雑誌グラビアなどで活躍するタレントの石田桃香(24)が1日、自身のツイッターを更新し、6月末で所属事務所と契約を満了し、芸能活動を引退したと報告した。石田は「ご報告」と題し、「この度、6月末日に所属していたノットカンパニーの契約満了をもって芸能活動を引退することにしました」と伝え、「急なご報告になってしまいすみません」と加えた。また「15歳で芸能界へ入ってから今まで、たくさんの人に支えていただきながら最近ではグラビアのお仕事を通じて、幅が広がり自分自身とても成長する事ができました」と振り返り、一方で「昨年より体調を少し崩してしまい、少しつづ仕事を調整してもらっていて、SNSも更新が減り皆様にもご心配をおかけしてすみません」と明かした。その上で「それでも応援してくださるファンの皆様の声がとても優しく温かく、私にとって一生の宝物になる時間でした」とし、「お仕事で今まで携わって支えてくださった皆様、本当にありがとうございました!」と感謝を込め、「悩み考えた結果、今後は新しい道へ進みます。皆様から頂いた、たくさんの愛は一生忘れません。本当に今までありがとうございました!」とつづった。
2022年07月01日石田ゆり子(左)と石田ひかり(右)石田ゆり子(52)と石田ひかり(50)。いま、最も輝いているアラフィフ女優姉妹に違いない。「どんな育てられ方をしたのか」と気になる人もいるのではないか。2人の父親・J氏(79)は1980年代から90年代まで放送・芸能記者の間で絶大な人気を誇った。取材に答えてくれるからではない。人間性だ。記者と自宅で語り合い当時、財閥系海運会社のエリートサラリーマンだった石田パパは、ゆり子とひかりの結婚問題などについて取材させてもらおうと記者たちが千葉県内の自宅近くで待っていると、「夜遅くまで大変だな」と、必ずねぎらってくれた。その場で取材に応じてくれるのみならず、「立ち話もなんだから」と、自宅に招き入れてくれることもあった。庭がきれいに手入れされた2階建ての一軒屋だ。家の中ではビールや日本酒を出してくれて、飲みながらの話となった。そうなると、J氏と記者の話は長くなるが、その内容はほとんどが取材に関係のないこと。仕事論や人生論を説いてくれ、現役のベテランサラリーマンの言葉だけに含蓄に富んでいた。「仕事は大切だぞ」「家庭を忘れるな」仕事の悩みを漏らす記者の話は親身になって聞いてくれて、励ましてくれた。記者たちの間で石田パパ人気が高まるのは当然だった。ちなみに石田パパは酒がめっぽう強かった。J氏については「厳しい人」と思われがちであるものの、実像は違うのではないか。まず姉妹の希望したとおりに、芸能界入りを許している。石田姉妹は1985年、同じ芸能プロダクションの社員からスカウトを受けた。芸能プロ社員は2人が姉妹だとは知らず、最初にゆり子をスカウトし、約1か月後にひかりに声を掛けた。ウソみたいな話だが、本当である。女優デビューはひかりのほうが2年早く、1986年のドラマ『妻たちの課外授業II』(日本テレビ)に出た。その後、連続テレビ小説『ひらり』(1992年度後期)のヒロインに抜擢され、売れっ子となる。一方、ゆり子のデビュー作は故・緒形拳さんが主演したNHKドラマ『海の群星』(1988年)。沖縄の女性役でヒロイン的立場だった。このドラマは芸術祭作品賞を受賞した。ゆり子は早くから実力を認められてたが、人気がブレイクしたのは不倫する妻を演じたTBSの主演ドラマ『不機嫌な果実』(1997年)。以後、主演、準主演級での仕事が続いている。娘たちの交際に父親はひかりが1993年、そのころ交際を噂されていたJリーガーと米ハワイ旅行に行くと、石田パパは取材に対し「親に黙って空を飛ぶな」と苦言を呈した。当時、ひかりは20歳を過ぎたばかり。心配だったのだろう。また、交際が噂されたJリーガーはレギュラーではなく、これからの選手だった。それが、のちに有名となった「(ひかりと遊んでいる時間があるのなら)山にこもって修行しろ」という言葉につながった。「仕事は大切に」が持論の石田パパとしては、もっと頑張ってほしかったに違いない。なお、石田パパは苦言を呈したものの、2人の仲を引き裂こうとはしていない。ゆり子と石黒賢(56)が1993年に交際を始めた際の石田パパは静かに見守っていた。「好青年だと思う」と評したくらい。1995年の破局時も特に発言していない。交際が終了した理由は石黒側にあると見られたため、ゆり子の気持ちを思いやってのことだったのだろう。ゆり子と和太鼓奏者の交際が2000年にわかったときも「静かに見守っています」と話す程度だった。だが、和太鼓奏者が前妻との婚姻時期、それを伏せたまま、ゆり子と交際していたことなどが報じられると一転。猛反対した。やっぱり心配のあまりだったに違いない。ひかりは2001年5月、先日放送が終了したばかりの『17才の帝国』(NHK)の制作統括を務めている同局のドラマ制作者・訓覇圭氏(55)と結婚した。仕事が出来ると局内外で評判の人だ。同年1月の婚約会見で、ひかりは「父はあっさり承諾してくれた」と笑顔で語っていたが、それも納得である。J氏は「仕事は大切に」という考えの人なのだから。ひかりの結婚時、J氏は当時33歳の訓覇氏を手放しで誉めていた。その後、訓覇氏は2009年に『外事警察』、2013年度上期の連続テレビ小説『あまちゃん』、2019年の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』の制作統括をそれぞれ務めた。ほかにも話題作を次々とつくった。サラリーマンの先輩である石田パパの人物鑑定眼は正しかったことになる。2人が完全に独立している今、J氏が私生活に口を出すことはないようだ。そもそもJ氏はステージパパのように仕事の中身に口を出したことはデビュー当初からない。記者に対し、娘の仕事ぶりについて自慢めいた話をしたこともない。2003年5月、ひかりが長女を出産すると、J氏は「よくやった」と大喜びしたという。ひかりは2005年1月には次女を生んだ。やはり、うれしかっただろう。今年、ゆり子は1月期のドラマ『妻、小学生になる。』(TBS)に出演。事故死しながら夫と1人娘が心配で天国に行けない妻を好演し、見る側の涙を誘った。シングル役もハマる。演技の幅が広い。一方、ひかりは放送中のドラマ『悪女(わる)~働くのがカッコ悪いなんて誰が言った?~』(日本テレビ)でリアリティーに満ちた人事課長に扮している。1992年以来2度目のドラマ化で、今回の主演は今田美桜(25)だが、前作はひかりが主演を務めた。ひかりが演じる課長は近くにいそうで、「やっぱりうまい」と評判だ。好感度も高い2人。仕事関係者の間で悪評が立ったことのないところも一緒。石田パパの教育と苦言の賜でもあるのだろう。高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立
2022年06月15日女優の石田ゆり子が12日、インスタグラムを更新し、一部で「石田ゆり子と米倉涼子は“共演NG”」「15年因縁」などと報じられた内容を否定した。石田は、「あまりこういうコメントを出すのもどうかと思いますが」と前置きし、「全く根も葉もないことを書かれて勝手に共演NGと言われるのは非常に困ります。本当に困ります」と吐露。「こういう根拠の全くないネットニュースを書くかた何を考えてるんでしょうね…」と投げかけ、「みんなが迷惑ですし、わたしも困りますので」と結んでいる。
2022年06月13日2022年6月12日、俳優の石田ゆり子さんがInstagramを更新。一部メディアで、ある俳優と共演NGと報じられた件について、石田ゆり子、共演NG報道に「非常に困ります。本当に困ります」同日の投稿で、自身が理事を務める動物愛護団体『ハナコプロジェクト』の取り組みに関する告知を行った石田さん。その後「あまりこういうコメントを出すのもどうかと思いますが」と前置きをしたうえで、同投稿の数日前に報じられた、人気俳優との共演NG報道について抗議の思いをつづりました。全く根も葉もないことを書かれて勝手に共演NGと言われるのは非常に困ります。本当に困ります。yuriyuri1003ーより引用 この投稿をInstagramで見る 石田ゆり子 Yuriko Ishida(@yuriyuri1003)がシェアした投稿 「根拠のまったくない報道」とし「みんなが迷惑ですし、わたしも困りますので」と強く批判し、報道内容が事実無根であることを明言しました。【ネットの声】・ゆり子さんの言葉だけを信じます。・根拠のないニュースは酷い話ですよね。これからも応援しています。・困りものですよね。でも、こうして本人が否定してくれるのがファンにとっては一番です。過去には、俳優の戸田恵梨香さんと同じく俳優の水川あさみさんの不仲説が一部週刊誌で報じられた際に、2人がそろってSNSを通じて非難の声明を出し話題を呼びました。水川あさみ、戸田恵梨香がそろって抗議文上野樹里ら芸能界からも賛同の声これまでは報道に対して無言をつらぬく芸能人も多かった中、SNSが発達し、芸能人本人のリアルな声をファンに直接届けられるようになりました。芸能人とメディアの関係性が、ひと昔前までとは、大きく変化していることがうかがえます。[文・構成/grape編集部]
2022年06月12日プロゴルファーでタレント・東尾理子(46)が5日、自身のインスタグラムを更新し、石田家の“親子3代ショット”を披露した。東尾は「親子3代ショット1ヶ月くらい前だけど」と記し、自身と夫の石田純一(68)や子どもたち、さらに石田の娘・すみれ(31)と4月に生まれた第1子がそろった、総勢6人の家族写真を公開。「@sumire808(すみれ)ちゃん、ママの顔」と添えた。笑顔の集合写真に、ファンは「石田家素敵です」「仲良し&素敵なファミリーですね」「いとこ同士ワイワイ遊べる日が待ち遠しいですね」などとコメントを寄せ、「石田さん、やっとおじいちゃんになりましたね孫は可愛いいでしょう」といった声も届いている。
2022年06月06日※画像はイメージです全国の10代~70代の男女(計500名)を対象に「父の日ギフト事情」に関する調査結果を公開している「父の日.jp」によれば、2021年の父の日のギフト購入場所の1位は「インターネット通販」(53.0%)。前年度から約20%急増している。その理由は、コロナ禍の外出と帰省の自粛だ。直接会って手渡しはできないけれど、気持ちを込めて贈る──そんな父の日のスタイルが定着しつつあるようだ。通販サイトの中の人に聞いた昨年売れたギフトインターネット通販大手、楽天市場の広報担当に近年の父の日ギフト事情を聞いた。「コロナ禍をきっかけとしたライフスタイルの変化に伴い、自宅で豪華な食事を楽しめるような高級食材や、自宅でトレーニングできる商品へのニーズが上昇している傾向にあります」父の日ギフトについて、実際に読者の声を聞いてみた!「不要不急の外出自粛で、趣味の登山ができなくなった父。みるみる太ってきたので、これはまずいとミニフィットネスバイクを贈りました。意外と安くて見栄えもして健康にいい。オススメ」(千葉県・40代)「楽しみの外食ができなくなり、ひとり暮らしの父は食が細くなってしまって……。調理の手間なしで、あっさり楽しめる高級茶漬けを贈ったところ、これが父の舌にどんぴしゃ!」(静岡県・50代)「父は各地の銘酒と温泉巡りが好き。最近はどちらも難しいので、銘酒カタログと温泉の素をセットでギフトにしたら、とても喜んでくれました」(茨城県・30代)ステイホームで楽しめる点だけでなく、健康面を気遣ったギフトのチョイスが昨今の主流のようだ。楽天市場の昨年の売れ筋ジャンルから学べ!第1位高級惣菜うなぎや高級茶漬け、海鮮セットなどが人気。栄養たっぷりのうなぎは高齢のお父さんも大喜び♪また近年ネット通販で流行している鯛の大きい切り身や鮎一匹使った高級茶漬けは、スペシャル感があり目にもおいしい一品だ。第2位お酒(日本酒、ビール)飲んべえには何よりうれしいお酒。いろいろ飲みたいわがままなお父さんに人気なのは、飲み比べセット。日本酒は甘口から辛口、いつもより少し上等な銘柄のビールも人気。さぁお父さんとご機嫌で乾杯!第3位トレーニング家電、癒し系家電“いつまでも元気でいてほしい”そんな思いから健康家電がランクイン。「足を乗せるだけで筋トレできるマシン」など無理のない健康家電がヒット。いつも頑張っているお父さんへの感謝は、首用の温熱マッサージ器で癒しを!今年は“趣味のもの”が人気楽天市場では今年、30代から70代の男性ユーザー1000名を対象に父の日に欲しいギフトについてアンケートを取った。なんと95.5%が、「趣味に関するギフトがうれしい」と回答。実際の趣味については「旅行(72.4%)」「動画・映画鑑賞(42.7%)」「音楽鑑賞(39.1%)」「スポーツ・フィットネス(21.4%)」などが上位に挙がったという。昨年の父の日ギフト3強はグルメ・酒・健康だった。だが広報が予想する“今年の売れ筋上位”は、旅行用品やスポーツ用品、キャンプ用品など趣味の小物だという。昨年、父の日に杉浦太陽が妻・辻希美からもらったのが名入れのステンレス製タンブラー。