ミラノで喝采を浴びる唯一の日本人デザイナー「ファッションは伝統と現代、異文化と人々を繋げる手段」 --ATSUSHI NAKASHIMAデザイナー中島篤1/2【INTERVIEW】
デザイン画を描くだけのデザイナーではなく、ものを作れるデザイナーになりたかったので、このようなプランを立てていたんです。ただ、勤めた縫製工場での配属先の仕事が劣悪で……。休みもなく、毎日朝方まで働いて、身も心も削られるような日々。過去そのポジションに就いた人は6人連続で退社してしまっていましたが、3年は働くと決めていたので必死で耐えていた最中、渡仏のチャンスが訪れました。2年半程働いた時にオンワードファッション大賞のグランプリを受賞し、その年特別審査員として招かれていたジャン=ポール・ゴルチエ氏に、「自分の元で働かないか」と声を掛けてもらい渡仏を決めました。ゴルチエ氏にきっかけをもらった時、パリに行けることや彼の元で働けることより、正直縫製工場を辞められることが一番嬉しかったかもしれません。それくらい、本当に辛い2年半でした。ーー ゴルチエ氏に見初められたのは実力だけでなく、努力と我慢の末に自ら勝ち取った運なのかもしれませんね。
渡仏後はどのような生活が待っていたのですか?英語はもとより、フランス語なんて全く話せなかったので、最初の半年は仕事を確実にこなすことはできませんでした。指示をされても違うものを作ってしまったり、仕事でも生活面でも気苦労が多かったです。