2014年12月5日 11:00
女の節目~人生の選択 (7) vol.7「初めての、自己顕示欲」【12歳】
車寅次郎のような男が惚れる男の放浪者と同じようにはいかず、「のら」は野宿中の公園でレイプされたり、引きこもりの家に軟禁されたりもする。彼女のように生きていけたらいいなぁと憧れる一方で考える、もし本当に私が彼女なら、きっと早々にくだらない理由で野垂れ死にするだろう。
なぜなら、私には私の名前があるから。それはすなわち、私は私自身の、一続きの人生を持っているということである。始まりも終わりもなく、たくましくて儚く、おそろしく強運な「のら」のブツ切れになった人生とは違い、私には、ずっと呼ばれる続ける名前がある。たとえ親から授かったものであろうとも、それは死ぬまで「私のもの」だ。私には私の名前と人生があり、その背負い込んだ荷物を必死で守ろうとする限り、どこを彷徨ったって野良にはなれずに、手前で死ぬだろう。あたたかい灯りの点る屋根のついた家と自動的に出てくる晩ごはんを噛み締めながら、中学生の私はそんなふうに考えていた。
○誰が殺した黒歴史
私の人生には、名前がついている。名前がその人間を規定する。『のら』を読んでいた12歳は、そう気づいた年頃だった。名前とは自己と他者とを区別するだけでなく、私が生きる道筋の「連続性」