ビール好きで知られる杉浦だけに、《飲み過ぎないでね》のメッセージも刻まれていたとのこと。また、同じく昨年、高橋英樹も最愛の娘・真麻夫妻から贈られたギフトをブログで公開。高橋本人と妻、孫の3ショットがデザインされたスパンコールのクッションカバーを披露しデレデレの様子だった。「趣味は家族」を公言する高橋。まさに流行の先端である“趣味に関するギフト”どストライクだった例だ。実際もらってうれしかったものは?財布「財布がボロボロだったが、自分で買うのは躊躇していたので、もらえてうれしかった」(60代)腕時計「憧れていたが値段が高くて買えなかったのでうれしかった」(70代)グルメ「飛騨牛やカニなど。家でみんなで食べられるものでよかった」(40代)父の日やらかしギフト母の日=カーネーションのような「無難な正解」がない父の日ギフト!それだけに贈る側も迷走する。年に1度の父のハレの日、お父さんを喜ばせようとしたばっかりに、ひねりすぎてハズしてしまう。そんな残念すぎる“やらかしギフト”をご覧ください。まさに死屍累々……!「何をあげても反応の薄い父に思いきって名入れラベルの“生まれ年ワイン”をプレゼント。自分ではセンス最高!と浮かれていたけど、そのお値段(ン万円)を聞いた父は、娘の大胆な散財に意気消沈。ワインはいまだ飲まれず台所の隅に置かれています。お父さん、せめてリビングに飾って……!翌年からは『菊正宗』にしています」(北海道・40代)「母が亡くなってからひとり暮らしの父。寂しいかなと思い、あのロボット犬を購入。20万円近いけど清水の舞台から飛び降りちゃいました。ところが、ある夜、ロボット犬の充電台につまずいた父が骨折……。病院に連れて行った帰り道、おもちゃはいらないと父がボソリ。高い勉強代になっちゃいました」(大阪府・50代)「父の名入りのオリジナル皿を作って贈ったら、次の帰省時に犬のエサ皿になっていた(涙)」(長野県・40代)「父に最新マッサージ機を贈ったところ、ボタンが多すぎて使い方がわからないと納戸行きに。これなら安くて機能が単純なやつを贈ればよかったな!」(千葉県・40代)「ヒマラヤ登山隊も着用したという超ハイテク保温肌着を通販で購入。寒がりの父にいいかと思ったのですが、暑すぎて気持ち悪いとタンスの肥やしに。寒がりなんじゃないのかーい」(茨城県・50代)「父は喫茶店でコーヒーを飲むのが好き。自宅で本格的なコーヒーが楽しめるように、レトロなデザインのサイフォンを探して贈りました。でも使うどころか、面倒くさいから使わないと言われて大ショック。いくらしたと思ってるの!」(東京都・30代)涙なくして聞けないエピソードの数々だが、芸能界でも、とびきり残念な父の日エピの持ち主が!それが過去に『下着を贈りたくなるお父さんランキング』(トリンプインターナショナル)で3年連続首位を獲得した石田純一だ。2016年の父の日、幼稚園児の長男・理汰郎くん(当時3歳)が絵を描いたマグカップを渡そうとしたところ、落として割ってしまったのだという。割れたマグカップがなんだか暗示的だけど、実際の親子関係にはヒビが入らないよう、頑張ってほしいものだ!さて、読者のみなさん、今年の父の日は“やらかしギフト”に要注意ですよ~!父たちの本音を聞きました芸能界では“毎年娘たちからアクセサリーをもらう”という木村拓哉や、昨年、高級リップをもらったとブログで明かした薬丸裕英など、子どもたちのチョイスに大満足の父親も多い。さて、世間の父親の本音はどうなのか。「花はいらん。子どもが小さいころは、似顔絵とヒマワリの花をもらって泣くほどうれしかったが、いまそんなものもらっても面倒くさいだけ」(北海道・70代)「気持ちはうれしいけれど、娘とセンスが合わない。凝った革の財布やデザインが奇抜なイタリア製ニットはタンスの肥やし」(東京都・60代)「海外にいる息子が観光客向けの派手なTシャツを毎年贈ってくる。どこで着ろというのか」(神奈川県・70代)父親を喜ばせようと試行錯誤する子どもたちからすれば泣けてくる。が、本音を口にしてよかったケースも。「おまえとは趣味が合わんという頑固な父。好きな酒一択にしてからは大満足。贈る側のストレスもありません(笑)。心配なのは飲みすぎだけ」(栃木県・50代)「贈るなら消え物か商品券にしてねと言われた。実は、自分のためだけにお金を使わせるんじゃなく、家族全員で食べられるものにしたいのもわかってる。ありがとう」(東京都・40代)父の日ギフトは父の数だけ正解があるのかもしれない。名入れ、顔写真アイテムをクチコミでCheck!「父の日ギフト」としてサイトに登場しがちな名入れ商品や顔写真で作るアイテム。自分大好きぎみなパパでも、ちょっぴりキツくないかな!?気になるクチコミをこっそりチェック!評価はどれも☆5つ近くて、パパは大満足だった!?顔写真マグカップ(3000~4000円程度)「キモカワな感じが決め手でプレゼントに購入。自分でも作りたくなりました」(購入者)、「世界に一つだけのマグになりました」(40代男性)。たしかにオンリーワン。大事に使うべし。おもしろ名入れTシャツ(2000~3000円程度)「リハビリ治療中の父に。看護師さんも褒めてくれました」(購入者)、「オシャレというよりはみんなが笑顔になる商品。面白い!」(購入者)。ほっこり系のコメントが多かった!顔スイーツ(どら焼き、マカロン)(各1個500~600円程度)「めちゃくちゃ笑ってもらってよかった。お味もいい」(20代女性)、「リアルすぎて怖い、ゆえに食べづらい(笑)」。(購入者)食べちゃいたいほど愛しい父に♪(取材・文/ガンガーラ田津美)
2022年06月05日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明の妻・あゆみさんが2日に自身のアメブロを更新。スーパーで発見し嬉しかった品を紹介した。この日、あゆみさんは「石田家ハマり中のポールウィンナーちゃんを最寄りのスーパーで発見しました」とスーパーで伊藤ハム『ポールウインナーソーセージ』を発見したことを報告。「普段子連れだとあまり行けないスーパー」だといい「お見送り後に珍しくそこでお買い物をしてたら発見しちゃいました!」と説明した。続けて「いやぁ、、、嬉しい」と興奮気味に述べ「通うことになりそうです」とコメント。「帰ってきて早速!」「ポールウィンナータイム」と報告し「ポールウィンナーを見せたら悲鳴あげるくらい喜んでた」と『ポールウインナーソーセージ』を手にした娘の写真を公開した。最後に、娘から「これなに?」と尋ねられたことを明かし「ポールウィンナーだよって教えたら、、、OK!!ポーウィン!だって」と娘の反応を説明。「発音良すぎ。カッコよすぎ」とお茶目につづり、ブログを締めくくった。
2022年06月03日週刊女性の取材に応じるいしだ壱成。元マネージャーとの共同生活を語る(2022年5月)《新マネージャーつかまえた!ゆうちゃん、これからよろしくお願い致します》5月27日、自身のSNSで笑顔の写真とともに近況を報告したいしだ壱成。「彼は’90年代にドラマで活躍しましたが’01年に、大麻取締法違反により逮捕。以降、私生活のトラブルが続き、精神的な不調もあって’18年ごろから石川県に移住していました」(スポーツ紙記者)父・石田純一からの電話「マトリが向かっているから逃げろ」昨年12月に3度目の離婚を発表。今年2月にはクラウドファンディングのリターンを巡って金銭トラブルも発覚するなど災難続きだった。「3月にトルコで植毛手術を受けたことがメディアで取り上げられてから風向きが変わりましたね。再び東京に拠点を移して、本格的に芸能活動を再開させるようです」(同・スポーツ紙記者)新マネージャーも見つかり、再起を図ろうとしている壱成に対し「彼は約束を破り、私たちを裏切った」と怒り心頭なのは、石川県で塗装業に携わっていたというK氏だ。「彼と出会ったのは’21年の夏ごろ。お金もなくボロボロだった彼を放っておけず、ご飯をおごったり家に呼んだりしていました。離婚直後、住む家もない状態になった彼は、 “再び芸能界で頑張りたい”と私に相談してきたんです」(K氏)K氏は以前、芸能関係の仕事をしていた知人のT氏と壱成を引き合わせる。「現在のT氏は、群馬県の山あいにあるホテルの経営者。壱成をT氏のところに住まわせながら、俳優活動をバックアップしようと考えました。私とT氏がマネージャーになり、3人で芸能事務所の設立を目標に、共同生活を始めたんです」(K氏)詳しい事情を聞くため、自然に囲まれたホテルを訪ねた。「ここは宿泊施設なので、布団を畳んだり食事を作ったりといった仕事がありますが、彼ができるのはトイレ掃除だけ。ほかの時間は部屋で寝るか、元妻や友人と電話するだけでした。私たちは彼を売り込むためにいろいろ手を尽くしていましたが、感謝の言葉もないんですよ」(T氏)壱成が植毛手術から帰ってきて数日後の3月下旬、衝撃的な出来事が起こる。「壱成が“父からマトリ(麻薬取締官)がそっちに向かっているから逃げろと連絡が入ったので、いったんこのホテルから出る”と言うんです。あっけにとられていると、彼の友人と思われる男性が車で迎えに来て、壱成を乗せて去っていきました」(K氏)「50万円請求したい」「5000円しかもらえなかった」異なる言い分K氏とT氏はすぐに戻るだろうと考えていたが、壱成はいっこうに戻らない。電話をかけてもつながらない状態に。「ようやく連絡がついたのは、4月中旬。その電話も“会社設立でなく、業務提携という関係にしたい”と一方的に主張してくるのです。それはできないと言うと、電話は切れてそれっきりです。今でもホテルに彼の私物は残ったまま。住民票もここに置いているので、彼宛ての請求書や郵送物が届くのも迷惑しています。約束を反故にした以上、彼を住まわせていた3か月分の宿泊費や食費など、約50万円分を請求しないと気が済みません」(T氏)K氏もいら立ちを隠さない。「彼が起こしたトラブルの尻拭いをして、ずっと面倒を見てきました。こんな終わり方は納得できません。父親の石田純一さんからでもいいので、誠意のある対応をしてほしいのです」(K氏)壱成の言い分を聞くため、彼に連絡をしてみると「持病でところどころ記憶が曖昧だが、直接説明したい」と、経緯を振り返ってくれた。「石川県に住んでいたとき、K氏は親分肌で“おまえは俺の弟だ”と言って面倒を見てもらっていました。妻との離婚後は、仕事も住むところも困っている状況でしたから、環境を変えようと、芸能関係の仕事をしていたというT氏を頼ることにしたんです」しかし、T氏のキャリアは舞台が中心だったため、テレビや映画のコネクションはほぼゼロだった。「自分はうつ病を患っていることもあって、体調が優れないときは部屋で横になることも多かったのですが、それも気に障ったらしく、毎夜、酔った2人から説教されていました」(壱成、以下同)仕事も決まらず、閉塞感が漂う共同生活。ほどなくして、壱成のSNSに植毛手術モニターのオファーが入る。「ギャラは100万円で、そのうち渡航費は約20万円。振込先はT氏でした。渡航費を引いた残りの80万円を分配することになって、とりあえず20万円欲しいと要求しましたが、2人は“金はこっちで管理する” “むしろ、おまえの経費がかかって赤字だ”と言い出して、結局渡されたお金は5000円でした。自分は若いころ、父にお金を管理してもらっていましたが、使い込まれたこともあったので“また、搾取されるのか”と怖くなってしまいました」ギャラ未払いに「嫉妬されていたのかなって」お金を巡って両者の関係はさらに悪化。ことあるごとに “調子に乗るな”と恫喝されるようになった。「植毛手術後の3月末、元妻に予定があったので、娘を自分が預かることになったのです。その夜、酔った勢いなのかK氏は“おまえの子どもも、おまえと同じようなダメ人間になる”とか“ここから出ていけ”と怒鳴り出して、もうダメだなと思いました」2人との決別を本格的に考え始めた壱成。その翌日、純一から絶叫まじりの電話が入ったという。「父から “マトリがそっちに向かっているから、その場から逃げろ”と電話があったんです。もちろん、父の勘違いなのですが、もうここにいたくないと思っていたので、ちょうどいい機会だなと思いました。すぐさま近くに住む友人を呼び出して、明け方に彼の車で逃げたんですよ」雪が残る群馬の山中から脱出した壱成は、そのまま東京へ。その後、一定の距離を保つためK氏とT氏に業務提携を提案するも拒絶される。以後、連絡をとらなくなった。「未払いのギャラは諦めました。芸能界ってときどき高額な仕事が発生したりするじゃないですか。たぶん嫉妬されたのかなって思います……」両者の見解が食い違うことになったが、なぜ純一は壱成に“マトリが来る”などと物騒なことを言ったのか。「父は以前から、クスリをやっていないかと心配する電話をくれていたんです。あと最近は自粛期間中の飲み歩きのバッシングを受けてから精神的に弱っていて、思い込みも強くなっています。自分が雪山のホテルに滞在していることを知って、変な想像を働かせたのかもしれません」純一の所属事務所に、壱成へ電話をかけた真意について問い合わせたが「ノーコメント」とのことだった。壱成の再スタートが成功するか否かは“新マネージャー・ゆうちゃん”にかかっている!
