金子恵美がそれでも夫を許す理由 山あり谷ありも運命と受け入れか
(自民党関係者)
1度目の不倫報道の当時、Facebookに「一時は離婚を考えた」とつづっていた金子氏。いっぽうで「家族として歩む道を選ぶことにいたしました」と決意表明もしていた。
「金子さんは当時、生まれたばかりだったお子さんのために離婚を踏み止まりました。そして2人で子供を育てていくことが最重要課題だと考えていたそうです。
いっぽう3歳年下の宮崎さんのことを弟のように感じていたともいいます。パートナーというよりも家族の一員という具合でしたから、夫婦でなく“家族として歩む”という言葉を選んだのでしょう」(前出・自民党関係者)
“家族としての前進”を選択した金子家。その結果、宮崎氏が辞職をしても一家の歯車は回った。
「子育て1年目のころ、恵美さんは政治家として奮闘していました。
いっぽう宮崎さんは辞職後に起業。午前中はアポを入れないようにするなど、育児と仕事のバランスを第一に考えていました。さらに彼は恵美さんのマネージャー業も担っていて、美容院の予約も彼がしていたと聞きます」(金子氏の知人)
18年5月、本誌はデートを楽しむ2人を目撃している。そこで宮崎氏はハンバーガーを一口大にちぎって、金子氏の口に「はい、あ~ん」。