この記事では、育児ストレスで押しつぶされそうになったママの体験談を紹介しています。来る日も来る日も育児に追われる日々。育児ストレスで押しつぶされそうになっていた私を助けてくれたのは「子どもとの時間も自分の時間」という母の言葉だったそうです。わが子が生まれると、かわいがる余裕すらないほど育児に追われました。授乳やおむつ替えなど、初めて経験することばかりで目が回りそうでした。育児に追われ、自分の時間も持てません。初めて経験する育児ストレスで押しつぶされそうになったとき、私の母が放った言葉に救われました。 母親の偉大さを痛感する日々わが子に会える日をゆっくり待ち望んでいた日が嘘みたいでした。出産後は寝る暇がないほど育児に追われます。わが子は1日中泣くタイプだったため、私はいつ寝ているんだろう?と思うほど、体はボロボロでした。 私の母はこうして3人の子どもを育てたと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして子どもを10人産んでもめずらしくなかった時代が想像できませんでした。 来る日も来る日も育児に追われる来る日も来る日も育児に追われていると、友人とランチへ行く、趣味に打ち込むのは、夢のまた夢です。ゆっくりドラマを見ることすらできません。 今まで当たり前のように過ごしてきた日々を思い返すと、正直戻りたいと思ってしまう自分がいました。愛するわが子に出会えたのに、ぜいたくなことを言っているのはわかります。しかし、当時はそれだけ育児ストレスで押しつぶされそうになっていたのです。 母が放った言葉に救われた理由もないのに涙が出てくる日々。私は産後うつを経験したのですが、いま振り返ってもつらい気持ちになります。そんな私を救ってくれたのは、実母でした。少しも自分の時間が持てないと嘆く私にこんな言葉をかけたのです。 「子どもとの時間も自分の時間」 何気なく放った母の言葉が胸に刺さりました。10年、20年後には自分の時間だったと気づくものだと母は言うのです。そう考えると気持ちがラクになったことを覚えています。 育児に行きづまりそうになったとき、育児本やネットで不安を解消するのもいいと思います。しかし私は、両親や先輩ママからの言葉が一番心に響きました。実際に育児を経験した人からの言葉には重みがあり、心強いと感じます。 イラストレーター/ぼめそ著者:田中由惟1男1女の母。2人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日産後2カ月のころ、友人の結婚式に出席しました。打診があったのは妊娠中で、産後の様子は正直あまりイメージできませんでしたが、大切な友人だったので赤ちゃんを実母に預けて出席することに。しかし、いざ式が近付くと、出席の返事をしたときには想像しなかった問題がいくつか出てきました。パーティードレスが入らない!産後思ったように体型が戻らず、着ようと思っていたパーティードレスが入りません。どうにもこうにも背中のファスナーを上げることができず、困ってしまいました。 赤ちゃんは連れて行かない予定だけど、授乳口の付いた産後ママ向けのドレスを買うべきか……と考えていたところ、妹が持っていた、ゆったりしたデザインのドレスを貸してもらえることに! ホッとしました。 溢れる母乳はどうしよう!産後すぐには出なかった母乳も、式のころには授乳間隔があくと溢れ出るようになっていました。 赤ちゃんと離れて過ごす間、母乳パッドはどのくらい必要? 借りものの服を濡らしてしまったら申し訳ないし、なにより恥ずかしい……と心配でした。結局、家を出てから帰宅までの間に母乳パッドを4〜5回交換し、そのほかに搾乳もしました。 久しぶりのヒールで足が痛い!妊娠中から1年以上ヒールのある靴を履いていなかったので、独身のころのような高いヒールで歩く自信がなく、低めのヒールの靴を選びました。それでもやはり歩きにくく、帰宅するころには靴擦れができ、ふくらはぎも筋肉痛になってしまいました。 せめて、行き帰りの移動の間は履き慣れたぺたんこ靴に履き替えればよかったなと、あとから思いました。 いろいろと思いがけない苦労もありましたが、大切な友人の花嫁姿を見られてうれしかったです。披露宴の最後の花嫁からの手紙は、生まれたばかりの娘がこんなふうに手紙を読む日もいつかくるのかなと想像して感動しました。 著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年05月17日息子が1歳5カ月になり、育児にようやく少し余裕が出てきたころに2人目の子どもを出産しました。産後はホルモンバランスの変化で精神的に不安定になっていたのですが、そんなときに私がパパに理解してもらいたいと思ったことをお伝えします。 産後のガルガル期産後すぐに新生児育児が始まり、睡眠不足の毎日で少しのことでイライラしていました。そのとき母から、「産後は“ガルガル期”という、赤ちゃんを守る本能からイライラしてしまう時期があるんだよ。それは仕方のないことだよ」と励ましてもらいました。しかし、パパは「ママはなんでいつもイライラしてるのだろう?」と思っていたようで、何度も衝突しました。産後の女性の心と体の変化をパパが事前に知ってくれていたら、このガルガル期に少しでも笑顔が増えたのではないかと思います。 上の子じゃなく下の子を!頻回授乳もあり、私は赤ちゃんにつきっきりになりました。しかし上の子もまだ1歳。授乳をしているとき上の子は口をギュッと結んで我慢しており、夜になるとその寝顔に「ごめんね」と謝り涙を流す毎日でした。パパは上の子とよく遊んでくれましたが、でもそうすることで上の子とママの間に溝ができていく気がしていました。赤ちゃんが泣いたとき、パパが上の子ではなく赤ちゃんのお世話を少し手伝ってくれたら、その間にママは安心して上の子と接することができるのにな……と思いました。 家事に完璧を求めないで!1歳と0歳の子どもがいる日々は、かわいい反面本当に大変です。子どもをみるので精一杯で、家の掃除が行き届かなかったり、ごはんも冷凍食品やレトルトを多用したりしていました。「家事ができていなくてごめんね」とパパに伝えると、「今はできなくて当たり前。毎日掃除しなくてもいいし、ごはんもコンビニや出前でもいいよ。それより子どもたちと笑顔で遊んでくれていれば俺はうれしいから」と言われ、この言葉に本当に救われました。 夫も仕事をしているので、もちろん家事や育児を全部担うわけにはいきません。でも、理解をしてくれるということが私の心にゆとりを持たせてくれたのです。 年子の育児で余裕がなくなっていた私も、パパの理解ある言葉で笑顔を取り戻し、今しかない赤ちゃん期間を大切に過ごさなきゃもったいないと気付くことができました。何よりもかわいい子どもたちのために、これからも笑顔と思いやりを絶やさないようにしたいと思います。 イラストレーター/みいの 著者:松本のあ1歳男児と0歳女児の母。客室乗務員を現在育休中。年子育児の経験を多くの人に伝えるべく、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日サッカーにケガはつきものです。寒い時期にケガが増えると思われがちですが、実は1年のうち5月から6月が「ケガしやすい時期」ということはあまり知られていません。さらに知って驚くのは、この時期のケガは防げた可能性が高いものだとか。新学年でのスタートダッシュをケガなく充実したものにするための心がけについて、日本サッカー協会のスポーツ医学委員でJクラブのドクターも務める大塚一寛先生(あげお愛友の里施設長)に伺いました。(取材・文:小林博子)写真は少年サッカーのイメージサカイク公式LINEアカウントで子どもを伸ばす親の心得をお届け!>>■医療業界では常識!? 5月にケガが多くなる理由「ケガは夏や冬に多い」というイメージが漠然とある方は多いことでしょう。ですが医療の現場では、スポーツ外傷が多いのは春と秋なのだとか。特に5月~6月はその中でも多い時期だといいます。その理由は新学期になって1か月経ち、チームが本格始動するタイミングだからだそう。学年が上がったり、ジュニアからジュニアユースへとステージが上がったりすることで、子どもたちがサッカーをする環境のレベルはどの子も1段上がります。練習量や運動量が増えることに加え、今までと違う練習方法や練習時間になります。ついていくことがやっとという子も少なくないはずです。そんな環境の中、子どもたちは多少無理をしてでもついていかなくてはと、気持ちをふるわせて頑張ります。どうにか「できる」けれども、実際はフィジカル的には「できる」のレベルに至っておらず、無理をしてしまう。十分に体が使えていない中でさらにストレスをかけることが恒常的に続き、ターンオーバー出来ないまま続けがちになりケガに繋がる......。これが春にケガが増えるメカニズムです。■春先に増えるケース「足首・ひざを非接触で受傷」その原因とは起こりがちなケガの部位は競技ごとに異なり、サッカーの場合は足首とひざが圧倒的に多いのが特徴です。具体的なケガとしては、前十字靭帯の断裂やひざのお皿の脱臼などで、ジャンプをした後の着地に失敗したり、転んだりすることで起こりがちです。その大多数は非接触(ノーコンタクト)でのケガ。全体のケガの7割がこれにあたります。残りの3割は相手との接触で起こりますが、これはいわば事故のようなもので、避けることはできません。それに対し、ノーコンタクトでのケガは事故ではない分、正直もったいないケガだと考えられます。フォームが悪いまま強い負荷を与え続けてしまった、筋力が足りないのに120%の力で動き続けてしまった......。そういった原因からくるものです。そしてその割合が春は多くなります。