主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を妊娠・出産しながらも、その夫と離婚協議中。離婚届にサインをする当日、なぜか義母も同席してあれこれ口を出し始め…。主人公・みちこは美容部員。長女と夫と穏やかに暮らしていたところ、夫が学生時代の先輩と浮気をしていたことが発覚。しかし、離婚を決意して浮気の証拠を集めている最中に、浮気夫との第二子を妊娠していることがわかってしまう。 子どもに罪はないと産む決意をし、夫やその浮気相手といざこざがありつつも無事に出産。ついに離婚協議がスタートしたものの、義母がついて来て夫と娘が会う回数にも口を出し始め……。 「ただでさえ離婚なんて恥ずかしいのに…」号泣する義母に夫が 「孫はまた作ればいい」という無神経な夫の発言に、みちこさんはさすがに我慢ならず声を荒げてしまいます。 自分の浮気が原因で家庭が壊れたのにも関わらず、離婚届にサインをする場でそんな発言をするなんて、無責任な言動は控えて欲しいですよね。皆さんは、デリカシーのない人にはどんな対応をしますか? 著者:マンガ家・イラストレーター サレ妻 みちこ
2022年09月04日初めての出産を終え、環境が変化したことで、夫との性生活で衝突することが多くなりました。徐々にエスカレートしていく夫婦喧嘩……。慣れない育児をこなしながらも夫と気まずい生活は続く日々。夫婦仲を良好するために夫と話し合いを重ねました。産後の性生活がうまくいかず、パパと喧嘩しがちになったママの体験談です。産後、セックスに興味がなくなる!?妊娠前や妊娠中の安定期に入ってから、夫と適度に性生活があり、お互いに満足していました。ところが出産時に会陰切開をした私は、産後から会陰の痛みに悩まされ排尿時や座るときにも痛みがあり、セックスはしばらくできないと考えていました。 また、初めての育児で四苦八苦しており、心身ともに疲れていて夫との性生活のことをすっかり忘れていたのです。そんな私の様子を夫が不快に思っているなど知る由もありませんでした。 性生活を巡り夫と喧嘩の日々が続く!育児を中心とした生活をしていた私は、夫の気持ちを察することもせずに過ごし、性生活もありませんでした。夫から求められても、「疲れているし会陰が痛い」と断り続け、夫はイライラを重ね、お互いに心ない言葉をぶつけることが多くなっていったのです。ある日、夫から求められたときに私は思わず強く拒否をしてしまいました。 我慢の限界を超えた夫は、怒りがピークに! 性生活への不満が引き金になり、感情のぶつかり合いが起きてしまったのです。この事件をきっかけに、性生活を巡り夫と喧嘩の日々が続くようになってしまいました。 赤ちゃんのいる生活での夫婦の性生活喧嘩ばかりの生活に疲れ、夫との関係に危機感を感じました。そこで私は夫が仕事で忙しく、育児の関わりのない状態だったので、必死に赤ちゃんのいる生活が以前と違うと伝えていくことにしたのです。徐々に、夫も休日は積極的に育児に関わってくれるようになりました。 夫は赤ちゃんを今まで以上に愛おしく思うようになり、そして育児の大変さも理解してくれたようです。相手の気持ちや状況がわかっているとお互いに思い、産後に夫婦の会話が激減したことも、喧嘩に発展した原因の1つだったと思います。お互いに反省し、自然に会話だけではなく性生活も増えていきました。 喧嘩を繰り返し、これまで良好な関係だった夫とうまくいかなくなったことにショックでした。慣れない育児をひとりで頑張るのではなく、夫に相談すべきだったと大反省し、相談をして夫が協力的だったことで私も気持ちがラクになりました。同時に夫を思いやる気持ちが沸き、大切にしたいと思うようにもなりました。大変な時期を乗り越え、今が1番夫を愛おしく思えます。 監修/助産師 松田玲子著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2022年09月04日主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を妊娠・出産しながらも、その夫と離婚協議中。離婚届にサインをする当日、なぜか義母もついて来て……。主人公・みちこは長女と夫と穏やかに暮らしていたところ、夫が学生時代の先輩と浮気を重ねていたことが発覚。しかし、離婚を決意して浮気の証拠を集めている最中に、浮気夫との第二子を妊娠してしまう。 夫やその浮気相手といざこざがありつつも無事に出産し、ついに離婚協議がスタート。離婚届にサインをする当日、なぜか義母もついて来て……。 親権を諦めきれない義母が口を出してきた!? 離婚が成立したあとも、「月に一度は娘に会いたい」と願う浮気夫。金輪際会わせるつもりはない、と却下するみちこさんですが、義母は「子どもには父親の存在が必要」と食い下がります。 埒が明かないのでみちこさんは年に一度、娘と夫を会わせることにしましたが、皆さんならどうしますか? 著者:マンガ家・イラストレーター サレ妻 みちこ
2022年09月03日夫の友人が、息子誕生のお祝いを持って遊びに来てくれました。友人のお姉さんがちょうど最近出産を終えたばかりだったようで、お姉さんと私の陣痛時間を比較するような発言をされてモヤモヤ……。悪気なく言ったのだろうし、夫の友人なので反論もできませんでした。そのとき、夫の反応は……?※コロナ禍前の体験談です わが家は立ち会い出産私が息子を出産したとき、夫の希望で分娩に立ち会ってくれました。破水から始まったお産で、自然に陣痛がきてからは2時間弱で息子が生まれたため、時間こそ短かったものの、陣痛に耐える私の姿に夫はかなり心配になったようでした。 無事息子が生まれた瞬間に、夫は感動の涙を流していたほどです。病院で別れて自宅に帰ってからも「本当に大変な思いをして生んでくれてありがとう」と、夫から何度もスマホにメッセージが届きました。 「ラクでよかったですね!」にモヤモヤ息子の生後1カ月健診も無事に終わり、夫の高校時代からの友人がお祝いを持って遊びにきてくれました。 夫の友人は、ちょうど最近自分のお姉さんが子どもを出産したばかりとのこと。「姉は陣痛がきてから1日半かかったみたいで、めちゃくちゃ大変そうでしたよ。どのくらいで生まれたんですか?」と聞いてきたので、「それは大変でしたね。うちは破水からで、陣痛がきてからは2時間くらいでした」と答えると、「早っ! ラクなお産でよかったですねー」と言われ、その言葉に私はモヤモヤ……。 夫の反論にスカッと!私が笑って受け流そうとしていると、すかさず夫が反論。「いや、陣痛時間短いと痛みが一気にくるみたいだから、すっごい大変そうだったよ!」と、友人に返してくれたのです。 友人は「そういうものなのかー。どっちにしても大変だ……」と言っていて、陣痛の時間の話はそこで終わりました。友人が帰宅したあと、改めて感謝の言葉を私から夫に伝えるのは照れくさかったので、その日の夕食は腕によりをかけて、夫の好物をたくさん作りました。 夫の友人は、まったく悪気なく「ラクなお産」と言ったのでしょうが、そのひと言に私は「陣痛時間が短い=ラクなお産ではないのに……」とモヤモヤしてしまいました。夫の友人だし、わざわざ息子の出産祝を持ってきてくれた、という状況だったので私は反論するつもりはありませんでした。しかし立ち会い出産をした夫が、私の陣痛のつらさをわかってくれていたことがうれしかったです。 