ミラノで喝采を浴びる唯一の日本人デザイナー「ファッションは伝統と現代、異文化と人々を繋げる手段」 --ATSUSHI NAKASHIMAデザイナー中島篤1/2【INTERVIEW】
ーー ファッションデザイナーを目指したきっかけを教えてもらえますか?祖父が画家だったという血筋もあってか、幼少期は絵を描くことに夢中でした。本格的にファッションにのめり込んでいったのは、高校生の頃。家族には「デザイナーなんかなれるはずがない」と反対され、高校卒業後は一般企業に就職し、1年間社会人として働きました。しかし、やっぱりデザイナーになりたいという夢が捨てきれず、会社を辞めて自分の貯金で専門学校へ通うことしたんです。ーー 専門学生時代から、将来は海外で活躍したいと考えていましたか?英語がとても苦手だったので、あまり考えていなかったですね。好きなことは徹底的に追究しますが、そうでないことには力を注がない性格でして(笑)。でも、ある時学校で海外コレクションのショーの映像を初めて観て、“モード”という新しい世界を知り感銘を受けました。それから漠然と、パリコレなど海外でのショーを夢見るようになり「いつかは…」と胸に秘めていました。
ーー そんな夢を抱きながら、専門学校卒業後はどのようなキャリアプランを立てていましたか?縫製工場に勤めた後、パタンナーとしても経験を積んでから、最終的に自分のブランドを立ち上げようと思っていました。