イモトアヤコ、三浦雄一郎…「山の夢」をかなえる国際山岳医
紺色の医療用スクラブに白衣を羽織って現れた大城さんは、身長153センチほど。人なつこい笑顔を絶やさない。
「撮影には白衣を着ていたほうが、それらしくていいですか」と気遣ってくれ、すぐに周りをほんわかと和ませる。毎年夏の3週間は、富士山の8合目にある「富士山衛生センター」に勤務しているという。
「登山初心者がほとんどの富士山では、1日に20人くらいが具合を悪くして訪ねてきます。白衣姿で外に出て、目の前を通る登山家たちに高山病や脱水症、低体温症の怖さを伝えることも。山岳医療は、予防してナンボですから(笑)」
大城さんが登山そのものを意識したのは、31歳のとき。選んだのはアフリカの最高峰、キリマンジャロ(標高5,895メートル)だった。
高山病の危険もあるこの登山の経験が、その後の大城さんの生き方を決めた。
「登頂まで7日がかりでしたが、4,700メートルあたりで息が苦しくなって、トイレにもゆっくりしか行けないんです。自分の脈を取ろうとしても、なかなか見つからない。高所で起きる自分の体の変化が興味深かったですね。とくに、酸素が薄いとどれだけつらいかを痛感しました」
当時、日本大学医学部附属板橋病院・第一内科に所属していた大城さんは、慢性呼吸不全の患者を診ることがあった。