたが、妊娠・出産のときだけでなく、定期的に婦人科検診を受けておくと、いざというときに相談しやすいと思います。※毎月の生理が「いつもと違う」「量が多い」と感じたり、「健診や他の病院で貧血がある」と言われたら、なるべく早めに婦人科に行くことをおすすめします。かかりつけの婦人科医をもつのもよいので、検討してみてください。定期的な婦人科検診を……第2子妊娠中の妊婦健診で、子宮筋腫が見つかったというSさん。Sさんは子宮筋腫摘出術を受けたようですね。皆さんも定期的な婦人科検診を心がけ、いざというときに相談しやすいかかりつけ医を見つけてみてくださいね。今回は「婦人科系疾患に気づいたきっかけの話」をお届けしました。※監修医:ひなたクリニック院長、三橋裕一※この記事は編集部に寄せられた実話ですが、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。(MOREDOOR編集部)
2023年07月01日産院ではスヤスヤとよく寝ていた息子、退院したら豹変!?想像以上に大変だった新生児期。予定日より5日ほど早く産まれてきた息子。入院中、病室では全く泣くことなく良く眠る赤ちゃんでした。寝息も聞こえないくらい静かだったので、息をしてるか何度も確認していたのをよく覚えています。そして完全母子別室の産院だったので、授乳時以外は助産師さんがほとんどお世話してくれて、夜もぐっすり眠ることができました。ベッドに寝ているだけで、高級レストランのような食事が運ばれ、赤ちゃんはスヤスヤとよく眠り、母親としてやることは授乳だけ…。まるで天国のような入院生活でした(笑)。そんな入院中、唯一の不安は授乳でした。今思えば息子の吸啜(きゅうてつ)力も少し弱かったのと、私も初めての育児だったこともあり、30分以上かけて授乳しても体重を計り比べてみると1グラムも増えていないことがほとんどでした。しかしここでも、母乳が足りない分はミルクを足してくれる産院だったので、入院中に息子のお世話に大変さを感じることはあまりありませんでした(フラグ)。Upload By 海乃けだまいざ退院してくると、息子は入院中とは別人のように豹変しました(早すぎるフラグ回収)。産院では授乳の終わりと共に、抱っこだけでスヤスヤと寝ていたのに(むしろ授乳中に寝ていた。笑)、退院した途端に抱っこで歩きながらでないと寝なくなりました。しかも背中スイッチも装備され、産後ボロボロの身体でなんとか抱っこして寝かしつけても、布団に下ろすと目を開ける…(恐怖)。あの手この手でやっと布団に寝かせても、膝がパキッとなるだけで簡単に目を開ける敏感過ぎる息子。この終わりのないループを幾度となく繰り返し…気づくと次の授乳時間が迫っていました(白目)。Upload By 海乃けだま息子が寝ない間、気晴らしに見ていたのがスマホでした。当時の私の脳内は息子のお世話で育児一色だったので、自然と育児関連の記事を見るようになりました。少しでも気になることがあれば、スマホですぐに検索するようになっていました。そしてその習慣がいつしか産後のホルモンバランスと睡眠不足も相まって、思考をだんだんとネガティブにしていき…スマホの息抜き時間はいつの間にか“検索魔”となっていったのでした。真夜中の薄暗い部屋で調べれば調べるほどだんだんと怖くなり、さらに眠れなくなる…という悪循環でした(検索魔、本当良くないですよね。汗)。運動面の発達がゆっくりなのは少し気になっていたけれど、特性に気づかずに見逃していた日々…。1ヶ月健診を終え、保健センターの親子イベントにも参加するようになりました。そこで出会った息子と同学年の親子と仲良くなり、よく遊ぶようになりました。とはいいつつも、まだまだ家の中での生活が長かったので、あいかわらず膝が「パキッ」となるだけで起きる敏感な息子を起こさないよう忍びのような生活を続けていました。3~4ヶ月になるころにはだんだんと起きている時間も増えてきて、“検索魔”になる時間もとれなくなっていました。母子手帳の3~4ヶ月ごろの記録ページに「あやすと良く笑いますか?」という項目があるのに、息子が“あまり笑わない赤ちゃん”ということが少し気になってはいましたが、全く笑わないということはなかったため「こんなもんかな…」とスルーしていました(いや今検索してー)。そしてこれは下の子が産まれてから気づいたのですが、息子は赤ちゃんのころから物音に敏感なところがある反面、音のする方を気にして見ようとしたり、追視することがほとんどありませんでした。ママ友とは定期的に会っていて、子どもたちの成長・そのときの困りごとなど話し合っていました。離乳食が進まないことや、スプーンの持たせ方など話していましたが、息子はスプーン以前に手がベタベタするのを極度に嫌がり、手づかみ食べすらしていませんでした。このころから少しずつママ友との悩みがズレ始めていたように思います。8~9ヶ月あたりを過ぎたころ、少しずつ周りの子どもたちよりも息子の運動面の発達が遅れていることが目立つようになってきました。ハイハイやつかまり立ちする子どもが出てくる中、息子はお座りの一点張りでした。正確には、お座りの姿勢から動けない…の表現が正しいかもしれません。息子はそれまで寝返りをすることが一度もなく、自分でお座りの姿勢までもっていくことができなかったのです。私がお座りの状態にさせて、後ろに倒れてしまったときは起き上がれないので(寝返りをしないので)、泣いて私を呼ぶという状態でした。運動面の遅れを感じながらも、個人差だろうと安易に考え息子のペースでハイハイしてくれるのを待っていました。Upload By 海乃けだま集団健診で声をかけられるものの、様子見にしてしまった私…ちょうど息子が1歳になろうとするころは、バタバタしていてママ友と遊ぶ機会も減っていました。そんなとき、集団健診の時期がやってきました。相変わらずハイハイはできないものの、このころには息子も寝返りを習得していたため、お座りの姿勢まで自分で持っていくことができるようになっていました。健診の時間がちょうどお昼寝時間とかぶっていたこともあり、健診にきていたほかの子どもたちも泣いていたり、歩き回っていたりと、割といろんなお母さんたちが大変そうにしていました。そんな中、まだ歩けない息子は私が抱っこすると大人しく抱っこされていたため、特段大変とは思いませんでした(このときそう思ってしまったことが後々に響くとは知らずに…)。ほかの子どもたちが健診を終えて帰って行き、息子が呼ばれたのは最後の方でした。案の定お昼寝できずに不機嫌な息子は、発達検査のテストはほぼできませんでした。健診のころには今思えば分かりやすく特性が出ていた息子。手先の感覚が過敏で手づかみ食べをせず、一粒でもご飯粒が手につこうものなら、全力で手をブンブン振って払おうとするので、食後はそこらじゅうに米粒が飛び散っていました。また、机に置かれた「おしぼり」もすごく嫌がり、一切触ろうとしませんでした(“おしぼりの防波堤”を作っておけば、それ以上手を出してくることもなかったので、外食の際には重宝していました。笑)。そしてあまり笑わない・目が合いにくい、名前を呼んでも振り向かない・運動面もゆっくりでハイハイをしようとしない…指差しもしない。とにかく反応が少なかった息子なので、保健師さんも言葉を濁しつつ「育てにくいと思ったことはないですか?」と聞いてきましたが、私は初めての息子の育児で「こんなもんやろ」と思い込んでしまっていたのと、呼ばれるまでの間に私よりもっと大変そうな親御さんがたくさんいると感じていたので、こんな私が大変だなんて言えないと気持ちに蓋をしてしまったのです。そして…保健師さんの様子観察の提案に対する私の言葉は「大丈夫です」でした(あぁーーー…←心の叫び)。Upload By 海乃けだま今まで可愛いと思っていた行動が特性だった⁉︎メンタルはどん底に…1歳1ヶ月を過ぎたころ、息子はついにハイハイを習得し徐々に表情も豊かになっていました。このころに気に入っていた遊びは、表裏柄の違う薄っぺらい布や、葉っぱなどを目のすぐ横でヒラヒラとさせることでした。ある程度勉強した今ならすぐに、「同じ行動を繰り返す」という、ASDの特性の一つ「常同行動」では?とピンときますが、当時はただただ「ニコニコしながら布などを振る」その謎の行動が可愛くて仕方ありませんでした(親バカ炸裂)。Upload By 海乃けだまようやく新居への引っ越しも落ち着いたころ、ママ友と久々に会うことになりました。たった2~3ヶ月会わないだけでママ友の子どもは喃語から単語を少し話すようになっており、母親のお話に対して“はい/いいえ”の意思をしっかり示していました。このころの息子はと言うと、名前を呼んでも10回に1回振り向くかどうか、単語はおろか母親である私でも解読不可能な喃語パラダイスでした。未だに指差しもなく、欲しいものがあるときは「あー!!」とぐずるスタイルでした。それでも産まれてから片時も離れず、1日中一緒に過ごしていたので、指差しや発語がなくてもだいたいの息子の要求は汲み取れていました。…が、さすがに無知な私もこのころから「…あれ…なんか息子、ちょっと様子が違うかも…?」と思うようになりました。そう感じてからは児童館へ行っても、スーパーへ行っても、公園に行っても、同じ月齢の子どもを無意識に見ては、息子との差を比べてしまっていました。ただただ「息子と同じくらいの発達の子どもはいないか」と、自分を安心させたい気持ちだけでした。しかし…どこへ行っても息子ほど反応が少ない子どもはいませんでした。私の疑問の気持ちは確信に変わっていきました。それでも息子の時間は過ぎてゆく…1歳半健診を待てずに発達相談したあの日。次のステップへ進むために。真っ暗闇の出口の見えないトンネルに息子と2人きりでとり残されている心境でした。「妊娠中の食べ物がよくなかった?」「産むときに何かあったんじゃ…」「私の育て方が下手なせいで…」答えなんてないのに、自問自答を繰り返していました。発達障害は母体の環境や親の育て方は関係ないと言われていますが、自分を責めずにはいられませんでした。食事も喉を通らなくなり、1週間で3キロ痩せました。少しでも暇があれば発達障害について調べるようになり、“特性があったけど発達障害ではなかった”という記事を見つけては、ほんのひととき安堵するも、また目の前の息子を見ているとやっぱり発達障害があるんじゃないか…と育児が楽しめなくなっていた自分がいました。