【シネマモード】キャメロン・ディアスが着る、70年代という必然性『運命のボタン』
例え、一瞬であっても。
人は、何かを行うとき、手応え、感触というものを頼りに生きています。人をあやめるということについても、相手に近づき、その感触を直接感じてしまう刃物を使うより、遠くからパンと打つ拳銃の方が、実感が薄いという恐ろしい話を聞いたことがあります。そう考えると、ボタンを押すという行為で、人を死に追いやるという実感を持てる可能性はいかばかりか。しかも、相手は見ず知らずの人で、その場所にいないとなれば、「ま、いいか」となるのが極めて利己的な生き物=人間の本性というものなのでしょうか。
この『運命のボタン』という映画で、人間心理とともに恐ろしく感じられたのが、ボタンを押すだけで何でも実現する現代を揶揄しているところです。舞台は1970年代なのですが、現代はあらゆることがボタンひとつで出来てしまう社会。何をするにも“実感の薄い社会”と言えるかもしれません。
原作であるリチャード・マシスンの短編を豊かに膨らませ、本作を監督したリチャード・ケリーはこう話しています。
「僕が原作に魅かれたのは、1970年に発表されたにもかかわらず、僕らがいま住んでいるような“ボタンを押すことで、すぐに満足を得られる複雑な社会”が描かれていることだった。