くらし情報『彗星に着陸せよ! 探査機フィラエが挑んだ57時間の軌跡 (1) 栄光のハレー艦隊と、彗星探査に賭けた欧州の想い』

2014年11月26日 11:00

彗星に着陸せよ! 探査機フィラエが挑んだ57時間の軌跡 (1) 栄光のハレー艦隊と、彗星探査に賭けた欧州の想い

年が明けて1985年1月7日には日本が「さきがけ」を、7月2日には欧州が「ジョット」を、そして8月18日には再び日本が「すいせい」を打ち上げる。さらに、1976年に打ち上げられ、地球の磁場や太陽風を観測していた米航空宇宙局(NASA)の「ISEE-3」が、「ICE」と改名されて加わり、艦隊は一路、ハレー彗星を目指した。

そして1986年3月、艦隊は相次いでハレー彗星のそばを通過した。その中でもっとも彗星に近付いたのはジョットで、約600kmの近さにまで接近した。これは当初から狙って行われたもので、そのために探査機は装甲板まで取り付けられていたほどだ。結果は大成功で、ハレー彗星の核を捉えることに成功した。

ハレー艦隊の成功後、彗星という天体をさらに詳しく探査するために、NASAとESAは共同で新しい探査機の計画を立ち上げた。この取り組みの中で、NASAでは彗星ランデヴー・小惑星フライバイ(CRAF)、ESAでは彗星核サンプル・リターン(CNSR)と呼ばれる探査機をそれぞれ開発することになった。
しかし1992年、NASAは予算不足でCRAFを中止する。

一方の欧州は、NASAが抜けた後も独自で彗星探査計画を進めることを決定する。

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