私は初めて妊娠したとき、妊娠20週ごろから助産院を利用しました。自治体のパンフレットで利用した助産院の紹介を見て、「おなかの子どものリズムと私の体を優先したお産ができそうだ」と感じたことがきっかけでした。それと私の周りでは助産院で出産した人はおらず、「どのようなところなのだろう」という好奇心もありました。それぞれの助産院ごとで提供しているサービスは違うと思いますが、私が利用した助産院のお話をしたいと思います。 ゆっくり落ち着いての診察利用した助産院は、一軒家を利用して営まれていました。完全予約制で待ち時間はゼロ。助産院に入るときもインターフォンを押して、中から開けてもらわないと入れません。 そのため、健診中は診察用の部屋の外でほかの妊婦さんが待っているということはなく、リラックスできました。助産師さんたちも作業をしながら、ほかの妊婦さんを気にかけながらではなく、私だけに集中してくれます。 私は大切に扱われているように感じ、穏やかな気持ちになれました。 オーダーメイドの指導を受けられる私の話をしっかりと聞いたうえで、助産師さんからは生活のリズム、食事、運動、睡眠のアドバイスをしてもらえました。冊子や本にあるような一般論ではなく、私に合った、私とおなかの中の子どもが快適に過ごせる方法です。 例えば今まで私は夫の帰宅が21時ごろになるときは、18時と21時の2回に分けて夕食を食べていました。けれど「夕食が遅くなると睡眠が浅くなる」とのアドバイスを受け、夕食は18時にすませ、夫の食事のときにはお茶を飲むようにしました。 おっぱいの相談もできる出産後は、おっぱいの相談にも助産師さんが親身に応じてくれました。私も赤ちゃんも初めて同士の授乳で、うまくいかないことも多くあったのです。けれどそんなときは助産師が授乳するときの体勢や抱き方など細かくアドバイスをくれ、赤ちゃんが順調におっぱいを飲んだときには、一緒に喜んでくれました。 さらにおっぱいにしこりができたり、張ったりしたときはマッサージをしてくれるのです。痛みが出るくらい張ることもあったのですが、マッサージを受けるとスーッとラクになりました。 助産院での出産は、私に合った情報が得られたり、親身なサービスを受けられたりしてとても満足しました。そして何よりも、しっかりと私と向き合ってくれている、そう感じられることで、産前産後の不安を軽くしてもらったように感じています。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年10月10日私は、妊娠中から立ち会い出産を希望していました。ところが、いざ出産当日になると、夫は私よりも落ち着かない様子で、自分から率先してサポートすることができませんでした。もっと事前に夫婦で話しておけばよかったなと思うことも。そんなわが家の立ち会い出産体験談をお伝えします。 夫は緊張して何もできず…立ち会い出産当日。陣痛が始まってから、夫は私のそばにいてくれましたが、私よりも緊張して何もできず……。私はそのことにイライラしてあたってしまうこともありました。 「これやって」「あれやって」とお願いしたことに関してはやってくれましたが、陣痛の痛みから私は頼むのもひと苦労です。もっと相談を重ね、事前にサポートしてほしいことをお願いしておけばよかったなと思いました。 もっと相談しておけばよかったと思うことそもそも夫は、出産に対しての知識がまったくありませんでした。「痛い」ということはわかっても、どこが痛いのか、どうしたら陣痛の痛みがやわらぐのかという知識を事前に共有していなかったのです。もっといろいろなパターンを考えて、事前に共有しておけばよかったなと感じています。 うちわであおぐ、飲み物を渡すなど、それだけでも意識的にサポートしてくれると、私としてはより助かったかもしれません。 それでも立ち会い出産にしてよかった!それでも、私が立ち会い出産をしてよかったと思うことはいくつかあります。自分から率先してサポートできなかった夫ですが、そばにいてくれる安心感がありました。 ひとりで戦わなければいけないという気持ちから、そばにいてくれるだけで「一緒に出産」という気持ちになれました。何もできなくても、私にとっては最高の存在でした! 今回は、立ち会い出産を経験した私がもっとこうしておけばよかったと思うこと、立ち会い出産にしてよかったと思うことをお伝えしました。立ち会い出産をしようか迷っている方は、ぜひご主人と相談してみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:今井さくら一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年10月09日出産を目の前にして気になることといえば、陣痛の痛みや会陰切開を挙げる方も多いのではないでしょうか。私は二度の出産を経験していますが、出産のときの傷の大小で産後の回復が大きく違いました。初産と経産の違いはありますが、私の体験を紹介します。 初産は産道・会陰裂傷+会陰切開で全治1カ月初めての出産では、陣痛は1分間隔とどんどん迫っているのになかなか子宮口が開かず悶絶、痛みで身をよじり、過呼吸になってしまいました。しかし、破水後は急速に進み、その影響もあってか産道も会陰も裂け、会陰切開もおこなわれました。 出産後、医師に「だいぶ奥まで裂けたので、かなり縫いました」と説明を受けました。その影響で産後はとにかく引きつれがひどく、便秘で気張ると食い込み、さらに排尿時にはそこがしみて……。糸が吸収されたと思われる1カ月ごろまで非常につらい状態で、円座が手放せませんでした。2人目を出産したときも、陣痛よりこちらのほうが怖かったです。 経験値が上がった二度目のお産二度目の出産は、痛みで身をよじり、過呼吸になった初産より相当スマートでした。陣痛の波が来たら、息を細く長く吐き続けること。いきみはおしりをベッドに押し付けて逸らし、赤ちゃんが降りてきやすいイメージを描くよう心がけました。 生まれた子は1人目より大きめでしたが、会陰切開はせず、小さな会陰裂傷ですみました。会陰裂傷の傷も数針の縫合で、退院前に抜糸してもらい、産後も円座いらずでした。 便秘は大敵! 産前に解消しておくべし私は妊娠中から便秘気味だったのですが、便秘は体重増加につながったり痔になったりといいことなしです。分娩は排便時のように気張るし、おしりのことも不安でした。産後は母乳に水分がまわるためか便秘が進み、とにかくつらかったです。 私の場合、頑固な便秘になる前に処方された酸化マグネシウムが腹痛もなく効果もありました。産前から適度な運動や食生活を通して便秘を解消しておいたほうがいいと思います。 何かと痛みを伴う出産ですが、済んでしまえば思い出話です。少しでも早い回復ができるように、しっかりと体力をつくることも必要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:藤原しおり子育て奮闘中のママ。育児と家事のかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年10月04日妊娠中や出産後の性生活、みんなはどうしているのか気になりますよね。わが家の場合、妊娠中期から産後1年ごろまでは、私の体調の関係もあり、セックスレスの状態でした。恥ずかしながら、今回はわが家の産後の性生活についてお伝えしたいと思います。 妊娠中から性生活ストップ妊娠したばかりのころはラブラブで夫の要求も受け入れていました。ところが妊娠7カ月ごろになってくると、おなかが張ったり圧迫感があったりして、だんだんとおっくうに。そのうち「おなかが痛くなるから」と夫の要求を断るようになりました。 ただ、まったく性生活がないと夫がかわいそうだと思い、スキンシップのために抱き合って寝ていました。妊娠後期は寝苦しい毎日で熟睡できなかったため、夫とは別の布団で寝ていました。 出産後は子育て中心で性生活なしそして待望の赤ちゃん誕生! ところが、幸い無事だったものの難産によって赤ちゃんは仮死状態で生まれ、私も体力を使い果たし、産後は体調不良の日々が続きました。2カ月ほど実家で過ごしたあと、自宅に帰ることに。 産後数カ月は、私が家事・育児に追われているところも見ていましたし、布団に入る時間帯もずれていたからか、とくに夫からの誘いはなく、私自身もまったく性欲がわかなかったのでセックスレス状態。