■周りのスピードが上がることで、ついていくために無理をして負荷がかかる前述したように、サッカーをする周りのレベルが上がるので、周りの走るスピードが速いことも原因の1つになります。自分の動きを制御することが難しくなり、例えるならオートバイにF1のエンジンを付けてしまったような状態。自分のフィジカルに相応しいスピードより早く動いてしまい、ブレーキがうまく効かずに止まれなくなり、ひざや足首に負担をかけてしまいます。防げたかもしれないケガで、大切なスタートの時期に思いっきりサッカーができなくなるのは避けたいところですよね。筋力や体力をつけ、上がったステージに相応しいフィジカルになることがケガ予防の観点からも重要になってきます。張り切って無理をしすぎないことも大切ですが、子どもがそう意識するのは難しいので、コーチや親御さんが気をつけてあげられることも大事です。目の前のお子さんの調子を気にかけるようにしましょう。■男性の4~6倍!女性の方がひざのケガが多い理由スポーツ外傷のうち前十字靭帯の損傷の男女差は、年齢に限らず女性のほうが圧倒的に多く、男性の4~6倍もあるそうです。要因としては、女性の股関節から下の骨格の特徴(股関節が外側を向き、ひざが内側に入り込んでいる、いわゆる"内股"の状態)や、臀筋(お尻の筋肉)やハムストリングスが女性のほうが弱いことなどが挙げらます。例えばサイドステップをしたときに、きちんと止まることができず膝が外板して(爪先が凱旋して)しまう事が多い為靭帯を損傷します。骨格が原因で女性の方が膝が内側に入りやすい(資料提供:大塚一寛先生)そして、女性のほうが体が柔らかい人が多いのも、男性より圧倒的に前十字靭帯の損傷率が高い理由の1つ。ひざや足首が動きすぎてしまうからです。これは「体が柔らかいとケガしにくい」とは逆の理由でケガが多くなるわけです。■4つ当てはまったらケガに注意「全身弛緩性の7項目」全身弛緩性の7つのポイントというものがあり、このうち4項目以上当てはまったら、「体が柔らかい=全身弛緩性がある」と大塚先生は教えてくれました。チェックしてみましょう。1.手関節、指が前腕の拳側につく2.膝が10度以上反張する3.お辞儀をさせて手のひらが床につく4.肘を15度以上逆方向に曲げることができる5.背中で指を組むことができる6.足首が45度以上背屈できる7.股関節が180度以上開く全身の弛緩性をチェックする7つのポイント(資料提供:大塚一寛先生)■「体が柔らかいほうがケガしにくい」とは限らないケガしにくい体づくりとして多くの人が考えるのが「体の柔らかさ」かと思いますが、「体が柔らかいとケガしにくい」とも言い切れないのも実は知られていないこと。もちろん柔軟性はあって良いものではありますが、全身弛緩性がある人は膝や足首のケガに注意が必要です。柔らかいがゆえに、より大きなストレスがかかってあらぬ方向に膝や足首が曲がってしまい、大ケガに至ってしまいます。全身弛緩性がある人は、大腿四頭筋やハムストリングス、及び体幹のいわゆる体の中心部分を鍛えることがケガ予防につながります。今回は大塚先生に新学期が始まったばかりの5月6月にケガが多くなる理由を教えていただきました。学年が上がってサッカーの強度も高くなり、頑張りたい時期に防げたはずのケガで離脱したくないですよね。選手自身、防げる可能性があるなら意識を向けたいはず。子どもにサッカーを楽しんでほしいなら、レベルアップしたチームでの練習で無理をしすぎないよう家庭での言葉がけなどに気を配ってください。大塚一寛(おおつか・かずひろ)医師、あげお友愛の里施設長。1996年からはJクラブのドクターとしてチームとともに帯同を続けている。現在はVプレミアリーグの上尾メディックス(女子)のチームドクターも兼任。そのほか、『日本サッカー協会スポーツ医学委員』を務め、全カテゴリーの選手の健康管理(脳震盪・ヘディング・熱中症・整形外科的外傷など)に携わっている。多数の講演にも出演し、現場のノウハウや選手のケガ、障害予防などの啓発活動も積極的に行っている。サカイク公式LINEアカウントで子どもを伸ばす親の心得をお届け!>>
2024年05月13日息子が3、4カ月頃のことです。夜寝る時間がだんだん長くなってきて、夜間授乳の回数は減ってきたのですが、私は蓄積した寝不足と疲労でクタクタでした。アナタが言う!?ある日、久しぶりに友人と会うことに。そこで、私を心配した友人が「夜は眠るようになってきた?」と質問してきました。すると、私より早く夫が「よく寝てくれて助かってるよー」と答えました。産後すぐから7時間しっかり寝ている夫の発言に、「夜1回も起きてないだろー!」と、イライラしました。 ◇ ◇ ◇ 怒りがおさまらず、2人になったときに「夜あなたは起きてないよね??」と思わず言ってしまいました。夫は、「そうだね、もう俺は答えないよ。」と言うのです。いやいや、そういうことじゃないのよと呆れてしまいました。作画/さくら著者:猫田むぎ30代、0歳男の子ママ。育休中。ライブや国内旅行が趣味。
2024年05月13日かおりさんは生まれたばかりの娘・こはると、夫・いちろうの3人暮らし。しかしかおりさんは、出産してすぐワンオペ育児をすることになり……。 こんなはずじゃなかったのに!私は愛する娘を出産してからというもの、ほぼ毎日不眠不休で育児をしていました。本当なら、夫も居てくれるはずだったのですが……。 かおりさんはこはるを出産し、数日間は実母が助っ人にきてくれていました。しかし実家は食堂を経営しており、そう長くは居られません。そこで夫のいちろうが3カ月の育休を取り、夫婦で乗り切る計画でした。 実母が帰宅し、いよいよ明日から育休期間だと安心していたかおりさん。しかし、いちろうは「育休って1カ月後からでしょ?」とまさかの発言。 なんといちろうはかおりさんが出産前に何度も日にちを指定していたにも関わらず、違う日に育休を申請していたのです。 しかもいちろうは「まぁなんとかなるっしょ!」と悪びれる様子もなく、しまいには「なんたって僕はイクメンだからねっ!!」と自信満々。 ところが2週間経ってもいちろうが早く帰宅することはなく、連日服やゴミを散らかしっぱなしに。そしてとうとう、いちろうは帰宅すらしなくなっていったのでした。 産後間もない体で、いきなりワンオペ育児をすることになったかおりさん。いちろうが育休の開始日を間違えたこともですが、その後の生活態度や発言にモヤっとした方もいるのではないでしょうか。また「夫が育休をとってくれる」という気持ちで、今までのワンオペ育児を頑張ってきたかおりさんの気持ちを考えると、愕然としてしまいますよね。ワンオペ育児が再開することになったかおりさん。産後間も無く心身ともにつらい時期だと思いますが、無理をせず、周りに頼りながら赤ちゃんだけでなく自分の心や体にも目を向けて過ごしてほしいですね。 >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月10日産後1カ月健診の日、母子それぞれ診察があったので母に付き添ってもらい、私の診察中は息子を母に預けていました。すると、私が診察を受けている間に、母が見知らぬ女性から「赤ちゃんを抱っこさせて」と声をかけられて……? どうする?見知らぬ人からの「赤ちゃん抱っこさせて」産後1カ月健診の日、病院の待合室でのこと。母子それぞれ診察があり、私の診察の間は付き添いの母に息子を抱っこして待ってもらっていました。私が診察室から出ると、母の顔が引きつっていたので事情を聞いてみると、待っている間に私と同い年くらいの女性から「赤ちゃんを抱っこさせてくれませんか」と聞かれたそうです。その女性は目を合わせようとせず、挙動不審……。母が聞こえないふりをしていたら、しばらくしてその場を立ち去ったといいます。私が母の話に驚いていると、受付の人がやってきて「すみません。先ほどの方は病院の患者さんや付き添いの方ではなかったようなので、帰っていただきました」と伝えてくれました。その女性の真意は分かりませんが、もし母が抱っこさせていたら、息子が危険な目にあっていたかもしれません。私は「息子を渡さないでくれてありがとう……」と母に感謝したのでした。 「抱っこさせてください」という方の多くは、純粋に赤ちゃんをかわいがりたいだけなのかもしれません。しかし、今回のように挙動が怪しい人物にわが子を渡すわけにはいきません。わが子を守るために、警戒の気持ちは常に持っておいたほうがいいと感じた出来事です。 作画/yoichigo著者:大谷りほ
2024年05月10日心配性で産後も不安が尽きなかった私は、産後の手伝いに来ていた母に「赤ちゃんがかわいそう」といわれることがストレスに。ことあるごとに「かわいそう」と言われ、ストレスもマックス。そんな中、夫のひと言で気持ちがラクになったのです。 私の心を軽くした夫の言葉とは 昔から極度の心配性だった私。「無事に生まれてきてくれるかな」と不安ばかりの妊娠生活を送っていました。元気な男の子が生まれてひと安心だったのですが、産後は「どうして泣き止まないんだろう」など不安に襲われることが多くなったのです。事あるごとにオロオロする私。夫はそんな私に「大丈夫だよ」と言ってくれていたのですが、不安はつきません。産後は県外に住む実母が、2カ月ほど手伝いに来てくれていたのですが、そんな私に呆れた様子でした。 あまりにも心配ばかりする私に、母は「そんなに心配ばかりして……赤ちゃんがかわいそうじゃない!」とひと言。その日を境に、母は「かわいそう」と連発するようになりました。私は母の「かわいそうに」を聞くたびに、私が息子にかわいそうな思いをさせているのではないか……と、追い詰められていったのです。 「かわいそう」攻撃が始まって1週間ほどたった深夜、息子が急に泣き出しました。母と夫は2階で就寝中。私は1階のリビングやキッチンを歩き回り、息子をあやしていました。すると、息子の泣き声で目を覚ました母が降りてきて「まぁ、こんなに泣いてかわいそうに」と言ったのです。そのひと言に私は思わず「かわいそうって言わないで!」と怒鳴り、息子に負けない大声で泣いてしまいました。 すると、騒ぎを聞きつけた夫が2階から降りてきて「この子は世界一幸せな子です。こんなにも母親に愛されているんですから」とひと言。思わぬ夫の言葉に「悪かったわね……」と母は気まずそうにしていました。夫が私の気持ちを代弁してくれた気がして、うれし涙を流した私。それ以来、母は「かわいそう」という言葉を封印してくれました。気持ちに余裕がないときは、何気ないひと言もネガティブに受け止めてしまう人も多いと思います。この経験を通して相手に「かける言葉」には気をつけないといけないな、と感じました。 作画/yacco 著者:田所みさお