モヤモヤした気持ちのまま息子と過ごしていましたが、発達障害のことを調べていくうちに“早期療育”の文字が目に入りました。息子の貴重な幼少期、「少しでも早く環境を整えてあげたい!!」と1週間後に迫っていた1歳半健診を待てず、気づくと発達相談の予約窓口へ連絡をしていました。発達相談の日、保健センターの発達相談員さんに新版K式発達検査を実施してもらった結果、息子の発達年齢は「10ヶ月程度」と言われました。息子はそのとき1歳10ヶ月でした。頭によぎるのは、夜寝なかった乳児時代の息子、ヒラヒラと布を揺らして喜んでいた1歳のころ…あのときから行動に移していれば、息子にもっと早く療育を受けさせてあげられたのに…後悔ばかりが募っていました。Upload By 海乃けだま後ろばかり見ていた私でしたが、「とにかく息子のために今できることをできる限りやるしかない!」と夫と共に病院へ行き、療育先を探しに行きました。正直なところ今でも「息子にASDがなかったら、どんな子どもになったんだろう」と思わない日はありません。でもそんなとき、超楽天家な夫は「息子は息子やん!おもろいやん!」と私のネガティブな気持ちを軽く吹き飛ばしてくれます(吹き飛ばない日も多々あります(笑))。Upload By 海乃けだま私自身、息子が発達障害かもしれないと落ち込んでいたとき、藁にもすがる思いで見ていた発達障害に関する記事に背中を押してもらいました。この私の体験談が、誰かのお役に立てれば幸いです。執筆/海乃けだま(監修:室伏先生より)けだまさん、発達障害かもと思われたきっかけや、療育へ繋がるまでのエピソードを具体的に共有していただき、ありがとうございました。もっと早く療育を受けさせてあげられれば、と後悔があると書いてくださっていますが、1歳半健診よりも前に発達相談窓口にご連絡されたとのことで、とても早い段階で発達相談や療育につながれたのではないかと思います。もちろんお子様、ご家族が直面しているお困りの内容にもよりますが、3歳児健診で指摘されたり、就学前の段階で園の先生からご相談があったり、ということを契機に医療や療育につながる方が多いように思います。就学後や、成人になってから診断を受けられる方も少なくありません。自閉スペクトラム症の場合、1歳のお誕生日を迎える前の段階では、夜泣きや癇癪が強い、逆にとてもおとなしい、人見知りをしない、あまり笑わない・目が合いにくい、名前を呼んでも振り向かないなどの徴候が見られることもありますが、受診をしていただいてもその時点での診断は難しく、コミュニケーションの発達(言語発達だけでなく非言語的なコミュニケーションも含みます)、遊び方の発達、情緒の発達、感覚の偏りなどを見て、総合的に判断していくことが多いです。発達障害であるかどうかについて判断がつきにくい時期であっても、発達に関して不安な点があれば、ぜひ発達相談や受診を考えてみていただきたいと思います。けだまさんは、発達相談につながるまで、ママ友とも悩みごとを共有できないままに、お一人で悩まれたり、自分を責めてしまったりと、おつらかったですね。時間のかかる寝かしつけや、手の感覚過敏などもあり、育児も本当に大変だったことと思います。発達に関して相談することは、勇気のいることかもしれませんが、早期に療育機関につながりやすくなったり、関わり方のアドバイスをお伝えできたり、睡眠の困難さに対しては必要に応じて薬物治療を検討できたり(成人で使用される睡眠薬とは異なり、眠るためのホルモンを調整するようなお薬があります)と、いろいろメリットがあると思います。自閉スペクトラム症は関わり方が原因で発症するものでは決してありませんが、家庭でできる療育的な関わりにより、言語や社会性の発達を促すことも期待できます。1歳半健診では、言葉が出ているか、アイコンタクトや模倣、表情などの非言語的なコミュニケーションが育っているか、などを確認していますが、短時間の診察になりますし、個人差もあるため、多少のおくれがあっても指摘されないこともあります(3歳児健診も同様です)。健診で指摘がなくても、不安や違和感を感じた時点で相談を検討していただければと思います。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年06月30日ある日、同学年の子どもが集まるイベントに参加した1歳5カ月のたまお君とママ。ひとりだけ様子が違うたまお君を見て、だんだん心配になってきました。息子の発達に不安を覚えたママが療育に通う決断をするまでの体験談マンガです。2度目の療育センターでの面談で、ついに医師に診察してもらえることになったたまおくん。たまおくんの足を確認した医師から「通常よりは遅いかな~」と言われてしまいました。 今後の方針について聞いてみると、「たまおくんの今後についての方針が決まりましたらご連絡します。3カ月ほどかかります」と言われ、事が進まないことにまたしてもイライラするママ。 またしても不安な日々を過ごすママでしたが、1歳半健診から1カ月が経ち、再検診を受けることに……。 やっぱり息子が立たないなぁ…※再検査 ※兄弟児→きょうだい 1歳半健診で「1カ月後に様子を見てみましょう」と言われていたママとたまおくん。再検査の日がやってきますが、たまおくんはこの日も立てませんでした。 「大きな病院で検査してもらう?」と医師に言われ、地域の総合病院に行くことに。しかし、今回も予約は1カ月先で「ここでもか……」とママは疲弊してしまいます。 すると、療育センターから1本の電話が! 予約のキャンセルが出たため、早めに通えることになり、少しだけホッとしたママでした。 ◇◇◇ 原因がわからない以上、親がしてあげられることといえば病院などに連れて行ってあげることなどサポートのみ。早めに療育センターに通えることになって、本当によかったです。1日でも早くママの肩の荷が下りる日が来るといいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター くら
2023年06月24日ある日、同学年の子どもが集まるイベントに参加した1歳5カ月のたまお君とママ。ひとりだけ様子が違うたまお君を見て、だんだん心配になってきました。息子の発達に不安を覚えたママが療育に通う決断をするまでの体験談マンガです。1歳半健診で医師に「筋肉もあるし、歩けると思うけど」と言われたものの、結局、足が曲がってしまい、立てなかったたまおくん。 1カ月様子を見て、それで立てない場合は大きな病院を紹介してもらうことになりました。 その後、療育センターの2度目となる面談の日がやってきて……。 うちの子の成長って遅い? 2度目の療育センターでの面談で、ついに医師に診察してもらえることになったたまおくん。 たまおくんの足を確認した医師から「通常よりは遅いかな~」と言われ、ママは「わかっていたけど、遅いって言われるとちょっとくるものがあるな……」と少し落ち込んでしまいました。 今後の方針について聞いてみると、「たまおくんの今後についての方針が決まりましたらご連絡します。3カ月ほどかかります」と言われ、事が進まないことにまたしてもイライラするママ。 文句や愚痴を言えるはずもなく、またしても不安な日々を過ごすママでした。 ◇◇◇ ママのおかげで少しだけ前進しましたが、まだまだ心配な日々は続きます。一刻も早くたまおくんとママにとっての、最善の治療方法などが見つかるといいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター くら
2023年06月23日ある日、同学年の子どもが集まるイベントに参加した1歳5カ月のたまお君とママ。ひとりだけ様子が違うたまお君を見て、だんだん心配になってきました。息子の発達に不安を覚えたママが療育に通う決断をするまでの体験談マンガです。自力で立てないたまおくんのことを心配して、療育センターに行ったたまおくんとママ。結局、問診だけで医師に診察してもらえず、モヤモヤした気持ちでいっぱいでした そんな中、1歳半健診に出向いてみると……。 なぜ? 診察室から看護師さんの笑い声 ※看護師 1歳半健診に出向いたたまおくんとママ。医師は「筋肉もあるし、歩けると思うけど」と言い、たまおくんを診察台に乗せます。 診察台に乗せられたたまおくんは大泣き。医師から「お母さんが抱っこしてくれる確信があるから立たないのかも」と言われ、ママは診察室の外に出ることに。診察室の中からはたまお君の泣き声と、なぜか看護師さんの笑い声が聞こえてきます。 看護師さんによると、ママの姿が見えなくなったあとに「ママがいないなら、こっちだ!」という様子で先生に抱っこを求めてきたそう。そんな姿をかわいい~と言ってくれたのでした。 結局、足が曲がってしまい、立てなかったたまおくん。1カ月様子を見て、それで立てない場合は大きな病院を紹介してもらうことに。むしろ早く病院を紹介してもらい、立たない理由を知りたいと思ったママでした。◇◇◇ 医師にたまおくんの様子をやっと相談することができました。しかし、立てない明確な理由はわかりません。ママにとっては長く感じる1カ月ですが、その間に良い変化があるといいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター くら
