映画『クリムト エゴンシーレとウィーン黄金時代』クリムト展特別タイアップ企画、美術ファン必見のドキュメンタリー作品!
クリムトは、ウィーンの美術工芸学校に学び、初期にはアカデミックな作風で才能を認められ、劇場の壁画装飾などで名を馳せました。
またあるサロンに出入りしてウィーンのさまざまな知識人と出会います。
どこか素朴ともいわれる雰囲気が、社交界の中でもかえって魅力が際立ったのです。
1897年に保守的なウィーンの画壇から離脱し、仲間と共に「ウィーン分離派」を結成しました。
「ヴェートーヴェン・フリーズ」展示風景© Belvedere, Wien
エゴン・シーレは、クリムトと同じ美術工芸学校を卒業後に、16歳でウィーン美術アカデミーに進学しますが、クリムトに弟子入りを志願し退学します。
その後、身体の歪みや人間の感情、欲望と悲劇の表情に魅せられ、エロスに満ちた多くの自画像や肖像画を制作するようになります。
保守的な時代に生まれたクリムトとシーレの革新的な芸術。
19世紀末のウィーンでグスタフ・クリムトを中心に結成された芸術家グループ「分離派」は、1898年に自ら立てた展示施設の分離派会館に「時代には芸術を、芸術には自由を」と金文字で掲げました。
クリムトとエゴン・シーレは、人間の不安や恐れ、生と死を愛と官能性を持って新しい絵画の手法により描き、それまでの絵画とは異なる革新的な芸術作品を次々と生み出していきました。