著者:吉川 みきな2008年生まれの女の子と2018年生まれ、2022年生まれの男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年08月31日妊娠7カ月に受けた健診で赤ちゃんのおしりに影が見つかったゆーとぴあさん。病院で検査をすると、赤ちゃんのMRI画像には、おしりのあたりに「しっぽ」のようなものが。医師からは「仙尾部奇形腫(せんびぶきけいしゅ)」という聞いたことのない病名を言われ、さらに大きな病院を紹介されました。不安になったゆーとぴあさんは病気に関することを検索し続けましたが、ストレスが大きくなり、赤ちゃんにも良くないことだと感じ、夫に相談。そして、紹介されたこども病院に検査をしに行くことにしました。 どんどん進んでいく出産の話勧められたこども病院に検査にいくと……。 自然分娩に憧れていたので帝王切開はショックでした。 そして、病気について自身でいろいろ調べたことで不安になっていたので、医師にいろいろ質問したら……。 改めて、仙尾部奇形腫と診断されたゆーとぴあさんの赤ちゃん。健診・出産はこども病院で行うことになり、さらに帝王切開で出産することが決まりました。 赤ちゃんが名前も知らない病気で、先の見えない不安を感じていたゆーとぴあさんでしたが、このこども病院に検査を受けに行き、次々と出産の段取りなどが決まっていきました。ゆーとぴあさんは出産方法について少し残念と感じた部分もあったようですが、とりあえず先のことが決まると少し安心しますよね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修者:医師 三鷹レディースクリニック院長 天神尚子 先生日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ男の子2人を育てるママ。長男くんは仙尾部奇形腫、次男くんは発達障害児。事実を基にした子育てに関するエピソードをマンガ化し、Instagramに投稿しています。
2022年08月31日私には小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。娘は在胎37週6日、息子は在胎38週0日で生まれました。2人とも出産予定日より半月ほど早く生まれたことになり、そのことについて、義父から度々気になる発言がありました。そのたびに、悲しい気持ちになっていたのですが……、そんな義父に変化をもたらした、娘のひと言をご紹介します。 出産予定日より半月ほど早く生まれた娘娘を妊娠中、経過が順調だった私は、体に負担をかけないように気を付けながらマタニティライフを満喫していました。出産予定日まで残り半月となったある日、残りの妊娠期間も有意義に過ごしたいな……とのんきに考えていたのですが、おしるしがあり、そこからはあれよあれよとお産が進んでそのまま出産となりました。 少し驚きはしましたが、母からは私自身も出産予定日よりかなり早く生まれたと聞いていたので、特に気にすることもなく、無事生まれてきてくれたことに感謝していたのです。ところが、生まれてすぐに病室に駆けつけた義父は、着くなり開口一番こう言いました。「早かったねー」。 義父が言う「早かったねー」の意味義父に「早かったねー」と言われて、なんのことかな? と思っていたら、「予定日はまだまだ先だから、まさかこんなに早く生まれるとは思っていなくてびっくりした」と言ったので、そこで初めて、義父の言葉の意味を理解しました。そのあとも度々「なんで早く生まれたんだろうねー」と言ってくる義父。はじめのうちは「居心地が悪かったんですかねー?」と笑って返していましたが、私はだんだんその言葉が気になるようになっていきました。 娘は生まれてから1週間くらいは目を開けることもなく、寝てばかりいました。母乳育児にこだわっていた私は、寝てばかりでうまくおっぱいを吸えない娘を見ながらだんだんと、妊娠中に動きすぎたせいで早く生まれてきたのかな、早く生まれたからこうなのかな、と後悔するようになってしまいました。 歩き始めるのも遅かった娘だけど…娘はずっと、体が小さめで寝返りも歩き始めるのも遅かったので、義父の言葉を思い出しては不安になっていました。ところが、2歳を過ぎたころから急に、娘はぐんぐん大きくなり、運動能力も飛躍的に上がったのです。それとともに、私の中で義父の言葉も薄れていきました。ところが、第2子である息子が、娘と同様に出産予定日より2週間早く生まれたのです。義父はやはり、娘のときと同じことを言うようになりました。 息子は娘と違って大きく生まれ、おっぱいもよく飲んだので、娘のときのようには気にならなかったのですが、「早かったね」と言われるのはいい気持ちはしませんでした。それを察したのか、ある日娘が義父にこう言ったのです。「弟も私と同じで、早くじいじに会いたかったんじゃない?」。それを聞いた義父はうれしそうな表情で、不思議とそのあとからは、あの言葉は言わなくなりました。驚くとともに、娘には助けられました。 義父がなぜ早く生まれたことにこだわったのかはわかりませんが、私個人的には、産後の赤ちゃんの様子は個人差があって、その子によって違いが大きいのではないかと思っています。そして娘のあのひと言は、おじいちゃんが大好きな娘から出た素直な言葉だったのだと思います。娘は現在小学生ですが、クラスで一番背が高く、走るのも早いです。息子も活発で、今では義父の言葉で悩んだ日々は笑い話になりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年08月30日現在0歳娘の育児に奮闘中のママです。初産でしたが、自分でもびっくりするくらい脅威のスピード出産でした! 出産2日前の健診で、先生から「もう子宮口が3・4cm開いてるから、案外スルッと生まれてきちゃうかもね〜!」と言われてはいましたが、まだ出産予定日より10日以上前だったので、まさか2日後にスルッと生まれてくるとは……!? 私の驚きの出産体験談を紹介します。 これは便意だよね…?妊娠38週3日目の夕方ごろからなんとなく便意を感じ、夜にかけて何度かトイレで踏ん張りましたが、まったく便が出ないか、出てもほんの少しでした。普段から便秘のことがよくあり、この日も 「今日も出ないなぁ」くらいに思っていました。 でも、間隔があいてはいるものの、何度も便意らしきものが続くので、「これはもしかして便意ではなく軽めの陣痛なのでは?」と疑問に思い、夜ごはんを食べたあたりで病院に念のため電話しました。 「定期的に便意のような軽い痛みがあるんですけど、これって陣痛なんでしょうか……?」と連絡したところ、「もし痛みの間隔が狭まってきて定期的に来るようだったらまた連絡してください」と言われ、電話を切りました。 病院に連絡した際に「その痛みは陣痛ですよ!」とは言われなかったのと、出産予定日まで10日以上あったので、その日はそこまで気にせず、テレビを見たり普段通りの生活をしていました。 そんなこんなで夜中0時を過ぎてしまったため、お風呂に入るのが面倒くさくなり「明日の朝に入ろうかなぁ」とも思いましたが、夫に「一応今日入っておいたほうがいいんじゃない?」と言われ、「そうだね〜」なんて言いながらシャワーを浴びました。 シャワーを浴びて寝る準備も終え、夜更かしは良くないと思いつつもリビングでくつろいでいると、またあの便意らしきものがやってきました。