2023年06月22日2歳で開始!教科書通りのトイレトレーニング最初にトイレトレーニングを開始しようと思ったのはスバルが2歳になる前でした。なぜなら、私の手元にあった育児書に「トイレトレーニングスタートの目安は1歳半~2歳」と書いてあったからです。第一子で育児の知識もなく、ワンオペ育児で実家も遠く、出産直前でこの地に引っ越して来たので友達もママ友もいない。そんな私は完全にその育児書通りにものごとを進めようとしていました。1歳半の時点で言葉の遅れを指摘されているし、もはや育児書通りのスケジュールで成長してくれていないのですが、ほかに道しるべがないので「教科書通りに」「普通に」「一般的に」にこだわって、当時の私は頭がガチガチになっていたように感じます。育児書のアドバイス通りに子ども用便座と踏み台、かっこいいパンツにご褒美シールを用意して準備万端です。育児書には「便座を怖がる子がいる」と書いてありましたがスバルは平気そうでした。可愛く飾りつけしたトイレを楽しそうに眺めるスバルを見て、「これは案外早く成功するのでは?」と思いました。それから毎日時間を決めて定期的にトイレに座らせましたが1度もおしっこが出ることはありませんでした。そうじ洗濯を覚悟して天気の良い日にトレーニングパンツを履かせてみましたが、漏らすどころか尿意を感じると勝手にオムツに履き替えて用をたしていました。ならばと、オムツを隠すと血管が切れそうなほどの真っ赤な顔でおしっこを我慢していました。そのままトイレに座らせてみても「うわあああ!」と断末魔の叫び声を上げながらもおしっこは出ないのです。私も粘ったのですが、このままでは本当に血管が切れてしまうのでは?と思うほどの赤を通り越して赤紫になった顔を見て堪らずオムツを履かせてしまうのでした。Upload By 星あかりこんなパターンは育児書にもインターネットの体験談にも載ってないんですけど。数ヶ月頑張りましたが、冬が来てトイレで長時間粘るには寒すぎるので一時中断することにしました。その後はプレ幼稚園に通い始めたり、なんだかんだで発達検査を受けたり、自閉スペクトラム症と診断されたり、療育に通い始めたり、プレ幼稚園を退園になったり、新しい幼稚園を探したり、と怒涛の日々を過ごしていたためトイレトレーニングは完全に後回しになってしまいました。後回しというより、トイレトレーニングにまで手を出す余裕がありませんでした。自閉スペクトラム症と診断され「これは想像していたより長くオムツとつき合うことになるかも」と思いました。オムツが外れないまま幼稚園に入園そしてスバル3歳の春、幼稚園入園直前、私たちはトイレで2歳のころと同じことを繰り返していました。2歳のスバルはほぼ発語なしでしたが、3歳のスバルは「しっこ、でる」と事前に言うことができました。トイレに連れて行くと、すんなり便座に座るので嫌がってはいないようですが、結局顔を赤紫にして泣き叫んだあげくおしっこは出ないのでした。スバルはオムツが外れないまま幼稚園へ入園しました。幼稚園は「オムツ外れてなくて全然大丈夫!幼稚園で頑張りましょう!」という方針で安心していました。しかし、この幼稚園には備えつけのプールがあり、6月のプール開きから10月のプール納めまで、天気の良い日はほぼ毎日プールに入ると聞き、一気に不安になりました。なぜなら、オムツが外れてない子どもは大きいプールではなく、プールの横に設置した小さなビニールプールに入ることになるからです。小さいプールで毎日スバルが1人きりだったらどうしよう…。幼稚園へ入園して1週間がたち…どうなるトイトレ!?入園して1週間ほど経ちました。幼稚園へお迎えに行くと園舎から保護者が待機する昇降口まで聞き慣れた叫び声が響き渡っていました。スバルの断末魔の叫びです。これはまさに今、スバルはトイレにいると思って間違いないでしょう!スバルの叫び声をBGMにお友達は次々と帰宅して行きました。私が祈るような気持ちで待っていると叫び声がピタッと止み、しばらくしてヨレヨレの先生に手を引かれたヨレヨレのスバルが登場しました。叫び声の長さからして大変な時間を過ごしたと思われる先生が「スバルくんさっき初めておしっこ成功したんですよ~」なんてサラッと言うもんだから、もう頭が上がりません。私と先生とたまたま近くにいた名も知らぬ保護者のみな様とスバルを褒め称え、先生に何度もお礼を言い帰宅しました。Upload By 星あかり私は気合いに満ち溢れていました。そう、これはゴールではなくスタートなのです。先生が頑張って成し遂げてくれた第一歩を無駄にしないように、このあとは私が2歩目、3歩目を成功させていかなければならないのです。そんな気持ちで埃をかぶったご褒美シールを引っ張り出していると、スバルがいないことに気がつきました。リビングから出てみるとトイレへ向かう廊下にスバルのズボンとパンツが落ちていました。まさかと思ってトイレへ向かうと、なんとスバルがトイレでおしっこをしている真っ最中でした。自分でズボンを脱ぎ、子ども用便座を自分で設置しおしっこをしていました。そしておしっこが終わると便座から降りて子ども用便座を元の場所に戻し、手を洗い、脱ぎ落としたパンツとズボンを履きながらリビングに戻って行きました。それは今日初めてトイレ成功した人の所作ではないのよ。ずっと前からオムツ外れている人の所作なのよ。その後はずっと「ぼく前からトイレでしてますけど」みたいな顔してトイレでおしっこをしています。それからしばらくして、大きい方も同じ方法(さらに長時間粘る方法)で家で成功させました。それからずっとパンツです。そしてプール開き!濡れた水着が1人で脱げないみたいな問題はあったものの、無事大きなプールでみんなと遊ぶことができました。もう少しあとから気づいたことですが、どうやらスバルは1度定着した動きやクセ、ルーティーンを変更するのにものすごく時間とパワーが必要なようです。その後も育児書に載ってないタイプの成長をするスバルを目の当たりにし、いつしか育児書は読まなくなりました。発達障害のある子どもの子育ては育児書の通りには進まず、灯台の明かりが消え、まるで道しるべを失った船のようだと思ったこともありました。でも育児書を手放したことは「教科書通り」に縛られていた心を少しだけ軽くしたかな、とも思います。現在もトライ アンド エラーでスバルオリジナルの成長方法を探しています。執筆/星あかり(監修:初川先生より)スバルくんのトイトレエピソードをありがとうございます。おしっこはおむつにするもの、トイレ(便器)にするものではない。そうしたスバルくんのルーティンを変えるのは本当に大変だったことと思います。園にもよりますが、幼稚園や保育園の先生はさすがトイトレへのサポートを慣れていらっしゃいます。今こそというタイミングをうまく活かしてくださったこともあるのだと思います。また、家でたくさん練習していてもうまくいかずとも、園での集団生活の中で、ほかのお子さんがうまくやれていることにお子さん自身が気づいて頑張りだすこともあるでしょう。少し遅めのトイトレだとしても、頭での理解が進んでいる場合はその後がスムーズなこともあります。スバルくんは一度トイレで成功すると次からはとてもスムーズにできるのですね(思わず笑ってしまいました…これまでの苦労は一体、と思いますね)。それほどに、ルーティンを変えることが難しく、また一度定着したやり方は継続しやすいということですね。これはスバルくんの今後のさまざまな成長発達を支える上でのヒントになりますね。さて、今回、あかりさんはトイトレを自宅でがんばろうとし、また、間に合わなかったこともあり、園での生活の中でトイトレを継続しました。育児書を読んでがんばってみることももちろん良いのですが、発達的な特性のあるお子さんについては、例えば子育てひろばのようなところで、あるいは、地域の子ども家庭支援センターといった場で、トイトレなどに関してのご相談をしてみるのも一つです。育児書と同じような発達をしている場合には育児書は有効ですが、オリジナリティある道のりを進んでいる場合、育児書をもとにすると精神的に負担になることも考えられます。そういう場合には子育て相談を利用するのも一つです。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年06月16日韓国人の夫と国際結婚をしたあゆみさん。3回の流産後、44歳で自然妊娠した体験をマンガで紹介します。妊娠を産院で確認し、経過が順調だったことから久しぶりに日本へ帰国することに。しかし、実家に着くと、動画視聴やゲーム三昧の息子を見て、「こんな子になっちゃって」と両親に言われてあゆみさんは傷ついてしまいます。その後も反発する様子を見て「あの態度はない」「すぐキレる病気なんじゃないか」とまで……。あゆみさんの両親は孫たちに動物を見せてあげたいと、サファリパーク旅行を計画してくれました。しかし、タブレットをめぐってあゆみさんと息子は衝突。息子は「行かない」と言い、機嫌を損ねる始末……。 そんな様子を心配したあゆみさんの両親は、何かとアドバイスをしてくるのですが――!? 小2でこれじゃあ… 日本での滞在も残りわずかとなっていたころ、両親から息子を一度病院に連れて行ったらどうかと提案されます。しかし、日本に来る前はここまでひどくなかったことや、学校での評価もよく、今のところお友だちとのトラブルもないことから、あまり気がすすまないあゆみさん。親にとっても大切な孫。心配してくれているのはわかっているけれど、両親はずっと一緒に暮らしていたわけではありません。限られた期間に見た息子の様子で決められるのは納得がいかなかったのです。 今の状況がつらくなってしまったあゆみさんは、何かヒントがあるのではないかと思い、以前に受講した心理学の講座の録画を見直しました。 そこで気づいたのは、息子の「言葉にならない思い」と、子どもにさみしい思いをさせてきたのに「子どもに謝れていなかった」こと。これまで振り回されてきた息子の行動も、少し理解できたような気がしました。 慣れない育児に奮闘しながら家事をこなして……毎日忙しいママ。子どもをないがしろにしたりバカにしたりするつもりはなくても「あとでって言ってるでしょ」「忙しいんだから邪魔しないで」などとつい怒ったり声を荒げてしまうことも多いのではないでしょうか? ママだって1人の人間です。忙しくて辛い時に感情を出してしまうのは仕方ないこと思います。それなのに、子どもの立場になって振り返れるあゆみさん、とても素敵ですよね。 ※妊娠中の旅行は、これまで妊娠の経過に問題がなくても、かかりつけの医師に確認を取ったうえで、慎重に検討し、無理のない計画を立てることが大切です。飛行機に乗る場合は、航空会社によって搭乗可能な妊娠週数は異なりますので、事前に確認しておきましょう。搭乗条件に、医師の診断書の提出が必要なことがあります。また、妊娠中は安定していてもトラブルが起こることがあるので、保険証、母子健康手帳など、もしものためにしっかり準備をしておきましょう。 ※本記事に登場する心理セラピストさんのお話はこの方独自のものです。すべての方にあてはまるものではありませんので、状況に応じて専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター あゆみん