2024年05月07日息子が泣き出すと、わが家のパパはいつもママ任せにして「おっぱい欲しがってるよ!」と言っていました。しかし、あることをきっかけにパパの固定概念が崩れたのです。今回はそのときのことをお伝えします。 産後は疲れやすさと寝不足で体がクタクタ息子はとてもかわいくて、ずっと見ていても飽きません。しかし、産後の体はとても疲れやすく、自分でもコントロールができないほど心まで不安定になっていきました。 おむつ替えや授乳に抱っこ、前かがみの姿勢を1日に何度も繰り返し、腰も首もガチガチ。息子がやっと寝て「さぁ休もう」と思ったらまた泣いてしまう……の繰り返しでクタクタでした。 赤ちゃんが泣く理由はたくさんある!生後3カ月ごろ、赤ちゃんが泣く理由として「おなかが空いた」「おむつを替えてほしい」などがあることは、わが家の新米パパも理解していたようです。中でも、おっぱいを与えると高確率で泣きやむと思っていた夫は、息子が泣くたびに「おっぱいだって!」と言い、すぐに私に抱っこを交代させようとしていました。 立って抱っこしてほしいとか、他にも理由があることを伝えても、夫には「ママじゃないと泣きやまない」という固定概念があって困りました。 おばあちゃんが抱っこしたら泣き止んだ実母や義母が息子に会いに来たときのことです。実母や義母が大泣きしている息子を抱いて、少し揺れながら室内を歩いているとピタッと泣きやみ、気持ち良さそうに眠りについていました。 その様子を見た夫が「あ、泣きやんだ……」とひと言。ママ以外の人に抱っこされて泣きやむ息子を見て、「おっぱいだけが理由じゃないんだ……」と、やっと理解してくれたのです。 パパはイクメンに、息子はパパっ子になってくれた!「赤ちゃんは、ママのおっぱいのにおいに安心する」という話を聞いた夫は、「それなら俺のにおいにも慣れたら安心するかな?」と、冗談まじりにも積極的に関わりを持つようになってくれました。すると、意思表示をし始める月齢の時期には、息子のほうからパパを求めるようになっていったのです。 その後、息子は夫が帰宅すると、かすかに聞こえるドアの音にもすぐ反応して、玄関まで出迎えるようになりました。さらに、初めて覚えた言葉も「パパ」で、どんどんパパっ子になっていきました。 息子が泣いたとき、少し見ていることもできなかった夫がイクメンになったのは、「ママじゃなきゃダメ!」という固定概念にとれわれなくなったことがきっかけでした。 イラストレーター/ムチコ著者:高橋四葉4児の母。自然分娩2回、帝王切開2回を経験。現在子育てに奮闘しながら自身の体験をもとにした記事を執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月05日私は、産後は産前とはまったく体型が変わってしまいました。全体的にぶよぶよになった感じです。そんな産後の体型変化について、夫にからかわれ悔しい思いをしたことがあります。夫から言われて嫌だったこと、それにどう対処したのかお話しします。 おっぱいが垂れた産後娘を産む前まで知らなかったことはたくさんありますが、産後の体型変化はその中の1つです。おなかがしわしわになる、腰回りが太くなるといった一般的なことはわかっているつもりでしたが、こんなにも胸が垂れるとは知りませんでした。 私は母乳の出が悪く、そのため授乳していないときでも、とにかく多く母乳をとろうとおっぱいを揉みしだいて搾乳していました。それが原因なのか、娘が生まれて半年経つころには、おっぱいは伸びきり下に大きく垂れてしまったのです。 夫に言われた「おっぱい垂れたね」垂れたおっぱいを見るにつけ、きれいじゃないな、以前の体とは全然違うな……と自分でも思っていました。それと同時に、これは自分が一生懸命育児を頑張っている証拠だとポジティブにも捉えていました。 そんなある日、娘と夫と一緒に海へ遊びに行ったところ、水着姿の私を見て夫が笑いながら私にこう言ったのです。「おっぱい垂れたね」と。 夫の言葉に激怒その言葉に私は激怒。たしかにおっぱいは垂れました。きれいとは言い難いかもしれません。ですが、これは昼夜問わず一生懸命私が育児に取り組んだ結果でもあります。自分よりもとにかく家族と娘の幸せを考え、自分のことは二の次にしてきました。 それがいいか悪いかは置いておいて、一番の理解者であってほしい夫にそう言われ、とても嫌な気分になったのです。私の怒りに夫は平謝り。夫は軽い冗談で言ったそうですが、次また同じことを言ったら離婚する!と言い渡してその場はおさまりました。 ひとりの時間をくれた夫夫はその出来事で何か考えるところがあったようです。それ以来、夫は積極的に娘を預かり、私が美容院やピラティスに行く時間を作ってくれるようになりました。 私の状態といえば髪はぼさぼさ、肌はボロボロ、ネイルなんてもってのほか……だったので、正直この夫の態度の変化はとてもうれしかったです。なにより、ひとりの時間ができたことで、少し余裕をもって娘や夫と向きあえるようになりました。 「おっぱい垂れたね」という夫の心無い言葉。とても嫌な気持ちにはなりましたが、結果として夫も私の努力に敬意を払ってくれるキッカケとなりよかったと思っています。娘が5歳になり少し育児に余裕がでてきた今、もっと最初から夫に助けを求めていれば……と反省もしています。ひとりの時間も家族の時間も大切に、これからも育児に励んでいきたいです。 作画/キヨ 著者:レイトン 愛加 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月05日第1子を出産して3カ月ほど経ったころの話です。慣れない育児の疲労、寝不足に加え、ある日、私は体の関節や骨が痛いなと感じるようになりました。腱鞘炎、腰痛、謎の痛みまず痛くなったのは腕から手首にかけてで、私は慣れない新生児の抱っこ、授乳の姿勢などが原因だと思っていました。湿布やサポーターをしながら姿勢に気をつけることで軽減されましたが、次に襲われたのは腰を中心に背中からの骨の痛みです。 日がたつにつれ全身の骨が痛くなっているように感じ、「ヘルニアとかだったら大変だから病院に行ってみたら?」という夫の言葉もあり、私は整形外科へ向かいました。 レントゲンをひと通り撮ってみた結果整形外科で腰を中心にレントゲンを撮りましたが、特に異常はなし。先生によると、「産後、急に筋肉を使うようになり、無理な姿勢も増え、その結果として痛みが出たのだろう」という診察結果でした。 骨や神経に悪いところは見られないので、病院に通って筋力をつけるようなリハビリをしていくか、もしくは普段の生活で気をつけていくかのどちらかになるとのこと。 ひと安心とはいえショック…骨がきしむような感覚が抜けない中、「異常なし」と言われ安堵しましたが、「運動不足からくるもの」だとわかり脱力……。まだ生後3カ月の息子を長い時間預けながらのリハビリは、授乳時間もあり現実的ではなかったので、私は家で何かできないかと考えました。 育児には筋肉をたくさん使う動きが多いのでは?と思った私。それならと、私は息子を抱っこしながらスクワットしたり、ストレッチをしたりと家の中で育児をしながら軽く運動をするようになりました。 息子を連れて散歩に出かける機会も増え、私も動くようになり、さらに仕事に復帰すると体の痛みはほとんどなくなりました。息子のためにも、これからも少しずつ運動をして、元気な体でいたいと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:畑野ナツミ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日出産直後から産後うつになり、とても苦しい時期を過ごしました。夫や私の両親は理解を示してくれたのですが、義母に症状を伝えたところ、とんでもないひと言が返ってきて……。ドン引きしました。 産後うつだと義母に伝えたところ…出産して、産後うつになった私。「自分は子育てができない」と悩み、食事もまともに食べられない、眠れない、涙が出てくる、と思い出しても本当につらかったです。 夫や私の両親は産後うつについて勉強し、理解を示してくれました。私が少しでも休めるようにと、夫は早めに帰宅をして育児をしたり、母は家事を手伝ってくれたりと、本当に有難かったです。 あるとき、義母に産後うつだと電話で話したところ、「子どもを産んだだけでうつ? どういうこと?」「そんなことでこれから育てられるの?」とお説教が始まり……。追い詰められた私は始終泣いていました。 その後も義母から電話が続き、堪忍袋の緒が切れた夫が「いま○○(私)は病気なんだ。看病する気がないなら放っといてくれ!」と言って電話禁止令を出してくれました。家族の助けや病院の治療で、うつの症状は治っていきました。