世界中のセレブを魅了する靴の秘密。『マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年』- 古川ケイの「映画は、微笑む。」#33
スイスのジュネーブで教育を受けたマノロは、65年にフランスに渡ります。
モードの街パリでジュエリー・デザイナーのパロマ・ピカソと出会ったマノロは華やかな交友関係を広げていくのでした。
そんなマノロに転機が訪れたのは、68年にNYを訪れたときのこと。
当時、米版「VOGUE(ヴォーグ)」の編集長だったダイアナ・ヴリーランドから、靴にフォーカスを当てるようにアドバイスを受けたマノロは、独学で靴作りを学びます。
71年、ロンドンに移ったマノロは初のコレクションを発表、翌72年にはロンドンのチェルシーに初のお店をオープンしました。
80年代には本格的にアメリカに進出し、98年に放送開始したTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で人気を決定づけ、世界中にマノロブームを巻き起こします。
06年にはソフィア・コッポラ監督映画『マリー・アントワネット』で衣装用の靴をデザイン。現在は世界33カ国に290の販売拠点、13の独立店舗を持ち、eコマース「manoloblanik.com」も立ち上げています。
◼︎華やかな交流関係は必見
本作に登場する、マノロの靴を愛用する、さまざまなセレブたち……、その中の何人かのコメントをご紹介します。