発達障害の息子を東大へ!“死を考えた”母子を救った医師の言葉
■「わが子は発達障害」と公に
「保育園時代から、とにかく忘れ物が異常に多くて。それに、些細なことでキレては友達に手をあげる。団体行動も苦手で、列に並んでいることもできなくて。発表会では大騒ぎした揚げ句、1人だけ退場させられたこともありました」
小学校に進んでも、状況は一向に改善しなかった。
「授業中、じっと席についていることができなくて、私はしょっちゅう、学校に呼び出されていました。ほかのお母さんからも苦情や嫌みを言われっぱなしでした」
菊地さんは1年生になった息子を連れ病院を受診。そこで大夢くんは「ADHDの疑いあり」との診断を受けるのだ。
「ショックというか、私自身、ADHDや発達障害について何も知らなくて。
すぐに専門書を何冊も取り寄せて勉強したんです」
さっそく、学校にも出向いた。
「担任の先生に本を何冊か持参しました。大夢に近い特性が紹介された箇所や、どんなとき困ったことになるかが解説された部分にペンで線を引いて、『ここだけでも読んでください』とお願いしました」
担任から「クラスの子にも公表していいですか?」と聞かれ、菊地さんはこう即答した。
「いいですよ、恥ずかしいことじゃないですから」