市原悦子さんが望んだ「夫とともに並んで樹の下に眠りたい」
だからか、樹木葬の場所を決めると市原さんは迷わず、並んでいる樹木を2本購入したんです」
その後は、周囲の励ましもあり、仕事に復帰したものの、’16年11月に自己免疫性脊髄炎で入院。市原さんの著書『白髪のうた』(春秋社)を構成した作家の沢部ひとみさんが、その後の闘病ぶりを明かす。
「一度は回復したんですが、’18年後半になると、歩行困難になっていきました。11月には体調も悪化して、12月に『盲腸』がわかった。しかし、市原さんは血小板が少ない病気があって手術が困難でした。年末年始は食欲が落ちてしまい、徐々に衰弱していって――」(沢部さん)
1月5日に再入院し、8日には、話しかけても反応がなくなった。市原さんの最期を看取った写真家の駒澤たん道(※たんは「深」の部首が王へん)さんが、こう話す。
「とてもおだやかで、安らかなお顔でした。
白髪をなでると柔らかく、頬は若々しく奇麗でした」(駒澤さん)
沢部さんは、市原さんの病床での言葉を明かしてくれた。
「『延命治療はやめて!』でした」
《夫が亡くなった後、『待っててね、私もすぐ往くから』って手を合わせていた》(『白髪のうた』より引用)