くらし情報『少年隊からキンプリまで、編曲家語る「ジャニーさんの思い出」』

2019年10月17日 11:00

少年隊からキンプリまで、編曲家語る「ジャニーさんの思い出」

だが、’82年、突如、拠点を米国・ロサンゼルスに移す。「ロスでアレンジの修行がしたい」。それが、体のいい“言い訳”だと見破ったのが、ジャニーさんだ。

「『船山くん、ジャニーズみたいなアイドルの仕事が嫌で、ロスにきちゃったんでしょ』。ロスを訪れたジャニーさんと会食したとき、いきなりそう言われたんです。その瞬間、冷や汗がダラ~ッと出た。仕事を毎日、目茶苦茶にやって、これじゃ壊れる、と。まぁ、逃げたようなもんでした(苦笑)」

夜22時から打ち合わせ、朝は5時起きで、6~9時、9時~12時の間に1曲ずつアレンジし、午後はレコーディング。
そんな生活をずっと続けていた。ジャニーさんは、焦る船山さんを見て、してやったりとニヤニヤ。ご機嫌になって、アメリカ軍時代の話までしてくれた。

「『僕ね、鉄砲の訓練していたの。僕はね、CIAだったんだよ(笑)』とおっしゃって。でも、要は、軍の情報部所属の語学将校として、通訳で朝鮮戦争に行っていたんだって。その後、日本に戻ったという話でした」

ロスで生まれたジャニーさん。父親は高野山真言宗米国別院の僧侶だった。
船山さんが帰国すると、すぐにまたジャニーズからオファーがきた。

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