2022年05月30日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明の妻・あゆみさんが13日に自身のアメブロを更新。石田が夜中に肩を脱臼したことを報告した。この日、あゆみさんは石田が娘達を寝かしつける際の様子をつづったブログをリブログし「まじでみんな父ちゃんラブなのです」「本当に父ちゃんには感謝」とコメント。「昨夜は父ちゃんと話したかったので絶対寝落ちしたくなかった」と述べるも「こんな日に限って、、寝落ちした嫁」とお茶目に告白した。続けて「朝起きてその後の父ちゃんの話聞いた」と明かし「父ちゃんは父ちゃんでリビングで仕事しながら寝落ちした」と石田について報告。一方で、石田が「夜中に脱臼して目が覚めた」と説明し「誰かに引っ張ってほしくてひとりでずっとあーあーって白目むいてたらしい」と脱臼した時の石田の様子をつづった。また「こう言う時に居られず本当に申し訳ない」(原文ママ)と反省する様子で述べつつ「可哀想な夜の秘話を聞いて、、(再現が面白すぎて)朝から爆笑した」とコメント。最後に、娘達に囲まれる石田の写真とともに「さぁ雨の日金曜日いろいろヤバそうですが元気よくいきましょう!!」と意気込みをつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「寝落ち仕方ないね」「脱臼は大丈夫かな?」「お大事にしてくださいね」などのコメントが寄せられている。
2022年05月13日昨年11月に、かねてより交際していた一般男性と結婚したモデル・すみれさん。同時に妊娠も発表。つい先日、第1子である長男の出産を報告しました!仲よしファミリーが集合! この投稿をInstagramで見る Sumire(@sumire808)がシェアした投稿 すみれさんの父親は、俳優の石田純一さん。石田さんの奥様はプロゴルファーの東尾理子さんで、おふたりの間には3人のお子さんがいます。赤ちゃんを抱っこしたすみれさんは、「石田ファミリーが赤ちゃんに会いに来てくれました!」と家族7人が大集合した写真を公開!「キッズがなんと叔父さん叔母さんとは思えないけど、お兄ちゃんお姉ちゃんみたいに可愛いがってくれました。これからもずっと仲良くしてね♡」と様子を綴っています。みんなのくつろいだ表情から仲のよさも伝わる投稿に、「おめでとうございます、幸せいっぱいですね!」、「ベビーもお兄ちゃんお姉ちゃんがいるから心強いね」、「すてきな一枚」、「兄弟のように可愛がってくれそうですね♡」、「最強ファミリーですね♡」、「お幸せな笑顔に嬉しくなりました」など喜びの声が届いています。赤ちゃんはBIGで元気な男の子! この投稿をInstagramで見る Sumire(@sumire808)がシェアした投稿 また、すみれさんは出産を報告した投稿で「4170gで55.5cmのBIGで元気な男の子」と明かしています。すみれさん自身も長身なので、将来は高身長でスタイルのいい男性になる予感!「赤ちゃんはママとパパを選んで来てくれたと思っているので、それに応えられるように、がんばります!」、「新しい家族も増えて、楽しくてHAPPYな日々を過ごして行きたいと思いますので、皆さんこれからもどうぞ宜しくお願いします」と心境を告白。ママになった目線での新たな投稿が楽しみですね♪あわせて読みたい🌈榮倉奈々さん、夫婦そろった動画を投稿「夫婦そろって最強」「スタイル良すぎ」と大反響
2022年05月13日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明が8日に自身のアメブロを更新。娘達のために作ったものを公開した。この日、石田は娘達について「最近、やたらと手紙ブーム」と明かし、並んで手紙を書く娘達の後ろ姿を公開。「そんな三姉妹ちゃんが喜んでくれるかどうかはわかりませんが」と述べつつ「喜んでくれることを祈ってポストを作りました」と自身が手作りしたというポストの写真を公開した。続けて、手作りのポストについて「めちゃくちゃ適当!」と明かす一方で「一応、機能性もそれなりに」と写真とともに説明。「喜んでくれるといいなー」と願望をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素敵なパパ」「器用過ぎる…!」「何より手作りがいいですね」「凄い発想」などのコメントが寄せられている。
2022年05月10日『宇宙塾』主宰・元日本テレビディレクター矢追純一さんディレクターとしてバラエティー番組を制作し続け、次々に高視聴率をたたき出してきた、矢追純一(86歳)。51歳で日本テレビを退職してからもフリーとして活躍。今日でもUFO、超能力の第一人者として活動を続けているが、「自分はただ流れに身を任せただけ」と笑い、飄々(ひょうひょう)と語る。しかし、その半生は波乱に満ちていた―。常識では説明できない“超常現象”この記事の読者は圧倒的に女性が多いです─と伝えると、矢追純一は「なるほどね」と相づちを打ち、こう述べた。「女性にはね、説明がつかない超能力的な素質があるんですよ。生まれつき宇宙そのものを持っているというのかな。男性は何でも論理的に考えるから弁が立つけれども、物事は言葉だけで理解しようとすると本質を見失います。その点、女性は言葉にできないことまで感じ取れる。そもそも子どもを産めるのは、目の前で起こるあらゆるものを受け入れる包容力があるからで、物事の本質を見る力は男性よりも女性のほうが優れているように僕は思いますよ」常識では説明できない不思議な世界─いわゆる“超常現象”に興味を抱いたことがある人なら『矢追純一』の名前は聞いたことがあるだろう。齢86。現在の矢追の活動を追って、2つのセミナーに足を運んだ。1つ目は、2022年1月22日の『開星塾―ADVANCE』(夢源樹主催)。矢追は対談のゲストとして登壇。ホストを務める高野誠鮮さん(66歳)は、石川県羽咋市の臨時職員だった1984年に「UFOでまちづくり」を仕掛け、’96年には総工費52億円をかけた宇宙科学博物館『コスモアイル羽咋』の構想を実現させた人物。対談は、高野さんのこのひと言で始まった。「ご存じだろうとは思いますが、矢追さんは日本におけるUFOや超能力のテーマに先鞭をつけ、切り拓いてきた草分け的な存在です。歴史に残る人だと僕は思っています」UFO問題の対談に興味を持つのは男性が多いだろう……、という予想は当たっていなかった。定員70名の会場は老若男女で埋まっていた。2つ目は、矢追自身が主宰する『宇宙塾』。2月26日の「自由コース」も参加者のほぼ半数が女性だった。宇宙塾の運営を担当する小川正喜さん(53歳)に聞くと、2015年ごろから女性の塾生が増え始めたという。もしかすると、東日本大震災のような人間の力が及ばない現象─矢追の話になぞらえれば「言葉だけでは本質を説明しきれない出来事」を多くの日本人が体験したことも一因だろうか?続けて問うと、小川さんも同じような印象を抱いていた。「たしかにそれもありますね。実際に福島から宇宙塾に参加された方もいて、震災を伝えるメディアは都合のいいところだけを切り取って、被災者の現実を伝えてくれないという声も聞きました」風評被害などは、その典型だろう。考えてみれば、私たちが暮らす世の中は見えないものに動かされている。例えば、世界中を混乱に陥れた新型コロナウイルス。あるいは、社会のインフラとなったインターネットもそうだ。開星塾の参加者の1人は、こんな思いを口にした。「ネットにはフェイクニュースがあふれ、何がホントで、何がウソか、わからなくなっていますよね。僕は学生時代から矢追さんのラジオを聴いていて、当時は信じられないような話がたくさんありましたけれども、最近になって全部それがホントだったとわかってきました」(グーガさん=仮名・55歳)ちょうど1年前、4月27日にアメリカ国防総省は3本のUFO映像を公開した。さらに同年6月25日には、軍が把握しているUFO目撃情報に関する公式な見解として、「地球の外から来た可能性を排除しない」と結論づけた。この件について、高野さんは開星塾の対談でこう話した。「アメリカ政府は1969年12月をもって、宇宙人の存在を示すUFO情報は1つもないという理由で、UFOの調査から手を引くと発表しました。ところが今回、“完全否定”から一転して“可能性”にまで言及した。これでUFO問題は、一気に百歩も前進したと私は思っています」“UFO”の3文字は、日本人なら迷わず「ユーフォー」と読むだろう。この呼び方を、カップ焼きそばやピンク・レディーの歌で知った人もいるかもしれないが、軍事用語のUnidentified Flying Object(未確認飛行物体)を、1960年代に自らが手がけた日本テレビの番組の中で初めて「ユーフォー」と呼んだのが矢追だった。以来、UFO情報は人々の好奇心を大いに刺激し、放送された矢追の企画は高視聴率をたたき出した。自らも番組に出演し、秘密情報を次から次へと紹介する矢追自身も“UFOディレクター”として一躍有名人となった。ホントかウソかは問題じゃない科学の常識を超えたUFOの存在は、子どもたちに「夢」を与えた。一方で、アカデミズムなどの大人の世界からは「オカルト」的なものとして徹底的に無視されてきた。しかし、いまやUFO情報は国家の安全保障の観点から排除できない「事実」になりつつあるというのがUFO研究者たちの見方だ。開星塾の対談で矢追の口から淡々と語られるUFO情報も、「これから何かが起こる」と予感させるものだった。「2013年のダボス会議でロシアのメドベージェフ首相が、宇宙人に関する秘密を公開しようとアメリカのオバマ大統領に迫り、共同発表できなければロシア単独で暴露すると公言しました。メドベージェフ首相の発言はプーチン大統領の意向と見ていいので、ひょっとすると早晩それが実現するかもしれません」単刀直入に矢追に聞いてみた。宇宙人がUFOに乗って地球に来ているというのはホントなのか?「ホントか、ウソかは、僕にとってたいした問題ではなくてね。地球の常識では説明できない現象が“ある”ということが重要なんです。そもそも僕はUFOだけに興味があるわけではない。いままでUFO問題を追いかけてきたのも“成り行き”なんですよ」さらに、成り行きで生きてきた自らの人生を、矢追はこう言い切った。「仕事がなくなったことも、お金に困ったこともありません。僕が人生で思ったことは、ほとんど実現しています。人生はね、“こうありたい”という目標さえ決めておけば、思ったとおりになるんですよ」実は、矢追こそが宇宙人なのではないか?そんな噂もかつては囁かれ、『宇宙人』は矢追の渾名にもなった。矢追自身も1991年に『宇宙人・矢追純一の「地球人」へのメッセージ』という本を書いている。念のため「矢追さんは宇宙人ですか?」と確認すると、「戸籍はちゃんとありますから日本人だし、地球人ですよ」と本人も笑った。が、矢追の過去は人間離れしたエピソードに事欠かない。「自分が生きてここにいると気がついたのは、7歳くらいのときなんです。両手をポケットに突っ込んで歩いていたら、雪道ですべって顔面から凍った地面にぶつかった。そこから僕の人生の記憶は始まっているんです」矢追は1935年に満州国の新京で生まれた。しかし、幼いころの記憶はほとんど残っていないという。「僕には思い出というものがないんです。終わったことはどんどん記憶から消えていくので、常に“いま”しか見えていない。過去を懐かしむような情緒的な感情がないという意味では、僕は人間らしさに欠けているんでしょうね」自著『真・ヤオイズム』などには、満州での体験が活写されている。が、それらの記憶は「妹から聞いた話だったりします」と話す。矢追には2人の妹がいる。4歳離れた長妹の千草さんと、6歳離れた次妹の三恵さん。2012年に三恵さんが著した『もやし』という自分史がある。そこには兄である矢追が共有しているはずの故郷・満州での思い出が生々しく記されていた。例えば─、《鼻水もツララになるマイナス二十度の町中で着物を片手にかけて、片言の中国語で売り歩いた》矢追の生い立ちはまさに波瀾万丈だ。両親と妹たちとの5人家族は、新京の日本人居住区で暮らしていた。父の又三郎さんは満州国建設省の役人で、政府の建造物の設計にも携わった。三恵さんの本には《父が自分で設計施工した、当時珍しいコンクリート造の白亜の洋館に一家幸せに暮らしていた》とある。豪邸には何人もの使用人が住み込む裕福な暮らしぶり。だが、兄の幼少期は病弱で、しかも《対人恐怖症で今で言う引きこもりだった》と綴られていた。10歳の少年が衣類や家財を売り歩く大黒柱の父が急逝したのは、矢追が9歳のときだった。その翌年、戦争が終結。満州国は一夜にして消滅し、矢追一家の生活は一変する。白亜の豪邸は使用人だった中国人たちに乗っ取られ、家族は住む場所を失った。路頭に放り出された家族を支えたのは母の清子さんだった。新京、奉天、大連と居を転じながら、幼い3人の子どもたちに教えたのは自立して生きる術。満州国の紙幣では米一粒も買えない。清子さんは自分の着物を矢追に持たせ、「売ってきなさい」と命じた。昨日まで引きこもっていた10歳の少年が、言葉の通じない米兵やソ連兵、果ては日本人を目の敵にする中国人を相手に、母の衣類や家財を売り歩く。それが、なぜか、売れた。高価な着物だけでなく、使い古しの絵葉書までが使えるお金にかわった。満州での体験を、矢追の口から直接聞いたことがある人もいる。プライベートで20年近い付き合いがあり、2021年から矢追の仕事のマネージメントを担当している河原邦博さん(57歳)はこう話す。「2人で食事をしたり、お酒を飲んだりしているときに、ふと昔の話をされることがあったんですが、もう私の想像をはるかに超えていて、そんな壮絶な体験を、なぜ彼はこんなにも淡々と語れるのだろう、と。そういうところは宇宙人みたいですよ(笑)」例えば、無法地帯となった満州では犯罪も茶飯事。矢追が友達と道端に座っていると、ソ連兵が日本人の住居を襲って家財を盗み、トラックで逃げていく。素行不良のソ連兵を取り締まるのは同胞のGPU(ソ連の秘密警察)。サイレンを鳴らし、ピストルを乱射しながらGPUのサイドカーが逃げるトラックを追う。まるで映画の一幕。カーチェイスの末にトラックは矢追の目前で横転。血だらけではい出すソ連兵。歩み寄るGPUの将校。銃声。頭を撃たれたソ連兵は即死。おい、いまの、見たか!興奮しながら横にいる友達に目をやると、流れ弾に当たって息絶えていた─。こんなエピソードが『真・ヤオイズム』には克明に描かれている。人間の“死”と隣り合わせの日常に身を置きながら、矢追は“生きる”ことの本質を体感した。「自分の命も含めてあらゆるものへの執着が消えたのが12歳のときでした。執着心がなくなれば人間は不安や恐怖も感じなくなります。自分が歩んできた過去に縛られることもないし、これから訪れる未来を思い煩うこともない。いま、この瞬間だけに集中して僕は生きてきたんです」前出の高野さんは日蓮宗の僧侶でもあるが、矢追のイメージを「仙人みたいな人」と述べていた。矢追の生き方は、極限の精神状態に至った者だけが知る境地のような気もしてくる。だが、矢追本人が抱く実感はいたってシンプルだった。「たしかに浮世離れはしているんでしょうけれども、仙人というより、動物ですよ。将来どうなるんだろうとか、動物は考えない。意識にあるのは“いま”という現実だけです。僕も動物と同じように、何のビジョンも持たずに、ただ生きているだけなんです」ビジョンは「展望」や「理想像」などと訳される。頭の中で未来を予測し、行動する前に計画を立てる能力は、動物よりも脳が発達した人間ならではの知性だろう。しかし、知性と引き換えに人間は原始的な生命の源泉─知識や情報に支配されることのない生きる力─をおろそかにしてしまっているのかもしれない。「考えたことはなかったけれども、そうなのかな。僕としては“勘”で動いているだけなんですけれどもね(笑)」引きこもりだったひ弱な少年は、自らの勘に従い、目の前で起こるあらゆるものを受け止めた。