夕方よりも少し痛みが増してきているような……? まだ陣痛ではなく便意だと思っている私は、またトイレへ直行。踏ん張ってみるものの、やっぱり出ません。あきらめてリビングに戻ると、またあの痛み! 「便意がこんなにあるのになんで出ないのー!」と思っている間に、気づけば間隔もだいぶ狭まり痛みも増してきました。 え? もう産むの!?ここにきてやっと、「便意じゃなくてこれはやっぱり陣痛かも」という気持ちが強くなり、寝室に行って夫を起こしました。起こしたあと、まだ少しあきらめきれない私はもう1回トイレへ。すると下着が少し濡れていたため、「破水した!?」と急いで病院へ電話。このとき午前2時半ごろでした。 登録していた陣痛タクシーを呼び、待っている間にだんだんと痛みが。でもこのときはまだ耐えられる程度の痛みでした。タクシーで病院へ向かう途中、車中で 「これが陣痛か」と確信できるような痛みに初めて襲われました。 病院に着き、痛みに耐えながら分娩台へ。助産師さんが子宮口を確認し、そして「はい、じゃあもう産むよ〜!」とのこと。「え? もう?」と思っている間にも着々と分娩の準備は進み、もうすぐあの「ひっひっふぅーーーう」が始まろうとしている中……。夫が呑気に「書類どこー?」と、病院から提出するよう言われた書類が見つけられなかったようで、私のバッグを持って現れました。 陣痛に耐えながら、「これ!」と書類が入ったファイルを少しイラッとしながら渡す私。書類を無事に提出した夫がこちらへ戻ってきました。事前の説明でも、コロナ禍のため分娩時以外の付き添い不可、「病院に来てもなかなかすぐ分娩にはならないのでいったんご主人には帰ってもらうことが多いですね」と聞いていたので、夫もまさかもう産む体勢に入っているとは思っておらず、「え? もう?」と言いながら立ち会い着を着ていました。 陣痛と便意は似ているのかも!?そして順調に「ひっひっふぅーーーう」を頑張り、子宮口が全開大になって必死にいきんでいると何かが出そうな感覚が。それを言わずにはいられなかった私は、いきみながら「便が出そうですー!」と自己申告しましたが、助産師さんは「いいのいいの、赤ちゃんもうちょっとだよー!」と何も気にすることなく分娩は続きました。 そして、出産予定日より10日早く、少し小さめではありましたが、娘が無事に生まれてきてくれました。元気な泣き声が聞こえたときは本当にうれしかったです。 このときなんと午前3時半前! 病院に着いていったい何分で生まれたんだろうという脅威のスピード出産体験でした。ちなみに、分娩中に便が出たかどうか特に確認しなかったので、本当のところはわかりません。 あの日、夜シャワーを浴びておいてよかったし、私が必死で陣痛に耐えているときの「書類どこー?」は今となっては笑い話。何より危うく自宅トイレで出産することになったかもしれないと思うと、無事に病院で出産できて本当によかったです。スピード出産ではありましたが、陣痛の痛みには心が折れそうだったので、早く出てきてくれた娘を褒めてあげたいです。 出産は人それぞれとは聞いていましたが、「なんで事前に誰も陣痛と便意が似てるって教えてくれなかったの?」と思いました。経産婦さんは1人目より分娩時間が短いと聞くので、先のことはわかりませんが、もし2人目ができたときにはいったいどんなスピード出産になるのだろうと、今からドキドキです。 監修/助産師 REIKO 著者:yurimama0歳の一児の母。初めての育児に毎日奮闘中。世の中のママさんたちのすごさをあらためて実感しているところです。どこにでもいる普通の会社員で、現在は育児休業中。
2022年08月29日2人目の妊娠中、妊娠7カ月のときでした。コロナ禍ということもあり、県外にひとり暮らししている母のところに里帰りをするか、出産後に手伝いに来てもらうか迷っている矢先のことでした。週に1~2度電話で話していましたが、突然電話がつながらなくなり……。心配で実家に行った私たちの目に映ったものは!? 私の妊娠中の衝撃エピソードを紹介します。 ひとり暮らしの母の安否がわからなくなり…私は9年前、結婚を機に実家を離れて隣県に嫁ぎました。そこから実家の母はひとり暮らしをしていました。私の5つ下に弟がいますが、弟は18年前から東京で暮らしており、ほとんど実家にも帰っていなかったので、母は長い間ひとりで暮らしていました。 私は1人目の息子を産んでから、2人目も欲しいと思っていましたがなかなかできず、6年目でやっと待望の2人目を妊娠することができました。母も2人目を切望していたのもあって、2人目ができたときは母も大変喜びました。 当時6歳の息子が幼稚園の年長で、出産後は里帰りするか、手伝いにきてもらうかといったことをよく電話で話していました。18年前に東京に出た弟も、実家近くで再就職することになり、あと1週間後には東京から帰ってくる矢先の出来事でした。 その日、私はいつも通り母に電話しようと、午前と午後に電話をかけたのですが、まったくつながらず、買い物にでも出かけているのだろうと思っていました。弟も同じ日、母に何度か電話をかけていました。ちなみに母は、今どき珍しく携帯電話を持っておらず、連絡手段は家の電話のみでした。さすがにもう家にいるだろうと思って再び電話してもつながらず、とても心配になりました。 「何かおかしい」。私も弟も何か直感のようなものを感じました。どうしたらよいかわからず、夫にも相談した結果、「一度警察に連絡してみよう」ということになりました。 警察からの連絡で、窓越しにカーテンの隙間から家の中を見たところ、電気が点いていて、ビールが1缶机にあり、全裸で横たわっている……とのことでした。「酔っ払っているだけなのか、病気で倒れているのかわからないので、窓を割って安否を確認してもよいか」と警察の人から言われました。 私と警察官が電話でやりとりをしている間に、母は目を覚ましたものの、警察の呼びかけには反応できないままだったので、私たちは急きょ実家に向かうことになりました。 変わり果てた母の姿に絶望実家に着いた私たちの目に飛び込んできたのは、下着も身に着けていない全裸の母の姿でした。警察の人の呼びかけで目は覚ましたものの、体は起こせず、呂律も回らない状態の母を見て、「脳の病気だ」と直感しました。119番をしてもらい、女性の警察官と協力して下着と服を着せ、救急車を待ちました。 病院での診断名は、「脳梗塞」でした。その日は入院手続きやら何やらでバタバタして気を張っていましたが、気持ちが落ち着くのと同時に「もう母とは意思疎通できなくなるのかも……」という不安に襲われました。待望の2人目の赤ちゃんのお世話も一緒にできないかもと思うと、すごく悲しい気持ちになり、ショックで何日も涙が止まりませんでした。 子どもの成長を一緒に見守ってほしいその後、母の病状は落ち着きましたが、「要介護4」となり、特別養護老人ホームに入所しています。コロナ禍なので、生まれた娘は1度だけしか直接母に会わせられていません。会話はなんとかできますが、新しいことはあまり理解できない母。それでもオンラインでの面会を重ねるたびに、娘の存在も理解してくれるようになりました。 今となっては、あのとき命だけでも助かり無事に娘と会わせることができてよかったと心から思います。実家に遊びに行き、娘や息子と一緒に遊んだり世話してもらったりすることは叶いませんが、成長する姿を見せていくことはできるからです。 妊娠中も出産後も何が起こるかわかりません。母が倒れたときは、絶望して下ばかり向いていましたが、現実を受けとめ、前向きに子育てを楽しみたいです。そして、今ある幸せを大切にしていけたらと思っています。 監修/助産師 REIKO 著者:けいあみママ8歳、1歳の二児の母。一人目を出産する前までは、小学校教諭として働いていたが、現在は専業主婦として毎日家事、育児にと奮闘している。
