くらし情報『織田・豊臣・徳川で揺れた浅井三姉妹、女性として一番幸せだったのは誰?』

2015年3月30日 12:00

織田・豊臣・徳川で揺れた浅井三姉妹、女性として一番幸せだったのは誰?

さらに秀忠は堅実な人物だったらしく、正式な側室は持ちませんでした。実子にも恵まれ、3代将軍・家光をはじめ、秀忠との間に2男5女を産んでいます。娘のひとりは入内(じゅだい)して、天皇の生母となりました。ファーストレディーとしての地位と、羨望の的となる家族を手に入れたのです。

とはいえ、この結婚は典型的な政略結婚です。後々になって愛情が芽生えたとしても、「恋愛」というより、むしろ「運命共同体」としての友情に近いものだったのかもしれません。一国のトップファミリーですから、秀忠が側室を持たなかったのだって、意地悪な見方をすれば完璧家族を演じるための手段、さらに余計な跡継ぎ争いを起こしたくなかった、という風にも見られます。ファーストレディーの笑顔の裏には、実は様々な内部事情が隠れているもの。
お江が女性として幸せだったか、というのには疑問が残ります。

○家のためキャリアウーマンとなった次女・お初

さて、時代のトップレディーとなった姉や妹と違い、近江の弱小大名・京極高次に嫁いだ次女・お初。彼女はこの京極家で、戦国屈指のキャリアウーマンとしての腕を発揮します。

ちょうどお初が京極家に嫁いだ頃に、姉の茶々が秀吉の側室となりました。

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