終戦から2年後、矢追はどんな現実も「楽しい」と言える人間に変わっていた。「3階くらいの高さの階段を上って下をのぞき込むと、数え切れないほどの人がズラーッと並んで雑魚寝をしていた。その光景は覚えているんですよ」12歳の矢追が見たのは貨物船の船底の様子だった。1947年12月、矢追一家は大連の港から引き揚げ船に乗り、佐世保港に到着。そこから父の親戚がいる奈良県へと向かったが、母の清子さんには親戚を頼って生活するつもりはなかった。ほどなく一家は東京に移り住む。妹2人を育てる暮らしところが、満州での心労で清子さんは心臓弁膜症を患い、入院。3人の子どもは病院の母のベッドの下に寝泊まりし、そこから学校へ通った。母の退院後は、国が建てた世田谷区の母子寮(現在の母子生活支援施設)に入ることができた。《六畳ひと間に一畳ほどの台所がついていて、トイレ、風呂は共同だった》と三恵さんの本にはある。矢追は中学生になっていた。「僕がまともに学校に通った記憶は、中学校の3年間しかないんです」と記憶をたぐり寄せるが、同級生たちの日常とは少し違った。家で勉強していると、母に叱られた。本を読んでいると、取り上げられて捨てられた。学校できちんと勉強していればテストで100点取れて当たり前。学校から帰ってきたら、外に出て身体を鍛えなさい─。自立して生きるための母の教育は、矢追をたくましく成長させた。病弱だった肉体は頑健になり、授業だけで100点を取れる驚異的な集中力が身についた。そして高校進学。2つの理由で矢追は神田にある電機学園高等学校を受験した。1つは卒業してすぐに飯が食えること。もう1つは、特待生試験に合格すれば入学金も学費も免除になるという条件。人並み外れた集中力を発揮し、矢追は試験に合格。そこからの記憶は、もっぱら学び舎の外での体験だった。「渋谷に出て、地下鉄の銀座線に乗って、神田では降りずに終点の浅草まで行くんです。一日に映画を3本も4本も見たりして、毎日浅草をうろついていましたね」高校2年の春。自らの意志で成した自立とは違う意味で、矢追の人生には自立のときが訪れる。母の清子さんが48歳の若さで他界。三恵さんの本には《母の遺言には、「親戚を頼らずに三人で生活するように」とあった》と記されている。だが、3人の兄妹は未成年。保護者がいなければ孤児院(現在の児童養護施設)に送られる。親戚が集まり話し合いが持たれ、矢追と三恵さんは世田谷の親戚に、千草さんは長野県の叔母に預けられることになった。母亡き後の人生を、どう歩むか?実業高校の卒業生には就職先がいくらでもあった。ところが矢追の選択は大学受験。しかも中央大学法学部という超難関に挑んだ。“常識”で考えれば無謀でしかない。その進路を矢追は“勘”で決めた。そして合格。「人生で思ったことはほとんど実現しています」という矢追の話は、決して“未確認”な情報ではない。大学生になった矢追は、三恵さんを連れてアパートを借り、長野にいる千草さんも呼び寄せた。母の遺言どおり、親戚を頼らずに3人で生活するために。それにはお金がいる。高校時代からやっていたアルバイトは3つに増えた。日中は建設会社の事務や現場の雑用。夕方からは日比谷にある市政会館でエレベーターボーイ。夜になると生演奏がある銀座のクラブでバンドボーイとして働いた。深夜、クラブが閉店するとジャズバンドのメンバーが遊びに連れて行ってくれた。飯は食えるし、こっそり酒も飲めたが、寝る間がない。それでも矢追は必ず帰宅していたことが、三恵さんの文章から伝わってくる。《兄が毎日百円置いていってくれる》という朝の点描。中学校に通う次妹に食費を渡してからアルバイトに出かけるのが大学時代の矢追の日課だった。《みかん箱の倍もあるような木箱で、Hi-Fiの大きなスピーカーを作ってくれた。この音響機器はわが家でただひとつの『家具』だった》という一文もある。まだテレビが贅沢品の時代。安いラジオでも立派な再生装置につなげば高音質で聴ける。矢追が高校で電気技術の基礎を習得していた証だろう。兄の手作りスピーカーは2人の妹にとって、狭い部屋を劇場に変える魔法の箱だった。長兄としての自覚、責任、苦労、愛情……。それらの言葉で表す感情を、矢追は当時の記憶にとどめていない。「たぶん、放っておいて気になるのが嫌だったのかな。お金やモノを与えて、これで妹は大丈夫だなと安心して遊び回っていたんでしょうね」記憶にあるのは「楽しかった」という印象だけ。恋人もできた。一方で、同世代の友人は少なかった。大学にはほとんど行かなかったからだ。授業で教わる内容は、本を読めばわかった。だったらアルバイトをしながら遊び回っていたほうがいい。楽しい大学生活は4年生になっても続いた。いまを楽しく生きる矢追は、将来を考えた就職活動もしなかった。しなくても幸運のほうから矢追に近づいてくる。映画会社から「俳優にならないか」と声をかけられたこともあった。「映画は好きでしたけれども、役者をやる気は全然なくて。むしろ監督とか、作る側に興味はありました」夏のある日、市政会館のエレベーターでよく見かける紳士が話しかけてきた。就職は決まったの?「まだです」と答えると、日本テレビの見学に誘われた。紳士は同局の著作権課の課長だった。法科の名門に通う学生はダイヤの原石に見えたのかもしれない。後日、社屋の見学に訪れた矢追に、紳士は感想を求めた。ここで働いてみたいか?「はい」と返事をすると、入社試験を受けることになった。いまも、当時も、キー局への就職は狭き門である。しかし、矢追が思ったことは実現する。試験から数日後、家には合格通知が届いていた。テレビ局に入って、すぐに楽しい仕事が待っていたわけではない。配属は演出部。出勤初日からドラマの制作に携わるが、映画で目の肥えていた矢追には、黎明期のテレビドラマは好奇心を満たすものではなかった。「歌謡番組だの、寄席の中継だの、いろんなことをやらされたけれども、みんなおもしろくなかった。もう、辞めようかなと思っていたら、イレブンが始まったんです」1965年11月。型破りな娯楽番組が誕生した。『11PM』だ。硬派なネタからお色気まで、自由な企画で勝負ができる深夜の解放区。「プロデューサーをつかまえて、イレブンに入れてくださいと、自ら志願したんです。自分の人生で、自分の意志を発揮したのは、その時が初めてだったかな(笑)」何でもやれたが、何をやるかは決めていなかった。アイデアの発端は偶然の出合い。たまたま入った書店で『空飛ぶ円盤』と書かれた本が目に入る。何だろう?立ち読みすると、宇宙人が地球に来ていると書いてある。おもしろい。そして閃いた。「空を見せてやろう」高度成長の真っただ中にあった日本の大人たちはモーレツに働いていた。欧米から“エコノミックアニマル”と揶揄されたその姿は、矢追にはうつむいて視野狭窄になっているように見えた。未来に抱くのは期待感のみ視聴者が空を見上げる企画に、空飛ぶ円盤は格好の題材。屋上にカメラを配置し、夜空の飛行物体を探して実況中継する。本邦初のUFO番組が放送されたのは1968年のことだ。本番中にUFOは現れなかったが、視聴者の反響は大きかった。「また、やれ」と、プロデューサーの業務命令が下る。成り行きで、矢追は次のUFO番組を企画する。深夜枠の11PMだけでなく、1970年代にはゴールデンタイムの『木曜スペシャル』でも矢追の企画は放映された。超能力者のユリ・ゲラーを日本に呼び、生放送でスプーン曲げをやらせたのも矢追だった。超常現象番組にとって、矢追はディレクターであると同時にプレゼンターだった。自ら出演した理由は「人件費が節約できるから」だったが、映画会社の目にも留まったルックスと、感情を表に出さないクールな口調とに、視聴者はドキドキしながら未知なる世界へといざなわれた。そんな番組を作れるのは矢追だけだった。前出の高野さんも若いころにテレビの前に釘付けになり、多大な影響を受けた1人である。「衝撃的だったのは、UFO事件に遭遇した本人が再現映像に出てくることです。超常現象がブームになって、研究家を自称する人もたくさん出てきましたが、多くは現地にも行かない文献主義者でした。現場主義者でジャーナリストの矢追さんに追いつける人は、当時は世界中を探しても見つかりませんでしたよ」再現VTRに役者を使わず本人を登場させる手法には、人件費の節約だけでなく、実は矢追の勘も働いていた。「証言が事実なら何度でも躊躇なく再現をやってみせてくれます。作り話だったら、不自然になるから見抜けるんですね。ただ、再現してくれたことがホントかウソかは、僕が判定する問題ではない。その人が信じているものは、その人にとっては事実です。人間はね、誰もが同じ世界を見ているわけではないんです」番組の台本はほとんど白紙。何が起こるかわからない。楽しさを追求するエンターテイメントでありながら、起こったことをそのまま切り取るドキュメンタリータッチの番組には、まさに矢追の人生観そのものが投影されていた。「計画どおりにやろうとすれば、つまらないものしかできません。僕の番組には結論がないんですよ。これから起こることが現実だし、その現実も、次の瞬間には変わっているかもしれない。人生と一緒です。わからない未来に対して、こうだろうと予測し、こうあるべきだと決めつけて、妄想した未来に執着するから、計画どおりにならない現実に不安や恐怖を抱くんです。だけど、いまだけに集中して生きていれば、未来に対して抱くのは期待感しかないんですよ」UFO番組を手掛けてから約20年後。矢追に訪れた未来は「退職」という道だった。1986年9月。51歳で日本テレビを退社。そのきっかけとなった出来事の1つが社内の新入社員歓迎会だった。余興で中堅ディレクターがコントを演じる。内容は現場でこき使われるADの悲哀。仕事の厳しさを伝えるための誇張した演出。これを見ていた幹部が激怒、そして新入社員たちに詫びた。キミたちは管理職になるエリートだ、現場であくせく働くために採用されたのではない……。テレビ業界は成熟し、番組制作会社の台頭でキー局の社員にはマネージメント能力が求められるようになっていた。現場は管理され、自由奔放な番組作りはどんどんできなくなっていく。その現実を受け止め、矢追は思った。「僕には管理職は務まらない、会社の期待には応えられそうにないな、と。それも勘です。ここはもう自分のいるべき場所ではないと思いました」迷わず辞表を提出。名物ディレクターの辞意を会社は全力で慰留したが、矢追に未練はなかった。そして、辞めた後の計画もなかった。「田舎の鄙(ひな)びた温泉地でしばらく遊んでいようと思ったんだけれども、3日で飽きちゃったんです(笑)」東京に戻ってくると、さまざまなオファーが待ち構えていた。確実に視聴率を稼げる矢追を業界が放っておくわけがない。わが身の明日を成り行きに任せる矢追も頼まれた仕事は断らない。番組制作会社と組んでUFOディレクターは再始動した。立場はフリー。テレビ番組制作以外の仕事も引き受けた。1987年には『(財)地球環境財団』の設立発起人となり、財団の理事として各方面で環境問題について語る機会も増えた。あの矢追純一が環境問題?驚いた人もいた。が、当時の著書に残した“地球人へのメッセージ”には、家電リサイクルやレジ袋の有料化といったアイデアが、法整備される以前に提言されている。地球の“いま”を受け止める矢追には、人間が成すべきことの本質も見えていた。趣味を活かして事業も興している。銀座のクラブで毎晩のようにジャズの生演奏を聴いていた矢追は、CDの音質に物足りなさを感じていた。「こうありたい」と願えば、必要な情報は向こうからやってくる。音源をデジタル化してもライブ感を損なわない技術と出合い、音響装置の製造会社『イマジェックス』を設立。開発した機器には、かつて2人の妹のために作った魔法の箱と同じ思いが込められていた。「いまでも僕のラジオ番組ではイマジェックスの機器でジャズを流しているんですよ。だけど、見ている世界と一緒で、“いい音”っていうのも人によって違うのでね。音響業界は僕の事業に興味を示さなかったです」地球環境財団もイマジェックスも後に解散し、いまはもうない。世の中が矢追に求めたのは、やはりUFO問題の先駆者という役割だった。UFO番組不動のトップランナー1990年代に入ると映画『ゴジラvsキングギドラ』(1991年公開)の出演依頼がくる。役どころは“UFOに詳しい矢追純一”。ゴジラはフィクションだが、矢追は映画の中でも実在のUFOディレクターだった。1990年11月には、石川県羽咋市で『宇宙とUFO国際シンポジウム』が開催。米ソの宇宙飛行士が来日し、開催国の海部俊樹首相が公式メッセージを寄せた国際会議は世界中から注目を集めた。実現させたのは高野さん。そして、シンポジウムに日本代表として登壇したのが矢追だった。「矢追さんのほかにはいませんでしたよ、この会議で日本……、というより世界を代表して話ができる人物は。世界中で制作されるUFOコンテンツは、みんな矢追さんの番組をお手本にしていたんですから」(高野さん)UFO番組は世界中のテレビ局で作られるようになっていた。UFOの事案が発生するたびに海外の取材班は先駆者の矢追に意見を求めてくる。必然的に矢追の元には世界中の最新情報が集まった。一方で、日本では矢追の手を借りずにUFO番組を作る人たちも出てきた。そこには構成作家として放送業界に関わった高野さんもいた。「矢追さんと現場でばったり会ったときに、オレの目の前をチョロチョロするなと怒られたこともありました」と高野さんは苦笑するが、UFO番組を作る次世代のライバルたちにとって、矢追は不動のトップランナーであり続けた。2009年8月には、本物の宇宙船を展示しているコスモアイル羽咋の名誉館長に就任。このとき矢追は74歳。就任を要請した高野さんは、この時期に矢追の意外な一面を見ている。「有名な女優さんが孤独死したニュースを聞いて、『僕もあんなふうに死ぬのかな』と、ポツリと言われたことがあったんです。私は矢追さんらしくないなと思いながらも、一瞬“人間・矢追純一”を見たような気がしました」一般の人は、矢追のどんな私生活を想像するだろうか。マネージャーの河原さんは、「仕事とプライベートは分けておられるようですね」と言いながらも、古くからの友人として仕事を離れたときの矢追の姿も見知っている。「数年前まで大みそかは矢追さんの自宅で一緒に蕎麦を食べて年越しするのが恒例でした。私からすると矢追さんは父親の世代で、大先輩であり、よきメンター(影響力を持つ人)なんですが、常に1人の人間として対等に接してくれます。時々、生き方や考え方について話してくれることはありますけれども、普段は食べ物のことだったり、大好きな温泉のことだったり、たわいない会話ばかりです。プライベートでUFOや超能力の話を聞いたことはほとんどないし、仕事やお金に関しても細かいことは一切口にしない。本当に“欲”というものがない人なんだなと感じます」宇宙塾の運営をサポートする小川さんも、10年ほど前に家族で熱海の温泉に招待されたことがあった。自分の孫の年ごろに当たる小川さんの子どもとも、矢追は楽しそうに話していたという。アットホームな雰囲気の中でくつろぐ、そんな当たり前の時間が、矢追には非日常なのかもしれない。矢追は25歳で結婚したが、長くは続かずに離婚した。以後、家庭は持たず、いまもひとり暮らし。浅慮を承知で矢追に質問してみた。“孤独”は感じませんか?「僕には家族という概念が希薄でね、母親の死もショックではなかったし、1人でいて寂しいと感じたこともない。人間は1人で生まれてきて、1人で死んでいく。それが現実ですから、むしろ孤独でいることが自然なんです。人とのつながりの中でしか幸せを感じられないのだとしたら、そっちのほうが現実離れした考えだと僕は思います」どんな状況にあっても“いま”を楽しみ、幸せを感じることができる─そんな自立した生き方を多くの人たちに身につけてもらうために、矢追は宇宙塾を主宰している。取材で訪れた「自由コース」は誰でも参加できる入門編。会場で矢追はこう切り出した。