野呂佳代「“ぽっちゃり系にも輝いている人はいる!”という思いがあった」 アイドル時代を振り返る
悔しいのは悔しいし、もちろん自分も選ばれたいけれど、「よかったね」と言ってお互いに切磋琢磨する感じ。私はチームKしか知らないけれど、みんな子供ながらにカッコよかったな~って思います。
――その後SDN48を経てグループ卒業を迎えた際は、どんなビジョンを持っていましたか?
卒業と同時にミュージカルをやらせていただくことになったんですが、やりがいがある半面、めちゃめちゃシビアで…。集客も大事、演技も大事、そして何より歌が大事っていうところで、本格的に歌を勉強してこなかった自分にはすごく難しかった。お芝居の仕事ができて希望に燃えていたけれど、現実が見え始めた感じでしたね。
――お仕事の依頼自体は順調に来ていたのでしょうか?
その後もいろんな舞台に出演させてもらいました。ただ、昔から映画やドラマといった映像作品への憧れが強かったので、どこか自分の中でしっくりこなくて…。テレビもダイエット番組かパチンコ番組にしか呼ばれず、30歳までこの状態だったら辞めた方がいいかもと思うように。
20代後半はすごくモヤモヤして模索してましたね。
――転機となったタイミングは?
腐りきって世間に腹を立ててた頃、『ロンドンハーツ』の企画で有吉(弘行)