イモトアヤコ、三浦雄一郎…「山の夢」をかなえる国際山岳医
「私の持っていた水を飲ませ、努力呼吸(意識的な深い呼吸)をさせることで血中の酸素レベルは回復しました。無事に下山したと知ったときは安心しましたが、でも私は、自分の対応に自信が持てなかったんです。それが本当に嫌で、山岳医療について本格的に勉強しました」
41歳のときのことだ。大城さんは、山岳医療について系統立てて学べる国際認定山岳医の資格講座を知り、迷わず申し込む。しかし、ハードルは高かった。
なにしろ当時の日本に講座はなく、英語でのプログラムが受けられるのはイギリスだけ。季節ごとに1年をかけて4回、各1週間行われ、山岳医療についての講義だけでなく、高い登山技術が求められる実習もあった。
合間に国内外でトレーニングするため、なんと大城さんは大野記念病院を退職してしまった。
ほかの病院で泊まり込みのアルバイトをしながら、受講料と旅費を捻出。「お金がなくて、電気代が残るかどうか、という1年でした」
かくして’10年、大城さんは日本人初の国際山岳医になった。さっそく無料のウェブサイト「山岳医療情報」を開設し、’11年には大野記念病院に非常勤医師として戻り、これも日本で初めての「登山外来」