今は元気を取り戻し、夫と両親にはとても感謝しています。しかし、義母の余計なひと言で症状が悪化したため、義母の言動は今も忘れられません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが急激に変わり、この変化が自律神経に影響を及ぼします。よく聞かれる「マタニティブルーズ」は一過性の生理的なもので、産後2週間ほどで自然に治まることがほとんど。一方の「産後うつ」は早ければ産後2〜4週ごろに発症し、こちらは医療機関での治療が必要です。マタニティブルーズが悪化して産後うつになるケースも少なくないので、ひとりでかかえこまず、かかりつけの医師または心療内科や精神科に相談して治していきたいですね。 イラスト/シュー子著者:中田美子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月30日女性活躍・ダイバーシティと言われていても、「仕事か家庭か」の選択肢を迫られるのは、女性が多いのが現実です。結婚後も女性は、妊活、家事育児との両立、産休・育休後の職場復帰など悩みが尽きません。積み上げたキャリアを維持するのか、手放すのか決めなければならない局面で、どのように考えるとよいのでしょうか。36歳の時には楽天グループにおいて最年少の執行役員になるなど華々しいキャリアを歩むCMOの河野奈保さんも、ライフステージが変わっていく同世代を見て“35歳の壁”や“適齢期”という言葉に縛られ考えていたと言います。その後40歳を過ぎて結婚・出産。人生観を大きく変える決断でした。それぞれのライフステージをどのような考えで過ごしたのか、話を聞きました。■仕事中心で駆け抜けた20~30代、「結婚・出産への不安は少なからずありました」28歳で楽天市場のモバイルサイトを立ち上げるための事業責任者に指名され、リーダー、副部長、部長と昇進。36歳の時には最年少の執行役員になるなど、順風満帆に昇進した河野奈保さん。楽天市場内のモバイル事業の責任者となって150人の部下をマネジメントし、悩みながらも事業拡大を推進し成功を収めるなか、プライベートでは早期に結婚・出産していく同年代の女性たちを見て、つい比べてしまう自分がいたと言います。「一番悩んだのは20代の最後をどう暮らすのか、でしたね。学生の頃は子どもを早めに産んで、友達みたいな関係で子供と一緒に成長する…そんな自分を思い浮かべていたので、同年代の友人が結婚・出産していく中、その流れにのれない自分についてふと考えてしまうこともあれば、適齢期という言葉にがんじがらめになっていたこともありました。30代を超えると『35歳の壁』、妊娠・出産適齢期の壁があることに不安を感じていました。 結婚や出産は自分ひとりの選択肢ではないにも関わらず、『こうありたい』と自分で変にレールを引いてしまう。それでがんじがらめになって、苦しんでいた時期もあったと思います」今では社内の重役たちが集まる会議で、どんなに重たい議題であっても、河野さんの発言によって「ポジティブに対処することができる」と評されるほど、常に朗らかな河野さんですが、実は物事をネガティブにとらえてしまうクセが過去にはあったと言います。「仕事でもプライベートでも、昔はマイナス面に目を向けてしまいがちで、自分のネガティブ思考を切り替える方法を模索していました。ポジティブシンキングについて学べる本は複数冊読んだと思います」。その結果、「仕事でもプライベートでも、人生を楽しむのって自分の考え方次第だな、という感想が残ったんです」と河野さん。40歳で常務執行役員になるなど順調にキャリアを積み上げていき、周囲から「働く女性の代表」や「楽天で働く女性の代表」として見られる機会も増えていきました。そのなかで家庭を持つ自分はなかなか想像できずにいたと言います。「当時の私が一番大事にしていたのは、『自分がどうありたいのか』という軸をしっかり持つことでした。ライフステージが変わっていく友人たちを見て比べるのではなく、自分に素直になること。一歩一歩しっかりと歩んでいくことしかないと意識を変えました。割り切って考えていたので、40代を迎えた頃には、正直、子どもがいない人生もありだなと思っていました。子どもを育てることだけでなく、仕事できちんと自分らしく生きて社会に貢献することも、人として十分価値があると思っているからです」。■ライフステージに大きな影響を与えた“母の介護”人生観が変わり、家庭を持つことも視野にその考え方に今も変わりはないですが、「家族があってこそ、仕事に打ち込める」と河野さんの意識を変えるきっかけとなったのが、40歳を迎え経験した“母親の介護”でした。「私が40歳になったころ、母が癌だとわかったんです。一緒に病院に行き、そこで告知されたときにはステージ4。余命何ヵ月とは明確に言われなかったですが、明らかにもう最終ステージだというのがわかりました。その時に私が仕事に100%の力を注いでこられたのは、家族が元気でいてくれたからであって、何も心配することなく仕事と向き合えた自分は恵まれていたんだと気づきました」昼休みに抜け出して病院へ通い、仕事帰りにも病院へ。良い治療法がないかと探し、仕事中も母の病気のことを考えてしまう日々。精神的にも肉体的にも追い込まれる厳しい状況だったと言います。「この経験は、私の働き方に大きな影響を与えた出来事でした。ガムシャラに働いていた私を支えてくれていたものにあらためて気づくことができた…人生に対する価値観がガラリと変わった瞬間でした」。河野さんはお母様が亡くなった後、結婚と出産を経験。「何よりも自分の人生に寄り添ってくれる人を大事にしたいと考えました。当時を思いだすと涙が出てくるほど、私にとって大きな存在だった母がいない寂しさを、今は夫や子どもが補ってくれています。学生の頃に思い描いていた『子どもと一緒に成長していく関係』ではないけれど、親が歩んできた道をたどる経験ができています。子どもを見て可愛いなぁと思った瞬間に、母もそう思ってくれていたのかなと想像してみたり…。子育てを通して母の気持ちを追体験することができて、悲しさと楽しさですごく充実しているというのが今の状態です」。■「早く会社に戻りたい人の支援にも目を向ける」、社会における育児支援のあり方と課題40代で家庭を築き、「仕事と家庭の両立」を迫られるようになった河野さん。出産予定日の1週間前まで勤務し、出産後は6週間で会社に戻り、復帰1日目からフルタイムで働いたといいます。河野さん自身、「そのような働き方を推奨するわけではない」と言いながら、そこまで早く復帰したのはなぜだったのでしょうか。「子どもと向き合うためにも、まずは”自分らしく”あることが大事と考えたときに、早く社会復帰したほうがいいとなりました。何十年もずっと仕事をしてきた人生だったので、6週間だけとはいえ仕事から離れた時に自分がわからなくなったんです。自宅で子どもだけと向き合うことを続けていたら、私の場合は産後うつになっていたかもしれません。むしろ、社内にある託児所『楽天ゴールデンキッズ』は0歳児からの受け入れが可能なので、子どもが生後 8 週で入園したことで、子育ての相談をすることもできました。それが私にも子どもにとっても大きな支えとなりました」河野さんはさらに、“女性の選択肢を広げること”にも目を向けたいと話します。「休みたいと言ったら休める、子育てに集中したいといったら集中できるように。一方で会社に戻りたいといったら、本当に戻れるのか。長く休みたい人の選択肢はどんどん広がっているのに対し、早く戻りたい人を支援できる環境は多くは語られていない課題があることも感じました」。急な早退やお休み、保育園・幼稚園のお迎え。復帰後は働く上で、様々な制限がかかります。河野さんもお子さんが幼稚園に入園した際に言われたことが「他のママは早くお迎えに来るのに、なんでママだけ遅いの?」ということでした。「会社でも大変な思いをして、慌てて走って迎えに行っているのに、それでも遅いと言われてしまう。でもそういう時こそ、子どもとしっかり話をすることにしています。目線を合わせて、『ママはこういう仕事をしていたから今日は遅くなって、明日は早く帰って来てほしいというけれど、明日も遅いの。でも、明日行ったらその後は2日間お休みなんだよ。そのとき何をしたいか考えておいてね』と一所懸命説明するんです」。これは、働く親であれば誰しもが経験したことかもしれません。とにかく今は家族で一緒に走り続けようと、河野さんは「子どもが寂しがったら話し合うことを徹底しています」と話します。「ある時、子どもを預けた後に、『ね、うちのママ、かっこいいでしょ』と先生に言ってくれたみたいで、聞いたときは胸が熱くなりました。子どもに寂しい思いをさせているだけじゃない、カッコイイと思ってくれている部分もあるんだな、と。割り切って色々な人の手を借りながら育てていくことも、正解のひとつなんじゃないかと思っています」■自分らしく生きるためには、“ワークライフバランス”より、“ワークライフインテグレーション”仕事にまい進してきた20代30代。40代で訪れた結婚・出産。これらの経験を経て、河野さんは女性が自分らしく生きるためには「頑張りすぎないことも大切」だと思い始めたといいます。「子育てってサステナブルじゃなくてはいけなくて、持続可能なライフスタイルであることに加え、精神状態も安定していないといけません。そのためにも無理をしないことが大切で、その時の自分のやりたいことを、ちゃんとやり続けるのが大事じゃないかと思います。これは私の考えではあるんですが、ワークライフバランスという言葉があるために、子育てと仕事のバランスに悩む方も多いと思うんです」そんな河野さんの推奨する考え方は「ワークライフインテグレーション」。仕事とプライベートを分けて考える「ワークライフバランス」と違い、「ワークライフインテグレーション」は、仕事もプライベートも生活の一部であり、両方が充実することで人生が豊かになるという考え方なので、無理にバランスを整える必要がなくなります。「私は、仕事と家庭どちらかではなくて、双方の相乗効果で頑張っていきたいと思っているので、バランスを取ることに負荷をかけて、ストレスにしないほうがいいんじゃないかと思っています」積み上げたキャリアを維持するのか、家庭のために手放すのかではなく、両方とも自分の生活の一部と考え、相乗効果を狙う…これを実現するには、本人の意識に加え、周りの環境も必要なため、一朝一夕で叶うものではないかもしれません。ただ、いずれのライフステージでも、河野さんが大切にしてきたのは「自分の考えをしっかりもって、一歩一歩進むこと」。既存の考え方や理想像にがんじがらめになることなく、「自分は何をしたいのか」を見つめ直し、「その時やりたいと思ったことをきちんと続けること」、それが後悔しない選択肢を選ぶためのヒントなのかもしれません。取材・文/森下なつ