2022年08月29日痛いのがとにかく苦手だというほかほか命さん。和痛分娩を選択したものの、途中で陣痛が遠のいてしまい、急きょ陣痛促進剤を使って出産することに!コツをつかんだ旦那さんが、陣痛の波に合わせてテニスボールで何度も押してくれます。 助産師さんが、お産の進み具合をチェックすると……? 「もうすぐ赤ちゃんに会えますよ」 希望していた和痛分娩を中断して、陣痛促進剤を使った出産。 思ってたんと全然違う展開に困惑しつつも、待ちに待った、赤ちゃんとの対面は、近い……! 次回、いよいよ、いきみます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年08月29日初出産は初めての経験ばかりでした。その中でも出産直後に起きたある出来事が、自分の中でも特に強く印象に残っています。そのときは驚きと恥ずかしさで、家族以外には誰にも言えませんでした……。今回はそんな私の体験談をマンガにしてみました。 事件はトイレで起こった…!? 出産直後は、体力を使い果たしたのとお股を縫った痛みから、トイレもひと苦労でした……。しかしそんなある日、「ぐぬぬぅ!!」と全力を入れてしまったのです。すると「ポコッ」という音が聞こえて、胸が痛いと思ったら、なんと肋骨にヒビが! アホなことをしてしまった……と、病院では驚きとともに恥ずかしさでいっぱいでした。そして、出産直後は無理しないほうが良いと改めて思いました。また出産の機会があったら次は気をつけようと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:みどりひよりもうすぐ1歳になる女の子の母で主婦。時々育児の合間に育児絵日記を描いてます。
2022年08月28日先日荷物の整理をしていたら9年前の、息子を出産した日にとっておいたメモを発見。見ながら、当時衝撃だったことの数々を思い出しました。「9年経ってもはっきり思い出せる、私の初出産の衝撃10選」をまとめてご紹介します。 9年経ってもはっきり思い出せる、私の初出産の衝撃10選 ※「約9時間」はいきんだ時間ではなく、お産にかかった全体の時間です。 ※胎盤は作者さんのイメージで実際よりも大きく描いています。 初めての出産は高血圧があったので、母体と子どものためにという医師の判断で誘発分娩という形になりました。出産当日は何もわからない中、体がどんどん状況に対応していく様子に心がグングン引っ張られるような感覚を感じながら、頭の片隅では小さな自分がそれを冷静に傍観しているような、不思議な感覚でした。 「案ずるより産むが易し」って言葉をつくった人ってすごいな、まさにだな〜と思いました。いろいろな驚きがある中で、陣痛が始まってからお産が終わるまでつきっきりでお世話をしてくれた助産師さんの対応に衝撃と感動を受けた思い出です。 監修/助産師 松田玲子著者:とかげ23199歳と0歳男の子2人の母。最近介護関係の資格を取得したので転職を考え中。現在は焼き鳥屋さんでひたすら串打ちをしています。SNSでは日常の記録「つれづれなるママちゃん」を日々更新中。Twitter:@t0kage2319
2022年08月28日現在、生後5カ月の息子がいます。切迫早産を乗り越えた矢先、別の理由で約1カ月早めに出産。そんな私の体験談を紹介します。※新型コロナ感染症が「5類感染症」に移行する前の体験談です。 自分は大丈夫だろうと油断していたそのとき、私は妊娠37週0日でした。その2日前、実家には普段は夜勤などが多く、あまり会うことのない実父がいました。実父は、会社の集まりでごはんに行っていたらしく、酔っていました。食事をしていたところから歩いて帰ってきた実父は、「寒いんだよなぁー。なんか寒気するんだよなぁー。喉も少し痛いし」と冗談交じりに笑いながら話していました。 「コロナじゃないよね、こわいなー」など他愛もない会話をして、私はその日に自宅へ帰宅。次の日、私は喉が痛くなりました。ただ喉が痛いだけで、熱などはなかったこともあり、「のど飴を舐めていればなんとかなるだろう」と、そう思っていたのです。 お医者さんの言葉に自分を責める…次の日の朝、頭痛がすることに気づきました。熱を測ると37.5度。「あぁやってしまった」と思いました。すぐ病院を探したのですが、早くても翌日しか空いていなかったため、できるだけ体を休めることに集中しました。 しかし夕方になるにつれて熱は高くなり、39.2度にまで達していました。そして、なんだか胎動が弱く感じたのです。実母に連絡したところ、「すぐに産婦人科に電話しなさい」と言われました。そのとき、すでに22時ごろだったと思いますが、電話をすると「すぐに来てください」と言われ、病院へ行きました。 いろいろな検査をしてわかったことは、新型コロナが陽性であること、そして羊水が少ないこと、赤ちゃんが危険な状態であること、ということでした。産婦人科の先生はこう私に告げました。「今から緊急帝王切開になります。ただ、ここの病院では受け入れることができないので、約1時間ほどかかりますが、対応しているこちらの病院に行ってください」と。おなかの子は大丈夫なのか不安になった私は、自分の行動を振り返り、自分を責めました。 防護服の先生に囲まれての出産1時間かけて向かった病院には、防護服を身につけた先生方がいました。夜中0時ごろに病院へ着き、約2時間半おなかの具合を検査して3時ごろにオペ室へ。私が覚えているのは、真っ白な部屋とおなかを触られる感覚。そして、息子が生まれてきたときの小さい泣き声と、うっすらと見えた息子の体です。 そこから12日間は感染対策のため、息子に会うことはできず、術後の痛みに耐える日々でした。ただ、息子に再会してからは、痛みなんて忘れるほど幸せな毎日を過ごせています。 新型コロナが流行っている中での妊娠・出産は、もともと不安なことが多くありました。しかし不安な中でも、どこかで「自分は大丈夫」と思っていたのかもしれません。結局、最後の最後でかかってしまい、新型コロナは本当に身近に潜んでいる病気なのだと実感しました。おなかの子や子どもを守るためにも、必要最低限の対策を講じたうえで生活していかないといけないと感じました。 感染したときは家族が力になってくれて、そして病院の先生たちが助けてくれました。そのことに感謝し、今後のことをしっかり考えて過ごしていきたいと思っています。あのときの痛みを忘れさせてくれるくらい、子どもは本当にかわいいです。これからも、かわいい息子と幸せな日々を過ごしていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:そら22歳で一児の母。犬2匹と一緒に幸せに暮らしています。
