2016年4月30日 12:00
俳優・渡辺謙が感じる、エンタメを受け止める環境の変化 - SNS時代への危惧、観客への思い
センセーションであればあるほど取り上げられたりしますよね。少し前までは、批評家がある種、切腹覚悟で批評を書いていたように思います。
――批評に責任を持っていたのが批評家だったんですね。
見識があって、自分の名前を出して書いていた、責任を持った批評だったわけですよね。それが最近は匿名であっさりと評価を下されてしまうことに、危うさは感じています。もちろん、個人が映画を見て自由な感想を持つのは当たり前ですが、あっという間に議題に乗ってしまい、一般論として扱うことに危惧を感じる点はあります。
文句があっても、せめて見てから言って欲しいとは思いますし、「書いているのはあなただよ」ということは、きちんと引き受けてほしいです。
――アメリカでは状況が違いますか?
同じだと思いますよ。
インターネットやSNSの環境は全世界的なことですので、日本だから外国だからということはありません。ただ文句を言うのではなく、映画やエンタテインメントというものを、もっと大切にしてほしいという思いはあります。身近になったと言えば良いことではありますが、扱いが軽くなっている部分は感じますね。
●ふわっとした人を取り込むために、命をかける
○死を受け止めることの重さを感じて
――この作品は人の死に関わる部分が大きいですが、渡辺さんご自身の死生観が反映されている部分などはありますか?
僕の個人的なことだけでなく、今は本当に、人の死に立ち会い、受け止めるといったことが、なかなかリアルではないのではないか、とは思います。