半年くらいすると夫から誘われることもありましたが、疲れから断っていました。 出産後1年経過してから性生活再開一般的に、出産後はホルモンの関係で、性欲がわかないといわれているのだそうです。私もそうで、とにかく赤ちゃんのお世話で手一杯。夫も私の体調や気持ちを大事にしてくれたので助かりました。 そして1年が経過したころ、赤ちゃんのお世話にも慣れて気持ちに余裕ができ、自然とまた性欲がわいてきました。新婚当初ほどではありませんが、わが家の場合は、出産後1年ほどして性生活が再開したのです。 妊娠と出産でママは体も心もとてもデリケートになります。重要なのは、お互いの気持ちを伝え合い、夫婦でよく話をすることだと思います。出産後は無理のない性生活を送れたらいいですね。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年09月30日出産予定日よりも10日早く破水して、夜遅くに産院へ。しかし産院が満床で、それから2日間、病室に入ることができませんでした。どうしてそんなことになったのか、私の出産体験をお伝えしたいと思います。 破水したのに病室がいっぱい!その日、出産予定日よりも早く破水してしまった私は、入院準備を整えて産院に向かいました。到着したのは夜の10時くらい。破水とはいっても高位破水だったため、チョロチョロと羊水が出ている程度で、それほど切羽詰まっていませんでした。 でも、産院に行ったら、夜遅い時間にもかかわらず待合いスペースには人がたくさんいてざわざわと落ち着かない雰囲気。私はそのまま入院するつもりでいたのですが、なぜか助産師さんに連れていかれたのは簡易ベッドのある小さな部屋。あとから聞いた話によると不妊治療などなんらかの処置をおこなうための場所らしく、ちゃんと個室になっていて枕元にはナースコールもありました。 診察の結果、破水をしているのは間違いないということで、そのまま陣痛がくるのを待つことになりました。助産師さんからは「今、病室のベッドが満床なんです。申し訳ないけれど、今夜はここで横になっていてください」と言われ、わけがわからないまま、そこで一晩過ごしました。 原因は「スーパームーン」だった!?結局、一晩たっても陣痛がくる気配はなく、翌日は朝から陣痛誘発剤を使って出産をすることになりました。助産師さんにLDRがあるスペースに案内してもらうと、そこには至るところに出産待ちをしている妊婦さんの姿が。私が陣痛誘発剤を投与している間も隣の分娩室からはひっきりなしに赤ちゃんの産声が聞こえてきます。 そのときになって、ようやく病室に入れなかった謎が解けました。助産師さんによると「昨夜は一晩で12人もの妊婦さんが産気づいて産院にきたんですよ。科学的根拠はないのですが、スーパームーンだったからかもしれません。この産院ではこんなに出産が重なることはほとんどなくて、病室が足りなくなってしまったんです。ごめんなさいね」とのことでした。 科学的根拠はないものの、「満月の日には出産が多い」と昔から言われています。月の引力によって海が満ち引きをするように、人間の体内にある水分、妊婦さんの場合は羊水が影響を受けているのではないかと考えられているそうです。こんなにも出産が重なったのはそのためなのでしょうか。 私が出産した病院は本来、LDRで陣痛から出産までを過ごせるのですが、その日は分娩がひっきりなしだったので、陣痛誘発剤を投与しながら場所を何度か移動し、分娩間近になって分娩室に移り、そこで出産となりました。 本来ならその後、病室に移動するのでしょうが、前日と同様に満床だったこと、さらに私が産後の貧血がひどくて起き上がることが難しかったため、その日はそのまま助産師さんの目が届きやすい分娩室で一晩明かすことに。次の朝になってやっと病室に空きが出て、病室に入ることができたのでした。 私はスーパームーンだったことなどつゆ知らず。しかし、私自身もその影響を受けて破水をしたのかもしれないと考えると、人体と宇宙と生命の不思議を感じずにはいられませんでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2020年09月29日私はこれまで2人の子どもを出産していますが、それぞれ異なる病院で産んでいます。実際に体験してみると、病院の方針により分娩時や入院中の過ごし方がかなり違っていました。私が感じたその違いを、大きく3点にまとめてお伝えします。 出産は分娩台? それとも畳敷きの部屋?私が初めて出産したのはフリースタイル出産を推奨する病院で、薄暗いライティングの畳敷きの部屋でした。自由な体勢をとることができますが、私はあまり思いつかず、助産師さんおすすめの大きなクッションに上半身の体重を預ける四つん這いの姿勢で出産しました。2人目は明るい照明のもとでの分娩台。姿勢が固定され、腰に硬い質感の座面が当たって痛かったのですが、「ここを握っていきんで!」など指示が明確だったので、悩むことなくお産に臨めました。 母子同室で過ごす? 別室で休む?1人目を出産した病院は、母子同室が基本方針でした。長女は2,500gに少しだけ足りない低出生体重児だったため、生まれてから6時間くらいは保育器に入ったのですが、その後は退院するまで母子同室。シャワーのときは助産師さんが預かってくれました。2人目を産んだ病院は、産後1日目の午前中から母子同室。シャワー時や夜は赤ちゃんを預かる方針で、体をゆっくり休めることができました。しかしながら、産んだのが朝5時台だったので赤ちゃんを抱けるまでに24時間以上あり、「早く会いたい! 連れて来て!」という気持ちが募ってしまいました。 最初に飲ませるのは母乳? 育児用ミルク?私は赤ちゃんが健康に育つなら、個人的には母乳でも育児用ミルクでもどちらでもOKだと思っています。1人目の病院は母乳育児に力を入れており、分泌しなくてもお母さんの乳首をすぐ口に含ませたほうが良いという考えで、カンガルーケア(早期母子接触)を重視。基本的に育児用ミルクは足さず、頻回に授乳することで母乳の生産を促しました。2人目の病院は母体がしっかり休まらなければ乳汁も作られないので、まず丸一日は育児用ミルクを飲ませて母子別室で過ごしてもらうという方針でした。 方針が異なる病院で出産することで、自分がどんなふうに出産や子育てをしたいのかをより深く考えるきっかけになりました。また、子育てに明確な正解はないのだと改めて感じています。さまざまな視点のなかから自分にとってしっくりくるものを模索しつつ、育児を楽しみたいと思います! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:柴崎諒子2016年2月長女、2019年2月次女を出産。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。
2020年09月25日3回の出産で、会陰切開・裂傷・無傷の3パターンを経験しました。無傷だったのは、唯一3,000gを超えた2人目の出産のときです。3人目の出産では、まさかの会陰裂傷に! 3人目にして、トイレが恐怖になる痛みを経験したのです。どうして2人目は無傷だったんだろう……?と疑問に思い、3回の出産をふり返ってみました。 1人目は酸素不足で会陰切開に!会陰切開に不安を感じていた1人目。本格的ではないものの、ほどほどに会陰マッサージもおこなっていました。出産は思ったよりも進みが早く、入院から7時間ほどで子宮口が全開大に。そしていきみはじめたころ、おなかに装着していた分娩監視装置から赤ちゃんの酸素不足を知らせる警告音が鳴り始めたのです。 そのタイミングで先生から、「赤ちゃんを早く出すために会陰切開するね」と宣言があり、チョッキン。赤ちゃんは男の子・2,480gの低出生体重児でした。子宮口の開きも早かったし、もっと呼吸法を練習しておけば切らずに済んだのかな?と思いました。 力を抜いたおかげ? 2人目の出産は無傷!2人目の出産は、1人目が2歳3カ月のときでした。イヤイヤ期真っ盛りのお兄ちゃんの相手が大変すぎて、運動も会陰マッサージもほとんどせず! あっという間に出産の日を迎えました。2人目ということもあり、入院から3時間半でいきみ開始! ところが赤ちゃんの頭が出口に挟まった状態で、助産師さんに「今、陣痛の波が引いたから、いきむのをやめてね。