2024年04月30日3人目の産後は、上の子たちの世話や家事は同居していた義母がしてくれるということで、自宅で過ごすことにした私。朝晩は食事を用意してくれましたが、「お昼はカップラーメン食べて」と出かける義母との感覚の違いに驚いた体験談です。 3人目の産後は自宅で過ごすことに上の子2人の出産時は実家に帰り、実母が産後の私を気づかい栄養のある食事を3食作ってくれました。そして、産後の1カ月健診が終わるまで実家にいて、その後自宅に帰りました。 3人目の産後は義父母と同居したこともあり、義母が産後の家事をしてくれるという話になったので、退院後は自宅で過ごすことに。産後の自分の体調に不安はありましたが、上の子2人の学校もあったため、子どもたちのことを考えるとそうせざるをえない状況でした。 帝王切開手術後の家事は難しい産前はほぼ私が家事をおこなっていたのですが、3人目の出産は初めての帝王切開手術だったので、思うように体が動かせませんでした。そのため義母が家事をしてくれて助かっていましたが、昼食だけなぜか作らないというスタイル。「カップラーメン食べてね!」と出かけてしまうのです。 ちょうど義父が入院中で、義母がお見舞いに行っていることは知っていましたが、病院には着替えを渡しに行く程度で、その後は自分の時間だからと遊びに行っているようでした。夫が義母に何をしているのか聞くと、「自分もストレスを発散させる時間が必要だから。家事はきちんとやっているから問題ないでしょう」と言ったのです。 夫が昼食作りを頑張ってくれて…退院から10日後、ちょうど上の子たちも夏休みに入り、昼食が必要になりました。それでも義母は昼食を用意することはなく、朝食が終わると身支度をして外出し、夕方まで帰ってきません。自分で家事ができたらサッと作るのですが、術後でもあり、生まれた子の世話だけて精いっぱいです。自分が動けない悔しさと、価値観の違う義母への感情で涙が溢れました。 上の子たちのこともありますし、カップラーメンでは……と夫に相談しました。すると、夫は仕事が夜勤で昼間は動けたので寝る時間をけずって買い物をし、昼食を作ってくれました。それを知った義母は、「家族のために息子がやるのは当然! 昼間は自分も用事があるから」と言ったのです。「産後の家事は義母に任せて」という話ではいつの間にかなくなっていました。 3人目を妊娠してからの同居だったので、上の子どもたちを自宅に残して実家に帰ることもできず、義母の行動にただただ驚いた産後でした。今は考え方の違いから義父母とは別居して程よい距離感で付き合い、穏やかな生活を楽しんでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年04月28日産後、初めての子育てがうまくいかず悩んでいました。母から思いもよらぬ答えが…更に産後のホルモンの乱れと体の傷が酷く精神的にまいってしまい、なかなか娘をかわいいと思えない時期がありました。そして、授乳もなかなかうまくできず困っていました。すべてがうまくいかず、母性というものがわからず実母にそのことを相談しました。すると「母性がないから出ないんじゃない?」と言われ大変ショックを受け、泣きながら授乳をしていました。 体が治った今思うと、体がズタボロだったのでかわいいと思える余裕がなかったんだと理解できました! 今はすごくかわいいです。「母乳も最初から出る人は稀で、頻回授乳することで母乳が出るようになるから、“母性がないから”という酷い意見は聞かなくていいんだよ」とそのときの自分に伝えたいです。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが乱れ、疲れもあり気持ちが不安定になることがあります。出産の疲れも癒えぬまま、初めての育児に心が落ち着かないのは不思議なことではありません。そんな状況で心無い言葉を言われてしまうと、どんなささいなことでも気にしてしまいますよね。つらいと思ったときは絶対に無理をせず、行政や周りに頼ってみてください。ママの心が平和であることを願います。 ※産後3~10日のママが発症する「マタニティブルーズ」は産褥期の生理的な現象で、症状は産後2週間ほどで自然に治まると言われていますが、マタニティブルーズが悪化し、産後うつ病に移行するケースも少なくありません。産後うつ病の予防には早期対策が重要です。気になる症状や育児に関する不安がある場合は、早めに医師に相談しましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/てる子著者:岸根恋20代、0歳の娘を育てる新米ママ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月28日長男を妊娠中、後期つわりに苦しめられた私。出産してようやく胃の不調から開放されると思っていたのですが、産後も同じような症状が続いたのです。今回は妊娠中から産後約1年もの間、私が苦しめられた病気についてお話しします。治らない胃の不調に耐えかねて…妊娠8カ月ころから私は、胃の圧迫感や胸焼けといった後期つわりに悩まされました。そのときは後期つわりの症状だとわかっていたので、出産までの我慢だと思い、食事の量を調整しながら耐えたのでした。 しかし出産を終えても、同じような胃の不快感に悩まされる毎日。育児や授乳で体力を奪われていく中で、胃の不調が続き食べられる量が減ってしまい、体重も落ちてしまいました。そのため体力低下や貧血にも悩まされ、私はこのままではいけないと思い、産後10カ月のころ消化器科のある病院で胃カメラの検査をすることにしたのです。検査の結果、私が診断された病名は「逆流性食道炎」でした。病院の先生いわく、後期つわりで発症した逆流性食道炎が産後も治らずに、長引いてしまっているのではないかということでした。 そして授乳に影響のない薬を処方してもらい、それを服用してからは1カ月ほどで症状が治ったのです。おかげで食欲も回復し、体力低下や貧血の症状も改善して、健康的な毎日を送れるようになったのでした。 今回のことで、後期つわりが出産後も逆流性食道炎として長引いていたとは思ってもみなかったので驚きました。そしてそのうち治るだろうと放置せずに、病院でしっかりと検査をすることの大切さを身に染みて実感したのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:水沢 雫監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日出生後すぐ、母乳を吸うのがじょうずだと病棟助産師さんに褒められてきた娘。しかし退院後は母乳を嫌がるようになりました。母乳育児をしたかったのに…生後2週間健診のときは、外来担当のご年配の助産師さんが担当となり、授乳について相談しました。すると「ママ、それはね母乳がおいしくないから飲まないのよ!」と辛辣な返答をくらいました。初めて出産した相手に、産後メンタルを配慮することのない言い方と言葉の選び方をするなんて……。初対面の助産師さんに言われるとは思いもしませんでした。とても傷付き、その日を境に母乳をやめるすることにしました。 その後、健診でまた同じ助産師さんに見てもらうことに。そして、「突然吸うようになる子もいるから吸わせてみようか」と、授乳をすすめられました。とりあえず言われる通りに咥えさせると、案の定嫌がって飲みません。すると、娘に対して「下手ねぇ!」と。 母の私からすると、しばらく育児用ミルクのみだったので吸うのを嫌がっているだけに見えました。なのに第一声が下手とは……。母乳育児をしたかったのですが、当たる助産師さんによってうまくいく場合とうまくいかない場合があるんだろうなと痛感した瞬間でした。 ◇ ◇ ◇ せっかく母乳育児をしたいと思っていたのに、産後のメンタルが不安定な時期に辛辣なことを言われてショックですよね。 助産師にもハッキリモノを言う人、じっくり話を聞いてくれる人など、いろいろなタイプの人がいるので、合う・合わないは出てくるかもしれません。 病院以外でも母乳外来をおこなっている助産師もいるので、調べてみるのも1つの手段です。 母乳育児では、赤ちゃんは大きな口を開けなければならなかったり吸う力や必要だったり、ママは母乳を出すため頻回授乳を頑張ったりと2人の頑張りが必要です。しかし、頑張り過ぎる必要はありません。ママが笑顔でいることが1番大切です。どうか、頑張りすぎずママに合った育て方で育児を楽しんでほしいですね。 作画/いずのすずみ 著者:りぃじゅ30代、4,202gのベビーを初めて出産。