「今日は秘密の話も用意しています。だけど、この塾で僕がしゃべるのはみなさんが退屈しないためのサービスなので、興味がない人は寝ていてもかまいません」塾生はボーッと座っているだけでいい。矢追が伝えるのは人間が生きていることの本質。言葉で教えるわけではない。矢追は温泉にたとえる。効能のある湯に浸かるだけで身体も心も癒される。それが宇宙塾という“場”であり、“効果”なのだという。会場には、すでに宇宙塾の全コースを修了した人たちの姿もあった。卒業生が母校を訪れるように、多くの元塾生が気軽に矢追に会いに来る。Tさん(男性・62歳)は、「間違いなく言えるのは宇宙塾に来てから人生が変わったことです。もちろん、いい方向に」と話した。15年前に塾を卒業したSさん(女性・39歳)は、2歳下の妹と一緒に訪れていた。「学生時代に自分のやりたいことを書いたメモが出てきたんです。世界遺産に行きたいとか、好きな作家に会いたいとか……。そういう夢が、宇宙塾に来てからいつの間にかみんな実現していました」元塾生たちの証言は、矢追と同じ生き方が誰にでもまねできることを物語っている。だが、見える世界は人によって違う。宇宙塾で起こる現実を信じられない人には、矢追の考え方や生き方こそが超常現象に感じられることだろう。宇宙塾では自由に矢追に質問ができる。折しも世界情勢はロシアのウクライナ侵攻が始まった時期。自らも戦禍を生き延びた体験を持つ矢追は、この現実をどう考えているのか?平和を願い、戦乱に巻き込まれた人々を案じながらも、個人の生き方に対する矢追の答えは明快だった。「いろいろな情報に右往左往せず、どういう自分でありたいのかを忘れずにいることが大事であってね。流れに逆らってジタバタすれば溺れるけれども、流れに身を任せていればラクに遠くまで行けます。どんなに大きな変化に遭遇しても、自分は宇宙という大きな流れの中で生かされていると自覚して、自然体でいればいいんです」苦しい“いま”を耐えれば、楽しい未来が待っているわけではない。“いま”を楽しめる人間に、期待どおりの未来が訪れるのだと矢追は言う。そして、自身の未来に期待を込めて、矢追はこう話した。「僕も人間ですから、いつかは死にます。だけど、あと何年生きられるかとか、そういうことに心を煩わされたことはありません。“いま”を大切に生きていれば、自分の人生が終わる瞬間さえも楽しく迎えられると、僕にはわかっているのでね─」〈取材・文/伴田薫撮影/北村史成、佐藤靖彦〉はんだ・かおる ●ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー世界へ、終わりなき挑戦』
2022年05月07日2022年4月30日、タレント・石田純一さんの娘であり、モデルや俳優として活躍する、すみれさんが自身のInstagramを更新。第1子である、男の子を出産していたことを報告しました。すみれさんの息子さんは、出産時、体重が4170g、身長が55.5cmのビッグベイビーだったといいます!先日、4170gで55.5cmのBIGで元気な男の子が無事、産まれました✨お腹の中にいた時からずっと愛おしくて、早く会いたいな〜って思いながら、妊娠生活はあっという間でした。出産はやはり想像以上に大変でしたが、病院の皆さん、家族と友達のお陰でなんとか乗り越えられました。赤ちゃんはママとパパを選んで来てくれたと思っているので、それに応えられるように、がんばります!sumire808ーより引用 この投稿をInstagramで見る Sumire(@sumire808)がシェアした投稿 すみれさんの人差し指を握る、息子さんの小さな手。指を握られたすみれさんは、息子さんへの愛おしさが募っていることでしょう。すみれさんは「新しい家族も増えて、楽しくてHAPPYな日々を過ごしていきたい」ともコメントしています。すみれさんの投稿に、ファンからは「おめでとうございます!」「無事出産できたようでよかった!これから賑やかになりますね!」などの声が寄せられていました。すみれさん、ご出産おめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2022年04月30日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明が25日に自身のアメブロを更新。一戸建ての購入を検討していることを明かした。この日、石田は「家を買いたい」と切り出し「最近、さらにその欲が強くなってきました。憧れの一戸建て」とコメント。一方で「ウッドショックというものの真っ只中らしく、とにかく資材が高いそう」と世界的に木材の価格が高騰する『ウッドショック』について言及し「今じゃないのか?」とつづった。続けて「小学校に入るまでに家を建てておきたい。だったら今しかない。困ったもんだ」と悩ましい様子で述べつつ「まあ、今のところ・・・これくらい狭い家でも文句言わないみたいだけど」と段ボールで作った家に入る娘達の写真を公開。最後に「いやー、どうしたもんか。夢だけは膨らむ一方です」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「悩みますよね」「良いお家が見つかると良いですね」「考えるだけでワクワクしますね」などのコメントが寄せられている。
2022年04月27日石田組の全国ツアーがスタートした。初日はかつしかシンフォニーヒルズのモーツァルトホール。1000人を越えるキャパシティの会場に聴衆が詰めかけた。「硬派弦楽アンサンブル」の通り名よろしく、石田以下メンバー(組員)は全員黒一色のスーツで舞台に現れた。それぞれの演奏位置に立って客席と向き合うだけで所謂クラシックコンサートとはまるで異なる雰囲気を放つ。編成は第一および第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各3名にコントラバス1名と弦楽合奏にしては比較的小規模。前半はエルガーの「弦楽セレナード」で始まる。静謐な立ち上がりに聴衆の意識が一気にステージへと注がれる。13人それぞれの音色に触れられそうなほど、石田のサウンドデザインは緻密で非常に美しい。国民楽派の流れで書かれた弦楽合奏曲は石田組の重要なレパートリーのひとつであるが、今日の公演ではエルガーに始まって、フランク・ブリッジやジョン・ラターによる民謡のトランスクリプションへと続き、英国のメロディを深く求めて行った。後半の一曲目は映画からドラマまで数々の名シーンを彩ったバーバーの「アダージョ」。鎮魂のムードを湛えつつどこまでもドラマティックに展開していく演奏はこの日最初のハイライトとなった。続く「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」という3曲の映画音楽によって、徐々に石田組本来の顔が浮かび上がってくる。そして、クイーン「輝ける7つの海」。フレディ・マーキュリーによるピアノ、ブライアン・メイによるギター・オーケストレーションなど、アレンジ的に非常に“美味しい”一曲であるが、石田組の編曲を一手に引き受ける松岡あさひはそれらを全て拾い上げていく。オリジナルの後奏は石田がビシっと締める。前半のコンサートマスターとは全く違うヴァイオリン・ヒーローのペルソナが登場したことが分かると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」を挟み、本編のクライマックスは何とガンズ&ローゼズ。選ばれたのは「ユー・クッド・ビー・マイン」。バンドメンバーの個性の強さゆえに唯一無二のグルーヴが生まれるというロックバンドの典型のようなナンバーであるが、演奏も編曲も原曲のグルーヴ感を俯瞰しつつ、それこそ石田組にしか備わらない高揚感を響かせた。公演ごとにメンバーは異なるが、石田以外の12人は現在の楽壇を牽引する凄腕が顔を揃える。今日の公演で第一ヴァイオリンのトップを務めた三上亮がMCで明かしたところでは、本番前のゲネプロでは3小節くらいしかリハーサルをしない曲もあったそうだが、クラシックもロックも作品が内包するものを余すところなく聴かせてくれる。チェロの金子鈴太郎はザ・フーのジョン・エントウィッスルというかレッチリのフリーというか、ロックミュージシャンのごとく熱い演奏でアンサンブルを牽引した。また、生野正樹以下ヴィオラが奏でる中音域がふくよかに響いており、所々挟まれる生野のソロも鋭く切り込んできて演奏を盛り立てた。会場に足を運んだ観客の特権なのでアンコールの詳細は控えるが、本編が終わってからもたっぷりと味わえるのが、石田組のクラシック・エンターテインメント。控えると言ったそばから書いてしまうと、ファンにはおなじみのオアシス・ナンバーを聴くことができた。前半のプログラムが、英国のフォークミュージックとしてノエル・ギャラガーの書くメロディラインと繋がっていく様に不思議な感動を覚えた。今日の公演を皮切りに石田組は23公演のツアーに出る。もしまだ体験したことのないクラシックファンがいたら、ぜひ近くの公演を探して足を運んでもらいたい。クラシック音楽の伝統と未来をいっぺんに聴くことができるだろう。<2022/2023 ツアースケジュール>2022年4月17日(日)群馬高崎芸術劇場5月3日(火・祝)大阪ザ・シンフォニーホール5月27日(金)28日(土)長野八ヶ岳高原音楽堂6月11日(土)東京サントリーホール・大ホール7月18日(月・祝) 神奈川厚木市文化会館7月21日(木)新潟りゅーとぴあ7月30日(土)長崎長崎ブリックホール8月19日(金)神奈川ミューザ川崎シンフォニーホール9月11日(日)山口防府市地域交流センターアスピラート9月24日(土)神奈川杉田劇場9月25日(日)石川北國新聞赤羽ホール10月9日(日)愛知愛知県芸術劇場10月10日(月・祝)大阪東大阪市文化創造館DreamHouse・大ホール10月15日(土)茨城つくばノバホール10月29日(土)兵庫兵庫県立芸術文化センター・大ホール11月23日(水・祝)埼玉クレアこうのす11月30日(水)大分iichiko音の泉ホール2023年1月15日(日)千葉市川市文化会館・大ホール1月28日(土)神奈川横須賀芸術劇場2月12日(日)東京中野ZEROホール2月19日(日)神奈川相模女子大学グリーンホール:小崎 紘一/PHOTO:Hikaru.☆■チケット情報
2022年04月12日石田組の全国ツアーがスタートした。初日はかつしかシンフォニーヒルズのモーツァルトホール。1000人を越えるキャパシティの会場に聴衆が詰めかけた。「硬派弦楽アンサンブル」の通り名よろしく、石田以下メンバー(組員)は全員黒一色のスーツで舞台に現れた。それぞれの演奏位置に立って客席と向き合うだけで所謂クラシックコンサートとはまるで異なる雰囲気を放つ。編成は第一および第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各3名にコントラバス1名と弦楽合奏にしては比較的小規模。前半はエルガーの「弦楽セレナード」で始まる。静謐な立ち上がりに聴衆の意識が一気にステージへと注がれる。13人それぞれの音色に触れられそうなほど、石田のサウンドデザインは緻密で非常に美しい。国民楽派の流れで書かれた弦楽合奏曲は石田組の重要なレパートリーのひとつであるが、今日の公演ではエルガーに始まって、フランク・ブリッジやジョン・ラターによる民謡のトランスクリプションへと続き、英国のメロディを深く求めて行った。後半の一曲目は映画からドラマまで数々の名シーンを彩ったバーバーの「アダージョ」。鎮魂のムードを湛えつつどこまでもドラマティックに展開していく演奏はこの日最初のハイライトとなった。続く「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」という3曲の映画音楽によって、徐々に石田組本来の顔が浮かび上がってくる。そして、クイーン「輝ける7つの海」。フレディ・マーキュリーによるピアノ、ブライアン・メイによるギター・オーケストレーションなど、アレンジ的に非常に“美味しい”一曲であるが、石田組の編曲を一手に引き受ける松岡あさひはそれらを全て拾い上げていく。オリジナルの後奏は石田がビシっと締める。前半のコンサートマスターとは全く違うヴァイオリン・ヒーローのペルソナが登場したことが分かると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」を挟み、本編のクライマックスは何とガンズ&ローゼズ。選ばれたのは「ユー・クッド・ビー・マイン」。バンドメンバーの個性の強さゆえに唯一無二のグルーヴが生まれるというロックバンドの典型のようなナンバーであるが、演奏も編曲も原曲のグルーヴ感を俯瞰しつつ、それこそ石田組にしか備わらない高揚感を響かせた。公演ごとにメンバーは異なるが、石田以外の12人は現在の楽壇を牽引する凄腕が顔を揃える。今日の公演で第一ヴァイオリンのトップを務めた三上亮がMCで明かしたところでは、本番前のゲネプロでは3小節くらいしかリハーサルをしない曲もあったそうだが、クラシックもロックも作品が内包するものを余すところなく聴かせてくれる。チェロの金子鈴太郎はザ・フーのジョン・エントウィッスルというかレッチリのフリーというか、ロックミュージシャンのごとく熱い演奏でアンサンブルを牽引した。また、生野正樹以下ヴィオラが奏でる中音域がふくよかに響いており、所々挟まれる生野のソロも鋭く切り込んできて演奏を盛り立てた。会場に足を運んだ観客の特権なのでアンコールの詳細は控えるが、本編が終わってからもたっぷりと味わえるのが、石田組のクラシック・エンターテインメント。控えると言ったそばから書いてしまうと、ファンにはおなじみのオアシス・ナンバーを聴くことができた。前半のプログラムが、英国のフォークミュージックとしてノエル・ギャラガーの書くメロディラインと繋がっていく様に不思議な感動を覚えた。今日の公演を皮切りに石田組は23公演のツアーに出る。もしまだ体験したことのないクラシックファンがいたら、ぜひ近くの公演を探して足を運んでもらいたい。クラシック音楽の伝統と未来をいっぺんに聴くことができるだろう。TEXT:小崎 紘一/PHOTO:Hikaru.☆石田組2022/2023 ツアースケジュール2022年4月9日(土)東京:かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール(終了)4月17日(日)群馬:高崎芸術劇場5月3日(火祝)大阪:ザ・シンフォニーホール5月27日(金)28日(土)長野:八ヶ岳高原音楽堂6月11日(土)東京:サントリーホール・大ホール7月18日(月・祝)神奈川:厚木市文化会館7月21日(木)新潟:りゅーとぴあ7月30日(土)長崎:長崎ブリックホール8月19日(金)神奈川:ミューザ川崎シンフォニーホール9月11日(日)山口:防府市地域交流センターアスピラート9月24日(土)神奈川:杉田劇場9月25日(日) 石川:北國新聞赤羽ホール10月9日(日)愛知:愛知県芸術劇場10月10日(月祝)大阪:東大阪市文化創造館DreamHouse・大ホール10月15日(土)茨城:つくばノバホール10月29日(土) 兵庫:兵庫県立芸術文化センター・大ホール11月23日(水・祝)埼玉:クレアこうのす11月30日(水) 大分:iichiko音の泉ホール2023年1月15日(日)千葉:市川市文化会館・大ホール1月28日(土)神奈川:横須賀芸術劇場2月12日(日)東京:中野ZEROホール2月19日(日)神奈川:相模女子大学グリーンホール各地のチケット販売情報、メンバー、プログラムはアーティストHP:に順次更新いたします。Violinist of a Legend : 石田泰尚(いしだ・やすなお)プロフィール神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ソロ・コンサートマスター。これまでに神奈川文化賞未来賞、横浜文化賞文化・芸術奨励賞を受賞。結成時から20年以上参加するYAMATO String Quartet、自身がプロデュースした男性奏者のみの弦楽アンサンブル“石田組”など、様々なユニットでも独特の輝きを見せる。2018 年には石田組がNHK-FM「ベストオブクラシック」およびBSプレミアム「クラシック倶楽部」 で放送されその熱いステージの模様は大きな反響を呼び、2019年にはEテレ「ららら♪クラシック」で特集が組まれた。2020年4月より京都市交響楽団特別客演コンサートマスターを兼任。2021年12月にライブアルバム第4弾となる“PIAZZOLLA LIVE”がリリースされた。使用楽器は 1690 年製 G.Tononi、 1726 年製 M.Goffriller。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年04月11日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明の妻・あゆみさんが28日に自身のアメブロを更新。周囲から驚かれる石田の行動を明かした。この日、あゆみさんは石田について「毎月、(時間が出てるものは詳細まで)全部スケジュールを送ってくれます」と述べ「私が逆の立場だったらここまでマメに送れないし詳細までは教えないかも」と石田の行動に感心した様子でコメント。「私もビックリだけどよく周りのみんなにもビックリされます」と周囲からも驚かれることを明かした。続けて「基本、なんでも共有してくれます」と述べつつ「大体のスケジュールは分かってても時間は分からない事も多い」といい「帰ってくる時間はほぼなんとなく私の予想が多い」とお茶目に説明した。一方で「今日は完全にミスってる」と述べ、石田のスケジュールが記されたスクリーンショットを公開。「しっかり泊まりの日だったぁ~」とスケジュールを勘違いしていたことを明かし、ブログを締めくくった。
