イラクへ飛んだ日本人看護師「壮絶な痛みの中亡くなる子供が…」
それは、「最期まで寄り添って苦しみを分かち合おう」ということだった。
「見ていていちばんつらいのは、小児がんになった子どもたちが、痛みを和らげることもできずに壮絶な苦しみのなかで亡くなっていくことです。でも、楽しいときばかりじゃなく、つらいときこそ寄り添おう、お子さんが亡くなっても、関係が終わるんじゃなくて、希望するなら親御さんも支えていこう、と。だって、ちょっとした心遣いで、人は救われることがあるんですから」
残念ながら、金澤さん自身がオマルくんの最期に立ち会うことはかなわなかった。
「彼が亡くなったのは、私が1年の任務を終えてイラクを離れたあとでした。訃報を聞いたときはショックで……」
こうした悲しみは、次に助けを必要としている人の役に立つことでしか癒されない。金澤さんの目は、さらに世界各国へと向けられることになった。
9月下旬からは、地元、秋田へ戻り、老人保健施設で看護師として働く日々。
その傍ら、MBA(経営学修士)を取得するため、アメリカの大学のオンライン授業も受けている。
「看護師なのにMBA?って思われるかもしれないけど、公衆衛生でマネジメントに関して学び、そのなかでどんな組織やプロジェクトも、マネジメントがしっかりしていないとベストなパフォーマンスは発揮できないと感じました。