宮藤官九郎の"映画脳"を覗く - ゆとり世代から地獄のことまで「振り幅が大きい作家でいたい」
――今回は連載に書かれていた内容に沿って、お話をうかがいたいと思います。
よろしくお願いします。
――脚本を手掛けられた『GO』(01年)と『ピンポン』(02年)で、映画のスタンスが決まったそうですね。「原作と脚本」の関係性について書かれていたのですが、今回はオリジナル作品です。その点はどのように受け止めていらっしゃいますか。
オリジナルの場合、いちばん必要なのは「説得力」です。企画を成立させるにあたり、協力してもらういろいろな人を説得しなければなりません。興味を持ってもらうために、自分のやりたいことをスタッフやキャストに伝えていくのですが、もし原作があれば「この本、面白いから読んでください!」で済むというか、だいたい共有してもらえますよね。
でも、オリジナルはそれができない。
僕のオリジナル作品では、大抵の人の興味はギャグやコメディ要素。ただ、作品を作っていく中でそれだけではないテーマが見えてきます。オリジナルだからこその難しさもありますが、好きなように作れる強みもあって。もともとの発想「0→1」は自分の中にあるもの。だから、僕にとってはとってもやりやすいんです。原作がある場合は、原作と映画の違いを意識しなければなりませんから。