2022年03月30日プロゴルファーでタレントの東尾理子が26日に自身のアメブロを更新。長女・青葉ちゃんの誕生日に撮影した、夫で俳優の石田純一や石田の長女でモデル・女優のすみれらとの家族ショットを公開した。この日、東尾は「我が家の女子担当、長女が6歳になりました」と報告し、2つのケーキを前にした家族ショットとともに「次女ももうすぐなので、本人の希望で一緒に」と説明。「これ、ほんと毎年悩むケーキやプレゼントを同じ時にするか」と娘達の誕生日が近いことによる悩みを明かし「多分、次女の当日もケーキする予感」とつづった。続けて「お腹が大きくなってきたすみれちゃんもお祝いしてくれて」と述べ、すみれのお腹に手を当てる子ども達の写真も公開。最後に「楽しい時間を過ごせて、バースデーガールも喜んでくれて、よかったよかった」と安堵した様子でつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「おめでとうございます」「素敵な1年になりますように」「すみれちゃんも元気そうで良かった」「みんな素敵な笑顔」などのコメントが寄せられている。
2022年03月26日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明の妻・あゆみさんが16日に自身のアメブロを更新。石田に言いづらいことを告白した。この日、石田は「今日は朝ごはんにママがお弁当を作ってくれました」と報告し「父ちゃんにも。嬉しいねー」と説明。「みんなで『いただきまーす』」と手を合わせる娘達の様子を公開した。続けて「うちの三姉妹が作る卵焼きは格別です」と述べ「いい朝でした」とコメント。「今日の夜はギリギリ会えるか会えないか」と明かし「会えるといいなー」とつづった。また、あゆみさんも同日にブログを更新し「ほんのちょこっとだけど父ちゃんの居る朝」と切り出し「朝から三姉妹ちゃん嬉しそうでした!!」と報告。「今日もお休みだしちょっとでも幼稚園気分で家族みんなで朝弁当」と朝食に弁当を用意したことを明かし「冷凍食品様々ですが」とお茶目に補足した。さらに「卵焼きは、長女ちゃんと次女ちゃんそれぞれ自分の作りました」と説明し、調理中の娘達の様子を公開。一方で「非常に言いづらいんだけど、、娘ちゃん風邪気味ということもあるので、、父ちゃんの卵焼きは、、、ごめんあゆみ作です」と石田の卵焼きは自身で作ったことを告白した。最後に「言わない方がよかったかな?」と述べ、弁当についてつづった石田のブログをリブログ。「気まずいなー。笑」とコメントし、ブログを締めくくった。
2022年03月17日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明の妻・あゆみさんが10日に自身のアメブロを更新。医師から“うるさい”と言われた出来事を明かした。この日、あゆみさんは皮膚科が混んでおり、診察を断念したことをつづったブログをリブログ。「眼科は予約出来た」といい「時間になって受診できました!」と報告した。続けて「帰り道に皮膚科の前を通り覗くと空いてる!!」と皮膚科が空いていたそうで「1組だけだったので3人診察OKかを聞いて」「診察してもらえました!」と説明。「診察室内は大変お騒がせしてしまった」と述べ「先生のパソコンや貼ってある絵への興奮やベッドにお薬セットやらに、テンションMAX!!」と娘達の騒ぐ様子をつづった。また、医師について「おじいさん先生でいつもとても優しくて」とコメント。一方で、自身が騒ぐ娘達に対し「注意をし続けてた」といい、その様子を見た医師から「ママ、いいのよ。部屋が一気に明るくなって嬉しいよ」「ママの方がうるさいよ」と言われたことを告白した。さらに「そうなのよね。注意してる声が一番うるさいんですよね」と納得した様子で述べ「そう言ってくれて救われました」とコメント。最後に「至れり尽くせりな病院ツアーとなりました」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「なんて素敵な皮膚科の先生」「子供を、病院に連れていくのは本当大変ですよね」「優しい先生でいいですね」などのコメントが寄せられている。
2022年03月12日石田ゆり子《音楽家のみなさまへの敬意を胸に、ひそやかに》2月25日、自身のインスタグラムで謙虚な言葉を綴り、音楽活動の開始について報告した女優の石田ゆり子。「実は昨年12月、カバー楽曲『MAGIC feat 大橋トリオ』で配信デビューしていたんです。『lily』という別名義での活動なので知らなかったファンも多く、ネット上では驚きと喜びの声が上がっています」(音楽ライター)プロデュースは石田が長年ファンだというミュージシャンの大橋トリオが担当していることも明かされたが、昨年5月には2人の“共演”が話題を呼んでいた。「石田さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組に、大橋さんがゲスト出演。番組内では彼の代表曲である『HONEY』をセッションする場面まで。石田さんはピアノで参加する形でしたが、息の合った演奏や穏やかなやりとりに癒された人も多く、SNS上ではファン同士の交流も生まれていましたね」(同・音楽ライター)番組の放送前には《ゲストに来てくださって本当に感激です》とうれしさを隠さずにコメントしていた石田。プロデュースについて明かした際も《この上ない幸せ》と綴るなど惜しみないリスペクトを送っているが、大橋からの“オファー”もあったようで……。「大橋さんは、2月16日にデビュー15周年記念のベストアルバムをリリース。その中の『GIFT』という曲のMVでは自身が主人公を演じているんですが、そこに石田さんが友情出演。ラジオ出演の際に“もし自分の作品に出ていただけることがありましたら、ぜひ”とお願いをしたことで、実現したそうです」(同・音楽ライター)私が書いてるのは脚本ではないすっかり懇意になった2人だが、石田の女優業以外の活動についてはこんな話が。「2020年3月、一部週刊誌で“女優業の先行きが不安で脚本家修行”といった内容の記事が掲載されました。これに対して石田さんは、自身のインスタグラムで《妄想で記事を書いてるのかなぁ》《わたしが書いてるのは脚本ではないのです》と真っ向から否定。記事について本人が明言したことで、大きな注目を集めました」(スポーツ紙記者)はっきりと反論した石田だが、脚本《ではない》という言葉に意味を感じていた人も。「記事が出る前の2019年ごろから、ギターの練習に励んでいました。音楽活動へ向けた“修業”を彼女なりに重ねていたんですね。脚本の話が出たのは、歌詞を書いていたからなんでしょう。挑戦には迷いもあったようですが、大橋さんのプロデュースということもあって決断したと聞いています」(石田の知人)自身で作詞した2ndシングル『うたかた』の歌い出しは、《こころ軽く新しい靴履いて何も持たずふらりと出かけよう》から始まる。アーティストとしても新しい道を歩き始めた石田は、これからも自然体な魅力を届けてくれるに違いない。
2022年03月11日お笑いコンビ・NON STYLEの石田明の妻・あゆみさんが7日に自身のアメブロを更新。石田と泣いた夜の出来事を明かした。この日、あゆみさんは「なんだかんだ色々ありながらも優しい顔で無事に三姉妹ちゃん眠りについてくれました」と報告。就寝前には1人ずつハグをして会話を交わすといい「三者三様伝え方も、表現の仕方も、得意だって不得意だってみんなそれぞれ違う」とつづった。続けて「ひとつだけ一緒なことはみんなまっすぐに伝えようとしてくれること」と述べ「言葉だけじゃない。出来る伝え方で一生懸命に伝えてくれる」と説明。「今日多分なにかあったんだろうな。って感じる日もある」と明かし「今日はそんな日だった」と振り返った。また「その瞬間を見逃さないように、静かに見守れるように、いつでも味方でいられるように、伝えてくれることを受け止められる余裕を心に持てるように」と述べ「やっぱりいつでもそう居たい」とコメント。「うまくは言えないけど、娘達の感情を沢山感じて、、、父ちゃんと泣いた夜です」と石田と涙したことを明かした。さらに「三姉妹ちゃんのように前向きにまっすぐに優しく、でもがむしゃらな感情出しながら明日も生きれたらいいね」と話をしていたといい「娘たちに大切なことを教えられてばかりの日々です」とコメント。最後に「今日もありがとう!!!」と娘達への感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「夫婦の時間って本当に大事」「いいご家族ですね」「子供を思って夫婦で泣けるって素敵」などのコメントが寄せられている。
2022年03月08日石田ひかり昨年11月。久しぶりに公の場に現れた石田ひかりは、若返って見えた。“奇跡のアラフィフ”と呼ばれる石田ゆり子の妹なのだから、やっぱり美意識も相当高いはず!私たちには手の届かない美容法をいろいろやっているだろうと思いきや、若さの秘密は、なんと縄跳び。その会見で「なるべく身体を動かして。外の空気を吸い、お日さまを浴び、適度な運動をする」という、シンプルな健康法を心がけていると語り、ハマっている運動が縄跳びだと述べた。「縄跳びって大人になると、しないんですけど、やってみたら跳ぶってことがすごく楽しい」とのこと。でも縄跳びをして本当に身体にうれしい効果はあるの?間違いなく体形は変わる!NPO法人日本なわとびプロジェクト理事の後藤迪廣さんは縄跳びの効果について、「ランニングやウォーキングよりも縄跳びのほうがカロリー燃焼効果が2倍近く高いんです。1日5分でも縄跳びを1か月半~2か月続ければ、間違いなく体形は変わってきますよ。石田さんも実感されているのでは」つらいランニングよりも縄跳びのほうが運動効果が高いとは、驚くばかり。跳ぶことでふくらはぎの血管が刺激されて血流がよくなり、新陳代謝が促進されるので美容効果も期待できるのだ!「ダイエット効果もあり、やせにくい下半身の引き締めにも効きます。骨を強くする縦の刺激がかかりますから骨粗しょう症予防にもなる。縄跳びはお手軽ですしね。コロナ禍になって、知り合いの生産者の方が、生産量が増えたなんて話していましたよ」(後藤さん、以下同)まさに、週女世代の女性にぴったりな美活法。とはいえ、今まであまり運動してこなかった人にはいくつかの注意点がある。(1) 縄の長さは、グリップの位置がみぞおちあたりからトップバストの間に来るように調節(2) 10回跳んだら呼吸を整え、これを3回繰り返す。慣れてきたら、跳ぶ時間と回数を徐々に延ばして強度を上げる。(3) 無理をせずに1日おきに週3回からでもOK。※ひざや腰に不安があるなら、クッション性のある靴を履いて、回数を少なめに始めてみよう石田も「よく引っかかります」と笑っていたが、最初は上手に跳べなくてもいい。子どものころのように楽しく跳べば、ストレス発散にもなる。ちなみに彼女の目標は「120歳まで生きること」とのこと。「私が120歳だったら、子どもたちが90歳くらい。大往生だと思ってくれるだろうし、私も満足してこの世を去れる」と笑う。縄跳びが健康寿命を延ばしてくれることを期待したい。取材・文/水口陽子
2022年02月18日石田家の年の差姉妹が可愛い東尾理子さんオフィシャルブログより東尾理子さんは俳優の石田純一さんと結婚し、2012年に長男理汰郎くん、2016年に長女青葉ちゃん、2018年に次女つむぎちゃんを出産。また、石田純一さんは最初の結婚でいしだ壱成さん、二度目の結婚ですみれさんが誕生しており、東尾さんのお子さんたちにとってすみれさんは「お姉ちゃん」です。東尾さんは7日に「お姉ちゃんのお腹」と題してブログを更新し、すみれさんが夫婦で自宅を訪れたことを報告。つむぎちゃんはTシャツの上から、大きくなったすみれさんのお腹を触っていて、興味津々の様子です。お腹の中で赤ちゃんがすくすく育っていることがわかるのでしょうか。現在、妊娠8ヶ月に突入したすみれさん。1月末には「あっという間に8ヶ月」という一文とともに、鏡にうつる自身の姿を撮った動画をInstagramに公開し、「美しすぎる」と話題を呼んでいました。 すみれさんは昨年、つむぎちゃんの七五三のお参りにも参加して、家族集合写真を一緒に撮影するなど、とても良い関係の家族になっているようです。すみれさんも自身のInstagramに「石田家キッズとのビデオチャットシリーズ」と、小さな弟や妹たちとビデオチャットした際の可愛い画像を投稿しています。東尾さんのお子さんたちは、これから生まれてくるすみれさんの赤ちゃんにとってはおじさん・おばさんになります。さらに賑やかなファミリーになりそうで、今春のベビー誕生が楽しみですね。 知っておいてほしい、妊娠後期のマイナートラブル妊娠8ヶ月から妊娠10ヶ月までの3ヶ月間(妊娠28週0日から39週6日)を妊娠後期といいます。妊娠後期になると、腰痛など様々なマイナートラブルがあります。妊娠中は循環血液量が増えるため、動悸や息切れ、貧血、むくみが起こりがち。大きくなった子宮に胃が圧迫されて吐き気や胸やけがすることもあります。この時期はこうした体の変調を抱えると同時に、間近に迫った出産に対して妊婦さんが不安を抱く時期でもあります。周りから「出産はまだ?」とたびたび聞かれることもプレッシャーになったりしますし、体型など見た目の変化を指摘されるのも人によっては嫌なものです。パートナーや家族が本人の気持ちに寄り添いながら、体に負担のかからない気分転換をするなどして楽しい時間をともにすることで、妊婦さんの気持ちを落ち着けて過ごせたらいいですね。・菊地亜美さんが明かした「コロナ実体験」、陽性夫婦と陰性娘の隔離生活・フジ榎並大二郎アナ、お座りを頑張る息子をサポート「うちの選手も6秒の壁を越えようと頑張っています」・辻希美さん手作りの恵方巻が「めっちゃ可愛い」! でも模様はトラじゃなくて鬼の……?
