キングギドラ、モスラをつくった怪獣造形師・村瀬継蔵が胸にとどめる円谷英二の金言
村瀬:私の兄が多摩美(多摩美術大学)におりまして、私は健康が不安定だったので東京に治しに来たんです。兄の家でブラブラしていたんですけど「お前、遊んでだってしょうがねぇだろ」と言われまして。
故郷の北海道にいた頃に『ゴジラ』(1954年)を見ていたんですが「すごい映画だなぁ。怖いなぁ」と思っていたんです。その話を兄貴にしましたら「俺の知ってる人に『ゴジラ』を作ってる人がいる。俺は学校があるからできないけど、お前、代わりにやってみるか?」と言われたんです。それで(東宝で造形を手掛けていた)利光貞三さん、八木(康栄/勘寿)兄弟のお手伝いに入ることになったんです。
そこでいろんな造りものをやったんですけど、これが非常に難しいんですね。
師匠に言われて、金網でものをつくったり、ブリキを切ったりということをしながら造形のこともやるようになって、それから『ゴジラ』シリーズに参加するようになりました。正式に私が参加することになったのは『キングコング対ゴジラ』(1962年)からになります。
私はゴジラを造るなんて「怖いもんを造るんだなぁ…」って思ってね。最初は「面白い映画をつくる」という感覚よりも「怖い」