私は4,120gで生まれました。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日第一子出産後のことです。子どもを持つつもりがなかった私たち夫婦に赤ちゃんが! 産後バタバタで余裕がない中、夫の後輩に出産祝いを渡すことになったのですが…。時間にもお金にも余裕がない産後に、出産祝いを渡すことになり…第一子の出産後の話です。当時、私は30才、夫は32歳でしたが、お互い再婚だったこともあり、「子どもはいらないかな」と話しており、定職にも就かず、夫婦で自由気ままに過ごしていました。しかし、程なくして私は妊娠! 無事に第一子を出産しました。 産後は本当にバタバタで、赤ちゃんのお世話で忙しいなか、お祝い返しを探さなければならず、でもお祝い返しには思った以上にお金もかかり、身も心もあわただしく過ごしていました。 そんな矢先、夫の後輩が出産! 夫に「何かお祝いを渡したい」と言われました。でも、お祝いを探す時間もなく、素敵なお祝いを渡すには、今のわが家の財政では厳しい…。そこで苦肉の策として、うちの第一子と後輩の子どもが同じ性別ということもあり、わが子のお祝いに頂いたタオルセットを、後輩のお祝いに使い回すことになりました。 しばらくたったある日のこと、ある人から、わが家が後輩へのお祝いで贈ったタオルセットには、わが家の息子の名前が入っていたことを聞きました。私は驚くやら、恥ずかしいやら…。後輩の方にも本当に申し訳ないことをしたと思いました。 こんな失敗をしてしまったので、第二子以降は、お祝い返しもお祝いも手を抜かずに事前にリサーチするようになりました。頂いたお祝いはしっかり中身を確認することはもちろん、出産前からお返しにかかるお金や時間を頭に入れておくことが大切だと思います。 作画/加藤みちか著者:楓ママ
2024年04月24日私と同じ時期に妊娠していた友だちA子から「お互いの出産祝いの金額をそろえよう」と提案された私。A子の出産後、私は提案された金額通りの出産祝いを贈ります。しかし、私の出産後には……? お祝いの予算ってそろえなきゃだめ?私の出産後、A子は数人の友だちとお金を出し合って出産祝いを用意してくれました。とてもうれしかったのですが、内祝いの準備をしていた際に、いただいた出産祝いの品はA子が提案してきた予算の半額にも満たないことが判明。祝いの品の金額にこだわるつもりはありませんが、事前に予算を提案されていたこともあり、私はモヤモヤしてしまいます。遠回しにA子に電話で話を振ってみると「じ、実は私個人からも贈ろうと思ってたお祝いがあって〜」と言われ、後日おむつやおしり拭きの消耗品を追加で贈ってくれました。本当に最初から追加で買うつもりだったのかは不明ですが、結果的に同じくらいの金額になったので気持ちはスッキリしました。 出産などのお祝いは、本来は気持ちが大切だと思います。しかし今回は、予算をそろえようという話になったたことで、普段なら金額について考えないのにモヤモヤしてしまうことに。予算を決めて贈るのは私には合っていないと感じました。今後お祝いを送る際は、自分が心から贈りたいと思うものを、金額を気にせず選びたいと思います。 作画/yoichigo著者:永田えみ
2024年04月24日私が当時20代前半で、下の子を出産したときの話です。 何それ!?私は上の子を産むとき、逆子だったため、帝王切開で出産しました。ですが、2人目は自然分娩で産みたかったので、大きい病院で出産することにしました。 出産当日、陣痛に苦しむ私を、母がずっと横で心配そうに見ていました。私は母に夫に連絡するようお願い。母はすぐ連絡してくれましたが、自宅から病院まで2時間と距離的にも遠く、出産の立ち会いはあきらめていました。 その後、無事に2人目を出産。夜の7時を過ぎたころに夫が到着し、まだ生まれたばかりのわが子を見つめたかと思うと、「この子の名前は、○○ね! じゃ!」と名前だけを伝えてそそくさと帰宅しました。滞在時間は5分ほど。出産後の言葉掛けもなく、名前だけ伝えての帰宅で、とても驚いたのを覚えています。 ♢♢♢子どものことを考えてくれるのはうれしいですが、命をかけて出産したママに対しての労いが1つもないのは悲しくなってしまいますよね。みなさんは、出産後どんな声かけがうれしかったですか? 作画/マキノ 著者:陽葵ひなた2児の息子を育てる母。歯科医院でパートとして勤務。趣味はカラオケ。
2024年04月22日長男が7歳のときに次男が誕生。30歳を超えての出産&育児に、産後の私は手いっぱいで、ヘトヘトです。私は長男のことも気にかけていたつもりでしたが、長男はそうは思っていなかったようで……? ええ!?三者面談の日程が勝手に決まってる?ある日、7歳の長男の連絡袋のなかに1枚の紙が入っているのを見つけました。なんとそれは三者面談の日にち決定書。「え!? いつも先に希望の日程を聞くアンケートが配られるはずなのに、もう決定してる……?」ととても驚きました。すぐさま長男に確認すると、なんと自分で記入して提出したと言うのです! 「大切なお知らせなのにどうして言ってくれなかったの!?」と怒ると、「だって最近話を聞いてくれないから……」と長男は泣きそうな顔で言いました。忙しい私に気を使って、長男が自ら提出したようです。決定した日はたまたま都合がつく日だったので一安心でしたが、私は長男の相手をするのが疎かになっていたことをとても反省。夫にもこの話を共有し、夫婦で長男の話をたくさん聞き、家族で出かける機会を増やすことに。また、夫も産後でヘトヘトになっている私を以前より気使ってくれるようになり、家事や育児に少しずつ余裕が生まれ、より子どもたちとゆっくり話す機会を増やすことができました。以来、長男は小さなことでも話をしてくれるように。 長男への接し方を見直したことで、以前より家族の会話が増えたように思います。自分では兄弟平等に接していると思っていても、実際子どもの気持ちは聞いてみないとわからないと気づかされた出来事です。 作画/yoichigo著者:羽川忍
2024年04月21日ゆりこは39歳のキャリアウーマン。今の職場に入社してから、努力してキャリアを積み上げてきました。自由な人生を謳歌していたゆりこ。そこへ子持ちで時短勤務のけいこが入社してきます。子どもの体調不良で欠勤と早退を繰り返していたけいこに苛立っていたゆりこ。結局、けいこは退職してしまいます。妊娠をきっかけに12年付き合っていた彼氏・タツヤと入籍したゆりこ。妊娠を喜んだのもつかの間、次々と起こる妊娠症状のため会社を休む日々が続きます。安定期に入り出社したものの、会社に居づらさを感じてしまい、退職したいと夫に相談します。しかし夫は「会社に迷惑かけてるんだから、風当たりが強くなるのは当たり前」と、まったくゆりこに寄り添ってくれません。夫に頼らず、おなかの赤ちゃんのためにひとりで頑張ることを決意したゆりこ。退職したけいこの顔を思い出しながら、「なんでこんなに苦しいの?」と苦悩します。ついにこの瞬間が…! 無事元気な男の子を出産したゆりこ。 保育園に入園申請をして、仕事も子育ても頑張ろうと思っていた矢先、希望した保育園にすべて落ちてしまいます。 市役所の保育科に電話するものの、どうしようもありませんでした。 結局2駅先の認可外保育園に入園が決定。保育料は月10万円です。18年のキャリアを無駄にするわけにはいかないため、自分に大丈夫だと言い聞かせるゆりこなのでした。 無事に出産を終えたゆりこ。まずは母子ともに健康で本当によかったですね。 しかし、産後突きつけられたのは保育園全滅という現実……。積み上げてきたキャリアももちろん大事ですが、産後は赤ちゃんだけでなく自分のメンタルケアも大事にしたいところ。ゆりこにはキャリアを優先するあまり、体調を崩さないように気をつけてほしいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター 神谷もち
2024年04月18日私は兼業主婦。双子を帝王切開で出産しました。夫は出産後、一度だけ病院にお見舞いに来てくれましたが、それ以降は顔を見せませんでした。出産後、体調もまだ本調子ではない中、一人で退院の準備をして、夫と義母が暮らす家へと帰りました。 帝王切開は出産じゃない!?義母の暴言家に帰ると、義母は孫を見て大喜び! しかしその喜びもつかの間で、寝ている子どもたちに声をかけて起こしては、2人が泣き始めるとすぐに私に丸投げ。洗濯、夕食の準備、掃除まで、すべて私の仕事になっていました。 夫もこの状況に対して無関心で、育児も家事も一切手伝ってくれませんでした。 私は体調が悪いと伝えても、義母は「私は痛い思いをして息子を生んだのよ! 帝王切開は出産じゃない!」とありえない言葉を言い放ち、家事の一切を私に任せきり。私の疲労はどんどん溜まっていきました。 限界を迎えて義母の厳しい態度は徐々にエスカレート。ある日私が双子と一緒に寝落ちしてしまったところを義母に見つかり、「楽して産んだんだから休んでないで働け!」と激怒されたのです。 その言葉に我慢ができなくなった私は、泣きながらに母に連絡しました。そして母のアドバイスを受けて、離婚に向けて動き出すことにしたのです。 そして数日後のある夜、義母と夫が寝静まった隙に、母に迎えに来てもらい、双子を連れて実家へ帰りました。 母親激怒! 離婚へ翌朝、私たちがいないことに驚いた夫と義母は、すぐに実家へ押しかけてきました。その2人に母は、「帝王切開も立派なお産です! おなかを切ったのに楽なわけがないでしょう!?」と激怒! 双子を生んだばかりの私に家事を強要したことや、義母のひどい言葉を叱り、夫と義母に厳しく説教しました。 私はその場で夫に離婚を宣言。