力を入れたら裂けちゃうよ!」と言われたのです。 「えっ、今? こんな中途半端な状態で無理でしょ!」と思ったのですが、助産師さんを信じて力を抜きました。そして、3,004gの女の子を出産! 力を抜いたおかげなのか、ほぼ無傷状態で出産を終えました。 いきみすぎた3人目は会陰裂傷!?3人目は、4年ぶりのお産でした。切迫早産で会陰マッサージはほとんどおこなえませんでしたが、呑気に構えていました。赤ちゃんにへその緒が絡まっていたこともあり、陣痛時間はなんと約13時間! そして、赤ちゃんの頭が出たときのことです。 助産師さんが「もう力を抜いてくださいね! 前に会陰切開したときの傷から裂けちゃいますよ!」と言ったのですが、私は無視。「無理~! 早く出したい!」と、いきみ続けてしまったのです。結果、大きく会陰が裂けてしまいました。 3回の出産を経て、学んだことがあります。それは、「助産師さんのアドバイスは聞くべし!」ということ。無傷だった2回目の出産では、落ち着いて助産師さんの言う通りに動くことができました。毎日お産に携わっている助産師さんのアドバイスはさすがだな~と思います。もし4人目を出産することがあるのなら、今度は絶対アドバイスを無視しない!と固く誓いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年09月20日高校生のころから痔に悩まされてきた私。肛門の痛みにより日常生活に支障を感じた私は、婚約を機に思い切って手術をすることを決意! 手術後、痔のストレスから解放された私でしたが、出産をきっかけにまた痔が悪化して……。妊娠、出産を経て、再び痔になってしまった体験談をご紹介します。 もしや痔!? 初めて気づいた肛門のイボ私が高校生のときの話です。トイレでおしりをふいた際に、肛門からイボが1つ出ているのに気がつきました! 当時の状態は、排泄時、肛門にやや痛みを感じる程度。私は思春期であったこともあり、家族にすら相談せずに過ごしました……。 薬局でぬり薬を買うことすら恥ずかしく、ビオフェルミン錠剤を服用して便通をよくしようと努めたのです。 社会人になって悪化した痔…たまに肛門の痛みを感じるものの、痔との生活に慣れていった私。大学生時代、イボ痔であるもののさほど痛みはなく、私は肛門の悩みをあまり気にすることなく過ごすことができました。しかし、就職をきっかけに肛門の変化を感じ始めることに……。 デスクワークや飲み会が増えたことで肛門に負担をかけ、かゆみや痛みを感じるようになりました。肛門からの出血も増え、私は仕事に集中できず、日常生活に支障をきたすほどになったのです。 婚約を機に痔の手術を決意!そんななか、私はプロポーズを受けてうれしい気持ちでいっぱいに! しかし、いつか子どもが欲しいと希望していた私は、肛門の痛みにより出産に支障をきたすのではないかと悩みました。思い切ってパートナーに相談し、痔の治療をすることにしたのです。 私が通院した肛門科では週末に日帰り手術が可能で、担当医と相談のうえ「痔核結紮切除術(じかくけっさつせつじょじゅつ)」を受けることを決意! 手術後、痔に悩まされることがなく、快適な生活を送ることができました。 妊娠、出産を経て…またアレが!結婚後、初めての妊娠に喜び、痔の存在がすっかり過去のものに。しかし、出産後初の排泄時に、異変に気がつきました……。肛門に2つのイボ痔ができていたのです! 今までにないほどパンパンに膨れた痔。軽く痔に触れるだけで痛く、排泄時はあまりの肛門の痛みに涙が出ました。 産婦人科の担当医に相談したところ、妊娠・出産により痔ができることがあるとのこと。塗り薬を処方され、産後1カ月ほどはヒリヒリした肛門の痛みに耐えました。産後から3年が経過した現在、肛門の痛みはなく、しぼんだイボ痔がある状態です。 出産後、激しい肛門の痛みに苦しんだ私ですが、現在は普通の日常生活を送っています。産後、激しい肛門の痛みにどうなることかと思いましたが、塗り薬で痛みを緩和できました。痔が悪化しないように、バランスのとれた食生活や適度な運動、おしりを温めて血流をよくするなど……今は肛門に配慮して生活しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年09月17日初めての妊娠・出産で何もわからず、SNSで先輩ママたちの出産体験談などを読んでいましたが、いざ自分に陣痛を体験してみると想像とはまったく違うものでした。しかし、先輩ママさんたちのアドバイスを聞いていたおかげでできたこともありました。陣痛から出産までの私の体験をお伝えします。 いつもと違ったおなかの痛み臨月に入ったあたりから、夜中の2時ごろに起きてトイレに行くのが日課になっていました。その日は夫が4時に家を出ないといけない日だったので、起きてソファで横になっているとおなかのあたりに違和感を覚えたのです。そのときは軽い生理痛のような痛さで、「もしかしたら今日生まれるのかな〜」と考えるほど余裕がありました。4時前から痛みの間隔を計り始めたのですが、このときはまだ6〜15分とバラバラ。まだ痛みに余裕がありましたが、家を出る夫に「もしかしたら、今日生まれるかもしれないよ」と伝えておきました。 弱いおなかの張りから陣痛へそこまで痛さを感じないときにシャワーを浴びて入院準備をし、腹ごしらえにとアイスクリームを食べておきました。これらは、先輩ママの出産エピソードを読んでいたからできたことで、シミュレーション通りでした。7時ごろに病院に電話をかけると、「初産なのでおなかの張りが5分間隔になって、ごはんが食べられなくなるほど痛くなったら来てくださいね」とのことでした。 いよいよ病院へ向かい、ついに出産!10時を過ぎると、一気に5〜7分間隔の陣痛が始まりました。10時40分過ぎに病院に電話をし、向かうことに。車は上下に揺れ、陣痛が来るととても苦しく、ジェットコースターに乗っているようでした。病院に着いたときには子宮口はすでに6cm開いており、しばらくして分娩台に移動して1時間ほどで赤ちゃんが生まれました。 出産体験エピソードは参考程度にしかならないかもしれませんが、してよかったこと・すべきことなどはとても役に立ちました。私の場合ですが、家から出発直前まで「まだ食べられるな」などと考えていました。早く行き過ぎても帰らされる場合があると聞いたことがあったので、ギリギリまで耐えていましたが、陣痛中の車移動はとてもつらかったです。次回は少し余裕を持って移動したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:やすだ おと一女の母。妊娠・出産・子育てに関する体験談や、自身の海外留学、旅行についての記事を中心に執筆。
2020年09月07日夫婦ともに1人目の出産の経験から2人目も同じように考えていたら、まったく違う立ち会い出産になった、ちょっと笑えるエピソードを紹介します。 いくら2人目は早いと言っても…第一子の息子を出産時は、陣痛がずっと5分間隔のままで、子宮口も1cmから全然開かない状況が続きました。そして子宮口が全開大し破水するまで24時間かかり、その後も何度いきんでも全然息子が出てこず……。最終的には酸素マスクをつけられ、先生に押し出されるという形で出産を終えました。出産後、息子の頭が大きくて出なかったと聞かされましたが、トータル36時間の長く、つらい出産でした。そんな第一子の出産を経験してる私たちだったので、2人目は早いと言っても1日くらいはかかるだろうと思っていました。 出産予定日3週間前から前駆陣痛やおしるしが続いていたものの、結局出産予定日も過ぎてしまい、妊娠40週に突入。先生と相談して、卵膜剥離をしても陣痛が来ない場合は1週間後に薬で陣痛を起こすと決め、この日は卵膜剥離の処置をしてもらい帰宅しました。 その日は30分〜1時間おきくらいに痛みが起き、夜中3時過ぎに痛みで目が覚めたので、陣痛アプリを使うと10分間隔。いびきをかいて寝ている夫と息子を起こさないようにシャワーを浴び、陣痛の合間に出産入院の荷物の最終確認をして、軽く食事をとりました。そして6時過ぎに産院に電話すると「経産婦さんなのでもう来てくださいね」と言われたので、夫と息子を起こして産院に向かいました。 夫よ、どこへ行った?診察を受け、分娩室でいろいろな器具をつけられたのを見届けた夫は、息子を保育園に。