伊東四朗が振り返る芸歴60年間…就活全滅で演技の世界へ
よっぽど面接向きの顔じゃないのかなぁ」
就職を諦めた伊東は、早稲田の学生だった次兄のコネで、大学生協でアルバイトを始めた。牛乳瓶の蓋を開ける仕事をしながら観劇ざんまいの日々を過ごす。浅草や新宿のストリップ劇場や歌舞伎にも通いつめた。
戦後、軽演劇の小屋がなくなって、コメディアンは、ストリップ劇場のショーの合間で、芝居やコントを見せていた。由利徹、谷幹一、長門勇、渥美清など、錚々たるメンバーが出ていたという。
「そりゃあ、面白かったですよ。通いつめているうちに、役者や劇場関係者に顔を覚えられてね」
あるとき、劇場の窓ガラスがガラリと開いて、声をかけられた。
「よう、寄っていけ!」
喜劇役者・石井均(97年没)だ。
58年、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げした石井は、伊東を一座に誘った。時を同じくして、生協からも「正社員にならないか」といううれしい打診があったが、ついついフラッと芝居の世界へ。
両親は賛成も反対も何もしなかった。
「親父はこっちも見ずに『ふうん』って、それで終わり。でも、この『ふうん』は重かった。いろんなものが詰まっていて」
こうして長い役者人生がスタートする。