2023年06月15日何をどう伝えよう?言葉の理解面での壁。とりあえず育児書通りにやってみたけれど…2歳前後になると意識し始める人も多いトイレトレーニング(トイトレ)。わが家でも、ASDのある息子が2歳を過ぎた春、トイトレを始めようと重い腰を上げました。当時の息子の発語は喃語混じりの単語のみ…トイレについての理解は、絵本などから"トイレ"という名称は知っているという程度でした。ちなみに排尿を伝えてきたことは一度もなし。(今なら"また時期じゃない"と延期一択ですが、第一子で気合いが入ってました。笑)そこでまずぶつかったのが「尿意」の壁でした。感覚という抽象的なことをどう教えたらいいのか…膀胱のあたりを押さえてみたり、自分のトイレ姿を見せてみたり(恥)試行錯誤する日々…。しかし言葉の理解もゆっくりな息子にはどうにも伝わらず、むしろトイレに興味を持ってもらうために置いた絵本やご褒美シール、トイレの玩具が注意力散漫な息子にとって逆効果となるのでした…。Upload By 海乃けだま「焦らずに個々のペースに合わせよう」頭では分かっているはずなのに、娘も目が離せなくて段々と余裕がなくなり…息子のトイトレに試行錯誤していたころ、娘は1歳を迎えました。後々分かったことですが、娘はADHDと診断されています。息子のトイトレに専念したくても、多動な娘が後ろで何をしているか気が気でならない場面がたくさん出てきました。Upload By 海乃けだまそれでも息子はトイレに誘えば一応大人しく座ってくれていたため、タイミングさえ合えばきっと成功すると期待してしまっていたのです。そしてその期待はいつのまにか、一向に進まないトイトレへの焦りとイライラに変化していきました。当時の私は、午前中は息子の療育の母子通園クラスに通い、クタクタで帰ってきてから子ども2人の食事の用意・食事介助、そして午前中にできなかった家事をこなしながらトイレ誘導…。息子のトイレに集中したいたった2、3分ですらじっとしていられない娘に、次第に気持ちに余裕はなくなっていきました。Upload By 海乃けだま一体誰のためのトイトレなのか…。息子のためであるはずのトイトレは、保護者である私が「おむつを外せない」という後ろめたい気持ちをなくしたいがためのトイトレになってしまっていました。これではダメだとトイトレは一旦お休みすることにしました。転機は3歳半健診。まだオムツが外れていなかった息子はもちろんオムツを履いて健診へ。そこで目にしたのは…トイトレを中断し数ヶ月が経ったころ、役場から一通の手紙が届きました。そう、3歳半健診です。検尿の文字にトイトレが進んでいない不安が一瞬よぎりましたが、採尿さえできればなんとかなるとたかを括っていました。しかし健診の会場に着いて真っ先に目に飛び込んできたのは息子と同い年の子どもたちのパンツ姿でした。新型コロナウイルス感染症の影響で、同じ部屋に居合わせた親子は6~7組だけでしたが、息子を除いて1人残らずみんなパンツだったのです(絶句)。Upload By 海乃けだま3歳半健診から帰宅した私は、ようやく目を背けていたトイトレに再度向き合うことにしました。この当時の息子はお話も上手になり、受け答えもかなりできるようになってきていました。一緒にお風呂に入っているとき、洗い場でおしっこが出そうな様子だったので、試しに声をかけてみると、今まで出なかったのが嘘のようにすんなりとおしっこが出たのです!「これがトイレで成功すれば…!!」そう意気込んでトイレ誘導にも力が入りました。そしてついに…ある日療育園へ息子のお迎えに行くと、先生から「今日、トイレでおしっこ出ましたよ!!」と報告が…!そのたった1回の成功から、突然日中のオムツが外れました。3歳半健診から2週間後のことでした。娘も軽い気持ちでトイトレ開始。息子のときの経験を活かそうとするも…一方、娘のトイトレも2歳を迎えた夏、ちょうど息子のトイトレが成功したころに「ついでに外れればオムツ代もかからなくなるし…お兄ちゃんのトイレの成功が刺激になるかもしれない!!」と軽い気持ちで始めました。息子のトイレのときに娘にも見せて「こうやっておしっこするんだよ〜!娘ちゃんもやってごらん」と声をかけてトイレ誘導をしていました。しかしこの方法は悪手でした…娘はかなりの負けず嫌いだったのです。お兄ちゃんのトイレの成功に嫉妬し、拗ねてしまったのです。トイレに座るどころか、トイレに行くこと自体拒否される毎日。少しでもトイレのイメージを良くしようと、息子のときに封印していた絵本やご褒美シール、トイレの玩具を総動員するも、飽きっぽい娘への効果は一瞬…しかもトイレに成功している息子がそのトイトレグッズに気が逸れて悪影響が出る始末(ため息)。娘のトイトレも早々に延期することになりました。Upload By 海乃けだま迫る娘の入園‼︎果たしてオムツは外れるのか!?娘のトイトレを延期してから、半年経った3歳を迎える春。幼稚園の入園には間に合わせたい!!とトイレ誘導を再開しました。以前のような断固拒否の態度はなくなり、一応トイレに座ってはくれましたが…じっとしているのが苦手な娘(ADHD)は5秒座るのがやっとでした。もちろん5秒では排尿までには至らず…。あの手この手でトイレに座る時間を稼ぐ毎日でした。Upload By 海乃けだましかし出ない。1滴も出ない(余談ですが私は産後、ジャンプすると尿もれするようになりました)。そのうち時間稼ぎ作戦にも飽きてきた娘は、またもやトイレを拒否するようになってしまいました。「もうお手上げや…」入園がもう目前になった3月上旬、プレ幼稚園に行っていた私は先生にオムツが外れそうにないことを伝えました。先生は快く「一人ひとりペースがありますから、大丈夫ですよ。幼稚園に来てから、できるようになる子も多いですからね!」と言ってくれました(号泣)。プレ幼稚園のその日、"年少さんと一緒に遊ぶ"というものでした。娘よりずいぶんとお兄さん・お姉さんに見える年少さん、みんな自らトイレに行っている年少さん。…その光景を見て思い出したのです。可愛いパンツの存在を…!!娘はそのときちょうど可愛いものが好きになってきていました。娘のパンツは以前に数枚だけ買っていたのですが、トイレのやる気を出すために「可愛いお姉さんパンツを買いに行こう」と提案しました。それが娘にはヒットしたらしく、自分でパンツを選び、自らパンツを履き、トイレに自ら座りに行ったのです!!最初は失敗したものの、「濡れてもいいパンツだから大丈夫だよ」と声をかけると、また新しいパンツに履き替え…1週間ほどでトイレでおしっこに成功するようになったのです!!入園にはギリギリ間に合いませんでしたが、1ヶ月経たずに日中のオムツが外れたのでした。オムツはずれは早ければいいというものではない。大事なのは本人のやる気とタイミング。今となっては”トイトレは本人のやる気次第”だし、タイミングがある!!と断言できるのですが、息子のときも娘のときも、なかなか進まないトイトレに焦ってしまっていました。「どうせいつかは外れるんだから、あんなにイライラしなければ良かった」と後悔する反面、焦りの原因には周囲からのプレッシャーがあったのも事実です。トイトレってとてもデリケートなことだと思うのですが、結構口出しをしてくる人が多い気がするのはなぜでしょう…。今と昔ではライフスタイルも違いますし、育児も日々進化しています。昔は良しとされてきたことが今では違うこともあります。トイトレのことも発達ゆっくりさんのことも、育児世代だけでなくもっと幅広い世代に周知され、もっと温かく見守ってくれる社会になるといいなあと思います。…あ、兄妹共に日中オムツが外れたと書いてますが、割とちょびっと漏れもありますし、娘に至っては大便はオムツです。そして夜間もおもいっきりオムツです。オムツ完全卒業までの道のりはまだまだ遠い…。執筆/海乃けだま(監修:初川先生より)ご兄妹のトイトレエピソードをありがとうございます。最後にけだまさんがまとめとして書かれていたように、トイトレはお子さん本人のやる気(興味関心や意欲)にもよりますし、まさにそれに合うタイミングが来ると感じます。読者の方へ、焦らずにというメッセージをくださりありがとうございます。本人のペースをどうにかすることはとても難しいので、機が熟すのを待つのが大事ではあります。ただ世の中にはさまざまなトイトレ成功の工夫がシェアされており、それをやったら早くできるのではないかと期待させてくれる分、保護者が追い詰められてしまうこともありますね。そして、トイトレに関して口出しされる外圧があったのですね…それは大変でしたね。妹さんの入園にあたって、先生にご相談され、温かいお言葉をいただいたエピソードもありましたが、まさに幼稚園保育園の先生や子育て相談の場所などでそうしたことをご相談していただけるとよいかなと思います。特に、特性のあるお子さんの場合には、育児書通りには子育てが進まない面もあります。そういうことにお詳しい方に聞いてみる、聞いてもらうのはよいかもしれません。子育ては一生懸命になるとつい冷静さを失ってしまったり、視野が狭くなってしまったりします。いろんな人に話してみて、良さそうな方のご意見を取り入れてみると、冷静になれたり、柔軟になれたりすることがあると思います。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年06月15日香澄さんと晋太郎さんは1年半の交際を経て、結婚。しかし結婚後、夫の態度は豹変しモラハラな言動をするように。さらに裏の顔が次々と明らかになっていきました。結婚の挨拶のとき、香澄さんに一度も相談することなく、晋太郎さんが勝手に同居の話を進めていただことが発覚したものの、受け入れた香澄さん。 プロポーズから半年後、入籍。入籍したら式を挙げることが当然だと思っており、晋太郎さんに結婚式の話をすると「金のムダ遣いだよ。俺はやりたくない」と、バッサリ断られてしまいます。 そんなひどいことを言われても、晋太郎さんのことが大好きな香澄さんは仕方がないと思っていました。 しかし、新婚生活が始まってすぐに夫の様子に違和感が……。 見下すような発言連発! 結婚後すぐに義父母と同居するかと思いきや、義実家をリフォームすることになり、少しの間マンションで新婚生活を送ることに。2人きりの生活が始まったころ、晋太郎さんから不動産投資の提案をされました。 双方の親も賛成したため、2人はマンションを購入。と言っても、8割の金額を香澄さんが賄うことに……。 その後、2人の生活を始めると、次第に晋太郎さんのモラハラが始まります。電車遅延で帰宅時間が遅くなった香澄さんに対して、「何度も言ったよな? 帰ったらすぐに夕飯を食べられるように準備しとけって」とモラハラ発言をしてきました。 香澄さんが反論すると、晋太郎さんは逆上し、「嫁失格って言われても文句言えないよな?」と、香澄さんを見下したような発言! 結婚した途端、モラハラ夫に豹変した晋太郎さん。香澄さんに家事をすべて負担させたり、嫁失格などと怒鳴ったり、攻撃するような言動が増えていきました。香澄さんが追い詰められてしまう前に、解決策を考えておいた方が良さそうですね。著者:マンガ家・イラストレーター 紙屋束実