私は先生に「自然に進むのを待つか、早めるか」と聞かれ、第一子のときの2日徹夜を思い出し「早く産みたいです!」とお願いしました。そのとき子宮口は4cm開いていたのでバルーンを入れ、6cmになったところで陣痛促進剤の点滴を開始しました。 その間にも陣痛は徐々に短く強くなっていたのですが、戻ってきた夫がモニターの波形をみて「おぉ、今陣痛来てる?」とか「痛い?」とか聞いて来て落ち着かないので、助産師さんが「進んだらまた呼びますから、待っていてください」と夫を一旦退室させてくれました。それが11時ごろ。 夫は追い出されている間に、市役所に行ったり、お昼ごはんを食べたりしていたようです。一旦病院に戻ってきたようなので助産師さんが夫を呼びに行ってくれたのですが、部屋におらず……。助産師さんが探してくれて「旦那さん……診察受けていました」と戻ってきました。夫は風疹の抗体があるのか検査をしてもらっていたそうで……なぜこんなときに……。 13時ごろ、陣痛が2分間隔になり、子宮口は7cm。「うーん、夕方くらいまでかかるかなぁ」と助産師さんに言われたのですが 13時半ごろ、急にズシンとお尻に力が入る陣痛が来ました。2回ほど耐えたのですが、3回目はいきみのがしができず……。「何か出そうです!!」と叫んで暴れてしまい、助産師さんが慌てて私の足を抑えバタバタしているときに、入ってきた夫が呆然としているのが目に入りました。 たまたま先生が通りがかり「あら〜頭もう見えてるよ!」と慌てて麻酔をして会陰切開をしてくれていきんでいいよ!と言われた瞬間に1回いきんだだけで生まれました。13時40分、病院に着いてから6時間のことでした。 間に合ってよかった第一子の出産のときに比べ、かなりの余力を残して出産を終えた私はだいぶ元気で、テンションもあがって赤ちゃんの写真を撮りまくっていたのですが、ギリギリ立ち会えた夫の第一声は「俺、何の役にもたたなかった……」でした。 第一子のときは出産ラッシュで助産師さんも看護師さんも足りなく、夫は腰をさすったり飲み物を飲ませてくれたりしてくれていたのですが、今回は私だけだったので助産師さんが付きっ切りでいてくれて夫は手持ち無沙汰→いろいろ用事を済ませてギリギリに帰ってくるということに。同じ病院内にいるのに、立ち会いに間に合わなかった!とネタのようにならなくてよかったと思います。 ちなみに余談ですが、長丁場になることを考え、片道2時間半かかるところに住んでいる実父に息子を家で見ててもらおうと夕方保育園のお迎えから頼んでいたのですが、保育園のお迎え前に生まれてしまい、少し早めに病院に到着した父も「えっ!! もう生まれたの?! 俺、何しに来たんだろう……」と、これまた唖然としておりました。 第一子の出産のときに36時間かかった私は、病院に着いて30分とか1時間で生まれるという話はまったく信じられず、前日の陣痛の予兆も夜中の陣痛が始まってからも「まぁまだ生まれないだろう。とりあえずアレとアレをやってからにしよう」と夫婦ともにのんきだったなぁと反省しました。経産婦さんは特に進みやすいとのことだったので、もし3人目を産むなら夫には病院から出ないでほしいと伝えようと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:兼松あかりイヤイヤ期真っ只中2歳10カ月の息子と8カ月の娘の二児の母。バイオ系研究員や知的財産の仕事を経て、引き出物プランナー・贈り物コーディネーターとして活動中。書籍を出版したことがきっかけでライター業もおこなう。
2020年08月31日よく「鼻からスイカが出るほど痛い」と言われる出産。でも経験するまでは、そんなこと言われてもイメージできない、痛い痛いとは言っても自分の気持ち次第でなんとかなるはずと思っていました。そんな私の絶叫陣痛体験談をお話しします。 妊娠中の私のバースプラン誰かの出産を身近で経験したこともないし、何から何まで初めての体験になる自分の出産。この体からどのように赤ちゃんが生まれてくるのか、思い浮かべてみてもあまりイメージできずにいました。 妊娠中に考えた私のバースプランには、「なるべく穏やかに出産に挑みたい」というもの。「生まれてくる赤ちゃんも大変」ということも頭にあったので、母としておなかの子に「大丈夫だよ」と語りかけるようなイメージで、落ち着いて、取り乱したりせず出産したい。そんな風に考えていました。 破水から始まった出産自分の出産が陣痛から始まるのか、破水から始まるのか、陣痛が来なくて誘発剤を使うことになるのか、こればかりは事前にはわかりません。 私の初めての出産は、妊娠40週で破水から始まりました。夫が休みの間に陣痛が来てほしいなと思い、スクワットなどいろいろ試してみたりしたのですが陣痛は来ず。諦めて「一旦考えないようにしよう」と思っていたら、明け方、寝ているときに破水が起きました。初めての経験でしたが「これは破水だ」とわかり、すぐに夫と一緒に産院へ向かいました。 破水が起こったことにより「これから出産が始まるんだ」という心構えもできたように思います。 叫ばずにはいられない!陣痛がどんどん強くなり、子宮口が7cmほど開いてきたころから「これは思いの外痛いぞ」と感じていました。陣痛の波が来るたびに今まで経験したことのない痛みがやってきます。頭では「痛い」と叫んでもどうしようもないことはわかっているのですが、叫ばずにはいられませんでした。 ただただその時々の状況についていくのに精一杯で、持参したアロマもCDも使う余裕がありません。今では笑い話ですが、「い……痛い! 痛い! ギャー!」と叫ぶことで体力を消耗し、陣痛が引いている数分間は眠ってしまう私を見て、夫はそれはそれはものすごく心配したのだそうです。 大絶叫のなか、結果的に破水から6時間で無事に赤ちゃんは生まれてきてくれました。助産師さんからは「もっとかかるかと思ったけれど、早かったね!」と言われ、お産の進みも早く安産でした。 知人から、「陣痛で待機している間、隣のLDRから“痛い!” と叫んでいる声が聞こえて、出産が怖くなった」という話を聞き、私はそうならないようにしようと出産前は思っていました。ですが、いざ自分の出産となると絶叫……。叫び声はきっと隣の部屋にも聞こえていたでしょうから、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今思うと、私は叫ぶことで痛みから気をそらしていたのだと思います。何もそんな風に気をそらさなくてもよかったのですが……。出産は理想通りにはいかないものだな、と身をもって実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:立田みのり一男一女の母。妊娠、出産を機に退職後、現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年08月29日特に妊娠中のトラブルもなく穏やかに妊婦生活を送っていた私でしたが、最後の1週間で突然湿疹とかゆみに襲われました。妊娠期間中で一番つらい1週間を過ごしたときの体験と、かゆみの原因についてもお話しします。 下腹部のかゆみ妊娠38週で突然下腹部がかゆくなり、「臨月だし赤ちゃんが急成長して皮膚が引っ張られてかゆいのだろう」と軽く考えて、ついついおなかを無意識にかいてしまっていました。皮膚の乾燥も考えられるかゆみの要因の1つだったので、念のため妊娠線対策のケアも強化しておこなっていましたが、改善は見られず。ふとおなかを見てみると、下腹部全体に赤い湿疹とニキビのようなブツブツができてしまっていたのです。 病院へ行き、薬を処方されるが…あまりにかゆくて夜中も起きてしまうようになり、状態も下腹部から足先まで広がってしまったので、妊婦健診の際に医師に相談することに。診断によると、妊娠が原因で起きる症状だそうです。じんましんのようなもので、赤ちゃんを異物だと認識し体が拒絶反応を起こしてかゆみや湿疹ができるとのこと。「産んだら治る」と言われました。対策としては処方されたヒルドイドをかゆみのある部位に塗ること、患部を保冷剤で冷やすことです。言われた通りに薬を塗り続けましたが、かゆみが改善されることはなく「もうかゆくて限界だから、お願い早く出てきて」と赤ちゃんに話しかける日々でした。 産んだら治る?