2022年02月08日「ここ2年で仕事は激減し、石田さんにとって最後のレギュラーだった文化放送のラジオ番組も今年3月で終了が決定しています」(テレビ局関係者)崖っぷちに立たされている石田純一(68)。全国で緊急事態宣言が発出されていた’20年4月に訪れた沖縄のゴルフ場で新型コロナに感染し、大きな批判を浴びたことでイメージダウンを招き、仕事面に多大なダメージを与えた。そんな石田だが、プライベートでは大きな決断をくだしていた。石田の仕事関係者は言う。「石田さんは都内の一等地にあった一軒家を昨年のクリスマスイブに売却しています。東尾理子さん(46)との間に誕生した長男の理汰郎くんが生まれた翌年の’13年に完成し、土地建物合わせて推定3億円とも言われる豪邸です。購入したのは石田さんと30年来の交流がある知人の経営者と聞いています」思い出の邸宅を手放した石田が次に選んだ住処は借家だった。「売却後に都内の高級住宅地にある一軒家を借りて、一家で住んでいるそうです。築20年の地下1階、地上2階建てで、延べ300平方メートルを超えると聞いています。昨年末から石田さんは家探しに奔走し、引越し先を下見する石田さんの姿がたびたび近隣住民に目撃されていたといいます」(前出・仕事関係者)この物件について、地元の不動産関係者は言う。「このあたりの大きめの一軒家は需要が一定数あります。築年数や大きさで見ると家賃は150万円ほどといったところでしょう」石田がわずか8年で3億円豪邸から引っ越した裏には最愛の長女への思いがあるようだ。「’16年3月に誕生した石田さんの長女が都内の有名幼稚園に通っており、この春からその系列小学校に進学する予定です。実は自宅から30分以内に通学できること、という進学の条件があり、それをかなえるために石田さん夫婦は引っ越しを決断したといいます。急いで決めたので、賃貸にするしかなかったそうです。長くは住まないのではないでしょうか」(石田の知人)■「他の人とは話しても、理子は僕をほぼ無視…」長女のために引っ越しを決断した石田。新天地で妻の理子と手を取り合って、“仕事ゼロ”からの再起を目指すかと思いきや、2人の間には大きなすきま風が。昨年12月、本誌が石田を直撃した際、「家庭は崩壊しています!」と激高。さらに石田は『FRIDAY』2月4日号のインタビューで仕事激減後の夫婦関係についてこう語っていた。《6,000万円の収入が吹き飛び、理子はあまり口をきいてくれなくなった。『子供のお迎えに行ってくれますか』とか最低限。(中略)この1月、電車で軽井沢にスキーに行きまして、楽しく過ごせたんですけど、理子の本心はわからない。他の人とは快活で楽しそうに話すのに、僕はほぼ無視》前出の知人は石田がこぼしていた夫婦不和の予兆を明かす。「昨年11月に純一さんと何人かで会食をした際、出席者の1人が冗談まじりに『これまで交際した女性で誰がいちばん好きですか?』と石田さんに聞くと、『うーん……』と口ごもってしまったんです。ふだんの石田さんなら『妻に決まってるじゃないですか!』とのろけるはずなんですが……」理子も“異変”を見せていた。「これまで公の場ではほぼ必ず結婚指輪をはめていた理子さんですが、昨年9月下旬ごろからブログやSNSに投稿する写真では指輪をはめていないのです。昨年12月に出演したワイドショーで純一さんの話題を振られた際も露骨に避けていました」(芸能関係者)自らの行動によって、招いてしまった理子との断絶危機。一昨年の猛批判を浴びた直後、石田はこうぶち上げていた。《僕ができる“逆襲”は表舞台にカムバックし、成功することだと思っています。コロナで大半を失いましたが、何年かけてでも絶対に復活しますよ》(『週刊SPA!』’20年7月28日号)■かなりの茨道な石田の“復活”しかし、石田の“復活”はかなりの茨道のようだ。「かつて9社あった石田さんのスポンサーは一連の報道で1社に。仕事を取り戻すべく、石田さんも奔走していますが、ふたたび騒動を起こすことを恐れ、CMをはじめ、オファーを検討しているメディアはほとんどないといいます。昨年1月に公式YouTubeチャンネルを開設しましたが、1年で獲得できた登録者数はわずか6千人弱です」(前出・芸能関係者)そんな石田が頼れるのは“完無視”の妻・理子しかおらず……。「理子さんはコメンテーターとしてワイドショーに呼ばれることが多く、不動産も多数所有しているので、収入面での不安は、現状ほとんどないと思います。自宅でも子育てから家事まで理子さんがほとんどやっているそうです」(前出・知人)本誌も1月中旬、朝早くから1人で子供の送迎をする理子の姿を目撃している。豪邸を売却し、収入が激減した今も家賃150万円の借家で理子への“パラサイト生活”を送る石田。とはいえ、理子のブログには今も石田の誕生日会や家族でのスキー旅行を楽しむ様子がたびたび投稿されているが……。「あくまで理子さんが考えているのは3人のお子さんのこと。独り立ちするまで子供たちに余計な心配をさせまいと、対外的には家庭円満であることを伝えたいのではないでしょうか。石田さんへの気持ちはすっかり冷めきっているといいます」(前出・知人)前出の『FRIDAY』のインタビューで石田はこうも語っていた。《どれだけ叩かれても、それが運命の糸が織りなすものなら僕は受け入れる。ただしーー必要ならば世界中が敵でも闘い続けますよ》果たして、闘いに勝利し、理子への“借り”を返すことができる日は来るのか――。
2022年01月25日石田純一離婚危機、財政難……。石田純一が苦境に陥っている。「昨年12月に石田さんはこれまで住んでいた3億円豪邸を売却しました。’20年4月に緊急事態宣言中にもかかわらず沖縄でゴルフをして新型コロナに感染。以降20代女性のお持ち帰り報道などもありCMやレギュラー番組が激減、金銭的に追い込まれているのは間違いなさそうです」(スポーツ紙記者)■再び目撃された“ベロベロ姿”昨年6月には葉山の別荘も手放している。八方ふさがりに見えるが、意外にも意気は衰えていないらしい。「1月21日に発売された『FRIDAY』のインタビューでは、自宅売却について“自分で稼いだおカネで買ったものをどうしようが自由。何が悪いんですかと言いたい”と主張。理子夫人との冷え切った関係をあけすけに語る一方で、監督として企画しているスパイ映画についても意欲的で、“誰にも文句を言わせないぐらい面白い作品を創ろう”と元気いっぱいでした」(同・スポーツ紙記者)お酒好きは変わらず、売却した豪邸の周辺では泥酔した姿がしばしば目撃されていた。「深夜0時過ぎに、タクシーから降りたベロベロに酔っ払った石田さんを見かけました。近くのイタリアンでもよく飲んでましたね。会えば必ず挨拶してくれるし、近くの公園で子どもと遊んでいて、感じはよかったですよ。毎朝、上の娘さんを幼稚園に送る姿をバス停で見かけたのに、12月中旬くらいからパタリと見かけなくなって。12月の終わりごろ引っ越しの業者が来ていたんですが、小型トラックが2台だけ。家族で引っ越しするには小さいので、石田さんだけ出ていったのかなと……」(近所の住民)引っ越し先は閑静な住宅街にある地下駐車場付き2階建ての瀟洒な一軒家。柵から庭を挟んで見える室内はおしゃれなインテリアが飾られていた。引っ越しはひっそりと行われたようだ。「ご家族で引っ越してきたみたいですが、石田さん一家だとすぐに気づきませんでした。最近、家の周辺を散歩している石田さんの姿を見かけます。小学生の息子さんも見ますね」(新居近くの住民)住民の証言どおり、週刊女性も1月中旬の朝にラフな格好で散歩する石田の姿を目撃した。最近ではセカンドライフの出発の意味合いも持つ古希を2年後に迎える石田。現在抱える多くの難題に終止符を打ち、新たな門出を迎えられるのか。
2022年01月24日「石田さんにとって最後のレギュラー番組だった『「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」』(文化放送系)が、今年3月で終了することが先日発表されました。メディアへの単発での出演オファーもほとんどないと聞いています」(芸能関係者)タレント生命の危機に瀕しているのが、石田純一(68)。苦境に立たされている石田だが、その原因を作ったのが他ならぬ石田本人だった。「新型コロナが日本でも流行し、初めての緊急事態宣言が発出されていた20年4月に石田さんは沖縄へ行き、ゴルフ場でコロナに感染。この行動が猛批判を浴びただけでなく、一時は生死の境も彷徨ったことから、さすがに懲りたと思いきや、その後もノーマスクで飲み歩く姿がたびたび報じられました。一連の行動によって仕事は激減し、レギュラー番組だった『石田純一のサンデーゴルフ』(テレビ東京系)も20年6月に終了しています」(前出・芸能関係者)本誌も退院直後の20年5月や同年8月に酒席からノーマスクで帰宅するへべれけな石田の姿を目撃している。さらに自身だけでなく家族にも迷惑をかけることに。「妻の東尾理子さん(46)は石田さんがコロナ感染した際、付きっきりで看病して支えました。にも関わらず、石田さんはその後も飲み歩きを続けました。さらに、石田さんの行動が問題視されたことで、理子さんも当時抱えていたゴルフ業界の仕事をすべて降板することになったと聞いています」(テレビ局関係者)そして、石田家の家計にも大きな打撃を与えることとなる。石田の知人はいう。「CMを降板したことで、6千万円ほど収入が減ったと石田さんもインタビューで語っています。20年6月には葉山に所有していた別荘も売却していたそうです」そんな彼が実は、昨年末に大きな決断を下していたーー。「13年に完成した推定3億円と言われる都内の豪邸を、昨年のクリスマスイブに売却しています。購入したのは石田さんと30年来の交流がある友人の経営者・Aさんで、石田さんはAさんの会社の監査役も務めています。売却理由の一つとして、長女が4月から有名私立小に進学するために、その近所への引っ越しを検討していたそうです。とはいえ、建ててからまだ8年ですし、ローンも1億円以上残っていたといいますから、急いで売る必要はないと思うのですが……」(前出・知人)石田は売却を見据えて“新居探し”にも奔走していたようだ。知人は続ける。「都内の閑静な住宅街で物件を探す石田さんの姿が何度か目撃されていたそうです」反省なき行動で仕事が激減し、自宅も売却していた石田。昨年12月、本誌が直撃した際、石田は声を荒げて「あなた達に話すことはありません!」とした上で、こう語っていた。「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」豪邸売却が“家庭再生”につながることを祈るばかりだが……。
2022年01月16日「すみません、最低週2日は休みください」石田明さんは2012年に結婚し、2017年に双子の女児が誕生。2020年には第3子の女の子も生まれ、3人の娘のパパです。昨年10月放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)では、相方の井上裕介さんが「(石田は)子育てしたいから、仕事来ても断るのよ」と明かし、話題になりました。――子育て優先で仕事を断ることもあるとテレビ番組で明かされていました。石田明さん(以下、石田)コロナ禍で舞台が中止になって、3カ月くらいスケジュールを押さえられていたのがぽっかり空いたんですね。会社は仕事を入れようとしてくれたんですけど、僕は「そんなに休んだことないから一回いっぱい休みたい」と思って休ましてもらったんです。そしたらもう、その豊かさたるや……!「めちゃくちゃ幸せやん」と思って。その時期に動画や写真を見返していたら、あると思っていた子どもとの思い出が全然ないことに気づいたんです。僕はそれまでもめちゃくちゃ子どもと触れ合ってたつもりやったけど、全然自己満だったんや、と。これはあかんと思って、マネージャーに「すみません、最低週2日は休みください」と言いました。――番組では「ここ(芸能界)に豊かさはない」というお話もされていましたよね。しかし一方で石田さんは若い頃、すごくお酒を飲んでいたそうで、どこか破滅的な生活を送っている印象がありました。なぜ変わったのでしょう?石田あぁ、たしかに破滅的な部分がありました(笑)。でも僕は実は、早く結婚したかったし早く子どもがほしかったんですよ。僕はちゃんと恋愛すると常識人に戻れるけれど、大事な相手がいないと破滅的になるんですよね。一人でいると危険な石田が顔を出すんで、今でも気をつけなあかんなと思ってます。――幸せな家庭を持ちたいという願望がもともとあったんですか。石田そうですね。めちゃくちゃありました。若い頃はやっぱり承認欲求があるじゃないですか。僕も自分の人生の埋まっていない部分を人から承認されることで埋めようとするところはあって、そこで豊かさを得ていた気がするんです。でもほんまに今となったら承認欲求なんてまったくいらんなぁ、と。家族というものがあるだけでほとんどの欲求が要らなくなりました。――若い頃、自分が仕事をセーブしてでも家庭優先になる未来は想像していましたか?石田いやー、考えられなかったですね。でも、もともと相方は仕事で予定を埋めたい人だったのに対して、俺は休みが欲しい人やったんですよ。ただ、それを実現する権利がなかった。子どもが生まれたことで休みが欲しいと思うレベルも上がったし、ちょっとだけ言う権利もできたといいますか。やっぱり、休まんとダメですよ。――石田さんのように家庭重視の働き方をしている先輩は周囲にいましたか?石田いなかったです。でもブラックマヨネーズの吉田さんは独身のうちから「休みもらわな、俺は無理や」って言うてはったんですね。「プライベートが充実してないとおもろいこと言う気もなくなる」って。僕は吉田さんに可愛がってもらってたんで、それを見て育ちました。吉田さんも今では二児の父です。子どもができたら仕事と休みのバランスをどうするんだろうって思ってたら、大阪に戻って子育てしながら働くってシフトチェンジしたんですよね。そのときに吉田さんのことが心の底から好きやと思いました。かっこよくて優しくて嘘がない。あの振る舞い方に憧れてはいますね。――石田さんの働き方も下の世代に何か影響があるといいですよね。石田そうですね。子どもの写真とか育児の話をブログとかSNSに載せるのは、僕がガンガンやりきったから、みんなやってもよくなってるんじゃないかなぁと思ってます。昔はそういうことがやりにくい空気やったから。――「芸人がそんなことするなよ」という空気が。石田「アピールすなよ」みたいなね。僕も昔は、顔をスタンプとかで隠してまで写真を載せる人の意味が全然わかんなかったんですよ。でも子ども生まれたら一瞬で変わりましたね(笑)。子どもを通じて視界が良好になった感じがする石田今こそ芸人は普通の人であったほうがいいと思うんです。昔は芸能人は夢を見させる存在やったと思うんですけど、今はそうじゃないほうがいい時代が来てると思う。僕たち芸人なんてほんまに身近な存在だと思うし、身近なほうが面白いし。普通の生活をしているからこそ面白さに気づけると思ってます。――子育てをすることで、芸人として面白いと思うものの幅が広がったり、今までと違うところに目が向くようになったりということはあるんでしょうか?石田伝えようとするパワーが強まったと思います。子どもって、伝われへんことがほとんどじゃないですか。でもその中でも伝わりやすいものと伝わりにくいものがあるんですよね。だから伝わりやすいものから話を組み立てていったほうがよくて、それは漫才もそうだなと。その考え方がどんどん明確になって、視界が良好になった感じはしますね。――すごく興味深いです。人間はどうしたって日々やっていることから影響を受けますもんね。石田めっちゃくちゃそうですよ。今も、井上があつこおねえさんを出待ちするっていう新ネタ書いてて(笑)。――『おかあさんといっしょ』のうたのおねえさんを!?石田井上はあつこおねえさんが誰かも知らないんですけど(笑)。――どんなネタになるのか楽しみです(笑)。