「だめだ」と言われても手放せなかったものたちが、私の“自分らしさ”になった
目が慣れたというだけではなく、自分の体でそれを着るときに一番いい丈や組み合わせ、歩き方や手の動かし方、気持ちの持ち方にいたるまでを体感で得てきたのである。
不本意な装いをし続けることは、自分の意見を表現しにくくなったり、心を閉ざしてしまったりすることにつながるとさえ思う。実際に私は中学に入ってしばらくの間学ランを着ていたのだが、それが本当に辛く、心を閉ざしてフラフラしながら学校に通っていたのを覚えている。登下校中、何度も車に轢かれそうになったりしたが、そんなときでも他人事のように何もせずボーっと立っていることしかできなかった。そんな日々が続き、中学2年生のときには、ついに心が折れきって家から出られなくなってしまったのだ。
しかし、そこから自分の好きなものを着られるようになって、少しずつ自分を表現できるようになっていった。装いはただ見た目を飾るだけのものとされがちだが、それしだいで人の心を殺すことも生かすこともできてしまうのだと、そのとき身をもって知ったのである。だから私は今、ファッションモデルという仕事をしているのだろうし、不本意な装いをし続けることの苦しさを知っているからこそ、誰でも好きなものを身につけていてほしいと強く思う。