最終的には産んだら治ることを信じるのみだったので、とくかくしんどかったです。激しいかゆみと湿疹により抱えたストレスは、想像以上に大きいものでした。臨月でトイレも近くなり夜中に何回か起きてしまうのに、それ以外にもかゆみで起きてしまい、無意識に掻いてしまっているので症状は悪化し、産前からすでに寝不足状態。おなかを冷やすことは赤ちゃんにとって良くないと思い、おなかだけは冷やすことができず我慢する日々でした。 ついに出産かゆみが出てからちょうど1週間が経った日にいよいよ陣痛が来ました。やっと赤ちゃんに会える喜びと、このかゆみがやっと終わることがとてもうれしく、早く出産を終えたいという気持ちでいっぱいでした。 しかし、陣痛中もかゆみに悩まされて、痛みとかゆみが交互に襲って来て休む間もない状態。足を温めるとお産が進みやすくなるとのことでしたが、温めるととてもかゆくなってしまうので、助産師さんに足を保冷剤で冷やしてもらいながら陣痛に耐え……。やはり温めていないのと、体力がなかったためか陣痛の間隔もなかなか縮まらず、20時間ほどかかりましたが、無事に出産を終えました。出産後はこのかゆみから解放されると信じていましたが、私の場合は出産後1週間ほどかゆみは続いたのです。 寝不足と慣れない育児、産後のホルモンバランスの関係で、精神的にも追い詰められたように感じます。産後1週間を過ぎてからは、やっと徐々にかゆみはなくなっていきました。 順調にあとは出産するだけだと心構えをしていた矢先に起きたできごと。妊娠中は出産まで何が起こるかわからないと、第1子を妊娠中に思い知らされました。そして出産後もかゆみが継続し、初産だったこともあり、かなり大変な産前産後でした。次に妊娠するときに再発しないことを願います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:渡辺ひかり1歳男児の母。結婚を機に退職。パートナーの転勤で現在は慣れない土地で子育てに奮闘中。自身の体験をもとに出産・育児などのテーマを中心に執筆中。
2020年08月26日「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、日が経つにつれじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきたのでした。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月24日若いころ、出産の痛みは「鼻からスイカを出すくらい痛い」という例えを聞いて、出産とは赤ちゃんが出てくる“その瞬間”の痛みがすごいのだと思っていました。妊娠してから、その前の陣痛が相当痛いらしいということを知りましたが、実際に出産を経験してみると、ほかにも意外な痛みがあったのです。 陣痛は叫び声が出るほどの痛みだった!私の初産は陣痛促進剤を使っての出産となりました。陣痛促進剤の点滴が始まってしばらくすると、だんだんと生理痛のような痛みが襲ってきました。 もともと、それほど生理痛がきついほうではなかったので、徐々に強まってくる痛みに「あーこれはしんどいかも」と思っていましたが、まだまだ序の口。少しずつ少しずつ強まっていく痛みに耐えること6時間。終盤は思わず叫び声が出るほどの痛みでした。 「やっと陣痛の痛みから解放された!」初産にしては6時間というのは短かったようですが、自分としてはこれほどの長時間、これほどの痛みに耐え続けた経験はありませんでした。「生まれる瞬間は感動するだろうな~」なんて呑気に思っていましたが、なんといっても「やっと陣痛の痛みから解放された!」という喜びが一番強かったように思います。 わが子が生まれる瞬間、鼻からスイカを出すくらい痛かったかというと、正直なところよく覚えていません! とにかくいきむだけで精一杯でした。 傷を縫う痛みが意外と痛かった!無事に出産を終えると、カンガルーケアでわが子を抱かせてもらい、やっとじわじわと「自分の子に会えた」という感動が湧いてきました。そんなとき、出産という大仕事を終え、解放感に浸っている私の耳に聞こえてきたのは、「(会陰の)裂けたところを縫いますね」という医師の声でした。 「ふーん、縫うのか」くらいに思っていると、これが意外と痛い! 陣痛の鈍い痛みとは違う、パチン!と弾かれるような痛みに思わず「痛い!」と声をあげてしまい、「ごめんね、すぐ終わるからね」と先生も苦笑いをしていました。 会陰の傷を縫う痛みが陣痛よりも痛かったというわけではないのですが、「もう痛いことは全部終わった!」と思い込んでいたところの意外な痛み。なんだかとても印象に残っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月22日子どもが元気で生まれてくることは当たり前ではない。そうわかっていながらも、どこかで他人事に思っていました。これは第二子を出産したときの話ですが、私たち家族が息子に障害があるかもしれないと言われ、前を向いて歩き始めるまでのエピソードです。 妊娠から出産まで妊娠中はつわりがあったものの、妊婦健診でも特に異常と言われることなく出産当日を迎えました。出産予定日より1週間遅れ、陣痛誘発剤を使って出産する予定になっていたその夜に陣痛がきました。10時間ほどかかって自然分娩で3,536gの元気な男の子を出産。 生まれてきた赤ちゃんはしっかりと泣き声をあげていたのでほっとしていると、先生が「この子は体の左右の色が違うね」と気になることを言いました。でもこのときは、ただのあざだと思ってそこまで気にしていませんでした。 新生児健診で不安がつのる生後3日目に小児科医による新生児健診がおこなわれ、息子は最後でした。周りの赤ちゃんが特に問題もなく終わっていくなか、息子の番に。すごく深刻な顔をした先生は、「体の色が違うということは、血管に異常がある可能性があるということ。そうなると脳や神経にも何かしら異常があるかもしれないので、検査が必要です」と。 自分の心拍数が上がるのがわかりました。先生がいなくなったあともその場から動けず、あふれ出る涙。なんで元気な体で産んであげられなかったのか自分を責め、どうしてわが子なのか、受け止めきれませんでした。 事実を受け止め、前に進めるようになるまで緊急を要する病気ではないこと、また里帰り出産だったこともあり、検査は1カ月後に現在住んでいる家の近くの病院を受診することになりました。それまでの1カ月間、病名もわからずただただ不安な毎日。自分を責めたり、息子の将来を悲観したり、とにかく毎日息子を見ては泣いていました。そんな私を変えてくれたのは夫のひと言。「どんなに健康な人だって、いつ病気になるかわからない。〇〇くんは、たまたま生まれたときからそれが目に見えているだけだ。他の人と何もかわらない。彼は元気なのが当たり前じゃないのを教えてくれているんだよ」。そう言われて、元気なことが正しいことのように思っていた自分に気付きました。 検査の結果、幸い心臓や内臓に何も異常がなく、経過観察となりました。病名もこの段階では、はっきりとした診断をもらえませんでしたが、その後、「大理石紋様先天性毛細血管拡張(だいりせきもんようせんてんせいもうさいけっかんかくちょう)」と診断。検査までの1カ間、息子に申し訳なく将来が不安で泣いて過ごしていた私ですが、気持ちを切り替えどんなことがあっても息子を守り、一生支えていくと心に誓い、泣くことをやめました。そして、目の前に生きていてくれることがどんなに尊くありがたいことかを強く感じるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:天川みほし5歳女児と2歳男児の母。前職は公務員として子育て支援の仕事をしていたが、夫の転勤に伴い退職。故郷を離れ、初めての土地で子育てに奮闘中。
