イモトアヤコ、三浦雄一郎…「山の夢」をかなえる国際山岳医
「肺の悪かったあの患者さんは、いつもこんなしんどい生活を送っているのか、と理解できた気がしました。患者さんのなかには診察時に着替えがゆっくりとしかできない人もいる。医師によっては『遅い』とペン先をコツコツさせていたけど、あのイライラは患者さんの身になっていないよな、とか」
キリマンジャロに登頂したときの晴れやかな充実感は忘れられない。そしてこみ上げてきた感動も。
「それは、5,000メートルという標高でも人間は生きていけるんだということ。厳しい環境の変化にも、体は順応していくんですね。人間の能力はスゴいなと。これは新鮮な発見でした」
大城さんは、目を輝かせながら語る。
生きることそのものを、実感しているようだった。キリマンジャロ登山後、まとまった休みがあれば、海外の山にも出かけるようになった。
35歳のとき、日大板橋病院を辞め、現在の勤務先である北海道大野記念病院(当時の名称は、心臓血管センター北海道大野病院)に就職。
山岳医療にのめり込むきっかけは、ネパールの標高4,500メートルをトレッキングしていたときのことだ。意識が朦朧としていた日本人と出会い、診察すると高山病と脱水症にかかっていた。