2022年08月27日Instagramで2017年生まれのつむちゃんと2019年生まれのいとちゃんの育児日記や日常を描いている芸子さん。今回は、芸子さんが第1子・つむちゃんを出産・育児に奮闘していたときに、パパに言われた衝撃的な一言をご紹介します。長女を出産し、初めての育児。毎日、危険と隣り合わせの日常で……。 なんでそっち側!? 初めての出産と育児に奮闘し、自分のいのちよりも大切な娘を育てる日々。そんな様子を側で見ていた夫は、 「子供を産んでから変わったよね……」と衝撃の一言! その後も幾度のケンカを乗り越え、次女が生まれるころには戦友のような関係になれました。 ◇◇◇ 何度もぶつかり合い、夫と戦友のような関係になれたという芸子さん。思ったことを溜め込んで、話し合いを先延ばしにしてしまうのではなく、ひとつずつ問題を解決していくことで、家族のカタチを作っていくのかもしれませんね。著者:マンガ家・イラストレーター 芸子
2022年08月27日Instagramで2017年生まれのつむちゃんと2019年生まれのいとちゃんの育児日記や日常を描いている芸子さん。今回は、芸子さんが第1子・つむちゃんを出産・育児に奮闘していたときに、パパに言われた衝撃的な一言をご紹介します。長女を出産し、初めての育児。毎日、危険と隣り合わせの日常で……。 なんでそっち側!? 初めての出産と育児に奮闘し、自分のいのちよりも大切な娘を育てる日々。そんな様子を側で見ていた夫は、 「子供を産んでから変わったよね……」と衝撃の一言! その後も幾度のケンカを乗り越え、次女が生まれるころには戦友のような関係になれました。 ◇◇◇ 何度もぶつかり合い、夫と戦友のような関係になれたという芸子さん。思ったことを溜め込んで、話し合いを先延ばしにしてしまうのではなく、ひとつずつ問題を解決していくことで、家族のカタチを作っていくのかもしれませんね。著者:マンガ家・イラストレーター 芸子
2022年08月27日初めての出産で、母親学級とか健診とか、とにかく初めてのことだらけで毎日不安でした。そのため 出産予定日近くになったらすぐ入院できるように用意周到で待っていた私。しかし、まさかの事態に……!? 私のオドロキの出産体験談を紹介します。 いつ生まれてもいいように入院セットを準備当時、結婚してすぐに長女を妊娠したのは33歳のとき。高齢出産に近い年齢ということを病院から言われたこともあり、妊娠中は不安でいっぱいでした。そこで私は、出産予定日近くになると、いつ入院してもいいように家の玄関に入院セットを準備万端にして置いておきました。 出産予定日3日前の朝、夫を送り出した直後、何度かもよおしたくなる感覚に襲われたので病院に電話で相談。「破水しているかもしれないので急いで病院に来るように」と言われました。すぐにタクシーを呼び、入院セットをもって夫と自分の母に連絡。自宅からタクシーに乗って病院に向かいました。 破水後もなかなか陣痛が来ず…車椅子に乗り陣痛室へ運んでいただくと、横になりいろいろ処置をしてもらいました。結局破水はしていたものの、陣痛はなかなか来ません。そこで、破水後はバイ菌が入りやすいため、陣痛を促すことに。陣痛促進剤の点滴を打ちましたが、なかなか陣痛が来ません。私が通っていた産院の陣痛室のベッドは、担架型の小ぢんまりした窮屈なベッドでした。また、個室ではなくパーティションで仕切られています。 その後、何人も妊婦さんが到着し、陣痛が来て苦しそうにしながら分娩室に運ばれていきました。「私の番はいつ?」と、悶々としながら過ごしていました。陣痛促進剤の点滴を打ってもまったく陣痛が来なかったため、結局3日間も陣痛室にいることに……。 さすがに「これ以上陣痛が来ないと、自然分娩は難しい」ということになり、帝王切開になると産院から言われた途端に、陣痛が始まりました。あの3日間は本当に長かったです。 陣痛が来てすぐのスピード出産!?そして、どういうわけか出産予定日のドンピシャの日に出産。3日間も陣痛室にいたわりには、出産時間は短かかったようです。また、赤ちゃんは3,400gと大きめだったのもあり、助産師さんや産婦人科医、新生児担当の小児科医の先生方が名前を覚えてくださいました。 3日間も陣痛室にいて、担架のようなベッドに寝ていたなんてなかなか体験できませんし、そして子どもが出産予定日に生まれたのも私にとっては驚きでした。初めての出産は、私にとって貴重な思い出となっています。 監修/助産師REIKO 著者:しらたま21歳 18歳 16歳 11歳 4人の子どもの母。3年前はフルタイムでバリバリ仕事していましたが 、今は更年期障害と戦いながら仕事をパートに切り替えました。働きながら子育てのことなどを交えて執筆しています。
2022年08月26日切迫早産で入院していたわこさんは、実家で過ごしていました。しかし、妊娠39週のある日、突然激しい腰の痛み、過呼吸、発熱などの症状が。救急車を呼んで、病院へ着くと、わこさんの状態を見た医師から帝王切開で出産することを告げられました。無事出産したあと、「腎盂腎炎(じんうじんえん)からくる敗血性ショック」と診断。命の危険があったとわかり、わこさんはICUに入りました。 ICU(集中治療室)での過ごし方無事、赤ちゃんを出産し、ICU(集中治療室)に入ると……。 体重測定では、寝たままで吊るして測定しました。もちろん初めての経験でした。 その後、子宮の具合を診察してもらったところ、子宮の戻りが悪いとのことで、おなかをマッサージされました。それは、声が出てしまうほど痛く、産後の痛みベスト3に入るほどでした。 そして、処置が終わり、体を休めていると……。 ICUでは寝たきりで過ごしていましたが、点滴の交換やいろいろな処置など、入れ替わり立ち替わりで看護師さんや先生が来ていました。 カーテンで仕切られているICUのベッドから個室に移れたのですが、想像していたよりは環境が変わらず、ずっと落ち着きませんでした。 窓も時計もなく、何時かわからない状態でしばらく過ごしていましたが、やっとスマホが手元に戻ってきました。 ◇◇◇ ICUで周りの音に悩まされていたわこさんでしたが、経過が順調だったためICUの個室に移れることに。さらに、スマホを使えるようになり、家族と連絡が取れるようになりました。 起き上がれないわこさんは、体重測定の際、リフトで吊るされた状態での計測でしたね。みなさんも、病院の検査などで思っても見なかった経験をしたことはありますか? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修者:医師 三鷹レディースクリニック院長 天神尚子 先生日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年08月26日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ監修/助産師 松田玲子著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2022年08月23日和痛分娩中、陣痛が遠のいてしまい、急きょ陣痛促進剤を使って出産することになったほかほか命さん。ついさっきまでの和やかな時間がうそみたいに、再び激しい痛みに襲われます。 「これで押してあげるといいよ!」 助産師さんが旦那さんに渡したのは、出産体験談でよく出てくる、あのテニスボール! 何度か押してもらうと…… 強烈な陣痛中、叫んだ言葉に夫は……!? 本当に腹の底からこう叫んだ 出産直前まで、収納特集などを読み漁っていたせいか、思わずでた言葉が「シンデレラフィット」だったそう! それを聞いて、吹き出したという旦那さん。 