くらし情報『【四択問題】歴史上、最も強い「怨念」を発したと言われるのは誰?』

2019年1月28日 20:15

【四択問題】歴史上、最も強い「怨念」を発したと言われるのは誰?

この事件で難を逃れた醍醐天皇自身も、そのショックで3か月後に亡くなりました。
その怨念を鎮めるために北野天満宮を造ったことで、道真の祟りは収まったといわれています。

桓武天皇の血を引く平将門は、当時の関東で乱(平将門の乱)を起こし、自ら親王と名乗り朝廷に反逆しました。しかし、のちに朝廷が差し向けた大軍によって打ち取られてしまいます。その後、将門の首は京都でさらしものになっていましたが、ある日突然飛び上がり胴体を求めて関東方面に飛び去ったといわれています。
その首塚は現在の東京都千代田区大手町にありますが、関東大震災で全焼した大蔵省の仮庁舎を建設したときに、その首塚を取り壊してしまったのです。その後、大蔵大臣はじめ関係者14名が亡くなったため、大蔵省は呪いを恐れ、仮庁舎を壊し首塚を再建しました。加えて、終戦後GHQが首塚を壊し駐車場を造る計画を進めていたところ、その工事中にブルドーザーがバランスを崩し、2名が落下し命を落としたそうで、これも将門の呪いとして噂されています。

崇徳天皇は第75代天皇として、わずか5歳の年齢で天皇に即位しました。のちに政権争いに敗れ、罪人として讃岐に流されてしまいます。

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