2015年11月13日 12:31
元ピクサーのアートディレクター・堤大介氏に聞く『アニメのこれから』 (1) ピクサーという“理想郷”からの独立
しゃべれないとどうにもならないだろう、と。
留学当初は同じ日本人の留学生とはまったくしゃべりませんでしたね。仮にしゃべるとしても日本語ではなく英語で話しかけるという、今考えれば嫌な学生だったと思います。正直後悔している部分もあるのですが、そういう極端なことをしていた時期もあるくらい、英語を身につけようと必死でした。
――それまでずっと野球一筋だった堤さんが絵を志すきっかけになったのは何だったのでしょうか?
語学学校時代、地域に開放されていた絵のクラスで、地元のおばあちゃんに褒められたことが絵を志すきっかけでした。
ですが実際に美大へ進んだら、僕はクラスの中で画力が一番下なんです。当然ですよね、絵を始めたのが遅すぎたんです。しかも、僕が取っていたクラスの先生は名物先生で、クラスからよく生徒を追い出したりしていました。
僕もまさにそのターゲットにされて、2度彼のクラスから追い出されたことがあります。――そんな仕打ちを受けて、絵をやめたくなったりはしなかったのでしょうか?
それまでずっと野球をやっていたこともあって、良薬口に苦しといいますか、ラクだったらダメな気がしてしまうところがあって。