離婚すると、2人があてにしていた私の収入がなくなるので渋られましたが、知ったことではありません。これまでの冷遇を録音した音声を証拠として慰謝料を請求し、無事離婚できました。 私は両親の支えを受けながら、双子を育てつつ、職場復帰する予定です。離婚は私にとって自由を取り戻すための大きな一歩。これからは信頼できる家族に囲まれて、自分の人生を歩んでいきます。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月16日出産後は体と心の変化が大きく、セックスレスになりやすいと聞きます。わが家の場合、早く2人目が欲しかったため、1人目出産後は多少我慢をしてセックスレスになることを回避していた面がありました。3人目は望んでいなかったため、2人目が生まれたあとは目的がなくなり、3年近くほぼセックスレス状態でした。夫との意見の相違私はもともと子どもを3~4人希望しており、夫も子どもは好きなほうなので多いほうがうれしいだろうと、ろくに話し合いもせず思い込んでいました。しかし2人目を出産して半年ほど経ったころ、3人目を出産する時期について相談すると、「3人は無理」とバッサリ。 主な理由は金銭面のことで、子どもが増えると彼らの希望通りの習い事をさせたり、大学や専門学校に通わせたりすることが難しくなるからというものでした。子どもには「将来的にしたいことをさせてあげたい」という気持ちがもちろん私にもあり、生活のことも考えると、納得しないわけにはいきませんでした。 セックスに意味を見出せないそれ以降、我慢してセックスをすることが苦痛に……。「子どもをつくらないのなら、もうしたくない」と夫に正直に伝え、完全に拒否した時期が1年ほど続きました。 「子どもを望んでいるわけでもないのに、する必要があるのか?」と考える一方で、「それでは夫に悪い」という気持ちもあり、また「セックスをする意味は、子どもをつくることだけではない」とわかってもいました。 時間が経つにつれて納得できるように夫から「3人目はつくらない」と言われ、承諾したつもりでいたけれど、本当には納得できていなかったのだと思います。しかし、子どもが成長して幼稚園や習い事に通い出すと、管理する予定が増えて忙しくなり、3人目のことを考えている暇がなくなってきました。 だんだんと夫の言うことに納得できるようになってきて、受け入れる余裕も出てくるように。ずっと一緒にいた2人目の子が幼稚園に上がると、不思議とセックスをすることが嫌ではなくなっていきました。だんだんと夫を受け入れることができるようになり、3年ほどでセックスレスが解消したのです。 ずっと夫婦仲は悪くなかったけれど、私の心の中にどうしても納得できないしこりのようなものが残っていて、それがセックスレスの原因となっていたようです。時間が経つにつれてしこりがなくなり、いつの間にか解消していました。 イラスト/(c)chicchimama著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月12日何もかも手探り状態だった第1子の子育て。産後半年から社会復帰した私は、すぐ熱を出す子どものケアと仕事の両立に四苦八苦しており、疲れ果てて寝落ちするのが日常でした。もちろん平日も帰宅した夫とは必要最低限の会話しかしていない毎日……。しかしある日、ふと夫のスマホを借りたとき、衝撃的なものを見てしまったのです。 スマホの貸し借りが仇に……? 交際していたころから、スマホの貸し借りを頻繁にしていた私と夫。どちらのスマホもお互いの指紋を登録してあり、簡単にロックを解除できるようになっています。特に子どもが生まれてからは、相手のスマホで撮った写真をしょっちゅう見ていたため、その日も何の気なしに夫のスマホを手に取りました。 すると、スマホをあけて飛び込んできたのは、直前に検索していた風俗情報! そして、近所のラブホテルを別のタブで検索しているのも発見してしまったのです。 これは不倫か? 理由がわからずモヤモヤわざとではないにせよ、勝手に検索していたページを見てしまったことに罪悪感もあり、その日は追及しないことに。しかし、回数は減ったものの産後もセックスレスではなく、仲が良い夫婦のつもりでいたので少なからずショックを受けました。 とはいえ、これが怒るべきことなのか大したことではないのかよくわからず、1週間ほど思い悩んだ私。同僚にもこっそり相談した結果、やはりモヤモヤしたままでは普段通りにできないと決意し、夫と話してみることにしました。 検索の理由は? 夫の気持ちを知り反省そして週末の夜。スマホを見てしまったことを伝えると、夫は真っ青になり「嫌な思いをさせてごめん」と平謝り。しかし、よくよく話を聞いてみると風俗には行っておらず、アダルトサイトを見ていたとき、魔が差して広告を踏んでしまったそう。そして、私が産後冷たくなったと夫なりに悩んでいたことが判明しました。 正直、ベタベタされるのが嫌になった時期があり、夫の手を払いのけたりしていた私……。セックスする時間があるなら寝たい、家事をしたい、と思っていた自覚もありました。夫に「もう愛情がなくなったような気がしていた」と泣きながら言われ、私も反省したのでした。 言葉を尽くさなくても気持ちは伝わると思っていましたが、そのわりに夫にとても冷たい態度を取っていたことに気づいた私。産後は夫に無関心すぎたと反省しました。その後は少しずつ夫婦の時間を増やし、2回目の産後の今はしっかり気持ちを伝えるように努力しています。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年04月10日第1子を出産し、3カ月ほど経ったときのこと。実母がわが家に来たとき、私の育児を見て“あること”を言われ……。母の思いがけない言葉に驚き、産後のメンタルの変化を感じた出来事です。 助産師として働いていたけれど…私はこれまで助産師として働いてきたので、新生児の扱いには慣れていました。しかし、娘は抱っこしていないと泣き続け、夜中もしっかり眠れない日々。夫は単身赴任で家におらず、実母が食事を作りにきてくれることもありました。 ある日、母がわが家にやってきたときのこと。私は娘を抱っこし続けることに疲れてしまい、布団に寝かせたら案の定大泣きしてしまいました。 それを見た実母が、「なんで泣かせるの! これまで仕事でやってきてるでしょ!」と私に怒鳴ったのです。いつもは穏やかな母が大声を出したことにびっくり。しかも、普段なら母に何かを言われても気にしませんが、そのときはポロポロと涙が……。 赤ちゃんは泣くものだから仕方ないとわかってはいましたが、母の言葉にすごくショックを受けてしまった自分がいました。 それ以来、母の言動の1つひとつが気になり、しばらく私の家に来てもらうのを遠慮しました。産後の女性はこんなにメンタルが不安定になるのだとわかり、この経験を助産師に復帰したときに生かしたいと思っています。 ◇ ◇ ◇ 妊娠・出産に伴うホルモン分泌の変化によって精神的に不安定になり、ちょっとしたことで涙が出たり、怒りっぽくなったりすることも。あまり頑張りすぎず、温かい飲み物を飲んだり、好きな音楽を聴いたりとちょっとした楽しみを見つけて過ごすのがおすすめです。悩んだときは家族や友人、日本保育協会が運営するママさん110番(03-3222-2120)などで話してみるなど、心を軽くしながら過ごしたいですね。 イラスト/さくら著者:山田なお監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月09日第一子である長男が2歳のときに、2人目を里帰り出産することに決めました。実家は当時住んでいた家から車で2時間ほどの距離です。私は住んでいた自治体が定める一時保育のルールに従い、出産前2カ月と産後1カ月の計3カ月間、長男を実家近くの保育園へと通わせました。今回は、里帰り出産先で保育園の一時保育を利用した経験とそのメリット、デメリットをご紹介します。 ※保育料に関してはお住まいの各自治体にご確認ください 一時保育を利用することにしたきっかけ当時、実家の両親は2人とも仕事をしていました。里帰りで実家のお世話になるとはいえ、日中は私が長男の面倒をみなければなりません。そのことを心配した母が、「長男を保育園に預けてみてはどうか」と提案してきたのです。 妊娠中に何かあったとしても私ひとりなら対処できるし、産後はゆっくり赤ちゃんのお世話に専念できるのではないか、そう考えた私は母の提案に乗ることにしました。一時保育の手続きは私の住民票のある自治体でおこないました。無事に実家近くの保育園で空きが見つかり、私が妊娠9カ月に入ったころから3カ月間、長男を保育園へと通わせることになりました。 出産における一時保育利用のメリット出産のために一時保育を利用して感じたメリットは、なんと言っても長男を保育園に預けることで私の肉体的、精神的負担が減ることでした。妊娠後期から産後1カ月は思うように体も動かず、長男を思いっきり遊ばせることもままならない状態でしたが、保育園ではたくさん体を動かして帰ってきます。 少しずつお友だちとも関わりを持つような様子も出てきたと、お便り帳に書いてありました。タイミング良くお遊戯会に参加する機会もいただけ、貴重な体験ができたと思っています。一時保育を利用した3カ月間、長男は一度も嫌がることなく保育園に通うことができました。 デメリットはやっぱり…!一時保育を利用して感じた一番のデメリットは、金銭的負担が大きいということです。まず、タオルや手提げバッグに巾着など保育園で必要な物は多く、それなりに出費がかさみます。次に、保育料の負担です。第一子である長男は保育料の減額はなく、3カ月で15万円ほど支払いました。 