2023年06月14日女性の身体には、歳とともにさまざまな変化が訪れます。自覚症状がないとついつい見逃してしまい勝ちですが、知らないうちに疾患が進行していることも。そこで今回のMOREDOORでは、「婦人科疾患に気づいたきっかけエピソード」をご紹介します。新見正則医院院長。1985年慶應義塾大学医学部卒業。98年移植免疫学にて英国オックスフォード大学医学博士取得(Doctor of Philosophy)。2002年より帝京大学医学部博士課程指導教授(外科学、移植免疫学、東洋医学)。2013年イグノーベル医学賞受賞(脳と免疫)。20代は外科医、30代は免疫学者、40代は漢方医として研鑽を積む。現在は、世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬フアイアの啓蒙普及のために自由診療のクリニックでがん、難病・難症の治療を行っている。最新刊『フローチャート整形外科漢方薬』はAmazonで三冠(臨床外科、整形外科、東洋医学)に輝きました。新見正則の生き方論は以下の最新刊も参考にしてください。「しあわせの見つけ方予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る書簡32通」Tさんの場合……第二子を妊娠中に卵巣嚢腫になりました。とくに自覚症状はありませんでしたが、妊婦健診の超音波検査で発覚しました。たまたま見つかってとても運がよかったと思います。妊娠していなければ症状が出るまで気がつかなかったと思います。どんな治療を受けましたか?とくに治療はしませんでした。というのも、妊娠中は胎児に影響があるため治療できないと言われたからです。経過観察をしながら出産を待ちました。産後に超音波検査をすると卵巣嚢腫は自然消滅していたので、そのあとは何もしていません。世の女性陣へ伝えたいことは?卵巣嚢腫は症状がないため、なかなか気づきにくい病気です。進行すると捻転して緊急手術することもあるとのこと。毎年、健康診断を受けると安心だと思います。※毎月の生理が「いつもと違う」「量が多い」と感じたり、「健診や他の病院で貧血がある」と言われたら、なるべく早めに婦人科に行くことをおすすめします。かかりつけの婦人科医をもつのもよいので、検討してみてください。定期的な婦人科検診を……自覚症状はなかったものの、妊婦検診の超音波検査で卵巣嚢腫と診断されたTさん。病気が隠れていても、自覚症状がないと見逃してしまうこともあります。皆さんも異変に少しでも気づけるように、定期的に健康診断や婦人科検診を受けてみてくださいね。今回は「婦人科系疾患に気づいたきっかけの話」をお届けしました。※監修医:新見正則医院院長、新見正則※この記事は編集部に寄せられた実話ですが、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。(MOREDOOR編集部)
2023年06月07日恋人に浮気をされてしまうとショックですよね。何度言っても直らないようなら、別れを選ぶことも…。今回は「大胆な忘れ物の話」とその感想を紹介します。イラスト:t.hiryu彼の家で見つけたもの22歳のころ、5歳年上の彼氏がいた主人公。付き合って2年目で彼は転勤になり、車で1時間半ほどの遠距離恋愛になりました。主人公は休みの前日から彼の家へ泊まりにいくようになります。その日も、いつものように泊まりに行っていた主人公でしたが…。ヘアゴムが落ちている出典:lamire台所に見覚えのないヘアゴムを見つけました。共通の友達のものだと彼は説明し、その時は納得した主人公でしたが…。また別の日に、事件は起こります。寝る時間になり、主人公が布団を敷こうと押し入れを開けた時でした。主人公の目に飛び込んできたのは女性物の洋服…!彼はあっさりと浮気を認めます。主人公は気持ちが悪くなり、雨の中を裸足で飛び出してしまったのでした。読者の感想別れるべきだと思いました。ヘアゴムの存在を確認した際に平然と嘘をついた彼氏に浮気慣れしていると感じました。ここで許したとしても浮気を繰り返すタイプの男性だと思いました。(40歳/主婦)隠せないなら浮気をするなと言いたいです。ショックだったのはわかりますが、裸足のまま飛び出すというのはちょっと飛躍しすぎな気もします。こういう時は意外と冷静に自分の荷物をすべて持って帰る人が多と思いました。(43歳/主婦)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。
2023年06月04日主人公さくらさんが仲良しのママ友ヨワ美さんとは、同じ歳の息子の健診で出会い、そこから意気投合して関係を深めていきます。別々の幼稚園に通わせることになったものの、小学校で再びヨワ美さんと再会。そこでヨワ美さんを介して出会ったボス子さんは、マウントが激しいママだったのです。2人目の子どものお世話や仕事があるさくらさんは、なかなか入団したサッカーチームの当番を引き受けられません。息子のレンゲくんのためと思い、仲良くなろうと頑張りますが、すでに輪の中に入りにくい雰囲気に……。さらにボス子さんは「仕事するのは子どもがかわいそう」と発言し、さくらさんはいたたまれなくなりました。どうやらボス子さんは、仕事をしているママを良く思ってない様子。早くもやっていく自信をなくしてしまうさくらさんでしたが……!? ボスママに対するモヤモヤが止まらない 相手を見下すようなボス子さんの言動に、どうしてもモヤモヤしてしまうさくらさん。早くもやっていく自信がないと感じてしまいます。でも息子のレンゲくんは楽しそうにしているので、気を取り直して頑張ろうと決意します。車を出せないヨワ美さんとさくらさんのふたりは肩身が狭く、なぜか当番を頼まれる回数も多くなっていました。 そんなある日、ヨワ美さんは「サッカーチームをお休みして、家族でテーマパークに行く」と、うれしそうに話してくれました。しかし、その日に試合が入り、ボス子さんをはじめママ友たちみんなの気合がこもります。 ヨワ美さんは恐る恐るボス子さんに休むことを告げますが、無言の圧力に負け、テーマパークを諦めて試合に参加するはめになってしまうのでした。 少数意見をもつ人が多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制するのは、同調圧力のような心理的な圧力と言いかねません。自分の意見や気持ちを言い合える関係性なら素敵ですが、一方的に相手を萎縮させてしまうような言動には気をつけたいですね。著者:マンガ家・イラストレーター モモ
2023年06月04日主人公さくらさんが仲良しのママ友ヨワ美さんとは、同じ歳の息子の健診で出会い、そこから意気投合して関係を深めていきます。別々の幼稚園に通わせることになったものの、小学校で再びヨワ美さんと再会。ヨワ美さんを介して出会ったボス子さんを発端に、さまざまな出来事に巻き込まれていきます。息子のレンゲくんが小学校に入学したのを機に、新しいママ友とのお付き合いがスタート。ボスママのボス子さんに家に招待され、子どものサッカークラブに入らないかと誘われたさくらさん。2人目の子育てや仕事もあるさくらさんは、クラブの当番があると負担になるため戸惑いますが、早くもボス子さんのペースに巻き込まれ、入団を決めてしまいます。しかし、当番や土日の試合、毎月のイベントの話を後から聞き、最初の話と違うことに戸惑いが隠せません。それでも、レンゲくんのために頑張ろうと決意しますが……!? 頑張って仲間に入ろうと思ったけど… サッカークラブへの入団を決意したものの、さっそく当番のことで問題が起こります。車を出すのに大きい車種ではないさくらさんと同じく、ヨワ美さんも肩身の狭い思いをしている様子。それ以外にも2人目のお世話や仕事があるさくらさんは、なかなか当番を引き受けられません。さくらさんの代わりに夫が当番を引き受けてくれようとしましたが、「パパはNG」と言われてしまいます。 いきなりピンチのさくらさんですが、息子のレンゲくんのためと思い、仲良くなろうと努力します。しかし、仕事を理由に当番を断ったことで、すでに輪の中に入りにくい雰囲気が……。 取り巻きのママたちは、相変わらずボス子さんのご機嫌とりをしています。さらには、仕事をしているさくらさんが側にいるにもかかわらず、ボス子さんが「仕事をするのは子どもがかわいそう」と発言し、さくらさんはいたたまれなくなってしまうのでした。 仕事をするのも、両立しながら子どもを育てたいと思うのも、本人が決めること。自分と異なる立場のママを良く思っていない様子が伝わってきたら、誰だって身構えてしまいますよね。自分の価値観を押し付けず、互いを尊重できるといいですね。著者:マンガ家・イラストレーター モモ
2023年06月03日■前回のあらすじ長女の療育手帳を取得。療育手帳とは知的な障害がある人に交付される手帳で、さまざまなサービスを受けられる。この日を迎えるまでどんな出来事があり、どんな思いを持って行動したのか。当時を振り返ると…。■いわゆる育てやすい子だった?■3歳の頃困っていたこと長女ゆいは健診で発達について指摘されることもなく、特に気になるところもなく成長してきました。しかし3歳の頃、困っていたことを思い出し…。次回に続く「療育手帳を取得した話」(全38話)は12時更新!
