これらの記述を元に再現図を描くんです。
――ということは、復元者によって細部が変わってくる可能性がある?
藤井さんそうですね。解釈の違いが出ますので。例えば、太田牛一が地上一階には「御土蔵」があったと書いています。天主の中に土蔵があるというのは、私はヘンだと思いますので、これは天主の外に隣接してあったものだと解釈しています。でも天主内にあったと想定する方もおられますね。
――藤井さんは復元図を制作される時にどんな点に興味を持ちましたか?
藤井さん安土城は外部五層、内部七階建てでしたが、この四層と五層部分が特徴的ですね。この四層と五層の両方に「御縁輪」(ごえんがわ)があり、「高欄」(こうらん)があったと書かれています。
これは軍事的構築物ではないですね。
*……高欄というのは縁などの端に設ける手すりのこと。
――ベランダみたいになっているところですね。四層目にもあったのですか?
藤井さん太田牛一は四層目の外側の画についても記述をしています。逆に言うと、太田牛一という人は、そこに立てる人だったと言えます。また擬宝珠(ぎぼし)があったという記述もあります。なので擬宝珠高欄が四層目にあったと推測するのが自然ではないでしょうか。