光石研「僕の仕事は、現場で知恵を出し合ってワンカットを成立させること」
――不安とか、辞めたいと思ったことはないですか?
全然考えてなかったです。世間知らずだったんでしょうね。決めたのが16歳ですから。そこから1年半で高校を卒業して上京しましたが、なんとかなると思ってました。30代の頃に食べられなかった時期はありましたけど、辞めて他の職業にっていう発想がなかったんです。他を知らないっていうのもあったと思いますが、保証は何もないのに、なんとかなると思ってたんですよね。でもさすがにコロナの時期は、根源的に不要不急な職業なんだと思わされましたが。
――先ほどもそうおっしゃっていましたが、コロナで多くの人が家から出ない生活を送っていたときに、心の拠り所になったのが映画やドラマの存在だと思います。
確かにみなさんが過去の作品を見て喜んでくださってはいたし、その作品に携われたことは幸せに思うけれど、あくまで撮影チームみんなで作ったものですから。これが舞台俳優さんだったら、ひとり芝居とかも提案できるんだろうけど、僕みたいな映像が主な俳優は、現場を用意してもらって、カメラがあって、撮ってくれる人がいないと何もできないんだなって、身につまされましたよね。――エッセイの中でも「俳優を映しているんじゃなく映画を撮っているんだ」