――さきほど話されていたように、お子さんの写真も含めて、石田さんはブログで積極的にご家族のことを発信されてますよね。石田でも家族のことを書こうと思ってブログをやってるわけじゃないんですよ。もともと何かを書こうって意志はなくて、そのときそのときで体重が乗っかってることを書いてて。だから家族に関する投稿が自然と多くなっているのかなと思います。――奥様のあゆみさんも去年6月にブログ「嫁ログ」を開設されました。これはどういった経緯で?石田僕自身がアメブロに移ってから、付き合いのあるアメブロのスタッフさんに「奥さんはブログ興味ないですか?」って言われたのが最初ですね。「飽き性やし、多分やらないと思いますよ」って言ってたんですけど、試しに何度か僕のブログで「嫁ログ」と題してちょこちょこ書いてみてもらったんです。その反響が良かったこともあって楽しくなってきたみたいで、独り立ちしてもらうような形で始まりました。そうしたら一瞬で僕のアクセス数を抜き去って(笑)。奥さんはもともと仕事するのが好きだから、やっぱり何か仕事めいたことは常にしておきたいという気持ちはあったんでしょうね。今も悪戦苦闘しつつ、どこに向かって発信するかという線引きがちゃんとあるのが素敵やなと思ってますね。――更新頻度も高いですよね。石田さんもあゆみさんのブログを読むのは楽しみなんですか?石田いやめっちゃ楽しみですよ!僕とあゆみちゃんとお互いの両親でやってるグループLINEがあって、そこで写真と動画は毎日バンバン共有されてるんですよ。でも、何が起きたときの写真なのかまではわからないんですよね。そこまで全部は家族LINEに書かないじゃないですか。「さっきの写真なんやってん」と思ったときに、あゆみちゃんのブログを見ると「あ、こういう事件があってああなってんねや」ってわかるんです。答え合わせみたいでめちゃくちゃ気持ちいいんですよ!「ほんまに、奥さんには感謝してるし尊敬してます」――あゆみさんのブログには石田さんが帰ってきたときの3姉妹の喜びようがよく投稿されていて、毎度可愛いです。パパ大好き家族ですよね。石田いや〜〜〜もう嬉しいですよね。たとえば僕は大阪から東京の自宅に帰るとき、「品川駅着いたよ」「タクシーで下に着いたよ」って逐一連絡を入れるんですが、するとあゆみちゃんから玄関の前に椅子3つ並べて3姉妹が座ってる写真が送られてくるんですよ。「えぇ、こんなんして待ってくれてんの!?」ってワクワクですよ、本当に。ああやって娘たちが喜んでくれるのは、僕の日々の接し方もあるのかもしれないですけど、奥さんが普段から僕を立てて子どもたちと接してくれるからだと思うんですよね。――石田さんはお子さんと普段どういう接し方をしているんですか?石田うーん、仕事で留守がちだからこそ、「父ちゃんのルール」はわりと子どもたちにとってわかりやすいかもしれないです。ママは毎日毎日子育てで蓄積していってる疲れだったりイライラだったりもあるから、たとえば子どもがお茶こぼしたときに、日によっては怒りもするじゃないですか。蓄積によってお茶こぼしたときの対応が変わっちゃうのは仕方がないと思うんです。毎日一緒にいれば、根気よく子どもに対応できるときもあれば、できないときもありますよね。でも僕はそこの蓄積がないぶん、いつも一定の「父ちゃんのルール」で対応できますよね。お茶こぼしちゃったら、テンション高めに「うわ〜こぼれたー!お茶拭くぞー!」って拭いて、「じゃあママちゃんに謝ろうか」って一件落着にしちゃいます。もちろんルール的に叱る場面もありますが、あかんところはあかん、いいところはいい、そこが明確です。まあ、それに加えて子どもと全力で遊びきるので(笑)。――ブログに上げられていたハロウィンのお部屋のつくりこみ、すごかったですね。ああいうところが遊びきるという部分なんでしょうか。石田ハロウィンも全力でしたね〜。子どもと遊ぶとき、僕はみんなを楽しませるというより、自分が楽しもうと思ってるんです。それは漫才も同じで、ウケようとか楽しませようとか思ってたら、それは所詮”策”やから。そうじゃなくて、ほんまに自分が面白いこと、自分が楽しみたいことをやってるときほどお客さんはいい雰囲気になる。それと一緒なんですよね。――普段ご夫婦の間で育児方針だったり家庭の運営について決めていることや心がけていることは?石田あゆみちゃんは自分に課しているハードルが高いんです。それでパンクしやすいから、僕はどちらかというと、緩める一方なんですよね。幼稚園を選ぶときも、あゆみちゃんは自分で情報集めて「ここがいいらしい」って探してきてくれたんですけど、そこは保護者が大変そうでした。だから僕は「この幼稚園もええねんけど、こっちはお弁当じゃなくて給食も対応してくれるらしいで。保護者が催し物に参加せんでええらしいで。こっちのほうが楽やと思うけどな」とか、そんな感じで、もっと楽そうな方を提案しました。掃除や洗濯も、もちろん俺も頑張るし、無理に毎日せんでもええで、って言ってます。その積み重ねで昔よりは緩めてくれるようになったんで、それは良かったなぁと思ってます。ほんまに、奥さんには感謝してるし尊敬してます。最近はちょっといっぱいいっぱいになってきてるのがわかるんで、どうにか休みをあげたいですね。夜に帰ってゆっくり話せると次の日一気にいい顔になってたりするんですけど、そうもいかない日が続くとどうしても抜けない感じがあるんですよ。今度仕事の3連休をとってるんで、そこであゆみちゃんが休む時間をつくってあげられたらいいんですけど……。歳をとるごとに人生はどんどん楽しくなっていく――石田さん自身、常に忙しいですよね。売れっ子なうえに、吉本興業の養成所で講師もされています。石田でも僕は大丈夫。最近はあんまり疲れないんですよ。なんでかっていうと、楽しい仕事しかしてない、嫌な仕事はやらなくなったから。楽しいことって疲れないじゃないですか。だからめちゃくちゃ清々しい毎日を送ってます。――たしかにテレビで拝見していても、以前より表情が柔らかくて、やりたいことをやれる環境に身を置いているのかなと思っていました。石田ほんまに、それだけでこんなに疲れへんくなんねやって思いました。最近、桂文珍師匠と話せる機会があったんです。年齢聞かれて「もうすぐ42になります」って言ったら「楽しくなってきたやろ」って言われて。「僕もそれくらいからやりたいことどんどんできるようになってきて楽しくなってきた。今はもう70過ぎて、『42のときは楽しくなかった』って言えるぐらい、今楽しいで」って言われたんですよ。「うわあ、なんていい人生送ってんねや、俺もそうならなあかん」と思いました。――やりたいことといえば、構想に4年かけた舞台を2月から上演されるそうですね。情報解禁時のコメントで「いずれこの公演のための常設小屋を持てるようになりたい」という旨のことをおっしゃっていて、夢が大きいなと思いました。石田そう、夢がでかいんですよ。本当に新たな挑戦です。今回はとても素敵な俳優さんにいっぱい出ていただいているんですけど、常設小屋にしたときには、ほんまに誰も知らんような芸人であったり俳優さんで何チームもつくって、365日どのチームかが公演していて、それを見に海外からもたくさんの人が見に来てくれるようになるのが夢ですね。今、毎日楽しいです。ほかにも新しく取り組んでいることがいくつかあって、ワクワクすることがいっぱいある。ほんまに、22〜23歳の頃の荒んでた僕に話してあげたいですね。「20年後、めちゃくちゃ楽しいぞ」って。公演情報NON STYLE石田明がオリジナル脚本・演出を手がけるNEW STYLE舞台!舞台「結 ーMUSUBIー」年2月4日(金)~6日(日)東京公演2022年2月11日(金・祝)~13日(日)大阪公演チケット好評発売中!提供写真NON STYLE 石田明 1980年2月20日生まれ、大阪府出身。2000年、井上裕介とともにお笑いコンビ「NON STYLE」を結成し、2007年『爆笑オンエアバトル』9代目チャンピオンに。翌年東京に進出。2012年に妻・あゆみさんと結婚。2017年に双子、2020年に第三子が誕生し、三人の女の子を育てるパパ。Twitterオフィシャルブログ『嫁ログ石田あゆみのオフィシャルブログ』(取材・構成:斎藤岬、撮影:天田輔、取材協力:株式会社サイバーエージェント)
2022年01月15日2017年、新恋人について記者会見を開いたいしだ壱成いしだ壱成(47)が3度目の離婚をした。2018年に24歳下の女優・飯村貴子と「できちゃった」再々婚。しかし、食費にも事欠くような、まさに妻子を食わせられない状況に陥っていたという。雑誌では、「パワーストーンの販売やインターネットのライブ配信で収入を得ていた時期もあったのですが……」と、告白。10年前にはパワースポットだという石川県の神社の近くに引っ越したが、あまり御利益はなかったようだ。なお、ライブ配信では代表作『未成年』(TBS系・1995年)のラストシーンを再現したりしている。脚本は野島伸司だ。■いしだ壱成は“野島ドラマ”みたいな人生何しろ、この作品、出演陣がすごい。例えば、家庭教師に妊娠させられる令嬢役でまだ女優だったころの浜崎あゆみが出ている。生まれる子どもの父親代わりになるのは、河相我聞だ。実生活では「隠し子」がいたことがのちに発覚。ちなみに「石田純一の隠し子」として世に出たのがいしだである。そんないしだは、実生活で最初の子どもを手放した。最初の妻が子連れで再婚したのは谷原章介。ややこしいことに、谷原はこのドラマではいしだの兄で、憎まれ役だ。また、香取慎吾や反町隆史も出演。香取はジャニーズを辞めて『新しい地図』を立ち上げたが、反町もそもそものデビューはジャニーズJr.のユニット『平家派』だったりする。ほかにも、このあと朝ドラヒロインになったものの騒動を連発するようになってしまった遠野なぎこや、酒気帯び運転で逮捕された北原雅樹(グレートチキンパワーズ)などが。とまあ、お騒がせぶりも含め、錚々たる面々がそろうなか、主役を演じたのがいしだだったわけだ。これはおそらく、偶然ではない。ドロドロの展開で売る野島ドラマには「濃い」人たちが似合う。「濃い」といえば、のちにクスリで逮捕されるいしだと酒井法子が『聖者の行進』で共演している。いしだは逮捕直前、交際していた女優と破局。また、一般女性との二股発覚で別の女優と別れてもいる。その女優は当時がんで闘病中、一般女性は自殺未遂も報じられた。そんな野島ドラマみたいな人生を送るような人だからこそ、彼はその世界にうまくハマったのではないか。ただ、それ以外の作品では今ひとつ冴えない。しかも、人生の脚本はもっと残酷だった。かつて“フェミ男”人気を二分した武田真治が筋肉俳優として再ブレイクしたのとは対照的だ。■「まさか家族に騙されるなんて……」いしだは昨年11月に小誌で、これまでの人生を激白。人気絶頂のころ、事務所の代表でもあった父からギャラを「搾取」されていたことも明かした。事業失敗の補てんに使われていたという。「父も最初から騙すつもりはなかったと思うのですが、うつ病で思考がネガティブになっていたこともあって“まさか家族に騙されるなんて……”と、どんどんマイナス思考になっていきました」と言いつつ、離婚を告白した雑誌では「ぼくと父は何か欠落している。やっぱり“同じ生き物”な気がします」という共感的な発言も。年末年始は父のもとで過ごすと話していたいしだ。「運がよければ芸能界に戻れるかも」と、希望も口にしていた。ここから見えてくるのは、彼の今後である。アルバイトまでしてくれていたという妻に去られた以上、メディアに出て、そのぐだぐだな人生を売っていくしかないのではないか。父も一緒なら、それなりに稼げるだろう。少なくとも、陽のパワーが感じられない石を売るよりは──。PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
2022年01月05日神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ソロ・コンサートマスターの石田泰尚が2014年に企画・結成した弦楽アンサンブル『石田組』が2022/2023ツアー日程を発表。4月9日の東京かつしかシンフォニーヒルズ公演を皮切りに全国を周ります。石田泰尚が集めたメンバーは全員男性のみで “石田組長”が信頼を置く第一線で活躍するオーケストラメンバーを中心に”組員”が構成されています。今まで『石田組』で演奏したメンバーは50名を超え、毎回少しずつメンバー構成が変わります。演奏される楽曲は、クラシックのみならず、ピアソラや映画音楽、ロックと幅広く、公演地によってもプログラムが変わるのが特徴で、奏者一人一人の持ち味を存分に生かした松岡あさひの編曲も注目です。年々ファンを増やしている『石田組』の2022/2023ツアーにぜひご期待ください。©Hikaru.☆2022/2023 ツアースケジュール予定2022年4月9日(土) かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール(東京)4月17日(日) 高崎芸術劇場(群馬)5月3日 (火祝) ザ・シンフォニーホール(大阪)5月27日(金)28日(土) 八ヶ岳高原音楽堂(長野)6月11日(土) サントリーホール・大ホール(東京)7月21日(木) りゅーとぴあ(新潟)7月30日(土) 長崎ブリックホール(長崎)8月19日(金) ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川)9月11日(日) 防府市地域交流センターアスピラート(山口)9月24日(土) 杉田劇場(神奈川)9月25日(日) 北國新聞赤羽ホール(石川)10月9日(日) 愛知県芸術劇場(愛知)10月10日(月祝) 東大阪市文化創造館DreamHouse・大ホール(大阪)10月15日(土) つくばノバホール(茨城)10月29日(土) 兵庫県立芸術文化センター・大ホール(兵庫)11月23日(水・祝) クレアこうのす(埼玉)11月30日(水) iichiko音の泉ホール(大分)2023年1月15日(日) 市川市文化会館・大ホール(千葉)1月28日(土) 横須賀芸術劇場(神奈川)2月12日(日) 中野ZEROホール(東京)2月19日(日) 相模女子大学グリーンホール(神奈川)各地のチケット販売情報、メンバー、プログラムはアーティストHP( ) に決まり次第、順次更新いたします。石田泰尚よりメッセージ「プログラムに色々なジャンルが入ることで自分たちの演奏を聴いてくれる人が多くなれば嬉しいと思って選曲しています。そして、自分が選んだメンバーは皆本当に上手いので、ぜひ注目してください。今まで『石田組』として行ったことのない地でたくさんのお客さんの前で演奏したいです。お客さんにももちろん、メンバーにも『石田組』を楽しんでもらいたい。それだけが自分の望みです。」石田泰尚(いしだ・やすなお)プロフィール神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ソロ・コンサートマスター。これまでに神奈川文化賞未来賞、横浜文化賞文化・芸術奨励賞を受賞。結成時から20年以上参加するYAMATO String Quartet、自身がプロデュースした男性奏者のみの弦楽アンサンブル“石田組”など、様々なユニットでも独特の輝きを見せる。2018 年には石田組がNHK-FM「ベストオブクラシック」およびBSプレミアム「クラシック倶楽部」 で放送されその熱いステージの模様は大きな反響を呼び、2019年にはEテレ「ららら♪クラシック」で特集が組まれた。2020年4月より京都市交響楽団特別客演コンサートマスターを兼任。2021年12月にライブアルバム第4弾となる“PIAZZOLLA LIVE”がリリースされた。使用楽器は 1690 年製 G.Tononi、 1726 年製 M.Goffriller。©Hikaru.☆Violinist of a Legend : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月05日