2023年06月01日私は3歳半と1歳半の息子がいる2児の母です。現在3歳半の長男のイヤイヤ期が、それはもう強烈でした。毎日試行錯誤しながら、イヤイヤ期の長男を育てるのに必死だったのですが、そんな長男のイヤイヤ期を振り返りたいと思います。今回は長男がお風呂が嫌いで困っていたとき、どのように対応したのかをお話しします。 それは突然やってきたこれは長男が1歳半ごろのお話です。私はちょうど第2子の妊娠が判明したときでした。私はつわりの影響でお風呂に入ると気分が悪くなるので、長男のお風呂は夫に任せていました。長男は夫とお風呂に入るのが大好きで、毎日楽しくお風呂に入っていました。 ある日、夫がいつものように長男とお風呂に入ろうとすると「嫌」と長男が泣くようになりました。お風呂に入ろうと誘うと「嫌」と長男は激しく泣くようになり、家中逃げ回る日もありました。これがお風呂イヤイヤ期の始まりでした。 無理矢理お風呂には入れたくないけれど…私たちは「無理矢理お風呂に入れて、これ以上お風呂を嫌いになってほしくない」と思っていました。そこで私たちは長男がお風呂に入りたくなるまで、待つことに。しかし30分経っても、1時間経っても「お風呂に入ろう」と誘うと返事は「嫌!」のひと言。長男がお風呂に入ることを拒否し続ける日がほとんどでした。待ち続けても寝る時間が遅くなってしまうので、最後は強行突破。結局、長男を無理矢理お風呂に入れていました。 脱衣所でも浴室でも長男は大号泣。私は脱衣所から大音量で長男の好きな音楽をかけて、気を紛らわせようと必死でした。ちなみによくかけた歌は「とんとんトマトちゃん」です。この曲には何回も助けられました。嫌なお風呂を頑張ったあとは、毎日たくさん長男を褒めてぎゅっとしました。 救世主現る!お風呂に楽しく入ってほしいと思い、お風呂用のおもちゃをいろいろ買って試しました。しかし長男はどれもすぐに飽きてしまいました。私はたまたま家にあった入浴剤を発見。長男に入浴剤を渡すと、「これをお風呂に入れると色が変わるから、何色になったか教えてね」と伝えました。 すると長男はすんなりお風呂に入ったのです。お湯の色が変わるのが不思議だったようで、その日は泣かずにお風呂に入っていました。長男のお風呂イヤイヤ期を救ったのは、入浴剤! おもちゃではなく身近にある物でした。 うまくいかないときもあるすっかり入浴剤のとりことなった長男。しばらく長男は楽しくお風呂に入っていました。しかし、そこはイヤイヤ期。長男もその日の気分もあり、私のつわりも落ち着き、私が一緒にお風呂に入るようになってもダメ。入浴剤もダメ。おもちゃもダメ。全部ダメ。そんな日もありました。 それでも入浴剤のおかげでお風呂を嫌がる日が減り、とても助かりました。そうこうするうちに、長男が2歳を過ぎたころにはお風呂を嫌がらなくなりました。 3歳半になった現在では長男のイヤイヤ期はかなり落ち着きました。しかし今度は次男のイヤイヤ期が始まりました。今のところ長男と比べると穏やかなような……。イヤイヤ期にも必ず終わりは来ると信じて、毎日子育てに奮闘したいと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/星田つまみ著者:小林加奈
2023年06月01日わが家の4歳と2歳の娘は、どちらも言葉を理解できるようになった2歳半ころにトイレトレーニングを開始。周りからさまざまな体験談を聞き不安になっていたので、たくさん準備をしました。 トレーニングパンツは不要だった!?最初は「準備するに越したことはない!」と思い、層になっているパンツやおむつタイプのトレーニングパンツを準備しました。しかし「最初に不快感を本人が感じることでスムーズにトイレに誘導できるのでは!?」と考え直し、普通のパンツを購入。そのパンツをはかせて2~3度お漏らしをすると、子ども自身も不快感を感じたようです。 おしっこはトイレ、うんちはおまるでわが子の場合、2人ともトイレの便座に座ることに対して恐怖心はなかったようですが、おしっことうんちのときでは気持ちに変化があるようでした。おしっこをするときはトイレでできるのですが、うんちがおしりから離れて下へ落ちる感覚が苦手な様子。そこでおしっこのときはトイレへ、うんちのときはおまるへ誘導するように。そうすることで子どもたちは安心してスムーズにできるようになりました。 トイレにいくタイミングも成功のカギ!あとは何度も何度も回数を重ね、成功するたびに「じょうずにできたねー! やったー! うれしいねー!」と一緒に喜び、うれしい気持ちを共感するようにしました。 トイレの間隔を把握しておいたのもよかったのかもしれません。わが家はだいたい2時間間隔でトイレに連れて行っていました。外出時も、失敗を恐れずこまめにトイレ休憩を挟むように。また、子どもをよく観察して、おしっこがしたい、うんちがしたいという仕草などがみられたら、そのタイミングを逃さずトイレやおまるへ誘導することも意識しておこなっていました。そのため、子どもも成功体験をとおして自信をつけられたようにも思います。 こんな感じでわが家のトイレトレーニングは2週間かからずに完了しました。トイトレは、子どもがおしっこやうんちを漏らしたときに不快に感じたり、トイレやおまるでできたときに成功の喜びをたくさん感じることが大切だと感じました。以前はマニュアルばかりを参考にしすぎていましたが、子どもの気持ちを汲みとって子どもにあったサポートをしてよかったなと思っています。トイレトレーニングは体や心の発育も関係しているといいますが、開始年齢は2人とも2歳半。開始した時期も、2人によいタイミングだったのかもしれません。 監修/助産師 REIKO作画/加藤みちか著者:平山 光3歳と5歳の姉妹のママ。約1年の不妊治療を経て、無事第一子の妊娠が発覚。第二子は自然妊娠で授かる。アトピー症状のある第二子をきっかけに、自然食や自然治療法を勉強中。
2023年05月31日主人公さくらさんが仲良しのママ友ヨワ美さんとは、同じ年の息子の健診で出会い、そこから意気投合して関係を深めていきます。ところが、ひょんなことからヨワ美さんと距離が生まれ、そしてついに大嫌いになってしまう話。モモさんの知人による体験談です。ヨワ美さんとは別の幼稚園に通うことを決意したさくらさん。新たな幼稚園ライフがスタートします。幼稚園選びのシーズンになり、さくらさんはヨワ美さんと同じ幼稚園にするか、別の幼稚園にするか迷っていました。ヨワ美さんに電話で相談してみましたが、もうすでにボス子さんたちのママ友の輪ができていることを知ります。また前のようにヨワ美さん親子との楽しい幼稚園ライフを想像していたけど、「もう以前とは違うんだ」と悟ったさくらさんは、自分たちの行く道を決めたのでした。そして、無事入園式も終え、いよいよ息子レンゲくんの幼稚園生活が始まり……!? 「あれ?うちの子大丈夫かな…?」だんだん不安に… 新しい環境にも順応し、自分の世界で楽しんでいる息子レンゲくんですが、あまりにも自由な姿を見て心配になってきたさくらさん。幼稚園の先生に相談しますが、「大丈夫ですよ」と明るく答えてくれてホッとします。 そして、いつしかさくらさんにも趣味の合う新しいママ友ができました。「この幼稚園を選んでよかった」と、心からそう思えたのでした。 とくに初めての育児では、つい他の子と比べて不安になってしまうことはあるかもしれません。気にしすぎもよくないですが、子どものことで心配になったときは、さくらさんのように先生に相談してみるのもいいですね。著者:マンガ家・イラストレーター モモ
2023年05月25日乳幼児は、成長にもよりますが、生後9か月頃から1歳半頃の間に話し始めるといわれています。2歳前後に2つの言葉がつながった『二語文』を話すようになった後、徐々に語彙力が高くなり、自分の意志を伝えられるようになるものです。言葉が上手になった2歳児が?2歳の息子、はるくんを育てる、ほかほか命(hokahokainochi)さんがInstagramに投稿したエピソードをご紹介します。はるくんは少し前まで、投稿者さんに構ってほしい時に「ママ!抱っこして!」と、感情をむき出しにしておねだりをしていました。対する投稿者さんは、忙しくて手が離せない時は、はるくんに「いいよ」と伝えた後、待っていてもらうことが多かったそうですが…。少し成長したはるくんは、気持ちを言葉で表現するのが上達した様子。目をうるませて、「さびしい」「そばに来てほしい」「大好きよ」と、投稿者さんに伝えてくるのです…!はるくんの愛らしい『おねだり』に、投稿者さんはノックアウト。「こんなん、誰が我慢できるん?」と、どれだけやることがあっても、はるくんを優先し、飛んでいくのだそうです。【ネットの声】・けしからん!思わず私もはるくんのもとへ向かおうと、頭をスマホにぶつけました。・甘え上手!かわいすぎるって~!・これはすぐに駆け寄るしかない…!愛おしすぎるー!・誰も我慢ができないと思います。すべてを捧げちゃう。おねだり上手なはるくんは、作品を通じて多くの人をキュンとさせました![文・構成/grape編集部]