2020年08月22日実家を離れて暮らしている私は、出産のときは里帰りをしました。安心できる実家で産前・産後を穏やかに過ごすつもりだったのですが、さまざまな祖父の言動に悲しい思いや悔しい思いをして傷心。苦い思い出が残る里帰りでした。 長い里帰り、祖父への不満続出切迫早産の兆候があったので、里帰り出産を予定していた私は、大事をとって妊娠7カ月のときに早めの帰省をしました。平日の日中、父と母は仕事に出ており、在宅している祖父母と過ごす時間が長くなったのです。 祖父は亭主関白な性格で、自分の身の周りのことはほとんど祖母に整えてもらっていたり、上からものを言うことも多かったりして、長い里帰りの期間で祖父への抵抗やいら立ちが私のなかで出てくることが多々ありました。 私は炊事係!?実家とは言え、家事などは進んでする気持ちでいた私は、家の農業の手伝いや食事作りをできる範囲でおこなっていました。しかし、妊娠初期から眠気が強く出ていて睡魔が襲ってくることが多く、家事ができないことが度々あったのです。 ある日、お昼になってテレビを観ていた祖父が「まだごはんの用意ができないのか」と怒ってきました。当時、祖母は昼過ぎまで農業に出ていたため、私が昼食を作ることが多くなっていたのです。食事の時間はわかっていたけれども眠気とだるさで動く気がしなかった私は、祖父の言葉にため息。しかも祖父はただテレビを観ていただけ! 自分本位な言葉に「私はあなたの炊事係なの!?」と悲しい気持ちになりました。 母を悪く言わないで!祖父は嫁である私の母に、厳しいところが昔からありました。里帰り中も度々喧嘩をして、母がグチをこぼしていたのです。普段はあまり深入りしない私ですが、1度だけ祖父の言動にひどく気持ちを揺さぶられて、「お母さんは悪くない!」と抵抗し、祖父と大喧嘩したことがありました。 そのときは、母が祖父のことを思って忠告した言葉に祖父が怒って暴言を吐いたので、私は許せなかったのです。今思うと、産後1カ月経たないころで気持ちが不安定になっていたのかもしれませんが、祖父と喧嘩をしたことが里帰り中何よりつらい体験でした。 祖父にこんな感情持ちたくない!祖父に不快な感情を持つということ自体、娘を産んだばかりの私にとっては悲しいことでした。というのも、娘の祖父となった私の父が、娘をとてもかわいがってくれている姿を目の前にして、将来娘も私と同じように「じいちゃんが憎たらしい」という感情を持つことがあるのかもしれないと考えると複雑な気持ちだったのです。しばらくして冷静になった私は、否定的な感情に折り合いをつけて、なんとか祖父と和解しました。 7年たった今となっては、久しぶりの長い実家生活で、家族の嫌な部分が見えてきてしまったのかなと思います。祖父にいら立っていたのは少し感情的になっていたのかもしれません。悲しかったり悔しかったりして苦い思い出が残る里帰りでしたが、実家で家族とゆっくり過ごせた貴重な時間でした。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月17日私の妹には2人の娘がいて、さらに最近もう1人の女の子を出産し、3人の娘を持つママとなりました。妹が出産して、私も妹の義父もすぐ面会に行ったのですが、義父があり得ない発言をしている場面を目の当たりにしました。そのときの体験談です。 義父はかなりの亭主関白義父は“男は仕事、女は専業主婦であるべき”で、さらに“育児は母親がすべてするのが当たり前”という考えを強く持っていて、かなりの亭主関白。義父・義母は自営業を営んでおり、妹の夫も一緒に働いています。 普段から夫も義母も義父の言うことは絶対で、逆らうことができない様子でした。妹が夫におむつ交換を頼んだところ、「男がそんなもんするもんじゃない。女がすればいいじゃないか」と平然と言っていたようです。 今までも反応はいまいちだった義父義父は自営業を営んでおり、跡継ぎが欲しいためか男の子を望んでいるようでした。今思えば1人目、2人目が生まれたときに反応がいまいちだったのは、単にうれしいという気持ちを表に出すのが苦手というわけではなかったのかもしれません。妹いわく、以前に義父は「女の子が生まれても家業を継いではくれない。女の子では意味がない」とも話していたようです。 1人目、2人目とも女の子ではなく男の子だったら義父の反応はもう少し違ったのかもしれないという思いがあります。3人目の性別が女の子だとわかり、妹が義父に報告したときも反応はいまいちだったようです。 「また女の子か……」そして、出産直後に面会へ行くと義父が「また女の子か……」とはっきり聞こえる口調で、信じられない発言をしていました。妹も特に反論はしませんでしたが、表情は一変しました。私も未だに義父のような考えを持っている人がいるのか、と信じられませんでした。 しかし退院をして落ち着いた今、妹は気持ちを抑えて夫が肩身の狭い思いをしないように努力している様子。3人の娘たちから義父に手紙を書いたり、写真を送ったりして女の子がいかにかわいいのかアピールしていたところ、義父の態度が軟化したようで、良い関係性を築くことができたようです。 今回は妹の体験談を紹介しました。未だに“男は仕事、女は専業主婦”という考えがあるのだと、聞いて驚きました。しかし妹は義父との関係を改善するために行動し、改善することができていました。義実家との関係は今後も続き、拒否ばかりでは改善が見込めないため、妹のように少し踏み込んでいくことも大切なのだと学ぶことができました。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年08月15日出産時、排便をしてしまうことがある、入院すると浣腸をする……。そんな話を聞いたことはありませんか? 産院によってもいろいろな方針があるようで、私の場合、第一子、第二子・第三子で対応が違いました。それぞれの産院での出産体験談をお話しします。 第一子出産では浣腸の処置があった私が第一子を出産した産院は、陣痛がきてから入院となった時点で浣腸の処置がありました。腸内の便をすべて出し切るために、浣腸後に便意がきても、しばらく我慢するように助産師さんから指示がありましたが、私はすぐにギブアップ! 浣腸後、すぐにものすごい便意の波がきて、即トイレへ行ってしまいました。 そして偶然かもしれませんが、排便後は急速に陣痛が強くなっていきました。 出産時の排便が不安…でも浣腸は嫌!出産時の排便が不安な反面、第一子出産時の浣腸後の「猛烈な便意」と「急激な陣痛の進み具合」から、私は浣腸がトラウマになってしまいました。 そのため、第二子、第三子の妊娠中も「また出産のときに浣腸をしたら嫌だな……」と不安に思っていました。かといって、夫の立ち会い出産を予定していたので、「いきんだときに便が出てしまうのも恥ずかしいし……」と、気持ちの葛藤があったことを覚えています。 第二子・第三子の出産では浣腸なし ところが、第二子、第三子のときはそれぞれ別の産院での出産となりましたが、どちらの産院も浣腸の処置がありませんでした。このとき、産院によって方針が違うことを初めて知りました。 そこでバースプランを伝える際、助産師さんに第一子出産時の浣腸で不安になったことを話したところ、「出産時の排便は自然なことだから、最近は浣腸をしない病院も増えているんだよ」と教えてくれました。便が赤ちゃんに触れる前に助産師さんがしっかり処置してくれるので心配ないとのことでした。 出産時の排便は自然なこと、さらに出産時はそれでころではない!とはいえ、排便したかどうか気になるものです。浣腸の処置があるかないかも含め、不安なときは医師や助産師さんに相談してみると不安が軽減しますよ。これから出産を迎えるママは、不安を取り除いてから出産に臨めるといいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:imasaku監修/助産師REIKO著者:東 慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。
