’95年1月17日、阪神・淡路大震災に遭遇し、こ生さんは西宮市の自宅で被災。当時、神戸市で老人ホームを経営していた夫が、すぐに施設を開放するなど、あわただしい毎日を過ごしていたころ、思いがけない電話がかかってきた。
まず女官長が出て、すぐに皇后美智子さまのいつものやさしいお声が受話器を通して聞こえてきた。
「お電話するのがたいへん遅くなりました。おうちはいかがでしたか」
「自宅は半壊でございましたが、家族は全員無事でございました」
「ご無事でなによりでした。きっと、お父さまの溥傑さんが見守ってくださったのね。どうか、お体を大切に頑張ってください。またお目にかかりましょうね」
その後も被災地を訪問されるときなどに、「ご不自由はないですか」とのお心遣いがあったという。
’07年、夫の死を機にそれまで住んでいた西宮市内の一戸建てを引き払い、こ生さんは同じ市内のマンションへと移った。ピアノや家具などの大半を、幼稚園や福祉施設に寄付し整理した。
「唯一の心残りが、庭でした。嵯峨の家の家紋にもなっている連翹、父のモミジ、そして白雲木などなど。この庭だけはなくしてはいけない、と思ったのでございます」