2021年10月11日 11:00
パラ開会式で国歌 佐藤ひらり「夢を叶えるには言い続けること」
ひらりさんは2歳になるころまで、入退院を繰り返した。
「入院中もジメジメと落ち込みたくないから、病室におもちゃをたくさん持ち込んで。『目が見えないってことは、この子、耳はいいんじゃない?』って、これも勝手な思い込みですけど。おもちゃの楽器、子供用のマラカスや太鼓、タンバリンなんかを、見えなくても探せるように、ひらりが手を伸ばせば届くところに並べてました」
ひらりさんが2歳になるころ、絵美さん夫婦は離婚。以降は母娘2人だけの生活に。
「見えないからこそ、ひらりには普通の子と同じようになんでもさせたい、そう思ってました。何より生活のため働かないと。でも、保育園が見つからないんです」
市内10カ所以上の保育園を回ったが「目の見えない子は受け入れられない」と断られ続けた。
途方に暮れ「何度、泣いたかわからない」と絵美さん。わらにもすがる思いで駆け込んだ市の相談窓口ではこんなことまで言われてしまう。
「目が不自由な子なんだから、母親のあなたがもっと愛情を注いであげないと。家で2人、仲よくしていなさいよ」
その言葉に「打ちのめされるどころか、逆に闘志が湧いた」と、絵美さんは笑って振り返った。