真矢ミキ 87歳母と始めた同居、ビビッド帰宅後は介護に奔走
「真矢みき」という芸名を考え出したのも、彼女だった。
「考えていた“友七緒”や“展七緒”という芸名は先生からダメ出し。そのとき雪子さんから『真矢みきはどう?』と。真矢さんは幼少期から破魔矢を買うのが好きで、『真っすぐ矢のように』と思いつき、あとは本名『美季』と組み合わせて“真矢みき”が生まれました」(前出・宝塚関係者)
以来、雪子さんは真矢をずっと支え続けてきた。
「お母さんは娘が載っている宝塚ファンの雑誌『歌劇』を枕元に積み上げて寝ていたそうです」(同前)
真矢は34歳で宝塚を退団。
「15年かけて男役トップスターになった真矢さんに引導を渡したのも雪子さんでした。“一人でも多くの人がトップを味わえるよう早くやめなさい”という宝塚愛が根底にあったのだと思います」(同前)
芸能界に転身した真矢だったが、40歳の誕生日に実父が他界。
「以来、雪子さんは実家でひとり暮らししていました。
一方、仕事が好調で多忙を極めるようになった真矢さんが自宅マンションを改装した際、雪子さんが『寝室は結婚運が上がる方向にしなさい』とアドバイス。結婚の予定がなかった真矢さんが渋々それを受け入れたら、44歳で西島さんと結婚できたんです」