大島由香里、“ダメージ床”を乗り越えて…『ニュースJAPAN』重圧の先にあった「自分らしさ」
1年目は大学3年の夏、何も分からずに募集開始が早いからとりあえず受けて。セミナーやアナウンサースクールも一切通わずに受けたんですけど、試験がとにかく楽しかった。もともとテレビを観るのは好きだったので、昨日観たテレビのスタジオに入れたり、大きなカメラを目の前にしたり興奮の連続でした。
『すぽると!』のセットでの試験が強烈に記憶に残ってて、そういう刺激的で怒涛のように過ぎていく採用試験が終わり、テレ朝も最終まで残っていたんですけどそれも落ちてしまって。「どうしよう……」と抜け殻になっていたときに、母から「アナウンサー以外に興味あるの? ないんだったら、来年も受けてみたら?」と言われたんです。母の世間知らずが良い方に転がりました(笑)。その言葉がなければ、アナウンサーにならずに全く違う業種に携わっていたと思います。
――人生を左右する言葉ですね。
面接で「4年生? 採用試験落ちたらどうするの?」と聞かれて、「そのときに考えます」と答えました。今思うと、本当に恐ろしい(笑)。●自分を閉じ込めていたアナウンサー時代の後悔
○■救われた言葉「その声だからニュースが伝わる」
――2度目の挑戦で無事にフジテレビに入社。