保育料はその家庭の所得額に基づいて決まるとはいえ、さすがに15万円はかなり厳しかったです。また、おむつや、使用済みおむつ持ち帰り用の袋一つひとつに名前つけをするような面倒な作業も多くありました。 実際に一時保育を利用してみて感じたのは、母親の負担が軽減されるいい制度だなということです。私の場合、臨月は実家でゆっくりと過ごせましたし、産後はゆとりを持って赤ちゃんのお世話をすることができました。日中は赤ちゃん中心に、夕方以降は長男中心にと、それぞれに愛情をかけられたことも大きかったです。結果、利用してよかったと思える制度でした。 作画/きょこ著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月07日慣れない育児に取り組み「パパ業・ママ業」に一生懸命になりすぎて、いつの間にか「夫と妻」であることを忘れていました。そんな私たち夫婦が、夫婦関係を見直すきっかけになった言葉があります。産後、夫婦喧嘩が増えた出産後、授乳による睡眠不足や慣れない育児による疲れから、ささいなことで夫婦喧嘩が増えたと感じる人も少なくないのではないでしょうか。かく言う私もその1人でした。 食事やお風呂、就寝の時間など生活のすべてが子ども中心で回っているのに、夫が今までと変わらずマイペースに過ごしていると、ついイライラしてしまうことが増えました。 「夫が1番、子どもが2番」そんな私が人から聞いた、目からウロコの言葉があります。それは「夫が1番、子どもが2番」というもの。 子どもはいずれ親から離れて巣立って行きますが、夫は老後も一生添い遂げるパートナーです。「子どものことばかりを優先して夫婦関係をないがしろにするのではなく、愛する夫への思いやりも忘れないようにしましょう」というメッセージが込められた言葉でした。 「パパとママ」であり「夫と妻」その言葉を聞いてから、私は自分の態度や姿勢を反省しました。子どもを優先するあまり、愛する夫との関係をこじらせるなんて……ということに気づいたのです。私は「ママ」である前にこの人の「妻」だったんだ、ということを思い出しました。 そして、夫の気持ちを思いやることの大切さを再認識した結果、夫も徐々に私の気持ちを汲んでくれるようになり、以前よりも絆が深まったように思います。 「夫が1番、子どもが2番」というのは極端な表現で、実際の生活では子どもを最優先にせざるを得ない場面が多々あると思います。そんなとき、私は「夫も子どもも1番」だと考えます。そもそも家族は順位をつけるものではなく、みんなが大切な存在です。そんな当たり前のことを忘れかけていた私にとって、この言葉は大きな救いになりました。 イラスト/(c)chicchimama著者:岩崎薫1年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第2子の妊娠を目指して不妊治療中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月06日3人目の子どもを妊娠中、本を読んでも内容が頭に入ってこなくなりました。本だけでなくSNSの投稿や学校のプリントも頭に入ってこなくなり、頭が回っていないことを実感する日々……。出産後もその症状が続いたものの、呑気な私は疲れているのだろうと気に留めずにいたのです。そんなときに診察に行った病院で告げられたのは、まさかのあの病気でした。 読んだ文章が頭に入ってこない!最初に違和感を覚えたのは、3人目の子どもを妊娠中のころでした。読書が趣味でよく本を読んでいたのですが、ある日まったく文字が頭に入ってこなくなっていると気づいたのです。 本どころか、友人のSNSの投稿すら読んでも内容がまったく入ってきませんでした。文字は追えるのですが、読んだ内容が頭に入ってこないのです。そのときは「疲れているのかな」と気に留めていませんでしたが、その症状は産後まで続くこととなりました。 強迫性障害の症状が現れ、心療内科を受診!3人目の子どもが生まれると、症状はますますひどくなってきました。上の子たちが持ち帰るプリントの内容もまったく頭に入ってこず、買い物に行っても何を買えばいいかわからない状態になったのです。 さらに私を襲ったのは、強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)の症状です。物を並べる順番が決まっていないといけない、行動の順番が決まっていないと不安でイライラするなどの症状が顕著に現れ始めました。 高校生のころ強迫性障害とうつ病で心療内科に行った経験があった私は、心療内科の受診を決めました。 心療内科で告げられた病名はまさかの!?心療内科で症状を伝えると、強迫性障害と軽いうつ状態であると診断が下りました。この診断に私はビックリ! 強迫性障害であるだろうとは予想していましたが、うつ状態だとは思っていませんでした。高校生のころうつ病になったときは、体の倦怠感がひどく起き上がることも困難だったかったからです。 今回は気分の落ち込みもなく体のだるさもなかったので、まさか自分がうつ状態だとは思いませんでした。文字が頭に入ってこないのは頭が疲れている証拠だそうです。心療内科では抗うつ薬が処方され、月に1度のカウンセリングを受けることになりました。 心療内科に通い始めて半年経つころには症状も治まり、投薬も終えて活動的に過ごせるようになりました。私はうつの自覚症状がなかったのですが、受診して初めてイライラや不安感を強く抱いていたんだなと実感……。育児中はなかなか自分の心と向き合う余裕がありませんが、精神状態を確認することの大切さを学んだ出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年04月06日もうすぐ私たち夫婦の間に、かわいい男の子が生まれる予定です。実家の母の勧めもあり、1カ月ほど里帰りすることになりました。料理が苦手で、家事もきらいな夫。ですが、1カ月くらいなら自分で何とかすると言って、快く里帰りさせてくれました。 私の実家は遠方なので、出産後は夫に息子の画像を送る日々。1カ月健診が終わったら早めに自宅へ戻り、夫にかわいい息子の顔を見せたいと思っています。 えっ!?帰っちゃダメなの?夫は私のいない1カ月ほどの間に、家事力を上げると意気込んでいました。父親になるのだから、自分も成長しないといけないと……。そんな夫に私はたくましさを感じ、この人と結婚してよかったなと思っていました。 仕事が休みのときは会いに来てくれるという話でしたが、それは実現せず……。急な人手不足で、休日も出勤することになったと言うのです。残念ですが、仕事なので仕方ありません。 産後は両親の手厚いサポートを受け、体力も回復してきました。「里帰り出産でゆっくりできてよかったよ」「予定通り明日帰るね!」ようやく夫に息子を会わせられる! 喜び勇んで連絡すると、なんだか夫の反応がおかしくて……。もうちょっと実家で休んだらどうかと、里帰り期間の延長を提案してきました。部屋が汚いので、掃除をするのに時間がかかると言うのです。私が掃除しようかと提案したのですが、夫はなんだか嫌がります。 挙げ句、声を荒らげた夫。「絶対帰ってくんな!」「頼むから!」その後、すぐに落ち着きを取り戻し、事情を話し始めました。じつは水道管が破裂し、家の中が水浸しになったと言うのです。 家が大惨事になっていると話す夫夫の話によると、家電がいくつか壊れ、壁や天井も張り替える必要があるとのこと。それまで実家にいてほしいというので、2週間ほど里帰りを延長すると夫には告げました。 でもそんな大惨事なら、私にも連絡をくれたら良かったのに……。テンパって連絡するのを忘れたと言いますが、どうも引っかかります。そこで翌日、私は息子を母に預け、父と一緒に自宅へ戻りました。夫の様子がこれまでと違うので、怪しんだのです。 案の定、自宅に入るとそれが気のせいではないことがはっきりしました。キッチン回りは水浸しにはなっていませんでしたが、壁には焦げ跡が。夫に連絡をして、何を隠しているのか白状させました。 揚げ物を食べようとチャレンジしたら、こんなことになってしまった。そして火災保険を更新せず、解約していたと……。絶句しました。 私は夫に会わず、そのまま帰宅することに。そこで偶然、お隣さんと顔を合わせたのですが、とんでもない話を耳にしました。警察と消防が駆けつけたとき、夫の隣には若い女性がいたと……。その女性が警察に、自分が料理をしているときに火が上がったと話していたそうなのです。私が目撃証言を夫に伝えると、彼は不倫を認めたのでした。 火事は不倫相手のせいだと話し…夫にはすっかりだまされました。里帰り出産に協力的だったのも、週末に会いに来なかったのも、こういう理由があったからだと納得。不倫相手との時間を優先していたと思ったら、夫への気持ちが覚めていきました。 私は離婚を考えるようになり、夫に告げました。夫は離婚したくない、すべて不倫相手が悪いと話し出し……。押しかけてきて世話をやきたがり、火事も彼女が原因。タダで家事をしてもらえたので任せていたと話したときは、正直引きました。 その後ーー。私たちは離婚し、今はお金だけの関係になっています。不倫の慰謝料と養育費を払うためにしっかり働いているようですが、自分がしたことを反省してほしいと思っています。 ◇ ◇ ◇ 欲望のままに行動し、不倫がバレてから後悔しても遅いですよね。しっかり働いて養育費を支払い、親としての義務を果たしてほしいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月05日猫の手貸して~育児絵日記~
うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々