すごくにぎやかな出産だったようですね(笑)! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年08月22日主人公・みちこは第二子を妊娠・出産しながらも、その夫と離婚協議中。離婚届にサインをする当日、なぜかついて来た義母が「孫を譲るつもりはありません!」とまさかの口出し。離婚の覚悟ができている夫が義母を制しますが……。主人公・みちこは浮気夫との間にできた第二子を妊娠・出産しながらも、その夫と離婚協議中。離婚届にサインをする当日、なぜか義母もついて来て「孫を譲るつもりはありません!」とまさかの口出し。 しかし、離婚の覚悟ができている夫が義母を制し、慰謝料も養育費も支払う意思を見せますが……。 思いも寄らない夫の発言! 自分が起こした浮気騒動にも関わらず、慰謝料や養育費の支払いを義母に半分持つようお願いする浮気夫。そんな情けない姿を目の当たりにして、呆れて言葉も出ないみちこさん。弁護士さんもいる前で、恥ずかしくなってしまいますよね。 皆さんは、第三者がいる前での親族の態度や行動などで、恥ずかしい思いをしたことはありますか? 著者:マンガ家・イラストレーター サレ妻 みちこ
2022年08月21日第1子を出産してから13年……いまだに出産直後の記念撮影のことで後悔しています。無事に出産を終えたら、立ち会ってくれた夫と出産を頑張った私、そして生まれたてのほやほやの赤ちゃんの3人で写真を撮りたいと妊娠中から考えていました。それが、まさかの結果に終わってしまったお話です。妊娠中から決めていた、初めての家族写真第1子を妊娠時、初めての出産ということもあり、陣痛中はどんなサポートをしてほしいか、どんな音楽をかけてほしいか、出産したらしてほしいことは何か、などバースプランは念入りに考えることに。 私は立ち会い出産の予定で、赤ちゃんが無事に生まれたら夫と私と赤ちゃんの3人で初めての家族写真を撮りたいと思っていました。そのことも助産師さんに伝え、バースプランにも記載していました。夫も賛成してくれ、当時はフィーチャーフォン(いわゆるガラケー)だったので、デジカメも用意して準備していたのです。 いよいよ陣痛が来た! 立ち会いもできそう!妊娠39週3日の21時ごろ、陣痛が始まりました。ちょうど夫も仕事から帰宅したタイミングで、立ち会いもできそう。病院に着くころには子宮口も7cm開いていましたが、そこから子宮口全開大になるまでが長くかかりました。 陣痛の痛みの波のたびに強い力で一生懸命腰をさすってくれる夫。合間には私をうちわであおいだり、水を飲ませてくれたりと一生懸命サポートしてくれていました。深夜1時半に出産し、その瞬間にも立ち会った夫は感動の涙を流していました。 助産師さんに「赤ちゃんの状態をみるから、写真が撮れるようになったらパパに声かけますね」とのことで、夫は分娩室を一度出て、陣痛室のソファで待つことに。 一度寝たら、なかなか起きない夫……私も分娩台に横になったまま出産の余韻に浸っていると、助産師さんが気まずそうに「3人で家族写真撮りたいよね? 赤ちゃんの準備できたからパパに声をかけているんだけど、熟睡しちゃってるんだよね」と。 私は2時間の安静時間が必要なため動けず、助産師さんにお願いし、夫の肩を叩いて再度声をかけてもらいましたが、まったく起きない様子……。仕方がないので、赤ちゃんと私の2人で写真を撮ってもらいました。安静時間が終了し、病室に移動する際に夫を叩き起こすと、青ざめた様子で何度も私に謝ってきました。 出産直後に3人で初めての家族写真を撮ろうと約束していたのに、陣痛中のサポートで疲れたのか、寝てしまった夫。今考えたら、私の安静時間が終了して夫を叩き起こしたときに写真を撮ってもらえばよかったのですが、当時は怒りでそんなことも思いつきませんでした。出産に立ち会いサポートしてくれた夫には感謝していますが、13年経った今でも、後悔している出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:鈴木 沙智2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年08月21日主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を無事に出産。妊娠中は何かとトラブル続きだったものの、ついに夫が離婚に応じてくれることに。しかし、離婚届にサインをする当日、なぜか義母もついて来て……。主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を無事に出産。妊娠中は何かとトラブル続きだったものの、ついに夫が離婚に応じてくれることに。 数日後、弁護士立ち会いのもと離婚届にサインをするために集まったが、そこにはなぜか義母も登場。 「親権については裁判したいです!」なんと義母が口を挟みだし… 親権について戦う姿勢を見せる義母に、驚きを通り越して呆れてしまったみちこさん。義母の突然の発言に、その場にはなんとも言えない空気が流れます。 夫はそんな義母を制しますが、なんと慰謝料の折半を頼みだします。いくら会社をクビになってお金がないとはいえ、そういう話は家でやって来てほしいもの。大人としての行動をとってもらいたいですね。著者:マンガ家・イラストレーター サレ妻 みちこ
2022年08月20日「里帰りするんでしょ」。誰もがそう声をかけてきて……。母親のことが苦手な私は里帰り出産をしない少数派で、里帰りしないその選択は親不孝なのだろうか……。そう悩んでいました。実際に里帰りしないで2人の子どもを出産。デメリットばかりではない、夫婦で向き合った出産・育児の経験をお伝えします。 母親嫌いな私は「里帰りしない出産」へ私は結婚後遠方へ嫁いだため、母親と会うことも少なくなっていました。待望の妊娠が判明してすぐ私が考えていたのは里帰り出産をしなくてもいい方法でした。母親のことが苦手な私。里帰り出産をして、母親と顔を合わせれば喧嘩をしてしまう……。 出産後、実家で子育てなんて想像しただけでストレスを感じました。周囲の反対を押し切り、夫を説得し、誰も頼ることのできない自宅アパートに残ることを私は決意しました。 出産! 産後1カ月を乗り切った方法出産当日。初めての陣痛も夫婦で乗り越え、無事に元気な男の子を出産しました。私の入院中、夫は自分のことだけでも大変だったのに、わが子を迎え入れるために部屋を掃除し、さらに退院の準備でバタバタしたようです。 退院後、必要な物はネットで購入。注文した翌日に商品は届きます。退院1週間後の健診は、タクシーを利用しました。産後1カ月の間、洗濯は後回し、掃除もしない……。食事は健康的なメニューの宅配弁当に頼り乗り切ったのです。 里帰りしない出産の最大の利点は?無理をしないことを大前提に、私はファミリーサポートや産後ヘルパーなどさまざまなサービスを利用することに。おかげで産後3週間は、ほぼわが子のお世話だけをして体を休めることができました。何より私の心が穏やかでした。 ただただ眠るわが子を夫婦で愛おしく見つめ、困ったことは夫婦で試行錯誤する。産後1カ月間、わが子と私のために頑張ってくれた夫。いつもそばにいてくれた夫のことを本当に信頼し、良いパートナーだと実感することができました。