2023年05月24日24歳で結婚したものの、子どもを持たないまま45歳に。子どもは好きでしたが、子どもを持つことに踏み切れないまま年を重ねても、30代までは大きな不安はありませんでした。しかし40代になり、老後が見えてきて、ふと「お墓や家はどうする?」と考えるように。気になるのは2軒の持ち家と、少し離れた場所にある父親と兄が眠る自分の家族のお墓のこと。老後に向けて、持ち家とお墓のことで悩む私の体験談を紹介します。★関連記事:「仏壇はなくせないよ!」実家の処分にあたり、仏壇問題が浮上して… #墓じまいできるかな? 1明確なビジョンがないまま結婚した結果当時交際していた人との結婚を、私の母親が半ば強引に決めてしまったのが23歳のときでした。「どうしてもお婿さんがほしい」と母親が暴走してしまったのです。本人たちも知らないまま、母親が暗躍して両家の顔合わせがおこなわれてしまい、結婚が決まりました。あまりのことに私も夫も呆然としていたのが今でも忘れられません。本気で拒否すれば、結婚しないという選択肢もあったでしょう。しかし私たちは、そのまま素直に結婚しました。本人同士が特に結婚に対するビジョンがないままに結婚したのは、あまり良いことではなかったと今は感じます。そして夫婦の間で、子どもを持つかどうかという話し合いすらなく10年が過ぎたのです。幼いころから「将来は介護してもらうから」という理由で、私は実家から出られませんでした。介護をするために生まれてきたのだろうかと考えるほど、繰り返し言われ続けていたのです。母親への反発も大きく、私は「自分が子どもを持つこと」に消極的でした。「それでも子どもが欲しい」と思えるようになったのは30代半ばを過ぎてから。その考えを夫に話したところ、「子どもは苦手だからいらない」と言われてしまったのです。結婚の段階で明確な話し合いもなかったので、ある意味では仕方のないことだと思いました。ただ、問題は持ち家と、家族の眠る「お墓」。夫には婿養子に入ってもらったため、私の父や兄のお墓です。45歳になり真剣に老後を考え始め…20代、30代のうちは、あまり家やお墓について深刻には考えていませんでした。時々ふと「将来どうするんだろう」とは感じていましたが、あまり向き合わないようにしていたのです。夫は問題を先延ばしにしてしまうところがあり、話し合おうとしても「うーん」で済ませたいタイプ。子どもの件でも、何度か話し合おうとして「うーん」と言われ続けていたのです。「子どもが欲しくない」という結論を引き出せたのすら、30代終わりのことでした。家やお墓について話をしようとしても、やはり「まだ良いんじゃない?」と言われてしまいます。しかし、もう45歳。若いうちは時々しか感じなかった不安が、最近は強く襲ってくるようになりました。きちんと対処を考えなくてはならないと思うようになったのです。家の中には、家具や持ち物も数え切れないほどあります。私たち夫婦に何かあったとしたら、誰かが片付けなければならないでしょう。「誰か」と言っても、思い当たるのは2つ年下の妹だけ。あまり年が離れていないため、遺品整理ともなると、妹にも難しい可能性があります。考えなければならないことは山積みです。迷惑をかけないためにはどうするべき?お墓について調べたところ「永代供養」という方法が使えそうでした。永代供養は、遺骨や供養を寺院にすべて任せるというもの。身寄りがいない方や、跡継ぎがいない家で取る方法のようです。跡継ぎがいないため、わが家では永代供養を依頼するのがベストになるでしょう。老後の資金のほかに、永代供養の費用を用意しなくてはなりません。家は、現在住んでいる家と、誰も住んでいない空き家を所有しています。空き家は売りに出しているのですが、場所が悪くて買い手が付きそうにありません。不動産会社に相談しているものの、まだまだ時間がかかりそうで頭を悩ませています。現在住んでいる家についてはどうするべきか、まだ決めかねているところです。40代・50代のうちは、まだ住み続けていても大丈夫だろうとは思っています。子どもがいなくても介護はサービスを利用する方法があります。しかし、そのためには資金が必要です。家の売却だけで足りるかは不明であるため、貯蓄に励む必要があります。家もお墓も、何も考えずにいると、妹やその家族に迷惑をかけることになってしまいます。今すぐに結論を出さなくても良いとはいえ、きちんとしておかなくてはなりません。まとめ子どもがいたとしても、母親のように「介護要員」として考えるつもりはありませんでした。ただ仮に子どもがいたなら持ち家をどうするか、お墓をどうするかという不安は感じなくてよかったかなと思います。夫婦での話し合いは1度切り出したものの、話が進まなかったため、保留になっています。とはいえ、漠然と話し合っても仕方ないという考えに思い至りました。同じような状況の人たちがどうしているのかも気になるところ。永代供養については調べ済みであるため、今は家の売却について少しずつ調べています。ひとりで決めるものでもないため、まだまだ時間はかかるでしょう。簡単に解決する悩みではないと感じますが、少しずつ対策を取っていくつもりです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/レン(45歳)音楽と犬を愛するライター。ビーグルの女の子と一緒に、のどかな田舎暮らしを満喫中。今年から肩凝りの悪化と寝汗に悩まされている。
2023年05月24日このお話は作者リコロコさんに寄せられたエピソードです。登場人物の名前など、一部脚色を加え漫画化しています。■前回のあらすじ結婚して数年後、妊娠した主人公は帝王切開で女の子を出産。しかし、産後知り合ったママたちに帝王切開だったと話すと心ない言葉を投げかけられ、「お腹を痛めて産んでこそ母親」と言われているように感じるのでした。■帝王切開の話が出て…■帝王切開での出産を決意赤ちゃんが少し大きめだったこと、そして合併症もあることから帝王切開で出産した主人公。産後の痛みは想像以上で、傷口をかばう余裕すらなく、術後すぐに育児に追われるのでした。次回に続く「帝王切開ってかわいそうなの?」(全9話)は12時更新!本記事はあくまで筆者に寄せられた体験談です。症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2023年05月23日特に症状はないのに、健診で子宮筋腫と指摘された経験はありませんか? 筋腫というと悪性腫瘍=がんとの関連が気になったり、診断書には経過観察とあるものの、婦人科を受診するべきかどうか不安になったりする方は多いのではないでしょうか。そこで、 産婦人科医の駒形依子先生に子宮筋腫がどんな病気であり、どのように対処すると良いのかを聞きました。教えてくれたのは…監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。★関連記事:「嫌な予感」人間ドックで子宮筋腫の相談をしようと思ったら… #人間ドックで指摘された子宮筋腫 1子宮筋腫とはどんな病気?40代では2人に1人があるという良性の腫瘍まず、子宮筋腫とはどのような病気なのでしょうか。「子宮を構成する平滑筋という筋肉が増殖してできる良性の腫瘍です。小さなものを含めればほとんどの女性にあると言ってよく、40代では2人に1人にはあるとされています。40代で多いのは、小さいために健診で指摘されることもなく、症状もないことで治療をしてこなかったからです。子宮筋腫はできる箇所によって3種類あります」(駒形先生)。筋層内筋腫(最も多く、多発しやすいが症状が出にくい)粘膜下筋腫(小さくても症状が強い)漿膜下筋腫(大きくなるまで無症状が多い)【主な症状】経血にレバーのような血の塊が混じる経血の量が多くなる月経期間が長引く月経期間中に下腹部が張る不正出血がある下腹部に硬いしこりを感じる貧血の症状がある頻尿や便秘がある腰痛や下腹部痛がある上記にあるような症状がつらい場合は婦人科を受診すると良いでしょう。特にない場合は経過観察で大丈夫です。治療には薬物療法と手術療法があります。出産を希望しない場合は子宮全摘出手術を選ぶ人もいます」(駒形先生)。子宮筋腫はどうしてできる?女性ホルモンにより筋腫が成長するそれでは、症状が強くない限り、子宮筋腫と指摘されてもあまり気にしなくて良いということでしょうか。「子宮筋腫は卵巣から分泌される女性ホルモンのエストロゲンにより成長することがわかっているので、閉経すれば治まってきますし、悪性腫瘍に移行することはゼロではありませんがまれです。とはいえ筋腫があるということは、体がSOSを出しているということですから、症状がなくても原因は探ったほうが良いと思います」(駒形先生)。子宮筋腫ができる原因にはどんなことが考えられるのでしょうか。「子宮筋腫に限りませんが、漢方医学の観点から見れば、やはり毎日の生活習慣に原因があると思います」(駒形先生)。子宮筋腫を防ぐ生活習慣とは“ ためずに出す ”生活を心がけて具体的にはどのように気を付けると良いのでしょうか。「私が患者さんによく言ったり、本に書いたりしていることは便秘しない太らない食べ過ぎないの3点です。特に40代以降は女性ホルモンの減少により便秘になったり、肥満になりやすかったりします。また、不満や心配をため込みやすい年代でもあります。不満や心配があれば発散する、食べ過ぎに気を付けて便秘や肥満にならないようにする。まずはこれだけでも実践することで体内の炎症となる原因は減らせると思います。子宮筋腫は閉経すれば大きくなることはありませんが、閉経する時期は人それぞれです。日本人女性の平均は50.5歳ですが60歳まで続く可能性もあるので、子宮筋腫を増やさない、大きくしない生活習慣を心がけてほしいと思います」(駒形先生)。まとめ子宮筋腫は子宮腫瘍とも呼ばれるため、「がん!?」と思ってしまいますが、ほとんどが良性ということ。とはいえ、体内の細胞が炎症を起こしていることには変わりありません。健診などで子宮筋腫を指摘されたら、これを機に日ごろの生活習慣を見直してみてはいかがでしょうか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/mido(49歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/駒形 依子 先生2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
