山田隆道の幸せになれる結婚 (15) 「籍を入れた責任」はどこへ?--”離婚率”の上昇と「樹木希林」の”美学”
また、これは単なる言葉遊びにすぎないが、”バツイチ”ならぬ”プライチ”なる言葉まで出てきた。
無論、離婚によって人生経験がプラスされたという意味である。
できちゃった婚を”授かり婚”と言い換えるようなものだ。
果たして、そういう風潮があるからか、最近では男女の離婚劇を加害者と被害者という観点で語ることが多くなった。
たとえば、ある夫婦が男性側の浮気や暴力によって離婚した場合、その加害者はもちろん男性で、被害者は女性であるということだ。
こうなると、悪いのはもっぱら加害者の男性ということになり、被害者の女性は世間から温かい同情の目を向けられる。
だから当の被害者女性も離婚に関して自分は一切悪くないと自覚し、それどころか世間の同情を集めるうちに、だんだん悲劇のヒロイン意識まで芽生えてくる。
自分にうしろめたさがまったくなく、なおかつ周囲も自分に味方してくれるわけだから、離婚した自分に恥を感じることもないのは当然で、だから被害者として離婚を経験した者は、その後も堂々としていられるのだろう。
これは芸能界では特に顕著な傾向だと思う。
たとえば、あるタレント夫婦が離婚したとして、ワイドショーなどのゴシップメディアが真っ先に騒ぎ立てるのは、その離婚原因である。