里帰りしない出産で私の心身は健康に、そして家族の絆は深くなったと感じています。 産後はささいなことで不安になったり、苛立ったりしていた私ですが、実家に帰れば余計なストレスを感じていたはずです。しかしアパートに残ったことで、夫や友人に相談しながら育児に奮闘することができました。2人目も里帰りはしませんでしたが、さらに夫がたくましく思えました。もし3人目を妊娠しても、迷うことなく私は里帰りしない出産を選択します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/ライコミ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年08月20日主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を出産。それまで、夫の浮気相手が夫との子を出産したり、夫が暴れて警察沙汰になったり、何かとトラブル続き。夫が警察から釈放されると、謝罪とともに離婚に応じてくれるとの連絡が。ついにサインをする日がやってきて……。主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を出産。それまで、夫との離婚話が進まなかったり、夫の浮気相手が夫との子を出産したり、夫が暴れて警察沙汰になったり、何かとトラブル続き。 しかし、夫が警察から釈放されると、謝罪とともに離婚に応じるとの連絡が。第二子の出産を終え、ついにサインをする日がやってきて…… 夫と久々のご対面! 久しぶりに会ってやつれた夫を見て、少し心配になったみちこさん。しかし、一人前の大人が話し合いに親を連れて来るなんて、ずいぶん情けないものですよね。 さらに義母は何を勘違いしたか、みちこさんの弁護士さんに、親権について裁判したいと言い出します。この親子のこと、皆さんはどう思いますか? 著者:マンガ家・イラストレーター サレ妻 みちこ
2022年08月19日2021年生まれの息子さん・ごうくんのママであるはちななさん。ごうくんを出産される前、妊活をしていた際の検診で「子宮筋腫がある」と医師から告げられました。子宮筋腫が見つかり、病気とどう向き合いながら妊娠生活を送ったのか。「同じ状況で不安な人の参考になれば」とつづる、はちななさんの体験談をご紹介します。 筋腫の大きさは…※子宮筋腫は、子宮にできる良性の腫瘍です。30~40代の女性に多く、生殖年齢にある女性の20~30%にみられると言われています。子宮筋腫は良性の腫瘍ですが、大きくなると過多月経、月経困難症、不妊、圧迫症状など、さまざまな症状が現れるため、早めに診断・治療を受けることが大切です。 小さなわが子を抱きしめ、「頑張って出てきてくれてありがとう」と、感謝の気持ちでいっぱいになったというはちななさん。子宮筋腫は出産直前では10cmまで大きくなっていたとのことですが、医師曰く「いい形でお産ができてよかった」とのことで、母子ともに健康で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 はちななさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター はちななフルタイムで働きながら、趣味で家族のことや息子との思い出をイラストや漫画にしています。
2022年08月17日現在2人の女の子の子育て中です。長女を出産したのは7年前。入院中から娘を産んだあとまで、夫の何気ない行動にイラっとしてしまった出来事がいくつかありました。 今回はムカついたエピソードを3つ紹介したいと思います。 何ぐっすり寝ているの?夫は病院に行くところから分娩までずっと付き添っていてくれました。陣痛が24時にきて、病院に向かいそのまま入院、娘は翌朝の7時に生まれました。初めての出産で緊張していたのに加え、陣痛も来ていたので、その日私は一睡もできないままの分娩。 ところが夫はというと、その横でぐっすり! うとうととしてしまうのは仕方がないと思いますが、「明日に備えてもう寝るわ」と宣言され、その後、分娩直前までたっぷりと睡眠をとったのです。そのときのやるせなさと言ったら⋯⋯! いくら何でも撮りすぎじゃない?分娩前だけではなく、分娩中の行動でも夫にムカついたことがあります。それは、写真をひっきりなしにたくさん撮っていたこと。夫は元々カメラが大好きでよく写真を撮ります。 出産の様子もきちんと記録するぞ、と張り切って一眼レフカメラを病室に持ち込んでいました。私も分娩の様子や赤ちゃんとの対面を撮ってくれるのは喜ばしいことだと思っていたのですが、あまりにもずっと撮っているので段々とイライラ。もう少し「私を気づかったらどうなの?」と思いながら陣痛の痛みに耐えていました。 そしていざ出産、私の痛みはマックス! 夫のシャッターを切るスピードもマックス!「もう撮らなくて良いから!」とキレてしまいました。 周囲に安産だったと言う長女は病院に着いてから7時間で生まれました。初産にしてはとってもスムーズだった、と取り上げてくれた助産師さんも仰っていました。しかし、初めてのお産は恐怖と痛みの連続、私はガチガチになりうまく声を出して痛みをまぎらわせることもできず、いつまで続くかわからない陣痛の痛みと闘っていました。割と静かに耐えていましたが、痛さは強烈でした。 なのに、お見舞いにきてくれた方々1人ひとりに夫は、「超安産でスルッと出てきた」と説明するのです。寝ていたからあっという間だと感じたんだよ! そして「安産だった」と語ってよいのは産んだ本人だけだから!と強く思いました。 このように長女を出産してから7年経った今でも、産後ムカついたことについては鮮明に覚えています。そしてまだ根にもっていて、何かの折に触れ「あのときは」と話しています。長女のときはいろいろとムカつきましたが、次女の出産時には再三注意してから出産に臨んだのできちんとサポートしてくれました。 監修/助産師REIKOイラストレーター/山口がたこ著者:小川恵子6歳と2歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年08月17日出産後、育児で思い悩み、毎日眠いのに眠れず、夫にもイライラして自暴自棄になっていたみいのさん。出産後2週目に「産後うつの傾向が強い」との診断が!授乳の嫌悪感が強かったため思い切って育児用ミルクに切り替えたみいのさん。罪悪感もありつつ、でももう授乳しなくていいということで心がラクに! 残る問題は「不眠症」。どう解決したのでしょうか。 極限まで起きてみたら 眠いのに眠れない……! 無理に寝ようとすると余計に寝られなくなってしまうので、いっそ寝ることをあきらめて、趣味の絵を描いたりして過ごすことにした、みいのさん。 眠れない理由の1つに「娘がいつ起きるかわからない」という不安があったため、電動で揺れるハイローラック「ネムリラ」を導入! すると、乗せているだけで眠ってくれることが増え、寝かしつけがグンとラクに! つむちゃんが眠る時間が把握できるようになってくると、次第眠れるようになってきました。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。普段は企業の広告漫画を主に描いております!インスタでは子育てエッセイ漫画やイラストをアップします。コメントやイイねしてくださるととても嬉しいです!