2023年05月21日眠っている子供に異常がないかどうか、時折確認しているパパやママも多いのではないでしょうか。時にはそこで、思いがけない光景を目にすることもあります。このエピソードは、3歳の男の子を育てるお空(sorairo0385)さんの体験談です。寝室で眠る子供の様子を見ようとしたら…。お空さんの息子である1歳のきゅーたん。暗闇に響き渡る幼い子供の笑い声と異音に、お空さんもさぞ驚いたことでしょう。本当に寝ているのか、それとも実は起きているのか…。お空さんの困惑が伝わってきます。暗い寝室に広がる微笑ましくも異様な光景に、目を奪われてしまいそうです。まだ幼い子供にとって、授乳タイムは至福の時間なのでしょう。夢の中で思う存分ママに甘えているのかもしれません。そのまま朝までぐっすりと眠ってくれたら、ママにとっても助かります。いったいどのような夢を見ていたのか、後で聞いてみたいところです。夢の話を上手に伝えるのはまだまだ難しいでしょうが、幸せな時間を過ごせたこと、とびきりの笑顔で報告してくれるのかもしれません。きゅーたんの様子を目にしたお空さんは、「多分、すごく幸せな夢を見ていたのだと思います」と分析。このような様子を見せられたら、寝相とともに寝言のチェックが習慣化してしまいそうですね![文・構成/grape編集部]
2023年05月19日ときはすでに11月。絶望してる暇もないプレ幼稚園という初めての「社会」から拒否されたことは、まるで世界中から拒否されたような絶望感でした。いっそ幼稚園なんか行かずにスバルと2人きりで過ごそうか、なんて考えたりもしました。2人きりの世界なら誰かが決めた枠からはみ出ても何も言われないし、誰とも比べられないし、迷惑もかけないし、ただのかわいいかわいいスバルのままでいられるから。しかしプレ幼稚園の通園を毎週楽しみしていたスバルの姿が頭に浮かび、考え直しました。集団活動が苦手でマイペースに振る舞うスバルですが人が好きなのです。スバルは人に囲まれてニコニコ笑っているのが似合うのです。「そんなスバルにピッタリの幼稚園を探そう」と決意したのでした。しかしときはすでに11月目前。各幼稚園の入学願書受付開始が始まる時期です。とにかく時間がありません。ママ友がいない私ですが、たまたま公園で出会った先輩ママさんに「人気のある幼稚園は入園願書受付日の前夜から並ぶ」と聞いていました。つまり4月までに幼稚園が見つかれば良いのではなく、今すぐ新しい幼稚園を見つけて願書受付日に間に合わせなければいけないのです。プレ幼稚園から退園勧告を受けるまで、この幼稚園にそのまま入園する予定でいたのでそれ以外の幼稚園の情報がゼロの状態からのスタートです。スバルにぴったりの幼稚園とは?プレ幼稚園を退園した日、夜になっても全く眠れませんでした。どうせ眠れないならと、インターネットで近隣の幼稚園をリストアップすることにしました。特色や教育方針、年間行事の写真などを吟味しながら、徹夜で幼稚園の情報を集めました。ホームページを読み込んだだけでもいろいろな特色があることが分かり、マーチングバンドとかミュージカルのようなスバルが苦手な集団活動に力を入れている幼稚園はリストから外しました。逆にスバルが楽しめるものが何か考えると…Upload By 星あかり当時はまだ乗り物以外のものへの興味が分からなかったので、「のびのびと」「一人ひとりひとりの個性を大事に」「自分らしさを育む」みたいな若干ふんわりした表現を頼りに、いわゆる「のびのび系」の教育方針と思われる幼稚園を当たることにしました。ちなみにホームページに障害のあるお子さんの受け入れの有無が書かれている幼稚園はなかったので1件ずつ電話してみるしか手立てはありません。退園したプレ幼稚園は地域の中ではのびのび系で有名な幼稚園だったので「この幼稚園に断られた子」という肩書きを背負ったスバルがほかの幼稚園で受け入れてもらえる気がしませんでした。発達障害がある子どもを受け入れる園を探して。泣きながら幼稚園に電話朝が来て、幼稚園が始まる時間になって「今日はリストの中から10件の幼稚園に電話をかけよう」と決意しました。全部断られたら明日また10件。それも全部断られたとしたら、私たちはどうなってしまうのだろう…。断られることを前提でかける電話は本当に怖くて、幼稚園の電話番号を電話に入力してから通話ボタンを押すまでに随分と時間がかかりました。何度も呼吸を整え、やっとの思いで1件目の幼稚園に電話をかけました。この日の私のコンディションは、頭は冷静なのに常に涙があふれてくるという非常に良くない状態でした。泣きながら電話をかけてくる不安定な母親という第一印象を持って欲しくなかったので、泣いているのを悟られないようアナウンサーを意識したハキハキした口調で事前に用意していた原稿を読み上げました。原稿にはチャート式で話すことをまとめてあり、先方の返答をある程度予測してさらにその先の返事ができるように細かく書いていました。徹夜明けのポンコツの脳みそでも対応できる完璧な原稿です。今までの経緯や自閉スペクトラム症と診断されたこと、そしてスバルの今の状態を説明し「可能でしたら見学や面談をさせていただけますか!」と。本当はポタポタと涙が顎から滴り落ちていましたが、そんなことを感じさせない明るく元気な声で話すことができました。電話を受けた幼稚園の先生の反応は電話の向こうの先生は「なるほど」と言ったあとほんの少し無言になりました。「ああ、今、断る言葉を探している」と思いました。しかし先生は「お母さんのことが心配です。今日でも明日でもスバルくんと一緒に幼稚園の見学に来ませんか?」と言ってくれたのです。明るく元気な声でハキハキと話したはずなのに心配されてしまいました。バレバレです。それはさておき、「スバルくんは他害は?オムツは?着替えは?意思の疎通は?食事は?癇癪は?」そんな質問は一切なく、一番最初に私を心配する言葉をかけてくれたという事実に困惑しました。そんな優しい言葉は用意していたチャート式原稿に載ってなかったから。こうして翌日、この幼稚園に見学に行くことになりました。10件、20件電話をかけて全部断られるつもりで始めた幼稚園探しでしたが、実際には3件電話して3件とも見学や面談に呼んでくださり、入園もウェルカムという結果になりました。本当に予想外のうれしい結果になりました。3つの幼稚園にはそれぞれの良さがあり、どの幼稚園の方針がスバルに向いているのだろうと頭を悩ませました。しかし最終的には最初に電話したこの幼稚園に決めました。Upload By 星あかり電話で先生からかけてもらった優しい言葉の記憶は何年経っても色あせることなく心に残っています。スバルと共に成長する中で孤独を感じたとき、スバルと2人だけの世界に逃げ出したくなったときにふと思い出し「この世界には私たちを心配して一緒に考えてくれる人がいる」と前を向くお守りのような言葉になりました。執筆/星あかり(監修:初川先生より)新しい幼稚園探しのエピソードをありがとうございます。退園を言い渡されたあの夜にリサーチされたのですね。本当にお疲れ様でした。退園を言い渡されると、社会から拒否された感じ、世界から拒絶された感じがされるとのことでしたが、同じような思いをされた保護者の方も多くいらっしゃることと思います。排除された、入れてもらえなかったということの保護者の方への衝撃の大きさ、計り知れないほどだったとお察しいたします。さて、衝撃を受け、眠れぬ興奮した頭でリサーチをして、翌朝から電話をかけ始めたとのこと。電話で確認・質問することをフローチャートにまとめられたこと、素晴らしいです。緊張しながら、そしてそもそもの心持ちとして穏やかならぬ心で話をしなければならないときは、そうした準備がとても大切です。勇気をもってお電話されて、そしたら予想外のあたたかい言葉をいただけて。新しい園探しは順調に進んだようで何よりです。お子さんに何らか課題や障害があると分かっている場合、そうした経緯や状態について整理してお伝えするとスムーズに進みやすい面はあります。前の園のようにNGの場合は早い段階でそう伝えてくるでしょうし、そうではない場合は事情を知ったうえで建設的な話が展開されやすくはあります。お子さんをうまく受け入れていただけるか不安だと、場合によっては、できれば言わずに隠しておきたいと思うこともあるかもしれませんが、知っていることや経緯について話してそれを受け入れてくださる園(先生方)を探す方がよいと感じています。これは幼稚園だけに限らず、小学校入学やそれ以降も同じで、ご心配なことを伝えたうえで、建設的な話し合いをし、お互い準備を整えたうえで入園入学等に至ることが大事なように(うまくいくように)感じています。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年05月18日