2020年08月10日立ち会い出産は、生命が誕生する瞬間を家族と共有できる機会です。わが家のパパは、出産当日まで立ち会うかどうか迷っていました。そんな夫にビックリさせられた、立ち会い出産時のエピソードをご紹介します。 立ち会い出産、そんなにいいものなんだ!私の周りにいるママたちのほとんどが、夫立ち会いのもと出産をしています。「夫がいることで安心して出産に臨めた」と話すママが多く、立ち会い出産をすることで夫に出産の大変さをわかってもらえたという声もありました。 私は、立ち会い出産を経験したことがなかったので、「そんなにいいものなんだ!」と驚きました。一方で、「立ち会い出産を後悔した人もいる」という話も聞いたことがあります。実際に経験しないとわからないことなのでしょうね。 立ち会い出産の感じ方は人それぞれ立ち会い出産はいいものなんだ。そんな周りの声を聞いた私は、2人目妊娠時に立ち会い出産をしようか迷いました。夫に「立ち会い出産をしたい?」と聞いてみたところ、「どちらでもない」との返答が……。 「妻が苦しむ姿を見るのがつらい」など、立ち会い出産を後悔した人の声を聞いて悩んでいると言っていました。人によって感じ方が異なるのでしょう。出産当日まで立ち会うか、夫は迷っていました。 立ち会い出産をすると思いきや…!?夫から出産に立ち会うか答えを聞かないまま、陣痛がやってきました。1人目出産時は私ひとりで頑張りましたが、2人目のときは腰をさすってくれるなど、夫のやさしさに触れることができてよかったです。 陣痛の間隔が短くなり、そろそろ出産というとき、夫はこのまま立ち会い出産をすると私は思っていました。ところが……! なんと途中で夫が脱走! 私はあ然としてしまいました。夫は今まで見たことのない状況に耐えられなくなったのでしょう。ただ、このときは、そんな夫の行動が恥ずかしくてたまりませんでした。 ここまで一緒にいてくれるなら最後までいてくれたらよかったのに……。予想外の行動にあ然としてしまいましたが、今では出産のおもしろエピソードとなりました。今振り返ると、夫なりにできる限りのサポートをしてくれたことに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年08月08日初めての出産、切迫早産で自宅安静の日々を経てやっと訪れた出産予定日。しかし、それから数日過ぎても陣痛が訪れないので、ついに陣痛促進剤の使用が決定! 思いがけないことが気になった私の出産話を聞いてください。 出産予定日+6日で陣痛促進剤決定切迫早産で約1カ月間自宅安静をしていましたが、出産予定日に近づいてもう大丈夫! ……となったのになかなか陣痛が来ない……。歩いても階段を昇降しても少し張るだけのおなかに、妊娠41週0日での誘発分娩が決まりました。 入院の流れを説明されたあとは「いよいよこの日に生まれるのか、日にちが前もってわかるなんて不思議!」くらいの気持ちでした。 陣痛促進剤投与当日、朝9時ごろから陣痛促進剤の点滴を打ち始めました。まずは少ない量から徐々に増やしていくようで、テレビを見ながら夫と助産師さんと談笑しながら何ともなく午前中が過ぎていきました。 昼食を食べて薬の量が増えていっても特におなかに痛みはなかったので、夫は昼食を摂りに一旦外へ出ていきました。午後1時を過ぎたころ、なんだか便意を感じて1回目のトイレに行かせてもらったところ、ゆるめの便が……。産院着でおなかが冷えたのかな?と思いながらまた分娩室に戻りました。 いよいよ陣痛が! この痛みは何?その後、徐々におなかの張りが強くなっていき、助産師さんも「これで陣痛が乗ればいいですね!」と小まめに確認してくれました。それでも便意は続き、2回、3回とトイレに立たせてもらう状態の私に、「陣痛促進剤で少し緩くなっているのかもね」と助産師さんが声をかけてくれました。外出していた夫が午後2時ごろ戻ったときには、おなかの痛みが陣痛なのか腹痛なのか、とうとう区別がつかなくなっていました。 このころ、かなり陣痛は強くなっていたようで、もうトイレには立たせてもらえなかったのですが、相変わらず便意を感じていた私は、「ここで漏らすのは絶対に嫌だ!」と、ただただそれだけを考えていました。 出産は便意との闘い いよいよ喋れないくらい陣痛が強くなってきたときも、助産師さんからは「まだいきんではダメ! 逃してね」と言われていましたが、私にとってはいきんだら便が出てしまうという感覚だったので、必死にこらえていました。しかし、「もういいよ! いきんで!」の合図でおなかに力を入れるときには、痛みが最高潮で便意がどうとか考える余裕もなく、早くこの痛みをどうにかしたい! という一心でいきみました。陣痛の合間にずっと気になっていた便意を伝えると、「あぁ、ちょっと出てるね。でも大丈夫! このままいきんで!」と回答がありました。もうろうとしている頭ではもう恥ずかしいという感情は湧きませんでした。直後に破水し羊水も一気に出たので、もうとにかく全部出してやる!といきみ続け、無事に出産することができました。 私は陣痛の痛みについて聞かれると、「おなかをこわしたときの痛み × 数十倍」と答えます。今でもあの分娩室で、必死に便意と戦った記憶は鮮明に覚えています。産院のみなさんは、おそらく慣れていらっしゃるでしょうからそこまで気にすることはないのかもしれませんが、願わくば次の出産時には、便意と直結しない陣痛を感じたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:歌 啓子1歳男児の母、転勤族の妻。子育てはフランス流を実践、夫は息子の爪切り以外はすべてこなせる育メン。2018年9月より在宅勤務にて復職し、転居先の地で友達作りに勤しんでいる。
2020年08月07日毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われており、出産予定日を過ぎても陣痛が来る気配がなく、妊娠41週のときに誘発分娩のため入院。初産で4,300g超えのビッグベビーを出産したときの体験談です。 陣痛の気配がなく誘発分娩へ毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われ、妊娠40週の健診の際には、おなかの中の赤ちゃんの推定体重は3,800g。妊娠41週を過ぎても陣痛の気配がなく、このままでは赤ちゃんが大きくなり過ぎるため、翌日に誘発分娩のために入院することになりました。 入院1日目にラミセル、バルーン挿入という子宮口を開く処置をおこない、入院2日目の朝から陣痛促進剤を点滴する予定でした。1日目の朝にラミセルを挿入し夕方に抜去、その後にバルーンを挿入すると自然と陣痛が始まり、バルーンも抜けたため、陣痛促進剤は使用せずにこのまま自然陣痛で出産する方向になりました。 一向に強くならない陣痛 陣痛が始まったものの、陣痛の間隔はなかなか狭まらず、強さもずっと我慢できる程度の痛みで、テレビや携帯を見る余裕もありました。助産師さんからも「微弱陣痛だね」と言われていて、LDRへ移ってからは少し陣痛が強まりましたが、まだ周りの話し声を聞く余裕がありました。 赤ちゃんはなかなか下りてこず、地味に痛い陣痛と付き合うことになり、後半は痛みというよりも睡魔との戦いでした。結局人工破水をし、やっと赤ちゃんが下りてきて分娩の準備に入ったのは陣痛開始から12時間後でした。 下から吸引して、上からは馬乗りに!陣痛に合わせていきむのですが、まったく赤ちゃんが出てくる気配がありません。赤ちゃんが大きいこと、そして私の陣痛持続時間が短く陣痛間隔が長いことが問題でした。1回の陣痛で1〜2回しかいきめず、次の陣痛までの待ちが長いため、赤ちゃんが戻ってしまう状態でした。 私のいきみだけでの出産は難しいと判断され、下から吸引し上からはおなかに助産師さんが馬乗りになりました。陣痛のタイミングに合わせて同時にいきむ、引っ張る、押し出すといった感じでした。なんとか頭が出ましたが今度は肩がつかえ、もう一度いきむ前に陣痛は終わり、その後はいきんでもまったく出てきません。結局先生が引っ張り、助産師さんが押し出し、なんとか赤ちゃんを出すことができました。出てきてびっくり! 推定体重+500gの4,300g超えのビッグベビーでした! 健診のときから大きめの赤ちゃんだと言われていたため、ある程度覚悟はしていましたが、まさか4,300gもあるとは思いませんでした。初産でかなりのビッグベビーでしたが、吸引分娩とおなかを押してもらうことでなんとか無事に出産をすることができました。出産まではいろいろと大変でしたが、生まれてからはよく飲んでよく寝る子で、どっしりとしていてお世話もしやすいです。ビッグベビーも悪いものではありません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:manami.koiso著者:塚田さき0歳男児の母。普段は作業療法士として訪問看護ステーションで勤務、現在産休中。自身の体験をもとに、主に体験談を中心に執筆している。
