2020年9月14日 11:00
“あしなが”設立の玉井会長「早世した妻が背中を押してくれた」
「由美はもう日記も書けず、1人ではトイレまで歩けなくなっていました。夫たる僕は何も知らず、仕事なるものに追われた、ただの日本の男だったんです」
がんは、大きくなっていた。87年5月、腫瘍切除の手術を受けた由美さんは、首から下をほとんど動かせなくなった。夏過ぎには水頭症の手術を受け、12月に入ると、気管切開をして、人工呼吸器をつなぎ、声を失った。
玉井さんは、由美さんの唇の動きを必死に読んで会話を続けた。入院中は夜6時からの3時間が、夫婦の時間だ。
「この3時間のために、私、生きているのよ」
声なき声で、そう言った妻……。
「あなた、助けて。
苦しい」
由美さんが、初めてそう訴えたのは、89年の七夕の夜だった。8日深夜には、当直の看護師から電話が入った。病院へ駆けつけると、由美さんは必死に呼吸をしているようだった。
「愛してるよ、由美」
玉井さんが言うと、ふっと表情を和らげた由美さんの唇が動いた。
「ありがとう、あなた」
9日午前6時20分、永眠。享年29。玉井さんが自宅に帰ると、雨がベランダをぬらしていた。
「出会って5年半。
本当に短い間だったけれど、由美は精いっぱい、私に人生を味わわせてくれました。