2022年08月17日私は妊娠初期のころ、つわりに耐えながら「これよりきつい陣痛なんて耐えられるのか?」などと思っていました。でも産院で実施されていたヨガに通ったことで出産に良いとされる呼吸法を学び、出産への恐怖が軽くなりました。妊娠中や出産時にどのように良い影響があったのかをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です。 ヨガで妊娠後期トラブルを解消医師から安定期に入ったら体を動かすよう言われました。しかし妊娠後期になると、足のつりやむくみで動くのがおっくうに。毎日の体の不調で気分も落ちていました。そんなときに産院でヨガが開催されていることを知り、健診のついでに参加しました。 ゆったりと無理のない動きのマタニティヨガ。体を伸ばすことがとても気持ちよく、それからは毎週ヨガに通いました。そして足のつりやむくみが解消されていき、気持ちも上向きになりました。 ヨガで学んだソフロロジー呼吸法ヨガではソフロロジー呼吸法の練習がありました。穏やかな音楽をBGMに、呼吸を意識することでリラックスした状態になります。さらにイメトレによって出産を前向きに捉えられるよう、気持ちをコントロールします。お産をラクにする効果があるとされているようです。 気持ちのコントロールには練習が必要。毎週ヨガに通った結果、臨月には練習中にリラックスしすぎて眠ってしまうほどになりました。 陣痛開始! 意識もうろうとしながらも…ヨガで体のトラブルが解消し、ソフロロジー呼吸法で自分をリラックスさせる方法も習得。妊娠41週目、いよいよ陣痛がきました。産院での陣痛中は呼吸を意識しました。そして呼吸を意識する余裕がなくなってきたところでナースコール。 すでに子宮口が9cm開いているとのことでした。私があまりに静かに陣痛に耐えているので、助産師さんもお産が進んでいることに驚いていました。呼吸に集中することで痛みが軽減されていたようです。 出産の瞬間まで呼吸を意識した結果…子宮口が9cm開いていることがわかってすぐに分娩室へ運ばれました。分娩台に乗っても常にソフロロジー呼吸法に集中し、陣痛時間5時間で生まれました。出産の瞬間は呼吸どころではなく痛かったのが正直なところ。ただ出産後に助産師さんから「呼吸が乱れなかったからスルッと生まれましたよ」と言ってもらえました。自然とソフロロジー呼吸法を継続できていたようです。 私の場合、ソフロロジー呼吸法により、出産は最小限の痛みで乗り越えられたようでした。妊娠中は穏やかで落ち着いた時間を過ごせるきっかけになったヨガ。妊娠中にヨガに通い、ソフロロジー呼吸法をマスターしておいてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:海原えめ3歳の男の子を育てるアラフォー母。幼児食インストラクターの資格を保有。育児において食生活を大切にすることを重視している。
2022年08月16日2021年生まれの息子さん・ごうくんのママであるはちななさん。ごうくんを出産される前、妊活をしていた際の検診で「子宮筋腫がある」と医師から告げられました。子宮筋腫が見つかり、病気とどう向き合いながら妊娠生活を送ったのか。「同じ状況で不安な人の参考になれば」とつづる、はちななさんの体験談をご紹介します。 ついに、そのときが※子宮筋腫は、子宮にできる良性の腫瘍です。30~40代の女性に多く、生殖年齢にある女性の20~30%にみられると言われています。子宮筋腫は良性の腫瘍ですが、大きくなると過多月経、月経困難症、不妊、圧迫症状など、さまざまな症状が現れるため、早めに診断・治療を受けることが大切です。 医師に会陰切開をしてもらい、あともう少しで赤ちゃんに会える。そんなとき、何度かいきむと……バッシャーンという感覚が。破水のときのことがあり、「漏らしてしまった!?」と焦るはちななさんでしたが、赤ちゃんが出てきてくれた感覚だったのですね。 胎盤を出す際、会陰切開の傷を縫われている際は「嘘のように痛くなかった」とのことで、やはり赤ちゃんに出会えた感動はひとしおですよね。 無事にごうくんを出産されたはちななさん。筋腫の状態はどうだったのか、医師が語ったのは…… 第12話に続きます! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 はちななさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター はちななフルタイムで働きながら、趣味で家族のことや息子との思い出をイラストや漫画にしています。
2022年08月16日第1子である長女を妊娠していたときは、総合病院ながら産婦人科がメインの大きめな病院で出産を控えていました。人気の病院で待合室はいつも患者さんで溢れかえってはいたものの、陣痛室や分娩室などは他の病院より充実していたので、出産時に混みあうようなことはないだろうと思っていたのですが……。破水したのは満月の日長女は出産予定日を1週間過ぎても生まれてこず、「次の健診までに陣痛がこなければ誘発分娩」と医師に言われて、びくびくしながら過ごしていました。誘発分娩は何となく怖かったので、たくさん歩いたり、陣痛が来ると言われるジンクスを片っ端から試してみたりしましたが、すべて空振り。 しかし、運命の健診を2日後に控えた満月の日、0時前にふと起き上がると、体の中で風船がはじけるような音がして下腹部が濡れていく感触がありました。破水したのです。 タクシーで病院へ産婦人科に電話をすると、すぐにきてほしいとのことでした。タクシーに乗って病院へ着くと、すでに1台のタクシーが停まっていておなかの大きな妊婦さんが出てくるのが見えます。 何もかも初めてでドキドキしていた私は、「仲間がいる! ひとりじゃない!」ととりあえずホッとしましたが、その後もう1台タクシーが訪れ、あっという間に3室の陣痛室が埋まってしまいました。「普段から患者さんが多いからこんなものなのかな」と思いつつも、助産師さんたちの様子がいつもより切羽詰まっているような気がしました。 10人が同時に出産!?破水からの出産で24時間以内に出産する必要があった私は、バルーンや陣痛促進剤を使った誘発分娩となりました。今まで味わったことのない痛みに悶えながら、「今から和痛にできたりしませんか?」と近くにいた助産師さんに弱音を吐いてしまった私。 しかし、助産師さんの返事は「ごめんね、一応聞いてみるけど今10人ぐらいお産中だから無理だと思う……」という驚きの内容でした。言葉通り助産師さんはそのまま私の出産が終わるまで結局戻ることなく、私は12時間以上の陣痛をどうにか耐えて長女を出産しました。 中秋の名月と満月が重なった日長女を出産後、新生児室に行くと13人もの新生児が並んでいました。うち10人は、私が長女を出産した同じ日に生まれた赤ちゃんとのこと。病院側は陣痛室が足りず、入院用の部屋に設備を運んで対応したそうです。 私が産気づいたのはのはただの満月の夜ではなく、数年に一度の中秋の名月と満月が重なる夜でした。「満月の日は生まれやすい」という説を聞いたことはあったものの、これほどまでとは思っていなかったので本当に驚きました。 先日、長女から「クラスメイトに同じ誕生日の子がいた」という話を聞いて、「あのときの1人かも」と不思議な気持ちになりました。あれから次女、長男と2人の子どもを産みましたが、同じ日に同じ病院で10人出産というのはあのときだけです。満月の力を実感した忘れられない出産です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療的ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院で農学を学んだ経験から食についても執筆。
2022年08月16日出産後、育児で思い悩み、毎日眠いのに眠れず、夫にもイライラしてしまい、自暴自棄になっていたみいのさん。出産後2週目に産院を受診すると「産後うつの傾向が強い」との診断が!母親に電話をすると、「多少適当でも育つんだから、自分が楽しくなるようにしなさいよ」と助言をもらいました。思い詰めて育児をしていましたが、気持ちがラクになり、「もうやめる!」と心に決め、ある思い切った行動にでました。 思い切って飲んでみたら… もう後に引けないよう、お酒を飲んで、生後1カ月で授乳をきっぱりやめることに! 授乳自体に嫌悪感が強かったみいのさんは、罪悪感もありつつ、でももう授乳しなくていいということが随分心をラクにしてくれたそう。 娘をかわいいと思えないほど思い詰めていましたが、授乳のストレスから解放されたあと初めて、娘をちゃんと見ることができたような気がしました。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。普段は企業の広告漫画を主に描いております!インスタでは子育てエッセイ漫画やイラストをアップします。コメントやイイねしてくださるととても嬉しいです!
2022年08月16日4人の子ども育ててます
子育て楽じゃありません
良妻賢母になるまでは。