2020年08月06日ぽぽこの出産体験談 第7話 無事に赤ちゃんが生まれてほっとしたのも束の間、後陣痛や会陰縫合など更なる痛みに苦しまされてしまったぽぽこさん(涙)。 妊娠中のつわりから出産まで壮絶な体験をされたと思いますが、かわいいお子さんに会えて、本当によかったですね! ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年08月05日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒にお買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもはひとりでもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが1番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2020年08月05日出産体験談 第6話 制御不能でまさかの尿失禁……!! そして続けて猛烈な吐き気に襲われるぽぽこさん。 いきんでもいきんでも出てこない……体力も奪われてしまいますね(涙)。 次回、いよいよ感動の出産の瞬間です! ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年08月04日出産体験談 第5話 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。我慢できないレベルの痛みでつらく不安なとき、すぐに駆け付けてくれた助産師さん! 安心しますよねぇ~! その後、おなかの中で太鼓祭りが始まってしまったぽぽこさん。このあとどうなるのでしょうか? ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年08月02日娘を出産する際、私は無痛分娩を選択し、痛みのないラクな出産になる予定でした。しかし、予期できなかったトラブルが次々と発生! そんなトラブルを乗り越えた、私の出産エピソードをご紹介します。 出産予定日を1週間過ぎても赤ちゃんが生まれる兆候がなく、先生と話し合い、計画分娩となりました。そのとき、おなかの赤ちゃんはすでに3,000gを超えていたので、少しでも体に負担がかからないよう、無痛分娩を選択しました。ところが! 当日の朝から陣痛促進剤を使用しても、反応のないまま夕方を迎えることに……。2本目の陣痛促進剤を使用し始めてすぐに、ようやく陣痛がつき始めましたが、その後、赤ちゃんの心音が安定しない、陣痛が最高潮のときに麻酔が切れ始めてしまい、強い痛みを一時的にではありますが経験したり、子宮の収縮が悪く、1L以上の大量出血など次々とトラブルが起こり始めたのです。 出産は、予期できないトラブルが起こり得ます。不安に思うことも多いですよね。私の場合、わが子に会いたいという強い思いもあわさって、トラブルを乗り越えられたのではないかと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/片岡花作画/和田フミ江
2020年08月01日妊娠期間は何事もなく過ごし、いよいよ出産! でも、なかなか生まれてこなくて……私が体験した出産までのエピソードをお話しします。 楽しかった妊婦期間妊娠期間はつわりもなく、体調不良もなく、すこぶる健康妊婦でした。妊娠期間はのんびり過ごすことができ、夫と2人きりの最後の旅行にも行き、楽しんで生活していました。このまま何事もなく出産して、子育てしていくんだろうな〜と当然のように思っていました。 おなかの張りは陣痛だった出産予定日が近づいてきたある日、今日はやけにおなかが張るなぁと感じました。そのまま夜になり、夕食を食べ終えたころからおなかの張りが収まらなくなって、これは何か変だぞ?と思い、病院に電話。状況を説明しても陣痛ではないようでしたが、少し心配だったので、夜間に病院へ。 診てもらうと、なんと子宮口が5cm開いていると言われ、驚き! 感じていたおなかの張りは、どうやら陣痛だったようです。 深夜からは痛みを感じるようになり、このままだと早ければ朝方に生まれそうと言われ、痛みを感じながらもいよいよ赤ちゃんに会えるのが楽しみでした。 緊急帝王切開、そして無事出産!陣痛の痛みがだんだん強くなっていく一方、朝になっても子宮口が5cmのまま開かず、帝王切開を提案されました。当然、普通分娩できると思っていた私は大ショック。普通分娩で産んであげられないことへの申し訳なさから、涙が……。なかなか決断ができず、陣痛が始まってから12時間後、このままでは赤ちゃんも苦しいよという助産師さんの言葉に背中を押され、緊急帝王切開をすることにしました。 手術中、麻酔で動けませんでしたが、赤ちゃんの産声を聞くことができ、思わず感動して涙が溢れました。 今はどんな形であれ、赤ちゃんが健康で無事に生まれてきてくれたことに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:塩澤 萌華初めての子育てに奮闘中の30代ママ。子どもの昼寝中におやつを食べるのが至福の時間。
2020年07月26日出産予定日の1週間前、長男の運動会で少し張り切りすぎてしまい、次の日に足がパンパンにむくんでしまいました。むくみが治まらずに運動会2日後に陣痛が起き、そのまま分娩室へ向かうことに。 いざ出産のときを迎えましたが、いきんでもいきんでも赤ちゃんの頭が見えるだけで赤ちゃんが出てきません。そこで提案されたのが会陰切開でした。そんな私が経験した会陰切開やその後について紹介します。 実際に会陰切開を受けたときは?赤ちゃんの頭が見えている状態のまま出産が進まなくなったとき、会陰切開を提案されました。むくみがひどく、自分自身もいきむ体力が残っていなかったため、すぐにお願いしました。 切開前に局部麻酔をしたので切開の痛みはありませんでしたが、はさみでジョキンジョキン切られた音は鮮明に覚えています。 会陰切開後の縫合は?会陰切開をするとすぐに赤ちゃんが生まれました。会陰切開の縫合前に、赤ちゃんを胸に乗せてもらい、抱っこをした記憶があります。対面後、赤ちゃんは計測や着替えのため連れて行かれ、私自身は傷を縫合することになりました。 縫合も麻酔のおかげで痛みはほとんどありませんでしたが、糸がスルスル通っている感覚があり、とても違和感がありました。麻酔が切れると痛みを感じるようになり、痛み止めを処方してもらいました。 会陰切開後の症状や産後は?会陰切開の縫合には溶ける糸を使用していたため、抜糸はありませんでしたが、傷口のチェックがありました。傷の腫れなど異常がなければ、出産の24時間後にはシャワーに入れました。 会陰切開後の違和感でトイレに行くのが怖くなりましたが、トイレに行かないわけにもいきません。トイレのあとは傷口の消毒が必要で、その指導も受けました。数日は会陰部の違和感がありましたが、退院後2週間健診まで、特に注意することはありませんでした。 出産前の会陰切開に対する想像が大きすぎて、実際の会陰切開ではあまり怖さを感じませんでした。むしろ、会陰切開のおかげで赤ちゃんが元気に無事に生まれてきたので、切開してくれてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。
2020年07月21日ぽぽこの出産体験談 第4話 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年07月19日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪Twitterでフォロワー1千人超えのぽぽこ(@popoko_t)さんの出産体験談をお届けします。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 最近編み出したう○ち対処法で〜す!お試しあれ〜(*^ω^*)#育児漫画 #育児絵日記 pic.twitter.com/vq7HkYxgHD— ぽぽこ@1y2m (@popoko_t) July 7, 2020 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年07月17日ムスメちゃんとオコメちゃん
猫の手貸して~育児絵日記~
うちはモフモフ暮らし